頑固者たちのお茶会
中庭に出るといつもより草花がキラキラと輝いて見えた。まるで濡れているような…
「…この中庭はこんなに輝いていたか?」
「奇遇ですね、わたくしも不思議に思っておりました」
「ああ、やっぱりライラにも見えているのか、俺はてっきり心情の変化がこうしたのかと」
「アルバート様はたまに可愛いことをいいだすのでわたくしの心臓はそろそろ止まりそうなのですが」
「本当に止まりそうなのでやめてください」
後ろからプルメリアが止めに入るとアルバート様が大きく頷いた。え?そんなに頷かなくても…この幸せの絶頂期に死んでたまるかと思っているのだけれど…?
どう突っ込もうかとしてプルメリアの後ろの人影に気付いた。
…ああ、やっぱりアルバート様の侍従は彼になったのね
「中庭は霧吹きで花の部分を濡らしております」
「ああだから……」
花を見ていたアルバート様がプルメリアの方を向いて固まる。目を大きく見開いて声にならない声で短くなにかを呟いた。
「…キース、彼がアルバート様の?」
「ええ。クリフ、ご挨拶を」
「はい、キース。クリフと申します。これからよろしくお願い致します」
アルバート様より少し背が高いだろうか。濃紺の髪をオールバックにセットした琥珀色の瞳の青年はクリフと名乗り一礼した。
彼もやはりあの事件のせいで学園を去ることになりエイベルおじさまに拾われたひとりで数少ない屋敷に残っている元貴族の生徒でもある。
確かわたくしがこの屋敷を継いだ頃にはよく屋敷内の人間を回しているのを見ていたからキースの一番弟子だと認識していたけれど…だからこそか。
「クリフォード…何故ここに」
「…今は、クリフと名乗っております」
「クリフは当時一番最初に学園からやってきた生徒でしたね…仕事の飲み込みも早く要領も気立てもよくとても気が利く私の一番弟子ですよ」
キースはどこか孫自慢するおじいさんのような目でクリフの事を教えてくれた。
「ただ少しだけ、口下手なのですよ」
「あら」
「ところでお嬢様、遠い国の教訓をご存じですかな?『類は友を呼ぶ』といいましてね…気の合う者や似通った者同士は、自然に寄り集まって仲間を作るものだというモノです」
「まあ、素敵な教訓ね。あのふたりにぴったり」
「はい。私めもそう思います」
多分キースは二人の関係性を理解した上で手に負えなくて丸投げしたようにも思えるのだが…アルバート様のあの反応を見るに浅い仲には見えないし、クリフはクリフで既に侍従ですからで押し通す気満々のようにみえるし、これはひと悶着おこさねば解決しないでしょうね…頑固そうだもの、二人とも。
…何かいい案はないかしら
プルメリアの後ろから出てきたのは当時よりもグッと背の伸びたかつての友の姿だった。
クリフォード・テイラーは共に子爵というのもあって寮でも隣の部屋のクラスメイトであり、共に騎士になろうと誓い合ったかつての親友だった。
自分が学園に戻った時はすでに隣の部屋はもぬけの殻だった。書置き一つ残さず、まるで元々この部屋は空き部屋だったんだと言われても納得のいくくらい、人のいた痕跡はなくて。
誰に聞いても何一つ情報は掴めずもう二度と会うことはないのだと、この世にいないとさえ思っていたのに。それが今、ここに居る。なぜ?なぜここに居るのか。
「どうして…どうしてここにいる?書置きひとつ残さないで姿を消して…お前の実家ですら連絡もつかなかったんだぞ!生死すら…掴めずに…」
「…申し訳ありませんでした」
他人行儀なその言葉にカッとなるも視界に映るライラの困り顔に振り上げかけた腕が止まる。今ならわかる。わかるが出てくる言葉はなぜあの時何も言ってくれなかったのか。せめて何かなかったのか、ああライラに何か言わなければ、でももう生きていた安堵と他人行儀な態度の憤りや今までどうしていたのかと目まぐるしい感情に身体は動かなかった。
ただ、言葉が詰まり喉奥が痛む。歪む視界を誰にも悟られたくなくて結局すべての言葉を飲み込んでしまった。
これから先、こいつは他人行儀を貫くのか?メアリーと暮らすあの屋敷で。
誰も口を開かない暗く沈んだ空気に響いたのは鈴を転がしたような明るい声だった。
「なるほど。『類は友を呼ぶ』この二人には本当にぴったりねキース」
「左様でございますね」
「双方ともにまどろっこしいのでお茶会を始めましょう」
パンパンとライラが手を二回叩くとベティとプルメリアが、かしこまりましたと一度持ち場を離れた。
はっとしたクリフォードが一礼をして控えようとしたところを止めたのはキースだった。
「お茶会に参加するのはお前ですよ、クリフ」
「は?」
「前々から思っていたのですよ…最近の若者は言葉一つかけやしない。顔についているその器官はなんです?行動だけで正しく何かが伝わることなど、ひとつだってありはしないのです。めんどくさがらず言葉を交わしなさい若者達よ。それが相互理解の近道なのだから」
それは何も言わないクリフォードにも、言葉を飲んだ俺にも、なぜかライラにも刺さったようで誰も何かを言うことはできなかった。
それでもクリフォードだけは強く拳を握り絞り出すように言葉を発した。
「キース…それでも自分はもう、そんな立場では…」
「クリフ。友と言葉すら交わせないのならそんな立場など捨ててしまいなさい。だがそれを使える立場にするのも使えない立場にするのもいつだって自分なのだと知りなさい。そして使える立場は大いに使いなさい。私はそのためにお前をここまで育てたのだから」
「キース…」
クリフは意を決したように悠然と微笑んでいるライラの足元に片膝を付き頭を垂れた。
その礼の仕方は騎士のもので…学園にいた時のクリフォードが重なる。ああ、やっぱりこいつのそこにあるのは騎士道なのだとわかるとひどく安心した自分がいた。
…そうか、俺は一緒に騎士になると言ったじゃないかと駄々をこねたかったのか。
「ライラお嬢様。申し訳ありません、私にアルバート様とお言葉を交わす時間を与えて頂けませんか…大切な、親友なのです」
「ライラ、俺からも頼む」
共に頭を下げると目を丸くしてクスクス笑ったライラは自分たちの肩を叩いて自身も屈んだ。
「私が最初に言ったのにお願いしなくても…本当に真面目な人たちなんだから…ですがそうですね、二人にひとつ条件があります」
「なんなりと」
「勿論受ける」
「今はまだ言えません。二人の話し合いの後に致します。よろしいですか?」
訳が分からずクリフォードを見るとあっちもわかっていないようでこちらを見ていた。わからないのなら仕方がないと了承すると満足げに頷いて立ち上がる。
「お茶のご準備が出来ました」
「ありがとう。キース、ベティわたくしは執務室に参ります。二人はここで待機していてね。プルメリアはわたくしと共に執務室へ」
「かしこまりました」
座りの悪そうな顔をしているクリフォードに少し笑いが込み上げてきた。本来の仕事が出来ないことにやきもきしているのだろう。こいつは昔からこういう男である。
「クリフォード先輩」
「…はい、ライラ様」
「二人がきちんと納得するまできちんとお話ししてくださいね。仲直りしたら二人でわたくしを呼びに来てください」
ライラは約束ですよ、と手を振りプルメリアを連れて去っていった。
キースが俺の席を、ベティがクリフォードの席を引いて待っていてくれる。ふたり顔を見合わせて席に着くと酷く緊張している自分に気付く。冷めた紅茶を飲み干して相手を見やると同じような顔をしていた。
「…王宮の夜会よりも緊張してるんだが」
「…はあ?」
「初めて出陣した時の比じゃないぞ」
「お前言うに事欠いてその辺の緊張と一緒にする奴があるか。だから身長が伸びないんだ」
「十分に伸びただろう…今のお前には負けるが」
「お前は背が伸びたというより一回り逞しくなったか?」
クリフォードも冷えた紅茶を一口で飲み干しカップを置くとキースがお互いのカップに紅茶を注ぎなおしてくれる。その紅茶は普段よりぬるめで飲みやすい。
「筋肉が増えたんだ」
「またバカの一つ覚えで素振りばかりしていないだろうな」
あきれ顔で肩をすくめる姿に笑ってしまった。仕草が昔のままだったから。
ああ、大丈夫だ。クリフォードは何も変わっていない。いつの間にか傍にいたキースとプルメリアも距離を取っていて俺たちは数年の空白を埋めるように過去の話を語り合った。
学生時代、食堂の食事は高いからと自分で食事を作って中庭で食べて節約していただろう?自分で料理をするのも楽しいぞと言われて始めた料理は今の自分の趣味にもなったよ。
料理をするようになってしばらくたった頃、自分はアルバートを驚かそうとこっそり二人分の昼食を作った。今となってはお粗末だったな…野菜のたくさん入ったサンドイッチは当時の自分としては最高傑作だと思っていたけれど…おい、笑うな。
だから自分は昼休みになって一度別れてからサンドイッチを片手に中庭に向かったんだ。驚かしてやろうと思って。
あの日、あの時の自分を何度恨んだかわからない。朝のうちに言っていれば。別れず引き留めていれば。或いは元から言っていれば?どのタイミングでもよかった。あの時、一緒に行動していれば…あんな別れ方することもなかったのに。
自分が中庭にたどり着いたとき、アルバートは木の下で何かを守るように覆いかぶさりながら上から降る石に耐えていた。理解できなかったよ。そして上を見たんだ。愕然とした。上の階から見覚えのある生徒が何人も石を投げてたんだ。
あの話の粛清された公爵家の名前、わかるか?ああ、口にしなくてもいい。でもわかるならこれも知っているか?その公爵家には分家がいくつもあって、その中の一つにテイラー子爵家という家がある。
…ああ、もうわかったな?実家だよ。
その時見つけたよ。本家のご令嬢を。
公爵家の人間ともあろう方が自身で石を投げていたことも。その後はひどいものだった。
何人もの兵が双子殿下を守ろうと木の周りに群がったんだ。正直連携とかないのかこいつらとは一瞬思ったくらいにはすごかったぞ。一瞬な。
10人くらいだろうか、取り囲んだと思った時にはもうアルバートはもみくちゃにされてたな。多分、動きが早すぎて敵だと思われたのかもしれない。何人かはお前を殴ったりけったりしてたからな。
…あとから一緒に行動していたら、せめて二人でライラお嬢様を助けることも出来たかもしれない。俺のことも緘口令が敷かれていれば素知らぬ顔で学園にいれたかもしれないと何度も思ったよ。
…ん?ああ、俺はお前たちがもみくちゃにされていた時に公爵家の教師を捕まえて石を投げていた生徒を確認させてたよ。子爵家の人間がいくら証言しようともみ消されることは目に見えていたからな。必要なことだったが周りには俺がしたことを恨むやつが出てくるのは理解していた。だからその日のうちに実家に連絡して三日後には学園から姿を晦ました。
…正直その時点では戻ってくるつもりだったんだ。アルバートが復帰する頃には公爵家とまではいかなくても何処かの家が責任をとって全てが済んでるだろうと見越してた。
けれど一週間後、行われたのは大量粛清だった。
まさかあそこまで規模の大きい粛清があるとは思っていなかったが…あの時の教師…先生はこうなるとわかっていたのかもしれない。俺が学園を出るための手はずを整えてくれたのは先生だったから。
今思えば異様な速さだったと思う。結局俺はそのまま学園に戻ることはなかった……学園から戻ってすぐ先生から手紙が届いたんだ。
先生はこのままだとテイラー家にも被害が及ぶことを危惧してた。父も母も頭を抱えていたけれど叱りはされなかったな、自分がしたことに胸を張れとまで言われたよ。
三歳になる弟は訳も分からず自分が突然帰ってきたことに喜んでたのを今でも覚えてる。
自分は長男だ。将来は子爵家を継ぐだろうと考えていなかったといえばウソになる。でも本家が断罪された今、うちに嫁入りしようとするようなやつらはいないのもわかっていた。先生の采配のおかげもあって家は特にお咎めもなかったけれど…だからこそチャンスだと思った。自分の歳はもう嫁も婿入りも望みはないに等しいだろう。だが弟なら?学園に入る頃には今よりも望みがある。
その為に自分は邪魔だ。だから学園にも戻らず家とも縁を切った。
先生にだけは全てを話して就職先を斡旋してもらったんだ…それがこのエイベル様の屋敷だよ。知っていたか?エイベル様は先生の教え子だったそうだ。
それから自分は名前をクリフと名を変えてここにいる。
俺の後から何人も元生徒やら従者やらが転がり込んできたよ、だが残ったのは数人だな、元生徒なんかさっきのベティくらいだ。皆逃げ出していった。今じゃどうしているかは…まあ知ったことじゃないな。
…なれない仕事が板について様になった頃、エイベル様が亡くなってライラ様がこの家にやってきた。すぐにわかったよ、あの時お前がかばった少女だって。実はもっと早い段階で気づくことが出来たはずなんだが…俺はあの離れのお屋敷で仕事をしていたから顔を合わせたことがなくてな。ライラ様は元々王都に住んでいたから顔を合わせなくてもいいようにの配慮だったんだが…いや本当に驚いた。
え?家名が一緒?
…いや髪色とシルエットくらいしか知らなかったし…むしろよくわかったなって褒めてほしいくらいだ。
まあ、キースに鍛えられたこともあって無事に本館で働くようになったんだよ。
ん?夜会の日?ああ、いたぞ。眼鏡をかけて階段の近くに…お前の風呂の片付けもしたし。
…ん、ふ、あっはっは!そうそう、そういう反応が見たかったんだ…んっふ、ふ、ぁひっはっはっ
はー…ん?両親か?連絡は取ってない。とれるはずないんだ…けど一年に一度、自分の誕生日の日に三人の姿絵が届くんだ……誰のおかげかわかるか?エイベル様とライラ様だ。全て捨ててきたのにここの主はそれを救い上げてくれる。
……恨む?なぜ?確かにあの事件は悲惨だったな。だがあの日俺のタイミングを恨んだことはあるけど自分の行ったことを悔いたこと一度だってないよ。
むしろお前が助けてなかったら多分とっさに動けなかった。本当にあのまま家ごと巻き込まれて潰されはしなくてもそれに似たことにはなっていたかもしれない。
…俺が決めたことだ。俺が決めて、俺が進んだ道だ。誰も怨んじゃいないよ。こうして、アルバートにもまた会えたしな。
「…自分は自分で何もかも捨てた。それが家にとって最善だったと今でも思っている。現に一時期は悪かった評判も今は大分持ち直したと人づて聞いた。…ただ、友達がいのない奴だったなとも思っている。だからアルバート、お前がどういう立ち位置にいて、これから何をしたいかどうしたいか教えてほしい。友達にも騎士にもなれず仕舞だった自分がもう一度お前と歩き出せるなら、自分はお前に付き添いたい」
お前の口から語られることを信じて今度こそ側で支えてやりたい。向かいにいる男を真っ直ぐ見つめると苦しそうに眉を顰めて口を開いた。
「…なら、俺を肯定しないでくれ。俺を許そうとしないでくれ。俺がこれから送る生活は決して褒められたことじゃないことを俺に忘れさせないでくれ」
「なんだよ、叱られたいのか?」
「…そうだな、きっと俺が間違ったことをしても、ここの人間はそれを責めないだろう。飲み込むだろう…ライラを筆頭に」
「だろうな。…じゃあ早速叱ってやる」
わざと偉そうにふんぞり返り足を組みながら侮蔑の顔を浮かべる。アルバートは深呼吸すると背筋を伸ばし、こい、と小さくつぶやいた。
「…てめえ王宮騎士ともあろう男が二股とはどういう了見だ!潔く女と縁を切らねえか!それが出来なきゃてめえの玉潰すか腹掻っ捌けこンのド阿呆!!」
久しぶりに腹から出した大声にスッキリした気分になった。おお、やっぱり声を張るのはストレス解消だな。
…これライラ様もやらないだろうか。大声出したら仕事でつめた根を少しでもほぐせそうではある。あれでいて結構お転婆なお嬢さんだから地味にストレス貯めてる気がするんだよなあ
「あースッキリした」
「そうか…俺は久々の声量に鼓膜がなくなった気がする」
「大丈夫あるぞ。よかったな」
「…また頼む」
「主人を怒鳴る従者がどこにいるんだ阿呆。ライラ様のところに行くぞ」
ああ、返事を聞いて席を立ち空を見上げる。
自分は心底運がいい。あの事件の時すぐ近くを先生が通っていたこと、家に損害がでなかったこと、エイベル様の屋敷にこれたこと、また親友に会えたこと。感謝してもしきれない。
何度あの日を恨んだだろう。でも恨んだのも後悔したのも、やっぱりあの日の事だけだった。俺が決めた道を俺が行きたいように行けたのは、先生が家族がこの家の人たちが俺を信じてくれたから。だからまだまだ頑張れる。
『クリフ、君がこれからいく道は今までと全く違う道だけど、きっと大丈夫。君にはたくさんの光が降り注いでいるのが、僕にはみえるから』
エイベル様、当時は何のこと言ってるのか正直なにもわからなかったけど、今やっと意味が分かった気がします。……ええ、多分。