〈ゲートキーパー〉14
(〈魔泉〉……)
カレンは心の中でその単語を呟いた。日本語ではあるが、しかしもとの世界にはなかった言葉だ。広辞苑にも載っていないだろう。だがその単語が表すものがこの世界に確かにある。それもいま彼女の目の前に。
黒い竜巻、と形容するのが一番しっくり来る。ただし回転の向きは逆だ。吐き出しているものは、この世界を滅ぼした元凶、すなわち瘴気。今までカレンが見たことのない濃度の瘴気が、ここでは渦巻いている。その光景に彼女は改めて戦慄を感じ、身震いした。
カレンは今、イスメルと一緒に【ペルセス】に跨っている。こうして乗せてもらうのは何回目になるか分からないが、彼女はかつてないほど緊張していた。これから〈魔泉〉の主を相手に強行偵察を行うのだ。
強行偵察自体は初めてではない。〈北の城砦〉攻略作戦前にも、情報収集のためにこうして強行偵察を行った。ただ今回は〈魔泉〉の主がその相手だ。かつてない強敵であり、それが緊張の理由だった。
(あたしが戦うわけじゃないのになぁ……)
カレンは小さくため息を吐いた。一番大変なのは、実際にぶつかるイスメルだ。それなのに後ろにくっ付いているだけの自分が固くなってしまっている。ダメだな、と思いカレンは小さく嘆息した。そんな彼女にイスメルが声をかける。
「カレン、そろそろ行きます。もう一度ベルトの確認を」
「は、はい!」
イスメルの声でカレンは頭を切り替えた。そして言われたとおり彼女と自分を繋ぐベルトをもう一度確認する。このベルトは、戦闘が激しくなることが予想されたので、落ちてしまわないように昨日のうちに用意したものだ。そのベルトが緩まずにしっかりと締まっていることを確認してから、カレンはイスメルに「大丈夫です!」と答えた。
それを聞いて、イスメルは一つ頷いた。それから双剣を鞘から抜いて構える。そしてカレンに「行きますよ」と声をかけてから【ペルセス】の腹を蹴る。純白の天馬は一つ嘶きを上げると、〈魔泉〉に向けて一気に加速した。
二人を乗せた【ペルセス】が速度を上げて〈魔泉〉へ突き進む。視界に写るのは、もう壁のような〈魔泉〉の側面だけ。その側面が揺らぎ、そして薄くなる。その向こう側で瘴気が集束しているのを、カレンは確かにその目で見た。
「ギギイイイィィィィイイイイイ!!!」
身構えたカレンの目の前に、低く耳障りな咆哮を上げながらソレはついに出現した。人の上半身だけを模した巨大なモンスター。全長は100m、いやそれ以上にさえ見える。〈キーパー〉とよく似た姿だが、その大きさは文字通り桁違いだ。
ギロリ、とその不吉で不気味な赤い二つ目がカレンとイスメルを睨む。二人を矮小にして弱小と侮ったのか、その口元が歪に歪んだ。それを見てカレンが「ヒッ」と息をのむ。けれどもイスメルは落ち着いていた。
「これは……、〈キーパー〉の五割増では足りませんでしたね」
イスメルは冷静にそう分析する。まだ本格的にぶつかっては居ないが、相対して肌に感じるプレッシャーは〈キーパー〉の比ではない。似てはいるが完全な格上、と思っておいた方がいいだろう。
「カレン、しっかりしなさい」
「は、はい!?」
イスメルはまず、背中で身体を強張らせているカレンにそう声をかけた。返事はしっかりとしている。「大丈夫そうだ」と思いイスメルは小さく頷く。そして視線は〈魔泉〉の主に向けたまま、彼女は弟子にこう告げた。
「まずは回避を優先して動きます。瘴気濃度の測定など、お願いしますよ」
「は、はい!」
先程よりしっかりとした返事に、イスメルはもう一度頷いた。そして【ペルセス】に合図して〈魔泉〉の主に向かって突撃する。その動きに反応し、〈魔泉〉の主が腕を伸ばした。イスメルは【ペルセス】を巧みに操ってそれをかわす。空を駆ける天馬を捕まえようと〈魔泉〉の主は腕を振り回すが、その全てをイスメルはかいくぐった。カレンに言ったとおり、回避を優先しているのだ。
(思った以上に動きが速い)
イスメルは胸中でそう呟いた。巨体ゆえに動きは鈍重になるかと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。その上、身体の全てが瘴気で構成されているから、〈魔泉〉の主には基本的に骨格や関節というものがない。それで振り回される腕はまるでムチのようにしなりながら、不規則かつ予想外に動いた。
イスメルが回避にまず専念する中、カレンは情報収集を開始した。【瘴気濃度計】をポケットから取り出し、その目盛りを確認する。数値は9.87。かなり高い。場所によっては、もっと高いところもあるだろう。〈魔泉〉の主が出現したのに、濃度は下がらない。
周りを見渡せば、その答えはすぐに判明した。主は〈魔泉〉の真ん中でまるで浮かぶように鎮座している。しかし〈魔泉〉の全てを塞いでいるわけではない。つまりこうしている間も〈魔泉〉からは常に新しい瘴気が噴出しているのだ。そのせいで濃度が下がらないのである。
さらに、〈魔泉〉の縁から主までは奈落が横たわっている。イスメルやルペのように空を飛ぶ手段がなければ、接近することさえできないだろう。加えて、噴出する瘴気がある種結界の役割を果たして、プレイヤーの接近そのものを阻んでいる。
考えてみれば、イスメルだって一人ではこうして強行偵察には来られないのだ。カレンの能力があって初めて、こうして〈魔泉〉の主に接近できている。つまり近づくだけでユニークスキルが二つ必要になるのだ。分かっていたことではあるが、相当な難敵と言っていいだろう。
(瘴気濃度は測り終えたから……!)
【瘴気濃度計】をポケットに片付けると、カレンは次にシステムメニューを開き、カメラ機能を起動する。そしてカーソルを〈魔泉〉の主に合わせてシャッターボタンを押す。撮る写真は一枚ではない。むしろ構図やアングルは考えずに何枚も撮る。写真集を作るわけでないのだから、最終的に情報が集まればいいのである。
(それにしても……)
写真を撮りながら、カレンは眉をひそめた。それにしても、〈魔泉〉は大きい。巨大な主が真ん中に居るにも関わらず、幅にはまだ余裕がある。目測だが、直径は200m以上あるように見えた。
「むっ」
カレンが夢中になって写真を取りまくっていると、イスメルが少しだけ顔をしかめて左の剣を振りぬいた。そこから伸びた不可視の斬撃〈伸閃〉が、急旋回して体当たりを仕掛けようとしていた鳥型のモンスターを切り裂く。後に残った魔昌石はそのまま〈魔泉〉に落ちていった。その光景を見て、カレンは思わず唾を飲み込んだ。
(もし……)
もし、〈魔泉〉に落ちてしまったら、一体どうなるのだろう。普通のプレイヤーなら、まず死ぬだろう。だがカレンなら?
ユニークスキル【守護紋】を持つカレンなら、瘴気の影響を一切受けない。それでも彼女一人なら落ちていくだけだが、イスメルに付き合ってもらえば〈魔泉〉の底をさえ探ることができるかもしれない。
だがカレンがそれを言い出すことはなかった。理由は単純だ。怖かったのである。だれもそれを咎められはしないだろう。実際、カレンのほかにも誰か思いつきそうなものだが、それが今までに提案されたことはない。皆、リスクが大きすぎると思い、遠慮しているのだ。
まあ、それはそれとして。カレンがそんなことを考えていたとき、イスメルは〈魔泉〉の主の攻撃をかいくぐりながら、別のことを考えていた。先ほどからひっきりなしに仕掛けてくる飛行タイプのモンスターのことだ。
(数が多いですね……。まあ、当たり前と言えば当たり前ですが……)
ここは〈魔泉〉の直上。陸戦型のモンスターが出現してもすぐに落ちていくだけだ。ついでに言えばイスメルは【ペルセス】に跨って宙を駆けている。そんな彼女に攻撃を仕掛けることができるのは、空を飛ぶことができるモンスターだけだ。
ただ、その数はいつもよりかなり多い。その理由もすぐに察しがついた。ここの瘴気濃度は10.0に近い。これだけ潤沢な瘴気があれば、モンスターも大量に出現するというものである。
(これもまた一つの情報、ですね……)
胸中でそう呟き、イスメルは小さく頷いた。〈魔泉〉の直上や主周辺の様子はコレくらいで十分だろう。次はいよいよ、強行偵察の本分である。そう考えて気配を鋭くし、イスメルは後ろにいるカレンにこう声をかけた。
「カレン、そろそろ主に仕掛けます」
「は、はい! 大丈夫です!」
そう答えたカレンが、イスメルの腰にしがみ付く。背中に彼女の体温を感じてから、イスメルは【ペルセス】を加速させた。そして一気に〈魔泉〉の主に肉薄する。主は捕まえようと腕を伸ばすが、イスメルは両手の剣を閃かせてそれを切り捨てた。さらに〈伸閃〉でその巨体の肩口を大きく袈裟切りにする。
「ギィィィィイイイイ!?」
主は絶叫を上げた。しかし絶叫を上げつつも、その傷はすでに回復し始めている。そして数秒もせずにすっかり元通りになった。〈キーパー〉を彷彿とさせる、いやそれ以上の回復能力だ。
(まあ、さすがにそうなりますか……)
この回復能力は予想通りで、イスメルに驚きはない。カレンも同じだ。この程度で有効打にでもなるなら、むしろそちらの方が驚きである。
(もう少し探ってみますか)
そう思い、イスメルはまた〈魔泉〉の主に接近した。なるべく全身に攻撃を仕掛け、その手応え反応を見る。その結果、手応えはどこでもほぼ同じで、一番反応が悪いのは胴体だった。巨大すぎるため、ただ斬りつけるだけでは、ほとんど痛痒を感じないらしい。加えて傷の回復も早いように見えた。
目に見える成果を求めるなら、やはり腕だろう。腕は他と比べて細く、〈伸閃〉を使えば比較的容易に斬り捨てることができる。ほんの数秒で回復してしまうのは同じだが、それでもその間は行動を阻害することができるのだ。しかも〈魔泉〉の主はその場から動かないから、腕がなくなればかなりの程度脅威を減じることができる。
一番〈魔泉〉の主が反応したのは、頭部への攻撃だった。特に目は効くらしい。すぐに回復してしまうのは同じだが、両目を潰した際には一際大きな絶叫を上げていた。もっとも、その時には両腕をかなりデタラメに振り回していたので、そこは注意が必要だろう。それを見てイスメルはふとこう思った。
(首を落したら倒せるのでしょうか……?)
攻撃への反応を見る限り、どうも〈魔泉〉の主の弱点(比較的弱いという意味で)は頭部のようだ。上半身だけだが人型を模しているわけだし、弱点も似るというのはありえるだろう。これまでのモンスターも、首を落せば大体倒せた。大きな括りで言えば主もモンスター。試してみる価値はある。
これも強行偵察の一環と考え、イスメルは【ペルセス】を駆けさせた。そしてまずは両腕を斬りおとし、次の一瞬で〈魔泉〉の主の首のすぐ脇を駆け抜ける。それと同時に〈伸閃〉を放つことで、彼女は容易く主の首を胴から切り離した。
「ギ……!?」
悲鳴は短く、さらにくぐもっていた。首を斬り落とされたので、声を出すことができなかったのだ。切り離された頭部の赤い目が力尽きるように光を失い、そのまま全体が瘴気へと還る。その様子を、イスメルは全く見ていなかった。
彼女が注視していたのは、〈魔泉〉の主本体である。両腕と頭部を斬りおとされトルソーだけになった主は、しかしまだ健在だった。そして一瞬の静寂の後、そのダメージは瞬く間に回復する。元通りになった主は、怒り狂ったように曇天の空へ向かって吼えた。
「ギィィィィィイイイイイイ!!!」
その叫び声は衝撃波となって大気を揺らした。例の丘の上で見物していたカムイたちでさえ耳が痛くなったというから、それだけで一種の音響兵器と言っていい。そして近くにいたカレンたちはさらに強く影響を受けていた。
「っつうぅ……」
カレンが顔をしかめる。頭が痛いし、意識が一瞬飛びかけた。【ペルセス】もあおりをくって吹き飛ばされたのか、距離が開いてしまっている。もっとも、その程度ですんだのだから無傷と言うべきだろう。【ペルセス】の守護障壁のおかげだ。これがなかったら、さっきの咆哮だけで撃墜されていたかもしれない。
(首を落としても効果なし、ですか……)
バランスを崩した【ペルセス】を脚だけで巧みに立て直しながら、イスメルは内心でそう呟いた。わずかに動きは止まったから、全く効果がないわけではないだろう。ただああもすぐに回復されてしまっては、無意味と言わざるを得ない。
(やはり……)
やはり一番の弱点は心臓、つまり魔昌石そのものなのだろう。だがイスメルではどれだけ深く切り裂いてもそこへは手が届かない。どこかで撤退しなければ、千日手の果てにすりつぶされるだろう。「少し悔しいですね」と彼女は内心で苦笑した。ただ、まだ撤退するわけにはいかない。まだ見ていないものがあるからだ。
体勢を立て直すと、イスメルはすぐに再度の突撃を仕掛けるのではなく、比較的ゆっくりと〈魔泉〉の主の周りを旋回し始めた。白い天馬に跨った二人を、復元された赤い不吉な目が追う。そこに激しい怒りが宿っているように見えたのは、決してカレンの勘違いではないはずだ。
その一方で〈魔泉〉の主はなかなか攻撃を仕掛けてこない。カレンは不審に思ったが、しかしその理由はすぐに判明した。主の口元に赤い炎が見えたのである。彼女が息を飲んで身体を固くするその目の前で、まるでビームのような炎が放たれた。
その炎をイスメルはすぐに回避した。タイミングは完全に読めていたのだろう。危なげのない動きだ。炎を回避された主は不満げな声を上げながら、両腕を振り回してイスメルたちを追い回す。そうしている間にまた口元に炎を蓄え、そして第二射目を放つ。それも彼女は余裕を持って回避した。
(強力ではありますが、タイミングは計りやすい)
イスメルは〈魔泉〉の主が放つ炎をそんなふうに評価した。口元に炎を蓄えるから事前準備が丸分かりだし、モーションも独特でタイミングは取りやすい。ただ威力は凄まじく、大きく回避しないと余波だけでダメージをくらうだろう。
(ただこの程度ならば……)
イスメルはタイミングを計りつつ、次の炎を待つ。是非とも確認しておかなければならないことが、もう一つあるのだ。そして第三射目を彼女は回避することなく、真正面から迎え撃った。
右手に持った〈双星剣〉を高々と掲げ、そして鋭く振り下ろす。刃自体は空を切るが、しかしそこから伸びた斬撃は〈魔泉〉の主の炎とぶつかり、そして切り裂いた。炎はまるでイスメルを避けるように二つに分かれ、そしてそれぞれ後方に着弾する。後ろから響く爆音を、彼女は手応えを確かめながら聞いていた。
「ふむ」
炎を切り裂いたイスメルは、馬上でそう一つ頷いた。巨体と、回復能力と、炎。事前に聞いていた事柄はこれでだいたい見ることができた。何から何まで〈キーパー〉とよく似ているが、しかし文字通り桁が違う。
ただあの炎を切り裂けたのは、一つプラス材料だ。回避する以外にも防ぐ手段があるというのは、攻める側にとってはありがたい。ただいくら攻めたところで、イスメルにはあの回復能力を上回る手段がないのだが。
(まあ、できる方に任せましょう)
そう割り切り、イスメルは〈魔泉〉の主のほうへ【ペルセス】を駆けさせた。彼女が鋭く見据える先では、主が第四射目の炎を口元に蓄えている。彼女がすれ違いざまにそこを斬りつけると、炎は放たれることなく暴発し主自身の顔を焼いた。
「ギィィィィイイイイイイ!!?」
けたたましく耳障りな絶叫を背中で聞きながら、イスメルは【ペルセス】を走らせて〈魔泉〉の主から一気に距離を取った。このまま離脱してしまうつもりなのだ。ただ彼女が馬首を向けたのは南東寄りの方角で、アーキッドたちがいる例の丘とは逆方向。追撃を予期し、彼らを危険に曝さないための措置だった。
そしてイスメルのその予感は当った。〈魔泉〉から動けない主は、苛立ったように何発も炎を放つ。しかしそのどれも、遠ざかる天馬に当ることはない。やがて彼女たちが十分に離れると、主は腹立たしげな声を上げながらその姿を消したのだった。
― ‡ ―
ふう、と誰かが安堵の息を吐いた。誰だったのかは分からない。ただその心情はカムイにも良く理解できた。彼の視線の先には〈魔泉〉がある。さっきまで暴れていた主の姿はない。その姿が消えて、緊張の糸が緩んだのだ。
「よし。イスメルたちは離脱したし、こっちも撤退するぞ」
アーキッドのその言葉にメンバーは揃って頷いた。時間を確認すれば、向上薬の効き目がもうすぐ切れる。彼らは急いで丘を降り、【HOME】のリビングへと駆け込んだ。そしてソファーに座ると今度こそ緊張の糸が切れ、カムイは深々と息を吐くのだった。
彼らがしばらくお茶を飲むなりしてまったりしていると、イスメルとカレンの二人が戻ってきた。大回りしてきた分距離があったはずなのだが、ずいぶんと早い。やはり【ペルセス】は俊足である。
戻ってきた二人の様子は対照的だった。イスメルは普段どおりで疲れた様子もない。流石の貫禄である。逆にカレンはひどく疲れた様子だった。多分、彼女も緊張の糸が切れたのだろう。そんな二人にアーキッドがこう声をかけた。
「二人とも、お疲れさん。何か飲むか? 奢るぜ」
「では抹茶と栗金団を」
「えっと、あたしはココアとメープルシフォンにします」
二人の注文を聞くと、アーキッドは「了解」と言ってアイテムショップの画面を開いた。それにしても、イスメルはともかく、カレンは甘いものと甘いものの組み合わせだ。「太るぞ」とカムイは思ったが、その禁句を口にしたらどんな目に遭わされるか分かったものではない。彼も命は惜しいので、黙ったままでいた。
「さて、と。強行偵察で得られた情報についてまとめよう。ああ、イスメルとカレンは食べながら聞いてくれ。まずはコッチの話だ」
二人にお茶とお菓子を渡してから、アーキッドはそう切り出した。そしてメンバーの視線が集中したのを見計ってから彼はさらにこう続ける。
「戦闘の様子は、丘の上からでも結構良く見えた。ありゃヤバイな。〈キーパー〉が可愛く思えてくる」
アーキッドが冗談めかしてそう言うと、周りからは苦笑が漏れた。カムイ自身、〈魔泉〉の主の姿を見るのは二度目で、しかも離れたところから見ていただけだというのに、震えがくるほどの迫力だった。確かに、アレはヤバイ。一目見ただけで、それはメンバーの共通認識となっていた。
「ただ、朗報がないわけじゃない。ある程度まで近づかないと出現しない、ってのはまず一つ重要な情報だな」
アーキッドはそう言葉を続けた。そして件の丘はその範囲からは外れている。これは討伐作戦においてかなり重要な要素の一つになってくるだろう。
「あともう一つ。コレはキュリーから話してもらおう。頼む」
「……分かりました」
アーキッドから話を振られ、キュリアズはまず口元を拭ってからそう応えた。そして眼鏡の位置を直し背筋を伸ばしてから、こう話し始めた。
「私からは二つです。まず一つ。私が使う祭儀魔法ですが、丘の上からでも〈魔泉〉の主を狙えます。というより、近すぎるとかえって使いにくいですから、丘の上から使うのが良いでしょう」
キュリアズがそう言うと、聞いていたメンバーは一様に頷いた。祭儀術式については、彼女しか使い勝手が分からない。だから、彼女が使いやすいところで使ってもらうことになる。
あまり〈魔泉〉に近いとモンスターの出現率も上がって護衛が面倒だろうし、丘の上ならばどこにいるのかも分かりやすい。特にデメリットもないようなので、場所についてはこれで決まりだろう。
「それともう一つ。例の炎についてですが、【アースガルド】で十分に防げそうです」
「ふえ? 間に合うんですか?」
少々間の抜けた声でそう尋ねたのはカレンである。生暖かい視線が集中すると、彼女は顔を赤くしながらココアを啜って誤魔化した。まあ、誤魔化せていないのだが。
まあそれはともかくとしても、彼女の疑問は当然のものだった。今回、丘の上で見物するメンバーの防御策として【アースガルド】が要であったことは事実だ。しかし発動のスピードに懸念があり、攻撃に対して間に合うか定かではなかったため、時間稼ぎのための保険が用意されていた。呉羽が展開する真空の断層のことだ。しかし例の炎を実際に見た感想として、キュリアズは術式の展開は十分に間に合うと判断していた。
「口元に炎を蓄えてから実際に放つまで、ずいぶん時間があります。視線を追えば大まかな方向も分かりますから、十分に間に合います」
加えて防御力のほうも自信があるという。例の炎だが、見たところ【ボルテック・ゾア】並みの威力だろうとキュリアズは見積もっていた。そして【アースガルド】はまさにこの【ボルテック・ゾア】を防ぐために開発された祭儀術式なのだ。
さらに【アースガルド】には、「発動後追加の魔力を込めることで防御力を増すことができる」という特性がある。つまり発動さえ間に合えば、防御力のほうは調整がきくのだ。それが「防げる」という彼女の自信の根拠になっていた。
「……ふと思ったんですけど、祭儀術式は本当に効くんですかね?」
少し遠慮がちにそう尋ねたのはカムイである。キュリアズは例の炎を【ボルテック・ゾア】並みの威力と見積もったが、ということは〈魔泉〉の主はこれを防ぐだけの防御力を持っているのではないだろうか。彼はふとそう考えてしまったのである。
初めて祭儀術式を見せてもらったとき、カムイはその威力に興奮した。「これなら〈魔泉〉の主を倒せる」と確信していた。しかし実際に主の姿を再び見、さらに祭儀術式に比肩する攻撃力を有していると聞かされ、彼は少々弱気になっていた。そんな彼に、アーキッドは気楽な調子でこう答えた。
「ま、大丈夫だろう。むしろ同程度の威力だって言うんなら、目は十分にあると俺は思うぜ。まあ、ダメだったらそんときは尻尾巻いてさっさと逃げるさ」
それを聞いてカムイは苦笑した。実際、やってみるしかないのだ。「ダメなら逃げる」ということだけ決めておけば、いざという時行動に迷うこともあるまい。
「他に何かあるか? ……ないなら、コッチはこれくらいだな。次はそっちの話を聞かせてくれ」
自分達の話が終わると、アーキッドはそう言ってイスメルに水を向けた。ちょうど栗金団を食べ終えた彼女は、最後に抹茶を飲み干し口元を拭う。そして「分かりました」と一つ頷いてからこう話し始めた。
「まず瘴気濃度についてですが……」
落ち着いた口調で、イスメルは集めてきた情報を披露した。カレンも撮ってきた写真をホログラムのように広げてそれを補足する。二人の話を聞いているうちに、メンバーの表情は一様に険しいものになっていった。
「そうか……、〈魔泉〉の全てが塞がっているわけではなかったのだな……」
デリウスは難しい顔をしながらそう呟いた。前回の、つまり彼らが失敗した調査では、余裕がなくてそこまで調べることができなかったのだ。ただ、思い返してみれば〈魔泉〉の主が出現した後も、確かに瘴気は変わらずに噴き出していた。そこから推測を立てることは可能だったろう。
「しかし陸続きになっていないとすると、攻撃手段は限られるな……」
「〈魔泉〉の主への攻撃は、祭儀術式でいいんじゃないんですか?」
難しい顔をして懸念を口にしたフレクに、カムイは首をかしげながらそう尋ねた。〈魔泉〉の主に生半可な攻撃は通用しない。今のところ有効と思われるのは祭儀術式の、それも連続使用だけ。それならわざわざプレイヤーが近づいて攻撃する必要などないように思える。むしろ巻き込まれて危ないだろう。しかしフレクは苦笑しつつ首を横に振りこう言った。
「牽制だよ。例の炎は丘まで届く。キュリーを集中して狙われては、作戦が成り立たん」
それを聞いて、カムイは「なるほど」と納得した。確かに〈魔泉〉の主の目先をそらす必要はあるだろう。ただイスメルとカレンが調べてきたように、〈魔泉〉の縁から主までの間には奈落が口をあけている。となれば、牽制の手段は限られてしまう。
「牽制だけでいいのなら、わたしがやります」
「はいは~い、アタシも手伝うよ」
そう言ってイスメルとルペが、空を飛べる二人が牽制役を志願した。実際、それしか方法はないだろう。二人だけで勤まるのかという心配はあるが、強行偵察の様子を見る限りイスメル一人でも何とかなりそうではある。ルペがフォローに回れば、より確実だろう。
「問題はそれだけじゃないぞ。瘴気濃度が高すぎる。かといって一箇所にまとまっているわけにもいかんぜ」
肩をすくめつつ、アーキッドはそう指摘した。カレンの周囲にいれば、瘴気の影響は無視できる。だがそんなふうに行動を制限していては満足に戦えないだろう。その上、一箇所にまとまっていてはいい的だ。結界を使えば分散は出来るかもしれないが、戦いづらいことに変わりはない。
「新たな向上薬をリクエストするほかないだろうな」
断定口調でそう言ったのはロロイヤだった。つまり耐性を底上げしての力押しである。この場合時間制限が付きまとうが、それはリクエストをするときに調整が可能だ。唯一にして最大の問題は多額のポイントがかかること。リクエストするだけで100万Ptかかるし、さらに人数分を購入しなければならない。
メンバーの視線がカムイに集中する。彼は居心地悪げに身じろぎした。確かにポイントを用意するのは彼だが、しかし彼だけではない。それなのになぜこうも自分にだけ視線が集中するのか、カムイは納得がいかなかった。というか、視線をよこす中にアストールと呉羽とリムまでいるのはどういうことなのか。「裏切り者」と彼は胸中で叫んだ。
「まあ、はい。何とかします……」
とまれ、視線が集中するなかで何も言わないわけにもいかない。出費の負担については以前すでに了解していたから、カムイは頬を引き攣らせながらもそう言って首を縦に振った。
「助かるぜ。……で、だ。話を元に戻すが、最大の問題はやっぱりあの回復能力だな」
アーキッドはカムイに一言かけてから、そう言って話題を元に戻した。主が〈魔泉〉の中に浮かんでいることも、瘴気濃度が高いことも、実はそう大きな問題ではない。解決の方策がすでに見えているからだ。
しかしあの回復能力だけは底が見えない。強行偵察の様子を見ていて、さらに底は見えなくなってしまった。
「首を刎ねたときは『もしや』と思ったのだがのぅ……」
ミラルダがそう言って嘆息する。この場にいるメンバーの全てが同じことを思ったに違いない。だが実際にはわずかに沈黙させただけで、瞬く間に回復されてしまい、つまりほとんど意味はなかった。
「じゃ、弱点とかないんでしょうか……?」
「いい質問だな。実際にぶつかってみてどう思った、イスメル?」
リムの質問に一つ頷いてから、アーキッドはイスメルにそう話を振る。彼女は強行偵察中に思った感想を率直にこう述べた。
「弱点になりえるとしたら心臓、つまり魔昌石でしょう。〈魔泉〉の主もモンスターである以上、これを抉り取ってやれば倒せるはずです」
「ま、道理っちゃあ、道理だな。で、そういうことらしいが、できそうか、少年?」
「いや、何でそこでオレなんですか?」
いっそ楽しげに視線を向けてくるアーキッドに、カムイは怪訝な顔をする前に呆れてしまった。ただアーキッドが彼を名指ししたのには、一応それなりの理由があった。
「そりゃ、モンスターから直接魔昌石を引っこ抜くなんて真似、少年以外の誰もやったことがないからな」
そう言われてカムイも気付く。確かに他のメンバーがそういう倒し方をしているのを見たことはない。していないだけで「出来ない」と決め付けるのは早計だが、第一人者が彼であることは間違いだろう。ただ、だかと言って〈魔泉〉の主相手にそれができるかは別問題だ。
「だとしても無理ですよ、あんなでかいヤツ。〈キーパー〉ですら力比べするだけで精一杯だったんですから。そもそも近づくことすら出来ないって言うのに」
カムイはそう言って首を横に振った。話を振ったアーキッドも「ま、そうだろうな」と言って肩をすくめる。彼とて最初から本気で期待していたわけではないのだ。他のメンバーも同じで、みんな当然のこととして受け入れていた。
「ですがそうなると、〈魔泉〉の主に弱点らしい弱点はないことになりますね……」
「なあに、最初から覚悟の上さ」
そうだろう? とアーキッドに言われ、眉間にシワを寄せていたアストールも「そうですね」と言って苦笑を浮かべた。彼の言うとおり〈キーパー〉以上の難敵であることは最初から承知の上。その上でここまで来たのだ。今更その程度のことで泣き言など言っていられない。
それからさらに、彼らは情報の整理を続けた。出てくるのは〈魔泉〉の主が今まで最大の強敵であることを裏付けるものばかりだが、先ほど述べたとおりそんな事は最初から分かっている。そのおかげでリビングの空気は必要以上に重くならずに済んだ。
「……さて、と。ここまで情報をまとめてきたわけだが、それを踏まえた上でまず決めなきゃならないことがある。つまり本当にあの化け物に挑むのかどうか、って話だ」
情報をあらかたまとめ終えると、アーキッドはメンバーを見渡してそう言った。まず強行偵察をしてみて、それで勝ち目がありそうならば挑む。それが当初の計画だった。そして強行偵察は行われ、その情報も大体まとめた。つまり決断の時だった。
「前も言ったが、ここにいるメンバーは基本的に全員対等だ。だから遠慮なく自分の気持ちを言ってほしい。ただし、決めたら泣き言は無しだ」
そう言ってアーキッドはもう一度メンバーを見渡した。そして一拍の沈黙の後、次々と声が上がり始めた。
「逃げるのは、もう飽きた」と静かに闘志を燃やすデリウス。
「血が滾るぞ」と獰猛に笑うのはフレク。
「やりましょう」と言って眼鏡を光らせたのはキュリアズ。
「面白そうじゃないか」と嘯くのはロロイヤ。
「わたしが一助になるのであれば」といつも通りのイスメル。
「化け物退治じゃな」と尻尾を揺らしながらミラルダ。
「武勇伝の、新たな一ページ……!」とテンションを上げたのはキキ。
「頑張っちゃうよ~」と明るく答えたのはルペ。
「一生懸命頑張ります……!」と意気込むのはカレン。
「ちょっと怖いけど、みんなと一緒なら大丈夫です!」と力強くリム。
「力の及ぶ限り」と静かに答えたのはアストール。
「挑むために、ここまで来ました」とやる気十分な呉羽。
十二人が順番に答えた。みんな前向きだ。アーキッドは一つ頷くと、まだ答えていないカムイに視線を向けた。
「少年はどうするんだ?」
「そういうアードさんはどうするんですか?」
「俺か? ビックウェイブには乗るさ。で、あとは少年だけだぜ?」
「それじゃあ、ぶっ飛ばしてやりましょう」
カムイは楽しげにそう答えた。降りるメンバーは一人もいない。全員で挑む。それが決まった。
今回はここまでです。
何とか今年中には〈魔泉〉の主をぶっ飛ばしたいと思っています。
続きは気長にお待ちくださいませ。




