第101話開演直前の光
それでも何とか着替えを終え、光は華奈と渋谷のコンサート会場に向かった。
光と華奈が、会場に着くと、既にほとんどの部員が練習をしている。
「まったく、朝起きることも、着替えもちゃんとできない」
「本当に世話がやける」
華奈はブツブツ文句をいいながら、なかなか光の腕を離さない。
少し遅れて祥子と晃子が会場に入って来た。
「今日はよろしくお願いします」
光にしては珍しく、しっかり挨拶をする。
光は挨拶をしながら華奈の腕をほどこうとするけれど、華奈は離れようとしない。
「あの・・・」
さすがの光もこれには困った。
華奈が腕を離してくれなければ、練習どころではない。
祥子先生と晃子と打ち合わせもやりづらい。
「華奈さん、大丈夫だから」
晃子もあきれて声をかける。
祥子先生も笑っている。
「本当に大丈夫ですね」
「これ以上、光さんに変なことしないでください」
華奈は、真っ赤になっている。
つまり華奈にとって晃子は、未だに「魔女」、それも光を危険な目に誘い込んだ魔女なのである。
「まあまあ・・・」
顔を真っ赤にする華奈に声がかけられた。
校長先生である。
隣に「タクシー運転手」だった刑事と坂口が立っている。
「まあ、華奈さんの心配を、少しでも減らすためにね」
「この会場の周囲は全て警察と機動隊が警護している」
「会場の中は、我が校自慢の柔道部員が目を光らせているから、安全面は心配ないよ」
「それと坂口さんと柔道部顧問には、舞台の袖にいてもらうから、より安全かな」
校長の言葉で、ホール内を見ると、確かに柔道部員があちこちに立っている。
光と同級生の野村や、巨漢の斎藤の姿も見える。
「・・・そうですね・・・」
校長にそこまで言われてしまうと、華奈としても一応は納得した。
しかし、華奈にとっての心配はもう一つ別にある。
コンサートの安全警護だけではない。
晃子による「光の誘惑」が、本当に心配になる。
しかし、面前で、そんなことは、なかなか言えない。
華奈は、渋々ながら、ようやく光から腕を離した。
リハーサルも無事終了し、コンサートの開演三十分前になった。
ホールは、既に満員。
学園の学生、教員の他に、理事や校長の招待した大学教授が見える。
また、晃子の関係で多くのプロ演奏家や音大生が座っている。
また、最前列には、楓、圭子、春奈の顔が見えている。
「少しは緊張してきた?」
祥子は、ステージの袖口から会場を見ている光に背中から声をかけた。
何しろ、高校生の音楽部としては豪華過ぎるほどの名門ホール。
それに、光にとって、多くの聴衆の前での初めての指揮になる。
多少の緊張はあるだろう、それを少しでも和らげるのが、顧問としての仕事と思っている。
「え?」
相変わらずぼんやりとした声で光が応えた。
そして祥子先生にゆっくりと向き直った。
「特に・・・たくさん入って良かったなあと」
いつもの弱々しい話し方である。
話の中身も例によって「月並み」である。
それでも、真っ直ぐに祥子の顔を見ている。
「え・・・あ・・・・」
祥子は、それ以上光に声をかけることが出来なかった。
光を見て、ドキッとしてしまった。
何も言わない祥子を見て、光はまた袖口から会場を見ている。
「・・・なんか・・・スーツ姿の光君って・・・かっこいい」
「というか、艶めかしい・・・」
「もともと美形で・・・髪の毛もそれ程きめているわけじゃないんだけど」
「やだ・・・これやばい・・・」
「晃子だけじゃないよ・・・私がドキドキしてきちゃった」
この時点で祥子は光から、全く目を離せなくなった。




