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世界再生GAME  作者: 新月 乙夜
〈ゲートキーパー〉

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92/127

〈ゲートキーパー〉13


(この山に登るのは、これで三度目、か……)


 緑が少しもない丸裸の小高い山。〈山陰の拠点〉のすぐ北側にあるその山を登りながら、カムイはぼんやりとそんなことを考えていた。一度目はデリウスに勧められて呉羽と一緒に登り、そして山頂から〈魔泉〉を目撃した。二度目は拠点を離れる直前で、〈魔泉〉の主から逃げるしかなかった、あの時の悔しい気持ちを忘れないために登った。そしてこう誓ったのだ。


 ――――I’ll be back. 帰ってくるぞ、と。


 そして三度目。確かにカムイはここへ帰って来た。そういう意味では感慨を感じなくはない。ただやはり因縁と感情の起点になっているのは、この山ではなく〈魔泉〉であり主なのだ。それで今はまだ、テンション低目だった。


 ついでに言えば、緊張感もあまりない。カムイは今、一人で山登りをしているわけではなかった。彼を含めて八人が揃って山登りをしている。まあその内の一人であるルペは飛んでいるので、実際に歩いて登っているのは七人だが。


 戦力は十分。というか多すぎるくらいだ。散発的に出現し襲ってくるモンスターは、全てルペが片付けていた。彼女の手には少し前に買ったばかりの【夜天月弓】が握られている。新しい装備でばんばんモンスターを倒して、ルペはご機嫌な様子だった。


「視点が高くて、コストを気にせずに使える飛び道具って、結構卑怯だなぁ……」


 ルペがにこにこしながら戦利品の魔昌石を回収するのを見ながら、カムイは苦笑気味にそう呟いた。それが聞こえたのか、隣を歩いていた呉羽が「ああ」と相槌を打つ。そしてこんなふうに分析した。


「視点が高いから障害物が多くても視界を遮られない。飛び道具だから反撃を受ける危険性も低い。普通、弓は矢の本数に制限を受けるけど、ルペのは魔弓だからそれもない。魔力量の制限は受けるけど、それでも何百発という単位らしいしな」


 聞けば聞くほど、スタイルとして完成されている。その上、ルペはその気になれば雲の高さまで飛んで、そこから狙撃できるという。そんなコトをされたら、カムイも呉羽も文字通り手も足もでない。


 ただ、こういうスタイルは防御力が低くて紙装甲なのがセオリーだ。カムイがそのへんはどうなのかと尋ねると、呉羽は苦笑しながら首を横に振った。


「ユニークスキルで風を纏えるからな。ルペの防御膜は、たぶんわたしのより強力だぞ」


 それを聞いて、カムイは「うげ」という顔をした。呉羽が纏う風の防御膜は、カムイの“アーム”を弾くくらいの防御力がある。それよりも強力ということは、普通のモンスターの攻撃はほぼ全て防げると考えていい。決して紙装甲ではないのだ。


 なお、呉羽が風の防御膜を展開できるのは古い装備を使っているときだけである。新しい装備だと風ではなく雷が出てしまうのだ。ちなみに今は、【黄龍の神武具】ではなく古い装備を使っている。【黄龍の神武具】は強力だがその分魔力消費が激しく、普段使いには向かないのだ。それで今は稽古のときだけ、新しい装備を使っていた。


 まあそれはそれとして。ルペが片っ端からモンスターを倒してくれるので、カムイたちは山登りの最中一度も戦闘をしなかった。そして登り始めてからおよそ一時間後、彼らは山頂に到着する。そこからの光景を初めて見るルペは、「ほへぇ~」と呆けたような声を出していた。


(変わらないな……)


 カムイは胸中でそう呟いた。そこから見えるのは、空を突く黒い竜巻。すなわち〈魔泉〉だ。いくら道中がのんびりしていたとはいえ、コレを見ればさすがに背筋が伸び視線は鋭くなった。


 しばらくの間、彼らは無言のまま〈魔泉〉を眺めていた。それぞれの胸にどんな思いが去来しているのか、カムイには分からない。実際にあそこまで行きそして逃げ帰ってきた者と、今回初めて挑む者とでは、感じる事柄は違ってくるはずだ。


 ただカムイに関して言えば、こうして遠目に〈魔泉〉を眺めても、「帰って来た」という気はしない。ここはまだ、その道の途中なのだ。そして自分がそう感じられていることに、彼は少しだけ安堵するのだった。


「……さすがに遠いな」


 しばしの静寂の後、それを破ったのはアーキッドだった。自分の中で感情に決着をつけ終えた彼は、今度はストレージアイテムから双眼鏡を取り出して〈魔泉〉の様子を観察している。カムイもそれに倣った。感傷にひたるのは終わりだ。


(よく見えるといえば、よく見える。けど……)


 双眼鏡を覗き込みながら、カムイは眉間にシワを寄せた。呉羽にねだられ双眼鏡を渡した後も、彼は難しい顔をしたままだ。


 双眼鏡を使えば、確かによく見えはした。ただ、そもそも〈魔泉〉は巨大なのだ。よく見えるのは当たり前である。それに見たいのは〈魔泉〉そのものの様子ではなく、イスメルが行う強行偵察の様子だ。


 当たり前だが、いくら【ペルセス】に跨っても、イスメルは〈魔泉〉に比べ相当小さい。双眼鏡を使えばその姿がちゃんと見えるのか、かなり疑問だ。仮に見えたとしても、素早く動く彼女を追い続けるのは相当難しいだろう。


 やはりこことは別の観測スポットを見つける必要があるだろう。そう思い、カムイは〈魔泉〉から視線を外し、その周辺を探し始めた。ただ双眼鏡は呉羽が使っているし、また大量の瘴気に遮られて視界が極端に悪い。それで彼は適当な場所を見つけることができなかった。


「あ、あそこなんてどうかな?」


 代わりに声を上げたのは、やはりと言うかルペだった。彼女はカムイと同じく肉眼で探していたのだが、何か見つけたようである一方を指差している。カムイがカレンに又貸しされていた双眼鏡を取り返し、その指差す方角を見ていると、そこは小さな丘になっているようだった。


「ルペ、ちょっと地図を出してみろ」


 アーキッドにそう言われ、ルペは懐から地図を取り出した。彼女はここのところずっと【測量士の眼鏡】を装備している。それで彼女が見つけた小さな丘は、ちゃんと地図のほうにも記載されていた。


 普通の視力では、その小さな丘を確認することはできない。それでルペほど目が良くないメンバーたちは、自然と彼女が広げた地図の周りに集まった。


 件の小さな丘は、カムイたちが今いる場所からおおよそ北西の方向にあった。〈魔泉〉から見ると、だいたい西南西の方角である。カムイが先ほど見た限りでは、なだらかな印象だった。標高は良く分からないが、彼らのいる山よりは低い。恐らくは半分以下だろうと思われた。


 そして最も重要なこととして、地図上で確認する限り、件の小さな丘はここよりも〈魔泉〉に近い。さらに丘の西側は〈魔泉〉の陰になっている。討伐作戦の拠点とするのに、〈山陰の拠点〉よりも都合が良さそうだった。瘴気濃度がどうなっているかは分からないが、カレンが居る限り大きな問題はない。


 良さそうな場所が見つかり、山を登ってきたメンバーは喜色を浮かべて頷きあった。ただこの後もアーキッドはルペに頼んで、周辺の探索と地図の穴埋めを続けた。そして一通りの情報が揃ったところで、彼らは山を降りたのである。


 山を降りて〈山陰の拠点〉に戻ると、アーキッドは【HOME(ホーム)】のリビングにメンバーを集めた。そして地図を広げながら、集めてきた情報を説明する。そして最後にこうまとめた。


「……それで、とりあえずこの丘の西側に拠点を移して、強行偵察をしてきてもらおうかと思っている。で、その様子を丘の上から観察する」


「そこからなら、本当に見えるのでしょうか?」


「それはぶっちゃけ行って見なきゃ分からないな。裏の山より〈魔泉〉に近いから、その分は見やすいんだろうが……。ま、ダメならもうその時はその時だな」


 アストールの疑問にアーキッドはそう答えた。投げやりなふうではあるが、そうとしか答えようもない。あるいは件の丘の上からまた周辺を探索すれば、また別の良い場所が見つかるかもしれない。だがそれにしても行ってみてからの話だ。


 それでアストールも苦笑を浮かべると、一つ頷いて引き下がった。他に質問が出ないのを見て、アーキッドはさらにこう続けた。


「ただ、問題もある。瘴気だ」


 陰になっている場所はともかく、観戦する予定の場所である丘の上は、瘴気濃度が高いことがほぼ確定だ。これまではカレンが居たから気にせずに済んだが、彼女はイスメルの強行偵察に付き合うことになる。〈魔泉〉直上の瘴気濃度が分からない以上、強行偵察にはどうしても彼女の力が必要なのだ。


 ただそうなると、観戦するメンバーはカレンのユニークスキル【守護紋】をアテにすることができなくなる。となればゲロを吐かないためにも、高濃度瘴気を防ぐために何か別の対策が必要だった。


「向上薬を使うのが一番なんだろうが……」


「何か問題があるのか?」


 言葉を濁したアーキッドに、デリウスがそう尋ねた。するとアーキッドは肩をすくめながら「なかなかちょうど良いのがなくてな」と答える。それを聞くと一部のメンバーは「ああ、なるほど」と言わんばかりに頷いた。


「……どゆこと?」


「つまりじゃな……」


 分かっていないキキに、ミラルダがこう説明する。現在アイテムショップで販売されている向上薬は三つ。【瘴気耐性向上薬】と【簡易瘴気耐性向上薬】、そして【簡易瘴気耐性向上薬改】だ。効果と持続時間はそれぞれ、五倍で一時間、二倍で一時間、二倍で十二時間となっている。


 今まではこの三種類を状況に応じて使い分けてきた。ただ今回は、場所がかなり〈魔泉〉に近い。二倍では倍率が足りないだろう。かといって強行偵察が一時間で終わるとはかぎらないため、五倍では今度は時間が足りない、というわけだ。


「〈結界〉を使えばいいのではないか?」


 そう提案したのはデリウスだ。彼の言う〈結界〉とは、以前に〈魔泉〉の調査のために使ったものだ。具体的には、まず空気で断層を作り内部に瘴気が入るのを防ぎ、それから内部の瘴気を吸収なり浄化なりして取り除き、その濃度を下げるのだ。


 調査の際にはこの結界を使って、丘の場所よりもさらに〈魔泉〉へ接近したこともある。まして今回のように動かなくていいのなら、十分実用に耐えられるだろう。しかしアーキッドの表情は難しいままだ。


「結界も考えなかったわけじゃないが、どうしても身動きが取りにくくなるからなぁ」


 ただ観戦するだけなら、動く必要はないし、結界でもいいだろう。しかしスポーツ観戦をするのとは訳が違う。ともすれば例の炎が放たれるかもしれないのだ。結界の中で身動きが取れない状態だと直撃=全滅だし、あるいは向上薬を使っていない状態で結果の外に出てしまったらやはり大きな被害に繋がってしまうだろう。


 もちろん、例の炎が直撃すると決まっているわけではない。なによりイスメルがいる。危険なものについては、彼女が対処してくれるだろう。しかしだからと言って、最初からそれを期待するのは筋違いだ。


 そもそも彼女には単騎による強行偵察という危険な仕事を、すでに引き受けてもらっている。この上さらに、「観戦メンバーのお守りもしろ」と言うのは過剰な要求だろう。これは出来る、出来ないの話ではない。一人に過重な仕事を負わせるのは健全ではない、と言う話だ。


 ただその一方で、現実的な問題もある。先ほども言ったように適当な向上薬がないのだ。新たな向上薬をリクエストするには100万Ptもかかるし、そもそも向上薬自体安いものではない。強行偵察の結果次第ではあるが、討伐の本戦も控えていることだし、ポイントはなるべく節約したいところだった。


「世知辛いねぇ……」


 アーキッドが苦笑しながらそう呟いた。ただ本当にそう思っているのか、どこか面白がるような表情も浮かべている。ちなみに観戦時の瘴気対策だが、結界と向上薬を併用することになった。無難なところに落ち着いた、と言えるだろう。そしてその話が一段落したところで、アーキッドは表情を引き締めさらにこう切り出した。


「世知辛いついでに生臭い話もしておくか」


 つまり金の、ポイントの話である。アーキッドの視線がカムイをチラリと捉えるが、しかしすぐにそらされたので彼がそれに気付くことはなかった。そしてアーキッドはこう言葉を続ける。


「こっから先、討伐作戦を進めようと思ったら、結構な金がかかる。つまり準備費用ってヤツだな。そしてその費用はここにいるメンバーで負担することになる。俺たちに気前のいいスポンサーはいないからな。で、その費用なんだが、カムイたちに大部分の負担をお願いしたい」


 そう言われ、その内容を理解した瞬間、カムイは不快げに顔をしかめた。要するに多額の金を出せといわれているのだ。愉快な話ではない。むしろ不愉快な話だ。だから返答も刺々しくなった。


「……たかろうって言うんですか? こういう場合は頭割りが筋だと思いますけど?」


「その通りだ。俺たちは誰かに命令されたわけじゃないし、雇われてここにいるわけでもない。全員、自分の意思でここにいる。基本的に俺たちの関係は平等だ。上も下もない。だが現実問題として各人の能力には、特に稼ぐ能力には差がある。こいつは覆しようがない」


「だから出来るヤツがやるべきだ、と?」


 カムイの声はまだ不機嫌そうだった。アーキッドの言っていることも分かるのだ。確かにカムイたち四人(ルペも加えるなら五人)なら、効率よくポイントを稼ぐことができる。そもそもない袖は振れないのだ。「あるヤツが出す」という考え方は合理的だった。完全に客観的な立場から見れば、だが。


 稼ぎと言う点ではキキの【Prime(プレイム)Loan(ローン)】もなかなかのものだが、しかしここには他のプレイヤーがいない。つまり追加で稼ぐことができない。手持ちの資金でやり繰りするほかなく、そのせいで作戦の柔軟性が失われる恐れがある。


 やはり、短時間で大量のポイントを稼げるカムイたちが資金を用意するのが、討伐作戦を成功させるためには最も合理的なのだ。言いだしっぺとしての責任もある。ケチった挙句に誰かが死んだりでもしたら、それこそ取り返しがつかない。きっと死ぬほど後悔するだろう。


 分かっている。カムイだって分かっているのだ。呉羽やルペという前例もある。しかしだからと言って頭ごなしに「金を出せ」と言われれば、やっぱり面白くない。不公平だ、と思うのが人の自然な感情だ。合理的じゃないと分かっていたって、感情が追いつかなければ納得はできない。そして納得できなければ不平と不満が募り不和へと繋がる。それが人間と言う生き物なのだ。


(面倒な生き物だな、人間ってヤツは。本当に……)


 アーキッドは胸中でそう苦笑した。以前の彼はそういう、俗にいうところの“心”というヤツが煩わしかった。そのくせ満たされずに虚しさを抱えているのだから、救いようがない。


 ただ、今はたぶん違うはずだ、と彼は思っている。こんな滅んでしまった後の何もない世界だが、しかし美味くもない酒を流し込むことはなくなった。それは、恥ずかしい言い方をするなら、仲間のおかげなのだろう。そのことに気付かないほどアーキッドは鈍くはないつもりだった。


 そしてその仲間の中に、カムイはもう入っているのだ。アーキッドは彼のことを結構気に入っていた。手のかかる甥っ子みたいに思っていたし、〈キーパー〉戦であの巨大な半身像を見てからは頼りがいのあるヤツだとも思っている。


 そのカムイに、面白くもない建前論を押し付けて、くそったれな大人だと思われるのはアーキッドにとっても不本意だ。そんなことをしたいわけではない。それで彼はカムイの方をまっすぐに見てこう言った。


「やるべきだ、とは思っていない。だが、やって欲しいとは思っている。だから、頼む」


 アーキッドはカムイに向かって深々と頭を下げた。小細工なしの正面突破だ。何が尊敬できるやり方なのか、彼には分からない。それを教えてくれる人は周りにはいなかったし、彼自身そういうやり方を学ぼうともしなかった。


 思い出すのは元の世界。周囲に居るのはくそったれな大人ばかりで、「ああはなりたくない」と思っていた大人に、いつしか彼もなっていた。普段飄々として見せているのは、素でそういう部分があるのは事実だとしても、すえた臭いのする自分を隠しておきたいからだ。


 だから、と言うべきなのだろう。頭を下げてカムイの反応を待っている間、アーキッドはわけの分からない不安を抱えていた。これで良かったのか、自信が持てない。ほんの数秒のはずの時間がやけに長く感じた。


 一方のカムイだが、まさかアーキッドが頭を下げるとは思っていなくて、彼は驚いて逆にうろたえていた。助けを求めて視線を彷徨わせるが、しかしどうにもならない。アストールは困ったように苦笑しているし、呉羽は全力で視線をそらしている。リムに至ってはカムイ以上にオロオロとしていて可哀想なくらいだ。そうこうしている内に別の声が響いた。デリウスだ。


「私からも、頼む」


 そう言ってデリウスもまた深々と頭を下げた。そして彼を皮切りに他のメンバーたちも次々に頭を下げていく。ロロイヤまでそれに倣うのだから、カムイはますますうろたえる。ちょっともう泣きそうだった。


「ああ、もう! 分かった、分かりましたっ! だからもう頭上げてください!?」


 ほとんどヤケクソ気味に、カムイはそう叫んだ。アストールたちもそれに同意したところで、アーキッドはようやく頭を上げた。そして小さく笑みを浮かべ、「助かる」と呟く。それが聞こえてしまって、カムイは気恥ずかしさを隠すためにことさら憮然とした。


 その後、件の丘へ向かうのは明日にすることにして、この場は一旦お開きになった。解散になるとすぐ、カムイはアストールたちに声をかけて外へ向かった。早速ポイントを稼ぐつもりなのだろうが、それ以上にこの場から逃げたかったのだろう。彼の顔がそれを物語っていた。


 それを見送ってから、アーキッドも自分の部屋へと戻った。そして棚からウィスキーを取り出し、グラスに注いで一口呷る。強い酒精が喉を熱くすると同時に芳醇な香りが鼻へと抜け、彼は「ふう」と息をはいた。


「ふふ、祝杯かえ?」


 不意に、アーキッドはそう声をかけられた。慌てることもなく出入り口のほうを見ると、思ったとおりそこにはミラルダがいた。彼女がノックもせずに部屋に入ってくるのはいつもの事だ。アーキッドも気にせず、もう一口ウィスキーを飲んでからこう答えた。


「そういうわけじゃないが……。何か用か?」


「なに、頑張った童を褒めてやろうと思うてな?」


「子供扱いかよ。やめてくれ」


 そう言ってアーキッドは顔をしかめたが、ミラルダは上機嫌にニコニコと笑うばかりで取り合わない。そのままアーキッドに近づくと、まるで子供にするようにして彼の頭を撫でた。


「よく頑張ったのう」


「だから止めろって」


 アーキッドが険のある声を出すが、ミラルダはまるで頓着しない。そもそも振り払おうとしないのだから、本気で嫌がっているわけではないのだ。それでもやられっぱなしは悔しかったのか、アーキッドは中身の残るグラスを机の上に置くとミラルダをベッドの上に押し倒した。


 ミラルダは抵抗しない。それどころか甘く蕩けるような笑みを浮かべた。大胆に開いた彼女の胸元に、アーキッドは顔をうずめる。ミラルダの甘い香りをかいで、彼はようやく身体の力が抜けたように感じた。


「なんじゃ、子供のように抱きついて」


 ミラルダの呆れたような声にも甘いものが混じる。彼女は赤味がかった髪を梳くようにしてアーキッドの頭を撫で続けた。しばらくそうしていると、やおら彼は小さくこう呟いた。


「……あれで、良かったのか?」


「ふふ、格好良かったぞえ」


「頭下げただけだぜ」


「それができる者は意外と少ない。頭を下げずに済む方策を知っておるのであればなおのこと、のう」


 ミラルダのその言葉に、アーキッドは小さく笑みを浮かべた。確かに彼はあそこで頭を下げずとも、カムイを説得することができただろう。少なくともその自信はあった。「ポイントが足りなくて誰か死ぬかもな」とか、「【HOME(ホーム)】に泊めてやっているんだからその分だ」とか、それらしい理由を並べて言いくるめることはできたはずだ。


 元の世界では、アーキッドはそうしてきた。いや、もっと悪辣な手を多用していた。その頃の彼を知っている者があの姿を見たら、きっと正気を疑ったことだろう。だがここは異世界なのだ。元の世界の流儀に合わせる必要など、どこにもない。それをアーキッドはこんなふうに表現した。


「男はみんな、カッコつけたがりなのさ」


 知っておるよ、とミラルダは微笑んだ。そしてまた彼の頭を撫でた。



 ― ‡ ―



「ふむ、0.46か。まあ昨日もまた大量に浄化していたしな」


 裏の山の頂から別の小さな丘を見つけたその次の日。朝早く起きたロロイヤは、【HOME(ホーム)】の外で瘴気濃度を測定していた。彼の言うとおり、昨日もまたカムイたちがポイントを稼ぐべく大量の瘴気を浄化していたおかげで、その数値はかなり低い。ただ低いことそれ自体が重要なのではなく、一晩経っても低い状態を維持していることが重要だった。


 ロロイヤは「長期的に瘴気をどうにかするためには、地中の瘴気をどうにかする必要がある」という仮説を立てていた。長期的といいつつ一晩分のデータしかないわけだが、まあ滑り出しは順調と言っていいだろう。討伐作戦を終えてここへ戻ってきたときの数値が楽しみだった。


 今日は件の小さな丘へ向かう予定である。朝食を食べ終えるとすぐ、カムイたちはそこへ行くべく〈山陰の拠点〉を出発した。少し遠回りになるが、〈魔泉〉から距離を取るようにしながら彼らは北上していく。なお、高くないとは言え山越えをしなければならなかったので、まだレンタカーは使わない。


「っち、やっぱり瘴気が多くなってきたな」


 山の北側へ出たところで、アーキッドが舌打ち混じりにそう言った。彼の言うとおり、視界を遮る瘴気の量が明らかに多くなっている。濃度を測ってみると、その値は1.83。跳ね上がった、と言っていいだろう。


「向上薬飲まないんなら、カレンから離れすぎるなよ」


 今一度、アーキッドはメンバーにそう注意を促した。1.83という瘴気濃度は、通常であれば悶絶してそのまま死に至るような高濃度だ。彼らがいま平気なのはカレンのユニークスキル【守護紋】のおかげなのだが、この能力の現在の有効範囲は半径70m弱。誤ってその外へ出てしまったらただではすまない。


 加えて、瘴気濃度が高くなれば当然、モンスターが出現しやすくなる。平地であれば多少出現頻度が高くなったところで稼ぎが増えるくらいの差しかないのだが、あいにくとそこは足場の悪い山の斜面。【守護紋】の有効範囲外へ出ないのもそうだが、滑落や落石などにも注意が必要だった。


「そういうことならば、拙者に任せろ」


 力強くそう請け負ったのはフレクだ。彼はもともと急峻な山岳地帯の出身だといい、それでこういう場所での戦闘はお手のものだと語った。さらにアストールが支援に回り、ルペやキュリアズといった中・遠距離の射撃能力を持つメンバーも積極的に戦闘に参加する。そのおかげで、一行は順調に歩を進めることができた。


 もっとも、小さな問題は幾つか起きた。その中でも最も悲しかったのは、回収できない魔昌石があったことだろう。特に空を飛ぶモンスターを射撃で倒した場合、その傾向が強かった。


「ああぁぁ、また……」


 ルペが悲しげな声を上げながら、斜面を転がっていく魔昌石を見送った。翼を広げたその幅が2mはあろうかという、巨大な鳥型のモンスターの魔昌石である。彼女はそのモンスターを魔弓で射抜き倒したのだが、その戦利品を彼女が手にすることはなかった。そのまま手の届かない場所へと消えていったのである。


 もちろん、追えば見つけて手に入れることができるだろう。しかしそのためにはカレンに付き合ってもらうか、向上薬を飲まなければならない。ただ、魔昌石一つで得られるのは多くても1,000Pt程度で、手に入れても割に合わない。それが分かるのでルペも悲しそうにしつつも追うことはしなかった。


 さて完全に山を越え平地に出たところで、一行はレンタカーを使うことにした。使わないと、どうも今日中には目的地に着けなさそうだったのだ。時間と多額のポイントを天秤にかけ、前者を選んだのである。このポイントは当然カムイたちが支払うことになるわけだが、前日アーキッドに説得されたからなのか、彼はずいぶんと吹っ切れた様子だった。


「浮いた時間で稼ぎます」


「ぜひそうしてくれ」


 どこか悟った様子のカムイに、アーキッドは苦笑しながらそう言った。幸いと言うか、この辺り一帯は瘴気濃度が高い。効率良く稼げるはずで、費用対効果はむしろプラスのはずだ。ともあれ、それをわざわざ口にするのは野暮だろう。むしろ「何か差し入れるかな」とアーキッドは考えるのだった。


 カムイたちが目的地である小さな丘に着いたのは、その日の午後のことだった。彼らがいるのは丘の西側、つまり〈魔泉〉から見て丘の陰になっている場所である。立地的には〈山陰の拠点〉と似ているのだが、残念ながらここはプレイヤーの拠点としては使えそうにない。瘴気濃度が非常に高いからだ。


「2.03か……」


 目の前に掲げた【瘴気濃度計】を確認しながら、ロロイヤはそう呟いた。瘴気濃度が高いのは丘が低いからか、あるいは〈魔泉〉に近いからなのか。おそらくはどちらも関係しているのだろうな、と彼は思った。


「時間はまだあるし、丘の上からの眺めも確認しておこうぜ」


 アーキッドがそう提案し、メンバーは揃って同意した。なだらかでしかも低い丘を、彼らは簡単に踏破する。その頂上からの光景は、禍々しくも圧巻だった。


 風が耳元でうるさく鳴っている。自然の風ではない。〈魔泉〉から噴出す瘴気と、それに付随する強風である。そして目の前では〈魔泉〉そのものが唸りをあげていた。当たり前だが例の小高い山の上から見たときよりも、その姿は大きくそしてはっきりとしている。特に調査隊に参加していなかったメンバーは、その迫力に圧倒されていた。


「……これも大自然の驚異の一つ、といえるのかのう?」


「あまりそうと認めたくはありませんね。瑞々しさも清々しさもない」


 緊張を紛らわすために呟いたミラルダの冗談に、イスメルは顔をしかめながらそう応じた。彼女達のそんな会話をきっかけに、メンバーは少しずつ調子を取り戻し、話はより実務的な方向へと進んだ。


「瘴気濃度はどれくらいだ?」


「ええっと、2.72です」


 アーキッドにそう答えたのはアストールである。それを聞いてアーキッドは一つ頷く。やはり丘の麓よりは濃度が高い。低いとはいえ、この丘もある程度壁の役割は果しているのだ。一方で2.72という濃度は思っていたよりも低い。位置的に3.0を超えているかと思ったが、そうではなかった。


 ただ、期待していた数値よりは高い。2.72だと瘴気耐性を二倍にする【簡易瘴気耐性向上薬】では足りないだろう。三倍にするものがあればちょうどいいのだが、ないので五倍の【瘴気耐性向上薬】を使うことになりそうだ。ただし、これの効き目は一時間しかもたない。


「やっぱり、結界も使う必要があるな」


「では、〈魔泉〉の主が出現したタイミングで服用するのがよかろう」


 アーキッドの呟きにデリウスがそう応じ、二人は視線を合わせて頷きあった。つまり〈魔泉〉の主が出現するまでは結界を張って待機し、戦闘が始まる直前に向上薬を服用するのだ。前後の移動を含めず戦闘だけであれば一時間もあれば終わるだろう。というか、それ以上は負担が大きすぎて求めるのは酷だ。


 そして戦闘が終わったところで、観戦していたメンバーは丘の西側へ降りて退避。イスメルとカレンは【ペルセス】の健脚に物言わせて〈魔泉〉周辺から一気に離脱。その後、合流して強行偵察で得られた情報を検証する、ということになった。


「あとは、まあこれが一番の問題なんだが……。例の炎が放たれた場合、何か防ぐ手段はあるか?」


 少し困ったようにアーキッドがそう尋ねた。この場合の「手段」とは、つまりイスメルを除いての話である。彼女に余計な負担をかけず、強行偵察に専念できるようにするためにはこれが必要なのだ。それに例の炎をイスメル以外も防げるなら、討伐作戦で採れる戦術の幅が広がるだろう。


「それでしたら、いいモノがあります」


 小さく手を上げてそう言ったのはキュリアズだ。彼女のユニークスキル【祭儀術式目録】の中に登録されている術式の中には、防御用のものもあるのだという。その名を【アースガルド】。〈神々の城砦〉の異名を持ち、攻撃用の祭儀術式を防ぐために開発されのだそうだ。


 祭儀術式の力はカムイも良く知っている。直接見せてもらったのは攻撃用のものだったが、特に【ボルテック・ゾア】は例の炎にも匹敵するようにも思う。それを防ぐことを目的としていたのであれば、防御用の手札として非常に心強い。それでカムイは安直に「いける」と思ったのだが、しかし当のキュリアズはもう少し冷静だった。


「ただ、欠点と言うか、懸念が三つほど」


 一つ目は、実際に試したことがないので、確実に防げるのかは試してみるまで分からないと言うこと。二つ目は、【祭儀術式目録】を構えていても、術式は反射的に使えるわけではないということ。どうしても二拍程度の時間が必要になり、急に放たれた場合、間に合うかどうかは微妙である、とキュリアズは話した。


 さらに【祭儀術式目録】にストックしておけるのは一回分だけ。二回目以降は相応の魔力と、それを充填させるための時間が必要になる。そのため、もしも例の炎を連射されたら、【アースガルド】だけで防ぐのは難しい。


「……以上のことを考え合わせると、何かもう一手欲しいところですね」


「だ、そうだ。まあ、二回目以降の魔力はミラルダに頼るとして、他に何かないか?」


 アーキッドがそう言ってメンバーを見渡した。今度彼に応じたのはカムイである。彼は記憶を引っ張り出しながらこう言った。


「前の調査のときは、呉羽が防いでましたけど……」


「いや、アレは防げてないぞ。結局破られて、テッドさんに助けてもらった」


 カムイの言葉に、すぐさま呉羽自身が訂正を入れる。あのとき彼女は真空の層を作って例の炎を受け止めた。しかし耐え切ることはできず、破られたところをテッドに助けてもらったのだ。


「それでも途中までは防げたんだよな? 何秒くらい耐えられた?」


「ええっと……。三秒くらい、だったと思います」


 少し考えてから、呉羽はそう答えた。あの時と比べて彼女も成長しているから、今ならもっと長く耐えられるかもしれないし、もしかしたら完全に防ぐこともできるかもしれない。だが見栄を張ってボロが出れば、誰かが死ぬかもしれない。自信のないことは言えなかった。


 ただそれで誰も失望したりはしない。呉羽の答えを聞いてアーキッドは一つ頷き、それから重ねてこう尋ねた。


「タイムラグはどうだ?」


「前は間に合わせました。今回は距離もありますし、よく見ていれば大丈夫です」


 それを聞くとアーキッドは満足げに一つ頷いた。そして確認するようにキュリアズのほうへ視線を向ける。それを受けて彼女は力強く頷いた。


「三秒あれば、十分に発動させられます」


 これで方針が決まった。例の炎が観客の方へ放たれた場合は、まず呉羽が真空の断層でこれを受け止め、その間にキュリアズが祭儀術式【アースガルド】を発動して防御する。そして防いだなら、直ちにミラルダが魔力を込め直してストックを回復させるのだ。なお、これに加えてルペが呉羽のサポートをすることになった。


「よし、強行偵察は明日だ。よろしく頼むぜ?」


 アーキッドの言葉にメンバーは揃って頷いた。


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― 新着の感想 ―
[一言] ~カムイは気恥ずかしさを隠すためにことさら憮然とした。 憮然の誤用なんですが、この不機嫌そうな(顔)といった意味合いで使われる誤用の方が、むしろ多数派になっているという有名な調査結果があるの…
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