赤いドレスと疑い
王族に婚姻を認めてもらう時、両人の親または家族と近しい親族のみ集められ粛々と執り行われる。
その分王宮で行われる夜会は豪華になることが多いのだが。
「確かにね、分かるのですよ?子爵のご子息が侯爵の令嬢に婿養子をとるのです。こちらの敷居に合わせなきゃいけないことは」
「奥様、今夜はダンスもありますからストッキングは膝下でガーターを固定してください」
「時間もありませんでしたし?殿下方を信用していましたからドレスの確認を致しませんでしたとも」
「奥様、コルセットをつけますから押さえててください」
「それを‥‥それを‥‥っ」
「奥様、胸を寄せて上げたいので前かがみに。手を入れます」
「自分でします!端から締め上げるでしょう?!」
「助かります。いいですか?背中からない脂肪をこれでもかと寄せて上げてください」
「嫌味ですか?嫌味ですね?!自分は大きいからって!」
「奥様、こちらを下乳に仕込んでください」
「‥‥なんですかこれ」
「パッドです」
「‥‥決めました。兄の方は唐辛子爆弾です」
別に小さくない。小さくはないのだ今日のドレスには些か物足りなく感じるだけで
いつもより胸元の開いたドレスは最新の流行らしい。許すまじ。
「奥様、本日のヒールは少々お高くなっております。お気をつけください」
「ありがとう、プルメリア。あとその奥様と言う呼び方アルバート様の前では辞めてちょうだいね」
「‥‥理由を伺っても?」
「人のいる前では仕方ないにしてもわたくし達しかいない時にその呼び方は可哀想だわ」
「‥‥かしこまりました」
履いていた留め紐付きのヒールの靴の紐を結んでもらう。ベロア生地のリボンは見た目はいいが解けやすそうだ。
深紅のドレスに金の縁どりの刺繍のされたドレスは普段着ない色なので落ち着かないし何よりこの開いた胸元だ、お高そうな豪奢なドレスに日々を執務室で過ごす私の真相な肌がよく映える。はー恥ずかしい‥‥
「‥‥本当にこれじゃなきゃダメ?」
「何を今更‥‥はいご用意が出来ました、旦那様達がお待ちですよ。夜会まで長く時間を取られておいでです相手方のご両親と交流を深めるチャンスでは?」
「そうね、きちんとご挨拶しなければ‥‥これ以上マイナスイメージをつけてはダメよね」
「そうですね相手方の印象悪いでしょうし」
「やっぱりそう思う‥‥?」
「思わない方がどうかと」
プルメリアに教えてあげたい。
正論は時に人を深く傷つけると。
「おまたせ致しました」
「いえ、皆集まったばかりで‥‥」
「アルバート様?」
わたくしを視界にいれたとたんアルバート様が固まってしまった。ほらこんな格好させるから!
「お、似合うじゃないか」
「とても素敵ですね」
殿下方が横からお褒めくださるが正直そんなことよりもアルバート様の格好を眺めるのが忙しい。
お揃いの深い深紅に金色の縁どりの刺繍、ああ着ている白いブラウスが眩しい。
あのお茶会以来アルバート様にお会いするのは今日が初めてだったりする。あれ以来領地のお仕事を割り振り最低限のお仕事しかしていない私は肌ツヤもいいし健康そのものだ。化粧を施してくれたプルメリアはとても満足そうだった。
「‥‥っ」
「無視かこら」
「ダメだよオクタヴィア、2人とも夢中だもの」
「‥‥正直このドレスを選んだ兄の方は唐辛子爆弾で真っ赤にしてやろうと思っていました‥‥つい今しがたまでは」
「残念ながらそのドレスを選んだのはオリヴィエだ馬鹿者」
「‥‥オリヴィエ様に感謝致します‥‥」
「オイ」
アルバート様に魅入っていると、咳払いが聞こえた。ハッと辺りを見回すと両家の両親とラッセル子爵にルーカスお兄様がそこに居た。
「まあ‥‥アルバート様改めてご紹介させてくださいまし。我がウォーカー侯爵家のウォーカー侯爵夫妻‥‥わたくしの両親に兄のルーカスです」
「は、はい。アルバート・ラッセルと申します。王宮騎士をしております。本日はお集まり頂きありがとう存じます」
「わたくしは初めましてですね、貴方のお母様とはよくお茶会をするのですが」
母が片手を差し出すとアルバート様は片足をつき手を取り甲に顔を近づける。
女性の手は華奢だが指輪や長い爪など割と凶器だ。潰そうと思えば片目くらいは咄嗟に潰せる。だからこそ自身の顔に女性の手を近付けるというのは襲われる事など考えていない、貴方を信用しますという意味が込められている。
「はい。お初にお目にかかります」
「‥‥うちの宝物をよろしくね」
「お母様」
「あら怖い顔をするものではなくてよライラ‥‥自分の娘の幸せくらい願わせて頂戴」
「‥‥申し訳ありません。ですがこれ以上少しでも泣かせることのないよう務めてまいりたいと思います」
「‥‥素直な方。幸せにするとは言わないのですね」
「これ以上、不誠実になりたくありませんから」
腕を伸ばすも触れていいのだろうか。
わたくしが隣に立ちなんの慰めになるだろう。ラッセル子爵も前ラッセル子爵夫妻もフォローする気がないのか出来ないのか口を挟まない。
頼みの綱のお父様とお兄様は‥‥ああダメだ。お母様にビビってる。
こういう時のうちの男衆は本当にダメだわ
「アルバート様わたくしにも御家族をご紹介してくださいな?ご挨拶したいですから」
とんとんと肩を叩き顔を覗くとアルバート様はほっと息をついた。
息まで止めていらしたのね勇気を出してよかった。
「そうですね前ラッセル子爵夫妻‥‥私の両親に現ラッセル子爵のアーロン兄上です」
「ラッセル子爵、ブランドン様、グレイス様久方ぶりにございます。本日お集まり頂けたこと大変嬉しく存じます」
実はアルバート様のお母様のグレイス様もだが、お父様の前ラッセル子爵のブランドン様とも面識がある。例の石投げ事件の時はブランドン様が子爵を名乗っていた為‥‥勿論アルバート様のご両親ということもあるが‥‥直接ご挨拶とお礼をを交わしたのはブランドン様とグレイス様だったのだ。
礼を済ますとブランドン様が膝をつき頭を垂れる。グレイス様は一歩下がり同じように頭を下げた。
「ブランドン様?!グレイス様?!頭をおあげください!」
慌てて辺りを見回すもラッセル子爵も目を丸くしている。
「いいえ。本来、私はまだ爵位を譲る歳ではございませんでした。我が子ながらよくできた息子だと思い爵位を譲り少し早めの隠居をし夫婦のんびり王都を離れた領地で暮らそうとしたのがそもそもの間違いでした」
「それの何が悪いというのですか?今のラッセル子爵はいけませんか?」
「この様な事態を起こしたのは元はと言えばアーロンが第二夫人を取らなかったのが原因です」
ラッセル子爵が唇を噛み締めるのが見えた。
「申し訳ありませんでした‥‥わたくし共は子供につくづく甘いと思い知らされました。我が領地の為はひいては国の為、貴族であるわたくし共は婚姻を結び縁を結び繋がりを広げなければなりませんでした」
今ここにラッセル子爵夫人がいなくて良かったと本当に思う。私が夫人ならきっと耐えられない。
バートン伯爵はいい噂を聞かない方だ。令嬢もまた然り。
拒否しないで婚姻を結んだとしてそう遠くない未来圧力をかけられた時以上に搾取され乗っ取られる未来が見えていながら受け入れなければならないというのだろうか。
ウォーカー一家も殿下方も見定めるような目をしている。試されているのは、誰だろう。
ラッセル子爵家かあるいはわたくしか。
「でしたら、わたくしも貴族失格ですね」
「は‥‥?」
「わたくしはアルバート様に3つの約束のもと契約婚姻を致しております。そのひとつにわたくしと以外の婚姻をしないことをあげました。わたくしもラッセル子爵と同じです。愛しい人しか要らないと‥‥欲しくないと、欲しがって欲しくないと願いました」
ラッセル子爵に目を向ける。真っ直ぐにあった瞳はそれを後悔するものではない。たった1人を愛することに誇りを持った目だ。
夫妻に向き直り顔を上げてもらう。
「正直に言いましょう。立派な騎士を排出するラッセル領を荒らされると分かっているのに領地の為にならないような伯爵の機嫌をとって婚姻を結ぶくらいなら、きっぱり断ったラッセル子爵の方がグッと好感が持てます。もしかしたら心の中ではただ婚姻を結びたくなかっただけだとしてもいいではありませんか!思うだけは自由です。ようは周りを納得させられる建前さえあればいいのです」
「正直過ぎだろう」
ため息を着きながら呟くオクタヴィア様に肩を竦めわたくしも夫妻と同じように膝をつき頭を下げる。
「‥‥どうか許してください、わたくし達が貴族という立場でたった一人を愛し抜くことを。そしてこんな形で幸せになれるはずだった大切なご子息を奪ってしまったことを」
わたくしが膝を着くとは思っていなかったのだろう。夫妻は目を瞬かせている。
「だから言っただろう?我が娘ははただただアルバート殿の愛しているのだと」
「わかって頂けましたか?さあブランドン様もグレイス様もお立ちになって。ライラも。折角のドレスに皺がつくわ」
「皆様、お茶の準備が整いました。お隣のお部屋へどうぞ」
どうやら試されていたのはわたくしのようでした。皆の反応をみると合格ラインだったのかしら、何を見極めていたのかよく分からないけれど。
プルメリアの一言で皆部屋を移動する。
テーブルの奥から向かい合うように殿下方、ウォーカー侯爵夫妻、ルーカスお兄様にラッセル子爵、わたくしとアルバート様、ラッセル夫妻の順で座る。
まだ夜会は始まっていないのでこの様な並びだ。
わたくしの侍女のプルメリアと殿下方に一人ずつ使えている従者の3人でお茶をいれてくれている。控え室は狭いから他の従者や侍女は別部屋で待機させられているのだ。
「でもライラも誤解がとけてよかったわね。ラッセル子爵も肩の力が抜けたのではなくて?」
「はい‥‥本当にありがとうございますライラ嬢」
元はといえば自分のせいでとずっと気に病んでいたのだとアルバート様があとでこっそり教えてくれた。
「わたくしはラッセル子爵は素敵だと思います」
「そんなふうに言ってくださるのはライラ嬢くらいですよ」
「皆言えないだけですわ。誰だって望まぬ婚姻は嫌ですもの‥‥」
アルバート様を見れずについ視線を逸らす。
「いやぁでも良かった!これでラッセル子爵が責められて終わったら若くして爵位を譲る気満々の我が家も爵位を譲りにくくなるところだったよ」
「本当に‥‥もうすぐ小さな屋敷も完成するのにね」
「ま、まさか父上と母上があの騒ぎを止めなかったのは‥‥」
「何の勘違いかよく分からんがあのまま勘違いされていたら若いうちに爵位を譲るのがためらわれる風潮が出来るかもしれなかったじゃないか。いらない芽は早々につむに限る」
我が父親ながらたぬきだわぁ‥‥夜会直前にするかしら、普通。
「あの結局わたくしは何を試されていたのですか?」
グレイス様から説明してもらった話だと本当は殿下方に厄介事を押し付けられた腹いせに相思相愛の恋人と幸せになろうとしているアルバート様と無理矢理婚姻を結び、母屋にも上げず別宅に放り捨てようとしているのではないかと疑われていたらしい。
そんな話はあんまりにもだと思うのだがどうしてそんな話になったのだろう。
不思議に思っているとお母様が突っ込んでいた。なんでもラッセル家の侍女たちがそう話していたそうだ。
「‥‥おかしいな、家でそんな詳しい話はしてないぞ。アルバート、お前か?」
「まさか!兄妹にもそんな話はしていません。私が家で話したのはライラ嬢と婚姻を結ぶことだけです。現に家にいる末の妹達はライラ様ライラ様と連日喜んでいます」
「だよな?私も妹達からアルバートの恋人は誰だと聞かれたことなどないぞ」
「えっと‥‥どういうことでしょう」
首を傾げるとアルバート様が困ったような顔で首を傾げる。
「今、ラッセルの屋敷にいるのはラッセル子爵であるアーロン兄上と長期の休みを貰って実家に帰っている私、貴族院に行っていない末の妹達のダリアとデイジーです。嫁や騎士として働いている兄妹や貴族院にいる2人の妹弟にも同じことを手紙にしてはいますが婚姻の話のみです」
「私達は話し合いの内容を口外していません。新婚早々に令嬢を囲うの話は外聞が悪いですし、ライラ嬢にも悪い噂がたつからと両親以外の家族にも話すのはやめました。勿論両親に話す際は周りに人は居ませんでしたし‥‥」
苦々しい顔で訝しんでいるオクタヴィア様が口を開く。
「‥‥あの時の話し合いには従者は付けなかっただろう。控え室にいたはずだ、馬車の中は」
「従者は別の馬車でした。確かにミラー男爵令嬢を囲むなら家からは金を出さない旨の話はしましたが‥‥」
「プルメリア、御者をしていて中の会話は聞こえるのかしら」
「‥‥そうですね、声の大きさや道、馬車の種類によりますがラッセル子爵家の馬車では叫ばなければまず聞こえないでしょう」
「そう、ありがとう」
侍女が御者もこなすのを知らないアルバート様以外のラッセル子爵家の面々がぎょっとする。
「し、失礼ですが、侍女が御者をなさるのですか?」
「奥様の侍女たるもの御者くらい出来て当然です」
「気にしなくてもいいぞブランドン。ソレは規格外だ」
うちのプルメリアは優秀なんです。ちょっと変な方向に。
さっきからじっと紅茶を見つめ微動だにしないオリヴィエ様が口を開いた。
「ミラー男爵令嬢」
「え?」
「ミラー男爵令嬢は?」
皆一斉にアルバートを見る。目を瞬かせはくはくと口を動かした。
「それは‥‥別れを告げるつもりで全て話しました。結局彼女の想いもあって囲うことになりましたが‥‥ですがミラー男爵令嬢を家に連れてきたことはありません。ミラー男爵令嬢の侍女とうちの侍女が知り合いなわけがない」
‥‥まあ、正直家に連れて行ってなくても出来なくはない。けれどここで追求するのはなあ‥‥アルバート様顔色悪くなっちゃいそう。
それに正直メリットがないのよね、ミラー男爵令嬢に。彼女囲われることにノリノリみたいだし‥‥というのはプルメリア情報だ。ね?普段かかわり合いのない侍女の情報も割りと知ろうと思えば知れるらしいし、他所の家の侍女内で噂を流すくらいわけないのだ。
「ライラ嬢‥‥?」
不安気なアルバート様、ちょっと可愛らしい‥‥じゃなくて
「‥‥仮にミラー男爵令嬢だとして真意が見えません。黙っていればアルバート様と楽して暮らせますし、離れて暮らしておられるグレイス様にわざわざどうしようもなくなった段階で聞かせますか?嫌がらせなら妹君や貴族院にいるご妹弟の方が確実で早いですよ」
「確かに。ライラの株を落とすならラッセル家の人間より周りのご令嬢の方が噂は拡がるだろうしな」
「もとよりわたくしはその覚悟も出来ているので今更そうされた所で痛くも痒くもありませんけれどねぇ」
ほっとしたような顔で微笑まれつい微笑み返してしまう。正直ご両親も納得していただけたしもう放って置いちゃダメかしら
「‥‥侍女たちの身辺を調べてみよう」
「今は考えるのをやめませんこと?子供たちの晴れ舞台だもの辛気臭い空気は似合わなくてよ」
ころころと鈴のような声で笑うお母様が空気を変えてくれた。
従者の1人がシンプルなチーズケーキを出してくれたので皆で頂いたのだがそれがとても絶品で盛り上がっていると時間だからとそそくさと殿下方が下がった。多分あれは『オリーブの木』なのだろう。
そのあとお時間です、と声を掛けられ家族が下がり二人きりに。
「ありがとう、ライラ嬢」
「なんのことですか?」
「ミラー男爵令嬢を庇っていただいて」
「事実を言っただけですわ。でもそうですね折角なのでご褒美が欲しいです」
茶化すようにいうとなんでもいいよ、と首を傾げてくれた。まあなんて幸運なんでしょう。
「今夜だけでいいので、ライラとお呼び頂けませんか?申し訳ありませんが皆の前でライラ嬢では‥‥」
「あ、そうか、すまない気づかなくて」
「いいえ、わがままですみません」
「こんなものわがままなんかじゃないよ」
プルメリアがそろそろ、と声をかけてくれる。
「いこうか」
「はい、アルバート様」
「あ、そうだライラ」
「はい?」
歩きながら、アルバート様は耳元で囁いた。
「ドレス、凄く綺麗だ。清楚な君もいいけれど色気がある君も素敵だと思う」
もしかしてと思ってはいたけれど、アルバート様は無自覚なタイプの色男か!
わたくし達は煌びやかな会場へ足を踏み入れた。
わたくしのみ顔を真っ赤にさせて。