第161話母親たちの口の悪さ、光の心の傷
食事を終えて光だけが教会に残った。
日本人女性五人はそれぞれ帰宅の道を歩く。
「何か難しいこと言っていたね」楓
「英語もわからないくせにアラム語って何?」華奈
「・・・うーん・・・」圭子
「・・・ほんとにねえ・・・すごかった」美紀
「ナタリーに教わろうかなあ・・・」春奈
「難しいよ、そんなの」楓
「無理無理、物事には順番がある、ナタリーだって知らないと思うよ・・・」華奈
「え?」圭子
「華奈、何言っているの?」美紀
「え?アラム語じゃないの?」楓
「あはは!」圭子
「違うって!」美紀
「気を回し過ぎ」春奈
「だから、春奈ちゃんが習いたいのはね」圭子
「うん・・・」楓
「あのフランス料理だよ、光君よく食べていたでしょ」美紀
「外人対抗体力作りさ、悔しいけれどよく食べた」圭子
「確かにルシェールは、華奈なんか及びもつかない美人だ、それも良かったのかな」美紀
「料理の上だと楓なんか、まだまだ子供、ルシェールの足元にも及ばない」圭子
「そんなこといったら、華奈なんか哺乳瓶」美紀
母親たちの口の悪さと冷酷さに、完敗しながら楓と華奈は歩く以外はない。
「でも、光君大丈夫かな」春奈
「ああ、教会に残ったこと?大丈夫さ」圭子
「一本道だし、迷子にならない」美紀
「うん、そこまでアホじゃない」圭子
「迎えに行ってやるんだ」楓
「無神経な親を出し抜こう」華奈
ここに、夏以来久しぶりに楓と華奈の協調体制が出来上がった。
その後、美紀と華奈は奈良町の祖父母の家に泊まるため、一旦別れた。
春奈は、圭子と楓と別れて、久しぶりに実家に帰った。
「ただいま・・・」
春奈とて、懐かしい実家である。
今回は母美智子に、どうしても聞きたいことがあった。
つまり、光の父から聞いた「春奈さんのお母さんに大変お世話になった」ことの、内容を知りたいと思ったのである。
「ねえ、母さん・・・」
この問いかけも懐かしいものである。
ずっと光を支えてきた疲れも、消えている。
「ふーん、あの光君のお世話をねえ・・・」
春奈の母、美智子は、驚いている。
美智子は奈良の市立病院で内科の医師を続けてきた。
春奈は、その母の影響で、保健師の仕事を選んだ。
「え?母さん、光君知っているの?」
春奈は驚いた。
母美智子の口から、「あの光君」との表現が出たためである。
「いや知っているも何もね、あの子のお母さん、看取ったのは私だもの」
「今から六年前かな、光君のお父さんの史さんから携帯に緊急連絡が入ってね」
「私も、本当にたまたま都内にいたの」
「それで、圭子さんと、美紀さん、ナタリーも奈良から呼び出したの」
美智子は涙ぐんだ。
「でも、無理だった、もともと、菜穂子さん、心臓弱かったし、無理していたし・・・」
「ピアノの前で倒れていて・・・その前で光君大泣きになっていてさ・・・」
「それでも少しだけ息も意識もあったから、様子見ていたけれど・・・」
「動かすのも難しくて・・・救急車はなかなか来ない」
「結局奈良から、圭子さんと美紀さん、ナタリーが来て、ほんの数分後・・・」
美智子は大泣きになった。
「私・・・それ知らなかった・・・」
春奈は、母の顔を見た。
「ああ、その時春奈は、修学旅行中だった、九州に、だからあえて言わなかった」美智子
「そうだったんだ・・・」
春奈は、ようやく光の父の言葉が理解できた。
それと同時に、母美智子と、圭子、美紀、ナタリーの古くからの関係も把握したのである。
「それでどう?光君・・・少しは笑う?」
美智子は心配そうな顔である。
「うーん・・・ぼんやりしている、なかなか笑わないかな、食も細い」
「一緒に住んでいるけれど、ヤキモキすることも多い」
春奈は、素直に白状する。この母に嘘を言っても仕方がない。
「ああ、光君ね、きっと心を閉ざしていると思う」
「史さんから、時々電話が来てね、全く涙も笑顔を見せなくなったって嘆いている」
「おそらくね、まだお母さんの死が心の傷になっている」
「一番多感な時期だったしね、史さんは出張がちで家にいないし、心を打ち明けられる人がいなかった」
「あの子の心、溶かせられる人って・・・いるかなあ・・・」
美智子は考え込んでいる。
春奈は、母菜穂子の部屋を、塵一つもなく掃除する光の姿を思い出している。




