〈ゲートキーパー〉8
デリウスたち三人が旅支度を整えて【HOME】を訪れたのは、最初の話し合いから十日後、つまり三度目の〈侵攻〉の翌日のことだった。リビングに通されソファーに座った彼は、どことなくすっきりとした顔をしているように見えた。
「待たせたな。今朝、正式に〈騎士団〉を解散してきた。ロナンの方にも話は通してある。これで、ここを離れても大丈夫だ」
デリウスは静かにそう言った。後で聞いた話だが、昨日の〈侵攻〉が最終的な調整の場だったのだと言う。これを経てようやく解散後の見通しがつき、出発の算段がついたというわけである。
「そうか。んじゃ、行くとするか」
デリウスの話を聞いて、アーキッドはそう言った。そして他のメンバーに出発の準備をするように言ってから、自分は一人でロナンのところへ向かう。出立の挨拶をするためである。
「そうですか……。行かれるのですね……」
アーキッドから「出発する」という話を聞くと、ロナンはそう呟いた。さらに何か言おうとするが、結局言葉が出てこなくて黙り込む。手を組んで俯くその姿には、後悔と苦悩が滲んでいた。
彼が考えているのは、言うまでもなくデリウスたちのことだ。彼らが抜けても、防衛線の戦力に問題はない。問題が出ないように取り計らってくれたことを知っている。何からなにまで整え、そして今日ここを出て行く。表向きは自分の意思で、実際のところはこの拠点が抱える問題の尻拭いをするために。
損な役回りを押し付けてしまった。ロナンはそう思っている。戦力が足りず〈侵攻〉によってジリジリと圧迫されていた頃、この拠点はデリウスが連れて来た戦力によって救われた。そういう意味で、ロナンにとって彼は救世主と言っても過言ではない。言い方を変えれば、彼には恩義がある。
よりにもよってその彼に、尻拭いをさせてしまった。そもそも〈山陰の拠点〉から五十人近いプレイヤーたちを連れて来るだけで一大事業なのだ。運命の女神がこの世界にもいるとしたら、どれだけの試練を彼に負わせるというのか。負わせる側になってしまったロナンだが、そう思わずにはいられない。
「まあ、あんま気にすんな、て言ってもお前さんには無理な話か」
そう言って苦笑を浮かべたアーキッドに、ロナンも弱々しい苦笑を返す。そんな彼にアーキッドはさらにこう言った。
「〈魔泉〉に一番近い拠点はここだ。帰ってきたときになくなってたら困るぜ?」
「そう、ですね。無事に帰ってくるのを、待っています」
何かを飲み込むようにして、ロナンはそう言った。割り切れたわけではないだろう。しかし今更、諸々をひっくり返すわけにはいかない。ならば飲み込んで、できることをするしかないのだ。
ロナンへの挨拶を終えアーキッドが【HOME】に戻ると、他のメンバーはすでに準備を終えていた。デリウスたち新規メンバーへの【守護紋】のマーキングも済んでおり、いつでも出発できる状態だ。
「いや、イスメル殿が見当たらないようだが……」
少々困惑気にそう話したのはフレクである。だが彼女の姿が見当たらないのは、カムイたちにとってはいつものこと。アーキッドがちらりとカレンのほうへ視線を向けると、彼女は力なく「部屋に篭っています」と答えた。
「なら、問題ないな」
アーキッドは頷いてそう言った。本心である。これでもし浄化樹林に入り浸っていられたら、引き剥がすのが一苦労だった。しかし部屋に篭っているだけなら、引きずり出すのは簡単である。
さて時間も惜しいことだし、と楽しげに呟いてからアーキッドは“パチン”と指を鳴らした。次の瞬間、【HOME】がシャボン玉のエフェクトに包まれて消える。そして空中に放り出されたイスメルが落ちてきた。
「むぎゃん!?」
情けない悲鳴を上げて、イスメルが地面に叩きつけられる。涙を流しているのは、別に怪我をしたからではない。言うなれば心因的なもの、要するに植物を取り上げられてしまったからだ。
あまりのことに、口をあけて言葉もない様子のデリウスら三人。そんな彼らを尻目に、カムイたちは涼しい顔である。もう慣れてしまっているのだ。そのせいか、感想も辛口である。
「七点。そろそろ捻りが欲しい」
「そうだなぁ、マンネリ化は否めないなぁ」
キキとカムイは完全にギャラリーと化して勝手なことを言っている。呉羽は苦笑を浮かべているだけだが、その隣ではカレンが頭を抱えていた。諦めたとはいえ、師匠の痴態を目の前で見せられるのは、いろいろと心を抉るらしい。起き上がる気配のないイスメルをそのままにしておくわけにもいかず、彼女は肩を落として近づいた。
「師匠! ほらしゃんとして下さいよ!? もう!」
「カレン……、私はもう、ダメ、です……」
「じゃあ師匠の部屋の観葉植物は処分しておきますね。薪にでもしちゃいましょうか?」
「なんと残酷な……! 貴女には血も涙もないのですか!?」
「あいにくと枯れ果てましたよ!」
そんな掛け合いをしながら、カレンはイスメルを無理やり立たせる。その様子をなんとも形容し難い顔で見守るデリウスたちに、アーキッドは気楽な調子でこう声をかけた。
「日常茶飯事だからな。慣れちまったほうが楽だ」
「そう、なのか……」
「まあ、一度スイッチが入れば頼りになるヤツだから。誰しも欠点の一つや二つあるもんさ」
「まあ、そうだな……」
デリウスはそう呟いて無理やり自分を納得させた。そしてカレンがイスメルを引きずってきたところで、一行はようやく出発する。向かうのは北。目指すのは〈魔泉〉だが、ひとまずは〈山陰の拠点〉の跡地が第一の目標地になる。
その日の午前中は、とにかく歩き続けた。レンタカーなどを使って手早く移動、ということはしない。それはもちろんデリウスたちがいたからなのだが、どうもそれだけではないような気がカムイはした。
午前の移動中、戦闘は主にデリウスたち三人が担当した。実力を見せる、というのがその目的だ。とはいえ相手が普通のモンスターなので、実力の全てを発揮できたわけではないだろう。実際、キュリアズはユニークスキルの【祭儀術式目録】を使っていなかった。
(ただ、まあ戦いなれている感じがするな)
三人の戦い方を見て、カムイは何となくそう思った。迷いがなく、無駄がなく、危なげがない。綺麗と言うわけではないが、力押しをしているように見えても、戦いの熱に浮かされず淡々としている感じだ。職業軍人、という言葉がカムイの頭をよぎった。
「デリウスって、もとの世界だと軍人だったのか?」
「軍人と言うか……、騎士として国に仕えていたな」
カムイのタメ口に苦笑しつつ、デリウスはそう答えた。ようするに似たようなもので、戦い方に関して専門の訓練を受けていたのだ。職業軍人というカムイの感想は大当たりだったわけである。
ちなみにキュリアズはいわゆる特殊部隊の出身。ただし諜報を担うスパイのような部隊ではなく、魔物を想定した即応部隊だったそうだ。本人は「宮仕えの悲しき使いっ走りですよ」と言っていたが、つまりは精鋭部隊の一員である。
「じゃあ、フレクも軍人だったのか?」
「いや、拙者は傭兵だった」
数々の戦場を渡り歩いたものだ、と彼は語る。いつの間にか二つ名がついていて、それを〈黒き皇狼〉という。「なにそれ恥ずかしい」とカムイは思ったが、本人がまんざらでもなさそうなので黙っていた。
まあそれはそれとして。つまり三人とも元の世界では、戦いを生業としていたのだ。戦いに慣れていて当然、というわけである。加えてずっと一緒に戦ってきただけあって、三人の連携も息があっている。そう言ったことを午前中のうちに確認でき、アーキッドは満足そうだった。
適当な時間になったところで、【HOME】の中で昼食を食べて休憩する。休憩がだいたい一時間と聞いてデリウスは少し不満げな顔をしていたが、昼寝をするリムやキキの様子を見て必要な時間だと納得したらしく、文句を言うことはなかった。
「そうだ、今のうちに三人の部屋を決めちまおう」
昼食を食べ終わると、アーキッドはそう言ってデリウスたちに客室を見せた。空き部屋はたくさんあるので、使用しているところでなければどこを使ってもいい。そう言われ三人はそれぞれ自分の部屋を決めた。後で聞いた話だが、キュリアズは特にお風呂を見て感激していたと言う。
お昼の休憩が終わり、外へ出る。午前中と同じくまた歩いて移動するのだとカムイは思っていたが、アーキッドは突然こんなことを言い出した。
「模擬戦をしよう」
唐突なその提案にカムイは首をかしげたが、一方のデリウスは眉間にシワを寄せていた。そしてアーキッドにこう尋ねる。
「午前中に見せた分では、不足なのか?」
「そういうわけじゃないが、アレが全てでもないだろう?」
「む……。まあ、それはそうだが……」
逆に問い返され、デリウスは小さく唸った。値踏みをされるのは面白くない。だが実力を過小評価されるのも、同じぐらいに癇に障る。それに〈魔泉〉に主の討伐作戦に志願したのは、あくまでも彼らの側だ。はっきりとした実力を示しておくのは、むしろ礼儀であろう。
「分かった。では、キュリーは祭儀術式を後で見せるとして、私とフレクで模擬戦をやる。それでいいか?」
「ああ、いや。相手はコッチから出すから、全部で三回やろう。見せてもらうばかりじゃ不公平だからな」
アーキッドがそう言うと、デリウスは小さく笑って表情を緩めた。そして小さく頷くと、キュリアズとフレクのほうに視線を向ける。二人もまた頷いたのを確認してから、彼はアーキッドに「分かった」と返事をした。
「よし。んじゃ、イスメル。対戦カードを決めてくれ」
「私がですか? そうですね……」
突然話を振られてイスメルは少しだけ困惑した様子を見せたが、しかしすぐに言われたとおり模擬戦の対戦カードを考え始める。そして数秒後に口を開いてこう言った。
「……では、キュリーとカレン、フレクとクレハ、デリウスとカムイ、でどうでしょうか?」
「んじゃそれで」
「ええ!? 模擬戦ってオレらがやるんですか!?」
イスメルが提案した対戦カードをアーキッドはさっさと承認したのだが、それを脇で聞いていたカムイが慌てた様子で話に割り込んだ。模擬戦と聞いた時点で彼は観客に徹するつもりでいたのだが、なんと当事者にされてしまった。
正直、心の準備ができていない。若干面倒くさくもあるし、是非とも辞退したいところだった。しかし対戦カードを決めたのはイスメルだ。普段シゴかれまくっている彼女には、どうしても逆らいにくい。
同じく巻き込まれたカレンと呉羽の様子を窺えば、二人ともすでに準備を始めている。女の子である二人にこうも淡々とされてしまうと、男の子であるところのカムイはこれ以上駄々をこねにくい。結局肩をすくめ、彼も準備を始めるのだった。
「【エリクサー】と【上級ポーション】を準備してあるから、怪我については心配しなくていい。ただ基本的には寸止めで頼むぞ」
「危ないと思ったら、私やミラルダが止めに入ります」
最後にアーキッドとイスメルがそう言ってから模擬戦が始まった。最初の対戦カードはキュリアズ対カレンである。ただしキュリアズの【祭儀術式目録】は使用禁止だ。そもそも模擬戦で使うような能力ではないし、彼女もすぐに同意した。
ユニークスキルが使えないとなるとキュリアズの方が一方的に不利に思えるが、しかしカレンの【守護紋】も戦闘で役に立つような能力ではない。条件的にはイーブンだ。イスメルがこの対戦カードを組んだのもそれが目的であろう。
カレンとキュリアズはおよそ五メートルの間合いを取って相対した。奇しくも、向かい合った二人の得物は似ている。カレンは双剣だが、キュリアズはいわゆる〈ツインダガー〉と呼ばれるスタイルで、二本のダガーをそれぞれ逆手に構えていた。
(ん……?)
キュリアズが構えたダガーを見て、カムイはある事に気がついた。ダガーの柄尻に何か光るモノが付いている。良く目を凝らしてみると、どうやらピンク色の結晶らしい。何かの宝石なのかな、とカムイは思った。
そして同時に「どうしてそんなものが付いているのか?」と疑問が湧いてくる。彼が小首をかしげているその前で、カレンとキュリアズの模擬戦が始まった。疑問の答えはその中で分かるだろうと思い、カムイはひとまず観戦に集中することにした。
得物の特性上なのか、二人の打ち合いは手数の多いものだった。キンッキンッキンッ、と立て続けに何度も金属音が鳴り響く。位置を入れ替えるように激しく動きながら、二人は模擬戦を続けた。
懐に入ろうとするキュリアズを、カレンが鋭く牽制する。ダガーという得物もそうだが、さらにそれを逆手で使っている関係上、キュリアズの間合いはかなり狭い。いつか呉羽にやられたように、カレンはその間合いの差を使いながら彼女の動きを牽制した。
ただ、カレンは完全にペースを握れていたわけではない。キュリアズは地を這うようにして攻めてくる。間合いに差のある相手とも戦いなれているのだろう、彼女はカレンの牽制を巧みにかいくぐって懐に入ってくる。
「くっ」
距離を取り横薙ぎにされたダガーの刃を受け止めつつ、カレンはもう一方の剣を斜めに振り下ろした。その攻撃をキュリアズもまたもう片方のダガーで弾く。そして身体を乗り出し、空いた分の間合いをまた詰めた。
一分ほどの間激しい打ち合いを続けたところで、二人は示し合わせたかのように一旦距離を取った。小休止である。トップギアを維持できる時間というのはそう長くはない。短距離走と同じだ。
互いの出方を窺いながら、乱れた呼吸を整える。先ほどの打ち合いの中で、カレンはキュリアズとの経験の差を感じ取っていた。主導権を握っているのは、だいたい6:4でキュリアズの方だ。
ただカレンにしてみれば、主導権を握られるのはいつものこと。それどころかイスメルと比べれば何倍も組み易い。キュリアズは精鋭部隊の一員として活躍していたというから、その彼女とこうしてやり合えている自分はもしかして結構強くなったのではないかと彼女は思った。
(……っと、油断厳禁)
カレンはそう自分を戒めた。今の攻防でキュリアズが全力を出していたという保証はない。それどころか、まだ見せていない手の内の一つや二つあると思っておいた方がいいだろう。
呼吸が落ち着くのはキュリアズのほうが早かった。ジリジリと動き始めた彼女に合わせて、カレンもまたイスメルから習った歩法で位置をずらしつつ相手の出方を窺う。先に動いたのはキュリアズだった。
彼女は動きに緩急をつけ、さらに身体を左右に揺らしてフェイントを混ぜながら間合いを詰めてくる。しかしカレンは惑わされない。的確に攻撃を防ぎ、その合間に鋭い反撃を繰り出す。その手馴れた対応に、キュリアズは僅かに顔をしかめた。
(なかなかどうして、よく仕込まれていますね)
キュリアズはそう思った。押しつつも、しかし押し込めない。逆境に強いというよりは、格上相手の戦いに慣れているような気がした。そしてその格上とは、同じ得物を使うイスメルに他なるまい。朝のアレには驚かされたが、やはり彼女も優れた双剣士なのだろう。
(では、こういうのはどうです?)
左手のダガーで攻撃を仕掛ける。同時に、キュリアズは右手のダガーをクルリと半回転させ順手に持ち直す。そして今までまったく使っていなかった突きを繰り出した。
「に゛ゃあ!?」
珍妙な声を上げつつも、カレンはその突きを何とか回避する。ソレを見てキュリアズはちょっと嬉しくなった。
前述したとおり彼女が元の世界で所属していたのは魔物相手の即応部隊だが、行く先々では教導を務めることもあった。その場合は大抵このような模擬戦形式だったのだが、その中でこの突きに初見で対応できたのはだいたい四割弱しかいない。見所のある娘だ、と彼女は思った。
一度見せたからには出し惜しみをする必要もなくなったのだろう。左右のダガーを逆手に順手にと持ち替えて、キュリアズはカレンを攻めた。そして動きに緩急をつけ、さらにフェイントを加えることで、彼女の動きはますます予測し辛くなる。
主導権の天秤はさらに彼女のほうへ傾き、およそ7:3といった具合になった。しかしそれでもまだ、カレンは食いついてくる。その姿勢はキュリアズにとっても好ましいものだ。だから彼女はさらにもう一つ、手札を見せることにした。
(さて、そろそろですか)
また一旦、距離を取る。それを見たカレンが少しだけ大きく息を吐いた。隙とも言えない、小さな間隙。そこにキュリアズは己の手札をねじ込んだ。
「〈ライトニング〉!」
その瞬間、雷が走った。魔法である。ダガーの柄尻にはめ込まれていた小さなピンク色の結晶は、このためのものだったのである。
トリッキーなツインダガー使いの印象を散々刷り込んでからの、この魔法の一撃。午前中の戦闘でも魔法は使っていなかったから、ほとんど奇襲であり、初見殺しの不意打ちだ。カレンは反射的に剣を振るったが、しかし雷に撃たれて身体を仰け反らせた。
倒れるどころか膝を付くことさえしなかったのは賞賛に値するだろう。しかし身体が痺れてほとんど身動き取れないはず。キュリアズはそう判断し、決着をつけるべく前に出た。もちろん、これ以上の攻撃を加えるつもりはない。刃を突きつけて勝敗をはっきりさせるだけだ。
(これで、終わり)
キュリアズが勝利を確信したその瞬間、カレンが動いた。半歩踏み出し、左手の剣を振るう。間合いは大きく外れていたが、キュリアズは反射的に右手のダガーを掲げて防御の構えを取る。そしてその判断は正しかった。
キンッ! と金属的な音が響く。同時に彼女の手には重い手応えが残る。不可視の斬撃を弾いたのだ、と彼女はすぐに理解した。そしてその斬撃を放ったのは、間違いなくカレンだった。
「イっつぅ……!」
顔を盛大にしかめて、カレンはそう漏らした。身体に痺れが残っているのか、小さく肩をまわして具合を見ている。キュリアズは内心の驚きを押し殺しつつ、二振りのダガーを隙なく構えてそんな彼女を見据えた。
(なぜ……?)
なぜ、動けるのか。殺してしまわないよう手加減したとはいえ、一時間程度痺れが残るくらいの威力はあった。当然直撃すれば身動き取れなくなるし、また直撃したはずだ。しかしカレンにそこまでのダメージを負っている様子はない。
訳がわからなかった。先ほど防いだ不可視の斬撃よりも訳がわからない。訳が分からなかったので、模擬戦なのをいいことに、キュリアズは素直に聞くことにした。
「魔法にどう対処したのか、お伺いしても?」
「えっと、斬りました。完全にはできなかったんですけど……」
少しバツが悪そうに、カレンはそう答えた。ソレを聞いてキュリアズは唖然とする。その答えは、想像の斜め上を飛びぬけていた。
(斬った? 魔法を……!?)
そんな馬鹿な話があってたまるか。それがキュリアズの偽らざる本音だった。魔法防御用のアクセサリーを装備していたとか、そういう対策ならいくらでも納得できる。しかし斬ったというのは、実戦経験豊富な彼女をして理解不能だった。
言うまでもないことだが、この魔法を斬る技術と言うのはイスメル直伝だ。〈キーパー〉との戦いの後、カレンは彼女にこんなことを尋ねていた。
『あの炎を斬ったのって、やっぱり〈双星剣〉の力なんですか?』
〈双星剣〉とはイスメルが自分の世界から持ち込んだ愛用の双剣だ。隕鉄から削り出されたこの双剣には、〈切断〉の概念が宿っている。つまりいかなるものをも「断つ」ことができるのだ。その力のことは認めつつ、しかしイスメルは弟子にこう答えた。
『コレが便利な道具であることは確かですが、カレンの得物でも同じことはできますよ』
その答えはカレンにとって意外なものだった。咄嗟に意味を図りかねて、彼女は小さく首をかしげる。そんな弟子に、イスメルはこんなふうに説明した。
『剣に魔力を込めているでしょう? それを鋭く研ぎ澄ますんです』
ごく初歩的な技術、それこそ〈伸閃〉を覚える前の段階として、イスメルはカレンに剣の刃に魔力を込めることを教えた。この魔力を研ぎ澄ますことで、そのエネルギーそれ自体を刃とするのだ。その、いわば魔力の刃とでもいうべきもので、〈キーパー〉の炎を切り裂いたのだ、とイスメルは言う。
『ただの技術ですからね。鍛錬を積んでいけば、誰でもできるようになります』
少なくとも理論上は。こともなさげに説明する師匠の言葉に、カレンはそう胸のうちで副音声を追加した。イスメルの話すそれが超高等技術であることは疑いない。自分ができるようになるとは思えなかった。そんな弟子の胸のうちを見透かしたかのように、イスメルは小さく笑ってこう付け加えた。
『カレンも、もうその入り口くらいには立っていますよ』
『ほ、本当ですか!?』
『ええ、本当です。〈キーパー〉の炎はまだ無理でしょうが、簡単な魔法くらいなら十分に対処できると思いますよ』
魔法も元をただせば魔力。相性が良いんです、とイスメルは言う。そしてさらに続けてこう言った。
『つまり、魔法に魔力で干渉するんです』
魔法を斬るための魔法を使っている、と言い換えてもいいだろう。「斬る」というイメージを以って魔力を研ぎ澄まし、その果てに「刃」へと変質させる。これは魔法を使うためのプロセスとほぼ同じだ。これは〈伸閃〉にも同じことが言え、つまり魔力を使う剣技は全て広い意味での魔法と言うことができた。
それを踏まえると、〈双星剣〉のように何かしらの概念を持つ道具と言うのは、一種のブースターであると考えられる。つまり使い手のイメージを道具が持つ概念で補強し底上げするのだ。
概念の分だけ下駄を履かせている、と言ってもいい。そしてその概念が強力であればあるほど、使い手のイメージが拙くても、あるいはまったく無かったとしても、魔法のような結果が得られる、というわけだ。
逆を言えば、イメージさえしっかりとしていれば、下駄を履かせてもらわなくても同じことが出来るのだ。それでイスメルは先ほど言ったのだ。「コレが便利な道具であることは確かですが、カレンの得物でも同じことはできますよ」と。
まあそれはそれとして。イスメルからお墨付きを貰ったことで、カレンは俄然テンションが上がった。早速魔法を斬ってみたいと思い、一番身近な魔法使いであるアストールに協力を依頼した。
しかし結果は大失敗。的として〈ソーン・バインド〉の魔法を用意してもらったのだが、まったく斬ることができない。つまりアストールの魔法には全然歯が立たなかったのである。涙目になる弟子に、イスメルは苦笑しながら事情をこう説明した。
『アストールの魔法は、ユニークスキルですから』
いわば概念強度とでも言うべきものが段違いなのである。それで未熟なカレンでは斬ることが出来なかったのだ。肩を落としてガッカリするカレンの肩に手をおくと、イスメルは彼女の得物を借り、そして鋭く一閃した。次の瞬間、〈ソーン・バインド〉が切り裂かれて消える。それを見てカレンは目を丸くした。
『……とまあ、こんな具合です』
そう言ってイスメルが差し出す剣を、カレンは何度も頷きながら受け取った。確かに〈双星剣〉でなくとも魔法を、それもユニークスキルの魔法を斬ることは可能なのだ。確かな目標を見せてもらったことで、カレンの目には力が戻っていた。
ちなみに、ユニークスキルであるはずの自分の魔法をただの技術で斬り捨てられてしまったアストールは若干頬を引き攣らせていた。
そんなわけで。カレンが魔法を斬ったのは今日が初めてだった。初めてだったし、しかも咄嗟のことだったので、あまり上手くは出来なかった。実際、雷撃をくらってしまっている。
だがそれでも。半分くらいは斬ることができたはずだ。その手応えがカレンにはあった。次はもっと上手くやれる。その自信を抱きながら、彼女は双剣を構えた。そこへイスメルが声をかける。
「大丈夫ですか?」
「はい。まだやれます」
そう答えたカレンに一つ頷くと、イスメルは次にキュリアズのほうに視線を向ける。そして彼女もまた一つ頷いたことで、模擬戦の続行が決まった。
「〈ファイアボール〉!」
模擬戦が再開されると、キュリアズは初手から魔法を放った。詠唱はワンフレーズだが、しかし放たれる火炎弾は複数ある。しかしカレンは怯まない。正面から見据え、魔力を研ぎ澄ます。そして両手の剣を振るった。
(ちっ……!)
顔には出さず、キュリアズは胸中で舌打ちを漏らした。彼女の目の前では、放った火炎弾が次々に斬り捨てられていく。追加でまた〈ファイアボール〉を放つが、しかし当る気配がない。彼女の常識からすればあり得ない、デタラメな光景だった。
一方のカレンは、〈ファイアボール〉の魔法を斬り捨てながら自信を深めていた。イスメルの言ったとおり、カレンの剣は魔法に通用した。そのうち余裕が出てきて、彼女はさらに〈伸閃〉も使い始めた。間合いが広がり、魔法への対処はさらに速くなる。そしてついに、〈伸閃〉の一振りがキュリアズ目掛けて放たれた。
彼女はその一撃をダガーで振り払う。同時にもう片方のダガーでもう一度〈ファイアボール〉の魔法を放つ。そして鋭く踏み込み、それらの火炎弾を目くらましにして間合いを詰めた。
緩急をつけた動き、フェイント、そして魔法。この模擬戦で見せた手札を全て織り交ぜながら、キュリアズはカレンを攻めた。相変わらず主導権争いでは彼女のほうに分がある。しかしやはり、攻めきれない。それどころか勢いに乗ってきているのはカレンのほうだった。
(なるほど、これが狙いですか……)
イキイキとするカレンの表情を見て、キュリアズはこの対戦カードを組んだイスメルの意図を察した。彼女ははなからキュリアズが魔法を使うことを見抜いていたのだ。それに対処させることで、弟子であるカレンに自信を持たせる。それが彼女の狙いであろう。体のいい踏み台にされてしまいましたね、とキュリアズは内心で苦笑した。
顔つきで大体わかるが、カレンは剣を持ってからまだ日が浅い。さらにユニークスキルが戦闘向きではないことで、その分野では自信に欠ける傾向がある。そんな彼女が自分の実力を客観的に見られるよう組まれたのがこの模擬戦、というわけだ。踏み台と言う感想はあながち間違ってはない。
とはいえ、キュリアズはそのことで別に腹を立てたりはしていなかった。カレンが真面目に鍛錬を重ねてきたことは、剣筋を見れば分かる。その成果を正しく認識しておくことは重要だ。進歩を実感することは鍛錬を続けるモチベーションに繋がるし、自信は苦境での支えになる。
(それに……)
それにこの模擬戦、キュリアズにとっても収穫があった。「魔法を斬る」などという非常識な技能を見ることができたし、カレンを通してイスメルの底知れなさも垣間見られた。彼女が多用している不可視の斬撃を放つ技も面白い。一緒にいる間に教えてもらおう、とキュリアズは思った。
さて、模擬戦はまだ続いている。〈ウィンドカッター〉、〈ダークランス〉、〈アサルトバレット〉。キュリアズは多様な魔法を立て続けに放つが、カレンはそのことごとくを斬り捨てていく。それを見てキュリアズは「さてどうしたものか」と考えた。
模擬戦の目的は実力を見せることだから、多彩な魔法を使うのは別にいい。ただ、どんな魔法を使っても決め手に欠ける。かといって接近戦でも崩しきれない。膠着状態に陥っていた。
勝とうと思えば勝てるだろう。実際、まだ見せていない手札も幾つか残っている。だがそれらの手札は、人間相手に使うにはえげつないものばかり。模擬戦で見せるのはさすがに躊躇われた。
「そこまで。もう十分でしょう」
キュリアズが落し所に悩んでいると、小休止したタイミングでイスメルがそう声をかけた。これ幸いとばかりに彼女は率先して構えを解き、二本のダガーも鞘に収める。それを見てカレンも双剣を鞘に納めた。そして最後に一礼してから、二人はこんなふうに言葉を交わした。
「強いですね。押されっぱなしでした」
「貴女こそ。魔法を斬るなんて初めて見ました。私の世界でなら、十分に第一線で活躍できますよ」
精鋭からそう太鼓判を押され、カレンは「えへへ」とくすぐったそうに笑った。その様子を見ていたキュリアズは、ふと彼女の腕を中心に細かい傷が幾つかあることに気付く。先ほどの模擬戦でのものと思われた。
「傷がありますね。治してしまいましょう」
そう言ってキュリアズは返事も待たずに右手でカレンの手を取った。そして左手にダガーを持ち、柄尻の結晶を彼女の腕に近づけ魔法を唱える。
「〈ヒール〉」
次の瞬間、カレンの腕の傷がすっと消えた。彼女は傷の治った腕を驚いた様子でまじまじと見つめる。そしてキュリアズと目が合うとこう言った。
「回復魔法も、使えるんですね……」
「回復魔法が使えると、生存率が段違いですからね」
小さく笑ってそう答え、キュリアズはダガーを鞘に戻した。彼女が使う回復魔法は本職のそれには及ばない。しかし彼女自身が言ったように、回復魔法が使えたおかげで自分や仲間が命拾いした場面は幾つもあった。
この世界に来てからは、ギリギリのところを回復魔法に救われたことはまだない。しかしポーションを最低限しか使わずに済んでいるので、懐具合的にはかなり救われている。デスゲーム開始直後は特にそうだった。
カレンの傷の治療が終わると、二人は揃って移動する。場所が空くと、イスメルに名前を呼ばれ、フレクと呉羽が進み出た。先ほどの模擬戦にあてられたのか、二人とも好戦的な笑みを浮かべている。
一礼してから、二人はそれぞれ構えを取った。呉羽はいつも通り愛刀【草薙剣/天叢雲剣】を正面に構える。一方のフレクは何も持たずにただ拳を握った。徒手空拳で戦うのが彼のスタイルだ。
始め、の合図とほぼ同時に呉羽は動いた。イスメルから習った〈瞬転〉を使い、半瞬のうちに間合いを踏み潰す。そして挨拶代わりに突きの一撃を繰り出した。
その神速の一撃を、フレクは身体を捻るようにしてかわした。さらにそのまま踏み込んで間合いを詰める。そして捻っていた身体を元に戻す反動を利用し、身体を回転させるようにして足を斜めに蹴り上げた。
フレクの蹴りを、呉羽は籠手で受け止める。重い衝撃が襲い来るが、彼女はそれを上手く地面に逃がした。小柄で華奢に見える呉羽が大柄な獣人男性の、それも生粋のインファイターであるフレクの蹴りをまともに受け止め、しかし小揺るぎ一つしない。それを見てキュリアズやデリウスは驚いたように目を見張った。
一方、当事者たちの反応はより好戦的だった。互いに至近距離でニヤリと凄みのある笑みを交わす。まるで「挨拶は上々」とでも言っているかのようだった。それから仕切りなおしのつもりなのか、二人揃って後ろへ跳び距離を取る。そしてまた睨みあった。
「フフ、久々に血が滾る……」
目を爛々と輝かせながら、フレクはそう呟いた。そして彼の身体から、ダークレッドのオーラが立ち昇る。
ここからが本番。そう思い、呉羽はまた気を引き締めた。




