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獣の段通  作者: ハシバミの花
15/17

エラゴステスの陳情

 謁見の間は、(シン)としていた。

 壮麗な王城に、原始の砂漠が現出したがごとき、圧倒的なる段通の力強さと、生々しき生命の物語。

 もはやエラゴステスを嗤う者はおらず、蔑む目も失せていたた。

 槍の場面で頂に達した吟遊詩人の音楽は、徐々に風に溶けるように音を減らし、今は一音一音を、弦が響かぬようにつま弾くのみ。

 物語の終わりとともに、曲も終焉を迎えたのである。

「べネスのガタウはその後、御言葉に沿うたがごとく死にました。その旅にて、自らの腕を喰ろうた宿敵たる片目の獣を倒して、相討ち。片目もまた大きく、身の丈十七トルーキ(5.7メートル)あったそうでございます」

「剣呑であるな! 軍隊でも出さねば、そのような化け物、潰せぬだろう!」

「ガタウの戦いを見た者は、それは物凄い戦いだったと申しております。皮一枚削らせて躱し、一突き一突き命を賭してねじり込む、という様な」

「そのガタウとやらに、褒美を授けたくなるわ!」

「その戦いを見届けた者こそ、御帝が尻に敷いておられる大きさの獣を狩った、新たな砂漠の英雄にございまする」

 それまで間髪なかった返答が途切れる。

 帝は目をむき、尻の下のみっしりとした剛毛をつかみ、ちぎらんばかりに握りしめる。

「ふむなんと。醜き商人よ、その戦士の名は?」

「戦士カサ。大戦士ガタウの愛弟子にして、砂漠の新たなる邑の長にございます」

 帝がズンと立ちあがる。

 先程までの磊落(らいらく)は消え失せ、帝の座に相応しき沈着さと威厳を身にまとっている。

「——貴様、なかなかの商人であるな。名を申せ」

「エラゴステスにございます。過ぎたるお言葉、もったいのうございます」

「商人エラゴステス。陳情を申せ」

――ようやくここまで来れた。

 その感想は、この商品を献上する、という意味合いもあり、もっと大きく商人として身をたて、この場を設けられた、という実感も込められていたであろう。

「そちら、献上した品の意匠を、このエラゴステスと、デルギンドリの職人組合の、専売として取り扱わせてもらいたく申し上げます」



 結論から話してしまった方がいいだろう。

 エラゴステスの陳情は認められた。

 ただし利益の半分を税として納めることを条件に。

 これは、想定の価格で利潤の出るギリギリの線であったが、最初は

「売価の半分を、税として差し出すことを条件とする」

というさらに無茶な物であった事を考えれば、まあ一つの勝利であろう。

 とはいえ、あれが帝なりの冗談という線も、色濃いのだが。

「それでは、帝以外誰にも買えぬ品となってしまいます。何卒ご再考を」

「――では、利益の半分を差し出すことを条件とする」

「寛大なるお言葉、感謝いたします」

「もう一つ。南門の橋の補修の宴には、今の話、再び余興として聞かせよ」

「光栄の至りに存じます」

 その言葉の半刻後には、エラゴステス一行は都市入り口の城塞の門を出ていた。

 用事を終えれば無用だからさっさと追っ払われただけなのだが、その素っ気なさが、今はありがたかった。

 戦士ガタウの大望が片目との殺し合いとしたならば、エラゴステスの大望は、今日この日に他ならなかったであったろう。



「……まったく、寿命が縮んだわ」

 荷車に揺られながら、デルギンドリが、精も根も尽き果てたとばかりに長くため息をつく。

「帝への陳情など、生涯に一度の経験であろう。七代先まで自慢のタネができたな」

「ぬかせ」

 エラゴステスの揶揄(からか)いに、まともな返事すらできない。

「しかし、あの戦士の話は真か? 嘘であれば、露見すれば貴様、その首が飛ぶぞ」

――この野郎、まだ信じていなかったのか。

 陳情が通り、楽師を何人も呼び、何度も練習させた。

 細かい言葉の選びや曲への注文をさんざんしたがどうにも伝わらず、

「物語ならば、いっそ吟遊詩人を呼べばどうか」

と提案したのはこのデルギンドリである。

 これが上手く当てはまり、語りに吟遊詩人による伴奏という形をとる事になった。

 それにしても、デルギンドリがエラゴステスの口上をただの商品の売り文句と考えていたのは知っていたが、幾度訂正しても、今日まだ疑う。

――まあ、その慎重さこそが、施設長たる器の形なのやも知れぬが。

「真実だ。あの夜死んだ仲間に誓って、すべて(まこと)の出来事だ」

 そう言ったのがティグルであったので、デルギンドリはまたしばらく呆気に取られていた。

 必要なこと以外、口を開かぬ男である。これ以上の裏付けは、他にあるまい。

「あの夜、貴様を施設に引き入れてしまってから、二年も経たぬうちに、こんな事にまでなってしまったのだな……」

 デルギンドリは、まだ魂ここにあらずの体である。

 エラゴステスはと言えば、呼ばれた宴で如何にあの段通を売り込むかを思案している。

 骨の髄まで商人とは、この男のための言葉だ。

「しかしあのような意匠、如何にして思いついたのだ。行商の領分を越えておろう」

 砂漠の伝説を意匠にした段通は、昔も今もあった。

 だがそれは、戦士を題材にした小品ばかりであった。

 まさか、こんな大胆な大作を、職人ではなく商人が思いつこうとは。

――商人の目端が利くのは知っておるし、彼らは自分たちの客が求める商品をよく理解している。だが……。

 ここまでの商材となると、これは城や城壁をたてる豪族の物のとらえ方である。

「すべて終わったからタネをばらすが、始まりは、東の都市が占領されて、商路が消滅した事だ。それで、持ちこんだ大量の毛皮が浮いてしまった」

 エラゴステスが語りだす。

「どうにかしてそれを売らねば、次の商売が成りたたぬ。最初は切って安く売ろうかと考えた――無論損は承知――のだが、すでに市場はだぶついた毛皮であふれていて、買い叩かれてしまうだけである。ならば加工して売るしかない。それに頭を痛めていたら、ティグルが言ったのだ。『剥製でも作ればどうだ』と。『せっかく美しき獣の皮があるというのに、何故切ったり縫ったりをして、それを損なうのか』と。その時、天啓が降りてきたのだ。この毛皮の毛を織りこんだ、獣の大段通の構想が」

 エラゴステスの顔には表情がなかった。

 この男も、疲れていたのだ。

「商売をしていると、こんな天啓が幾度も降りてくる。それは上手く行く事もあり、行かぬ事もある。一つ共通しているのは、上手く行く時、同じ様な商品を構想している者が必ずいる、という事だ」

「それで、あんなに息せき切って、組合施設に駆けこんできたのか」

――あの様な代物、この男以外の者が思いついていたとも思えぬがな。

 よしんば思いついたとて、実際に製造する者が他にいるとも、デルギンドリには思えなかった。

「思いついたならば善は急げだ。早き事、それ自体が価値となる」

「……商人エラゴステスよ、何故わが組合を選んだ」

「取引があり、融通を利かせる度量を持つ施設長がいる」

 デルギンドリは、信じない。

 このエラゴステスが自分のもとに来たのなら、そこに何か大きな判断材料があるはずだ。

 見当はついていた。

 砦の説明をした時、やけにすんなり理解した。

 賊が入った時、大事にしたがらなかった。

 ムノストリが裏切り、その背後にいたヴィグラを捕らえたとき、すぐに背後に帝がいると見抜いた。

「あの砦を、うちが管理していると、あらかじめ知っていたのだな」

 エラゴステスは何も答えず、ただニヤリと笑う。

「我々は、知らぬうちに帝国の敵として処刑される危険を抱えていたわけか。貴様のせいで」

「お互い様であろう。流通が途絶え、悪くすれば軍隊に接収されかねぬ東の砦を所有するそちらの組合に、ノドから手が出るほどありがたい大きな注文をしたのは、誰か思い出すがいい」

「エラゴステス、この小さな悪鬼め。砂漠の悪霊に呪われよ」

 デルギンドリが半ば本気で吐き捨てるので、エラゴステスは大きな声で笑った。

「此度の商売、綱を渡るがごとくの危うき物であったが、結果すべて丸く収まった。たまにはこんな僥倖(ぎょうこう)もあるのだ。せっかくの幸運、味わうがよかろうよ」

「このまま組合に行け。最高の酒を振舞ってやる」

 デルギンドリがやけくそ気味に言う。

 砂漠はこの日も、晴れ晴れとした空であった。

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