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夜空に瞬く星に向かって 第二部  作者: 松由実行
第十二章 トーキョー・ディルージョン (TOKYO Delusion)
4/63

4. 蘭

 

 

■ 12.4.1

 

 

 昼間に引き続き、夜になっても例のカルト野郎をいぶり出すための調査は継続している。

 半径15km、或いはさらに絞って5kmとニュクスが言っていた、カルト野郎の推定潜伏場所は、昼間の実地調査でさらに絞り込まれて、今や半径数百mにまで狭められていた。

 大きく絞り込めたのは良いのだが、日が暮れて辺りが真っ暗になってきたので、俺と共に地上に降りて調査を分担してくれていたルナとニュクスはトラブルを避けるためにレジーナへと戻っていった。

 辺りが暗くなり始めると治安が急速に悪化するのはどこの街のスラム街も似た様なものであり、まともに街灯さえ灯っていない、文字通り真っ暗に近くなるこの最下層を見目麗しい幼女と少女がうろついていたのでは、どんなトラブルに巻き込まれるやら分かったものではない。

 例え実際は、トラブルに巻き込まれようが何が起ころうが、物理的な障害にであれば汗ひとつかかずに排除できる二人の実力は良く理解しているが、騒ぎを起こしてしまって包囲が狭まっていることをカルト野郎に感づかれてしまう危険を冒すわけには行かなかった。

 

 アデールも見た目の良い女という意味ではトラブル発生源になりかねないのだが、ちょっと腕に覚えのあるチンピラ達であれば、近寄れば切り捨てられてしまいそうな彼女の持つ独特な雰囲気を察知することも出来るだろう。

 どこから見ても危険な匂いがプンプン漂ってくるヤバそうな女に手を出そうという命知らずで奇特なチンピラどもがそれほど多いとも思えなかったし、そもそも軍人の彼女の身の安全を俺が心配するというのも、奇妙な話だった。

 という事で、夜の帳が降りて暗闇に閉ざされた東東京の最下層で引き続き継続中の調査は、俺とアデールの二人に絞られていた。

 

 何日もかかるかと思われていたカルト野郎のねぐらのあぶり出しは、優秀な我がネットワークチームの働きにより思いの外効率的に進んだようで、半径数百mとなった探索領域を俺とアデールがそれぞれ反対側からゆっくりと潰していく。

 互いの距離が徐々に接近し、最下層の夜の暗さの中にAAR表示によってアデールの位置を示すタグが見え始めたときには、対象範囲はすでに100mほどにまで絞り込まれていた。

 

「ここはお前に任せるしかない様だ。私が入ったのでは変に目立つ。」

 

 アデールがいつもながらの、感情を読ませないぶっきら棒な口調で言う。

 絞り込まれた対象エリアを前に、共に黒色のAEXSSに身を包み、半ば闇に溶けて身を隠すようにしながら深夜と言って良い時間の最下層の街角に立ち、ブラソンがほぼ確実にそこに居るはずだと太鼓判を押したビルを二人で眺める。

 第一層には届いてはいるものの、周りのビルに較べて明らかに背が低い雰囲気を漂わせている古びたビルの一階には、さほど派手でも無いネオンサインとAAR表示の地味な立て看板が闇の中に光っていた。

 十中八九この中に居る筈だと絞り込まれたビルの一階には、さほど繁盛している風でも無い飲み屋がテナントとして入っていた。

 紫色のネオンサインで「蘭」という文字がぶら下がったその店の入り口は、馴染みの客でなければ少々入りにくい雰囲気を纏っている、地味でこぢんまりとした、個人が経営する店のようだった。

 

 そもそも地元の人間以外は余り訪れることのなさそうなその店に、白人の女であるアデールが入れば、確かに悪目立ちするだろう。

 中は多分、数人の若い女が居て訪れた客を接待しながら、常連ばかりの客と共に騒いで一体どちらが客でどちらがサービスを提供するか分からない様な、そんな店に違いないだろうと半ば確信できるような、そんな印象を与える外見だった。

 

「諒解。俺が突入する。ブラソン、サポートよろしく。店の支払いは経費で落とすぞ。」

 

 みみっちいと笑うことなかれ。

 太陽系内に本社を登録する会社を経営していると、当然税金を取られるのだ。

 経費として落とせるところは落として、細かなところから節税を心がけねばならない。

 会社の経理はルナが中心となってしっかりと管理してくれているとは言っても、それはガバガバに金を使っても良いという意味では無いのだ。

 金が無くなるとどれだけ悲惨な目に遭うか、俺は身をもって知っている。

 

 俺はアデールと共に潜んでいた暗がりを出ると、目標のバーに向かって人通りも殆ど無い下町の最下層の道路を歩き始めた。

 木目調の柄のドアの前に立つと、酒類を提供する店であることの警告や、条例により十八才未満は二十二時以降保護者同伴で無ければ入店できない、などの法律で定められたAARメッセージが目の前の空中に表示される。

 うるさいメッセージを右手で払いのけるような動作で消し去ると、そのまま右手でドアのノブを掴んで回した。

 

 薄暗い店内は思ったよりも広く、鉢植えを乗せて並べたパーティションを使って幾つもの部分に区切られているようだった。

 店内奥の右手には小さなステージが設置されており、お世辞にも若いとも美人とも言えない女性従業員を左手に抱えた中年の男が、風に吹かれて乱れ飛ぶ落葉のホロ映像に囲まれて、気持ちよさそうに調子も音程も外れた歌を唸っている。

 店内には十組程度のソファセットが置かれ、それぞれの席に座った客同士が視線を気にしなくて良いように、ソファとソファの間のパーティションが上手く目隠しの役割を果たしているようだった。

 何席かは客で埋まっているようだったが、パーティションに隠されて全ての席が見えるわけでも無く、どれだけの客が店内にいるのかを一度に把握するのは難しい。

 

「いらっしゃい。あら、お客さん、ひとり?」

 

 半ば店内をできるだけ観察するため、半ばどうすればいいか分からず、ドアを閉めた後も入り口のすぐ近くに立ち尽くしていると、どこからともなく女が現れて俺の右腕に絡みつき、落ち着いた声で言った。

 年の頃三十代半ばと思われる整った顔立ちに、最近にしては珍しい黒髪を肩の下辺りで切りそろえ、朱を基調に白に近い淡いピンク色の牡丹と思しき花が散った少し派手めの和服を身につけたその女は、流れるように淀みなく柔らかな身のこなしが強く印象に残った。

 一見して堅気では無いと分かる妖艶な笑みと妙に落ち着いたその女の雰囲気を感じ取り、これは少々拙い店に入ってしまったかも知れないと思ったが、全てはあとのまつりと云うやつだった。

 

 ここでいきなり後ろを向いて店を出るわけにもいかないだろう。

 すでに顔を見られてしまった。

 この後の情報収集がやりにくくなるだけだ。

 それならばどうにかここに居座って、ブラソン達が情報収集する時間を少しでも稼ぐ方がまだましだと思えた。

 下町の最下層で営業している夜の店という時点で予想して然るべきだった。

 

「ああ、そうだ。」

 

「そう。じゃ、こっちへどうぞ。」

 

 他に目に付く数人の女達と較べて、明らかに貫禄の違うその女はこの店の中で最も上の立場なのだろう。

 女は俺を店の奥、中年男が相変わらず下手くそな歌を唸り続けるステージの少し手前の、三人掛けのソファとローテーブルのみで構成され、観葉植物の鉢植えが乗ったパーティションで他から仕切られた席へと手を引いていった。

 遮音シールドのようなものが展開してあるのか、或いはノイズキャンセラーが働いているのか、ステージが近い割には歌や音楽の音は大きくなく、声を張り上げずとも充分に会話できるほどの音量だった。

 

「お客さん、初めてね? ビール? 水割り?」

 

 長いソファの俺の隣に座ったその女は、いつの間に取り出したのか、手に持った料金表を俺に手渡しながら訊いてきた。

 市販価格の数倍の値段が文字ばかりで書かれたメニューの中に馴染みの酒の名前を見つけた俺は、煙草のパッケージを取り出しながら言う。

 

「ジャック・ダニエル。ストレート。ボトルでくれ。」

 

 ボトルを注文するのは、このまま長時間居続ける気があるという今日の予定と、この店が気に入ったのでまた来る気があるという意思を表示して、店側の警戒感を下げるため。

 再びこの店を訪れることはないだろう。

 もしあったとしても、その時はまともな客としてではなく、大捕物で大混乱の中突入する時だろう。

 

「まあ。水割りじゃないの? 強いのね。」

 

「わざわざ蒸留してアルコール度数を上げてある酒を、水で薄めて不味くして飲む必要も無いだろう。酒とそれを造った人間の仕事に対する冒涜だ。」

 

「ふふ、カッコ付けちゃって。」

 

 そう言って女は目つきの鋭い従業員の男に酒を持ってこさせた。

 ショットグラスに半分ほど注がれた琥珀色の酒が俺の前に置かれ、その隣に氷の入ったチェイサーグラスが置かれる。

 

 格好付けてストレートを頼んでいる若造と思われるくらいでちょうど良い。

 この手の店でまともに男として扱ってもらえるのは四十も過ぎてからだろう。

 適当に軽く扱われている方が、こちらも仕事をやり易い。

 

 目の前のグラスを取り上げ、ひとくち口に含む。

 独特の煙るような香りと甘みのある液体が喉を通って腹の中に落ちていく。

 一口で半分ほどがなくなったグラスをテーブルに置き、手に持っていたマルボロのパッケージから一本抜き取って箱をテーブルに置いた。

 これは、煙草が吸いたいという無言のメッセージだ。

 

「あら。条例で店内じゃ禁煙なのよ? 知らなかった?」

 

 そう言って女が面白そうに笑う。

 勿論、適当に俺をからかっているだけだ。

 日本にそういう条例があるのは本当だが、しかしテーブルの上にはガラスの灰皿が置いてあり、なにより店内の空気には濃密な煙の匂いが混ざっている。

 こんな最下層の半ば無法地帯化している場所にある店に、条例が正しく守られているか確認に来る役人などいるはずもない。

 俺が手に持った煙草を口にくわえると、いつの間に取り出したか、ライターを持った手が横から伸びてきて煙草に火を付けた。

 

「若い人がこんな所の店に来るなんて、珍しいわね。今日は仕事でこっちに?」

 

「ああ。この近くで仕事があってな。仕事帰りに一杯引っかけたくなった。手頃なところにこの店があった。済まないな、仕事帰りの汚れた恰好で。」

 

 この近くで仕事があったのは本当だ。

 どころか、実は今も仕事中だ。

 飲み屋に入って女と話しながら出来る仕事など、端から見ればお気楽な仕事なのだろうが、その実やっている本人はかなり神経質に辺りを警戒しており、こんな居心地の悪い所からはさっさと逃げ出したいと思っているのだ。

 最下層で女の従業員を何人も抱えて一見平穏に深夜営業している飲み屋が、まともな経営の筈は無かった。

 間違いなくこの辺りを取り仕切るやくざかマフィアが後ろ盾に付いているだろうし、少しでも怪しげな動きをすれば、奥からその筋の男が出てくるに違いなかった。

 目標のすぐ近くで、騒ぎを起こしたいとは思えなかった。

 

 なにせ俺がこの店に入った目的は、かなり高い確率でこのビルの中に引きこもっている、或いは匿われている変わり者の機械知性体を探し当てるため、この店を含んだビル全体を事細かに調査するための電子的侵入の中継点としてここに居るためなのだ。

 相手がやくざだろうがテロリストだろうがカルト教祖様だろうが、自分達の懐の中に手を突っ込まれ嗅ぎ回られて、その手の連中がいい顔をする筈もない。

 バレれば良くてその場で袋叩き、運が悪ければ重石を付けられて東京湾で息継ぎ無しのスキンダイビングを楽しむ羽目になるだろう。

 

 しかし目標の本拠地であるために慎重に作業を進めているのか、店に入ると同時に解析開始を宣言したメイエラから、未だに作業終了の声は届いてこない。

 

「ママさん。」

 

「ミユキちゃん。この娘、ミユキちゃん。良い娘なのよ。じゃ、あたしはちょっと失礼するわね。」

 

 青い派手な服に身を包んだ若い女が一人近づいて来て、俺の横に座っている和服の女に声を掛ける。

 和服の女は妖艶な笑みを浮かべて暇を請い、入れ替わりに安っぽい服に身を包んだ若い女が俺の隣に座った。

 こんな場所の店で働いているにしては、柔らかな表情で笑う女だと思った。

 もちろん、営業用のスマイルだろうが、それでも性格というのは表情に滲み出るものだ。

 

 新しく俺の横に座った女がとりとめの無い話題を次から次へと振ってくるのに適当に返答を返しながら俺はメイエラからの作業終了の合図を待つ。

 街中の調査ではほんの数分、長くとも一箇所につき十分もかからず終わっていた調査が、慎重な調査である為か、随分と長くかかっている。

 

「ゴメン、お待たせ。終わったわ。」

 

 待望のメイエラの声が頭の中に響いた。

 店に入ってすでに四十分近くが経過していた。

 

「もう出ても良いのか?」

 

「いいわ。目標は間違いなくその建物の中に居る・・・でも、ちょっと変なのよね。」

 

「変?」

 

「目標は今は接続を切ってる。接続を切ってる事自体が変だし、今現在逃げ込んでいるデバイスが、なんか普通じゃ無いのよね。アクセスの痕跡が。」

 

 ネットワーク絡みの詳しい話は、聞いていても俺には理解出来ない。

 それに今は一秒でも早くこの店を出たいと思っていた。

 

「済まん。そろそろ帰る。案外疲れていたらしい。眠くなってきた。」

 

「お疲れみたいだものね。今日は早く帰って寝た方が良いよ。今度は元気なときに来てね。」

 

 と、女は素っ気なく席を立った。

 彼女にしてみれば、何を言っても半ば上の空で返事を返す俺はつまらない客だっただろう。

 

 先ほど酒のボトルを持ってきた黒服が、勘定を表示する支払端末を席まで持って来たところで、店の入口で大きな音がした。

 何かが倒れるような音に続き、低くくぐもった言い争うような複数の声が聞こえる。

 

 店内に建てられたパーティションの隙間から、四人の男が争うのが見えた。

 二対二、ではなく三対一であるようだった。

 派手なシャツを着た男が店に押し入ろうとし、黒いジャケットを引っかけた三人がそれを実力で排除しようとしている。

 四人とも、それなりの体格を持つ男だ。

 

 支払端末を持って来た痩せて目つきの悪い男を見ると、似合わない愛想笑いを浮かべてこちらを見ていた。

 やがて入口での騒ぎは収束し、派手なシャツの男は用心棒三人に引き摺られて店の奥の方へと連れ去られて行った。

 

 目つきの悪い黒服が手に持つ支払機のAAR表示に承認を出し、支払を終えると俺は席を立って店を出た。

 こんなところにある店にしてはかなり高い支払だったが、こんなところで安全に酒を飲めるセキュリティを考えれば、妥当なのかも知れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 


 いつも拙作お読み戴き有難うございます。


 店は、とある街にある行きつけだった実在の同名の店をモチーフにしています。

 無法地帯でケバケバしい海岸通りから二つ内陸に入った通りにあるその店の周りは少し落ち着いた雰囲気で、若く元気な日本人のママさんが取り仕切っている店でした。

 ママさんは、本作に出てくるような妖艶な笑みを浮かべる夜の蝶というよりも、陽の当たる海岸沿いのコーヒーショップでもやっていそうな見てくれと、それに見合った性格の人でしたが。

 懐かしく思い、グーグルマップで確認すると、どうやらもうお店は無くなっているようです。

 まあ、ママさんも流れ者でしたからねえ。


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