元明天皇~元正天皇
文武天皇が早世し、ただ一人の御子である首皇子もまだ幼かったので、彼が成人するまでの間の中継ぎとして、文武天皇の母の阿閇皇女が即位した(元明天皇)。天皇は先代に引き続き藤原不比等を重用し、天武朝の方針を受け継いで律令の施行に力を入れた。この時代の日本は唐をかなり意識しており、唐のような都城の設立や貨幣の鋳造を進めている。
やがて天皇は高齢のため政務がつらくなってきたが、皇太子の首皇子はまだ15歳で病気がちであったため、更なる中継ぎとして娘の氷高皇女に譲位した(元正天皇)。女性の天皇が多い時代だが、これが男系の嫡流を守るためだというのが奇異な巡りあわせだ。首皇子の母親の宮子夫人は産後うつになって実家で静養したままだったので、氷高皇女は皇太子の母親代わりとして結婚もせず彼を養育した。青春を朝廷に捧げた天皇だが、ある地方の美泉の水で身体を洗ったら肌がすべすべになったことを喜び「養老」と改元したところには女性的な心を失っていないことを感じさせる。
皇太子は年頃になると不比等の娘、安宿媛と結婚。19歳のときに政務に参加し、天皇はその様子を見守った。その後、天皇を補佐していた不比等や元明上皇も亡くなって天皇は精神的に抱え込むことになるが、朝廷に白い亀が献上され(この時代、各地方でアルビノの動物が発見されると朝廷に献上されている。これも唐の影響)、これは吉兆であるということで「神亀」と改元し、首皇子も24歳となってよい年頃だろうとこれを機に譲位することにした。




