〈ゲートキーパー〉12
(どうしてこうなった……)
と呉羽は思わなくもない。確かに空中戦のテコ入れという名目があったとはいえ、新しい装備を試す相手としてルペを指名したのは少々姑息だったかもしれない。だがどうして、そこからイスメルと一対一でやることになるのか。それもこれも、すべてカムイのせいである。
(なにが「一対一のほうが性能を把握しやすいから」だ!)
ラクをしようという魂胆が見え透いている。その性根を叩きなおすためにも、一度こんがりと丸焼きにしてやろうか。呉羽は物騒なことを考えた。
(……っと、文句言うのはここまで)
呉羽は頭を切り替えた。イスメルと一対一になるのは例のお説教された時以来。その時のことを思い出すのも恐ろしいが、しかし彼女が全力を受け止めてくれる相手であることは間違いない。
そう、全力だ。袖を通して改めて実感したが、新しい装備である【黄龍の神武具】は非常に大きな力を秘めている。その力を試してみるのに、イスメルはこれ以上ない相手といえた。
「準備は良いですか?」
「はい、いつでもいけます」
双剣を構えるイスメルに、呉羽はそう答えた。そして腰間の【草薙剣/天叢雲剣】を鞘から引き抜いて正面に構える。「始め!」の合図はない。けれども空気が変わったことを本人たちはもとより、少し離れたところで見学しているカムイたちも感じ取っていた。
イスメルは動かない。先手は譲るつもりのようだ。呉羽はゆっくりと力を練りながら愛刀を顔の横で水平に構える。次いで一つ息を吐いてから、一直線に駆け出した。ぐんぐんと加速しながら彼女は間合いを詰めていく。そしてあと五歩という距離で、彼女は練り上げていた力を一気に解放した。
「はああああ!」
まるで飛ぶように、呉羽は突きを繰り出した。フレクとの模擬戦の中で掴んだ剣技〈一迅閃〉だ。彼女は稽古の中でこの剣技の練習を重ね、今では完全に自分のレパートリーの一つにしている。
さてその〈一迅閃〉だが、今回は様子がちょっと、いやかなり違っていた。攻守一体とするために通常は風を纏う技なのだが、今回彼女は紫電を纏っていたのである。
その紫電を纏った〈一迅閃〉(後に区別して〈一迅閃・雷光〉と名付けられる)を、イスメルはサイドステップで回避する。紫電が不規則に伸びてくるが、彼女はそれを右手の剣を一振りして切り払った。
イスメルの横を通り過ぎて着地すると、呉羽はやや呆然とした顔をした。もちろん今回のコレは彼女の意図したことではない。というか、本人が一番驚いていた。驚くほどスムーズに、そして思った以上の出力で、技が発動したのである。これが【黄龍の神武具】のおかげであることはすぐに分かった。
「クレハ、背中が隙だらけですよ」
少しからかうような口調で、イスメルがそう告げる。その言葉に呉羽は慌てて振り返ると、愛刀を正面に構えた。そしてまた力を練る。今度はよりじっくりと、一つ一つ確認するように。
ここまでは古い装備と比べ、大きな変化はない。多少滑りがいい気もするが、別に悪いことではない。呉羽は一つ頷くと、勢いよく駆け出してイスメルとの間合いを詰める。そして今度は激しい剣舞を演じ始めた。
(すごい……! 身体が、動く……!)
イスメルと斬りあう中で、呉羽は身体がいつも以上によく動くのを感じていた。動きだけではない。視界もクリアで、イスメルの動きがよく見える。五感が研ぎ澄まされ、しかし無駄な情報はそぎ落とされていく。しかも、まだまだギアを上げられる。
(いく、ぞぉ……!)
全力を確認する。それがこの模擬戦の目的だ。ペース配分は重要だが、余力を残したままでは意味がない。呉羽もそのことは承知している。それで彼女は一気にギアを引き上げた。
バチッ、と紫電が舞う。呉羽が力を解放した瞬間に雷が走ったのだ。〈雷樹・絶界〉を使っているわけではなく、つまり彼女が意図したものではない。先ほどの〈一迅閃〉もそうだったが、つまり【黄龍の神武具】がほぼ自動的に彼女の力を変換しているのだ。どうやらこの新しい装備は雷の力を秘めているようだった。
呉羽が一太刀振るう度に紫電が舞いイスメルを襲った。もちろん、彼女はそれを大人しく喰らったりはしない。不規則に動く雷を必要最小限の動きで避け、あるいは切り払う。要所要所で反撃も挟むが、しかしそれは当らない。
(ずいぶんと速い……)
呉羽の動きを観察しながら、イスメルはそう思った。それに随分と調子が良さそうだ。どうやら新しい装備との相性はいいようで、彼女は内心で一つ頷いた。装備が強力であればあるほど、そして使い手がハイレベルであればあるほど、両者の相性は重要になってくるのだ。
その点、呉羽はいい装備を選んだようだった。それは彼女自身も実感しているようで、その顔には笑みが浮かんでいる。しかしまだまだ、この程度で満足してもらっていては困る。それでイスメルもまた、一つギアを上げた。
「そこっ!」
鋭い一閃が、紫電を切り裂きながら呉羽を襲う。回避することはできず、彼女はその一撃を愛刀で弾いて防いだ。サイドステップで位置を変えるが、イスメルが遅れることなく付いてくる。しかし呉羽に焦りはない。
(まだまだぁ……!)
もっとギアを上げられる。呉羽にはその確信があった。ちょうど新しい装備が馴染んできた頃合だ。出し惜しみはこの模擬戦の趣旨に反する。彼女は全力を解放した。
「はああああ!」
「っ!」
紫電が乱舞する。〈雷樹・絶界〉もかくやという具合だ。たまらずイスメルも一旦距離を取った。呉羽はすかさず彼女を追撃する。一太刀ごとに雷が荒れ狂い、破壊の嵐が吹き荒れた。
トップギアで戦う呉羽は、これまでになく感覚が鋭くなっていた。反応が早い。身体が思い通りに動く。見切りは正確で、思考は加速し続けている。ある種の万能感さえ覚え始めていた。
「はは、はははは!」
思わず笑い声が漏れた。今日はどこまでだって行けそうな気がする。その直感に背中を押され、呉羽はさらに加速した。残像さえ残しながら稲妻のごとき速度で、彼女はイスメルの周りを縦横無尽に駆け巡る。紫電がその後に従い、そしてイスメルを取り囲んだ。
「ふぅっ!」
鋭く息を吐きながら、イスメルは〈伸閃〉で自分の周囲を薙ぎ払い、取り囲んでいた紫電を全て切り払った。しかし〈伸閃〉の刃は呉羽を捉えてはいない。彼女の姿は空中にあった。
ルペと空中戦の訓練をしているときのように、彼女は風の上を滑るようにして宙を駆ける。速度それ自体は先程よりも遅いが、自由度の高い空中にあって三次元的な立体機動をする彼女を捉えるのは、かえって難しくなっているように思えた。
しかも呉羽はただ動いているだけではない。彼女に従う紫電はただそこにあるだけで周囲を焼き尽くす。さらに愛刀を掲げてそこから雷を放つのだ。このスタイルは彼女の空中戦の完成形になるかもしれない。少し離れたところから見学するカムイはそんなふうに思った。
しかしこの場合、やはり相手が上手だった。常に落雷に狙われる地獄のような状況で、それでもイスメルはその怜悧な表情を崩さない。全ての雷を回避し、あるいは斬り捨てる。彼女は雷をまったく寄せ付けず、その服や毛先にはわずかな焦げ痕もない。それどころかまだまだ余裕がありそうだった。
それを見て呉羽は口の端を吊り上げた。見ている者の背中が寒くなるような、戦意むき出しの獰猛な笑みだ。彼女は宙を駆け上り、同時に【草薙剣/天叢雲剣】の刀身に風を纏わせ雷を発生させる。
さらにそこへ【黄龍の神武具】が生み出す雷も加わり、呉羽が練り上げた力はかつてないものとなった。間違いなく、過去最大の威力となるだろう。そして彼女はその刃を、イスメルへ向かって真っ直ぐに振り下ろした。
「〈雷・鳴・ざぁぁぁああああん〉!!」
それはもう、巨大な雷そのものだった。雷鳴が轟々と響き、その音だけでカムイは一瞬気が遠くなった。大気と地面がビリビリと震え、もうもうと土埃が立ち昇る。そしてその土埃が晴れたとき、見学していたカムイたちが見たのは呆然とした様子の呉羽と彼女を支えるイスメルの姿だった。
これは後で聞いた話になる。この時イスメルがしたことはたったの二つだったそうだ。まず〈伸閃〉で雷だけを斬り、ついで力を失い落ちてくる呉羽を受け止める。たった、それだけだ。とはいえ同じコトを誰かほかにできるのか、自信はもとより心当たりのある者も、カムイたちの中にはいなかった。
「あ、あれ……?」
「立てますか?」
呆けた声を出す呉羽に、イスメルは落ち着いた声でそう尋ねた。彼女に促されて呉羽は自分の足で立ったが、どうも力が入らずフラフラする。さっきまでの万能感がウソのようだった。
その理由はすぐに分かった。魔力切れだ。呉羽は愛刀を鞘に戻すと、カムイに頼んで魔力を回復してもらう。するとすぐに身体は楽になった。多少の倦怠感は残っているものの、もう一戦ぐらいならすぐにでもできそうである。
「さて、新しい装備の具合はどうでしたか?」
呉羽が回復したのを見計らい、イスメルは彼女にそう尋ねた。それに対し呉羽は正直にこう答える。
「凄かったです」
「そうでしょうね。ずいぶん振り回されているように見えました」
イスメルの評価は辛口だ。しかし反論の言葉を呉羽は持たない。実際、【黄龍の神武具】の性能は想像していた以上だった。その強大な力に酔わされ、振り回されていた感はいなめない。
分かりやすいところで言えば、周囲に撒き散らしていたあの紫電。見た目に派手で力の誇示として分かりやすく、近づいてくる敵には確かに有効だろう。しかし見方を変えれば、それは力が外へ逃げているということでもある。その分だけ魔力が無駄になっているのだ。力を制御できていない証拠といえた。
加えて、これは模擬戦をして初めて分かったことであるが、【黄龍の神武具】はかなり尖った性能をしている。その性能は確かに素晴らしいものだ。雷を呼ぶだけではない。感覚を研ぎ澄まし、身体能力の強化さえしてくれている。しかしその力は決してノーコストで使えるものではない。むしろ大量の魔力と引き換えに発動されるものなのだ。
結果、調子に乗って使いまくれば、すぐに息切れする。まさに今回の呉羽がそれだ。言ってみればこの装備は、それ自体が力を持つブースターなのではなく、力を引き出しやすくするための触媒なのだ。呉羽の魔力量が変わっていない以上、爆発力は凄まじいが持続力がない。今後はそういう特性を理解したうえで使っていかなければならないだろう。
「そう何もかも上手くはいかないと言うことですね」
イスメルがそう締めくくり、呉羽は少し苦笑しながらも「はい」と言って頷いた。無視できない問題が見つかったものの、がっかりしたりはしていない。そもそもそのための模擬戦である。これから使いこなしていけばいいのだ。そしてそのためには密度の濃い鍛錬が必要だった。
それからカムイたちは日が暮れるまで稽古に明け暮れた。いつもより熱量高めだったのは、イスメルと呉羽の模擬戦に触発されたからなのかもしれない。そのせいで生傷が多くなり、夕食前に治療してくれたキュリアズに呆れられた。
そんなこんなで、北への道のりはまだ続く。
― ‡ ―
「そろそろ、レンタカーを使わないか?」
ある日の昼食。食後のコーヒーを飲んでいたアーキッドは、おもむろにそう提案した。カムイたちが〈海辺の拠点〉を出立してからおよそ三週間が経過している。この間、移動は全て徒歩だった。しかも午前中だけで、午後からはポイント稼ぎや稽古などに時間を費やしている。
時間を無駄にしてきたわけではない。装備を新調したり、その装備になれたり、新しいメンバーとの連携を確認したりと、来るべき討伐作戦に向けて、やっておかなければならないことは多くあったのだ。
とはいえ、それらもここまでで一通り形になった。そろそろスピードアップして、一気に〈山陰の拠点〉の跡地へ向かってもいいのではないか。アーキッドはそう話し、そしてカムイたちもそれに同意した。
ただ、すぐにレンタカーを使えるわけではない。レンタカーを借りて動かすためには、多額のポイントが必要になるからだ。しかも人数的に二台分である。それでこの日の午後はとりあえずポイントを稼ぐことになった。それから稽古も行う。つまりそれまでと何も変わらない時間のすごし方だった。
そして次の日。カムイたちは前日に稼いだポイントをほとんど全てつぎ込んでレンタカーを二台、二時間借りた。ちなみにこれだけで600万Pt。デリウスは若干頬を引き攣らせていたが、カムイの頬も引き攣りそうである。「歩きましょう」と言い出しそうになるのを、彼は「時は金なり」の精神でグッと堪えた。
二台のレンタカーはカムイとアーキッドが運転した。その移動速度はさすがに徒歩とは比べ物にならない。二時間ハイスピードで走り続け、ミラルダはかなりグロッキーな状態になってしまったが、その甲斐もあって彼らは目的地の一歩手前まで到達することができた。〈山陰の拠点〉のすぐ裏にあったあの小高い山がすでに肉眼で見えている。その姿を見て、最も強い感慨を抱いたのは間違いなくデリウスだろう。
「…………」
件の小高い山を鋭い眼で見据えるデリウス。彼は一言も喋らなかったし、また誰も彼に言葉を掛けない。やがて彼は静かに視線を外し、そして【HOME】へと入って行った。その背中に決意が滲んでいたのは、見送った者たちの勘違いではなかったはずだ。
デリウスがいなくなった後、カムイもまた何となしに小高い山へと視線を向けた。ここからは見えないが、あの向こう側に〈魔泉〉がある。そしてそこにあの化け物がいるのだ。待ってろよ、とカムイは口の中で小さく呟いた。
ひとまずの目的地である〈山陰の拠点〉の跡地に到着したのは、次の日の午前中のことだった。当たり前だが、そこには誰もいない。それどころか、雨や風雪の影響なのだろう、かつて人がいた痕跡さえもうほとんど残ってはいなかった。
さらに他にも人がいなくなった影響は出ていた。瘴気濃度だ。かつてデリウスたちがいた頃、ここの瘴気濃度は1.0を下回っていた。しかし改めて計ってみると、その値はなんと1.12。以前アーキッドたちが来たときにはすでに1.0を超えていたが、その時よりもさらに数値が上がっている。世界は着実に瘴気に飲み込まれようとしているのだと、カムイたちは改めて思い知らされた。
「ふむ、少し瘴気の浄化をしてみないか?」
そう言い出したのはロロイヤである。ポイントが必要になったのかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。
「何と言うかな、つまり瘴気濃度を下げるための実験だ」
ロロイヤがそういうと、アーキッドは少し考え込んでから「まあ良いんじゃないのか」と応えた。具体的にどういう意図があってどういう実験をしたいのか、それはよく分からない。ただ瘴気濃度を下げるための知見なら、いくらあっても無駄にはならない。カレンやリムがいるのだから、そう危険なこともないだろう。
そんなわけで急遽実験が始まった。一体何をやらされるのかとカムイは身構えたが、内容を聞いていささか拍子抜けする。なんということはない。これまでやってきたのと同じことだったのだ。
「普通に瘴気を浄化してくれ。ただし地中のものを優先して、大気中のものはあまり広範には集めないように」
ルペも協力し、カムイたち五人は言われた通りに実験を始めた。地中から大量の瘴気を噴出させるので、周囲は真っ黒に染まる。そのせいでモンスターも出現したが、そちらは他のメンバーが手早く片付けた。
ロロイヤはじっと実験を観察している。口出しはしないが、しかしなかなか終了の合図も出さない。一体いつまで続けるのかとも思ったが、「稼げるからまあいいか」とカムイは思いなおした。それにあまりに遅くなるようなら、アーキッドかミラルダあたりがストップをかけるだろう。
「よし、こんなものでいいだろう」
ロロイヤがそう言って実験を終えたとき、すでに周囲は薄暗くなり始めていた。実験は昼食や休憩を挟みつつ、四時間以上に渡って行われたのである。ずっと【Absorption】を使っていたカムイは、肉体的には疲れていないのだが、精神的にはやはり疲労を感じる。有体に言えば少々うんざりしていた。
カムイでさえそうなのだから、ずっと集中して瘴気を浄化し続けていたリムなどは、肉体的にも精神的にも非常にお疲れの様子だ。子供に無理をさせたことについてロロイヤに非難の視線が集まるが、彼に痛痒を感じた様子はない。それでも夕飯の際には彼女にモンブランを饗していたが、これについてはケーキ一つで機嫌を取られてしまうリムがチョロイと言うべきだろう。
まあそれはそれとして。実験が終わった直後の瘴気濃度は0.36。かなり低い数値だが、片っ端から浄化しつくしたのだから当然と言えば当然だ。それはロロイヤも承知していて、彼は数値を確認して頷きつつも表情を緩めることはなく、これで「実験は成功」と言ったりもしなかった。
「…………で、爺さんは結局何がしたかったんだ?」
夕飯時、アーキッドはロロイヤにそう尋ねた。今日の実験で、彼は特別なことは何もしていない。「瘴気濃度を下げるための実験」と言っていたが、浄化して瘴気を減らせば濃度が下がるのは自明。今更確かめる必要はない。地中の瘴気を噴き出させて浄化するのも、これまでに散々やってきたことだ。
ロロイヤの意図を図りかねていたのは、アーキッド一人ではない。というよりロロイヤ以外の全員が同じ疑問を抱えていた。それでアーキッドの質問をきっかけにロロイヤへ視線が集まった。
「一言で言えば、今日のは『長期的に瘴気濃度を下げるための実験』だ」
肩をすくめつつ、ロロイヤは少々面倒くさそうにそう答えた。ただそれだけ聞いても、ピンと来ないで首をかしげているメンバーが多い。そんな彼らのためにロロイヤは順を追って説明を始めた。
「まずはそうだな、どうして瘴気濃度は上がると思う?」
「……〈魔泉〉から大量の瘴気が噴き出しているから、じゃないのか?」
「まあ、間違ってはいないな」
カムイの答えに、ロロイヤは苦笑しながらそう応じた。ただそれは外しようのない答えである。そんな事を言ったら、モンスターが出現するのも、〈侵攻〉が起こるのも、この世界が滅んだのも、全て「〈魔泉〉から大量の瘴気が噴き出しているから」だ。ついでに言えばロロイヤが意図した答えでもなかった。
「あるだろ、瘴気濃度を上げる自然現象が」
「……雨?」
そう答えたのはキキである。それを聞いてロロイヤはニヤリと笑みを浮かべると「正解だ」と告げた。「むっふん」とドヤ顔をするキキを置いておいて、彼はこう説明を続ける。
「雨が降ると、その一帯は瘴気濃度が上がる。それは瘴気を含んだ雨が降ることで地中の瘴気量が増え、その一部が地表に滲み出てくるからだ」
つまり、地面に溜め込まれた瘴気は永遠にそのままというわけではないのだ。一定の条件が揃えば、地表に滲み出てくるのである。そしてその条件には、おそらく地表と地中の瘴気濃度の差が関係しているのだろう、とロロイヤは言った。
(そう言えば……)
そういわれて見れば、カムイにも心当たりがあった。まだ呉羽と二人だけだった頃、移動手段として結界の検証をしていた時の話だ。空気の断層を作って瘴気の流入を遮断し、その上で結界内の瘴気を【Absorption】で吸収して取り除いたところ、確かに地面(つまり地中)から瘴気が滲み出てきた。
ということは、つまりこういう推測が成り立つ。仮にモンスターを狩りまくるなりして一帯の瘴気濃度を下げたとする。しかしそうすると地表と地中の瘴気濃度の差が大きくなって、地中から瘴気が滲み出てくる。こうして瘴気濃度はまた元通りになってしまうと考えられるのだ。
もちろん、瘴気の総量は減っている。継続してモンスターを狩りまくれば、いずれ瘴気濃度は下がるだろう。多分だが、それこそがこの世界を再生するための正攻法である。ただロロイヤが言いたいのはそういう事ではなかった。
「つまり、長期的に瘴気濃度を下げるためには地中の瘴気もどうにかせねばならん、ということだ」
ただしそれだけで済むほど簡単な話しでないがな、とロロイヤは苦笑気味に付け足した。なぜなら今の話は、前提として周囲から流入してくる瘴気を無視しているからだ。実際にはどれだけモンスターを狩って瘴気濃度を下げたとしても、そこからすぐに地中の瘴気を減らすところへは繋がらない。周辺から瘴気が流入してきて、すぐに濃度を元に戻してしまうからだ。
実際これまでの道中では、ポイントを効率よく稼ぐために、地中からも瘴気を取り出して浄化を行っていた。しかしそれで一帯の瘴気濃度が下がったかと言われれば答えは否だ。もちろん浄化作業を終えたその直後であれば、濃度はかなり下がっていた。しかし翌朝になればまた元に戻っている、というのが常だったのである。確認していたから間違いない、とロロイヤは言った。
「だからこそ、ここで実験をしたかった」
ここは極めて特殊な立地をしているからな、と彼は言う。どういうことかとカムイが尋ねると、彼は「要は瘴気が流入しにくい立地、ということだ」と説明する。それを聞いてカムイは「なるほど」と納得した。
デリウスたちがまだ〈山陰の拠点〉にいた頃、ここの瘴気濃度は1.0を下回っていた。大量の瘴気を吐き出す〈魔泉〉がすぐ近くにあるにも関わらず、だ。これはただ単に山が陰になっていたら、ということだけが理由ではない。そもそも周辺の瘴気が流入しにくい立地条件をしているのである。
つまりここならば、地中の瘴気を取り除いたことによる瘴気濃度への影響を、より精密に調べることができるのだ。そしてすでに先ほど、瘴気は大量に浄化した。後は結果を待つだけ。「明日の朝が楽しみだな」と言って、ロロイヤは笑みを浮かべた。
「まあ、ともかく爺さんの実験は一段落、ってことでいいんだな?」
「できれば一ヶ月程度様子を見たいがな。まあこっちは蛇足だし、気にしなくていい」
ロロイヤがそう言って頷くのを見て、アーキッドもまた一つ頷いた。そしてメンバーの顔をぐるりと見渡してから、続けてこう言った。
「じゃ、なにはともあれ当初の目的地である〈山陰の拠点〉に到着した。そろそろ〈魔泉〉の主討伐作戦について、具体的な話をしよう」
当初の計画では、まずはイスメルとカレンに強行偵察をしてきてもらうことになっている。〈北の城砦〉攻略作戦の時と同じだ。そうやって情報を集めた上で、討伐作戦の具体的な準備を行うのである。
どうしても無理そうなら撤退することになっているが、カムイたちにはキュリアズの【祭儀術式目録】という切り札がある。実際に倒せるかは別として、最初から諦めてしまうことはないだろう。
「それで強行偵察だが、どうしても調べて来て欲しいことは二つ。主が出現しているときの〈魔泉〉の様子と、瘴気濃度だ。写真も何枚か撮ってきてもらえるとなおいい」
アーキッドがそう言うとイスメルは静かに、カレンは緊張した面持ちで頷いた。もちろん〈魔泉〉の主の大きさや、その戦力なども調べてきてもらいたい。ただ、大きさなら裏の山の上からでも見えるだろうし、近づけば否が応でも戦うことになる。それでアーキッドもわざわざ念押しすることはしなかった。
「強行偵察についてはもう一点。できればその様子をこちらでも観察したいと思っている。そんなわけでデリウスの旦那。どこかいい場所を知らないか?」
「…………いや、裏の山以外は思いつかんな」
少し考えてから、デリウスはそう答えた。彼は確かにデスゲーム開始直後から〈山陰の拠点〉にいたが、しかしこの周辺の地理に詳しいわけでは決してない。瘴気濃度の関係で行動できる範囲が限定されていたからだ。むしろ外からやって来たカムイと呉羽の方が詳しいくらいだが、二人も思い当たる場所はない。
「んじゃまあ、明日一回裏の山に登ってみて、それからまた考えるか」
アーキッドは気楽な調子でそう言った。裏山の山頂から強行偵察の様子が見えそうならそれでよし。ダメそうなら、何か他の手を考える。肉眼は無理でも、双眼鏡などを使えばあるいはいけるかもしれない。もしくは、山頂からなら他にいい観戦ポイントが見つかるかもしれない。
これまでは〈魔泉〉のインパクトが強すぎてそれしか見ていなかったから、実は裏山の北側がどうなっているのか、よくよく眺めてみたことはない。それに山頂は陰になっていないから瘴気濃度が高く、数分であってもそこから観察することは難しかったのだ。向上薬だって、安いものではないわけだし。
しかし今ならばカレンがいる。瘴気の影響を気にせず、ゆっくりと探索ができるだろう。何もなかったら、その時はその時だ。アーキッドはそう割り切っていた。
それで強行偵察の前に、明日まずは裏山に登ってみることになった。ただ全員で登る必要もないだろうということで、リムとキキはここで待機することになり、「ならその時間で魔法を教えています」と言ってキュリアズも居残ることになった。
さらにロロイヤが「興味がない」と言って行かないことになり、アストールも「私もちょっと」と言って居残りを選んだ。こうなると居残り組みの戦力が少し不安になるということで、「ならば拙者が」と申し出たフレクも護衛として残ることになった。
(ってことは、登るのは八人か……)
これでも多い気がするが、別に邪魔にはならないだろう。それにルペは眼が良いから期待大である。以前に買った双眼鏡を貸してやろう、とカムイは思った。
さて夕食後、頃合になるとメンバーはそれぞれ自分の部屋に戻っていく。リビングに残っているのがアーキッドとアストールとカムイの三人だけになったところで、カムイは気になっていたことを聞いてみた。
「今更ですけど、キュリーさんたちにスフィアのことは教えないんですか?」
「教えたいのか?」
「いえ全然」
面白そうに問い返すアーキッドに、カムイはそう即答した。スフィアとは〈キーパー〉戦で手に入れた【環境復元スフィア】のことだ。この世界を再生する上で鍵となるであろうアイテムだ。
そのアイテムのことを、カムイたちはまだデリウスたちに教えていない。そもそも先に加入していたルペにさえまだ教えていないのだ。彼らに教えてやる理由はなかった。意見を聞いてみたい気はするが、それでも今はまだ教えることのデメリットの方が大きいだろうと思っている。
ただそういう判断とは別問題として、彼らに隠し事をしているのは事実だ。これから〈魔泉〉の主の討伐という大きな戦いを控えているというのに、それが原因でメンバー内に不和が生じたりはしないだろうか。そんな一抹の不安を、カムイは抱えていた。
「案外心配性だな、少年は」
カムイの話を聞いて、アーキッドは苦笑気味にそう言った。カムイからすれば、彼は楽観的過ぎるように見える。それが伝わったのか、彼は肩をすくめてさらにこう言った。
「大丈夫だって。そもそも今回の討伐作戦、スフィア関係ないだろ。旦那たちもその辺のことは弁えてる。関係ないことを秘密にされたって、気にはしないさ」
「〈魔泉〉の主を倒したらスフィアが手に入る、ってことは……?」
「多分ないだろうな。ま、手に入ったんなら、その時改めて説明すればいいだろ」
アーキッドはそう答えた。相変わらず適当な感じだ。とはいえ、それがカムイの肩の力を抜くにはちょうどいい。彼は苦笑しながら「そうですね」と応じた。そしてデリウスたちの話題が出たからなのだろう、アストールが少し心配そうにこう呟いた。
「それにしても、この作戦が終わったらデリウスさんたちはどうされるのでしょうか……?」
彼ら三人がこの作戦に志願した背景には、〈海辺の拠点〉における派閥争いを回避するためという側面が少なからずある。そのために彼らは〈騎士団〉を解散し、いわば退路を断ってこの討伐作戦に参加したのだ。
もう戻れない、というわけではない。ただ彼らが〈海辺の拠点〉を離れてから、まだ一ヶ月も経っていない。討伐作戦にどれほどの時間がかかるか分からないが、しかし今戻るのは早過ぎる。派閥対立が再燃するだろう。
彼らには帰る場所がない。そういう意味ではほとんど捨て身の覚悟でこの作戦に臨んだと言ってもいいだろう。だからこそアストールは彼らの作戦後のことを考えずにはいられなかった。
「なあに、それも終わってから考えればいいさ」
またもやアーキッドが気楽な調子でそう言った。実際、彼はそう深刻には考えていない。別の拠点に身を寄せることを希望するなら付き合うし、なんならこのまま一緒にあちこち行ってもいいだろう。
「それに一回倒してそれで終わり、ってわけでもないだろうしな」
アーキッドが何となしにそう言うと、カムイは思わず「えっ?」と聞き返した。するとアーキッドはむしろ「ん?」という顔をする。そして少し意外そうな表情をしながらさらにこう言った。
「再出現の可能性は、考えてなかったのか?」
アーキッドからそう指摘されて初めて、カムイはその可能性について思い至った。倒してみなければ本当のところは分からないのだが、〈魔泉〉の主はおそらく〈キーパー〉のようなクエストボスではない。つまり自然発生しているモンスターだ。ということは瘴気さえ十分な量があれば、倒してもまた再出現する可能性は十分にある。
「〈魔泉〉を閉じない限りは、何度でも再出現する可能性がある、ということですか……」
アストールが慄くようにしてそう呟いた。主を倒しても、〈魔泉〉は恐らく閉じない。順番が逆だからだ。つまり〈魔泉〉があるから、そこに主が出現するのである。だから〈魔泉〉がある限り、そこには何度でも主が出現するのだ。
悪夢、と言っていいだろう。一度倒して終わりではないのだ。むしろ何度も何度も、戦わなければならなくなる。ちょっと考えれば分かることなのに今まで思いいたらなかったのは、無意識のうちにそれを拒否していたからかもしれない。カムイはふとそう思った。
「まあそんなわけで、だ。この先〈魔泉〉に手を出すためにも、いろいろ調べておかなきゃいけないことがあるってわけだ」
重苦しくなってしまった雰囲気の中、アーキッドは気楽な調子でそう言った。〈魔泉〉の主が再出現するまでの時間はどれほどなのか。二体目は強化されるのか、それとも弱体化するのか。瘴気濃度は変化するのか等々。収集するべき情報はたくさんある。
どう考えても、一回ぶっ飛ばしてそれで終わり、という感じではない。むしろ三回四回と戦うことになりそうだ。そのことに気付き、カムイは思わず気が遠くなった。そんなのまったく想定していなかった。いくら【祭儀術式目録】があるとはいっても、相当きつい事になるのは想像に難くない。
(早まっちまったか……?)
今更ながら、カムイはちょっと後悔し始めた。深く考えず、勢いだけで提案したそのツケが回ってきた形である。もちろんここまで来て「やっぱり止めた」は通らない。それくらいは分かるから、彼は思わず眉間にシワを寄せてしまった。
「なあに、経験済みの二回目以降はそんなにキツくないだろうさ」
「そう、ですね」
「それで油断したら死ぬけどな」
「そう、ですね……」
肩を落とすカムイの様子が可笑しくて、アーキッドは「くっくっく」と笑った。そしてやはり気楽な調子でこう続ける。
「〈魔泉〉の主の魔昌石も、複数手に入るってことだ。今から稼ぎが楽しみじゃないか」
「……そういうの、オレの世界では『取らぬ狸の皮算用』っていうんですよ」
「狸か。毛皮なら狐の方が主流だと思うんだがなぁ」
知ったこっちゃないですよ、とカムイはぞんざいに応じた。でも、そのおかげで肩の力が抜ける。どの道、ここまで来たら臆してもいられないのだ。気を抜かず、しかし力みすぎることなく、〈魔泉〉の主をぶっ飛ばす。とりあえずはそれからだし、まずはそこを目指すしかない。
そのために、明日はまず山登りだ。久々に〈魔泉〉の姿を生で見ることになる。記憶の中にあるそれを思い出し、カムイは知らずしらずのうちに拳を強く握っていた。




