第53話光のニコニコ顔の催促
「え?」
この事態には、柔道場にいる全員が目を疑った。
あの高校総体全国六位の中村が、受け身も取れずに頭から畳に叩きつけられた。
その上、ほぼ失神、いまだに立ち上がることができない。
「何の技か・・・」
新顧問山下は技の判別が出来ない。
それ程の瞬間の技であった。
「・・・馬鹿者」
坂口がうめいたような声を出した。
「え?」
山下は坂口の反応がよくわからない。
「単なる出足払いだ」
「ただ、本当に一瞬、素晴らしいタイミングだ」
「あんなの、見たことない」
柔道界の超ベテラン、超大物の坂口がガタガタと震えだしている。
光は、中村を助け起こし、春奈先生の所に運んだ。
柔道よりは、運ぶ方が疲れるようだ。
中村の後に光に立ち会った柔道部員三名も全て結果は同じであった。
三名とも、全国大会で三位から五位までの実力者であったけれど、光に触ることすらできなかった。
全て中村と同じように、一瞬の出足払いで頭から畳に叩きつけられてしまう。
光は、中村以降は、倒れた選手を春奈先生のところに運ぶことは免除された。
校長の判断で柔道部員が運ぶことになった。
山下と、坂口は茫然として何も指示ができない。
「仕方がない、僕が行きます」
「みんな油断しただけ」
「光は案外動きが速いかもしれないけれど、それには力で抑え込むのが一番」
「ガチっと固めて、筋を数本もらいましょう」
茫然としている山下の前に、巨漢体重百キロを超えるかと思う斎藤が立った。
全国二位の実力者である。
しかし、あまりの体重差であり、半分程度の体重しかない光の相手としては危険極まりない。
そして、この事態になって、ようやく坂口は、状況の異常さに気がついた。
「斎藤君、確かにな、油断もあるかもしれないが、きっと光君は柔道の天性があるのだと思う」
「しかしな、あまりにも体重が違いすぎる」
「いかに光君に柔道の天性があっても、それは・・・」
坂口はようやく冷静になったようだ。
「それに、ここで、君が光君を投げてどうするんだ」
「これ程の天性を持った光君を育てた方がいい、できれば仲間になってもらって・・・」
坂口は、懸命に斎藤を諭した。
既に山下は茫然として、思考能力が無い。
校長も心配そうに坂口と斎藤のやり取りを見ている。
ところが、光は面倒くさそうな顔をして、声をかけてきた。
「ああ、あと、もう一人ですね」
制服も息も全く乱れていない。
はんなりとした声である。
「大丈夫です。ここまでやったら、早く帰りたいので斎藤さんお願いします」
なんと光から催促をしてきた。
その上、光はニコニコと笑顔である。




