第176話世界の大指揮者と光
光が放課後、校長室に入ると既に初老の紳士がソファに座っていた。
初老の紳士の隣には、夏のコンサート以来、付き合いがあるヴァイオリニストの晃子もいる。
「光です、よろしくお願いします」
光にしては、キチンとあいさつをして、紳士と晃子の前に座る。
光の隣には校長が座った。
「君もよく知っているだろう、小沢先生だ」
校長は、言われるまでも無い世界的な超有名指揮者の小沢氏を光に紹介した。
晃子もにっこりと頷いている。
「はい・・・よく・・・」
光は、慎重に頭を下げる。
ただ、緊張はしていない、少し笑っている。
ほっとしたような顔にも見える。
「ああ、本当に大きくなった、でもね、少しまだ細いな、もっと食べないと」
「それで、今日はこちらから、お願いさ」
小沢も笑っている。
どうやら、旧知の関係のようだ。
「あ・・・はい・・・ところで、お願いとはなんでしょう」
光もよくわからないので、率直に尋ねる。
「ああ、ストレートに言うとね、光君に私の音大に来てほしいのさ」
「夏のコンサートで君の才能と将来性は確信した」
「それで推薦状は既に私が書いた、学長も了承済みでね、あとは君次第」
小沢は、光を笑顔で見ている。
「・・・あ・・・はい、大変光栄なお話で・・・」
「ただ、今急に聞いた話ですので、一応父にも相談をいたします」
光は、慎重に言葉を選んだ。
光としても、音楽大学の高い授業料や進学費用のことは、承知している。
それに、今後音楽の道に進むことをしっかりと決めたわけではない。
そのため、慎重に言葉を選ぶのは、当たり前である。
顔が少し赤くなっている。
校長は、全く表情を変えない。
笑顔で見ているだけである。
ただ、小沢と晃子は、少し首をかしげている。
「光君、さっき先生が話されたようにね、あとは光君の結論だけ」
晃子が光の理解できないことを言った。
「え?」
光が驚いて晃子の顔を見る。
「ああ、光君のお父さん、史さんには、もうお願いしたよ、だから君だけだよ」
小沢は、突然信じがたいことを言い出した。
「・・・全く意味がわからないのですが・・・」
少なくとも、父からは何も聞いていないのである。
「え?聞いていないの?」
光の反応に晃子が今度は驚いた。
「・・・はい・・・」
光は、素直に応える。
「おかしいなあ・・・史さん、携帯に電話するって言っていたなあ」
小沢氏も首をかしげる。
「あ・・・光君、スマホ貸して・・・」
晃子が突然、光のスマホを取った。
「もーーー、着信多すぎ・・・」
ブツブツ言いながら、光のスマホをいじっている。
「・・・それに、私にもそうだけど、他の人にも何も返していないでしょ・・・」
「そういうところが、みんなからいい加減って言われるの!」
文句まで言い出している。
既に小沢氏と校長が、蒼い顔になるほど、晃子の怒りが顔に出ている。
「ほら!留守電あるじゃない!」
晃子は光の了承を得るなど関係なく、留守電を再生してしまう。
「ああ、光か、ちゃんと電話出なさい」
「古くからの知りあいの小沢さん、家にもよく来ただろう、彼からお前の音大入りをすすめられた」
「お父さんは、OKだから、あとはお前が決めなさい」
留守電はそこで終わっている。
まさに親子、単純極まりない伝言である。
「・・・史さんらしいな、単純明快」
小沢氏が笑っている。
「お父さんの史さんとはね、芸大で一緒だった」
「史さんは、美術でね、よく一緒に飲んだものさ」
「それに君の音楽性は、菜穂子さん譲りかな、似たところがある」
「とにかく史さんは、本当に光君のこと、心配していたぞ」
小沢氏は、少し真顔になった。
「そうだったんだ・・・だから、あとは光君だけだね」
やっと経緯が飲み込めた校長が光の肩をたたいた。
「あ・・・はい・・・」
「わかりました、お願いします」
光は、承諾してしまった。
ただ、いつものように、考えることが面倒だったのかもしれない。




