忘れたままでいたかった話・前編
「とりあえずクリフと呼ぶのを徹底してくれよ。ああ大分ライラ様のお茶の時間を取ってしまったな…」
「ああ、努力する。折角花も輝いてるのに見ているのがむさくるしい男二人じゃもったいないな。早く呼びに行くか」
二人目を合わせて苦笑しながら席を立ち屋敷に顔を向けるとキースの後ろにベティが隠れているのが見える。どうやらクリフの声が原因だったようで涙目になりながらキースの後ろで震えていた。
「…どうしてくれる、ベティが怯えてしまったじゃないか」
「えっ自分のせいか?…ベティすまない…怖がらせるつもりでは」
「いっいえ、すみませんクリフ…」
「何事ですかっ?」
軽やかな足音が響いてきたと思うと廊下から慌てた様子でライラが駆けてきて後ろでプルメリアが頭を抱えていた。キースはひとりにこにこしている。
「なあに元気な証ですよ。いいですね若い者は…まだまだ負けてられませんなあ」
「楽しそうなのはキースだけです。ベティ、お茶のおかわりを持ってきてください。ゆっくりでいいですよ」
「は、はいプルメリア。ありがとうございます…」
ベティは周りに一礼すると申し訳ないような顔で庭を後にした。困った顔をしたままのクリフの背を軽くたたきライラに向き直るとライラもまた困ったように笑っていた。
「ごめんなさい、ベティはあまり大きな声に慣れていなくて…」
「いえ、私の注意力が散漫でした」
「ふふベティは甘いものが好きなので後であげてみるといいですよ。ところでもうお茶会はよろしいのかしら」
「はい、ありがとうございました。言いたいことを言ったらスッキリしました」
ライラは頭を下げるクリフの頭をさらさらと撫でた。艶やかな髪がライラの細い指から流れる様がいやに目に焼き付く。
「よかったですね、旧友を大切になさってくださいね」
「はい。この御恩一生を使って返してまいります」
「えっいえそれはちょっと重いので程々でいいです」
ちり、と感じたこの気持ちはどちらに対してだったのか考えが及ぶ前にライラの一言でどこかに行ってしまった。なんてしまらないんだ…そこは黙って受け取ってやってほしい。
「ライラ、そこは思っていてもはい、と返してやってほしいんだが…」
「えっだって折角こんなに仕事もできて見た目も整ってるのにこのまま家に忠誠を誓って結婚もしないままになったらどうするんですか…わたくしは盛大に祝う気まんまんなのに」
「まてまてまてどうしてそこまで話が飛ぶんだ…まさかもう結婚の予定が?聞いていないが?おいクリフ」
「結婚する予定もないし、恋人もいない!キース!笑ってないで助けてください!」
「ライラ様、家に忠誠を誓っても嫁も使用人であれば居ついてくれますよ」
「ああなるほど、それなら…」
「そうじゃない!」
クリフは肩を落とし、そうじゃない、そうじゃないんだ…と呟きながら頭を振っていた。
ライラもキースも楽しそうに笑っていて、これからこの時間が続くのかと思ったら嬉しくて泣きそうになった。
ふと明るい笑い声にメアリを思い出してしまった。もっと大きい口を開けて笑う彼女は夏によく見る大輪を思い出させる。たしか彼女が本格的に引っ越してくるのは休みの最後の方だと言っていたから一日くらいは一緒に居られるだろうか…騎士道を重んじるクリフはあまりいい顔をしないかもしれないが彼にも紹介したい。お前が居なかった間ずっと陰で俺を支えてくれていた子なんだと。
いつか、この輪の中にメアリも居てくれたらいいのにと都合のいい願いをして。
クリフは奥から紅茶を運んできたベティを確認すると自然に中庭のテーブルまでライラをエスコートして椅子を引く。キースも俺の椅子をひいてくれたのでそのまま着席することにした。
「あ、クリフの条件はわたくしと一緒にお茶をすることです。キース、椅子を」
「かしこまりました」
「えっ?」
クリフが異論を唱える前にプルメリアがすでに椅子を持って待っていた。しどろもどろになったクリフと目があう。俺が助けられるはずないだろうに。
「こうなったら腹をくくれ」
「そうですよ、アルバート様ばかりずるいではありませんか。わたくしもお話してみたいことが沢山ありますから」
「はあ…」
「今日はただのクリフ先輩ということで、ね?」
「それは素晴らしいですな。私も同世代と仲良くしている弟子を見るのはうれしい」
キースが本格的に孫を見る目でクリフを見ていて大変愉快…いや楽しい。困った顔でライラとキースを交互に見ながら諦めがついたのかプルメリアの運んできた椅子に腰かける。
俺、クリフ、ライラの三人でテーブルを囲むと新しい紅茶とクッキーを出してもらって今日だけで何度目かのお茶会が始まった。
「ところでライラ。俺への条件とは何だったんだ?」
「え?ああ、なんのことはなかったのですが…その、アルバート様の朝のお稽古を覗いてみたいなと思って」
「は…はあ?」
「正直わたくしあれ以上早起きできる気がしてなくてですね…でもいつかはアルバート様の朝のお稽古を見てみたいのであらかじめその許可を頂いておこうかと」
「それは構わないけれど…そんなことが条件なのか?」
「正直に言うとですね…学園や王宮では度々遠くから見学させていただいてはいたのですが…一度でいいので間近で見学してみたいと思っておりまして…」
「朝の訓練なんて準備体操と基礎訓練と素振り程度なのだが…」
ライラの隣でクリフが目を細めていた。しまったこいつに聞かせるんじゃなかった…いやしかしこれから侍従という立場で傍に仕えるなら明日にはばれるのか…それなら他の人間がいる今ばれた方がよかったのか?
「アルバート様?…あの、ご迷惑になるようでしたら別の事でも…」
「あ、いや、そのそこは大丈夫なんだが…」
俺の視線に気づいたクリフがにっこり笑うがこれは絶対目が笑っていない。
「…俺は学園時代素振りばかりしていてその…クリフによく叱られていたんだ…それでよくトレーニング方法を考えてもらっていたんだが…」
「…ああ、なるほど…」
ライラも言わんとしていたことがわかったのか恐る恐るといった様子で隣を見る。にっこり笑うクリフを見てほっと胸を撫で下ろしこちらを見てにこにこしているが…ライラ、違うあの笑顔は笑顔じゃないんだ。
彼が陰で氷の貴公子と呼ばれていたことだけは近いうちに話しておこうと心に決めた。
「この際、朝のお稽古のトレーニングも考えてもらってみては?」
「え、いや俺はもう剣の道から随分と離れていますから……いや、そうですね…教えを請いながらでよろしければ」
「!いいのか?!」
昔は一度決めたら梃でも動かなかったクリフが意見を変えたことに驚いていると首をかすかに右に傾けながらぶつぶつと唱えだしていた。
この姿を見たことがないライラは戸惑いながら心配そうに顔を覗く。
「クリフ?」
「大丈夫。クリフのこれは昔からなんだ、一度本気で考え込むとあたりが見えなくなる。多分トレーニング内容を考えてるんだと思うんだが」
「これはなかなか…夜中に見たくないですね」
確かにこの状態のクリフが暗闇の廊下に立っていたら俺でも怖い。二人してお茶を啜りながら様子を伺っていると考えがまとまったのか背筋が伸びた。
「やるからには徹底的に行きますよ」
「勿論。望むところだ」
「そういえば、クリフも学園で剣を習っていたのですよね?」
「そうだな、騎士科を選択していたから」
「そうですね。それもあって寮でもいつも一緒でしたよ」
学園は二年から希望生のみ学科が選べるようになっていて、通常授業とは別に騎士科や研究科といった専門職の学科が執り行われていた。
「ライラ様はどこかに所属していらっしゃったのですか?」
「あー…それが研究科に入ろうとしていたんですがやんわりお断りされまして…その後も特には属しませんでしたね」
「よりにもよって研究科ですか…」
貴族のため上下の扱いの違いはあれど、どの科も基本的に家からの寄付金で賄う部分が多いため来るもの拒まずなはずなのだが…それも公爵家のライラの所属を拒むとは研究科とはどういったところだったか
「そもそも専門学科は生徒の家の援助で賄われているから低い家柄ならまだしも高い家柄のライラを断ることがあるのか?」
「いやあそこは…ちょっと特殊で」
「そうなんですよね…わたくしも後から気づきまして」
訳知り顔の二人に少しむっとしながら続きを促すと苦笑交じりにクリフが答えた。
「…あそこはなあ…専門学科の教員は基本的に他所からくるのは知ってるな?」
「ああ、騎士科は現役の騎士団長だっただろう?」
「そうだな、たとえば位の高い家のご子息ご令嬢が多く集まる作法科があるだろう?」
「ああ、あの宮廷作法とは名ばかりで夜会やお茶会ばかりで有名な?」
「そう…ライラ様はあの作法科の教員はご存じですか?」
「…たしか、どこかの公爵夫人が数人で取り持っていらっしゃいましたね」
宮廷作法科は別名、結婚相手見繕い所と言われていて階級の高い者たちが集まって夜会やら茶会やらを開いている科でかかわっているのが公爵家のご婦人方だというから誰も手が出せず、王族も手を焼いているとか。
昔はきちんとした宮廷作法を教える場だったらしいのだが学園の授業で既に習うことが増えた為今は名ばかりの高級サロンのようになっていると聞く。
「ライラはあの科に誘われなかったのか?」
「誘われましたがお断りしましたね…うちはこれ以上高い階級の婚礼を望んでおりませんので」
「ああ、それもそうか」
ウォーカー家は元々公爵から侯爵へと望んで階級を降りたこともあって今現在に至るまで自分たちより高い階級の婚姻は久しく結んでいないというのは兄上から聞き及んでいたのを思い出した。
「まあ例に出しましたが要は専門学科にはその専門に特化した人間がいます。けれど研究科っていうのはその中でも様々なコースに分かれていることはご存じですね?さてここで問題です。その研究科の顧問は全員男性でした。さてどうしてでしょう?はいアルバート様」
「…その分野に秀でているのが男性だったから?」
「惜しい。純粋にそれだけならライラ様は大歓迎されて入れていたでしょうね」
「アルバート様、ヒントは研究科で一番偉い方ですわ…ほら、あの去年までいらっしゃった…」
「ま、まってくれ…研究科の教員長だろう?誰だ、異様に思い出せないんだが」
「…まあ強烈だしな」
「…アルバート様はある意味幸せかもしれませんわ」
専門学科自体はそう多いわけではないし、卒業の夜会で全員紹介されるはずだから少なくとも一度は顔を見ていると思うんだが…どうして記憶がないんだ…?
「…これはもう忘れたままがよくありませんか?」
「いや、ですが個人的にはぜひ思い出して頂きたい…あの忌々しい容姿を」
「そんなに忌々しいお姿でしたか?」
「…御覧の通り自分は筋肉がムキムキとつかない体質で」
ムキムキ…?
頭の中に浮かぶてらてらと輝く肌黒い巨体が脳裏をよぎる。
「…ひ」
「わたくしはあのとても強烈…最先端の…人類が追いつけないあの…えっと」
「ライラ様だんだんひどくなってますけどあの化粧と全身オイルの事言ってます?」
強烈な化粧…?
大きな切れ長の目にバサバサとついた長いつけ毛が頭をよぎる。
「あ…あ?」
「あ、あの大丈夫ですか?アルバート様の語彙が…」
「いい加減思い出しませんかね……メイクがバチバチに濃く髪は刈り上げで上は袖のないぴっちりした白い肌着に下は黒いピッチピチのトラウザーズで白衣を着用し、夏は白衣を脱いで全身にオイルを塗りたくって黒光りした肌は遠くからでも見つけやすかったでしょう。…それとも夜会仕様が聞きたいのか?」
「まっまっまってくれ」
「あ、夜会仕様ちょっと聞きたいです」
「君は怖いもの知らずか!……あああああ思い出した!!」
筋肉隆々の大男で顔がものすごく濃くて真っ赤な口紅が人を食ったような色をしていて…俺は…俺は…
「もっと怖い話しますか?二年の頃の暑い季節に騎士科で行った水泳講義でのことですが」
「クリフ!やめてくれ!」
「おや思い出しましたか?」
「今思い出したら俺は発狂する」
「まあ…そんなに恐ろしいことだったんですか?」
ぶわっと悪寒が走り体中に変な汗が流れた気がする。ライラが心配そうにハンカチを差し出してくれた。
「だ、大丈夫ですか?アルバート様…」
「そんなに恐ろしい記憶になってるのか?…すみませんそこまでとは…」
身体が緊張して動けずにいると顔をそっと拭われ、ポプリの香りが鼻孔を擽りやっと力が抜けた。
「…ライラはきれいだな」
「…正直あの人と比べられてだとほんの少しだけ腑に落ちないのですが、アルバート様に褒められるのはうれしいです…」
「流石に人工呼吸の話はきつかったか…」
「してない!俺はすんでで回避したんだ!」
「人口…呼吸…?」
王宮でよく見る猫が訓練明けの脱ぎ捨てた靴のにおいをかいだ時のような顔をしたライラがぽかんと口を開けていたのでクッキーをひとつつまんで口に差し込んでみた。
先ほどは猫のようだったライラが今度はリスのようにさくさくさくとクッキーを食べていく様子にもう一枚差し込んでみる。世界がみんなライラのようだったなら優しい世界になるだろう。
まだまだ続くよお茶会編