〈ゲートキーパー〉5
「〈魔泉〉の主を、ぶっ飛ばしに行きません、か……?」
カムイがそう提案した瞬間、【HOME】のリビングは沈黙に包まれた。この場にいるメンバーの中で、カムイが「〈魔泉〉の主」と呼んだあの化け物と直接対峙したことがあるのは、彼を含めて四人だけ。そういう意味では、あの化け物の脅威を肌で感じたことのある者は少ないと言える。
しかしこの場にいるメンバーは、ルペを除いて〈北の城砦〉攻略作戦に加わり、〈キーパー〉と戦ったことがある。〈魔泉〉の主は〈キーパー〉よりも強大であると予想されるが、しかし同種のモンスターであることはほぼ間違いない。それである程度はその強さを想像することが可能だった。
「…………難しいな」
重い声が、やたらはっきりと響いた。アーキッドの声だ。彼は険しい顔をしながら、思案気に顎先を撫でている。そしてこう続けた。
「〈キーパー〉より強い相手と、過酷な環境で戦うことになる。こいつは、難しい」
〈キーパー〉と戦ったときには、周辺の瘴気濃度は低くなっていた。そのせいでカムイは少々苦労するはめになったが、しかし他のメンバーにしてみればそれはプラス要素だった。自由に動けるからだ。
しかし〈魔泉〉の周りでは、高濃度の瘴気が常時吹き荒れている。〈北の城砦〉を覆っていたあの黒いドームの中と、ほぼ同じ環境と言えるだろう。当然、自由に動くことは出来ない。向上薬を使えばなんとかなるとはいえ、動きを制限されてしまうのだ。戦いにくくなるのは、容易に想像できた。
しかも瘴気濃度が高いと言うことは、モンスターが出現しやすいということでもある。実際、以前〈魔泉〉のすぐ近くまで行ったときには、通常よりも大型のモンスターがひっきりなしに襲い掛かってきた。
しかもそれらの大型モンスターはほぼ無限に出現する。ある程度倒したら出現率が落ち着くとか、そういうことはない。〈魔泉〉からは常時大量の瘴気が噴出しているからだ。同じ理由で瘴気を浄化しつくし、環境を変えてしまうこともできない。
つまり〈魔泉〉の主をぶっ飛ばそうと思ったら、高濃度瘴気によって行動が制限される中、際限なく群がってくる大型モンスターを蹴散らしつつ、本命たる化け物と相対さなければならないのだ。アーキッドの言うとおりこれは相当難しいし、また厳しい戦いになるだろう。
「やっぱり、ダメですかね……?」
カムイがそう尋ねる。恐るおそると言うよりは、むしろすでに半分諦めたような感じだ。彼自身、今の段階で〈魔泉〉の主に挑戦するのは早過ぎるのではないかと思っていた。だから特に落胆はしていなかったのだが、だからこそ次のアーキッドの言葉には彼が一番驚くことになった。
「いや、挑むならこのタイミング、ってのは理解できるぜ」
それまでの険しい表情を少しだけ緩め、アーキッドは顔に苦笑を浮かべてそう言った。クエスト攻略を通じて痛感したことだが、〈キーパー〉クラスのモンスターを倒すためには、どうしてもパーティーを組む必要がある。それも、ただ人数を集めればいいわけではない。メンバー同士の連携、もっと言えばユニークスキルの相性が重要になってくるのだ。
その点、今のアーキッドたちのパーティーは、相性が良いと言える。結果論になってしまうが、だからこそ〈キーパー〉を撃破できたのだ。ここまで相性のいいパーティーというのは、世界全体を見渡してもそうそうないだろう。
しかしそのパーティーもこのままでは解散してしまう。〈魔泉〉の主の討伐を考えたとき、それを惜しいと思うのはアーキッドにも理解できる。実際のところカムイはそこまで考えていたわけではないのだが、話を切り出したのが「ここしかない」というタイミングだったのもまた事実だった。
「それで、どう思うよ?」
前向きな姿勢は示したものの、しかし一人で決めてしまうことはせず、アーキッドは他のメンバーにも意見を求めた。特にこと戦闘に関する限り、イスメルの意見は貴重であり重要だ。多くの場合、彼女がまず矢面に立つことになるのだから。それでメンバーの視線もまずは彼女に集まった。
「私は〈魔泉〉の主とやらを直接見たことがあるわけではないので、はっきりとしたことは言えませんが……。一応〈キーパー〉の五割増しを想定するとして、強行偵察くらいならば自信があります」
「倒せないのか?」
「無理でしょう。私一人では、力尽きてすり潰されるのがオチです」
イスメルははっきりとそう答えた。〈キーパー〉相手でさえ、その回復能力には散々苦労させられたのだ。〈魔泉〉の主は〈キーパー〉よりも強力で、さらに回復のための瘴気は無限に湧いて出てくる。イスメルでは決定力が足りないのだ。
ただその一方で、〈キーパー〉と同種ならばその場から動くことはないだろう。つまり逃げた場合に、追跡される心配がない。あのレーザーのような炎を放ってくることは考えられるが、それくらいならば対処できると言う自信がイスメルにはあった。
そこで強行偵察だ。現状、〈魔泉〉の主について分かっていることは多くない。その状態で強大と分かっている敵に挑むのは無謀だろう。〈キーパー〉のときはなし崩し的に戦ってしまったが、本来であれば事前に情報を集め、準備を整えてから挑むのが正攻法なのだから。
「まあイスメルがそう言ってくれるなら、強行偵察してきてもらうのはアリかもしれないな」
アーキッドがそう言うと、他のメンバーも同意するように頷いた。本人も「自信がある」と言っているし、大きな不安要素はない。なにより一度ぶつかってみれば、より正確に実力を計ることができるだろう。
「その様子を見物できれば、こちらとしても心構えをしやすいんじゃがのう」
イスメルに強行偵察を頼む流れになったところで、ミラルダがそう呟いた。百聞は一見にしかず。実際に戦う様子を見られれば、後で説明を聞くだけの場合よりも、より多くのものを得られるだろう。
しかし現実問題として、戦闘を見学するのは容易ではない。イスメルの場合、彼女は優れた機動力を有している。頃合を見て一気に離脱できるからこそ、強行偵察を成功させる自信があると言ったのだ。
しかし他の者はそうではない。いざ離脱しようにも時間がかかる。下手をすれば、そこを〈魔泉〉の主にあのビームのような炎で狙われるかもしれないのだ。それを避けるためにはイスメルに注意を引きつけてもらう必要があり、つまり彼女の負担が大きくなってしまう。
問題は離脱時だけではない。〈魔泉〉周辺は高濃度の瘴気に覆われている。カレンがいればそれを無効化することが可能だが、しかし彼女は一人しかいない。二手に分かれたらその両方を同時にカバーすることはできないのだ。
向上薬を使うという手もあるが、時間制限が付きまとう。イスメルが使えば時間を気にしながら戦うことになるし、戦闘中に服用し直す必要も出てくるかもしれない。逆に見物組が使うのなら、それ相応のコストを覚悟しなければならないだろう。
「なかなかうまくいかないな」
「〈山陰の拠点〉のあの山頂から、なんとか見物できんかのう?」
アーキッドが苦笑しながらぼやくと、その横でミラルダが思案気にそう言った。彼女が言う山頂からは、〈魔泉〉の様子ならば見ることができる。ただ、距離が離れているので、そこから戦闘の様子を見物できるかは未知数と言わざるを得ない。
「双眼鏡やら、〈イーグル・アイ〉の魔法やらを使えば、なんとかなるかもしれないな。アストール、どう思う?」
「見学は可能だと思いますが……」
「何か別の心配があるのか?」
「……いざ本当に戦うとして、果して戦力が足りるでしょうか?」
アストールの懸念は、〈魔泉〉の主の脅威を肌で感じたことのある者として、当然のものだった。〈キーパー〉を撃破したこのパーティーの実力を疑うわけではない。しかしたった十一人で、〈魔泉〉の主に対抗できるとは思えない。
「私を含めですが、ただでさえこのパーティーは戦闘を得意としているわけではないメンバーが多くいます。戦力不足は否めないのではありませんか?」
アストールの主張は無視できないものと言えるだろう。彼を含め、リム、キキ、カレン、ロロイヤなどは、決して戦闘が得意ではない。アーキッドにしても、本人の資質はともかくユニークスキルだけを考えれば、決して戦闘向きと言うわけではないのだ。ともすれば彼らを庇いながら戦う必要すら出てくるだろう。そういう意味で、無視できない問題だった。
「とはいえ戦力を集めるとは言っても、アテなどあるまい。そもそも、数を集めても意味はないだろう?」
そう指摘したのはロロイヤだった。アーキッドたちは、プレイヤーの拠点なら幾つも知っている。しかしそれらの拠点も、戦力に余裕があるわけではない。加えて、連れて来るだけでも一苦労だ。
またロロイヤの言うとおり、ただ単に数をそろえてもあまり意味はない。アストールは先ほど、「このパーティーには戦闘を得意としているわけではないプレイヤーが多くいる」と言った。そしてそれは事実である。しかしそれでも、〈北の城砦〉を攻略し〈キーパー〉を撃破することができた。要するに重要なのは数よりも能力、特にユニークスキルの相性なのだ。
そういうロロイヤの指摘も分かる。しかしだからと言って、アストールは引き下がるわけには行かなかった。あの日に見た〈魔泉〉の主の脅威が、彼にそれを許さない。彼は食い下がった。
「で、ですが、勝率を上げるための努力はするべきです」
「ま、正論だな」
苦笑を浮かべつつ、アーキッドはアストールの言葉の正しさを認めた。思い出すのは〈キーパー〉のことだ。結果だけ見れば、〈キーパー〉を倒すことはできた。しかし〈キーパー〉の出現が完全な予想外であったことは紛れもない事実。その一点において、計画を立案し主導したアーキッドは、準備不足を指摘されても仕方がなかった。
(ま、どうやって予測しろってんだ、って話でもあるけどよ)
内心の台詞は言い訳じみている。それを自覚して、アーキッドはますます苦笑を深くした。確かに予想外の事態は起こりうる。だからこそ、入念な準備が必要なのだ。苦い思いと共に、アーキッドはそれを学んでいた。
「それじゃあ、戦力を募集するってのはどうだ? これから〈海辺の拠点〉に行くし、ちょうどいいだろう」
アーキッドはそう提案した。プレイヤーの徴用などできるわけないのだから、募集というのは妥当な方法だろう。そしてアーキッドの言うとおり、〈海辺の拠点〉は募集にうってつけの場所と言えた。
第一に、かなり距離があるとはいえ、〈魔泉〉に一番近い拠点が〈海辺の拠点〉である。募集で集まった人数によっては、これまでのように高速で移動することはできなくなるだろう。他と比べ移動距離が短いというのは、大きな利点だ。
第二に、〈海辺の拠点〉では日々〈侵攻〉が起こっている。つまりそこにいるプレイヤーたちは集団戦に慣れているのだ。この世界での戦闘は多くの場合スタンドプレイで事足りてしまうのだが、そんな中にあって集団戦のノウハウを蓄積している彼らは得難い戦力と言えるだろう。
第三に、〈海辺の拠点〉は最近、戦力が過剰気味である。そのせいで〈侵攻〉での稼ぎが少なくなり、幾つかのパーティーが遺跡の外を流れる川のところへ出稼ぎに来ているくらいだ。だから何人かプレイヤーを引き抜いたとしても、それが本人の意思である限り、大きな反発はないと思われる。
そして第四に、これが最大の利点なのだが、〈海辺の拠点〉には〈山陰の拠点〉から避難してきたプレイヤーたちもいる。つまりその中には、かつて〈魔泉〉を調査するべく赴き、主をじかに見ている者もいるのだ。
実戦経験(例えそれが逃げただけであっても)がある。これは大きなアドバンテージだ。そういうプレイヤーには是非とも募集に応じて欲しいところだが、しかしこればかりはどうなるか分からない。やってみるしかないだろう。
「戦力を募集し、イスメルには強行偵察をしてもらう。その上で、実際に戦うのか、戦うのならどう攻めるのか、改めて相談する。それでいいか?」
アーキッドはこれまでの話を総括し、そのように方針を定めた。反対の声は上がらない。アストールやリムは少し表情を険しくしているが、やはり反対はしないで無言のまま頷いている。こうして今後の予定が決まったわけだが、決まってしまったことに一番驚いていたのは、他でもない言いだしっぺのカムイだった。
(マジか……)
やや呆然としながら、彼は胸中でそう呟いた。彼自身、提案はしたもののそれが通るとは思っていなかったのだ。それなのに、幾つか条件付とはいえ通ってしまった。なんだか行くつもりのなかった旅行に急遽行くことになってしまったようで、どことなく居心地が悪い。
(でもまあ……)
それでも、アーキッドの言うとおりタイミング的にはちょうどいいのかもしれない。カムイはそう思った。それに誓ったではないか。「I’ll be back」、必ずここへ戻ってくる、と。その時のことを思い出すと、居心地の悪さは消え、かわりにふつふつと怒りにも似た感情が沸きあがってきた。怒っているのは誰に対してでもない。強いて言うのなら、ガキであることすら分かっていなかった、あの時の自分に対してである。
あの時、何もできずテッドを一人残して撤退したことが、屈辱的だったというつもりはない。そう感じるのもおこがましいくらい、あの時は差がありすぎた。むしろ無事に逃げ延びることができて、幸運だったと思うべきだろう。
そう、ホッとしてしまったのだ。〈山陰の拠点〉に逃げ帰ってきたとき、カムイは安堵した。〈魔泉〉の主に見つからない、あのレーザーのような炎が届かない場所に隠れることができて、彼は安堵したのである。
それは紛れもなく弱者の思考だ。あの時カムイは失意の底にいたデリウスを殴り飛ばしたが、あれはもしかしたら彼の向こう側に弱い自分を見ていたからこそ、あんなにもイライラしたのかもしれない。今となっては、そんなふうにさえ思う。
つまずいてしまったその場所を、もう一度見に行こう。〈魔泉〉の主を倒せるかは分からない。そもそも、戦うのかさえまだ分からない。けれどもそうすることでしか、この怒りは消えてくれないだろう。
(別に強くありたいとか、そんなこと思ってるわけじゃないけど……)
カムイの、というかプレイヤーたちの目的は、あくまでもゲームの攻略でありそして世界の再生だ。今のままでも普通のモンスターを相手にする分には問題ないのだし、そういう意味ではわざわざこれ以上強くなる必要もない。
だけど、足を止めてしまったら、吞み込まれてしまうだけだ。生き残るためには、足掻き続けなければならない。一年以上もこのデスゲームをプレイしてきて、カムイはそう考えるようになっていた。
足掻き方は、人それぞれだろう。けれども立ち止まってはいけない。そして這ってでも前に進むためには、それなりの強さが必要なのだ。
それが、あの時の自分には分かっていなかった。カムイはそう思っている。いや今でさえ、自分の思うように足掻けているのか、それさえも分からない。けれどもあの時はなかった想いが、彼の中には確かにあった。
(泣かせたくないんだよなぁ……)
カレンも、そして呉羽も。いつの頃からかぼんやりとそう思うようになり、今でははっきりとそう思うようになった。そして同時に、最近は「死んでもいい」と思うことは少なくなった。そんな変化を「成長」と呼ぶのかどうか、気恥ずかしくて彼はまだ誰にも聞けないでいる。ただそんなふうに変わった自分が、カムイは嫌いではなかった。
(行こう)
ごく自然にカムイはそう思った。行こう、〈魔泉〉へ。今度は誰かに理由を預けることなく、自分の意思で。それがきっと、覚悟というものだから。
― ‡ ―
話が決まり、お茶を飲み終えると、カムイたちは早速〈海辺の拠点〉目指して出発した。ロロイヤから購入した魔道具〈スカイウォーカー〉を使って川を渡り、そしてレンタカーを購入して東を目指す。遺跡の対岸には狩りをしているプレイヤーたちもいたのだが、忙しそうに戦っていたので彼らに声をかけることはしなかった。
一時間以内につけるようレンタカーを飛ばす。ジープタイプとはいえ、舗装されていない悪路を走るのだから揺れが酷い。ガックンガックン揺れながらも、カムイは思いっきりアクセルを踏み込んだ。
その奮闘のかいもあって、レンタカーは何とか一時間以内に〈海辺の拠点〉に到着した。イスメルとカレン、それにルペの三人は一緒に来られたが、ミラルダたちは付いて来られなくて置いてきてしまった。
イスメルが鼻息も荒く浄化樹林に突撃したので、カムイたちはそこでミラルダたちの到着を待つことにした。この世界では初めて目にしたのだろう。ルペが本物の樹木に目を丸くした。
「ねぇねぇ! この木、何ていうの?」
「この樹は浄化樹っていうのよ」
そう答えたのは、カムイたちのすぐ近くまで来ていたガーベラだった。彼女は軽く手を上げて「はぁい、久しぶり」とカムイたちに声をかけると、初めてのお客さんであるルペを紹介するよう視線で求める。その求めに応じて呉羽がルペを紹介し、ガーベラも自己紹介をすると、話題はすぐに浄化樹のことに戻った。
「この木はなんで枯れないの?」
「この樹はねぇ、特別製なの」
そう言ってから、ガーベラは少し得意げに浄化樹について説明した。目を輝かせて聞いてくれるルペの反応が新鮮なのか、彼女もまんざらではなさそうである。そして説明を聞き終えたルペは、がぜん浄化樹に興味を持ったようだった。
「よし、あたしもポイントを出そう」
そう言ってルペは浄化樹に出資することを決めた。呉羽やカムイたちも出資していることを聞き、また実際にポイントが得られていることをログを見せてもらって確認したことで、心が決まったらしい。
ルペが出資すると聞いて、ガーベラは満面の笑みを浮かべた。最近では新たに出資してくれるプレイヤーがいなくて、なかなか浄化樹の数を増やせずにいたのだという。
「それで、何本にする?」
久々の獲物を逃がすまじ、とでも思っているのか、ガーベラはさっそくルペに詰め寄った。浮かべた笑みは業務用ではなかったのだろうが、それだけに妙な威圧感がある。ルペはわずかにあとずさった。
「ええっと、今は手持ちがなくて……。キキちゃんが来てからでもいいですか?」
思わず敬語を使いつつルペがそう言うと、ガーベラは「それなら仕方ないわね」と言って引き下がった。そしてミラルダたちの到着を待つことになったのだが、カムイはふと気になったことをガーベラに尋ねた。
「そういえばさっきはタイミングよく出てきましたけど、近くにいたんですか?」
「ん~、お客さんが来たみたいだったから、様子を見に来たのよ」
樹のお告げとでもいうのかしらねぇ、と言ってガーベラはその感覚を説明した。それを聞いてカムイは「もしかして何かのスキル?」と勘繰ったが、ガーベラ本人はわりとどうでも良さそうに見える。その証拠に、彼女はさっさと話題を変えてしまった。
「それよりも、クエストのほうはどうだったの?」
直接話をしたことはなかったはずだが、ガーベラはクエストのことを知っていた。アストールがメッセージ機能を使ってロナンに連絡していたらしいから、彼からリーンが話を聞いて、さらに彼女からガーベラも話を聞いたのだろう。
「まあ、なんとか全員無事にクリアできましたよ」
そう言ってから、カムイは〈北の城砦〉攻略戦のあらましを語って聞かせた。ただ彼の場合、決して話術が巧みとは言えないので、面白い話ではなかっただろう。それでもガーベラは興味深そうに相槌を打ちながら聞いてくれた。
そうこうしている内に、遅れていたミラルダたちが到着した。アーキッドとキキとリムの三人が巨大な九尾の背中から下りてくると、早速ルペが彼らのところへ向かう。キキからポイントを借りるのだ。
ちなみにガーベラも到着したばかりのアーキッドたちのところへ小走りで向かう。彼女のお目当てはリムだ。久しぶりに彼女をめいっぱい抱きしめついでにそのまま振り回し、ガーベラはご満悦である。リムは目を白黒させていたが、嫌がっている様子はなかったので誰もなにも言わなかった。
そんな様子を眺めながら、カムイはふと思い出す。このあとロナンたちと会う予定なのだが、その連絡をまだ何もしていない。そのことをアストールに話すと、彼は落ち着いた様子で一つ頷き「連絡なら、すでに私のほうでしておきました」と言った。
それを聞いてカムイは胸を撫で下ろす。気の利く仲間がいると、こういう時にとても助かる。それからカムイがルペのほうに視線を戻すと、彼女は早速ガーベラのユニークスキルである【植物創造】の操作画面を覗き込んでいた。そして次々に浄化樹の苗木を創り出していく。
(おお……、結構ぶっこんだな……)
創り出した浄化樹の苗木は全部で十本。確か一本につき200万Pt程度かかったはずだから、ルペは全部で2,000万Ptほども投資した事になる。どうやら【PrimeLoan】の上限ギリギリまでポイントを借り、それを全てつぎ込んだようだ。なかなか大胆だな、とカムイは感心した。
さてルペの用事が終わると、カムイたちはぞろぞろと拠点の方へ歩き始めた。ロナンからも「話を聞かせてください。お待ちしています」と返信が来たから、向こうの準備も整ったようだ。ちなみにガーベラは創り出した苗木を植えるためにここに残ると言う。彼女は「リンリンによろしくね~」と大きく手を振りながら彼らを見送った。
カムイたち十人(誰が姿をくらませたのかは言う必要もないだろう)が浄化樹林を抜けて拠点の方に顔を出すと、すぐに何人かのプレイヤーたちが気付いて傍に寄って来る。彼らも外の情報に飢えていて何かと話を聞きたがったが、まずはロナンたちに会う約束であることを告げると、しつこく食い下がることはせずに引き下がった。それでもこう言い残すことは忘れない。
「後でいいから、話聞かせてくれよ?」
「ああ、任せておけ。俺たちの華麗にして壮大な大冒険談を聞かせてやるぜ」
アーキッドがおどけながらそう言うと、寄って来たプレイヤーたちは楽しげに笑いながら「期待してる」と言って去っていった。その背中を見送ってから、アーキッドは「さて」と言って仲間たちのほうを振り返る。そしてこう言った。
「俺はロナンのところへ行って話をしてくるが、お前らはどうする?」
十人全員でロナンのところへ押しかける理由はないし、またその必要もない。だから別に来なくてもいいし、その時間は自由にしていていい。アーキッドは言外にそう言っていた。
「では、妾はスーシャとカナンの様子でも見てくるとするかのぅ」
優しげな表情を浮かべながら、ミラルダがそう応じた。カレンやリムなどの女性陣も乗り気のようだ。ルペだけは事情がつかめずに首をかしげていたが、呉羽がその二人について簡単に説明してやると、すぐに顔を輝かせて「あたしも行く~」と歓声を上げた。
「じゃあ女性陣はそれでいいとして……。男性陣はどうする?」
「ワシは勝手にさせてもらうぞ」
「私は……、アーキッドさんとご一緒していいでしょうか?」
「あいよ。で、少年はどうする?」
アーキッドの視線がカムイに向けられる。彼は少し考えてから、アーキッドやアストールと一緒にロナンのところへ行くことを選んだ。ついて行ったところで何をするでもない。だからと言って女性陣のところに混じるのも気恥ずかしいし、一人でぶらぶらするのも芸がないように思えたのだ。
それぞれの予定が決まったところで、彼らは一旦解散した。女性陣が連れ立っていくのを見送ってから、アーキッドたち三人は〈世界再生委員会〉が陣取る場所へ足を向ける。そして彼らは一番大きなテントの中へ入った。
「お待ちしていました。さ、どうぞ座ってください」
テントの中にはすでにロナンとリーンとデリウスが待っていた。その他にも何人かプレイヤーがいる。たぶん〈世界再生委員会〉と〈騎士団〉の、それぞれの幹部連中なんだろうな、とカムイはアタリをつけた。
お茶が用意され、簡単な挨拶が交わされると、ロナンたちはすぐに本題に入った。アーキッドはまず手書きのレポートを彼らに見せる。それから〈軍団〉などの背景も含め、クエストについての説明を始めた。
ところどころ笑いを取りながら、アーキッドは身振り手振りを交えつつ淀みなく話した。説明と言うよりは、ある種のトークショーのようだ。これまでに何度も同じ話をしてきたから、もはや熟練の語りである。
アストールはときどき補足説明をしていたが、カムイの出番はまったくない。彼はただ出されたお茶をすすりながら、アーキッドの話に聞き入った。
「…………そんで、コイツが〈キーパー〉の魔昌石だ」
そう言ってアーキッドは例の巨大魔昌石を取り出してテーブルの上に置いた。それを見て、ロナンたちもさすがに顔色を変える。今までに見たことのないサイズで、その上予想をはるかに超えていたのだ。アーキッドが冗談めかして「おさわり禁止だぜ」と嘯いても、それも聞こえていない様子だ。
「これは……、なんというか……」
「ここまでくると、ある種の災害とすら言えるかもしれません」
「よく倒せたものだな……」
ロナンたちが次々にそう感想を口にする。彼らの表情は総じて険しい。彼らの場合、立場上どうしても戦うときのことを考えてしまうのだ。聞いた話と目の前の巨大魔昌石から、〈キーパー〉の戦力を推測する。そして頭の中でシュミレーションするのだ。何パターンか試してみるが、その結果は決して思わしくはない。
「…………それで、アーキッドさん。このレポートは書き写させてもらっていいでしょうか?」
小さく首を左右に振り頭を切り替えてから、ロナンはアーキッドにそう尋ねた。今までに何度もあった申し出なので、アーキッドはすぐに頷いて快諾する。それからデリウスのほうにも視線を向けてこう尋ねる。
「デリウスの旦那はどうする?」
「……そうだな、ウチも一つ写しを作らせてもらおうか」
デリウスがそういうと、アーキッドは「あいよ」と応えニカッと笑みを浮かべた。その後、彼はロナンたちの矢継ぎ早の質問に答えていく。横で聞いているカムイは、彼が所々ぼかしながら答えていることに気付いた。ロナンたちが気付いているかはわからないが、たぶん気付いた上で飲み込んでいるのだろう。何となくそんな気がした。
質疑応答が終わる頃には、時刻はすでに夕方になっていた。十分に質問して充実した話し合いができたという実感があるのだろう、ロナンやデリウスは少し疲れた様子を見せつつも満足げな表情をしていた。
「今日はありがとうございました。レポートのお礼というわけではありませんが、懇親会を開こうかと思っています」
いかがですか、とロナンが尋ねるとアーキッドは破顔して頷いた。
「そりゃいい。いい酒を飲めば、口が軽くなるかもしれないし、な」
そう言ってアーキッドが「まだ明かしていない情報があるぞ」と匂わせる。それを聞くとロナンとデリウスが「ほう」と言って薄く笑みを浮かべた。こうしてまた、酒豪アーキッドの新たな犠牲者が増えるのだ。それを予感してカムイはこっそりとため息を吐いた。
懇親会の準備ができたら人を呼びにやると言われ、アーキッドたちは席を立った。そしてテントを出るその直前に、アーキッドはふと思い出したように振り返りデリウスにこう声をかけた。
「そうだ、デリウスの旦那。〈魔泉〉の主殿について、話を聞かせてくれないか」
できれば〈騎士団〉のメンバーからも、とアーキッドはデリウスに頼む。「〈魔泉〉の主殿」という単語は初耳だったはずだが、ニュアンスとしてそれがあの化け物であることは伝わったのだろう。彼は少し訝しげな顔をしながらこう答えた。
「それは構わないが……。どうしてそんなことを?」
「いや、なに。カムイ君の提案でな。ちょっと〈魔泉〉の主殿をぶっ飛ばしに行くことになったんだ」
「なん……!? いや。そう、か……」
デリウスは一瞬絶句し、それからどこか納得したように一つ頷いた。そして言いだしっぺだというカムイに視線を向ける。非難しているわけではない。だがそれ以外のことは何を考えているのかさっぱり分からないその視線を、カムイはともかくまっすぐに受け止めそして小さく頷いた。
「……私の知っていることでよければ、いくらでも話そう。ただ、余計なお世話かもしれないが、戦力は足りているのか?」
クエストを攻略し、〈キーパー〉を見事討伐した彼らのことだ。相応の戦力は持っているのだと容易に想像できる。そして〈キーパー〉を倒せたからこそ、〈魔泉〉の主にも挑戦することを考えたのだ。
それを思い上がりとは思わない。少なくとも逃げ惑うことしか出来なかった自分たちと同じ轍は踏まないだろうと、デリウスも思っている。しかし〈魔泉〉の主は〈キーパー〉よりも格上なのだ。周辺の環境も厳しいし、同じように倒せると考えているのなら楽観が過ぎるように思えた。
デリウスがそう考えていると、アーキッドは分かっていると言わんばかりに一つ頷いた。それからこう尋ね返す。
「そのことなんだけどよ。戦力を募集したいんだが、いいか?」
そう言って、アーキッドはデリウスに向けていた視線をロナンにも向ける。彼の言葉を聞いた二人は険しい顔をしていたが、ややあってからほぼ同時に頷いた。そしてロナンはどこか諦めたようにため息を吐きながらこう言った。
「まあ、行きたいと言う方に行くなとも言えませんからね……。ただ分かっているとは思いますが、無理強いだけはしないでくださいよ?」
ロナンはそう釘を刺す。彼が気にしているのは、【PrimeLoan】関係のことだろう。借金を理由に協力をせびるような真似はするな、と言っているのだ。アーキッドももとからそんなつもりはなく、すぐに「分かっている」と言って頷いた。
「それで、どれくらい集めるつもりなのだ?」
「具体的な人数は決めていない。ただ多ければいいってもんでもないからな。応募多数の場合は、こっちで絞らせてもらうことになる」
それを聞いてデリウスは「そうか……」と小さく呟いた。その隣ではロナンがあからさまにホッとした表情を浮かべている。プレイヤーをごっそり引き抜かれ、拠点の防衛力が低下することを心配していたのだ。
彼の心配はそう的外れなものでもない。クエスト攻略の武勇伝を聞き、さらに〈キーパー〉がドロップした巨大魔昌石を見せ付けられれば、いわば熱くなるプレイヤーもいるだろう。懇親会でそういう話をされれば、酒も入ることだし、その場のノリや勢いで決めてしまう者もいるかもしれない。
まあそれはともかくとして。ロナンもデリウスもアーキッドの方針に異論はなかったので、二人はまた揃って頷いた。そして早速とばかりにアーキッドはイスに座りなおし、デリウスから〈魔泉〉の主の話を聞き始めた。
カムイとアストールもそれに倣い、ロナンも興味があるのかイスに座りなおす。そしてなし崩し的に話し合いが続くことになった。それを見たリーンは借りたレポートを小脇に抱え、静かに一礼してからテントを出て行く。懇親会の手配をし、それからレポートを書き写すためだ。
(高いお酒は……、予算的に無理ね……)
強いお酒で誤魔化しましょう、とリーンは胸中で呟き一つ頷いた。そちらには幾つか心当たりがある。あとはガーベラにも声をかけて、アーキッドを酔い潰すのを手伝ってもらおう。
その結果、酒豪二人が楽しく酒盛りするだけになってしまうのだが、それはまた別のお話である。




