5. 大衆酒場
■ 12.5.1
「ゴメン、マサシ、追加注文があるんだけど、いい?」
店を出てすぐ、メイエラが言った。
「もう一回店に入るのか?」
それは出来れば避けたかったが、必要であるなら仕方が無いと思いながら問い返す。
そもそも、今出てきたばかりの店に逆戻りするのは、いかにも不審な行動であり、ついでに色々とかなり気まずい。
「流石にそれはもう良いわ。アデールと手分けして、そのビルのあるブロックを一回りしてほしいの。建物の中の詳細情報は得られたから、それを元に侵入経路を考えるわ。ついでに物理的な侵入経路も調べられるでしょ? 目標がネットワークから切り離されている今がチャンスよ。」
「なるほどな。諒解。アデール、そっち側から頼めるか?」
メイエラと会話しながら歩いていると、ちょうどアデールが身を隠している暗がりに辿り着いた。
物陰に入り、そこに立っていたアデールと手分けする。
こちらを見ていたアデールは黙って頷き、俺がやってきたのとは反対側に向って歩いて行った。
再び左目の視界にはこの辺りの狭いエリアの二次元マップが表示されており、どの様に回ってほしいかというメイエラの希望が黄色い線でマップ上に表示されている。
俺がやることと言えば、周囲に気を配りながら、突入時に障害になるようなものは無いか、先ほど見た路地と今歩いている路地のどちらが目標のビルに接近するのに適していそうか、などをざっと確認していくだけだ。
ちょうど目標のビルの裏手を回っているときだった。
突然大きな音がして、目標としているビルの裏手のドアが開け放たれた。
余り乱暴に扱うと外れてしまいそうな古びたそのドアは、ドア脇に積み上げてあったゴミを撒き散らし、その反動で震える音を立てながらゆっくりと閉まっていく。
そこに中から何かが飛び出してきてドアに当たり、哀れな古びたドアは今度は全開で壁に叩き付けられた。
思わず立ち止まって突然の事態を眺めていると、中から飛び出してきたのは先ほど店の入口で揉めていた派手なシャツを着た男だという事に気付いた。
さらに中から黒いジャケットを着た男が三人出てきて、ゴミの散乱した地面に横たわる派手なシャツの男を寄って集って蹴り飛ばし始める。
「别再来!!」
(おととい来やがれ!!)
「该死小日本!!」
(クソ日本人が!!)
既に動かない男をひとしきり蹴り回した後に、三人の黒服は横たわる派手なシャツの男に向かって唾を吐きかけ、建物の中に戻っていった。
都会のノイズだけが唸るように響く路地裏に、哀れなスチールのドアが叩き付けるように閉められた大きな音が響き、消えていった。
状況からして、先ほどの店は中華系マフィアの経営であり、何らかの理由でそこに吶喊して行き、あえなく返り討ちにあって叩き出された地元のチンピラが派手なシャツの男、というところだろうか。
死んだか?
こんな最下層の路地裏にチンピラの死体が転がっていても誰も気にも留めないし、明日の朝には身ぐるみ剥がされた丸裸の死体も、邪魔に思った誰かが頼んだ死体処理屋が何処かに持っていってその内には消えてなくなるだろう。
或いはまだ生きていれば、あの店や建物に関してその男からもう少し情報が得られるかも知れない。
「好きにすれば? まあ、たいした情報は得られないと思うけどね。」
半ば呆れたようなメイエラの声が聞こえた。
逆にその声が引き金となって、立ち止まり眺めているだけだった俺の足は地面に横たわるその男の元に向かって歩き始めた。
いかにもチンピラと云った感じの派手なアロハ柄のシャツはヨレヨレになり、あちこちに飛び散った血が付いている。
何度も殴られたであろう顔は、青あざが浮き始めて腫れ上がっている。
仰向けに倒れたその胸が小刻みに上下しているという事は、まだ死んではいないのだろう。
「おいあんた。大丈夫か?」
男の脇にしゃがんで声を掛けると、男は腫れぼったくなった眼を開いてこちらを見た。
「な・・・んてこたぁ・・・ない。」
「全然そんな風には見えないけどな。ほら。起きられるか。」
殴られて血を吹いている口から絞り出すような声が聞こえたが、その内容に較べて口調は弱々しいものだった。
ガタイがあり、それなりに荒事慣れしてそうなこの男がこれだけ弱っているのだ。
あれから店の奥でかなりの量の暴行を受けたのであろう事は想像に難くなかった。
俺はAEXSSの力を借りて男の上半身を起こすと、顔をしかめる男に肩を貸して立ち上がらせ、その場を立ち去った。
それから約一時間後。
クニと名乗ったその男が頼れる行きつけの店があるからと指定したのは、例の目標としているビルから1km近く離れた、同じ最下層の別の飲み屋だった。
全く愛想の無い初老の女将が切り盛りしている、いかにも大衆酒場と云った雰囲気のその店には、俺達が到着した時点ですでに日が変わる時間になっており、娼婦からチンピラ、イキがった小僧に店が跳ねた後の近所の飲み屋や風俗店の店員達など、最下層らしくいかにも後ろ暗そうな連中ばかりが集まっており、俺達が店に入った瞬間にその連中の視線が全てこちらに集まってきた。
不思議なことに、次の瞬間それらの視線は見てはいけないものを見てしまったかのように全て他所に散っていき、店の入口で俺達二人はまるでそこに居ないかのように全ての客から無視される状態となった。
そんなヤバそうな連中からの視線を集める人気者になりたいとも思わなかったが、かといって明らかにわざとらしく露骨に無視されるのも、一体自分が今どんな状況に置かれているのか分からず不安になる。
一瞬戸惑い立ち竦んでいると、U字型のカウンターの中から不機嫌そうな表情の女将が顎だけで店の最奥にあるテーブル席を指し示し、足を引き摺り狭い店の中を歩きにくそうにものを避けて歩くクニと俺は、表からは見えない、店の中でも目立たない場所にある四人掛けのテーブル席へと辿り着いた。
「ビール。あと適当に食うモンくれや。腹が減ったわ。」
女将の親族なのか、或いはただそれがこの店の接客ポリシーなのか、女将と同じ様に不機嫌な面で愛想の無い男がやってきて、一言も喋ること無くテーブル脇に立ち、俺の向かいの席にしなだれかかるように座ったクニが慣れた口調で注文を出した。
無愛想な男の店員は何も喋らず頷いて店の奥へと引き返していった。
路上に転がっていたときには死んだかと思うほどだったのが、半時間ほど掛けてここまで移動してくる間に少しずつ回復し、クニと名乗った向かいの男は、腫れ上がった口で多少聞き取りにくくはあるものの、かなり普通に喋ることが出来るまでに回復していた。
こういう事に慣れているのだろう。流石の回復力と言うべきか。
「兄さん、済まんかったのう。ワシ重かったじゃろ。面倒掛けたのう。」
そう言ってクニは、すぐに出てきたビールを顔を顰めながら煽り、その痛みに苦笑いしながら言った。
「構わねえよ。偶々すぐ近くに居たんでな。眼の前で死にそうになってぶっ倒れてる奴を見捨てちゃおけなかっただけだ。」
「アンタ今時居らんええ奴じゃのう。お陰でワシも物盗りに会わんで済んだ。ここはワシが奢るけん、好きに呑んでったってくれや。」
そう言ってクニはまた顔を顰めながらビールを煽り、ジョッキを空にした。
物盗りとは、あのまま路上で倒れていた場合、抵抗できないのを良い事に財布や様々なものをかすめ取っていく連中の事だろう。
「大丈夫なのか。相当酷くやられてたが。」
その容赦の無い飲みっぷりは、こっちが心配になるほどだ。
どう見ても、袋叩きにされてついさっきまで路上で動けなくなっていた奴とは思えない勢いだ。
「兄さんももう見当付いとるじゃろう。ワシらのような商売やっとりゃ、こんなんいつものことじゃけえ。なんのこたあないわ。」
そう言いながらも顔を顰めながら、ビールを追いかけて出てきた季節外れのおでんのちくわにたっぷりと辛子を塗ってクニが頬張る。
半分は虚勢を張っているとしても、あれだけ殴られた後でものが食えるというのは、確かに大したものだと思いつつ、俺も脇から箸を出してこんにゃくを摘まみ、口に放り込んだ。
旨い。
愛想も何も無い店だが、味は確かなようだ。
眼の前で顔を顰めつつビールのおかわりを煽るこの男が行きつけにするはずだ。
「で? 何でまたあんなことになってたんだ?」
そろそろかと思い、話を振る。
俺がこの男を助けた主目的は、あの店に何やら因縁がありそうなこの男から情報収集をするためであって、下町最下層にある無愛想な女将が居る隠れた名店を紹介してもらうためでは無い。
「ん? ちいと面倒な話じゃ。堅気のモンが首突っ込んでもなんもええ事ぁありゃせんが。ワシは兄さんに助けてもろうた。で、ここで晩飯を奢った。それで貸し借り無しにして、ここでさよならしといた方がええ。」
「そう言うな。俺もあのビルにちょっと訳ありで用事があってな。」
このままでは拒否されたまま埒が開かないな。
色々織り交ぜて、鎌を掛けてみるか。
「俺はあのビルの中にあるブツに用がある。中国人どもが持ち込んだのか? 今日もそれの調べであの店に居た。」
少し声のトーンを落とし、クニの目を真正面から見据えて言った。
効果覿面だった。
クニの眼が眇められ、身体全体が纏う雰囲気がいきなりガラリと変わった。
俺を見るその視線がいきなり剣呑な色になる。
ガタイの良いヤクザ者に、こういう目つきで睨まれると大抵の人間は竦み上がるだろう。
最近その手のことに妙に慣れてしまい、AEXSSを着て現時点での物理的安全性も確保されている俺にとっては、そのような威圧も大して効きはしない。
「おまあ、ポリじゃったんか?」
声のトーンも低くなった。
成る程、これはなかなかの実力者だ。
普通はここでビビる。
が、俺はビビっていたのでは仕事が進まない。
「違う。」
そう言って俺はゆっくりと首を横に振った。
「探偵か。あそこの何を調べよんなら?」
「依頼に関する詳細は言えない。守秘義務がある。」
焼夷徹甲弾並に後頭部に貫通していきそうなパワーと鋭さのクニの視線をまともに見返しながら、俺も低く落とした声で返す。
しかし今の台詞で、俺が警察や麻薬Gメンの類では無いと理解するだろう。
依頼で動くのは、民間業者だけだ。
そのまましばらく睨み合う。
無愛想な男の店員が、我関せずとばかりに空になったジョッキを下げ、代わりになみなみと注がれてよく冷えたジョッキを二つ置いていった。
「あそこに居る中国人等ぁが何モンか知っとるんか、おまあ。」
「碌でもない奴等というのだけは知っている。まだ調査に入ったばっかりでな。」
そのままクニはしばらく黙る。
不意に、椅子の背もたれと壁で出来た角にしなだれるように身を任せていた身体を起こし、膝の上に両肘を付いてこちらに乗り出してきた。
「しゃあないのう。もうワシと一緒に居るところを見られとるしのう。
「ええか。引き返すんなら、今じゃ。何も聞かんかったことにして、綺麗さっぱり全部忘れて家に帰れや。これ以上踏み込んだら、戻れんようになるど? カタギが首突っ込んでええトコじゃないけえの。」
引き返すならここが最後。
最近何度この台詞を聞いただろうか。
それはつまり、このところヤバめの仕事ばかりこなしているという意味でもある。
全てアデールのせいだ。
そういうことにしておく。
あの女と関わるようになってから、ロクな事が無い。
「アンタの同業者じゃないがな。俺も会社を持ってて、五十人ばかし抱えてる身だ。ヤバいブツがあると分かって怖くてチビりそうでも、ハイそうですかと帰るわけにはいかんのよ。」
そう言って口角を上げる。頑張ってタフな男の真似をしてみる。
「なんじゃあ、おまあ、傭兵じゃったんか。」
そう言ってクニの表情からかなり険が取れた。
なぜばれる?
いやいや違う。俺は運び屋だ。
バレてない。バレてないぞ。
「なるほどの。それで色々合点がいったわ。」
まだ一口も付けていないジョッキを取り上げ一気に半分ほど飲み干すと、クニは更に身体を乗り出してきて、声を落とした。
「傭兵なら、逆にワシから頼みたい。力を貸してつかあさい。この通りじゃ。金が要るなら何とかして払うけえ。」
そう言ってクニが角刈りの頭を、俺の眼の前で深々と下げる。
クニは何かを誤解して、運び屋の俺を傭兵団の団長か何かだと勘違いしているようだが、あながち間違ってはいないし、その方が話が早そうなので誤解はそのままにしておく事にする。
「済まんが、ヤクザ同士の抗争に首を突っ込む気は無いぞ? そもそも依頼内容に反する事になりかねない。」
依頼内容に反することにはならないだろうが。とりあえず面倒だ。
殺し合いでも潰し合いでも、なんでも好きなだけ自分達だけで存分に楽しんでくれれば良い。
下手に首を突っ込んで、中華系マフィアから延々と恨まれ続ける様になるのも面倒な話だ。
俺は太陽系外に逃げられるから良いが、両親や妹の家族はそういう訳には行かない。
そしてヤクザは、こちらが一番嫌なところを必ず突いてくる。
情報部に迷惑を掛けるのは奴等の自業自得なところがあるが、機械達にこれ以上迷惑を掛けるのは心苦しい。
「おう、もちろんそれでええけえ。ワシらの事は、ワシらの兵隊で何とかするけえ。おまあさん等は、おまあさん等が追いかけよるあの試作無人機だけどうにかしてくれりゃあええけえ。あがあなモン、どがあにしてもワシらの手に負えりゃせんけえ、弱っとったんじゃ。」
そう言ってクニは、冗談が全く混ざっていない真面目な視線で俺を見た。
おいおい、ちょっと待て?
なんかえらく物騒な単語が混ざっていなかったか?
試作無人機?
どうやら俺はまた妙な当たりを引いたらしい。
ヤバそうな匂いの濃度がさらに急速に濃くなってきたのを感じて、必死で平静を装う俺は放置されすっかり汗にまみれたジョッキを右手で掴むと、大量のビールを流し込んで表情が変わるのを誤魔化した。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
休み中ですが、なんとか更新する時間が取れました。
なんかこの作品、ヤクザに絡む話がやたら多いような気が・・・
まあ、裏の世界に片足突っ込んでハードボイルドやろうとすると、どうしてもそっち方面との絡みが沢山出てくるのは仕方ないんですけどね・・・
ま、本作、所詮は半熟卵小説ですけどね。