〈1〉
ーーなにもかもが焼けた。
氾濫した赤い風の熱が皮膚を焼き、耳に架けた毛が黒煤と化して昇華した。先程までは確乎として人だった生物の呻きが、黒い人擬きの患苦に満ちた嘆きと叫びが谺する。脂と毛の焼ける臭いが掻き消えたのは鼻が無くなったからだった。そうして骨までもが焼成されてしまう寸前に、干上がり罅割れた瞳が赤を灯す。赤い、果てしなく。赤い、あの世の果てのように。
無智無明な千の民草を焼べ、天挿す百の摩天の淵叢を融かして、赤黒い波濤が有象無象の万物を焦がした。巨大な黒龍の顎門から噴き出した一束のそれはこの世の一切を焼き払った。
ーー古龍の焼夷吐息。
燻り頽れた黒い骨片を残して、尋常の日常は亡失した。現生種の王が手に入れた叡智の事蹟たる超高層建造物の叢りは焼亡した。
その果たてに埋もれたのは曾て東京と呼称された街の燼り、劫末焦土の中心に座す黒龍を目蓋に焼き憑けた。
〈ーー特殊召喚魔法〈廻生の呪い〉を観測。同時に〈門〉の開門申請を感知。申請者「■■」の魔力の構造解析及び能力値の測定開始、ーー許可。開門理由、〈召喚〉種別・輪廻転生。開門費用の支払い、完了。以上を以て開門申請、ーー許可。召喚対象、確定。現時点から時空境面への〈門〉の固着作業を開始。〈門〉現出点において反魔力空間及び反物理空間の構成開始。構成工程、正常。完了まで、三・二・一、構成完了。更に規則〈神罰〉及び〈神斥〉〈神盾〉の施行、ーー宣言。『〈門〉への干渉』を神罰の要件に定義。〈門〉現出点地下の魔力脈に境面識別標木及び神造魔鋼杙を埋設。これにて〈門〉現出の前提作業、異常無く完了。現出まで、三・二・一、〈門〉、現出。〈門〉の自重で魔力脈の大規模粉砕を観測。ーー問題は無し。では、〈門〉、ーー開門。因果律干渉魔法〈血の祝福〉を観測。対象の転生先の固定、完了。対象者の転生を開始します。ーー異常。再申請、〈強制実行〉、異常。異常。種別・禁則事象《特一種》、〈門〉の強制閉鎖を開始します〉
* * *
「——せ、——瞳を覚ませ!」
未だ生物の浅ましき本能を、女の喜びを知らぬ白き原石のみが帯びる梨の王の果皮じみた、切ない薫りが鼻孔に触れた。無間業苦の虜と化した意識を呼び覚ましたのは剣のように鋭い乙女の声。だがその声はどこか温かくてーー、剣が空めく架空に蠢く生温い睡魔の触手と魔龍の囁きを斬り捨てて、目覚めた自我が未完の叙事詩の亡霊を祓い、開かれていく目蓋が黒闇の天蓋を払う。
「——瞳は、覚めたか?」
未だ霞む黒玉の瞳に映し出されたのは白毛の、牛魔人とも称される〈魔宮の牛王〉種らしき美しい女。異国の高貴な王の血が強く現出した目鼻、白棘に抱かれた壺菫の宝石が白日の神血を引く王女の血に残された魔に満ちて妖と耀う。そして、正しく完成された造物じみた翳の中で唯一の威容に、〈魔宮の牛王〉という種族特有の巨大な角に瞳を遣る。それはその身に秘された無双の膂力の具現化、〈魔宮の牛王〉種の祖が天の遣わせた白い牡牛に贈られた呪いで有り、祝福だった。
「どうした、焼けに呆けた瞳だな? ああ、成程。貴方が視ていた架空の物語はとうにこの闇の中に解けたぞ、貴方が瞳を覚ましたその時に。先ずはおはよう、そしてこの時より貴方が視て、聞く事実は、——この葦牙の毛も瞳も、この口が語り出す物語も、現実。さて、この禁呪の魔宮に贈られた哀れな犠牲か、それとも魔宮に跋扈す魔牛の王子か、はたまた未だ見ぬ智の王か。貴方にも〈種別・言語〉に属す〈技能〉が残されているならば、——問おう、貴方は誰だ?」