第178話鎌倉散歩(1)
そんな危なくなりつつある生活のまま、十月になった。
光の顔は蒼さを増してはいるが、まだ身体がふらつく様子はない。
そして今日は土曜日で学校も練習もないので余裕がある。
そのためか、少しは落ち着いて朝食を食べている。
「ねえ、光君、たまには気分転換しようか」
春奈は、光に声をかけた。
春奈としては、光の切羽詰まった表情を心配していたし、少しでも気分転換は必要と考えたのである。
「うーん・・・そうだねえ・・・」
久しぶりに光は笑った。
「どこか、行きたいなあ・・・」
これも久しぶりの、光からの積極的な言葉である。
「うん、どこか行こうよ、どこがいい?」
春奈はチャンスと考えた。
どこかに出かけることによって、少しでも光のストレスを和らげたかった。
「あまり、大都会は行きたくないけれど・・・」
光は少し考えている。
そうなると自然豊かな場所かと思うが、春奈はじっと光の応えを待つ。
「うん、少し遠いけれど、鎌倉がいいな」
「北鎌倉で降りて円覚寺、明月院、建長寺とか、小町も歩きたい」
光の口から、少し意外な場所が出て来た。
「へえ・・・鎌倉ねえ・・・」
実は春奈は、鎌倉にそれほど詳しくない。
都内に大学生の時から住んでいたが、いつも出かけるのは、銀座、新宿、渋谷、吉祥寺などの大都会である。
鎌倉については、鳩サブレー以外の知識はない。
「ねえ、光君、案内して」
「行ったことないから、よくわからないの」
春奈は、うれしくなった。
そして、このことは今決まったばかりである。
どんどん話をすすめて、「小娘華奈」やルシェールを出し抜く算段を考えている。
「でも、案外歩くよ、歩きやすい靴でね」
光が一応、行程の長さを言うが、気にしない。
「まだ、二十五だもの、全然問題ないさ、決まったら早く行こう」
年齢はともかく、既に時計は八時半に近づいている。
「出し抜き計画ギリギリ」の時間と判断したのである。
しかし「出し抜き計画」は、次の瞬間あっけなく破たんを迎えた。
玄関のチャイムが鳴り響いたのである。
出る必要もない、華奈以外には考えられないと考えた。
そして予想通り、華奈が入って来た。
ただ、予想外だったのは、華奈に加えてルシェールがいたことである。
「あら・・・ルシェールまで」
春奈としても、ルシェールには、一目置いている。
「ああ、光さんのこと、少し心配になって、手助けに来ました」ルシェール
「うん、ありがとう、でもね、これから、これから出かけるんだけど・・・」春奈
「え?どこに?」華奈
「大人の街、鎌倉」
春奈は、「大人の街」表現で特に華奈に牽制をした。
無駄だと思ったが、牽制くらいはしようと思った。
しかし、まさに無駄だった。
「へえ・・・行きましょう!」ルシェール
「わーい、鳩サブレーだ!」華奈
結局、いつもの四人組になった。
華奈の鳩サブレー反応も、春奈と大差はない。
光家を八時半過ぎに出て、井の頭線で渋谷、その後はJRで品川まで山手線、品川からは横須賀線で北鎌倉に到着した。およそ一時間半の行程だった。
車内では、当初は四人とも適度に話を交わすぐらい、さすがの華奈も大人しい。
「ねえ、華奈ちゃんってさ・・・黙っていると可愛いね」ルシェール
「そう?おなか減っているだけとかさ」春奈
「そんなことはありません、うまれつき、おしとやかでございます」華奈
「ふーん」ルシェール
「座禅とかしたことある?」春奈
「まさか、じっとしているのは無理」華奈
「そうかあ・・・残念」ルシェール
「大人の街は、ちょっと早かったかな」春奈
「意味が分からないんですけど・・・さっきから」華奈
「ああ、私たち座禅に挑戦するかも」ルシェール
「うん、無理だったら、どこかに行ってブランコに乗っていていいよ」春奈
「・・・なんか・・・まるっきり子供扱いしていませんか?」華奈
「うん、しているよ」ルシェール
「まだ、子供だしさ」春奈
「じゃあ光さんが座禅なんかするわけないから、私は光さんとブランコするかな」華奈
「どうして、いつも、そう簡単に決めつけるの?」春奈
「え?」華奈
「光君が知りあいのお寺あるって、さっき電話していたの」ルシェール
「座禅の話は光君からだもの、無と空の境地に遊ぶのさ・・・いいなあ・・・」ルシェール
「・・・それなら仕方がない、この華奈姫も御仏と対話をいたしましょう」華奈
「足がしびれても自分で立ってね」ルシェール
ひそやかな攻防戦を繰り広げたルシェール、春奈、華奈は結局三人とも座禅の後、「足がしびれて」と言って光に助け起こされることになった。
ただ、三人とも故意の可能性が高かった。




