(アルバート視点)夜の湯浴みとバスローブ
「先触れを出せませんでしたので先に参ります。お嬢様とアルバート様はこちらでお待ち下さい」
プルメリアは一度頭を下げると先に屋敷に戻っていった。キースは馬を戻しに馬屋に向かった為、二人きりで取り残される。
既に屋敷の敷地内だが無用心ではないのだろうか。二人でぼんやりと夜空を見上げると空気が澄んでいてたくさんの星が見えた。小高い丘の上にあるからかもしれない。
ライラの侍女であるプルメリアがお嬢様と呼んでいることに気付いたのは馬車の中でだった。細かなところまで気を使う主人の指示だろうと思う。
そんなところにほっと胸を撫で下してしまったことに罪悪感がないと言えば嘘になる。
だがそれでも俺はメアリーを愛しているし、実のところまだライラと結婚した実感もなければ覚悟も決まっていないのだ。
王宮に仕える騎士の端くれだと言うのにいつまでもウジウジと女々しいものだがそんな感傷に浸る暇もないくらいここ最近の目まぐるしい日々は自分にとってありがたいものではあった。
「んーっドレスでの馬車は肩が凝りますね」
隣で馬車から降りたライラが大きく伸びをすると腕を上げて背を逸らすライラの胸元は大きく開いているため顔を背ける。普段そんなに胸の空いたものを着ないのだろう、叱られる前に忠告せねばと思っていると後ろからお嬢様、と地を這うような声が響いた。
ビクッと一瞬動かなくなったライラは腕を下ろし恐る恐る振り返るとプルメリアが表情なく立っていた。
「お、お早いお帰りで…」
「お疲れのお二方をいつまでも外に立たせて置くわけにはまいりませんので‥‥ところでお行儀が悪いですよ。ねえ、奥様?」
「ごめんなさい、家についた解放感でつい」
「アルバート様もいらっしゃるのですよ。早々に別館に移られても知りませんからね」
「申し訳ありませんでした。以後致しません」
ライラが背筋を伸ばしキリッと顔を作ったところで耐えきれず吹き出してしまった。
「アルバート様!」
「いいんじゃないか?俺達しかいないんだから」
「いけません。この脅し文句だとお嬢様はとても物分かりよく言うことを聞いてくださるのでもうしばらくはこれで動かしていくつもりなので」
「それを本人の前で言うのはどうかと思うの」
「三割の冗談はこれくらいにして」
「七割は本気なの?」
「屋敷の中へ参りましょう、皆お二方のおかえりをお待ちしております」
プルメリアは何事もなかったかのように先頭をきって屋敷の扉を開いた。
屋敷の中では中で働いている者達が扉の左右に並び出迎える。
「おかえりなさいませ。お嬢様、アルバート様」
玄関のフロアは正面に大きな階段があり左右に分かれている。丁度建物の真ん中に玄関のある屋敷で階段まで何人もの使用人が並んでいた。
奥の方にいるのは料理人だろうかお仕着せ以外の格好をしたものも多かった。
「ただいま皆さん。今日から別館に人が入るまでアルバート様もこちらで過ごされますからよろしくお願いしますね」
各々返事する様子を眺め満足そうに頷き手を叩いた。
「それでは持ち場へ戻ってくださいませ、これから自宅に帰る者はプルメリアに申告してね。普段より遅いし夜道は危ないので馬を出しますから」
プルメリアをその場に留まらせそのまま二階に案内される。後ろからやってきたキースと合流すると廊下の突き当たりまで進む。
そこには人が見当たらないところからみるに多分領主家族が過ごす部屋が並ぶエリアなのだろう。
「アルバート様付きの侍従のお話は明日したいので今夜は御者を勤めたキースがお付きしますわ」
「よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願い致します。アルバート様」
キースは朗らかな笑顔を浮かべ横の部屋の鍵を開けた。
部屋は角部屋で一室が実家の自室の二倍はあるのに寝室は左手の扉の奥だと案内され軽くめまいを覚える。この広さは…なんと言うか、落ち着かない。
「広いな…」
「ここは夫婦用のゲストルームでして…お恥ずかしながらこの屋敷に家族が揃う事がないので隣の兄弟用のゲストルームは従者の控え室兼寝泊まり部屋にしてしまったのです…落ち着かないとは思うのですが少々我慢していただけると」
家族で過ごす際はライラが実家に戻るらしい。
視察で家族が集まることもないからと本来は階数が変わるはずの従者の寝泊り部屋を隣に並べる事は本来なら誉められたことではないが効率的にもいいだろうなと納得してしまった。
「あ、勿論家族用だけですよ?他人の泊まるゲストルームは別にしてありますし、別宅もきちんと分けられておりますから!」
自分の反応が薄かったから怒っていると思ったのか慌てて取り繕うライラについ笑ってしまった。
「ふ、はは大丈夫だ、効率がいいなと思って」
「良かった…秘密にしていてくださいね」
「勿論」
「アルバート様のお許しが出て良かったですね、お嬢様」
「ええ!一人では広くて落ち着かないかもしれませんがこの部屋が一番日の光が入るので朝は気持ち良いのですよ」
確かに窓が大きく日の光がよく入りそうだと思った。
備えつけの家具もシンプルながらに品が良く広さに慣れてしまえば落ち着きそうだ。
「後の案内はキースにお任せ致します。ではアルバート様、失礼いたします」
「ああ、おやすみライラ。いい夢を」
「!…おやすみなさい、アルバート様」
元々大きな目をさらに大きく見開き、頰をあからめ嬉しそうに笑った。
そんな彼女に釣られて口角が上がる。一人で部屋を出るライラを見送りふと気づく。
「キース、ライラは一人で出て行ったがいいのか?」
「ええ、実はお嬢様の部屋はお向かい側でして。部屋で侍女が待機しておりますので問題はありません」
「そうか、それは良かった」
家族用のゲストルームの近くに自室があるとは思っていたが向かい側だったか。
一応覚えておこう、と頭に叩き込む。
「本来はお嬢様とご一緒である夫婦の部屋にご案内するべきなのですが婚礼の儀がまだ済んでいないからと仰っておりまして」
「それは俺のためでもあるだろう」
「ええ」
キースは穏やかに、だが確かにはっきりと肯定した。
俺の背にまわり堅苦しかったジャケットを脱がした。肩が軽くなり首元も緩めるとソファを勧められる。
そっと座るとズズ、と身体が沈みうっかりすると眠ってしまいそうだった。
どこから持ってきたのか気づかなかったがキースがお茶を淹れていた。奇術か?
本気で不思議でキースの手元を見つめていると本人はホッホッホと笑ってから口を開いた。
「お嬢様は家の者全員にアルバート様のご事情も全てお話ししてくださいました。これから起こるであろう屋敷の割り振り替えやアルバート様付きの侍従の選別等も既に手筈は整っております。あとは明日の話し合いでアルバート様のご意見を聞いて調整していくだけです」
「ここの者達に嫌悪感はないのか…?」
この屋敷に来てからずっと気になっていることだった。さっきのお仕着せを着ていない者達の顔を見ても嫌悪感や不快感を露わにした者を見つけられなかったのだ。
本来はもっと人がいて、そのような者は出迎えに排除されていたならば話はわかるのだが。
キースの顔を見ても慈しみ、見守るような表情で微笑むばかりで、真意がわからなかった。
「勿論、一同驚きはしました。ですがこの屋敷の人間にお嬢様に意見する者はおりません…いや、どうか誤解しないで下さい、お嬢様の意見でも普段は反対も致しますし、口論になることもあります…口論してくださる方です。それでも今回の件で反対意見を述べる者はおりませんでした」
「…何故?」
「お嬢様のお相手がアルバート様だったからでございますよ」
さらに言葉を続けようとしたところで扉からノックの音が響いた。
キースが開けると、一人の従者が一礼して一歩部屋に入る。
「お風呂の準備ができました」
「ありがとう。後は替わるから今夜は下がりなさい」
「はい、キース」
侍従はもう一度一礼をして下がった。
湯浴みは朝行うものが一般的だがこちらでは違うのだろうか。
「湯浴みですか?」
「お嬢様は夜に疲れた身体を湯に沈め清めるととても深く眠れるようで…アルバート様にもよろしければご利用なさって欲しいからお伺いを立てるようにと仰せつかっております」
「なるほど」
こういう時は郷に入っては郷に従え。百聞は一見にしかず。異国から移住してきた先輩の有り難いお言葉だ。
「ありがとうございます。試してみます」
「かしこまりました、ご案内致します。ああ、先程の話は長くなりますから明日お嬢様からお聞きになるとよろしいかと思われますよ」
続きが気になっていただけに先手を打たれた感が強い。硬い床を歩いていても足音一つしない足捌きといいキースは何者なのだろうか。
先程の道を戻り一階の奥に浴室があるらしい。脱衣所にはすでに着替えが置いてあった。
「本日はご用意出来ませんでしたが、湯女は必要でしょうか」
「必要ありません、一人で済ませます」
「かしこまりました。他に御用入りはございますか?」
「特にないと思います」
言ったものの使い方がわかるかどうかが不安でそっと浴室の中を伺うと実家の浴室より大きいが白を基調にした浴室は美しく保たれていて湯に強い植物だろうか小振りな葉が生き生きと揺れていた。特にわからない事はなさそうだ。
「では私は待機しておりますのでお困りになったらお呼びください」
「いえ、自室までは覚えましたし休んでください。必要なら自室へ戻る時に声かけますけど…普段は既に時間外の仕事では?」
今夜は自分がやってくることもあってここの人間達は時間外の仕事をしているような気がする。早く城を出たと言っても普段なら皆既に休んでいる時間だ。
自分は後は戻って休むだけだからゆっくり休んでほしいと伝えるとキースはありがとうございます、と微笑み下がってくれた。
さっさと服を脱ぎ浴室へ入るとほのかに花のような香りがした。なんだろうと辺りを見回すと桶に入った石鹸水だった。
ライラの言っていたポプリと同じ香りだろうか?
とろりとした石鹸水を小さめな柄杓で掬い泡立てながら身体を清め湯船に浸かる。
足を伸ばせるのは存外いいものなのだと気付いた。
うっかり寝てしまわないように程々のところで湯船を出る。
後片付けとかいいんだろうか、さっき聞いておけば良かった。まあ慣れていない者が弄るよりいいだろうと思い直し身体を拭ってから浴室を出る。
騎士寮にいた時は風呂は基本浸からないし掃除は当番制だった。そこら辺は位によって違ったりした物だが俺が所属する第二騎士団は基本的に位の低い者が多いため自分のことは自分でがモットーだったりする。
用意された肌触りのいいバスローブを羽織りきた通路を戻ろうと脱衣所を出る。普段着慣れないバスローブを気恥ずかしく思いながら自身の身体からほのかに香る花の香りに顔が熱くなる。
この暑さは逆上せたのだと自分に言い聞かせながら誰にも会いませんようにと祈り早足で部屋に戻ることにした。