表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界再生GAME  作者: 新月 乙夜
〈ゲートキーパー〉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

86/127

〈ゲートキーパー〉7


〈騎士団〉の解散には、時間がかかっていた。どこにどう時間がかかっているのか、カムイたちは知らない。「任せてくれ」と言われたそのとおり、デリウスに全て任せているからだ。


 決して難航しているわけではない、と彼は言う。混乱を起こさないための手続きには時間がかかる。それが彼の言い分だ。そしてそれはきっと、変化を受け入れるための準備期間でもあるのだろう。カムイはそんなふうに思った。


 デリウスらが【HOME(ホーム)】を訪れてから、すでに一週間が経過している。この間に二度、〈侵攻〉があった。それもまた、解散を遅らせる原因になっている。そしてまた今日、三度目の〈侵攻〉が発生していた。


 カムイとアストールは以前と同じく、ロナンに(というかリーンに)乞われて魔力の回復係として防衛戦に加わっている。ちなみに今回はちゃんと報酬を貰うつもりだ。他のメンバーは後方待機中。一応、予備戦力ということになっているが、彼らが戦うことはまずないだろう。長引いて日が暮れてしまったときに、ミラルダの狐火が照明として必要になるくらいだ。


 そんなわけで〈侵攻〉が起きている間、カムイとアストール以外のメンバーは基本的に暇である。かといって、まったく気を抜いてしまうわけにもいかない。それで最近、呉羽はその時間を利用してルペと稽古を行っていた。


 呉羽がルペと稽古をしようと思った理由は、言うまでもなく〈魔泉〉の主との決戦を見据えてのことである。〈キーパー〉と戦ったとき、彼女には〈雷樹・煉獄〉を発動させるという大任があった。それで実際に愛刀を振るって戦うことはしなかった。


 来るべき〈魔泉〉の主との決戦において、彼女にどのような役割が与えられるのかはまだ分からない。ただ、実際に現地まで赴いたことのある者の一人として、「〈キーパー〉のときと同じようにはいかないだろう」と思っていた。


 そう考える根拠の一つとして、キュリアズの【祭儀術式目録】がある。これを使えば〈雷樹・煉獄〉並の大規模攻撃を即座に繰り出せるのだ。ならばわざわざ下準備に時間が取られる方法は使わないだろう、と彼女は思っている。


〈雷樹・煉獄〉を使わないのであれば、呉羽は愛刀を振るって戦闘に加わることになる。その場合、何も直接〈魔泉〉の主と戦わなくてもいいだろう。〈魔泉〉の周辺では大型のモンスターが頻繁に出現する。それらの露払いも、立派に仕事の一つだ。


 しかし〈魔泉〉の主討伐に強い意気込みがあるのは、何もカムイ一人ではない。呉羽だって同じだ。あの時、血の滲むような思いでテッドを殿に残したのは、彼女もまた同じなのである。


(わたしだって、アイツをぶっ飛ばしてやりたいんだ……!)


 そういう想いがある。ただ想いだけで全てがまかり通るほど、現実は甘くない。〈キーパー〉よりもさらに巨大な〈魔泉〉の主と渡り合うためには、その足もと(実際足はないのだが)をチョロチョロしていても無意味に思える。というか、足もとに近づけるかも定かではない。


 それで、そのためにはどうしても必要な能力があるように思えた。それは飛行能力である。


 呉羽に手っ取り早く空を飛ぶための能力はない。イスメルのように空を駆ける聖獣を召喚できるわけでも、ルペのように背に翼を顕現させられるわけではないのだ。しかし彼女のユニークスキル【草薙剣/天叢雲剣】には【天を支配す】という能力がある。この能力を使うことで、彼女はこれまで風を操って大きく跳躍するなどしてきた。


 これを発展させる形で、擬似的にでも空を飛べないかと呉羽は考えていた。例え連続して飛ぶことができなくても、空中にいる時間が延びてある程度自由に動ければ、戦闘に加わることは出来るはずだ。


(それに、わたしができるようにならないと、空中戦力は二人だけになってしまう)


 イスメルとルペの二人だけで〈魔泉〉の主を抑えられるのか。イスメルならやってしまいそうな気もする。だがルペには荷が重い気がした。というかもともとは温泉探しに誘ったのに、気がついたら化け物の討伐作戦に巻き込んでしまっている。それがなんだか申し訳ない。


 ルペ自身はあっけらかんと笑っていたが、呉羽は笑えない。この上、もしも彼女が死んでしまったら、呉羽は自責の念に押しつぶされてしまう。それで空中にあって何とか彼女を援護できないかと考えたのだ。ついでに〈魔泉〉の主に一太刀でも浴びせて一矢報いることができれば、呉羽個人の感情も満足させられる。一石二鳥、というわけだ。


 さてそんなわけでここ最近、呉羽はルペを相手に空中戦闘の訓練を行っていた。ちなみになぜイスメルに頼まなかったのかと言えば、カレンとカムイの稽古を邪魔してはいけないと思ったからだ。加えて、今からルペの動きや癖に慣れておき、実戦で上手く連携できるようにするため、という理由もある。


 決して、毎回ボロ雑巾にされる厳しい稽古から逃れるためではないのだ。裏切り者呼ばわりされても、違うものは違うのである。ああ、這い蹲らずにすむ訓練のなんと清々しいことか。


 それで肝心の訓練だが、少しずつだがその成果が出始めている。最初、呉羽が空中に留まっていられる時間はせいぜい数十秒程度だったが、今では三分程度までその時間が延びている。


 ただ、これはなにも妨害をされない場合。同時に戦闘をこなすとなると、まだ一分弱しか空中に留まることはできない。それでも訓練を始めた当初に比べればかなりの進歩、と言っていいだろう。そのことをルペも認め、空中で笑みを浮かべながら呉羽にこう声をかけた。


「うんうん、かなり出来るようになってきたねぇ」


「まだまだ……! これじゃあまだ足りない……!」


 空を飛ぶルペを見上げ、呉羽は愛刀を構えてそう言った。目標は十分以上空中に留まり続けられるようになること。もちろん戦闘を行いながら、である。今の状態からすれば、まさに仰ぎ見るような目標だ。


(それでも……!)


 それでも、やらなければならない。来るべき〈魔泉〉の主との決戦のために。呉羽はそう心に定め、四肢に力を込める。そして次の瞬間、彼女は大きく跳躍した。


「はああああ!」


 跳躍と同時に、愛刀を下からすくい上げるように振るいルペを狙う。ただ仕方のないことだが、動きが一直線すぎる。ルペはその白刃を、余裕を持ってかわした。とはいえ呉羽の攻撃もコレだけではない。


「〈風刃乱舞〉!」


 愛刀を振るいながらその技を放ち、呉羽は風の刃をばら撒いた。その内のいくつかは、確実にルペを捉えている。しかし彼女が手に持った槍を横に一振りすると、それらの風の刃はあっさりと吹き飛ばされた。


 ルペのユニークスキルは【嵐を纏う者(テンペスト)】という。その能力は【光の翼を持ち、風を従え、空を統べる者。汝、星の海を往き、太陽に座するだろう】というものだ。


 実はこの能力、彼女の部族に伝わる神話の一節をそのまま流用したもの。つまり自分で考えて設定したわけではないのだ。そのせいで彼女自身も自分のユニークスキルについて把握し切れていない部分があった。


 ただ、【風を従え、空を統べる者】の部分。これはいわゆる風属性の力を持っていることを示唆している。実際、呉羽はルペが持つ槍の穂先に風の力が渦巻いているのを感じ取っていた。先程はその力を使い、風の刃を振り払ったのだ。


「相変わらず、強力だな!」


「まあ、空はあたしの領分だからね。そうそう遅れは取らないよ」


 呉羽がバランスを取って風に乗りつつそう声をかけると、ルペはわずかに自負を滲ませてそう応えた。そんな彼女目掛けて、呉羽は空中で大きく跳躍する。大上段から振り下ろされた白刃を、ルペは槍の柄で受け止めた。


 いや、実際には直接受け止めているわけではない。二つの得物の間では、風が強力な魔力を伴って渦巻いている。ルペが能力を使って防御しているのだ。呉羽も愛刀の力を駆使してその防御を突破しようとしているが、あと一歩、いや二歩及ばない。本人が言っていたように、空はルペの領分なのだ。


「いくよー!」


 その声を皮切りに、ルペが操る風が圧力を増す。吹き飛ばすつもりなのだ。呉羽も力を振り絞って抵抗するが、しかし十秒ともたない。バランスを崩しながら、大きく弾き飛ばされた。


「くっ!」


 呉羽はうめき声を漏らしながら、空中で体勢を整えようとする。しかしそこへルペが突き出す槍の切っ先が迫った。その穂先には風の力が渦巻いている。呉羽も迎撃するが、ルペの攻撃の方が重い。バランスはさらに崩れた。


「そ~、れっ!」


 明るいルペの声。しかし繰り出される一撃はなかなか凶悪だ。風の力を纏った槍が、横から大振りされる。受けきれないと判断した呉羽は、さらにバランスを崩すことを承知で身体を大きく捻った。


 同時に、【草薙剣/天叢雲剣】の力を使ってルペの風に干渉する。利用して大きく距離を取るためだ。それは成功した。しかし干渉したせいで逆に影響も受ける。呉羽は完全に体勢の制御を失い、きりもみしながら弾き飛ばされた。


「くっぅ……」


 視界がグルグルと回る。その光景に酔いそうになりながら、呉羽は必死に身体を捻ってバランスを取りながら体勢を立て直す。そのかいもあって、彼女は何とか両足で着地することができた。


 ザザァー、と音を立てながら呉羽は地面の上を後ろ向きに滑る。膝を曲げてその衝撃を吸収しつつ、彼女は視線を巡らせてルペの姿を探す。彼女は黄金の翼を広げたまま相変わらず空中におり、ニコニコしながら呉羽の様子を見守っていた。その表情は「よくできました!」と言わんばかりだ。


「まったく……! 相性が良いのか悪いのか!」


 吼えるように嘆息しながら、呉羽は曲げていた膝を一気に伸ばして前へ加速した。後ろ向きのベクトル、つまり吹き飛ばされた余波はまだ完全に殺しきれていない。そのせいで身体に余計な負荷がかかるが、それは無視する。


 しなやかに地面を駆ける呉羽目掛けて、ルペが空中から風の弾丸を放つ。貫通力を高めるためなのか、それらの弾丸は鋭く回転している。大気に触れた感覚からそれを敏感に感じ取り、「芸が細かいな」と呉羽は感心した。


 感心しつつも、当るわけにはいかない。彼女は動きを読まれないようジグザグに動いて、ルペが放つ風の弾丸をかいくぐる。立て続けに地面に突き刺さった風の弾丸が土埃を巻き上げた。


 複雑に動く呉羽を、ルペは狩人のように鋭い視線で追う。彼女の動きは稲妻のように素早いが、しかし上空を抑えたルペが見失うことはない。そして呉羽が一瞬だけ動きを止める瞬間、つまり跳躍のためのタメを作るその瞬間を目掛け、再び風の弾丸を放った。ちなみに威力はだいたい五割増しだ。


 その攻撃を呉羽はかわさなかった。むしろ跳躍しつつ迎撃するかのように愛刀を突き刺し、瞬く間にその風を制御下に置いてしまった。そしてそのまま愛刀を振りかぶり、勢い良く振り下ろす。


「〈風切り〉!」


 大きな風の刃が放たれる。ルペはそれを先ほどのように振り払うことはせず、「おわっ!?」と言いながら回避した。慌てているように見えて、しかしその動きには余裕がある。


 言うまでもないことだが、二人の能力はまったくの別モノだ。しかし「風を操り、大気に干渉する」という一面に限って言えば、かなり似通った能力ともいえた。


 そのおかげで、呉羽はルペの攻撃を感知したり干渉したりすることができている。そういう意味では相性がいいと言えた。しかしその一方で、「風を操り、大気に干渉する」という分野において、【草薙剣/天叢雲剣】は【嵐を纏う者(テンペスト)】に及ばない。こと空中に限っていえば、力比べをしても絶対に勝てないのだ。


 この先、呉羽が成長具合でルペを大きく引き離せばその限りではないが、少なくとも今は無理だ。つまり優劣が極めてはっきりしてしまっている。そういう意味では、相性が悪いと言わざるを得ない。


(ナイフで大太刀に挑んでいる気分だ……!)


 彼我の能力差を、呉羽はそんなふうに表現した。技量に差があればそれでも十分勝てるのだろうが、あいにく二人の技量にそれほどの差はない。それどころか空の戦いにおいては、ルペの方がはるかに玄人だ。そして呉羽の目の前で、彼女はその経験と技量をいかんなく発揮して見せた。


 回避運動から急旋回に繋げ、ルペが鋭く踏み込んでくる。大きく羽ばたいた黄金の翼が爆発的な推進力を生み出す。不自由な空中では到底回避しきれず、呉羽はほとんど真正面からその突撃を受け取るはめになった。


「ぐうぅぅ……!」


 うめき声を上げながら、呉羽は必死に風の障壁を展開してルペの突撃を受け止める。しかし風の力は相手の方が強い。徐々に侵食を受け、それを止められない。その上、踏ん張りのきかない空中では押された分だけ押し込まれてしまう。それが彼女の体勢を不安定にし、バランスを取るだけで一苦労だった。


「ええっい!」


 ルペが槍に力を込める。その瞬間、ルペの風が呉羽の障壁を吹き飛ばす。さらにバランスを崩した呉羽目掛けて、槍が叩き付けるように振り下ろされた。槍というよりはむしろ、メイスか棍棒のような使い方である。


「ぐっ!」


 かろうじて防御は間に合った。しかし衝撃はまったく殺せていない。踏ん張ることもできず、呉羽は勢い良く地面に叩きつけられた。なんとか両足で着地するが、立っていられず彼女はゴロゴロと地面を転がった。


「まったく!」


 何が「まったく!」なのか、自分でも良く分からない悪態を吐きながら、呉羽は跳ね起きた。全身砂埃まみれで、そのうえ汗と混じってしまっている。ただそれを不快に思うほどの余裕はない。


 呉羽は油断なく愛刀を構えながらルペの姿を探す。彼女は相変わらず空中にいた。あまり動いてはいないようだ。間合いが大きく空いてしまったのは、それだけ呉羽が大きく吹き飛ばされたということに他ならない。


(手強い……!)


 訓練うんぬんを抜きにして、呉羽はそう感じた。これが地面に足をつけての勝負なら、彼女のほうに分があるだろう。しかし空中という地の利を確保されてしまうと、途端に戦いにくくなってしまう。


 さらに今は、空中での戦闘訓練中である。つまりルペのフィールドで戦っているのだ。手も足もでなくて当然であろう。イスメル相手の稽古とはまた違った壁の高さを、呉羽は感じた。


「まだやる~?」


「もちろんだ!」


 上空から声を掛けてくるルペに、呉羽はすぐにそう答えた。彼女がルペを誘ったのは、ほとんどその場の勢いである。それなのにいつの間にか〈魔泉〉の主の討伐作戦に巻き込んでしまっていて、彼女はそれを申し訳なく思っている。


 しかし同時に、今はルペがいてくれてありがたいとも思っていた。そのおかげで、こうして質の高い訓練ができている。加えて言えば、二人の能力は似ている。能力の使い方で参考にできる部分も多かった。これはイスメルとの稽古では得られないモノである。まあ彼女との稽古も、それはそれで得るものが多いのだが。


 そこでふと、呉羽はあることを思い至った。そう言えば、自分はルペに何を返せているのだろうか、と。


(やっぱりお時給を渡す必要があるだろうか?)


 かつてカムイと稽古をしていた時のことを思い出し、彼女はそんなふうに考えた。そして「一度ちゃんと話し合った方がいいな」と頭の片すみで考えてから、彼女はまた勢い良く地面を蹴った。



 ― ‡ ―



(あれ……?)


 対〈侵攻〉防衛戦の最中、魔道具〈翼持つ城砦(アレクサンダー)〉の魔力供給係(またの名を電池)として働いていたカムイは、思いがけないプレイヤーを見つけ内心で首をかしげた。シグルドという男性プレイヤーの隣で魚頭のモンスターと戦うその女性プレイヤーは、名前をスーシャという。ちなみにシグルドの妻である。


 彼女がこの拠点にいることは不思議でもなんでもない。しかし彼女は数ヶ月前に娘のカナンを出産したばかり。こうして戦っているのだからもう体調はいいのだろうが、カナンにはまだ付きっ切りの世話が必要なはず。当たり前だが背負っている様子もないし、どうしたのだろうか。


(誰かに預けたのか……?)


 そう考え、そこから思考が連鎖する。そうだ、後ろには赤子を預けておくのにちょうどいい連中がいるではないか。そう、ミラルダたちだ。「きっと彼女たちに預けているのだろう」とカムイは一人で納得し、また意識を魔力供給のほうへ戻した。


 彼は一人で勝手に納得していたわけだが、その予想はどんぴしゃで当っていた。スーシャが海岸で戦っていた頃、カナンは【HOME(ホーム)】のリビングでカレンに抱っこされていたのである。なおミラルダも一緒にいて、今リビングにいるのはこの二人だけだった。


「ん~、よしよし」


 笑みを浮かべながら、カレンは腕に抱いたカナンをあやす。顔を覗き込めば、「きゃっきゃ」と声を上げながら小さな両手を伸ばした。カナンは人見知りをしない子供で、そのおかげでほとんど見ず知らずのカレンに抱っこされても泣き出したりしない。預ける方と預かるほうの両方にとって、とてもありがたいことだった。


「それにしても、スーシャさんは大丈夫なんでしょうか?」


 カレンは少し心配げにそう呟いた。カナンは可愛いし、預かることに問題はない。一人であれば躊躇したかもしれないが、ここにはミラルダもいる。むしろ癒しになるから大歓迎だ。


 しかしスーシャのほうは本当に大丈夫なのだろうか。昔はお産で命を落す人が多かったというし、現代日本でも体調を崩す人もいると聞く。その上、こんな瘴気まみれの世界で子供を産んで育てているのだ。そのストレスはいかばかりだろう。本調子でなかったとしても不思議ではない。


「なに、そう心配することもあるまい。シグルドが近くに張り付いておるじゃろうし、本人も無理はせんじゃろう。何かあれば、あの指揮官が下がらせるであろうしな。なにより『母は強し』と言うではないか」


 そう言ったのは、ソファーの後ろに立つミラルダだった。彼女はカナンの頬を撫でながら「のう?」と笑いかける。それを聞いて、カレンも「そうですね」と言って表情を緩めた。確かに彼女は一人で戦っているわけではない。周りにはたくさんの味方がいる。ついでにカムイとアストールも。滅多なことにはならないだろう。


「……それにしても、前から思っておったのじゃが、カレンは最初から抱き方が板についておるのう」


 クレハはダメダメじゃったが、と言ってミラルダが肩をすくめると、カレンもつられて苦笑を浮かべた。確かに彼女が初めてカナンを抱っこした時は、あまりにも危なっかしい手つきだった。きっと初めてだったのだろう。


 一方のカレンは、ミラルダの言うとおり、最初から慣れた様子でカナンを抱っこしていた。その理由をカレンはこんなふうに話した。


「従兄弟がいるんですけど、その子を抱っこしたくて覚えたんです」


 それが異世界に来て役立つなんて思っても見ませんでしたけど、とカレンは苦笑しながら付け足した。それを聞きミラルダも「そうじゃのう」と同意するが、その直後に何かを思いついたようで悪戯っぽく目を光らせた。


「まあ覚えておいて損はないじゃろう。いずれそなたも、自分の子をそうやって抱くことになるのであろうし、の?」


「いや、ミラルダさんの方が早いと思いますけど……」


 常日頃から周りの目を気にすることなくアーキッドとイチャついている彼女の姿を思い出し、カレンは微妙な顔をして目をそらした。キキやリムもいるのだし、ああいうことは人目のないところでやってくれないだろうか、と彼女は常々思っている。


 もっとも、人目のないところではもっとスゴイことをしているのだろうが。そしてミラルダもそれを否定しない。それどころか彼女は幸せそうに笑みを浮かべてこんなふうに言った。


「ふふ、そうじゃのう。妾の赤ん坊を抱っこしてもらうほうが、先になるかも知れんのう」


 どうやらこの世界で子供を作ることは、彼女にとってすでに確定事項らしい。そう思い、カレンは少しだけ表情を曇らせた。


 それが必要であろうことは、彼女も分かっている。かつてイスメルが言っていたように、この世界からプレイヤーが去ったとき、知的生命体が存在していなければ世界を再生したことにはならないだろうからだ。それはスーシャが妊娠し、そして出産したことでポイントが発生していることからも明らかである。


 しかしだからと言って、そう簡単に妊娠や出産を決意できるかと言われれば「否」だ。この世界は、少なくともこの世界の現状は、過酷過ぎる。子供を育てるどころか共倒れしてしまうのではないか。カレンがそう考えるのも当然だった。


「よく、そんな軽々しく、子供を産もうだなんて思えますね……」


 非難するというよりは、むしろどこか呆れたように、カレンはそう呟いた。それを聞いてミラルダは「ふむ?」と首を小さくかしげると、三本の尻尾をゆらゆらと揺らした。そしてこう応じる。


「別に、軽々しく考えているわけではないぞ? この【HOME(ホーム)】があれば、さほど過酷ではあるまいしな」


「まあ、それは分かりますけど……」


「それに、この世界が再生されるまでには長い時間がかかる。子供を育て上げて一人前にするくらいの時間はあるであろうよ」


 むしろ、それでも足りないくらいの時間がかかるのではないかと、ミラルダは思っている。まあ、今は関係ないので口には出さなかったが。


「なにより、女に生まれたからには、好いた男の子供を産みたいと思うのは自然なことではないかえ?」


「…………」


 カレンが黙り込む。険しい顔をしてしまったのか、腕に抱いていたカナンがちょっとグズり始める。それを見たミラルダは、自然な手つきでその赤ん坊を抱き上げ、優しく背中をさすってあやす。そしてさらにこう言葉を続けた。


「なあに、意外となんとかなるものじゃと思うぞ?」


「……『案ずるより産むが易し』、ってことですか?」


「巧いことをいうのう。うむ、とりあえず産んでみればいいのじゃ」


「そういう意味ではなかったと思うんですけど……」


 軽い調子のミラルダの言葉に、カレンはそう言って苦笑した。しかしまたすぐに憂いげな表情に戻り、そしてこう言葉を続ける。


「だけど実際問題、子供を育てるって大変じゃないですか」


「ふむ、なにやら実感が篭っておるのう?」


「あ~、さっき話した従兄弟にはお姉さんがいるんですけどね」


 つまりカレンにとっては従姉妹に当る。ちなみに年上だ。


「その従姉妹が言ってたんです。『弟が生まれて、お母さん大変そうだ』って」


 彼女はどう大変なのかも具体的に話してくれた。夜泣きにオシメの交換。一秒だって目を離せない。そのおかげでカレンは子育てについてより生に近い声を聞き、その実情を知ることができたのである。


 ちなみに件の従姉妹なのだが、大変そうな母親を見かねてお手伝いを申し出、「毎日の朝食はわたしが作る!」と宣言した。しかし四日目にして盛大に寝坊。絵に書いたような三日坊主とあいなったそうな。それを聞いてミラルダも「おやまあ」と苦笑を浮かべた。


「……あたしは、もし子供を産むのなら、ちゃんと育てたい。それができないのなら、産むべきじゃないと思います」


「カレンは真面目に考えておるんじゃなぁ」


「普通だと、思いますけど」


「ニホン、であったか。そなたがいた国では、それが普通だったのであろうな」


 しかしそれが普通ではない国や世界も多い。将来自分を養ってくれる存在として子供を産む、と言う考え方はまだまだ健全な方。医療が発達していない社会では、「何人かは死ぬだろうから多めに用意しておこう」と考えることだってある。酷いものになると、最初から売ることを目的にしていたりとか、「これ以上は養えない」と言って生まれてすぐに間引いてしまったりとか、そんなことすらあるのだ。


 ミラルダは、そういう事情を知っている。少なくとも、カレンよりは。だからと言って、それを話してやろうという気にはならなかった。綺麗なままでいて欲しい。そう思っているからだ。


 まあそれはともかくとして。ミラルダはこの世界で子供を産み育てることについて、カレンほど深刻に考えているわけではない。大変ではあるだろう。しかしその一方で、何とかなるだろうと思っている。このへんは、育ってきた社会とそれに起因する価値観の差と言えるかもしれない。もっとも妖弧族である彼女の倫理観は、人間のソレとは多少ズレているのだが。


(それに……)


 それにこの世界に来なければ、ミラルダはアーキッドと出会うことはなかった。二人はそもそも別々の世界の出身。この世界だからこそ、出会うことができたのだ。だからこの世界で子孫を残すというのは、彼女にとってごく自然なことのように思えるのだった。


 まあ、だからと言ってカレンにまでその価値観を強要するつもりはない。女にとって子供を産むのは一生の一大事。結局、本人が納得することが一番大切なのだ。そしてカレンははっきりと自分の考えを口にした。ならばこれ以上自分が何か言う必要はない。そう思いミラルダは話題を変えた。


「それはそうと、カレンよ」


「な、なんですか?」


 ミラルダの口調に、というよりはその目つきと浮かべた笑みに不穏なものを感じ、カレンはわずかに腰を浮かせた。この時点ですでに逃げ腰である。しかしミラルダに逃がす気はない。カナンを抱っこしたまま彼女の隣に座ると、尻尾を使ってあっさりと捕獲・拘束してしまう。そしてジタバタともがくカレンに顔を近づけると、にっこりと微笑みながらこう尋ねた。


「そなたの話を聞いておると、すでに子作りの相手を定めておるように聞こえるのじゃが、どうなのじゃ?」


「そ、そ、そ、そんなコト……!?」


「やはり、カムイかのう?」


「~~~~!!?」


 カレンが顔を真っ赤にして口をパクパクとさせる。図星と自白しているような反応だが、それを指摘したら鼻血でも流して失神してしまうかもしれない。それでミラルダはさわぐ悪戯心をグッと我慢して自重した。


()いのう、愛いのう」


 両手が塞がっているので、ミラルダは尻尾を使ってカレンの頭を撫でる。すると彼女はますます顔を赤くしてうつむいてしまった。そんな様子を見て、ミラルダは優しげな笑みを浮かべる。


(まあもっとも……)


 もっとも、子作りうんぬんの前にまずは告白が最初だろう。それこそが最大の問題だ、とミラルダは思っている。そこさえ上手くいけば、あとはなるようになるだろう。


 さて、二人が未来について熱く語り合っていると、【HOME(ホーム)】の玄関が開く音がした。誰かが帰ってきたらしい。待っていると、呉羽とルペの二人がリビングにやって来た。訓練を切り上げて戻ってきたらしい。


「二人とも、お疲れ様じゃな。〈侵攻〉の様子はどうじゃった?」


「まだまだ海岸の方はボンボコやってたよ~」


 ルペが相変わらず気楽な調子でそう答える。戻ってくる前に上空から海岸の方を確認してきたのだ。〈侵攻〉はまだ収まっていないが、プレイヤー側に押された様子もないので大丈夫だろう、と彼女は言った。


「そうか。それと訓練の方は順調かえ?」


「まあ、ちょっとずつ、って感じです」


 そう言って苦笑してから、呉羽はソファーに座った。ルペもそれにならう。訓練の後なのに、二人からは埃っぽい感じが少しもしない。たぶん【HOME(ホーム)】に入る前に【全身クリーニング】を使ったのだろう、とカレンは思った。


「それにしても空中戦とはのう。呉羽もよくやるものじゃ」


 感心しているのか、呆れているのか。どちらとも取れる口調でミラルダはそう言った。彼女にはそもそも飛ぶ手段がないので、空中戦をやろうとは微塵も考えていない。それにどう考えても地に足をつけて戦うほうが実力を発揮できるのだ。自分はそれでいい、と彼女は割り切っていた。


 だからと言って、呉羽の努力を否定するつもりはない。活躍できるフィールドが広がるというのは、それだけで大きな力になる。彼女が今やっていることは、将来必ず役に立つ。もっとも彼女が役立てたいと思っているのは、そんなに先の未来ではなく、来るべき〈魔泉〉の主との戦いにおいて、だ。


「なんだか、カムイがまた無茶しそうな気がするんですよね……。なんだかんだ言って、やっぱり因縁がありますから」


 アイテムショップからスポーツドリンクを購入し、それを一口飲んでから、呉羽は少し心配そうな口調でそう言った。そしてさらにドリンクを飲み、それからこう続ける。


「……だからそんなことにならないように、よしんば無茶をしても止められるように、強くなっておきたいな、って……」


 そう言うと、呉羽はふとカレンのほうに視線を向けた。目が会うと、彼女はフッと少し困ったような笑みを浮かべる。そしてカレンにこう頼んだ。


「カレンも、カムイのことを頼む。無茶をしないように、見張ってやってくれ」


「う、うん。気をつけておくわ。止められるかは、ちょっと自信がないけど……」


「カレンなら、大丈夫だよ。その、許嫁、なのだろう?」


 許嫁、と言われてカレンの心臓がドクンッと大きな音を立てた。そう呼ばれたのは実は初めてだが、この場合意味合いは婚約者と変わらない。


 違うと言うべきだ。カレンは頭の中で自分がそう叫ぶのを聞いた。「その話は白紙撤回されて、自分はもう正樹カムイの婚約者ではないのだ」と話す絶好のチャンスだし、またそうするべきだ。


 頭ではそう、分かっていた。しかし口が動かない。挙句視線をそらし、気付いたらこんなことを言っていた。


「ま、まあ、頑張ってみるわ」


 そう答えてから、「やってしまった」とカレンは内心で頭を抱えた。ウソをついたわけではない。だが正直であったともいい難い。少なくとも、これで事情を説明するのは難しくなってしまった。


 大よその事情を知っているミラルダは、しかし口を挟もうとはしなかった。彼女はまるで手のかかる妹を見るかのようにしながら、ただカレンを微笑ましく見守っている。そんな彼女の腕の中で、にわかにカナンがグズり始めた。


「う、うぅ~~」


「ふむ、お腹がすいたかのう?」


「え? あ、じゃ、じゃあおっぱい!?」


「まあ、出れば一番いいのであろうがのう」


 テンパるカレンにそう苦笑を返してから、ミラルダはアイテムショップから赤ん坊用のミルクを購入する。最初から哺乳瓶に入っていて、しかもちょうどいい温度になっているそれを口元に持っていってやると、カナンはすぐにミルクを飲み始めた。


 その光景を見ているうちに、「カムイが無茶をしたら云々」と言う話は自然と流れてしまった。しかしなかったことにはならない。カムイの婚約者であることを否定しなかった事実は消えないのだ。


(どう、しよう……?)


 考えても答えはでない。けれども考えることは止められない。彼女はぐるぐると考え続ける。顔には出さずに。そんなところばかり上手くなっている気がして、カレンはため息を吐きたい気分になった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ