六等星の夜
お久しぶりです。多分4年ぐらい投稿していませんでした。
連載している方を先に書けよといった感じですが、短篇から少しずつこちらに復帰しようと思います。
かじかむ手に白い息を吐き掛け、満天の星を見上げる。
冬は好きだ。冬の夜空は澄み渡っているから、星が綺麗に見える。だからだろうか。星は、一年を通して見ることが出来るけれど、冬の星空は格別に思えるのだ。
ノートに記録を付ける訳でも、天体望遠鏡で星を観察する訳でもない。毎晩、自分の部屋のベランダから星を見るのが、僕の日課だった。
体が冷えないようにと、母が作ってくれたホットココアを飲みながら、僕は今日も星を見る。雲一つない夜空。最近は曇りの日が続いていたから、晴れてくれたのは純粋に嬉しい。夜空が晴れている、なんて、おかしな言い方かもしれないけれど。
「――あれ?」
だけど、どうしてだろうか。星の見え方に違和を感じた。いつもより、見える星が少ないのだ。僕の家は四方を木で囲まれていて、星を見るのに邪魔になる街灯のような光源はないはずなのだ。疑問に思って、周囲を見渡す。すると、僕から見て右の方、つまり西の方角にその答えはあった。
明かりが一つもない真っ暗な森の中でただ一ヵ所、湖がある場所が、青白く光り輝いていた。
両親に気付かれないようにこっそり家から出て、ベランダから見えた光の方へと歩く。普段はランタンがないと暗くて滅多に歩けない夜道も、今日は違った。湖の方へ近付くごとにどんどん光は強くなっていく。
林を抜けて湖に着くと、そこには、
「……人?」
湖のほとりに座り込む、一人の女の子がいた。
こんな夜中にどうして一人で、なんて当たり前の疑問が浮かぶよりもまず、僕は真っ先に自分の目を疑った。
湖の周りを青白く染めている光。その光が、女の子自身から発せられているように見えたからだ。
どうすべきか迷う。多分、いやどう考えても、あの子は人じゃない。好奇心でここまで来てしまったけど、関わらないほうがいいのかもしれない。
このまま家に帰って、今日のことは忘れてしまおう。そう思って、女の子に背を向けようとする。だけどそのとき、ずっと俯いていた女の子がふと空を見上げ、髪に隠れていた横顔が見えた。その横顔は、なんだかとても悲しそうだった。
「こんなところで何してるの?」
気付くと、僕は女の子に声をかけていた。
女の子は、声をかけられたことに驚いて僕を見ると、また目線を下へと向けてしまう。もう一度声をかけよおうか迷っていると、
「……落ちちゃったの」
女の子が、ぽつりとそう呟いた。
「落ちたって……、どこから?」
「…………」
「家には帰らないの?」
「…………」
「なんなら、送ってくよ?」
「…………」
女の子は、だんまりを決めこんでいた。
結局、その後何度話しかけても、女の子は何も喋ってくれなかった。夜が明けるまで一緒にいる訳にもいかず、女の子を置いて、僕は一人で家に帰るしかなかった。
次の日の夜も、女の子は昨日と同じ場所にいた。湖のほとりで、足を水に浸けた状態で座っていた。
「こんばんは」
「…………」
「もしかして、ずっとここにいたの?」
「…………」
女の子は、今日も喋ってくれそうになかった。僕を見ようともせず、ただじっと水面を見つめていた。
「ねえ、知ってる? 冬は、一年の内で、一番星が綺麗に見える季節なんだ」
「――え?」
「冬は風が強いでしょ? だから、空にあるゴミが風に飛ばされてなくなって、星が綺麗に見えるんだ」
「……星、好きなの?」
「うん、好きだよ。お父さんが天文学者でさ。小さい頃に、よく一緒に星を見に行ったんだ。――ほら、あそこ」
星空の或る場所を指差して、言葉を続ける。
「星が三つ、等間隔に並んでるところがあるよね? そこを中心に、砂時計みたいな形に見える星座が、オリオン座。砂時計の左端にある星がベテルギウスって名前で、ベテルギウスの左と左下にある大きい星をつないだのが、冬の大三角なんだ。左の星はプロキオン、左下の星はシリウス シリウスからプロキオンの方へ、曲線を描くように上へ上へと目を移していくと、カストルとポルックスっていう、ふたご座の星と、ぎょしゃ座のカペラが見つかる。そこから、オリオン座に戻るように緩やかに曲線を描くと、最後はおうし座のアルデバランに辿り着く」
ここで一息。ついでに女の子を見ると、何故か泣きそうな顔で夜空を見上げていた。
「冬の星座はよく見えるし、分かりやすいから好きなんだけど、一番の理由は別にあってさ。――プレアデス星団があるからなんだ」
このとき、
「――――」
女の子が、は、と息を呑む音がした。心なしか、プレアデス星団という言葉に反応したように見えた。
「アルデバランの右上の方にある、星が何個も集まってるのが、プレアデス星団。肉眼だと、六個か七個しか見えないんだけど、実際は数十個の星の集まりなんだって。――僕の名前の由来の星なんだ」
「――名前?」
「そう。プレアデス星団の和名が、僕の名前なんだ。僕はスバル。君の名前は?」
「私は……アステローぺ」
「アステローぺ? 確か、プレアデス星団の星の一つだよ、それ」
「うん、知ってる」
「なんか、すごいなあ。僕たち、プレアデス星団でつながってる。運命だよ」
その言葉に、アステローぺはくすくすと笑った。彼女との距離が少し縮まった気がした。
「ね、また明日来てもいい?」
「来てくれるなら、嬉しいけど……。でも、いいの?」
「もちろん。僕がそうしたくてするんだから」
そう言うと、彼女は笑みを浮かべた。花が綻ぶような笑顔だった。
「こんばんは。今日はホットチョコレート持ってきたよ」
「ほっとちょこれーと?」
「チョコレートっていうお菓子を、溶かして作った飲み物だよ。牛乳と生クリームも入ってる」
「へえ……。あ、美味しい」
「よかった。マシュマロも持ってきたから食べて」
アステローペと出会ってから、二週間が経とうとしていた。この間に、僕たちはいろんなことを話した。家族のこと、友達のこと、学校のこと、授業のこと。大抵僕が話してばかりで、アステローペは聞き役に徹していることが多かったけど、彼女はそれだけで嬉しそうだった。
アステローぺが自分のことを喋ってくれたのは、家族のことだけだった。両親と六人の姉妹がいること。姉妹とは仲がよけてよく一緒に遊んでいたこと。今は、見つけてすらもらえないこと。
「スバル、星にも寿命があるっていうのは知ってる?」
ホットチョコレートを飲み終えてからしばらくして、アステローペは、唐突にこんなことを聞いてきた。
「うん。知ってるよ。星は、中心部で核融合反応を起こすことで輝いてる。その燃料の水素がなくなると、光り続けることが出来なくなって、最後には爆発する。これが星の死だ」
そういえば、
「二週間前、プレアデス星団の星の一つが消えたんだ。父さんなんかは、死を迎えたんじゃないかっていってる。その星の名前は……」
「「アステローぺ」」
「やっぱり、気付いてたんだ」
「まあ、星には詳しいから。でも、まだ死んでない」
「そう。でも、もう終わり。多分、今日私は死ぬ」
アステローぺは泣いていなかった。
「私、家族に見てもらえなくて、夜になっても誰にも見つけてもらえなくて、一人ぼっちで。――ずっと、寂しかった。だから、足を滑らせて下に落ちちゃったとき、ああ私は結局誰にも見てもらえないまま、一人で死ぬんだって。そうなる運命なんだって。そう思った。
だけど、君は私を見つけてくれた」
スバルに会えてよかった。そう言うと、アステローぺは立ち上がり、湖へと入っていく。彼女が足を進めるたび、水が蒸発してなくなっていく。死の瞬間が近づいているのだと分かり、僕は思わず叫んだ。
「僕も! アステローぺに会えてよかった!」
アステローぺは、僕の方を振り向いて、笑みを浮かべる。光が彼女を包んでいく。その眩しさに思わず目をつむる中、彼女の最後の声が聞こえた。
「こんなちっぽけで、輝けない私のことを見つけてくれて、ありがとう!」
光のおさまりを感じておそるおそる目を開けると、そこにアステローぺの姿はなかった。青白い光の残滓が、蛍のように飛び交っている。彼女と出会って、共に過ごした時間をずっと覚えていよう。僕は、暗い森の中、そう自分に誓った。
※あらすじにもありますが、大学のサークルの文芸誌に載せたものをそのままあげています。サークル名や文芸誌の名前を出すと、個人を特定される可能性があるので伏せています。ご了承ください。
ここでは、解説も交えつつ、制作秘話でも語ろうと思います。「星」という文芸誌のテーマで書いたお話ですが、構想自体はだいぶ前からありました。タイトルから察した方もいるかもしれませんが、「六等星の夜」という曲を聴いて浮かんだ話です。「こんなちいさな星座なのに ココにいたこと 気付いてくれて ありがとう」という歌詞が本当に大好きで、いつか小説に活かしたいと考えていました。終盤のアステローペの台詞が正にそれですね。
プレアデス星団には実際アステローペという名前の星があります。これは、プレアデス星団の由来であるプレイアデス(ギリシア神話に登場する七人姉妹)の中に、ステロぺーもしくはアステロペーという名前の人物からきています。なぜアステロペーを選んだのかというと、プレアデス星団の等級(ようは地上から見える星の明るさです)で一番下にいたのがそれだったからです。本当は、アステローペⅠとアステローペⅡの二つあるんですが、七姉妹の中で暗い星には変わらないので、そのまま名前を選びました。
星の寿命については、作中でスバルが述べていますが、実際には質量が大きいものほど寿命は短く、質量が小さいものほど寿命が長いそうなので、アステロペーが他の星より寿命を迎えるかは怪しいところです。まあ小説なのでそこは見逃してください……。またアステローペの最後ですが、爆発して消えてしまう=大量の熱を出す、という解釈で書きました。終始湖に足を突っ込んでいたのは、自分の熱を冷ますためです。
この話、後輩からは続きをくださいと言われましたが、このお話はここで終わりだと思っているので、続きはどう頑張っても生まれません。それでも続きが読みたいという方は、ご自身の想像で補ってください。
さて、長々と書き連ねてしまいましたが、一応今後の予定としては、短篇をあげつつ、連載の方も何とか終わらせようと考えています。ここまで読んでくださった方の中で、遅筆な作者にお付き合いいただける方がいらっしゃったら幸いです。それでは、また次の作品でお会いしましょう。