番外編・草薙の剣
ヤマトタケルの物語を読んでいたら途中で疑問に思ったことがある。
「あれ?いつのまに伊勢神宮に草薙の剣(=天業雲剣)が祀られていたんだっけ?」
読み返してみると、スサノオがヤマタノオロチを退治したときに尻尾から出てきたのが天業雲剣、それをスサノオが高天原に献上する。その後、天孫降臨の際にアマテラスから三種の神器としてニニギに託された。これ以降は先に書いた箇所まで天業雲剣に関する記述はない。
まず疑問が二つ。スサノオはいろいろやらかして高天原を追放された身だ。それが立派な剣を持って戻ってきたとなれば何らかの悪意を持っているものと思われて、とても献上どころではないだろう。また、ニニギから代々三種の神器を受け継いでいるのなら、神武天皇がナガスネヒコとお互いの神の証の武器を見せっこしたときに何故剣を見せなかったのか。
さらに気になる記述があった。崇神天皇が出雲の神宝を借りパクしたこと(このときの騒動のせいで出雲ではしばらく出雲大神を祀るのをやめてしまった)。そして記紀には載っていないが「古語拾遺」では同じく崇神天皇が、神と同じところに住むのは畏れ多いからと、天業雲剣のレプリカを作ってそちらを宮中に置き、本体は少し離れた場所で祀ることにしたという。その場所は転々としたが、伊勢神宮が完成したときにそこに落ち着けたそうだ。
確証はないが、出雲の神宝の中に天業雲剣があったような気がする。スサノオは天業雲剣を手に入れた後、そのまま出雲に留まって、代々(スサノオは出雲大神のご先祖様)受け継いでいったのだろう。崇神天皇は借りパクした祟りを恐れて剣を少し遠ざけたのではないだろうか。しばらく後の話だが、垂仁天皇の王子・ホムツワケが成人しても言葉を喋れなかったのは出雲大神の祟りだと恐れられ、出雲大社を建てて出雲の神を復権している。
そして、ヤマトタケルである。東征の際に倭姫から御守り代わりに天業雲剣を貸してもらうのだが尾張国のミヤズ姫の家で休息をとった際、夜中にトイレに行くときに剣を木に立て掛けておいたまま忘れてしまい、後で思い出したが「あーもういいや。ミヤズ姫、それ預かっておいて」とそのまま出かけてそれがフラグになってヤマトタケルは亡くなってしまった。ミヤズ姫は草薙の剣をお祀りし、それが熱田神宮になったという。
その後、天武天皇の時代に新羅の僧侶が草薙の剣を盗み出すという事件があり、熱田神宮ではセキュリティが甘いからと宮中に運んだところ、祟り?が発動して天武天皇は重い病気になり慌てて熱田神宮に戻したという逸話がある。崇神天皇が恐れた祟りは数百年経っても有効だったようだ。
熱田神宮は現存する神社で今でも草薙の剣を祀っているが誰もそれを見てはいけないとされている。