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堤防の人魚

作者: 寝ながら鳴く鳥

1.

スパンコールのような虹色の欠片が水面から降り注いでいる。その欠片は水流で角度を変える度に色を変えていく。その間を小魚の魚群が縫うようにして通り抜けていく。幻想的な光景だった。そして、ゆっくりとそれらが海底に付くと一度ふわりと10cm程浮かび上がり散り散りに消えていった。


2.

人魚の肉を食べると不老不死になるという。僕は昔からこの話を聞くたびに不思議で仕方がなかった。初めて食べた人はどうして人魚を食べようと思ったんだろうか。人魚というくらいだから魚の代わりに食べたんだろうか。だとしても人間くらい大きいに違いない。それを食べようと思う心境というのはどういう状態なのだろうか。そして何より不老不死になった今、どこで何をしているんだろうか。

僕の住む漁の盛んな島の大半は漁師を生業としていて僕の両親も類に漏れず漁師をしていた。漁師町の朝は早い時で2時、遅い時でも5時から始まる。島を出ていく若者も殆どおらず、僕を含めて大半の人間が漁師の子供として生まれ漁師として死ぬ。そんな所だった。そして、夏場に怪談話をするのと同じくらい、いやそれ以上に人魚の話を信じていた。僕の両親が養殖網を張る場所の少し先に海からとがった先の出た岩がある。親父は僕が小さい時から「晴れていてもあの周りだけ霧が出ているときがある。その時は絶対にあちらを見るな」と僕に耳にタコができるくらい何度も強く言い聞かせた。正直のところ僕は信じていなかったので、誰かと話す時も「へえそうなんだ」と相槌を打つくらいだった。


3.

初夏から秋口にかけてこの島には毎年何度も台風がやってくる。大きな山が近くにないこの島は毎年のように被害を受けた。その度に船を移動させたり、いけすの場所を変えたり養殖の網が流れないようにしなければならない。漁師家庭が多いためこの島では台風が近づくと学校が休みになった。それは勿論嬉しかったが、その手伝いは大変だった。自分の漁場や引き上げ道具を避難に加えて、不慣れな若い漁師や自分よりも先輩に指示もしなければいけない。段取りが悪い分かりやすく小言を言われたり、暴言をはかれたりすることもよくあった。どちらかというと仕切るのが不得意な僕にはこれが何よりもキツかった。

17時頃になり、やっとの思いで台風への対策が終わると僕は堤防に座り込み缶コーラを飲んだ。今は晴れているが西の空には黒い雲がある。今回の台風は例年よりも大きいと天気予報で言っていたが、どうやら本当らしい。

ため息をつきながら手元の缶を見ようとしたとき、岩場辺りで自分と同じ16歳くらいの女の子が海に浮かんでこちらを見ていた。養殖網を引き上げる時に間違って落ちたに違いない。僕は慌てて「危ないよ、早く上がって!台風のせいで波が荒くなってる」と大声で叫んだ。彼女はこちらの方をふっと振り返ると我に返ったように溺れ始めた。僕服そのままに海に飛び込み、慌てて彼女の元へと泳ぎ急いだ。しかし不思議なことに、彼女がいた場所に泳ぎ継いだ時彼女の姿も漁船も近くになかった。なんだ。今日は疲れていたみたいだ。僕はすごすごと堤防に引き返すと、濡れて重くなった服のまま家に帰る羽目になった。


4.

一夜にして通過した台風は思ったよりも逸れ、そのまま温帯低気圧に変わったようだった。そのおかげで一部の網縄や浮きが損壊したものの、今日から漁も学校も再開できると連絡があった。僕は制服に着替えぼんやりと朝ごはんを食べ玄関出て自転車に跨ると、家から学校へと続く通学路の坂道をゆっくりと下った。坂を下りた先には昨日の堤防が見える。普段の静かな海に戻ってはいるものの、台風の後だからかいつもならいる釣り人がいない。

ただ、一点違うのは、昨日溺れていた女の子の後姿があった。


5.

無事だったのか。僕は安心した。腕時計を見ると登校時間まで30分はある。堤防の所に自転車を止めると、彼女はこちらへ振り返った。長い髪にすべての光を反射しているかのようなキラキラした瞳。昨日溺れているのを見た時よりも幼く見えた。「昨日、大丈夫だった?」と言いかけたところで、足を浸けている膝から下が青くなっていることに気が付いた。それはなんというか、魚の・・・。

「昨日はありがとう」

彼女はにこりと笑った。そして「ごめんね。びっくりしちゃって逃げちゃった。」と言った。僕は「ああ、無事ならいいよ。」と答えながら何も気が付かないふりをした。彼女はそれに気が付いたのか「実は、話しかけられたの初めてだったの」と答えた。そして、今日は僕に昨日のお詫びとお礼に来たのだと言った。

「家のある岩場に霧が出ている時は、絶対に島の方に近づいたり見ちゃいけないって言われてたの。なのに網に引っかかって慌てちゃって島の方見ちゃったの。」

彼女は、恥ずかしそうにそう言うと、穏やかな水面を見た。

「内緒ね。じゃあ。」

「あの。またここで話したりできるかな?」

僕は慌てて彼女に言った。それに一瞬驚いたように僕の方を見ると、「また来るよ。親にばれなければ、ね。」と笑った。


6.

台風が過ぎ去って一か月経った。あの日以来僕は釣り人がいない滿汐の夕方時間を見計らって堤防を訪れるようになった。彼女は僕が来るとわかるのか水面から顔を出した。そして夕飯までの少しの時間二人で堤防に座って取り留めなくお互いの生活の話をした。人魚は一日どのように過ごすのかとか、人間の魚の取り方は非効率とか、逆に学校ってどんなところとか、疲れた時のコーラは美味いとか。彼女と一緒にコーラを飲んだこともあった。一口飲むなり彼女は美味しいと目を丸くしていた。

そのうちに僕は気分を悪くしないか不安だったが、昔から気になっていた不老不死の話について聞いてみた。

「昔はね、魚だけじゃなくて人間を食べることもあったみたい。だから数人分の人間の寿命が食べる人に宿るって言われてる。」

彼女もまた不安そうに話した。

「ああ、怖がらないでね。今は食べないよ。私のおばあちゃんの時代の話。鱗の数を増やすために。」

「鱗の数?」

意外な言葉に僕は聞き返した。人魚は鱗の数が増えないと大きくなれない。鱗の数は母親から遺伝する。そして、世代が一つ増えるごとに鱗の数を増やさなければいけないと言った。しかし、彼女の親の代から人間を食べないようになったためこれ以上大きくなれないのだといった。

「それでも構わないって思ってるの。だって、そのせいで避けられる方が悲しいもの。」

彼女の目はいつもと違い、光を通さない。

「でも昔やったことは変えられないでしょ?今更仲良く共存しましょうなんて人間側から見たらムシが良すぎるよね。」

「それは、人魚を食べて不老不死になった人間もいるんだしお互い様じゃないかな。」

僕は元気付けようとしたが、これ以上の言葉が出てこなかった。


7.

夏の暑い日、教室に着くなりクラスのお調子者の川田が僕のそばにやってきた。

「お前、最近デートしてるだろ?」

僕いろんな意味で狼狽えたが、「いや、いないよ。」と答えた。

「この前漁港の近くでデートしてるの見たぞ。」

「ああ、友達だよ。」

「だったら紹介しろよ。」

僕が狼狽えながら答えているのを川田は見逃さなかった。

「なんでだよ。別に用もないのにお前を紹介する必要もないだろ。」

最終的に、クラス総出で僕のことを茶化し始めた。しかし僕は絶対に首を縦には振らなかった。そんな噂は小さなこの島ではすぐに広まる。いつの間にか僕の両親の耳にも入ったのか、「お前最近変わったな。やっぱり女か」と親父が言った。

「うるさいな、違うクラスの友達だよ。」

親父が自分のことに口を出してきたことにはイラっとしたが、岩場から離れていたからだろうか、内心人魚とは気が付かなかったことに安堵した。


8.

夕方だというのにセミが鳴いている夕方。僕は缶のコーラを2つ持って堤防の裏手に回って彼女を待った。裏手に回れば堤防の陰になって誰も気が付かない。最初からそうするべきだったかなと思いながら缶の一つを開けると、彼女はやってきた。深刻そうな顔の彼女はすっと水面から堤防に上がると僕の横にヒレを水につけたまま腰かけた。しばらくの間二人は黙り込んでしまった。2缶分のコーラの泡の音と、セミの鳴き声だけが響いている。

「あのね。」彼女は重い口を開くとこういった。

「あと明日までしか会えないの。」

「なにか僕気に障ることした?」

「違うの。」

彼女の顔は険しかった。

「前に鱗の話をしたでしょ?実は、鱗の数が増えなくなったことで17年しか生きられないの。それで、明日」

「待って。」

最後まで聞きたくなかった。また二人は黙り込んでしまった。しばらくして彼女は寂しそうに「ごめんね。ずっと言えなかったの。楽しかったから。」と言った。

「じゃあさ、僕が鱗の一つになるよ。」

彼女は悲しそうに笑う。

「それはいやよ。話せなくなるもの。」


9.

僕は一睡もできないまま最後の日を迎えてしまった。たまたま土曜日だった今日は、朝からコーラを持って堤防に向かうことができた。彼女は水面から堤防に腰かけると、いつものように笑っていた。そして、いつものようにとりとめのない話をした。時間があっという間に過ぎていく。

いつの間にか太陽が西に傾いたとき、「僕を食べればいいじゃないか」と言った。彼女は困った顔で笑うだけだった。困らせていることは承知の上で、何度も何度もそれを言った。やはり彼女は寂しそうに笑っていた。このまま夜が来なければいいと思ったが、太陽が西に沈んでいく。その日の夕日はいつもよりも濃いオレンジ色をしていた。

彼女は僕の右腕に手を置いて。「ごめんね。さよならだね。」と言った。鱗ではない彼女の手は僕の腕の熱で溶けるように雫となっていく。僕は泣いた。「待って」と何度も叫んだ。彼女は穏やかな笑顔を見せて風景に溶けていった。

僕は嗚咽が止まらなかった。コンクリの上に拳を何度も打ち付ける。ふとその拳の方を見ると手の高2夕日を受けて光る彼女の欠片があった。曲線を描くその鱗の上に僕の涙が落ちた。

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