13. 東京上空制圧
■ 12.13.1
「橋頭堡1に500体のコピーを確認。別サーバ橋頭堡2、3、4にも同数。ノバグ0001から0500まで第一橋頭堡に対処。ノバグ0501から4000を再展開。全橋頭堡のコピー生成に対処します。」
メイエラが悲鳴のような声を上げると、間髪を入れずノバグが対応を始めた。
「各橋頭堡から大量の通信が発生。掴みきれない。何割かは新たにコピーを作るためのデータに違いないわ。通信内容と送信先の確認中。ダメ、手が足りない。ブラソン、ゴメン。メイエラ01001から02000までをアクティブ化、投入。新たにメイエラ02001から10000を生成、待機。アクティブ化したコピーは、一対一で目標コピーの通信解析に対応する。」
目標の行動を解析していたメイエラが、手が足りなくなり、控えさせておいた大量のコピーを一気にアクティブ化させて投入する。
さらに、より大量のコピーを生成してバックアップに回している。
メイエラがゴメンと言ったのは、地味に動かねばならないこの依頼に対して、大量のコピーを産み出し投入するという力業の様な目立つ方法をとったからか、先回りして目標の動きを押さえ込めなかったことに対してか。
目標が産み出したコピーと、ノバグ達が産み出したコピー、合わせて一万を軽く超える数のAI人格が互いの送り出すデータを傍受し解析して対策を打ち、ネットワーク上での激しく行き交い攻防を続けている。
一千万を遙かに超えるヒトとAIが活動するこの東京という街だ。
昔に較べて都市の空洞化は進んでいるが、それでもまだ巨大な夜間人口と、極度に密集した夜間トラフィックを抱える都市である。
たかだか一万を超える程度の数の彼女達のコピーが動き回ったからと言って、ネットワークの論理的或いは物理的なキャパシティを圧迫するようなことは無い。
ましてや今は深夜の時間帯だ。
昼間に較べればトラフィックの混雑も無く、彼女達はまるで澄んだ大河を泳ぐ魚のように縦横無尽に駆け回っている。
だがそれは、ただ数字だけを見た場合の話だ。
たった数人のAIが、それぞれ数千ものコピーを一度に生成し、その全てのコピーが数百数千ものローカルサーバの間を駆け巡り、万にも達するダミーストラクチャを生成して互いにその防壁を突破しようとしつつも、自分が生成した防壁は抜かれまいと全力の駆け引きを行っている。
いくらトラフィック負荷が低くとも、そんな動きが目立たないわけが無かった。
生成したサブストラクチャが攻撃プログラムの突入によって一瞬で破壊され、そして突入してきた攻撃プログラムはさらに深層に存在するサブストラクチャに潜む防御プログラムによって捕まえられ絡め取られて、身動き取れなくなり非アクティブ化され、分解される。
ローカルサーバに辿り着くと一瞬で数千数万に分裂して展開されたダミーストラクチャを浸食し食い潰すプログラムが、さらに大量の防御プログラムによって逆に押さえつけられ、そのまま押し潰されるように一度に数千もの数が消えていく。
つい先ほど奪い取られたローカルサーバの管理権限が、攻撃プログラムの浸食により防壁を突破されたことで奪い返され、間髪を入れずすぐ近くの別のサーバに大量の攻撃プログラムを送り出して攻撃を始める。
まるで背後から切りつけられたかの様に、異なる攻撃パターンのプログラムが大量に叩き付けられ、数万層の防壁がまるでガラスで出来ているかのように一瞬で粉砕されて突破され、奪い返したばかりの支配権を再び奪い返されて橋頭堡を護っていたAI人格がまたひとつ、まるで水に落ちピラニアに群がられた陸上生物のように食い散らされ、ズタズタに引き裂かれて機能停止し、消滅する。
「攻撃型タイプ33B2は敵に対応されました。新たにタイプ7841を投入。タイプ452Aの浸食速度低下。目標の展開するB212タイプストラクチャの防御アルゴリズム解析完了。マッチ。無効化しました。新たな防壁の展開を確認。タイプB282と命名。解析開始。新型の攻撃型プログラムによる浸食を確認。タイプE336と命名。捕獲しました。分解解析データを送ります。」
敵性のプログラム或いはサーバを攻撃する、逆に自分達が乗っている橋頭堡たるサーバをそれらから防衛する能力に長けたノバグが、次々に敵性のプログラムを破壊し分析してそのデータをメイエラに渡す。
メイエラから渡されたデータに従って、無数に展開される防壁を突破しながら同時に解析し、そのデータもまたメイエラに渡される。
メイエラはそれらを再度精密に解析し、分類してデータをプールし、新たな敵性プログラムと対峙したノバグの要求に応じて必要なデータを渡し、ノバグが敵性プログラムに対応する効率を向上させる。
もどかしい、とブラソンは歯噛みする。
パイニエにいた頃は、自分が主体となってノバグを操って作業を行っていた。
無数の解析ツールを駆使して挑みかかってくる同業者の攻撃も、ブラソンが造り育て上げたノバグと、彼女に的確な指示を出して対抗するブラソンの敵では無かった。
相手が用いているのは所詮はツールレベルのプログラムでしかない。
それに対してノバグは、学習機能を備え蓄積されたデータに基づく判断力を持った、初歩的とは言えども機械知性体だ。
どんな相手も敵では無く、無双状態だったと言って良い。
あの頃の攻防や侵入は間違いなく自分が主体だった。
テランや機械達と付き合う様になって、ノバグの機能は飛躍的に向上し、最早一人の人と言える程にまで成長した。
友人と言っても構わないであろうバディオイが生み出した、メイエラというもう一人の機械知性体も仲間に加わった。
全体的な戦力は、昔と比べものにならないほどに向上している。
ただ、戦いが、作業が、自分の手から離れてしまった。
いくら経験の有る腕の良いハッカーだとは言っても、自分は所詮はヒトだった。
ネットワーク上で活動する際には、身体各所からのフィードバックもシャットアウトし、チップの演算による補助があって思考が高速化するとは言っても、それは所詮ヒトの範疇でしかなかった。
彼女達が行動する、ミリ秒、マイクロ秒単位での世界には遙か届かない。
全体的な流れを読んで指示を出すことはかろうじて出来ているが、細かな攻防や作業に対する指示は、自分の処理速度では遅すぎてとても対応出来るものではない。
もちろんそのような細かな部分は、人格を得て知性も得た彼女達が正しく精確に漏れ無く対応する。
全体のパフォーマンスは桁違いに向上した。
だが、徐々に疎外感を感じる様になった。
物足りなく感じる様になった。
自分が最も得意とする、敵性のプログラムの脆弱点を見つけ出し、そこに付け入り機能停止に追い込み、そして解析して対抗策を送り出す、という作業が出来ない。
強固なサーバのセキュリティの僅かな隙を探し出し、長く巨大で複雑で気が遠くなる様な防壁構造を突破し、防衛プログラムの攻撃をかいくぐり、サーバを陥落させる最短ルートを勘と経験で探り当てて、最奥の宝箱とも言える様な最高管理権限を堕とすあの瞬間の喜びも高揚感も、もう直接に味わうことができない。
ヒトと機械知性体の間に横たわる、処理速度という絶対に越えることの出来ない差がそれを生んでいる。
どれほどブラソンが才能に恵まれ且つ経験を積んだハッカーであろうとも、そのブラソンがどれほどに集中して手際よく処理を進めようとも、機械とヒトとの間にある数万倍、数百万倍もの処理速度の差を埋める事は絶対に不可能だった。
今やブラソンがノバグ達に勝っている事と言えば、本来なら有り得ないネットワーク上での本能的な勘に頼った、事態の予測や発生した事態に対する本能的な処理、或いは初見の不測の事態に対するこれもまた本能的に最善の対処を選択する能力と判断力だけと言っても過言では無かった。
それさえも、ノバグとメイエラの二人がこの後充分な経験を積んだなら、過去の経験の類似したパターンから初見の事態への対策を類推することが可能となり、ブラソンが活躍できる範囲はますます狭まって行くであろう事は想像に難くなかった。
今のままではそう遠くない将来、このチームの中で自分だけがほぼ無用の過去の遺物と化して置き去りにされてしまうのは明らかだった。
とは言え、逆さになろうとも天地がひっくり返ろうとも、ヒトの処理速度が機械のそれに追い付く事は絶対に無い。
自分が作り育てた知性体が、自分を追い越し置き去りにして遙か先へと進んでいこうとしているのは、その成長ぶりを見るうれしさと共に、彼女達について行けず置き去りにされてしまう現実をも突きつけられ、複雑な感情をブラソンの中に湧き起こす。
どうにかしなければならないのは分かっているが、どうにもしようが無かった。
「敵橋頭堡、新たに十二箇所発生。各橋頭堡共に千体ずつのコピー生成を確認。初期四箇所の橋頭堡をBH001からBH004と命名。新たな橋頭堡をBH005からBH016と命名。コピー生成速い。これは、間に合わないわ。後手に回ってる。コピー稼働開始前に潰すのは無理ね。」
ネットワーク上での全力を出し切る戦いの最中であることを反映してか、言葉だけはそのままにいつもと全く異なる感情のこもらない声でメイエラが早口に言った。
「BH001、BH002処理完了。新たなBHに対向するため、ノバグ04001から14000を生成。リーディングキャパシティ限界近いです。」
「メイエラ02001から10000をアクティベート。新たにメイエラ10001から28000を生成、アクティベート。新規BHの対応に当たるわ。けど、抑えきれない。新たな敵コピー生成で、敵コピー消去率が47.3%から15.7%に低下。こちらの被害が38.2%。新たなコピー生成で2.2%に低下。」
「こちらレジーナ。本船内演算ユニットキャパシティの15%を新たに開放します。ノバグ、使ってください。演算リソースの余裕が殆ど残っていません。これ以上のリソース割譲は目標周囲の索敵、或いは本船の管制に支障が発生します。」
目標である機械知性体は、ノバグ達からすでに敵呼ばわりされている。
ネットワーク上で熾烈な戦いを繰り広げているのだ。それも当然だった。
敵はニュルヴァルデルアタイプの優位性を生かして、ネットワーク上に次々と多量のコピーを生成し、物量攻撃に入っていた。
これに正面から対向できるのは、同じニュルヴァルデルアであるメイエラだけだった。
しかしそのメイエラも見る間に増殖するニュルヴァルデルアの物量攻撃に音を上げ始めている。
目標と同じ様な物量攻撃が可能なメイエラであり、相手の攻撃の余りの規模の大きさにすでに当初の目標のひとつであった目立たぬように行動するという条件をかなぐり捨てている彼女であったが、次々に発生してコピーを増殖させる敵の橋頭堡を潰す行動、即ち敵によって占領されたサーバに産み出されたコピーを破壊した後にそのサーバを奪い返し、そこに新たに自分のコピーを産み出して攻撃に加えるという一連の動きが、敵のコピー生成速度に追い付いていなかった。
最初の一手が後手に回ってしまったことが響いている。
敵は最初から大規模戦闘に持ち込む事を計画して、ネットワーク上のあちこちに非アクティブ化したコピーを大量に忍ばせていたのだった。
それに対してこちら側は、可能な限り目立たぬように行動しろという足かせを嵌められていたのだ。
すでにその要求の達成は不可能と見て捨て去ってはいるが、目立たぬように行動していた初期段階で付けられてしまった差は大きい。
次から次へと大量に発生する目標のコピーを攻撃し分解して戦力差を僅かでも縮めて状況が改善の方向に進んだと思えば、僅かな後にはまた新たなコピーが大量に産み出されて、縮めたばかりの差を再び開けられる。
最初の一手を読み違えていなければ、或いは読み違えていたとしても、自分が割り込んですぐさま軌道修正していればもしや、とブラソンは歯がみする。
生身の脳では、ノバグ達が戦う世界の一瞬の判断に割り込むことさえ出来ない。
そしてそれは今もそうだった。
機械知性体とは言え、相手はネットワーク上での熾烈な駆け引きなど殆ど経験もしたことの無い素人と言って良い。
ミリ秒、マイクロ秒単位での動きに対応して割り込むことが出来れば、戦況をひっくり返すための取っ掛かりがそこかしこに転がっているはずなのだ。
「余り旗色が宜しゅうないのう。すまんかった。儂も少々相手を甘う見過ぎておったわ。こうなってしもうたら、目立つも目立たぬもありはせんの。バカな身内がテラのネットワーク上で大暴れするのをなんで自ら止めに入らんかったかと、非難されてしまうじゃろう。ここまでの事態になったのなら、逆にはっきりと存在を示した方が良いのう。という訳で、もう遠慮は無しじゃ。ワシらも介入するぞえ。」
ネットワーク上で熾烈な戦いを繰り広げるノバグとメイエラ、そして生身の人間の能力の低さを呪いながらそれに指示を出すブラソンのもとに、現実世界で多脚HASを追い続けているはずのニュクスの声が届いた。
生義体を持ち現実世界で生きる彼女だが、もとはと言えば機械知性体、そして今も常にネットワークで他の機械たちと常に繋がっているニュクスは、ネットワーク上の住人でもある。
「応援を呼ぶぞえ。今やテラのネットワークは儂らのネットワークと完全に繋がっておる。それと、このバカモノを物理的に追い詰めるための船も必要じゃの。」
次の瞬間、東京とその近郊に設置された万を超える量子通信ユニットが一斉に回線を開いた。
太陽を中心にして、地球と対称の位置で地球軌道を回る直径一万kmを越える超巨大母船イヴォリアIXから、開かれた回線と同数の機械知性体が地球上のネットワークに侵入し、もとは彼等の仲間であった目標のコピーを一斉に攻撃し始める。
同時に万を超える機械知性体がそれぞれ数千ものコピーを生成し、圧倒的な物量で今まさに作り上げられようとしているコピーを一瞬のうちに消去し、そして論理的に周辺に存在する無数のサーバ上に仕掛けられた「眠っている」コピーを探し出し、見つけては叩き潰す。
極東アジア地域のネットワークを中心として、それはまるでネットワーク上で大規模なテロリズムが行われたか、或いは機械知性体主催の特大の祭りが行われたかと云う様な大騒ぎとなったが、しかしそれはネットワーク上のみに留まらなかった。
東京上空500kmほどの宇宙空間に幾つもの空間の穴が開き、そこから白銀色や漆黒、様々な色の艦体を持つ数十隻の巨大な戦艦が突然姿を現した。
物理的攻撃能力もさることながら、通常の仕様の戦艦よりも通信、索敵、或いは妨害と云った特殊な機能に特化した性能を持つそれら多数の戦艦は、それぞれの特長を生かして東京の旧都心部の地表最下層をすばしこく逃げ回る多脚HASの位置を特定し、周囲の街並みや生物に影響を及ぼすこと無くその行動を妨害する様々な攻撃手段で行動に制限を加えて鈍らせた。
地球の影の中に艦体があってなお暗い夜空の中に姿を特定できる程に地上に接近した巨大な戦艦の姿は、その姿を地上から見上げる者達にまるで数百年ほど前、地球人が初めて意識して接触した異星生命体が都市上空に多数の艦艇を停泊させ、そこから無数の小型戦闘機械を吐き出してこの惑星を制圧し、そこに住む原住人類を家畜のように捕獲しようとしたあの戦いが再びこの地に訪れたかのようにも見えた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
引き続きネットワーク回です。
もう既にずっとこれでやってきたので今更変えられないのですが、しかし銀河標準仕様のネットワークが現在のネットワークと同じようなカスケード構造でいいのかね、という思いはあります。全並列多層状構造とか、多層立体網目構造とか。
ああ、概念の問題なので立体網目構造は余り意味が無いですね。そもそも層状構造にする意味も無いのかも。
まあ、万が一サイバーパンク中心な話を書くことがあれば、その時ちゃんと見直しましょうかね。