〈ゲートキーパー〉10
デリウスのユニークスキルは【ARCSABER】という。そしてその能力は【得物の間合いを拡張する。基本的にノーコスト。魔力を消費することで威力や効果を増すことができる】というものだ。
そう、「得物」なのだ。なにも剣に限定されるわけではないのである。デリウスは盾でカムイを弾き飛ばしたが、つまりこの場合は盾を得物として使い【ARCSABER】を発動させ、シールドバッシュを強化したのだ。
「セイバーじゃないじゃん!?」
少し得意げな様子のデリウスからカラクリというか説明を聞くと、カムイは思わずそう叫んだ。その理論でいけば、槍だろうが斧だろうがメイスだろうが、弓だろうがスリングショットだろうがボウガンだろうが、それこそ石だろうが本だろうが竪琴だろうが、ありとあらゆる“武器”が彼のユニークスキルの守備範囲内になってしまう。それなのに名前は【ARCSABER】。そりゃ詐欺だろ、とカムイは思った。
文句を言うカムイの様子を、デリウスは盾の後ろで苦笑しながら見ていた。その反応を意外だとは思わない。そもそも彼自身、剣で使うことを想定してその名前をつけたのだ。能力の中身を決めるときに「剣」ではなく「得物」としたのは、いざという時に使うダガーやナイフが剣の部類に入るのか分からなかったからである。
いずれにしても能力を決めるとき、デリウスが想定していたのは剣やそれに似た武器だった。だからこそ名前を【ARCSABER】としたのだ。メイスや弓やモーニングスターはまったく想定してなかったし、間違っても盾で使うことになるとは思ってもみなかった。
だから彼自身、盾でも使えることが分かったときには、喜びよりも困惑の方が先に立った。そして能力の「得物」の部分がその原因であることがわかると、不意に初期設定のサポートをしてくれたヘルプ導師のことを思い出したのである。
『まあ、デリウス殿は騎士であるからな』
あの時は「騎士=剣」ということなのだろうと思っていたが、しかしそうではなかったのだ。あれは「騎士だから色んな武器を使う」という意味だったのだ。自分の能力を把握しきれていなかったことを、デリウスは恥ずかしく思ったのもである。
(まあ、出来ないと思っていたことが実は出来たのだ。そう悪い話ではない)
最近はそう思うようにしている。実際、デリウスが最も得意とするのは剣だが、一通りの武器は人並み以上に扱える自信がある。ならば武器を選ばずに使えるというのは、間違いなく利点の一つと言っていいだろう。……盾が武器に含まれるのかと言う議論は、この際脇においておく。
まあそれはそれとして。いくら文句を言ったところで、出来る事が出来なくなったりはしない。それに隠し芸の一つや二つ、あって当然だろう。そう考えてカムイは冷静さを取り戻し、改めてデリウスの姿をよく見た。
彼は模擬戦が始まったときと同じように剣と盾、つまり武器と防具を構えている。しかしカムイには彼が武器を両手に構えているようにも見えた。
(だからと言って……)
だからと言って、やる事は変わらない。目標は「とりあえず横っ面を一発ぶん殴る」だ。それもできれば“グローブ”で。プレイヤーだし、一発くらいは耐えられるだろう、たぶん。
そんなふうに考えていたら少し気が楽になり、カムイは小さく笑った。そしてまたデリウスとの間合いを詰める。ただし今度は全力で駆けだしたりはしない。相手の動きをよく見ながら、まずは小走りで距離を縮める。
『カムイは、動きに緩急をつけるといいですね』
稽古の中でイスメルに言われたことだ。いくら速く動けても、常に同じスピードで動いていては、いずれ相手も目が慣れてくる。重要なのはむしろスピードの落差。緩急をつけることで、一瞬のトップスピードが生きるのだ。
比較的ゆっくりと近づいてくるカムイを見て、デリウスは思案を巡らせた。彼に中距離の攻撃手段があることは、模擬戦の初手を見て分かっている。その攻撃が大きな脅威にはならないことも。
であるならば、間合いが開いているこの状況は、【ARCSABER】が使えるデリウスにとってはむしろ有利だ。加えて、カムイはたぶん彼がカウンター狙いだと思っている。それはべつに間違っていないのだが、しかしそれだけを警戒しているのであればそれは一つ隙と言えるだろう。
(こちらから仕掛けるか)
盾でも【ARCSABER】を使って見せたことで、カムイは警戒しているだろう。なら探り合いして喜ぶのは彼の方。そう思い、デリウスは剣を振り上げ、そして振り下ろした。
青白い光の斬撃がカムイを襲う。彼はその攻撃を軽く身体を捻って回避した。デリウスもまた、この単調な一撃が当るとは思っていない。これはただの牽制。カムイの動きが阻害されたその一瞬を見計らい、彼は盾を掲げながら前に出た。
それを見てカムイが驚いた顔をした。彼の戦法はカウンター狙いで、自分のほうからは積極的には動かないだろうと思っていたのだ。このへんはデリウスの読みどおりである。ただ彼が動いたのは、カムイにとってそう悪いことではない。
(むしろ好都合……!)
デリウスの装備は、どう見たって重い。そもそも重いからこそ、午前中はストレージアイテムの中にしまわれていたのだ。重い甲冑を装備した彼の動きはどうしたって遅くなる。機動戦なら、身軽でしかもデタラメに動き回れるカムイのほうが有利といえる。彼はそう見込んだ。
ただし、そこには見落としがあった。それは経験の差だ。デスゲームが始まってからの経験ではない。これまでの人生の経験、特に対人戦闘の経験だ。カムイは安全で平和な日本で暮らしていた。対人戦闘の経験など、あるはずもない。しかしデリウスは違う。彼は騎士だ。戦うことが生業で、少なくともそのための訓練を日常的に行っていた。
一言で言えば、年季が違う。そもそも重装備の自分が速度で劣ることなど、デリウスは最初から織り込み済みである。ならばそれを計算に入れた戦い方をすればよいのだ。
デリウスが盾を前面に押し出して突っ込んでくるのを見て、カムイは逆に腰を落として動きを止めた。十分に引きつけてから、側面あるいは背後に回り込むつもりだったのだ。しかしそれより先にデリウスが仕掛けた。盾のすぐ脇から剣を突き出したのである。
もちろん、その切っ先自体はカムイに届かない。しかしそこから伸びた青白い光が彼を襲う。ただしっかりとデリウスの動きを見ていただけあって、彼はその攻撃も危なげなくかわした。
とはいえ、その攻撃もデリウスにとっては当るとは思っていないただの牽制。その間に彼はさらに間合いを詰めた。ただまだ完全に間合いを詰められたわけではない。体当たり気味のシールドバッシュは十分に回避可能だ。それでカムイがいよいよ回避行動に移ろうとしたその矢先、強い衝撃が彼の身体を弾いた。
(【ARCSABER】……!?)
咄嗟にそう、カムイはアタリをつける。腰が上がっていたところへ強い衝撃を受けたことで、彼の上体は完全に泳いでしまっていた。その体勢のまま目を凝らせば、視界に映る盾には確かに青白い光が群がっている。アレで盾の間合いを広げたのだ、と彼はようやく理解した。
威力は重視していなかったのだろう。シールドバッシュで弾かれたカムイは、しかし大きく吹き飛ばされることはなく、一,二歩後ずさっただけで済んだ。だがデリウスの目的はバランスを崩すことで、それは十分に達せられている。そしてついに本命の一撃が放たれた。
「はっ!」
垂直に掲げられた剣が、真っ直ぐに振り下ろされる。襲い来る青白い光の刃を、カムイは両手の“グローブ”を交差させて防いだ。ガツンと来る重い衝撃。見れば片方の“グローブ”が大きく切り裂かれている。やはり【ARCSABER】にもそれだけのポテンシャルがあったのだ。
なにはともあれ、カムイはひとまずデリウスの一撃をしのいだ。しかしデリウスの攻撃はそれだけでは終わらなかった。彼は巧みに剣を振るい、立て続けに斬撃を浴びせる。たちまちカムイは防戦一方に押し込まれた。
手加減しているのか、あるいは手数を優先しているからなのか、デリウスが放つ一つ一つの攻撃に先ほどのような威力はない。しかしだからと言ってダメージがないわけではない。それら青白い光の斬撃は、まるで鈍器か何かのようにカムイを打ち据えた。
とはいえ、多少のダメージなどカムイにとってはないも同じ。【Absorption】で吸収したエネルギーですぐに回復してしまうからだ。それで彼は防御を緩め、右手の“グローブ”を伸ばした。デリウスの振るう剣を捕まえてしまおうと思ったのだ。しかしその“グローブ”をデリウスは一呼吸で斬り捨てる。そして再び彼を防戦一方に押し込んだ。
「この……!」
この局面を打開するためには多少強引にいくしかない。そう思い定め、カムイは捨て身気味に前へ出た。青白い光が横っ面を叩くが彼は気にも留めない。そして形成し直した右手の“グローブ”でデリウスの顔面を狙った。
盾で防がれるだろうとカムイが思っていたその一撃は、しかし防がれるのではなく受け流された。盾の表面をツルリと滑らされ、彼の身体はまたしても泳いだ。慌てて左手の“グローブ”を振り回すが、それが当るより先に彼の身体は吹き飛ばされた。身体の側面にシールドバッシュを叩き込まれたのだ。
この瞬間、カムイは攻撃に合わせて自分から跳んだ。かなり無茶苦茶なタイミングだったが、それでも合わせたのはさすがと言える。そして地面を転がる前に“グローブ”で身体を支えて着地し、足を付くと同時に駆け出した。
主導権を握られてはいけない。カムイはそれを感じ取っていた。そのためには常に動くしかない。彼は機動戦なら分があるという見込みに賭けた。動いて動いて動きまくって相手を振り回す。そうやって無理やりにでも隙を作り出すのだ。
カムイはデタラメに、しかしシンプルに攻めた。下手な駆け引きはしない。動き回り、常に側面か背後を狙う。動きに緩急をつけつつ、急激な方向転換を何度も行い、カムイはデリウスを翻弄した。
「くっ」
動き回るカムイを見て、デリウスは僅かに顔をしかめた。まともな攻撃はまだ一つも喰らっていない。しかし彼は戦いにくさを感じ始めていた。
確かに彼は対人戦闘の経験が豊富だ。もはや染み付いているといってもいい。しかしだからこそ、そこから外れがちなカムイのデタラメな動きには、どうしても反応が遅れがちになっていた。
一方のカムイは、戦いやすさなど感じてはいない。今の彼にとって、そんなことは完全に慮外だった。余計なことは考えず、彼はひたすら動いた。自分のペースを貫くこと。それだけを心がけた。
カムイは集中していた。デリウスの攻撃は、白夜叉の防御を抜いてくるようなものだけ回避し、後は無視する。警戒するべきは剣よりもむしろ盾。大きくはじかれてバランスを崩すと、足が止まりかねない。それでカムイは主にデリウスの右側に回り込んだ。
この選択が、地味にデリウスを苦しめていた。通常、対人戦闘では武器を警戒して盾を持つ側に回りこまれることが多い。剣を持つ側に回りこまれるというのは、あまり経験がない。
そういう一般論は抜きにするとしても、かなりのやりにくさを感じる。なにしろ攻撃が効かないのだ。どれだけ斬撃を浴びせても、カムイはケロリとしている。ダメージが蓄積されている気配がない。ならばと強打を放てばそれは回避される。動きより何よりこの嗅覚が一番獣じみているな、とデリウスは思った。
加えて問題となるのは防御だ。攻撃は最大の防御と言うが、攻撃が攻撃として機能しなければ、当然防御の効果など得られるはずもない。そうなると剣を持つ側は、どうしても防御力に欠ける。回避に気を使わなければならなくなり、攻撃の手数はさらに減った。
もちろんデリウスも棒立ちしているわけではない。常に身体の向きを変え、カムイを正面に捉えるように立ち回っている。ただし、完全にはできていないのが現状だ。彼よりも必要な動きは小さいはずなのに、しかし彼の急激な方向転換を追いきれないのだ。そして振り回されているうちに、デリウスの動きはだんだんと雑になり始めていた。
「はああああ!」
カムイが左手の“グローブ”を振り回し、デリウスを側面から狙う。その一撃をデリウスは【ARCSABER】の青白い光の斬撃で切り払った。しかし盾を構えるのが間に合っていない。今の彼はちょうど両腕を広げたような体勢になっている。がら空きになった胴体目掛け、カムイは右手の“グローブ”を振りぬいた。
「ちぃぃ!」
デリウスが盾を振るう。“グローブ”に横からぶつけて大きく弾くつもりなのだ。そして青白い光をまとった盾が“グローブ”を弾くその瞬間、カムイは“グローブ”を切り離した。
大振りした盾が、そのまま空振りする。その瞬間、デリウスは自分がはめられたことを悟った。身体を大きく捻ったせいで体勢が崩れている。カムイはそんな彼の側面に悠々と回りこんだ。そして“グローブ”を形成しなおし、その一撃をあらためて繰り出す。狙いは顔面だ。
しかしその一撃を黙ってくらってやるほど、デリウスは甘くない。彼はさらに身体を捻り、勢いよく身体を半回転させつつ鋭く剣を振りぬいた。青白い光をまとったその剣は、“グローブ”の白い巨大な拳を斜めに三分の二ほど斬り飛ばす。残った部分が彼の頬を荒々しく撫でた。
「ちっ!」
あと一歩のところでクリーンヒットを回避され、カムイは悔しげに舌打ちする。しかしまだ完全に好機が過ぎたわけでない。彼はさらに踏み込むと、左手でデリウスの右腕を捕まえた。
彼は咄嗟に振り払うが、もう遅い。カムイは決して手で掴んだわけではないのだ。白夜叉で掴んだのである。彼の手を振り払おうとも、しかし白夜叉のオーラからは逃れられない。左手から伸びた“アーム”がデリウスを捕まえたままだった。
(このまま引きずりまわしてやる!)
カムイはそう思ったが、しかし彼が思う以上にデリウスの対応は早かった。彼は迷うことなく盾から手を放し、その裏に隠してあった短剣を引き抜いたのである。そしてカムイ目掛けてその切っ先を繰り出した。
その一撃を、カムイは反射的に飛び退いてかわした。距離を取ってしまったが、しかし“アーム”は伸びるのでデリウスの腕は掴んだままだ。しかしその“アーム”をデリウスは【ARCSABER】の一撃で切断。さらに両手から連続して青白い光の斬撃を放ってカムイを足止めし、その隙にまた盾を拾い上げる。まさに流れるような動作だった。
(にゃろめぇぇ……!)
カムイは苛立たしげに歯軋りした。せっかくいい所までいったのに、振り出しに戻されてしまった。こうなると意地でもあのスカした顔をぶん殴ってやりたくなる。彼はもう模擬戦だからと力を抑えるのは止めることにした。
【Absorption】と〈オドの実〉の出力を最大まで引き上げる。そうやって増やしたオーラを使い、カムイは足元から地中へ根を張った。伸びるオーラの根が地中の瘴気を吸い上げていく。その濃度は大気中の瘴気とは比べ物にならない。
「おおおおおおお!」
爆発的に増えたエネルギーを、カムイは全て白夜叉のオーラへと変換する。そして間欠泉のように吹き上がるそれらのオーラへ、彼は〈エクシード〉を介してイメージを流し込んでいく。
やがてそれらのオーラは、巨大な人の上半身の像を取った。両腕はいわゆる“グローブ”で、顔の形相は恐ろしげである。ちなみに独立しているわけではなく、オーラでカムイと繋がっている。サイズは半分以下だが、〈北の城砦〉で〈キーパー〉と拮抗してみせたあの半身像だった。
「これ、は……」
デリウスは唖然としたようにそう呟いた。一応、話には聞いていた。しかし状況を考え合わせ、いわゆる「火事場の馬鹿力」なのだろうと考えていた。将来的にはともかく、いま使えるようになっているとは思っていなかったのだ。
しかしカムイは半身像を顕現させてみせた。デリウスの予想を超えたのだ。実力を見るという模擬戦の目的は、この時点で達せられたと言っていい。しかしどうやらカムイにここで止める気はない。それを見てデリウスもまた剣と盾を構えた。半身像がこけおどしではないのか、確かめておこうと思ったのだ。
(まあ、必要ない気もするがな)
こちらを見下ろす形で空中に佇む半身像。そこから感じるプレッシャーに冷や汗を流しそうになりながら、デリウスは胸中でそう呟いた。そして次の瞬間、さっそく半身像が動いた。
空中を滑るように移動し、半身像は巨大な拳を振り下ろす。デリウスがその一撃を飛び退いて回避すると、半身像の拳は地面を打ちつけ小さなクレーターを作る。その威力を見て、彼は僅かに口元を引き攣らせた。
半身像(を操るカムイ)の猛攻は続く。半身像は両腕を滅茶苦茶に振り回してデリウスを攻めた。その動きはデタラメもいいところだが、しかし半身像の腕の長さは成人男性の身長ほどもある。さらに鋭い爪も付いているから、そんなものを振り回せば動きが大雑把であろうとも十分に脅威だった。
その上、半身像は白夜叉のオーラで構成された、いわば化身だ。いくらダメージを与えたところで本体であるところのカムイは無傷。あまつさえそのダメージさえも供給されるエネルギーによって瞬く間に回復していく。デリウスにしてみれば、なんともタチの悪い消耗戦だった。
(攻略法はまだある)
猛攻をしのぎ続けるデリウスは、まだ戦意を失ってはいなかった。半身像を操り維持しているのはカムイだ。ならば彼との繋がりを断ち切ってしまえば、半身像は自然消滅するだろう。
半身像の大雑把な動きの隙をつき、デリウスは素早くその脇をすり抜けた。そしてカムイと半身像を繋ぐ綱状のオーラを【ARCSABER】の一撃で切断する。剣を振りぬいた彼は、しかし次の瞬間に目を見開いた。
斬ったはずのオーラが、また繋がったのである。デリウスからは見えていなかったが、半身像も一瞬揺らいだだけで消えたりはしていない。
半身像を構成しているオーラの量は膨大だ。それでエネルギー供給を断たれても、すぐに消滅したりはしないのである。だから斬られたオーラをまたちょっと伸ばして繋げてやりさえすれば、また元通りにするのはそう難しくはない。というか、また一から半身像を形成しなおす方がよっぽど面倒なのだ。
唖然としたデリウスの背中目掛けて、半身像が巨大な拳を繰り出す。その一撃を彼はなんとか盾で防御した。ただかなりギリギリのタイミングであったらしく、【ARCSABER】を発動して弾くことができていない。宙を舞うことはなかったものの、両足で地面を削りながら大きく押し込まれた。
その強力な一撃を受けたせいで、デリウスの左腕は骨が軋んでいた。さらに痺れが残り、力が入らない。頃合だな、と思い彼はその言葉を口にした。
「降参だ。これ以上は攻め手がない」
少なくとも模擬戦では、と言う言葉は胸中だけで呟く。さっさと剣を鞘に戻したデリウスを見て、カムイも【Absorption】を止めて半身像を消す。ただその顔は不満げだ。結局彼の横っ面をぶん殴れなかったのが残念なのである。
とはいえ降参を宣言した相手をさらに攻撃しようものなら、その瞬間にイスメルが割って入るだろう。その後には地獄の折檻が待っている。呉羽の道連れになってやる気はサラサラなく、カムイもまた構えを解くのだった。
「強いな。心強い限りだ」
「そんな余裕しゃくしゃくの顔でそんなこと言われても嬉しくない」
微妙な顔をしてそんなことを言いながらも、カムイはデリウスの差し出した手を握った。この模擬戦、彼は手を抜いてはいなかっただろう。だが本気であったともいい難い。これが実戦で彼が本気で殺しにきていたなら、死んでいたのはたぶんカムイの方だったはずだ。それがなんとなく分かるから、カムイも勝った気はしなかった。
三組の模擬戦が終わったところで、一同は【HOME】のリビングに場所を移した。ただ全員が揃っているわけではない。呉羽はイスメルにドナドナされてしまったし、ロロイヤは「面白い見世物だった」と言い残して自分の部屋に戻っている。
「いやいや、見ごたえのある模擬戦だったぜ」
ブラックコーヒーを片手に、アーキッドは上機嫌な様子でそう言った。新たに加入した三名が十分な実力を備えていることは誰の眼にも明らかだ。戦闘が不得手な、少なくともユニークスキルが戦闘向きではないメンバーが多数いるこのパーティーにおいて、彼らは心強い戦力となってくれるだろう。
「それで祭儀術式の実演だが、コイツは明日にしよう」
取り込み中の奴もいるしな、とアーキッドが付け加えるとリビングに生ぬるい苦笑が広がった。どのみち急ぐようなものでもない。キュリアズも了解したことで、リビングの空気はいよいよ緩くなる。みんながそれぞれに談笑を始めた。
「見事な戦いぶりだったぞ、カムイ殿。特に最後のアレは驚かされた」
そう言ってカムイに話しかけたのはフレクだった。彼は握手をしてからカムイの隣に腰を下ろすと、手を伸ばしてテーブルの上の菓子をつまむ。どうやら甘いものも嫌いではないらしい。
「あの白い覇気、ああいや、オーラと呼ぶのだったか。アレはどういうものなのだ? ずいぶん自在に形を変えていたが……」
「あれは、〈白夜叉〉と呼んでいます。オレがコッチに来てから覚えたスキルです」
「ほう、それはすごいな。ああ、それと、拙者に敬語を使う必要はないぞ。デリウスにも使っておらぬようだしな」
「ええっと、じゃあ……、そう、させてもらう」
カムイが少し遠慮がちにそう応えると、フレクは気持ちのいい笑顔を浮かべて彼の肩をバシバシと叩いた。それからまた話は白夜叉のオーラに戻る。
「形を変えるのは、どうやるのだ?」
「イメージを魔力に流し込む感じ、かな。フレクの覇気はああやって形を変えられないのか?」
「ある程度集中させたりはできるが、あそこまではっきりと形を取らせるのは聞いたことがないな」
まあある意味当然だが、とフレクは付け加えた。覇気を纏っているということは、つまり〈凶化〉を発動しているということ。その状態で明確なイメージを持つというのは、実際問題不可能と言っていい。
「フレクなら、できるんじゃないのか?」
「ふむ、今度試してみるか……」
フレクはそう答えてから少し考え込んだ。【ミネルヴァの抱擁】を持つ彼であれば、〈凶化〉を発動しても正気を失うことはない。今まで試してみたことがなかっただけで、覇気をもっと自由に操ることは可能なのかもしれない。やってみる価値はある。
「その時はぜひ、指南を願おう」
「まあ、オレにできることなら。代わりというわけじゃないけど、格闘術を教えてくれないか?」
教わったことがなくて我流なんだ、とカムイは少し恥ずかしそうに話した。それを聞くと、フレクは「ふむ」と呟いて思案気な様子を見せる。そしてこう答えた。
「あの予測の付かない動きも、それはそれで一つの強みだとは思うが……。まあ教わりたいというのであれば教えてやろう。カムイ殿とも手合わせをして見たいと思っていたところだしな」
そう言って、フレクはにやりと好戦的な笑みを浮かべた。それを見てカムイは「早まったかもしれない」と一瞬後悔するが、しかしすぐに思いなおす。イスメルの稽古よりはきつくないだろう、と。むしろそこから逃れるいい口実になるかもしれない。そう思い、彼は「それじゃあよろしく」と握手を交わすのだった。
カムイがフレクとそんな話をしていたころ、カレンはキュリアズと話をしていた。話題はやはりと言うか、魔法を斬って見せたあの剣技についてである。
「あの剣技はなんと言うんですか?」
「名前、ですか……? そういえば、師匠からは教えてもらってないですね……」
それを聞いてキュリアズは少しだけ眉をひそめた。カレンの不勉強を咎めたわけではない。恐らくイスメルにとってこの剣技は、名前を付ける(あるいは覚えておく)必要もないくらい初歩的なものなのだ。
「では、どういう仕組みで魔法を斬っているのでしょうか?」
「ええっと、それはですね……」
カレンはあやふやな知識を引っ張り出しながら何とかキュリアズに答えた。ただ、そのほとんどはイスメルからの受け売りである。本人もそれを隠そうとはせず、「詳しいことは師匠に聞いてください」と最後に付け加えた。
とはいえ、カレンから聞いた事柄だけでも、キュリアズにとってはなかなか衝撃的だった。特に「魔力を使った剣技には魔法としての側面がある」と言う話は目から鱗が落ちる思いだ。
「イスメルさんは魔法にも造詣の深い方なのでしょうか」
「師匠が魔法を使っているところは見たことがないですけど……」
だからといって使えないと決め付けるのも早計だろう。イスメルなら魔法の一つや二つぐらい使えても不思議ではない。ただその一方でまったく使えないような気もする。なんにしても彼女の場合、こと戦闘に限れば「斬った方が早い」というのがあらゆる場面での正解なのだろうとカレンは思った。
さてカレンとキュリアズがそんな話をしていると、そこへリムがやってきた。そして彼女はためらいがちにキュリアズに話しかける。
「あ、あの、キュリアズさん」
「はい。なんでしょうか?」
「実は、その……。一つお願いがあるんです」
「そのお願いと言うのは?」
「えっと、その……、魔法を教えて欲しいんです!」
リムのそのお願いを聞くと、キュリアズは「そうですね……」と言って少し考え込んだ。模擬戦で見せたとおり、彼女は攻撃魔法も回復魔法も使える。しかしその一方で、両方とも本職には及ばない。それでまずはこう聞き返した。
「アストールさんには教わっていないんですか?」
「えっと、トールさんは支援魔法しか使えないので……」
少し言いにくそうにしながら、リムはそう答えた。ということは、彼女が覚えたいのは支援魔法ではないのだろう。ちなみにキュリアズはアストールの支援魔法に興味があるので、時間を見つけて話を聞きたいと思っている。
まあそれはそれとして。リムの胸のうちはよく分からないが、確かに彼女が支援魔法を使えるようになってもあまり意味はないだろうとキュリアズも思う。それだけこの分野におけるアストールの腕がずば抜けているのだ。ユニークスキルで強化しているのだから当然である。
そしてアストールを除けば、今までリムの周りに魔法を使えるプレイヤーはいなかった。だからキュリアズから習いたいというのは、分からない話ではない。
「あの、ダメ、でしょうか……?」
リムがそう言ってキュリアズを不安げに見上げる。その上目遣いの視線の破壊力は凄まじい。キュリアズは「うっ」と小さく呟いて僅かに仰け反った。そしてそんな反応を隠すかのように、リムの頭を優しく撫でる。きっと毎日【全身クリーニング】で清潔にしているのだろう。サラサラの髪の毛はとても手触りが良かった。
「ダメではありませんよ。それでリムちゃんはどんな魔法を覚えたいんですか?」
「回復魔法を、覚えたいです」
「ああ、それはいいですね」
お世辞ではなく、キュリアズは本心からそう思った。〈キーパー〉や〈魔泉〉の主のような特殊な例を除けば、このパーティーはすでに十分な攻撃力を備えている。前衛に偏りすぎているきらいはあるが、だからこそ中途半端に攻撃魔法を放り込んでも邪魔にしかならないだろう。
足りないのはむしろ回復能力だ。もちろん回復と言うのであればポーションがある。今までもそれで十分に間に合ってはいたはずだ。ただやはりポーションを買うにはポイントがかかるし、リム個人のスキルアップのためにも回復魔法の習得には意味がある。
(それに……)
それに、対〈魔泉〉の主討伐作戦は激戦が予想される。キュリアズは祭儀術式の発動で手一杯になるだろうから、メンバーの回復にまでは手が回らない。そんな中でリムが回復魔法を覚えてくれれば心強いし、また全体としてもバランスが取れるだろう。
(リムちゃんの【浄化】は、〈魔泉〉のすぐ近くではあまり意味がないでしょうしね……)
口には出さず、キュリアズは胸の中でそう呟いた。もちろん、ポイントを稼ぐという点では意味があるだろう。しかし〈北の城砦〉攻略作戦のときのように、瘴気を片っ端から浄化して自分たちに有利なフィールドを作り出してしまうような、そういう働きは期待できない。〈魔泉〉からは大量の瘴気が常に噴出している。増加量が浄化量を上回っているのだ。
かといって前衛が揃っている中で、こんな小さな女の子にモンスターと戦えというのもなんだか忍びない。というか危険だ。ならば後方で回復要員に徹していてもらった方がいろいろと安心できる。
まあいろいろと頭でっかちな理由は並べたが、要するにキュリアズはリムが回復魔法を覚えることに賛成である。そばで話を聞いているカレンもほとんど同じ意見だ。ただ一つ問題があった。前述したように、彼女は回復魔法の専門家ではないのだ。彼女は素直にそのことをリムに告げた。
「私は本職のヒーラーではありません。回復魔法は必要にかられて覚えただけで、付け焼き刃と言っていいでしょう。教えるとなると、本当に基礎的なことだけになってしまいますが、それでもいいですか?」
「は、はい! よろしくお願いします!」
顔を輝かせてそう答えると、リムは勢いよく頭を下げた。その様子を見てキュリアズも顔を綻ばせる。こうして話は決まったのだった。
さてそのころ、デリウスはアーキッドと話をしていた。その場にはなぜかルペもいる。加入時期で言えば、彼女はデリウスたちに近い。そのせいか古参メンバーの実力を本当の意味ではまだ把握しておらず、模擬戦のレベルに驚いた様子だった。
「いや~、みんな強いね~。アタシ、ホント飛んでるだけになっちゃうよ」
相変わらず楽天的な調子でルペはそう言った。実際、午前中の彼女は本当に飛んでいるだけだった。【測量士の眼鏡】を装備して地図の穴埋め作業を担当しているのだが、戦闘には全く関与していない。とはいえ、「それはそれでまあいっか」と思ってしまうのがルペのルペたる由縁である。
「空にモンスターは出ないのか?」
「出ないわけじゃないけど、やっぱり地上が多いね」
今日も出なかったし、とルペは続ける。それを聞きデリウスは「ほう」と小さく呟くと脳裏で思案をめぐらせた。
一般にモンスターは瘴気濃度が高いほど出現しやすい。上空に比べて地上の方がモンスターが出現しやすいということは、つまり地上の方が瘴気濃度は高いということになる。ただ実際のところ数十メートルの範囲であれば、【瘴気濃度計】で測ってみても顕著な差はない。
ということは、モンスターの出現に関わってくる瘴気というのは、【瘴気濃度計】には直接現れてこないか、もしくはそういう瘴気の比重が大きいと考えられる。要するに上空あるいは地上付近を問わず大気中に漂っている瘴気ではなく、地中に蓄えられている瘴気の方がモンスターとの関わりは深い、と考えられるのだ。
まあそれはそれとして。メンバーの実力を把握しきれていないのは新加入の三人も同じだ。特にデリウスは今まで立場柄、「味方の戦力はしっかりと把握しておくべし」という考え方が染み付いている。
今日の模擬戦でカムイたち三人やイスメルについてはある程度知ることができた。ただルペについては空を飛べること以外ほとんど未知数である。それでデリウスはこの機会に、彼女にこう尋ねてみた。
「ルペさんなら、あの模擬戦をどう戦った?」
「え、アタシ? う~ん、槍だと誰が相手でも厳しいかなぁ……」
「そうなのか? 稽古じゃクレハをけちょんけちょんにしてる、って聞いてるぜ?」
アーキッドがにやりと笑いながらそういうのを聞いて、デリウスはまた「ほう」と呟いた。呉羽は模擬戦でフレクといい勝負を演じている。その彼女を「けちょんけちょん」にしているのなら、かなりの実力を期待していい。しかし当のルペは苦笑を浮かべながら攻応じた。
「いや~、アレは空中戦だからだよ。クレハにどっしりと構えられたら、苦戦するのはアタシのほうじゃないかな?」
「ふむ、そんなものか……」
「そういや、ルペは弓の方が得意なんだよな。弓ならどう戦う?」
アーキッドがそう尋ねると、ルペは「そうだなぁ……」と言って少し考え込んだ。それからこう答える。
「できる限り高度を取って、そこから射撃、かな」
「ま、セオリー通りっちゃセオリー通りだな」
「うむ。なるべく反撃を許さないのは戦術の基本だ。それで、高度はどれくらい取れるのだ?」
「今なら雲の高さくらいかな」
ルペが何気なくそう答えると、いい年をした男二人がなんとも言えない顔になった。彼らにとってその高さは想像を超えたものだったのだ。
「……地上の的を狙えるのか、その高さから?」
「アタシは鳥目だからね。眼はいいんだ」
「狙えるとして、精度は? あ~、つまりどれくらい当てられる?」
「ん~とね……、相手が動かないなら、ヘッドショット決める自信あるよ」
「い、威力は?」
「威力は使う弓にも左右されるけど……。あ、でもウチの族長が使ってた魔弓は鉄製の兜を貫通してたよ」
どうせ使うならそれくらいの威力が欲しいかなぁ、とルペは話す。それを聞いてアーキッドとデリウスはますますなんとも言えない顔になった。
雲の高さから、定点目標ならヘッドショットを決められる精度で、鉄製の兜を貫通する威力の射撃を一方的に行う。ルペの話をまとめるとつまりそう言う事になる。
「なんというか、心強いことだな」
「ああ、まったくだぜ」
「んん? そりゃ、どうも?」
よく分かっていない風なルペの反応に、二人はなんだかホッとした。そして同時にこうも思う。ルペには早いところ、遅くとも〈山陰の拠点〉跡地に着くまでには、相応の魔弓を装備してもらいたい、と。彼女の槍術を否定する気はないが、やはりメインウェポンは一番得意なものを使うべきだろう。
(問題は……、資金か……)
よい魔弓を買おうとすれば、当然それ相応にポイントが必要だ。本来こういう時のための【PrimeLoan】なのだが、ルペはすでに上限ギリギリまで借りてその全てを浄化樹に突っ込んでしまっている。となると地道に稼ぐか、本当の意味で誰かから借りるか、そのどちらかしか方法はない。
(さて、どうするかね)
悩みつつも、アーキッドに深刻な様子はない。まあどうにかなるだろう、と思っている。ルペの楽天的な部分が伝染したのかもしれない。
(気難しく悩むのはデリウスの旦那にやってもらうさ)
適所適材。せっかくメンバーに加わったのだから、向いている仕事はどんどんやってもらおう。アーキッドはそう思うのだった。
まだ〈魔泉〉にもついていませんが、今回はここまでです。
続きはまた気長にお待ちくださいませ。




