〈ゲートキーパー〉17
「カムイッ!」
カムイが空中に放り投げられたのを見て、呉羽は反射的に飛び出した。それを見てルペもあとに続く。しかしすぐに、〈魔泉〉から生え出た無数の腕が彼女達の進路を妨げる。呉羽は苛立たしげに愛刀【草薙剣/天叢雲剣】を振りぬいた。
「邪魔だぁぁぁああああ!!」
撒き散らされた紫電が、迫り来る無数の腕を次々に焼き払う。荒れ狂う雷は、彼女の内心を如実に表している。しかし腕は次から次へと、まさに際限なく生え出ては彼女へと殺到した。
「ちっ……!」
呉羽は舌打ちを漏らした。このままでは埒が明かない。そう思い、彼女は周囲を焼き払って空白地帯を作ると、素早く上空へと跳躍した。幾つかの腕がその後を追うが、ルペがそれを射抜いて呉羽を援護する。
上空に上がった呉羽は、しかし自分が遅かったことを思い知らされた。彼女が見るその先で、カムイは無数の腕によって奈落の底へと引きずり込まれていったのである。その瞬間、彼女の顔から血の気が引いた。
「カムイ……? カムイッ、カムイィィィィイイイイ!!」
呉羽の周囲で紫電が乱舞する。目の前の出来事がショックすぎて、魔力と【黄龍の神武具】の制御が甘くなったのだ。そして彼女は紫電を引き連れて、群がる多数の腕を焼き払いながら、カムイが引きずり込まれた場所へと向かった。
しかし忘れてはいけない。そこはつまり〈魔泉〉なのだ。傍から見れば、呉羽は〈魔泉〉に飛び込もうとしているようにしか見えない。カムイを助けたいのだと言うことは分かる。だが二次被害を防ぐためにも、それをさせるわけには行かなかった。
「クレハッ、ダメ!!」
呉羽が纏う紫電をものともせず、ルペは後ろから抱き着いて彼女を羽交い絞めにした。そして黄金の翼をはためかせ、一気に上空へと退避する。そんな二人をイスメルが援護した。
「ルペ、離してっ!」
「ダメ、離さないっ!」
涙ながらの懇願を、ルペは心を鬼にして退けた。相変わらず呉羽の周囲には紫電が撒き散らされていて、それはルペのことも容赦なく焼いている。しかし彼女はそれにまったく構わず、ただ一心に【HOME】へ向かって飛んだ。
「いやぁぁぁぁあああああ!!?」
呉羽が悲鳴を上げる。そしてそれっきり、彼女は意識を失った。大きすぎるショックと魔力切れが重なったのだ。彼女の目じりからは、透明な筋が流れ落ちていた。
さて、ルペが呉羽を連れて後退すると、突然七つの魔法陣が〈魔泉〉を取り囲んだ。六つが側面を取り囲み、最後の一つが蓋をするように天井を抑えている。中で〈ゲートキーパー〉が暴れているが、どうも出られないらしい。「どうやら拘束用の祭儀術式らしい」と当りをつけ、イスメルは一旦距離を取った。
彼女のその推測は当っていた。七つの魔法陣は確かに拘束用の祭儀術式であり、それを使ったのはもちろんキュリアズだった。
カムイが空中に放り出された様子は、丘の上からも見ることができた。それだけ半身像が巨大だったのである。そして彼が〈魔泉〉に墜ちたとき、キュリアズは冷静な彼女にしては珍しく苦渋に満ちた表情を浮かべ唇の端を噛み切った。
彼女は職業軍人だ。仲間が死ぬところなど、これまで数え切れないくらい見てきた。だが今回、カムイはたぶん死なずに済んだはずなのだ。キュリアズがきちんと〈ゲートキーパー〉を仕留めていれば。
(私の責任だ……!)
自分を責めるキュリアズの視線の先、〈魔泉〉の周辺で紫電が光る。呉羽だ、と彼女は直感した。そして同時に焦る。彼女は良くも悪くも真っ直ぐだ。カムイを追って〈魔泉〉に飛び込みかねない。
しかしその懸念は外れた。呉羽のものと思しき紫電は徐々に〈魔泉〉から遠ざかり、そしてピタリと消えた。その瞬間を見計らい、キュリアズは一つの祭儀術式を発動させた。
「囲い、括り、閉じ込めろ、【ラプラスの棺】!」
それは、かつてキュリアズの世界に暗雲をもたらした暗黒邪龍を、三日三晩拘束したという祭儀術式だ。内側からだけでなく外側からも手出しが出来なくなるので今まで使わなかったが、こうなればもう撤退以外の選択肢はあり得ない。となれば時間稼ぎのためにこれ以上のモノはない、はずだった。
「ギィィィイイイイイ!」
〈ゲートキーパー〉が苛立たしげな声を上げた。そして棺の側面の三箇所へ、六本の腕を二本ずつ突き立てて力を込める。それはまるで開かずの扉を無理やりこじ開けようとしているかのようだった。
まさか、とキュリアズは嫌な予感を覚えた。背中を冷や汗が伝う。そして嫌な予感ほど良く当るもの。彼女の目の前で、棺に巨大なヒビが入った。
「ギィィィイイイイイ!」
〈ゲートキーパー〉の雄叫びと共に、【ラプラスの棺】は砕け散った。それを見てキュリアズは「あり得ない……」とうめき声を漏らす。棺と一緒に自分の自信までも砕け散ってしまったかのように彼女は感じた。
しかしキュリアズには自失呆然とする時間は与えられなかった。〈ゲートキーパー〉が【ラプラスの棺】を砕いたその次の瞬間、またしても戦況が大きく動いたのだ。それもその場にいた誰もが、それこそ〈ゲートキーパー〉さえも思っても見なかった方向へ。
「なんだ、あれは……」
デリウスがそう呟く。声に出したのは彼だけだったが、似たようなことはメンバーの全員が思っていた。
――――〈魔泉〉から白い光が、まるで霧のように噴出している。
目の前の光景を一言で表現するなら、そうなる。その光を見て、カレンはふと「カムイの白夜叉に似ているな」と思った。
― ‡ ―
そこは、ヘンな場所だった。上下の感覚はなく、しかし落ちていることは分かる。明るいようで暗く、また暗いようでいて明るい。一瞬しか経っていないようで、無限を経たようにも思う。普通じゃないことは分かるのだが、ここにいると何が普通なのかさえよく分からなくなる。
身体の感覚は、一応ある。けれども動いているのかは分からない。加えて言うのなら、動いたところで何か意味があるのか、それさえも分からない。声を出したつもりでも、耳はそのことに気付かない。
まるであの頃みたいだな、とカムイは思った。つまり植物状態と思われ、しかし意識はある状態で病院のベッドの上にいた、あの頃だ。自分の意識しか確かなものがないこの場所は、あの病院のベッドの上を思い出させる。
(死ねない。まだ死ねない……)
あの頃はいっそ死にたいと思っていた。絶望し、死にたくても死ねなくて、誰か殺してくれと毎日心の中で叫んでいた。けれども今、あの頃を思い出す状況におかれて、それでも死ねないと思っている。その変化に、カムイ自身は気付く余裕がなかった。
(死ねない……、死ねないんだ……!)
意志は力になる。程度の差こそあれ、だいたいどの世界においても、この言葉は真理だ。そしてカムイは知らなかったことだが、ここは意志こそが力になる、そういう場所だった。だから「死ねない」という彼の気持ちが、そのまま彼を死なせない力となっている。そしてそれが生きる光明を呼び寄せた。
「ああ、まだ生きているのか。じゃあ、ほいっと……」
そんな声が聞こえたかと思うと、まったく不意にカムイの身体が急浮上した。そして目の前が真っ白になったかと思うと、突然上下の感覚が復活した。同時に、息をしようとしてむせる。水を飲んでしまったのだ。混乱して手をバタつかせ、足が付くと同時に身体を起こす。
「プハッ、ハァハァハァ……」
呼吸が出来るようになり、カムイは空気を求めて荒い息を繰り返した。酸素が足りてくると、ようやく彼は自分が水の中に立っていることを理解する。今は水面から顔を出しているが、つまりさっきまでは完全に水の中にいたのだ。
(一体、何が……?)
カムイは訳が分からずに立ち尽くした。異常事態だということは分かるが、どう異常なのかうまく言葉にできない。混乱する彼に、後ろから笑いを含んだ声がかけられた。
「やあ、水も滴るいい男じゃないか」
「え……? あ、え……?」
混乱したままカムイが振り返ると、そこにいたのは青味がかった銀髪を持つ男だった。知らない顔で、多分初めて会うのだろう。そのせいか彼の姿を見ても、カムイはまだ何がなんだかよく分からない。ただぼんやりと、銀髪の男を見続けた。
「とりあえず上がったらどうだい? 話をするにしても、それじゃあアレだろう」
そう言われて初めて、カムイはようやく動き出した。「あ、はい……」と返事をして、バシャバシャと水音を立てながらゆっくりと歩く。そうやって身体を動かすと、少しだけ頭も動き出す。濡れて体に張り付いた衣服がちょっと気持ち悪いな、と彼は思った。
歩きながら、辺りを見渡す。どうやらカムイがいるのは、小さな湖らしい。その湖の真ん中には、立派な樹が一本鎮座していた。樹齢は数百年以上なのだろうが、瑞々しいまでの生命力に満ちている。
さらに周囲を見渡せば、彼の目に映るのは大自然だ。水は濁りなく透明。木々や草花は青々と生い茂り、空は青く雲は白い。空気はわずかに薫香を含み、ほのかに甘いような気さえする。耳に届くのは、水のせせらぎ、木の葉のざわめき、小鳥のさえずり。ここには命が満ちている。
すっかり見慣れてしまっていたあの世界とは、瘴気にまみれた灰色のあの世界とは、比べるのもおこがましいほどの差だ。カムイが呆然としつつこう呟いたのも、無理からぬことであろう。
「ここは、一体……?」
「ここは〈オリジン・スフィア〉。君たちが攻略中のあのゲームの、まあ舞台裏と言ったところかな」
カムイの呟きにそう答えたのは、例の銀髪の男だった。彼は湖の畔まで歩いてきたカムイに手を差し出し、身体を引っ張って彼を水から上げる。そして「ふむ」と一つ呟いてから“パチンッ”と指を鳴らす。するとカムイの身体はシャボン玉のエフェクトに包まれ、それが消えるとずぶ濡れになっていた彼の身体はすっかりと乾いていた。
「あ、ありがとうございます……」
「どういたしまして。身体のほうは大丈夫かい?」
「だ、大丈夫です。……それで、あなたは一体……?」
カムイのその疑問は当然のものだった。改めて男の顔をよく見てみたが、やはり会ったことはない。これが初対面だ。だがその声には聞き覚えがあった。ついさっき気がついたのだが、溺れる前に「まだ生きているのか」と言ったあの声である。まだ頭は混乱しているが、この銀髪の男がただのプレイヤーではないことだけは確かだ。そしてカムイのその推測は当っていた。
「僕はルクト・オクス。このゲームの、ま、要するにGMってやつだよ」
「ゲーム、マスター……」
半ば呆然と、カムイはそう呟いた。しかしルクトと名乗った男は、ニヤリと悪戯っぽく笑ってそれを否定する。
「いやいや、 ジェネラル(G)・マスク(M)だよ」
「は……?」
「だから、ジェネラル(G)・マスク(M)、だよ」
間抜けな顔で聞き返したカムイに、ルクトは笑顔を浮かべたままもう一度そう答えた。彼の言っていることをもう一度噛み砕き、反芻し、よくよく理解したところで、カムイは思わずこう叫んだ。
「将軍仮面ってなんだよ!?」
そもそも仮面すら着けていないのに、将軍仮面とはこれいかに。ジョークにしても手抜きが過ぎるのではないだろうか。しかしルクトに気にした様子はない。むしろ楽しげに笑いつつ、彼はこう言った。
「ははは。まあ気にするなって、プレイヤー【Kamui】」
ルクトがそう言った瞬間、カムイの頭からサァーッと血の気が引いた。今彼はカムイの名前を呼んだ。まだ名乗っていないにも関わらず、だ。それはつまり、以前から彼のことを知っていたことを意味している。
「……オレのこと、知ってるんですか?」
「そりゃ、知ってるさ。GMだもの」
簡単にそう言われ、カムイは押し黙った。ルクトは自分がGMだという。ジェネラル・マスクなどというジョークはこの際脇においておくとして、彼がこのゲームのゲーム・マスターであることはほぼ間違いないだろう。「ゲームの舞台裏」という言い回しや、名乗っていないのにカムイの名前を言い当てたことなど、彼が運営側の人間であることは言葉の端々から伝わってくる。
そういう存在がいるだろうとは思っていた。しかしまさかこうして目の前に現れるなど、考えてもいなかった。だが同時にこれはチャンスだ、ともカムイは思った。運営に会えたなら、聞いてみたいことが沢山あるのだ。それで彼はルクトにこう尋ねた。
「えっと、幾つか聞いてもいいですか?」
「うん、いいよ。頭ン中疑問だらけ、って顔してるしね」
まあ座りなよ、と言ってルクトはすぐ近くに用意してあった一人用のソファーをカムイに勧めた。反対側にはもう一つソファーがあり、真ん中にはテーブルがあって、そこにはお茶とお菓子が用意されていた。
青空の下、草原に家具が用意されているのだ。本来なら違和感が凄まじいだろう。しかしなぜか、それらの家具は周りの風景や雰囲気とよく馴染んでいた。
カムイは勧められたソファーに座った。ルクトも反対側のソファーに座り、そして脚を組む。その姿には風格が漂っている。そして改めて、彼はルクトにこう尋ねた。
「それで、何が聞きたいんだ?」
「それじゃあ、まず……、オレを助けてくれたのはルクトさんなんですか?」
「ああ、そうだよ」
ルクトはあっさりとそう答えた。彼の口調は、別に恩着せがましいものではない。大したことをしたわけではない、と思っているようだった。
「それは……、ありがとうございました。でも、何で助けてくれたんですか?」
「深い理由はないさ。まだ生きていた、だから助けた。それだけだよ。死んでたら流石に放っておいたさ」
苦笑しながらルクトはそう答えた。確かに初めて声を聞いたときもそんなことを言っていた。だがなんとなく納得がいかない。運営側の人間が、それもデスゲームを主催する側の人間が、まだ生きているからプレイヤーを助けるだなんて、果してそんなことをするだろうか。
「ちょっとコッチの事情も説明しておこうか」
そんなカムイの疑問を感じ取ったのか、ルクトはそう言葉を続けた。彼が説明してくれるというのであればそれを聞こうと思い、カムイは戸惑いながらも一つ頷いた。それを見て、ルクトはこう説明を続ける。
「まず前提条件として、君を助けたのはゲームの舞台の外だ。だからゲームのルールには抵触しない。ま、少々厳しい言い訳ではあるけどね」
少々の茶目っ気を込めてそう言い、ルクトは苦笑を浮かべた。そしてカムイが「は、はぁ」と生返事するのを聞いてから、さらにこう続ける。
「君、孔に落ちたろう?」
「え、ええ。〈魔泉〉に」
「ああ、そう呼んでるんだ。ともかく、その〈魔泉〉が舞台の外側に繋がっていてね。そこに落ちた君は舞台の外へ放り出されてしまった、というわけだ」
多分とんでもないことを、しかし何でもないことのようにルクトは話した。カムイは言われたことを理解するので精一杯だ。そんな彼に、ルクトはさらにこう言った。
「ただここからが我々にとっても想定外でね。普通なら〈魔泉〉におちて舞台の外へ放り出されてしまったら、その時点でプレイヤーは死ぬはずなんだ。だけど君は死ななかった。死んでないのなら、放っておくわけにもいかない。だから緊急措置としてこうして助けた、というわけだね」
「分かったかい」と尋ねるルクトに、カムイは何とか首を縦に振って返事を返した。要するに想定外のことが起こったのでGMが出張ってきた、ということらしい。それを聞くとルクトは少し苦笑しながら「それで間違ってないよ」と言った。
「えっと、それじゃあ、オレは戻れるんでしょうか……?」
「ああ、戻れる。というか、戻ってもらう。生きている以上、ここに置いておくわけにもいかないからね」
自分用のお茶を啜りながら、ルクトはそう答えた。そして「時間も気にしなくていいよ。落ちた直後に戻してあげる。誤差はあるだろうけど、数分程度だろうし」と付け加える。それを聞いてカムイは安堵の息を吐いた。
その程度なら、戻ってまたすぐに戦線に復帰できるだろう。撤退していたとしても、追いかけることは難しくない。それに時間を気にしなくて良いのなら、このGMを名乗る男にじっくりと質問することができる。
さて何を聞こうか、とカムイはお茶に手を伸ばしながら考える。その様子をルクトは脚を組んだまま面白そうに眺めていた。しばらくしてからカムイは口を開き、そしてこう尋ねた。
「このゲームの目的って何なんですか?」
「君がそれを気にする必要はないよ、プレイヤー【Kamui】。君たちはただ、自分の望みをかなえるためにゲームを攻略すればいい。強いて言うのなら、それこそが我々の目的だ。ゲームはプレイされてこそ、というヤツだよ」
どこかはぐらかすように、ルクトはそう答えた。だが明確に「気にする必要はない」と言っている以上、重ねて尋ねても答えてはくれないだろう。そう思い、カムイは次の質問をすることにした。
「どうすれば、ゲームをクリアできるんですか?」
「世界を再生してもらうしかないねぇ」
「〈魔泉〉を塞ぐ方法は?」
「必ずしも塞ぐ必要はないけどね。それを考えることがすなわち攻略だよ。ただ、想定外の珍事を起こしてくれた君にボーナスだ。ヒントになる、かもしれない話をしてあげよう」
そう言って、ルクトは背もたれに身体を預けて小さく笑った。カムイは身を乗り出し、彼の話を一字一句聞き逃すまいと集中する。そんな彼に、ルクトはまずこう尋ねた。
「カムイ君。異世界とは一体何だと思う?」
「えっと、異なる世界、じゃないんですか? ゲームの舞台になってるあの世界みたいに」
「そう異なる世界だ。では何を持って『異なっている』と判断するんだい? 衛星の数が違う? 星空の様子が違う? 大陸の形が違う? 見たこともない植生をしている? ヘンてこな動物がいる? でもその程度なら異世界じゃなくて、同じ世界の違う惑星と考えた方が可能性は高いんじゃないかな?」
言われて見れば確かにそうだ、とカムイは思った。例えば彼の世界には無限と思える数の星があり、科学者たちは大真面目に人間が移住可能な惑星を探していた。そしてその惑星はきっと、地球とはありとあらゆるものが違うだろう。しかしそれでも、同じ世界だ。異世界ではない。
「ゲームの舞台となっているこの世界は、君にとって異世界だ。でも、ここで少し考えてごらん。どうやってそれを証明する? ちなみに『そう説明されたから』ってのはナシだ」
「…………魔法があるから、とか、ですか?」
数秒考え込んでから、カムイは躊躇いがちにそう答えた。それを聞いてルクトは笑みを浮かべる。
「カムイ君の世界には、魔法はなかったのかい?」
「ありませんでしたよ。空想の世界の話です」
「なるほど。それなら確かに、異世界の証拠と言えるだろうね。ま、要するに、だ。異世界とはすなわち、『異なる法則が支配する世界』ってことだよ」
ルクトはそう言って模範解答を口にした。異なる法則が支配する世界。確かにそれは異世界と呼ぶに相応しいだろう。ただ、思い返してみても、ゲームの中でそれを強烈に感じたことはあまりない。
魔法には驚いたが、しかしそれだけだ。基本的には地球にいた頃と同じ感覚で過ごしている。「異なる法則」というヤツを、あまり強く意識したことはない。そんなカムイの内心に気付いたのか、ルクトはこう付け加えた。
「ちなみにだが、あまりに法則が違いすぎてゲームの攻略に支障が出るのは好ましくないってことでね、プレイヤーはなるべく似通ったところから募集してきたらしい」
それを聞いてカムイは「なるほど」と納得した。それなら今まで違和感を覚えなかったことも頷ける。そして彼が納得したのを見て、ルクトは話を元に戻した。
「さて、これで異世界の定義は分かった。では翻って現在のゲームの様子はどうか。多数の異世界から来たプレイヤーたちが、しかし特に不自由を感じることなく攻略を行っている。定義に則って考えるなら、ゲームの舞台となっているこの世界にも、この世界だけの法則があるはずなのに、だ」
ルクトはそう話した。ただ、カムイには彼が言わんとしていることが良く分からない。それでも頑張って理解しようとして、自然と彼の眉間にはシワが寄った。そんな彼に、ルクトは魔法を例えにしてこう説明する。
「例えば魔法。魔法やそれに似たモノというのは、まあそれなりに存在する。ただ世界ごとに通常その法則は異なる。これはカムイ君にも覚えがあるんじゃないかい?」
そう話を振られ、カムイは慌てて頷いた。キュリアズの世界では魔法を比較的自由に使えていたらしいが、アストールの世界では属性による縛りがあったと聞く。ロロイヤの世界に至っては、そもそも魔法は使えず、その代わり魔道具とその理論が発達していた。
これは良いとか悪いとか、進んでいるとか劣っているとか、そういう問題ではない。それがその世界のルール、すなわち法則なのだ。支配している法則が異なるから、異なる魔法体系になる。そういう話なのだ。そしてそれを前提として考えた場合、今のゲームの状況はちょっとおかしいのだ、とルクトは言う。
「異なる魔法体系が、それも異世界で、しかし同じように使える。普通に考えれば、コイツはおかしい。法則どうなってんの? って話になる。ただこれは実際に起きていること。あり得ないと言って否定するわけにもいかない。で、ネタばらしをしてしまうとだね、複数の魔法体系が並列に存在している、ってのがあの世界の現状ってことだよ」
「は、はあ……」
「分かってないね。まあいいから、とりあえず聞いておいて。……複数の魔法体系が並列に存在というのも、普通ならあり得ない。だけどあの世界では実際にあり得ている。なぜか。なぜだと思う? ヒントはあの世界にだけあるモノ」
「…………瘴気、ですか?」
「その通り。瘴気のせいだ。いや、この場合おかげと言うべきかな」
少し皮肉気に口元をゆがめながら、ルクトはそう言った。GMである彼と同じ気持ちでいるのかは分からないが、カムイもまた苦笑を漏らす。瘴気とはすなわち、あの世界を滅ぼした元凶であり、プレイヤーが戦う強大な敵そのものだ。そんなモノに対し「おかげ」という言葉を使うのは、なんだか心理的に嫌な気分だった。
まあそれはともかくとして。ここへきて「瘴気」という単語が出てきた。さて、瘴気とは一体なんであるか。ヘルプさんの言葉を借りなるならば、「生命体の生存を脅かす、ある種のエネルギー」だ。
ただ、物事と言うのは常に多面的である。この説明は「どうして世界は滅んだのか」という話の流れの中で出てきたもの。そのため内容もそれに則したものとなり、無関係の部分は語られない。つまりその説明が瘴気の全てではない、ということだ。
(まあ、そもそもからしてヘルプさんの説明は、結構言葉足らずだったからなぁ……)
初期設定のときのことを思い出し、カムイはなんだか懐かしい気分になった。ともあれ今はルクトの話の途中だ。感慨に浸ってもいられない。彼がティーカップをソーサーに戻すのを見て、カムイはもう一度集中力を高めた。
「さて、瘴気だ。次はコレについて少し話をしよう。瘴気は〈魔泉〉から噴出す。そして〈魔泉〉は世界の外側に繋がっている。もう察しは付いていると思うが、つまり瘴気は世界の外側からの流入物だ」
カムイにとってルクトの話は初耳だったが、しかし彼の言うとおりこれまでの話を繋ぎ合わせればそういうことになる。そのため、彼は驚くよりも納得した。そしてルクトはさらにこう話を続ける。
「さて、どこまで話すかな……。世界の外側、というのはまあいい。重要なのはやはり瘴気だね。流入物である瘴気は本来、あの世界の法則とは相容れない。相容れないがために、あの世界は瘴気によって滅んだともいえる。ではなぜ相容れないのか? なぜだと思う?」
「異物だから、じゃないんですか?」
「異物というのなら、異世界人であるところの君だってそう言える」
少し苦笑しながら、ルクトはそう答えた。彼の言うとおり、異世界人であるプレイヤーもまた、世界にとっては外側から入り込んだ異物だ。そして異物が世界を滅ぼすのなら、プレイヤーもまた世界を滅ぼすことになるだろう。それでは世界を再生することなどできない。「できないことは求めないさ」と言ってルクトは笑った。
つまり、異物(流入物)と言うだけで、世界を滅ぼすわけではないらしい。カムイはそのことを理解した。それを踏まえた上で、もう一度考える。なぜ瘴気と世界は相容れないのか。
「法則が、違うから……?」
カムイがそう答えると、ルクトは笑みを浮かべて頷いた。そしてこの時カムイはようやく気付く。これまでの彼の話が、そのままヒントになっていたのだということに。なんだか授業を受けているみたいだな、とカムイは思った。
「そう、法則が違うからだ。そのせいで世界とは相容れない。ここまでは分かりやすい。でもここで思いがけないことが起こった。さっきも言ったように、瘴気が流入したことで、あの世界では複数の法則が並列で存在するようになったんだ。いや、こう言うべきだね。複数の法則が並列で存在できるようになった、と。そしてだからこそ、この世界がゲームの舞台として選ばれたわけだ」
そこまで話すと、ルクトは「ふう」と息を吐いた。そしてお茶を飲み干し、テーブルの上の菓子に手を伸ばす。カムイはその様子を視界の端で捉えながら、これまでに聞いた話をもう一度頭の中で整理する。そんな彼にルクトは軽い口調でこう告げた。
「さて、と。僕の話はここまでだ。ご清聴感謝するよ」
「え……、いや、まだ聞きたいことが……」
「これ以上はちょっと喋りすぎなんだよ。一応僕にはこのゲームのジェネラル(G)・マスク(M)という立場があるからね」
「公平じゃない、ってことですか?」
将軍仮面にはツッコまず、カムイはそう尋ねた。するとルクトは意外にも笑いながらこう答えた。
「公平性なんて気にしちゃいないさ。そもそも公平にしたいのなら、初期設定で交渉の余地を残したり、自前の装備の持込を許可したりするわけないだろう?」
そう言われ、カムイは「確かに」と思った。彼自身、初期設定の際にユニークスキルの容量アップと資金10万Ptを交渉で勝ち取ったのだ。本当に公平にしたいのなら、そんなことは許さないはず。ということは、ルクトの言うとおり運営側は本当に公平性には拘っていないのだろう。
「だったら、もうちょっと話を聞かせてくれても良いんじゃないんですか?」
「いやいや、これ以上一人のプレイヤーに肩入れするのはね。見ていて面白くない」
そう言って楽しげに笑うルクトを見て、カムイはこれ以上の情報収集を諦めた。少し不貞腐れたような顔をしてテーブルの上の菓子に手を伸ばす。口の中にクッキーを放り込み、そして驚いたように目を見開いた。
「うまい……」
ドライフルーツを練りこんだクッキーなのだが、すごく美味い。カムイはポイントに余裕があるから、これまでにもアイテムショップでいろいろとお菓子を買ってきた。その中には結構高級なものもあったのだが、これほど美味しいものはそうはない。彼は立て続けに二個三個とクッキーをつまんだ。
「気に入ったかい?」
「はい、とても美味しいです」
「そりゃ良かった。そのクッキーは僕が作ったんだ。……嫁さんが料理下手でねぇ。我が家の食卓を守るために僕も奮闘したものだよ」
しみじみと、昔を懐かしむようにルクトはそう語った。
「結婚、されていたんですか?」
「まあね。とはいえ昔の話さ」
昔、というがルクトの見た目は若い。おそらくだが、二十代の前半だろう。それなのに彼はまるで百年も前のことのように話す。ということは多分、彼も見た目どおりの年齢ではないのだろう。イスメルやミラルダという実例が身近にいるおかげで、カムイにとってそう考えるのは難しくなかった。
「……長く生きるのって、どんな感じなんですか?」
少し躊躇ってから、カムイはそう尋ねた。聞いておいて手遅れだが、やめておけば良かったという気もする。だがそれでも、はやり聞かずにはいられなかった。
デスゲームのクリア目標は「世界の再生」だ。しかしそれを達成するためには、おそらく数百年単位の時間が必要になるだろうと考えられている。このゲームをクリアしてもとの世界に帰るには、それだけの時間を生きなければならないのだ。
正直に言って、想像もできない世界だ。不安になる。いつもは考えないようにしているが、今回はポロリと口に出てしまった。ここがゲームの舞台ではなく、ルクトがプレイヤーではないからなのかもしれない。
「毎日を生きることそれ自体は、今とあまり変わらないと思うよ」
不安げな顔をするカムイに、ルクトはGMというより先達の顔をしてそう答えた。そしてさらにこう続ける。
「ただ、親しい人達が寿命で死んでいくのを見送るのは辛かった。どうしようもないと分かってはいるのだけれど、どうしようもないからこそ割り切れない。結局泣くしかなかったし、我が身を呪ったこともある」
「…………っ」
カムイは顔を歪ませた。覚悟していたとはいえ、言われた言葉はかなり重い。そもそも正樹には親しい人に死なれた経験すらないのだ。それなのに「割り切れず、我が身を呪う」とまで言われてしまい、彼は完全に萎縮してしまった。彼のその様子に苦笑しながら、ルクトは優しげな声でさらにこう言った。
「仲間を、連れ合いを持つといい。孤独でさえなければ、案外何とかなるものさ」
「……ッ」
その言葉が染み渡る。カムイは不意に仲間たちのことを思い出した。そうだ、彼らはまだ〈ゲートキーパー〉と戦っているはず。自分だけこんなところで優雅にお茶をしている場合ではない。そう思い、カムイは立ち上がった。
「……話を聞かせてもらって、ありがとうございました。そろそろ、戻ろうと思います」
「ん、そうかい。それじゃあ、そのまま楽にしていてくれ。後はコッチでやるから」
そう言って、ルクトは空中に画面を開いた。恐らくはアレがGM用のシステムメニューなのだろう。そして彼が幾つかの操作をして画面を閉じると、カムイの身体は白い光に包まれゆっくりと浮き上がった。初期設定を終えて転送されたときのアレに似ているな、とカムイは思った。
「それじゃあこれでお別れだ。予想外の事態でなかなか楽しかったよ」
「いろいろとありがとうございました」
カムイはもう一度お礼を言った。ルクトが微笑んで頷きを返す。それからふと思い出したような顔をして、彼は最後にこんなことを言った。
「それとカムイ君。君、ちょっとリクエストしすぎ。監修するのも結構大変なんだ」
「へ? リクエスト?」
何を言われたのか咄嗟に理解できず、カムイは間抜けな声を出した。そんな彼にルクトはしてやったりな笑みを向けて手を振る。いろいろと聞きたいことがあるのに、転送はもう始まっていて止まらない。このタイミングを狙っていたのだと、カムイは後で気が付いた。
「軍曹ぉぉぉぉおおおおお!?」
驚愕の声を響かせながら、カムイの姿が消えていく。それをルクトは手を振りながら見送った。




