第39話光のショパンノクターンと「え?」
光はまず、ノクターンの第一番を弾き始めた。
第一番は、メランコリックなメロディから始まる。
「ほぉっ・・・」
祥子は光が弾き始めた途端に身体の力が抜けてしまった。
「綺麗・・・」
音も綺麗、指の動きも滑らかで美しい、しかし音楽そのものが、何とも言えない綺麗な情感を湛えている。
「私でも、ショパンをこんなに綺麗に弾けない」
「何故かな、心に沁みてくるノクターンだなあ・・・」
祥子にとって、ショパンのノクターンは単なる「甘ったるい曲集」でしかなかった。
しかし、今目の前で光が弾いているノクターンは、まるで天国のような優雅さと哀愁を帯びている。
それが音楽のプロとしての演奏活動を止め、世知辛い人間関係の教員生活を送る祥子には、無上の癒しに聞こえてくる。
「音楽って、こんなに美しいものだったっけ・・・」
学生の頃は、コンクール上位を目指すための、ミスを絶対に犯さない演奏ばかりを目指してきた。
何とかそれで、上位入賞をして、その後は「美貌」により企業のスポンサーがついて演奏活動を行った。
しかし、年齢とともに、そういう企業後援の演奏会には飽き足らなくなった。
つまり企業後援の演奏会の聴衆は、音楽に詳しい人が集まるわけではなく、「誰でも知っている世界の名曲」を弾かされることが多い・・・というよりはほとんどである。
時には歌謡曲や演歌まで弾かされることもある。
とても自分の弾きたい曲など弾けないのが、現実である。
祥子は、それにどうしても納得がいかず、自分から演奏活動を止め、知人の伝手でこの学園の音楽講師になった。
それ以降は、適当に授業を行い、大して面白くもない教員生活を送って来たのである。
「本当に、いい音楽だなあ」
祥子はショパンを弾き続ける光をうっとりとして見ている。
また、「客席」の生徒たちも同じようである。
特に女子学生たちは、熱い目で光を見つめている。
光はショパンノクターン集を四番まで弾いて楽譜を閉じた。
そして祥子を見た。
何か言いたそうである。
「ああ、光君、素晴らしかった・・・」
祥子は、思わず大拍手である。
そして「客席」の全ての学生から拍手となった。
光は、恥ずかしそうな顔をしている。
「あの・・・」
光は祥子を見上げた。
少し赤い顔になっている。
「ん?」
祥子は光の次の言葉を待つ。
「全然違う曲弾いてもいいですか?」
光は顔を赤らめて聞いてくる。
「うんうん、全然、どうぞどうぞ・・・」
祥子としても大歓迎である。
光のショパンも大好きであるけれど、別の曲を聴けるなど、もっと幸せに思う。
「じゃあ・・・お言葉に甘えて・・・楽譜は要りません」
光は、祥子に少し頭を下げて弾きはじめた。
「え?」
祥子はショパンとは全く異なる音楽に驚いた。
明らかに、弾き方がジャズ。
しかも、エリントンナンバーの「A列車」を弾いている。




