第231話光に抱きしめられる春奈
「そうなると、光君が珈琲豆を挽いている時に、両手がふさがっているから、脇腹くすぐったら面白そうだ」
「そういえば、奈良興福寺の阿修羅って脇腹にスキがある」
いったいどこから、そんな発想に導かれるのかわからないけれど、またしても、どうでもいいことを考えている春奈である。
「でも、今くすぐっても面白いかも」
春奈は、光の脇腹をくすぐりたくなった。
「そうだ、これも光君の心を解放するスキンシップだ、これは大切なことだ」
「あの連中が来ると面倒だから・・・」
春奈は、そう思うと、いてもたってもいられなくなった。
時計の針は既に午前十時をさしている。
「あの異常に朝に強い、耐久力だけは、凄まじい巫女集団だ、ここにその姿を現す前に思いをとげなくては・・・」
脇腹をくすぐることが、どうして「思いをとげる」まで、話が発展するのかわからないが、春奈はソファでぼんやりする光に近づいていく。
「ねえ、ちょっと光君、立ってみて」
春奈は、心の中ではニンマリ、口調は「保健室の先生」風に声をかけた。
「え?何?」
それでも、春奈の意図がわからない光は、ヨロヨロと立ち上がる。
そのヨロヨロさも、春奈としては「付け入るスキ十分」判定、心の中のニンマリ感がアップした。
「それでね、まず両手を横に広げてから、手を前で合わせて、そう阿修羅のポーズね」
だんだん、思いをとげる瞬間が近くなってきた。
春奈は、少しドキドキしている。
「うん、こう?」
光は、言われる通り阿修羅のポーズを取った。
「うん、決まっている」
春奈がますますドキドキするほど光の阿修羅ポーズは決まっているが、目的は別にある。
「えへへ・・・」
ついにチャンス到来である。
ここは、一瞬のタメライも許されない。
何しろタイミング勝負だと思った。
春奈は、一気に光に近づき、脇腹をくすぐってしまう。
「わっ!春奈さん!」
突然のことに光は身体全体を震わせた。
そして前で合わせていた手と腕は、春奈を覆ってしまう。
「やった!大成功!」
春奈は大満足である。
脇腹くすぐりが成功したうえ、光に抱きかかえられた状態になったのである。
既に春奈の顔は真っ赤である。
「突然、どうしたんですか」
光の驚いた声も想定済み、それもうれしかった。
全てがうれしすぎて、何も言うことができない。
今までの心配とか苦労とか、うれしさ故、消え去ってしまった。
「うん、いつもありがとう、春奈さんのこと、大切にします」
光はお礼まで言った。
おどおどとした言い方ではあるが、言葉に心がこもっていた。
春奈の目に突然涙があふれている。
ただ、春奈にとっての幸せな時間もすぐに終わった。
玄関のチャイムが鳴り響いたのである。
途端に明るく元気な少女の声がインタフォン越しに鳴り響く。
「おはようございます、光さん、そして春奈さん」
「早めに駅まで迎えに行ったほうが無難ですよ」
恒例の華奈の大声である。
「・・・まったく、あの小娘、いつでも邪魔ばかり・・・」
「そして春奈さんって言い方が気に入らない、付け足しみたいじゃない・・・」
「あの大声だったらインタフォンいらない」
「あんな子供声だから、合唱部に入れてもらえないの」
様々、ブツブツ文句を言うが玄関には出ない。
そもそも、華奈は合鍵を持っているのに、どうしてインタフォンで騒ぐのか、その無神経さが理解できない。
華奈も心得たもので、結局どんどんリビングに入ってきてしまう。
「さっき華奈ちゃんから連絡があってね、荷物が多いって」
「本当に多いと思う」
「お土産は少なく、自らの荷物は多い状態らしい」
華奈は、いろいろ言いながら、すんなりと光の隣に座ってしまう。
「・・・何のためらいもなく」
春奈は悔しいが、今日は初めて光に抱きかかえられる状態になった。
奈良に最初に行ったときは、春奈が光を「抱きかかえて引きずった」のである。
その変化が偶然とはいえ、うれしくて仕方がない。
「それでね、私もしてもいいかな?」
華奈は意味不明なことを言い出した。
光キョトンとしている。
「ほら、とぼけない、春奈さんには許して私には許さないの?」
「ねえ、まず脇腹」
「そしてその後ぎゅっと」
華奈は、真顔になっている。




