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歴代天皇即位の軌跡  作者: じゅう
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神功皇后

 神功皇后の先祖のアメノヒボコ(日本書紀では『天日槍』、古事記では『天之日矛』)は新羅から来た王子と伝えられているが、その名前は和名だ。古代朝鮮語の本名を推し量ることはできないが、ではどういう由来でアメノヒボコになったのか。

 ホコと云うから武器なのかと思いきや、日本書紀の一書では、天照大神が天の岩屋に篭ってしまったとき、石凝姥(いしこりどめ)が天の香具山から採ってきた金属から「日矛」そして鹿の皮から「天羽鞴」(ふいご)を作ったと記述されている。石凝姥は鍛冶職人なのでふいごはわかる。では日矛はというと文脈から見て鏡のことのようだ。調べてみたら和歌山県の國懸神宮のご神体がそのものズバリ日矛鏡(ひぼこのかがみ)だった。鏡を使って太陽光線を矛(武器)に変えるという意味で日矛だろうか。とにかく天日槍は鏡の神という意味合いだ。天日槍が日本に来るときに持ってきた宝を垂仁天皇が見たいと言ったことがあったが、その宝の中にも鏡があった。また、天日槍は大和周辺の国々を転々とし最後に但馬国に定住したのだが、途中で近江国にもしばらく住んでいる。現在の滋賀県竜王町には鏡という地区があり鏡神社がある。ここが天日槍の従者たちが定住した場所なのだという。また、そもそも天之日矛が日本に来た理由は、古事記によるとケンカ別れした妻を追いかけてきたからなのだが、その妻とは鍛冶の神・天之御影神(あめのみかげのかみ)の妹なのだという(「三上氏系図」による)。

 まとめると天日槍は新羅から来訪して鍛冶・製鉄に関する新技術を伝え、神として祀られたと考えられる。


 神功皇后の系図を見てみると、丹波や息長(おきなが)そして多遅摩(但馬)という文字が目に付く。息長とは近江の鍛冶・製鉄を司る一族(息長水依比売の父が天之御影神になっている)で「息長」というのもふいごを使って長く空気を送っていることを意味しているらしい。息長の一族も天日槍の技術提供を受けた可能性が高い。但馬も古くから製鉄で有名な地域だ。


挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


 ツヌガアラシトが越の国の気比の浦(現在の福井県の敦賀港)に来訪したとき、大和朝廷は「筑紫には我らに従わぬ者どもがいる」と意識した。しかし大和より日本海側寄りの国々はそうではなかった。「ここを窓口に(から)の国々と交流すれば利益になる」と考えた。

 大和国では港と言えば瀬戸内海に面した難波だったのであまり注目しなかったということもある。

 崇神天皇の時代の遠征時、最も手こずったのが丹波を中心としたこの辺りの国だ。一応武力と政略結婚で平定されたかには見えるが、その実、いつかは大和朝廷に取って代わろうと虎視眈々とチャンスを伺っていた。垂仁天皇の時代に狭穂彦王が叛乱を起こそうとしたことは以前に書いた通りである。

 景行天皇が遥か遠くの筑紫へ熊襲征伐へ向かうと、諸国はこれぞ好機とばかりに韓の国との交易を盛んにした。気比の浦は、ツヌガアラシトから名前を取って角鹿(つぬが)と呼ばれるようになった。

 また、気比の浦では古くから気比大神(食べ物・豊漁・海上安全などの神)が祀られており、この神は大和朝廷の神話には取り込まれていなかった。諸国の信仰対象はそちらへと移り行くようになる。

 熊襲征伐が長引き、大和国が物質的にも精神的にも疲弊していく一方で、力をつけていく周辺諸国。大和朝廷もそれに全く気付かなかったわけではない。家臣の武内宿禰は何度か進言をしただろう。が、熊襲への執念で目が曇った朝廷から徐々に気持ちが離れてしまったようだ。そんな頃に武内宿禰は当時の息長の当主・息長宿禰王とその娘の息長帯比売(気長足姫)とコンタクトを取った。


 気長足姫と武内宿禰とは示し合わせて一世一代の大芝居を打つ。妃と家臣ゆえに大王に進言することは出来ても命令はできない。しかし、神からの言葉ならば無視する訳にもいかないだろうと神託を受ける儀式の真似事を行ったのだ。だがその結果は……。

 儀式の場から、大王を抱えて出てくる武内宿禰と気長足姫に驚く使用人たち。二人は中で起こったことを話し、大王が亡くなったと知られれば、民が動揺し敵勢力からつけこまれるからと緘口令を敷いた。

 気長足姫は「このような神託があった」という言葉を振りかざして、新羅へと軍船を向ける。

 新羅出兵の結果は恐ろしく出来すぎだった。新羅は奇襲してきた軍船の勢いに恐れをなし、たちまちのうちに降伏し、王族を人質として引き渡し、朝貢(貢ぎ物を献上すること)を約束した。また、百済や高麗もその知らせを聞いて戦わずして朝貢を約束したという。

 いくらなんでも出来すぎである。出兵においては武内宿禰が十分に新羅情勢を下調べしていただろうがそれにしてもである。新羅をターゲットにしたことは事実として他の韓の国とは何らかの密約が交わされていたのかもしれない。

 戦利品を持ち帰り意気揚々と筑紫に帰ってきた気長足姫は王子・去来紗別尊(いざさわけのみこと)を出産する。そしてここで大王の死の緘口令を解き、この子こそ新たな大王だ、そういう神託があったのだと公開する。新羅出兵において莫大な国益をもたらしたことで、神託の正当性の証とした。

 黙っていられないのが大和だ。麛坂王子と忍熊王子は世継ぎとして育てられたのに遠く離れた場所からいきなりそんなことを聞かされても信じられるはずがない。これは謀反だと、二人の王子は(ただ、この時の王子たちはまだ幼かったと推定されるので、実際には二人の後ろ盾となった家臣たちが)兵士を集め、凱旋する気長足姫らを迎え撃つ準備をした。ところが麛坂王子はその途中、猪に襲われて食い殺されてしまい、忍熊王子も気長足姫尊の軍の将軍に騙されて丸腰状態で殺されることになる。

 気長足姫は大和に戻り、去来紗別尊がまだ赤ん坊であることから、代わりにと自分自身が実質的な大王として君臨する。 

 武内宿禰は去来紗別尊を抱き気比神宮へと(みそぎ)に行った。王子の出生前後に死が纏わりつき過ぎだったからだ。この時、夢で気比大神から「私の名と御子の名を入れ替えよう」と告げられた。すると翌朝、浜辺には死んだイルカの大群が打ち上げられていた。実はこれ、()()を掛けた神様ジョークだったのだ。気比大神は豊漁の神様なので、私の名=私の魚=イルカたち、というわけだ。ともあれ、この出来事によりイザサワケは気比大神の名になり、王子の禊は済まされた。

 気長足姫はこの後、積極的に韓の国々と交流し、大陸の技術や珍しい品物を受け取って経済を活性化させた。時々新羅が反抗することぐらいが煩いで、大和朝廷は一気に豊かになった。

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