〈ゲートキーパー〉11
カムイたちが模擬戦を行ったその二日後。午前中の移動の最中にちょうど良い場所があったので、なんとなく延ばし延ばしになっていたキュリアズの祭儀術式を見せてもらうことになった。彼女のユニークスキル【祭儀術式目録】は分厚いハードカバーの本であり、クラシカルで優美な装丁がなされている。
その【祭儀術式目録】を左手に構え、キュリアズは前方を鋭く見据えた。彼女の前に広がっているのは、巨大な岩石がゴロゴロと転がる岩石地帯。かつてカムイたちが〈山陰の拠点〉から〈海辺の拠点〉へ向かう際にも通った、難所(要するに歩きにくい場所)の一つである。
これらの邪魔な岩石が、今回実演する祭儀術式の的である。キュリアズもここには歩きにくかった思い出があるらしく、「更地にして歩きやすくしてあげます」と眼鏡の奥をキラリと光らせて意気込んでいた。そしてカムイたちが見守る中、いよいよ祭儀術式が行使させる。
「降りそそげ、破軍の流星……!【スターダストシューター】!」
詠唱が短いな、とカムイは思った。〈祭儀術式〉なんて大層な名前が付いているから長ったらしい詠唱があるのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。ユニークスキルの効果によって発動が簡略化されているのだろう。もしかしたら本来は詠唱自体が不要なのかもしれないな、とも思った。
詠唱が短いとはいえ、術式はきちんと発動した。キュリアズが掲げた右手の先に巨大な魔法陣が現れる。直径は10mもあるだろうか。その一番大きな円の円周上に、さらに五つの円が五芒星を描くように配置されている。そしてさらにそれら五つの円の中には、今度は六芒星を描くように小さな円が描かれていた。
それら合計で三十六個の円が、一斉に回転を始めた。そして三十個ある小さな円から、まるでガトリング砲のように無数の光弾が放たれていく。一発一発の精度と言う点ではあまり優秀ではなさそうだが、しかし驚異的なのはその数である。一秒間に一体何発放たれているのか、数えてみる気にもならない。
威力のほうも申し分ない。一発一発の光弾は拳くらいの大きさで、それぞれに人の頭ほどの大きさの岩石を砕くだけの破壊力がある。その光弾が無数に降りそそぐのだ。的にされた岩石地帯はあっという間に砂埃に包まれ、【スターダストシューター】の掃射が終わった後もなかなか晴れなかった。
「クレハ、頼む」
「了解です」
このままでは効果の確認もままならないと言うことで、呉羽が【草薙剣/天叢雲剣】の力を使って砂埃を取り除く。そして現れた光景を見て、カムイたちは絶句した。地形が変わっていたのである。
更地にする、とキュリアズは言っていたがまさにその通りだった。ゴロゴロと大量に転がっていた巨大な岩石は、ほとんどもう見る影もない。降りそそいだ無数の光弾によって細かく砕かれ、一面にその破片が散らばっている。まるでこの一帯にやすりをかけたような、そんなふうにも見える光景だった。
さすがは異世界の戦略兵器たる祭儀術式。確かにこれを上手く使えば、戦争の趨勢など一発で決するだろう。戦国時代に爆撃機を投入するようなものだ。それを想像し、カムイは薄ら寒くなった。
同時に祭儀術式の欠点もまたすぐに理解できた。強力すぎるのだ。いくらユニークスキルによって発動が簡略化されているとはいえ、強力すぎて普段は逆に使いづらい。対〈侵攻〉防衛戦でさえそうだろう。これでは今まで死蔵されるわけである。
さて祭儀術式の実演と言う意味では、これでもう十分であったろう。しかしこれは【祭儀術式目録】の実演である。このユニークスキルの真価は、むしろここからだった。それを示すべく、キュリアズは実演を続行した。
「続けていきます。……打ち据え、貫き、牙を突き立てろ。【ボルテック・ゾア】!」
今度現れたのは、円筒形の魔法陣だった。そしてその魔法陣はまるで銃身が展開するかのように、均等に八つのパーツへ分かれてその口径を広げる。その内側には複雑な幾何学模様で描かれた魔法陣が全部で五つ一列に並んで配置されていた。さらに外側にはメビウスの輪のような帯状の魔法陣が、全部で三つ展開されている。
(まるで巨大な銃身だな……)
現れた魔法陣を見て、カムイはそんなふうに思った。そしてその感想は当を得たものだった。魔法陣が展開されてから一拍置き、キュリアズが発射を命じる。その瞬間、一瞬気が遠のくほどの爆音が響いた。そしてその爆音さえも置き去りにして、稲光をきらめかせながら、巨大な一条の光が放たれる。
「っ!!?」
爆音と衝撃波に耐えながら、カムイは【ボルテック・ゾア】の光をその目に焼き付ける。それはまさに巨大なビームそのものに見えた。〈キーパー〉のあの炎よりも強力に違いない。こんなものが直撃すれば、もとの世界の原子力空母だって轟沈してしまうのではないだろうか。カムイはそう思った。
そしてその感想もやはり、そう的外れなものではなかったようだ。【ボルテック・ゾア】の光が収まり魔法陣が消えると、そこに残っていたのは真っ直ぐに抉られた地面だけだったのである。
効果範囲だけを見れば、【スターダストシューター】よりもかなり限定的だ。抉られた地面の幅は1mと少し、深さは10cmといったところか。ただどこまで抉られているかはよく分からない。カムイたちの目の前にはまるで一本の道のように、【ボルテック・ゾア】の砲撃跡が残っている。
「とんでもない威力だな……」
アーキッドが呻くようにそう呟く。カムイも全く同感だった。直撃させたわけでもなく、ほとんどかすったか余波程度のものでしかなかったであろうに、地面はこのように真っ直ぐに抉られてしまったのだ。しかもその地面はところどころまるでマグマのように赤熱化している。一体どれほどの熱量を秘めていたのか、考えるだけでも恐ろしい。
実演を終えると、キュリアズは左手に持っていた【祭儀術式目録】を閉じた。するとその本はシャボン玉のエフェクトに包まれて消える。空になった左手を下ろし一つ息を吐くと、彼女は背後を振り返り観客にこう尋ねた。
「さて、いかがでしょうか。私の【祭儀術式目録】は。まだストックはありますので、物足りないようでしたら、さらに幾つか披露いたしますが……」
「いや、十分だ。想像以上だったよ。ちょっと怖いくらいだぜ」
若干頬を引き攣らせながら、アーキッドはそう答えた。祭儀術式は非常に強力である。それはこの実演を見て明らかだ。ただ【祭儀術式目録】の真価とは、その祭儀術式を事前の準備次第で連発できるところにある。彼の評価はそういうところを全部ひっくるめてのものだった。
キュリアズに答えるアーキッドの横で、カムイはすっかり跡形もなくなってしまった岩石地帯を眺めていた。わずか二つの祭儀術式。かかった時間はほんの数分。たったそれだけで目の前の風景は激変してしまった。自分で見た事柄だと言うのに、頭のどこかにそれを信じられない自分がいる。それくらい現実離れしていた。
(でも、これなら……!)
これなら〈魔泉〉の主だって、きっとぶっ飛ばせる。カムイはそう思った。そしてこの際、それが何よりも重要なのだ。切り札が切り札たりえることをその目で確認し、彼は強く拳を握り締めた。
この討伐作戦の言いだしっぺはカムイだ。だからこそ、彼は多少なりとも責任を感じていた。最近はテッドのことをよく思いだす。自分がこんなことを言い出したがために、誰かが死ぬようなことがあってはならないのだ。
それでキュリアズが見せてくれた祭儀術式の桁外れな威力と、ユニークスキルによるその連発はカムイにとって大きな光明だった。いや、彼だけではない。見ればアストールも呉羽もそしてリムも、「これならば」という顔をしている。
一方で盗み見たデリウスの顔は複雑そうだった。「あのときキュリアズを連れて行っていれば」と考えているのは一目瞭然だ。どうしようもないことだが、考えずにはいられない。その気持ちはカムイにも想像できた。
(この作戦で誰かが死んだら、オレだって……)
その不吉な想像を、カムイは頭を振って振り払った。そしてデリウスからそっと視線を外す。【ボルテック・ゾア】が抉った地面は、まるで道のように真っ直ぐ伸びている。歩きやすそうだな、とカムイは思った。
― ‡ ―
【祭儀術式目録】の実演が終わると、カムイたちは【HOME】のリビングに場所を移した。時間がちょうどいいので、お昼ご飯を食べることにしたのである。それぞれが好きなものをアイテムショップから買って食べる中、話題に上るのはやはりまず祭儀術式についてだった。
「すごい威力でしたけど、今までに使ったことはあるんですか?」
「私が知らないものについては、確認のために必ず一度発動させることにしています」
カレンの質問に、キュリアズは千切ったパンを口元へ運ぶ手を止めてそう答えた。そして小さく苦笑を浮かべてから、さらにこう言葉を続ける。
「ただ、相応の魔力を必要としますからね。思い立ってすぐに、というわけにはいきませんでした」
むしろ何日も前から予定を立て準備をし、魔力を供給してくれるメンバーを説得して回ってようやく実験にこぎつける、という具合だった。ちなみに一番協力が得やすかった時期は、何を隠そう〈山陰の拠点〉から〈海辺の拠点〉へ移動してくるその間である。あの期間は全てのプレイヤーに毎日の生活費が支給されていたから、ポイントを稼ぐための魔力を心配する必要がなかったのだ。
「さすがに実験まではしませんでしたけどね」
それは不謹慎だろうと思い自重したのだ、とキュリアズは言う。カムイは「さっきみたいに岩石地帯を更地にするなら、使っても良かったんじゃないかな」と思ったが、もう過ぎたことなので何も言わなかった。
「実戦で使ったことはあるのかえ?」
ミラルダがそう尋ねる。彼女は器用に箸を使い、ご機嫌に尻尾を揺らしながら稲荷寿司を食べていた。なかなか絵になる光景だ。彼女の問い掛けにキュリアズはまず首を横に振って答え、口の中のものを飲み込んでから改めてこう答えた。
「実戦で使ったことはありませんね。見ていただいたので分かると思いますが、小回りが利かず使い勝手が悪いものばかりなので」
対〈侵攻〉の防衛戦でも祭儀術式が使われることはなかった。使うためには、あの海岸は少々狭いのだ。加えて毎度混戦気味となる防衛戦では、味方を巻き込んでしまう危険性が高い。そんなものをぶっ放すわけにはいかなかったのである。
「ふぅむ……。強すぎるのも考えものじゃのう……」
「なに、〈魔泉〉の主相手にはそれくらいでちょうどいいさ」
ミネストローネを食べていたアーキッドが陽気な口調でそう言った。その言葉にリビングにいた全員が思わず頷く。ロロイヤまで頷いていたのだから、相当なものだ。それくらいメンバーの共通意識のど真ん中をついた言葉だったのである。
先程行われた実演には、それくらいのインパクトがあったのだ。【祭儀術式目録】を〈魔泉〉の主討伐作戦の中心に据えるという方針は、キュリアズのユニークスキルの話を聞いたときからすでに決まっていた。だが実際に見てみてカムイたちは思ったのだ。「〈魔泉〉の主をぶっ飛ばすのはコレ以外にない」と。
誤解を恐れずに言えば、彼らはすでに勝った気でいた。もちろんある種の興奮状態であったことは間違いない。最高にド派手な魔法を見てテンションが上がっていたのだ。そして高速回転する彼らの頭脳は「大勝利!」という結論を導き出していたのである。
まあこれは半分くらい冗談だが、【祭儀術式目録】の実演を見たことで、カムイたちが作戦の勝率を上方修正したのは事実である。これを油断と捉えるかは人によって判断が分かれるかもしれない。
ただありがたいことに比較的冷静な人物もいた。デリウスだ。彼は実験に付き合って祭儀術式をすでに見知っていたし、〈魔泉〉の主には辛酸を舐めさせられている。気を緩める理由はなかった。とはいえ率直に苦言を呈すれば空気を悪くすると思ったのだろう。こんな表現で話題を転じた。
「とはいえ、勝率が高くて困るということもあるまい。他にできる事があるのなら、今のうちにやっておくべきだと思うが……」
「そうですね。なにかあるでしょうか……」
デリウスの意図を察したのか、アストールがすぐにそう応じた。それを皮切りに、あちこちで何をしておくべきなのか相談が始まる。そんな中、少し言いにくそうにしながら呉羽がおずおずと手を上げた。
「実はですね……、装備と言うか防具を新調しようかと思ってるんですよね……」
珍しく歯切れの悪い彼女の言葉に、カムイは首をかしげた。彼女は結構金持ちだ。新調しようと思っているのなら、別にそれを相談する必要はない。勝手に買って、「新しくしました」と事後報告すればいいのだ。
「買えば良いんじゃないのか? まあわざわざ新調する必要があるようにも思えないけど……」
カムイがそう言うと、呉羽は小さく苦笑を浮かべた。彼女が今使っている防具は【白虎の腰巻】【玄武の具足】【青龍の外套】【朱雀の簪】という四つの装備である。四神シリーズと呼ばれるものだそうで、結構な高級品だ。プレイヤー全体を見渡しても、このレベルの装備を使っている者はまだ少ないだろう。ただ、呉羽が「これではダメだ」と思うのには、彼女なりの理由があった。
「空中戦の稽古がな、ちょっと行き詰っているんだ」
呉羽がそう言うと、ルペが「あぁ」と言う顔をした。要するに空中戦の伸び悩みを感じ始めているのだ。これがただの趣味なら、彼女も装備を新調しようとは考えなかっただろう。
しかし空中戦の稽古は〈魔泉〉の主討伐作戦を見据えてのことである。今の状態では不安が残る。かといって時間もあまりない。そこで装備をランクアップさせ、いわば下駄を履かせてもらおうと考えたのだ。
「実は、今の装備を買うときに、もう一つ候補があったんだ」
その装備を【黄龍の神武具】という。一式揃った甲冑で、呉羽は最初こちらを狙っていた。しかし実際には諦め、前述した四つの装備を買うことになる。なぜか。高かったからである。
「ちなみに、おいくら……?」
「5,700万Pt」
カムイが躊躇いがちに値段を尋ねると、呉羽は端的にそう答えた。桁外れ、と言っていい値段だ。思わず「おおう……」と声が出た。気楽に「買えばいい」と言える値段ではないし、気楽に買える値段でもない。それが呉羽の歯切れの悪さの原因だった。
「なんでそんなに高いんだよ……」
「ランクとしては、四神シリーズのさらに上だからな。『黄龍は四神の長』というわけだ」
「黄龍って青龍のことじゃなかったか……?」
「そんなコトわたしに言われても……。たぶん、モチーフにしただけで深く考えてないんじゃないかなぁ?」
そんなバカなとカムイは思ったが、しかしこれまで話に聞いてきたヘルプさんたちのことを思いだし、「あるかも」と思いなおす。まあこの辺のいわれはともかくとしても、この【黄龍の神武具】が大変に高価な武具であることは変わらない。そしてその値段に見合う武具であろうと思われるのが、この際最も重要だった。
(う~ん……)
カムイは考える。ここで「高い!」と言って諦めさせるのは簡単だ。空中戦のためと言っているが、そもそも呉羽のメインフィールドは地上。空中戦に不安が残るのなら、これまで通り地に足をつけて戦えばいいのだ。
しかしその一方で、こんなふうにも思う。「装備を新しくするだけで強くなれるなら、躊躇うことなんてないじゃないか」と。幸いにしてカムイたちにはポイントを効率よく大量に稼ぐ手段がある。
もちろんすぐに5,700万Ptを稼げるわけではないが、しかし絶望的に無理と言うわけではない。それどころか一週間から十日ほどの時間があれば、多分稼げてしまうだろう。これから〈魔泉〉の主をぶっ飛ばしにいくと言うのに、たったそれだけの手間を惜しむのもどうかと思われた。
(まあ、確かに勝率が高くて困ることなんてないしな)
胸の中だけでそう呟き、カムイは心を決めた。彼は呉羽のほうに視線を向け一つ頷いてからこう言った。
「よし、買え! いくらでも協力する」
「おお!」
呉羽が歓声を上げる。ただ、勢いで「協力する」とは言ったものの、カムイ一人の協力で稼げるポイントはたかが知れている。効率よく稼ぐためには、というより討伐作戦に間に合わせるためには、アストールとリムの協力も必須だった。
カムイが二人の顔色を窺うと、二人とも力強く頷いてくれた。それを見て彼は胸を撫で下ろす。そしてやはりテンションが上がっていたのだろう。ついでとばかりにルペのほうへ視線を向けてこう尋ねた。
「あと、ルペ。狙ってる魔弓の値段は?」
「はい! 670万Ptです!」
話の流れを敏感に感じ取ったのか、ルペは大きな声ではきはきとそう答えた。ちなみにあとで聞いた話だが、この時彼女の中には幾つか候補があり、その中で一番高いものを答えたのだという。なかなかちゃっかりしている。ただそれでも呉羽の【黄龍の神武具】に比べれば十分の一強程度でしかない。それくらいなら誤差の範疇であるように思えた。
「よし、ついでだ。その分も稼いでやる」
「やったー!」
ルペが両手と歓声を上げた。こうして都合6,370万Ptを稼ぐことになったわけだが、さすがに少々“やっちまった感”がある。なにしろ、ほとんど勢いで高額の出費を決めてしまった。
しかし後悔はない。むしろケチった挙句に仲間を死なせでもしたら、そっちのほうがよほど後悔するだろう。この世界では怠惰と吝嗇のツケを命で支払うことになるのだ。なら手間とポイントは惜しむべきではない。
そんなこんなで、カムイたちはポイントを稼ぐことになった。昼食を食べるとすぐ、彼らは【HOME】の外へ出て行く。この時カムイはカレンとルペにも声をかけ、手伝わせることにした。
さらにキュリアズがミラルダと一緒にその後に続く。彼女たちの目的はポイントを稼ぐことではない。実演で消費してしまった祭儀術式のストックを回復しておくのだ。そのためには相応の魔力が必要になるのだが、〈獣化〉したミラルダならばその全てを補ってなお余りある。加えてカムイとアストールがすぐ傍にいるので、消費した魔力もすぐ回復できる、という寸法だ。
一方で首をかしげていたのがカレンとルペだ。手伝ってくれと言われたものの、何を手伝えば良いのか分からない。瘴気の大量浄化は、いつもカムイたち四人で行っている。その役割分担はすでに完成されていて、手伝うべきことがあるようには思えなかった。それでカレンはこう尋ねた。
「ねぇ、あたし達ってやることあるの?」
「ある。まずはルペだけど、風を操って周辺の瘴気を集めてくれ」
「んん? それじゃあ、わたしの仕事はどうなるんだ?」
頭の上に疑問符を浮かべながら、呉羽がそうカムイに尋ねる。確かにこれまで浄化作業の際には、彼女がその仕事を行っていた。彼女は二人でやるのかとも思ったが、しかしカムイは首を横に振る。彼は呉羽に、別の新しい仕事をしてもらうつもりなのだ。
「呉羽は地中の瘴気を表に出してくれ」
「なるほど、それでカレンか……」
呉羽が納得の表情を見せ、カムイも一つ頷く。そんな中でただ一人、カレンだけがよく分かっていない顔をしていた。
「ごめん、どういうこと?」
「地中には、空気中よりはるかに大量の瘴気があるんだ。ソイツも表に出してやれば、より効率的にポイントを稼げる」
加えて言えば地中の瘴気を大気中に放出してやるだけでポイントが発生する。ただ、この方法には一つ問題があった。瘴気の量が多すぎて、下手をするとみんなでゲロ吐くことになりかねない。その予防策がカレンのユニークスキル【守護紋】、というわけだ。彼女がいるだけで瘴気の影響は完全に無効化できる。
「了解。要するにあたしはただ突っ立ていればいいのね?」
「あとは、出現したモンスターも頼む」
少々投げやり気味になカレンにカムイがそう頼むと、彼女はもう一度「了解」と答えた。役割分担が決まったところで、早速浄化作業を始める。気合の入りすぎた呉羽が、地中から大量の瘴気を噴出させて辺り一面を真っ黒にしていたが、カレンのおかげで誰も吐き気を催したりはしない。ミラルダとキュリアズがびっくりしていたが、それくらいなものである。
(あとはオレも……)
着々と浄化作業が進む中、カムイもまたいつもとはちょっと違ったことを始めた。白夜叉のオーラを細く、そして深く地中に潜らせていく。根のように張り巡らして地中の瘴気を吸収するためだが、呉羽が空気中に放出する分とかち合わないようにするため、より深い場所を狙っているのだ。
(このへんかな……?)
適当なところでカムイはオーラをそれ以上潜らせるのをやめ、今度はそこを起点にして横へ広げていく。そして【Absorption】と〈オドの実〉の出力を上げ、一気に瘴気を吸い上げ始めた。
流れ込んでくるエネルギーの奔流に、カムイ一瞬「うっ」と息を詰まらせる。それでもオーラ量を増やすことで対応し、なんとかバランスを取る。供給と消費の妥協点を探り天秤をつりあわせると、彼は小さく息を吐いた。そして落ち着いてきたところで、ふとこんなことを考えた。
(ポイントにボーナスが付くかな……?)
地中深くというのは、当たり前に地上からは手が出しにくい。そういうところにある瘴気と言うのは、その分だけ取り除くのが難しいといえる。ならばそれを除去してやれば、その分ボーナスが付くのではないか。カムイはそう期待した。なお、後でログを確認したところボーナスは付かないことが確認され、期待は期待で終わった。そうそう上手くはいかない、ということだ。
ただ、メリットが何もなかったわけではない。これはカムイの独断と偏見だが、地中の深いところの瘴気濃度は地表付近のそれよりも高いように思えた。そういえばオーラに地下水のようなものを感じるから、もしかしたらそれが原因かもしれない。なんにせよ瘴気が多くあるということはそれだけ稼げるということで、その分は確かに獲得ポイントに反映されていた。
(まあ、浄化に比べれば微々たるものかもしれないけど……)
しかしそれでも数万Pt程度は余分に手に入るだろう。呉羽も地中の瘴気を取り除くことでポイントを稼いでいる。ここは「チリも積もれば山となる」の精神だ。アストールに魔力を受け渡しながら、カムイはなんとなくそう思った。
瘴気の浄化作業は問題なく進捗していく。周辺の瘴気濃度を上げてしまう関係上、いつもより多くのモンスターが出現したが被害は出ていない。アストールが拘束し、カレンが始末した。なお、それで得た魔昌石は彼女のお小遣いになった。
加えて、いつもより多くモンスターが出現するということは、それだけ多くの瘴気を浄化しているということでもある。実際、リムが魔力の回復を頼む頻度はいつもより明らかに多かった。ルペや呉羽も頑張っていて、アストールはあっちへ行ったりこっちへ来たりと忙しい。
途中、用事を終えたミラルダが魔力の回復を頼みにきたり、アストールが暇を見つけてはせっせと〈魔法符:魔力回復用〉を作成したりしながら、浄化作業は進んだ。この間結構騒がしかったはずなのだが、一心不乱に浄化を行うリムの集中力が途切れることはなかった。その様子を見ていたキュリアズも大変感心し、「これなら魔法もすぐに覚えられる」と太鼓判を押していた。
この日の浄化作業は二時間ほどで終わった。コレばかりしているわけにもいかないからだ。ただかなり効率よく稼ぐことができて、五人で稼いだ分の合計は658万Ptにもなった。670万Ptには届かなかったものの、ルペにも多少の手持ちがあり、彼女は念願かなって意中の魔弓を買うことができたのである。
「これこれ! コレが欲しかったんだよね~!」
ルペが歓声を上げる。彼女が買ったのは【夜天月弓】という銀色の魔弓だった。魔力を矢として射ることができるので、基本的にランニングコストはかからない。一方でアイテムショップには魔弓専用の弓矢も用意されていて、それを利用すれば手軽に威力を増すことができる。ただし、当然その分のコストがかかるが。
浄化作業を終え、三十分ほど休憩する。その時間にちょっと話し合い、当面移動は午前中だけということになった。午後からはポイントを稼いだり、稽古をしたりするのだ。当然その分だけ〈魔泉〉に到着するのは遅れてしまうが、それを問題視する者はいなかった。誰かと競っているわけではないし、準備不足のまま挑んでもロクな事にはならないとみんな分かっているのだ。
それでこの日も、カムイたちは休憩を終えると、またそれぞれにやるべきことをやり始めた。リムは約束通りキュリアズから魔法を習い、興味を持ったらしいキキがそこへ混じっている。
呉羽はルペと空中戦の訓練だ。【黄龍の神武具】はまだ購入していないので古い装備のままだが、だからと言って訓練が無意味になるわけではない。むしろ強力な装備に振り回されないようにするためにも、地力の底上げは急務だった。
ちなみに、ルペはこの訓練ではこれまでどおり槍を使っている。一対一のぶつかり合いになるため、魔弓ではやりにくいのだ。彼女はひじょーに残念そうな顔をしながら魔弓をストレージアイテムに仕舞っていた。
「ルペには俺もちょっと頼みたいことがあるんだが……」
そう言ったのはアーキッドである。彼の頼み事と言うのは、地図の穴埋めだった。ルペの機動力と視力を生かし、あちらこちらへと飛び回ってもらって地図の記載範囲を増やす。そしてその地図を複製してプレイヤーショップで販売する。それが彼の思惑だった。当然、ルペにも謝礼を支払うつもりだ。
短い話し合いの結果、空中戦の訓練は二日に一度と言うことになった。そして訓練をしない日は午前中の移動の間から、ルペは周辺を飛び回って地図の穴埋めをすることになったのである。
なぜ午前中からかと言うと、理由は二つある。第一にカムイたちの移動は徒歩だから、ルペには遅すぎるのだ。持て余している機動力と暇を有効活用するべく、午前中からということになった。
そして第二に、向上薬の有効時間の問題だ。カムイたちは今、〈魔泉〉に近づいている。それに伴い少しずつではあるが、瘴気濃度が上昇していた。カレンがいるので普通に移動している分には気にしなくて良いのだが、地図の穴埋めを頼むとなると大きな問題になる。要するにゲロ吐いていては仕事にならないのだ。
それはアーキッドも承知している。だから彼は【簡易瘴気耐性向上薬改】を用意していた。その効き目が十二時間なのだ。それをほんの数時間しか使わないのでは勿体無い。ということで午前中から、ということになったのである。
そんなわけで、空中戦の訓練をしない時間ができてしまった。なら地上戦の訓練をすればよい、となるのは自明の理であろう。ただでさえ相手は〈魔泉〉の主。だらだらと遊んでいる時間などないのである。
「地上戦の訓練かぁ……」
「一緒に頑張りましょうね!」
呉羽の手を取り、カレンは笑顔でそう言った。「絶対に逃がさん」と副音声が聞こえてきそうな笑顔である。それがばっちり聞こえたのか、呉羽はちょっと遠い目をした。地上戦の訓練とは、つまりイスメルとの稽古である。フルボッコにされてボロ雑巾になること請け合いの厳しい稽古だ。「どうしてこうなった」と呟いたとか呟かなかったとか。まあ瑣末な話である。
さてカムイだが、彼はフレクにオーラの扱いについて教え、逆に格闘術を教わっていた。オーラと覇気を同じように扱えるのか、それはまだまだ手探りの部分が多い。ただフレクは「有意義だ」と言っているので、カムイも協力できる限りはするつもりでいる。
一方でカムイが教わる格闘術だが、これは専ら実戦形式だった。もちろん適宜指導は入るが、基本的に「勝手に盗め。習うより慣れろ」の方針である。それでも目の前にお手本があるのだから、カムイの成長は早かった。
「ところで、拙者もイスメル殿と手合わせをしてみたいのだが……」
フレクがそう言い出したとき、カムイは思わずギョッとした。しかし彼が何か言う前に、呉羽とカレンが「どうぞ、どうぞ!」と言ってお膳立てをしてしまう。この時の彼女達の息の合いようと目のギラつきは普通じゃなかった。
そして行われたイスメル対フレクの手合わせは、当たり前と言うかイスメルの圧勝で終わった。その力量にいたく感じ入ったフレクは、その後イスメルとの稽古に参加するようになる。そのためカムイがフリーになった。
「あ、じゃあオレはこのへんで……」
「サボりなんてダメよ。ズルいわ」
「そうだぞ。諦めろ」
本音が混じってんぞ、とわざわざ指摘する気にもならない。こうして呉羽とカレンに捕獲されたカムイも、ほとんど芋づる式に稽古へ強制参加することになったのである。こうして稽古は四対一になったのだが、これはすぐに五対一になった。デリウスも参加を希望したのである。
「負けられない雪辱戦だ。私も鍛え直さなければならんからな」
彼はそう意気込みを語った。そして「連携を確認する上でもちょうどいい」と付け足す。もちろんカムイたちも生贄、もとい参加者が増えることに否やはない。加えてデリウスはいわゆる盾役。せいぜい矢面に立ってもらって痛い目にあえばいい、とカムイは意地悪く考えた。
もっとも、五対一になってもイスメルはやっぱりイスメルだった。双剣を持った彼女は圧倒的で、地面に這い蹲るのはいつもカムイたちのほうだ。厳しい、とても厳しい稽古である。しかしだからこそ、得られる経験値は多い。濃い時間を彼らは過ごしていた。
そしてそれは、意外なことにイスメルも同じだった。謙遜なのか自虐なのかはたまた本音なのか、「歯ごたえのない相手で申し訳ない」と謝るデリウスに、彼女はこんなふうに応えたのである。
「そんなことはありませんよ。私のほうこそ、いい稽古をさせてもらっています」
いつも通りの涼しい顔で言われたので、デリウスはこれこそ謙遜だと思ったようだが、実際のところ本当のことだった。カムイたち三人を相手にしていた頃と比べ、〈瞬転〉を使う頻度は明らかに多くなっている。まあ五対一で「歯ごたえがない」と言われたら、それこそ彼らの立つ瀬がないが。
そんなこんなで、祭儀術式の実演から十日が経った。そしてこの日ついに、【黄龍の神武具】を買うポイントが溜まったのである。協力してくれたメンバーにお礼を言いながら、呉羽はメニュー画面を操作してアイテムショップからそのアイテムを購入する。シャボン玉のエフェクトと一緒に【黄龍の神武具】が現れると、固唾をのんで見守っていたカムイたちからも「おお……」と声がもれた。
「これが【黄龍の神武具】か……」
カムイがそう呟く。初めて目にする実物は、なんというか存在感のある装備だった。いい品物であることが空気として伝わってくるのだ。呉羽も目を輝かせる。早速試着してみるべく、彼女は自分の部屋へと向かった。
「ど、どうかな?」
そして、およそ十五分後。装備を【黄龍の神武具】に着替えた呉羽が、【HOME】のリビングに下りてきた。以前に装備していた【玄武の具足】と比べると、三割り増しほどの重装備である。内衣はセットになっていたというが、マントや外套はなく、抜き身の剣のような怜悧さが漂っていた。
ただ無骨と言うわけではなく、甲冑の表面には嫌味にならない程度の装飾として、黄龍と菖蒲の花が彫られている。後で聞いた話だが、菖蒲の花は呉羽が自分で選んで決めたのだと言う。
全体の雰囲気は中華風。日本人と中国人の顔立ちは似通っているので、呉羽が装備しても違和感はない。腰間の【草薙剣/天叢雲剣】と髪を止めている【朱雀の簪】が和風なのだが、違和感なく馴染んでいた。
そして新しい装備を買えば試してみたくなるというもの。呉羽はうきうきとした様子でルペのほうに振り向きこう誘った。
「よし、ルペ! 早速空中戦の訓練を……!」
確かにもとを辿れば、【黄龍の神武具】を買ったのは、行き詰まりを見せていた空中戦のテコ入れのためだった。だからここでルペに声をかけるのは間違ってはいない。しかし呉羽が全力でイスメルから目をそらしていたのは、決してカムイの見間違いではないはずだ。
「ごめん。アタシ、今日は外回りの日なんだ」
ならばこの展開もお約束か。こうして呉羽は新しい装備の試運転のために、イスメルと模擬戦(あるいは稽古)をすることになったのである。なぜか一対一で。




