7話 拗れる構図
「……」
沈黙する颯真。もとより彼の心境は軽いパニック状態。それに加えてのフゥの状態や、生稀のなにやら不穏な物言いに困惑を極めていた。もっとも、困惑しているのは狂描族達も同様で、唯一平常心を保っているのは生稀だけだったが。
「……?」
沈黙する一同に対し不思議そうに小首をかしげる生稀。どうやら困惑の原因が自分とは一切気がついていないらしい。生稀の頭上には大量の"?"が浮かんで見えるようだった。そんな沈黙を破ったのはガウラだ。
「フゥッ?一体これは……どうなってる??」
「おじいちゃん……この人の相手なんて私じゃ務まりませんよ~……」
そんなことを相変わらずの涙目で告げるフゥ。ガウラはその言葉に戦慄する。そもそもこの村で最も強いのはフゥだ。その力量はこの村の男達全員でかかって、傷一つでもつけられれば御の字と言えるほどであった。そのフゥが自分の手に負えないというのだ。そしてその言葉が嘘ではないことは、フゥの怯えようや傷が如実に語っていた。
そしてそんな相手に敵対してしまっている現状に、ガウラは後悔の念を抱かずにはいられない。しかしそんなことを思っても後悔先に立たずである。だが、とある理由から憎き人類種に命乞いをしてまで生き残るなどという選択肢はガウラの頭には微塵もなかった。そしてそれは、他の狂描族とて同様だった。
「フゥを逃がす。異論がある奴はいるか…?」
暗に「フゥの為に死ね」と。他の狂描族達に対して小声で囁くガウラ。その表情はなんとも複雑なものだった。その決断は小のために大を切り捨てると言えるものだ。村長としてその決断が正しいのか間違っているのか、それがガウラには分からなかったのだ。ましてやフゥは自分の孫であり、個人的な感情が一切働いていないかどうかと言われれば、否定することは出来ない。それがガウラの迷いに拍車を掛けてしまっていた。
客観的に見れば、フゥはこの中で一番幼く、何より強い。その幼さや種族的な問題から一人では苦労する事も大いにあるだろうが、強いと言う点は一人でも生き残る可能性を上げてくれる。更に言えばフゥは女。酷い話、血が途切れる事もないのである。つまり、その選択は正しいとも言えた。
もっとも、ガウラはそんな判断をしたわけではない。強いという理由だけで、まだ幼いフゥに殺し合いの先陣を切らせてしまったことに対する罪悪感がなにより大きかったのだ。更には自分の孫なのだ。自分の孫を生かしたいと思うことに何の不思議があると言えようか。もちろん、フゥも交えて全員でかかればあるいは?そんな可能性を考えもしたがあり得ないことだと分かりきっていた。
そんな本心に気づいているからこそ、ガウラはまともに他の狂描族達に視線を合わせられない。そんなガウラの肩に一つの手が置かれる。ガウラはいつの間にか俯いていたことに気付き、その顔を上げ後方を見やる。その視界に入ってきたのは、肩を竦めつつどこか決然とした表情を浮かべる他の狂描族達の姿だった。中には「やったるでぇっ!!」と叫び、やる気万端の者もいた。ガウラはそんな同胞に目頭を熱くしながらも、迷っている場合ではないと気を取り直す。そして次の瞬間叫んだ。
「意志に背く者ッッ!!」
刹那、ガウラの周囲五十センチメートルほどが陽炎のように歪む。と、同時に放たれる圧倒的な威圧感。
狂描族唯一の固有能力だ。"意志に背く者”を発動している間の身体能力は約三倍となる。周囲に現れる陽炎は闘気が視覚可能なレベルまで放出されているために現れたものだ。もっとも、これを使いこなせる者は狂描族でも一握りであり、運用可能時間もあまり長くはない。もちろん個人差が大きいが、一分持てば一流とも呼べる程に効率が悪いものだった。
そんなガウラの今までとは明らかに違う雰囲気に、颯真、生稀の両名は困惑の中から漸く抜け出した。我に返ってすぐ視界に入ってきたのは先程までとは比べものにならない程の威圧感を発するガウラ。再び困惑しそうになるも、ガウラの背後で構えている狂描族達の決然とした表情にある程度のことを察する二人。
颯真は頭を痛める。そもそも颯真としては戦う気は微塵もないのだ。先にふっかけてきたのは狂描族達の方であるし、攻撃を回避していただけに過ぎない。とどのつまり、生稀や狂描族達がやる気なだけで、颯真自身は巻き込まれてしまったにすぎないのだ。颯真は生稀に視線を飛ばす。
「……ん。魔法の実践も出来たし……生稀はもういい」
今回は珍しく視線の意図を正しく理解する生稀。その返答は颯真の頭を更に痛めるだけだったが。
要するに「後はあにぃがどうにかして」と。そういうことだろう。どこか満足げに少し遠くで腰を下ろす生稀の態度からも、正しいのだろうと確信する颯真。巻き込まれたあげく事後処理を丸投げされた颯真の心境は語るまでもない。
「な、なぁ?今更だけど……戦う必要があるのか?」
我ながら本当に今更な質問をガウラに投げかけてみる。だがしかし、その返答は拳を以て返された。
そしてその拳は"意志に背く者”の効果中に放たれたもの。当然の如くガウラのあらゆる身体能力は三倍程度に強化されていた。
ついでに言えばその威力は三倍程度のものではない。あらゆる身体能力、すなわち腕力、脚力、俊敏性等全てが三倍なのだから、身体全体を使って繰り出す拳が、三倍程度の威力に収まるはずがないのは当然のことだった。
しかし、そんな"意思に背く者”の効果も知らない颯真に、その一瞬とも言える一撃を躱すことは出来ず、もろに腹部に喰らってしまう。ドゴォォン!と。まるで車同士が正面衝突したような重々しい音が周囲に響く。そしてそのまま吹っ飛ばされる颯真。吹っ飛びざまに視界に入った生稀の呆れ顔に、なんとも微妙な心境の颯真を知ったことかと追随し攻撃を繰り返すガウラ。
しかしそんな怒濤の連撃を喰らっては堪らない颯真は、吹っ飛び続ける身体を、まるで慣性など存在しないかのように地面に力強く両足を踏み込ませ、身体をその場に留まらせる。急停止した颯真に驚きつつもガウラは自分の勢いそのままに大剣を握りしめ斬りかかる。その瞳には殺意以上に焦燥が見て取れた。
颯真はそんなガウラの一太刀を半身で躱し、進行方向に回し蹴りを繰り出す。颯真としては異常に強くなったガウラに防戦一方では埒が明かないと諦めたのだ。しかし颯真は牽制程度になればいいと考えていたのでそれほど力を入れたつもりはなかった。
にもかかわらず、明らかに先程より速いスピードでぶっ飛んだガウラに、颯真はポカンと口を開けて呆けてしまった。そのままガウラはぶっ飛び続け、突き当たりに存在していた簡素な住宅に激突し、その衝撃によって"ガラガラ!”と倒壊するという結果になった。
正しく開いた口が塞がらない颯真。よくよく見ると自分の腹部もまるで無傷だった。音だけ思い返せば内臓破裂も疑えるものだったというのにである。いよいよ自分の身体が人間のそれとどこかずれてしまったことに、人知れず涙していると、倒壊した家の瓦礫が吹っ飛び、ゆったりと立ち上がる険しい表情のガウラの姿があった。
現状に舌打ちするガウラ。彼にとって本命の相手はフゥを良いようにあしらったであろう生稀だった。颯真とて、強者だと認識してはいたが、"意志に背く者”を使用した以上、遅れをとることはないと確信していた。だからこそ、颯真など一撃で沈め、できる限り生稀の足止めに徹する所存だったのだ。フゥには颯真を沈めた時点で「逃げろ」と伝えるつもりであった。生稀の手が空いている内は下手に動かせるべきではないと判断したためだ。
だが現実は大いに違った。一撃で沈める予定の颯真に己の攻撃がまるで通用していないようだったのだ。
これなら多少の危険性は諦めてフゥを初めから逃がすべきだったかと後悔するガウラ。目の前の少年の間抜け面や、どういうわけか観戦するばかりの少女に苛立ちを覚えつつ、震え出す己の足に焦る。その震えは恐怖心からのものではない。"意思に背く者”の持続が困難になってきた為だ。
ガウラはついに決心する。他の狂描族にも参戦してもらうことを。その決断は村長として大いに躊躇われるものだった。当然だろう。村人全員に死ねと伝えるようなものだ。
だが実の所、そんなことを気にする狂描族達ではなかった。自分達ではつけいる隙すら見いだせない程のガウラの戦闘を見ていて、自分自身の実力不足に憤っている者が大半だった。それでも一つの隙でも見逃すものかと、全員が全員必死に観察していたのだから大したものだと言える。
そんな様子に気付いたガウラは僅かに頬を緩める。できすぎた村人も困りものだなぁ……などと。そんなことを人知れず思った。そんなやつらに感謝しつつ、片手を挙げる。
そして「お前達の力を貸してくれ!!」そう言おうと息を大きく吸う。
しかし、次の瞬間に響いた音は…………
"パシュッ"
という……あまりに小さな音。
皆が皆理解できずに困惑する。……が、すぐに理解が追いつく事になる。
"ドサッ!"と。目の前でガウラが前に倒れ込んだのだ。
颯真は一瞬自分の回し蹴りのせいかと自分を責めそうになるも、すぐにそれは打ち止められた。
「いやいやぁ~?全く災難でしたねぇ??冒険者さん~???」
そんな、男とも女ともとれる声が背後から聞こえてきたために。
振り返ると容姿さえ中性的な人物が笑って立っていた。
しかしその眼は一切笑っておらず、その奥に見え隠れする不穏な感情に颯真はおろか生稀でさえ、嫌な予感を感じるのだった。