片想い 〜 小説家になりおで知った大好きなひと 〜
その頃はべつに有名でもなんでもなかった。
ただ自分の好きなSFアクションの小説さえ書けて、読んでくれる見知らぬ人が何人かでもいればそれでよかった。
まさかそんな過疎ジャンルのものばかり書いている自分に書籍化の声がかかり、アニメ化や実写映画化もされるような大ヒット作を世に出すなんて、思いもしていなかった。
小説投稿サイト『小説家になりお』に投稿を始めて一年ほど経った頃のことだった。
当時、僕は21歳。大学に通いながら、趣味で小説を書いていた。
PNは『苺崎ハヤオ』。下の名前は本名だ。
僕の小説の読者は少なかったが、毎回読んで感想までくれる人が何人かいて、ちょっとした小説家気分にさせてくれていた。お返しというつもりではないが、感想をくれた人が書いたものを僕も読み、活動報告などで交流も生まれていた。
交流のある作者さんの中に、『光川まろび』さんという女性がいた。
僕が連載作品を更新するたびに感想をつけてくれるので、最初はとても有難がっていた。
投稿したことを知らせる活動報告にも、必ずコメントをくれた。
「大ファンです! 一番好きです! 応援しています!」
そんなことをよく言ってくれていたが、きっとそれは口癖のようなもので、好きなものを書く人には誰にでもそんなことを言っているのだろうと、最初は思っていた。
ある時、僕が投稿作品につけた写真を見て、光川まろびさんがコメントをしてきた。
「その写真、○○県の■□公園じゃないですか?」
メッセージ機能を使ってやり取りしたところ、彼女と僕はどうやら同じ県の、ほんの10kmも離れていないところに住んでいるらしいことがわかった。
「もしよろしければ、今度の日曜日、その公園でお会いしませんか?」
彼女がそう言ってきた時、僕はとても困惑した。
出来ればネットの中だけの関係でいたかった。
べつに嫌な相手というほどではなかったが、なんだか距離感が近すぎるようなものを、彼女には感じていた。
それに光川さんの書くものはいかにも女性らしい、甘いラブストーリーばっかりで、正直僕の好みじゃなかった。社交辞令みたいなつもりで好意的な感想を贈っていたが、ほんとうはご都合主義の甘々な展開の数々に辟易していた。
それでも僕がOKしたのは、断ることが苦手な気の弱さもあったが、もしかしたらこれをきっかけに、生まれて初めてのカノジョが出来るかもしれないなどという考えがあっことは否定できない。
公園にやって来たのは40歳代半ばぐらいの、ちょっと僕には女性とは見られないタイプのひとだった。
高価そうな服とアクセサリーで自分を飾っているが、それらを取り払ったらお母さんの友達にしか見えないようなひとだった。
「苺崎ハヤオさんですかぁ?」
甘ったるい声で、彼女は言った。
「光川まろび……こと、○○です」
彼女は本名を名乗り、しばらくは僕もそれを覚えていたが、今では忘れてしまった。
彼女が本名を名乗ったので、僕も名乗らなければならないような気がして、本名を教えてしまった。
「本名は山田駿なんです」
地味な名字は嫌いだったが、下の名前は日本アニメ界の巨匠と同じなので気に入っていた。
「いい名前だわ」と、彼女は言ってくれた。
よく晴れた春の一日だった。一緒に近くのレストランに入り、彼女のおごりで昼飯を食わしてもらった。恐縮したが、僕は学生で彼女は社会人。しかも独身で、貯めたお金がたっぷりあると言っていた。
『どこの大学なのか』『どこに住んでいるのか』『趣味は何か』──色々と聞かれ、そのすべてに僕は正直に答えてしまった。今から思えば僕が嘘をつくのが上手なやつだったら、あんなことにはならなかったに違いない。
その日はレストランでたわいもない会話を交わし、また小説投稿サイトでお会いしましょうと言い合って別れただけだった。
ほんとうの地獄が始まったのは、それから一週間してからのことだった。
アパートの隣の部屋に誰かが引っ越して来たようで、騒々しい音を聞きながら僕は小説を書いていた。日曜日にはいつも外出はあまりせず、部屋でシコシコと小説を書くのが常だった。
今度の連載は絶対に100ポイント以上を獲得してやるぞ。そんな意気込みで五時間ほど執筆に没頭していると、ふいに玄関でチャイムが鳴った。
「こんにちは」
ドアを開けると、光川まろびの化粧でベタついた笑顔があった。
「このたび隣に引っ越して来た、○○と申しま……あら!? ハヤオくんじゃないの!」
なんかわざとらしかった。
その夜、玄関のチャイムがまた鳴った。
僕の部屋のチャイムは滅多に鳴らない。アマゾンの配達人が荷物を持って来てくれた時に、つまりは一ヶ月に数回鳴るくらいだ。
ドアを開けるとお鍋を両手で持って、光川まろびがしなを作ってそこにいた。
「ハヤオくん。あなたのために肉じゃがを作ったの。よかったら食べて?」
正直、食べたくなかった。料理人でもない他人の作ったものは口に入れたくない。唾液とか汗とか髪の毛とか入っていたら嫌だ。
でも、僕はやはり断われない性格だった。嬉しそうな顔を作ってそれを受け取ると、ありがとうございますなどと心にもないことを言い、ドアを閉めるとすぐに流しに全部捨てた。
それから毎晩、彼女は僕の部屋のチャイムを鳴らした。
ドアを開けるといつも満面の笑顔で立っていて、僕のために作ったという料理を手に持っていた。
「小説、書いてる?」
「頑張ってね」
「あなたの才能は本物よ」
「絶対に、あなたは有名な作家になるわ。わたしが保証する」
「応援しています」
目つきが少し異常だった。
笑うと真っ赤な口紅をつけた厚い唇が歪み、異様に白い歯と作り物みたいにピンク色の歯茎が見えた。
僕の出すゴミ袋はいつも大量の生ゴミで膨れ上がった。
僕はチャイムが鳴る音に怯えるようになっていた。ネットの知恵袋で相談すると、『はっきり迷惑と言え』とか『居留守使えばいいじゃん』とかもっともな回答をもらった。
『応援されてるのに何が迷惑なの?』という人もいた。『そうですよね』と返しておいたが、こういうのは経験者にしかわからないものなのだろうか。
意を決した。
気弱な性格を直すチャンスだと思うことにもした。
ある晩、ドアを開けるといつものようにお鍋を手に立っていた光川まろびに、僕は勇気を出して、言った。
「迷惑なんです。いい加減にしてください」
すると彼女は冗談を聞くように、笑顔で首を傾げた。
「どうして? いっつも喜んでくれてたじゃない」
彼女はいつも昼間は仕事に行っていて、不在だ。デザイナーの仕事をしているとかなんとか、聞いてもいないのに教えて来た。
その昼間の隙を狙って、僕はアパートを引っ越した。
新しいアパートは快適だった。
大学を挟み、前のアパートとは真逆の方角で、森に隠れてあるようなひっそりとした立地だった。日当たりは悪いが開放感があった。
通学以外にはなるべく外を出歩かないようにした。前のアパートとは15kmぐらい離れたが、それでも彼女に見つかる可能性がないではない。
小説投稿サイト『小説家になりお』も退会した。幸いSNSはやっていないし、光川まろびに連絡先は一切教えていなかった。
名前を変えて、別の小説投稿サイトでデビューした。『小説家になりお』で構築していた人脈を失うのは痛かったが、僕はまるで生まれ変わったような気分で、新鮮な空気をお腹いっぱいに吸った。
ある日曜日、隣の部屋に誰かが越して来た。
嫌な予感を抱えながら、そっとドアを開けて窺うと、廊下に立っている光川まろびと目が合った。
彼女は真っ赤な厚い唇を歪めて、笑った。
「びっくりしたわよ。何も言わずに、急に引っ越しちゃうなんて」
その夜、やはりお鍋を手にチャイムを鳴らして来た彼女を、布団に潜り込んで、僕は必死で無視した。
翌朝、大学へ行くためにドアを開けると、半分腐ったような肉じゃがの入った鍋がそこに置かれてあった。
いくら無視しても毎晩彼女はやって来た。
遂に僕はそのドアを開けると、厳しい口調で言い渡した。
「いい加減にしてください。警察を呼びますよ?」
泣きそうな顔になりながら、彼女は言った。
「なんで? わたし……、ハヤオくんのことを応援してるだけなのに」
「迷惑なんです。いくらファンだからって、やっていいことと悪いことがあるって、わかりませんか?」
「ファンなだけじゃないの……」
彼女はまるで幼い女の子のように、身をよじった。
「ハヤオくんのこと……、好きなのっ。あたし……、独身でお金持ちだから、あなたのために使いたいの。使わせて?」
「僕はホストじゃないんです」
正直、お金に目は眩みかけたが、面倒臭いことになるのは嫌だった。
「とにかく迷惑なんです。今後一切、こういうことはやめていただけますね?」
俯いた彼女が何も言わなくなったので、黙って僕はドアを閉めた。
その次の日だったと思う。
性懲りもなく玄関のチャイムが鳴ったので、ため息を吐きながら僕はドアを開けた。最終通告をするつもりで。
ドアが外から蹴られ、僕は後ろへひっくり返ってしまった。
歪んだ三日月を背に、光川まろびが包丁を手に光らせて、立っていた。
すぐに彼女はドアを閉めると急いで鍵をかけ、体ごと回転してこちらを振り返った。
「ハヤオくん、一緒に死んで」
湿った声が、荒い息とともに震えていた。
「あなたが好きなの。あなたの書く文章、あなたの顔、あなたの姿、あなたの声……、全部が全部が全部が全部好きなの好きなの好きなの!」
そう叫びながら包丁を振り上げた光川まろびの足元が隙だらけだった。恐怖で体の動きが固まっていた僕でも、簡単にその足を蹴って崩すことが出来たほどだった。
彼女は床に倒れると、血管が切れるような「ぷっ」という声を出した。
赤い液体が見えたと思ったら、あっという間にそれは赤い池になって広がった。
倒れた勢いで、自分の持っている包丁で、自分のみぞおちを深く刺したらしかった。
「片想い……だったの?」
死んだと思っていた彼女の口が開き、床に額を打ちつけた格好のまま、それは呟いた。
「でも、いいの。あなたはわたしが『小説家になりお』で知り合った大好きな人なの。大好きなの。だから、わたしが有名作家に育ててあげる」
それを最期に光川まろびは、まったく動かなくなった。
大変なことになったとは思った。
しかし彼女が勝手に自分を刺しただけだ。僕はその足を蹴るしかしていない。
僕はふつうに警察を呼び、ふつうに事情を話した。
事件にはなったが、殺人事件にはならなかった。ストーカー事件として処理され、彼女の死は自滅と判断され、僕が彼女の足を蹴ったことは正当防衛と見なされた。
この事件が僕の知名度を上げた。
テレビやネットのニュースで報道されたことをきっかけに注目され、僕のWeb小説の読者は爆発的に増えた。
光川まろびが夢中になったのには理由があったようで、僕の作品は高い評価をもらい、書籍化された。
またたく間に世界中で人気となり、アニメ化、実写映画化もされた。
あの人、地獄で喜んでくれてるかな。
ま、どうでもいいけど。