独りで
タイトルで以って、既に少し暗いのだが、私は全然暗い話を書くつもりはない。ただ、明るい話を書こうというつもりもない。ただ、その両方に助けられ、救いを求めた男の、ただの独り言を残しておきたくなった。それだけの事だ。
太宰治先生曰く、美しい感情を以って、人は、悪い文学を作るらしい。美しい感情を、おそらく持ち合わせておらず、かと言って、悪魔的でもない私は、どんな文学を作るのだろうか。やはり、毒にも薬にもならぬ無の文学を作るのであろうか。
私、やはり〜あろうか。文学らしく体裁を取り繕ってみたところで、俺にはやっぱり文才はないらしい。不恰好に取り繕うのはやめよう。どうせ独り言だ。
取り繕うのを止めれば、いや、どう取り繕ったところでそうなのかもしれないが、体裁という外套を脱いでしまえば、俺という人間はただの、煙草と酒の好きな、器の小さい、こまっしゃくれた子供だ。こんな言い訳をしてみたところで、何がどうなるわけでもないが。
煙草、酒。うん、毒だ。この両方を好く人からすれば、これらは薬にもなるらしい。それが俺たち中毒者の言う戯言なのか、それとも真実なのか、よほど進歩したらしい現代医学でも、未だアヤフヤだ。身体のことを思えば、やはり、毒だろう。しかし、心理的な、人の心の事を思えば、薬にもなっている。
実例を出そう。医者はひどい腰痛患者には適量の酒を勧める。実際勧められた婆ァを俺は知っている。寝る前にワインを一二杯飲むと、痛みが引いて、よく眠れるそうだ。皆、経験があるんじゃなかろうか、ひどく酔っ払った翌朝、見知らぬ怪我が身体のどこかにある事。まあつまりはそういう事らしい。薬ではどうにもならなくなった時の鎮痛剤代わりだ。酒には、いや、煙草もそうだが、ぼやかす力がある。痛みや、不安、その他現実での色々。
毒にも薬にもならないような、俺という人間は、そういう、ぼやかしに頼らないと、生きていられなくなる。某超有名邦ロックバンドのボーカルが、視力が悪いのに、コンタクトレンズはおろか、眼鏡すら滅多に掛けないのも「見えすぎて怖くなった」かららしい。 そう、見えすぎて怖いのだ。自己の在り方さえもまだうまく掴めずぼやけているのに、世界というものは、あまりにも輪郭をはっきりと持ちすぎていて、それに囲まれていると、怖くなる。
また外套を着てしまった。世界とは言うが、せいぜいが住んでいる県内とか、勤めている会社とか、学校とか、そんなちっぽけな範囲だ。独り言ですら、誰かに、何かに見られている気がして、分厚いコートのような外套でも羽織っていないと、満足に呟くこともできない。
NHKのアナウンサーは、一分間に、だいたい百文字のペースで読むらしい。この原稿が今、千と百文字。約十一分。俺が二本煙草を吸う時間はそれくらいらしい。そろそろ仕事だ。世界を煙でぼやかしながらでないと、満足に独り言も言えない、小さい男だ。