〈ゲートキーパー〉4
「うっわ~、すっごいね~!」
展示された巨大な魔昌石を見て、ルペは目を輝かせながらそう言った。彼女がいることからも分かるように、カムイたちが訪れているのは〈石塚の拠点〉である。ここでも彼らはこれまでと同じように、クエストについての話をプレイヤーたちに聞かせていた。ちなみに一番巧く話せるのは、やはりアーキッドだ。
彼の独演会はつい先ほど終わったばかりで、会場にはまだ熱気が残っている。彼の周りには人だかりが出来ていて、どうやら質問攻めにされているらしい。これまでにも良く、というか必ずあった光景だ。ルペはその人ごみを避け、こうして〈キーパー〉がドロップした巨大魔昌石を間近で見に来たのである。
「ねえねえ、その〈キーパー〉って、どれくらいの大きさだったの?」
「20m……、いやもっと大きかったかもしれない」
「城壁よりもかなり大きかったからな」
ルペの質問に、カムイと呉羽がそう答える。それを聞いて彼女は「ひぇ~」と大げさに驚いた。一緒に温泉に入ったからなのか、他のプレイヤーと比べると、三人の関係はかなり気安い。
「その、口から放つ炎ってどんな感じだったの?」
「そうだな……、レーザー、って言っても分かんないか……。こう、一直線に飛んでいく感じで、巨大な炎の槍が伸びていく感じ、かな?」
「ほうほう、分かるような、分からないような……。威力はどうだったの?」
「凄まじいぞ。城壁の残骸がバターみたいに溶けていた。直撃すればほぼ間違いなく即死だな。防御特化のユニークスキルなら耐えられるかもしれないが、それでも分はわるいだろうな」
そう答える呉羽の表情に少しだけ苦いものが混じった。防御特化のユニークスキルを持ったプレイヤー、つまりテッドのことを思い出してしまったのだ。彼が生きていてユニークスキルを成長させていたら、〈キーパー〉のあの炎も受け止められたのかもしれない。意味のない仮定だと分かっていても、そんな考えが浮かんでくるのを彼女は止められなかった。
「二人とも良く無事だったねぇ~」
「まあ、ほとんどイスメルさん頼みだったけどな」
そう言ってカムイはルペにイスメルが〈キーパー〉の炎を、縦に切り伏せたときのことを話して聞かせた。それを聞いて彼女は目を丸くする。防御するでもなく、回避するでもなく、真正面から迎撃するというのは、彼女には非常識に思えたのだ。先ほどその威力について聞いているから、なおさらそう思える。
「イスメルさんは軽々とやってたけどな」
「うむ。造作ない、という感じだった」
「いや、おかしいから。それ絶対におかしいからね!?」
そんな簡単にできるもんじゃない、とルペは力説する。しかしそうは言うものの、相手はあのイスメルなのだ。それくらいは出来てむしろ当然と言う気がするし、実際難なくこなしていた。それでカムイも呉羽も、「非常識だ」と言われてもあまりピンとこない。そんな二人を見て、ルペはどこか呆れたように首を振りながら「毒されてるねぇ……」と呟くのだった。
「それはそうとさ。二人とも、また温泉に行かない?」
「いいな、ぜひ行こう!」
さっそく盛り上がる二人を見て、カムイは思わず渋い顔をした。彼女たちの言う温泉のお湯は、瘴気によって汚染されている。当然、瘴気を取り除かなければ入浴など出来たものではない。
しかも新しいお湯は次々に湧いて出てくるから、一度取り除いただけでは意味がない。入浴中ずっと、それを継続しなければならないのだ。そしてそれが出来るのはカムイだけだった。
温泉がこの拠点の近くに、最低でも日帰りできる範囲にあれば、水着姿も拝めることだし、カムイだって協力するのはやぶさかではない。しかし実際のところ温泉があるのは、呉羽やカムイが全力で走って、それでも往復に三日程度もかかる距離の場所だ。これに付き合うのはやはり面倒だった。それで巻き込まれる前に、機先を制して釘を刺す。
「オレは付き合わないぞ」
カムイがそう言うと、たちまち呉羽とルペが不満げな顔になった。ルペはともかく、呉羽がそう言う顔をするとどことなく幼く見える。ただ彼にそんなことを気にしている余裕はなく、彼は詰め寄る二人を宥めつつ何とか我を通すことに成功するのだった。
カムイが行かないのであれば、呉羽とルペだけで行っても意味はない。一度そのお湯を味わってしまったからには、もう眺めるだけでは満足できないのだ。そんな仕打ち、二人にとっては拷問に近い。
いや、きっと汚染されたお湯であろうとも入りたくなってしまうだろう。その末路がどうなるのか、比較的冷静な今ならまだ予想することができる。どう転んでも爽やかなことにはなりそうにない。
しかしそうは言っても、二人の頭の中は温泉のことで一杯になってしまっていた。この欲求を満たしてやらないことには、身体が疼いて仕方がないのだ。カムイが協力してくれないので天然モノは無理だが、それでも代用品になら心当たりがあった。
「仕方ない、【レンタル温泉施設】で我慢するか」
呉羽が断腸の想いでそう決断する。「それは我慢とは言わない」とカムイは思ったが、賢明にも口には出さなかった。ここでへそを曲げられ、「どうしても天然モノに入る!」と駄々をこねられるのが一番面倒な展開なのだ。
一方のルペは「おお!」と言って目を輝かせた。彼女は温泉に入れさえすれば、細かいことは気にしないらしい。カムイは「いっそただのお風呂でもいいんじゃ?」と思ったが、それを口に出す勇気はなかった。
「そうと決まれば、カムイ、ポイントを稼ぐぞ!」
気持ちを切り替えたのか、呉羽はそう言って拳を握った。視線を向けられたカムイは、肩をすくめつつも抵抗する素振りは見せない。どうせ明日のレンタカーの分も稼がなければいけない。この辺がちょうどいい落し所。そう思ったのだ。
そしていつもよりたくさんのポイントを稼いだその日の夜。〈石塚の拠点〉には純和風の温泉が忽然と出現していた。もちろん呉羽が購入した【レンタル温泉施設】である。プレイヤーたちは基本的に娯楽に飢えているから、このサプライズには彼らも大喜びだった。その中にはもちろんルペも含まれている。
「はぁ~、しあわせ~」
湯船の縁にもたれながら、ルペは満足げにそう呟いた。今モンスターに襲われたら負ける自信がある。やはり温泉はすばらしい。思考に脈絡がないが、それが気にならないくらい心身ともに脱力していた。
湯船を見渡せば、ルペのほかにも何人かのプレイヤーが温泉を楽しんでいる。当たり前だが、ここは女湯なので全員女性だ。同性相手に隠す必要もないし、脱衣所には「お湯の中にタオルを入れるのはマナー違反」という注意書きもあった。それで彼女たちは皆全裸でお湯に浸かっている。
(カムイが見たら喜びそうだなぁ)
そんなことを考えながらぼんやりとお湯に浸かっていると、ふとルペの視界に呉羽の姿が映った。マナー遵守の精神に溢れた彼女は、当然全裸である。その姿を見てルペは、動揺するでもなくただぼんやりと「すごいなぁ」と思った。
いや、すごいのは知っていた。しかしこうして改めて見てみると、やっぱりすごい。良く鍛えられたその身体は、一目見ただけでヒョウのようにしなやかであることがわかる。それでいて肌は滑らかで女性らしさも失われていない。やっぱりカムイが見たら喜びそうだな、とルペは思った。
「ん? どうしたんだ、ルペ?」
視線に気付いたのか、呉羽がルペに声をかけた。ルペは「なんでもない」と笑って手を振る。すると彼女は「そうか?」と言ってルペの隣に腰を下ろした。たわわに実った果実が二つ、お湯に浮かぶ。カムイが見たら以下略。
ん、と小さく声を漏らして呉羽が気持ち良さそうに大きく身体を伸ばす。そして全身の力を抜いて湯船の縁にもたれかかった。そうやって寛いでいても、彼女の姿勢には品の良さが滲んでいる。
「やっぱり、温泉はいいな……」
「うん、そうだねぇ」
「荒んでいても、気持ちが穏やかになる」
「うん、そうだねぇ」
「ゆっくりとお湯に浸かって話し合えば、きっといろんな人と分かり合える」
「うん、そうだねぇ」
「だから温泉テーマパークは世界平和のために必要だと思うんだ」
「うん、そうだねぇ」
「やっぱりそう思うか!?」
「うん、そうだねぇ」
「じゃあ一緒に行こう。世界中で温泉を探すんだ!」
「うん、そうだねぇ。……って、あれ?」
今までぼんやりと適当に答えていたルペが、今更ながら話の流れに違和感を覚えて首を捻った。温泉テーマパーク云々は別にいいのだが、いつの間にかこの拠点を離れて一緒に旅をするみたいなことになっている。しかも呉羽の様子を見る限り、どうやらもう確定事項のようだ。
(ま、いっか)
ルペはあっさりとそう決めた。もともと山向こうの温泉から離れがたくて、日帰りできる位置にあるこの拠点にいただけなのだ。その温泉もこの前入ることができたし、ここに拘る理由はあんまりない。
そもそもこの拠点に残ったところで、次にいつ温泉に入れるのか分からない。実際呉羽たちと山向こうの温泉に入って以来今日まで、そのお湯を思い出してルペは満たされない日々を送っていたのだ。
それなら呉羽やカムイと一緒に行動していた方が、このさき温泉に入る機会は多いように思う。少なくともルペ一人では、入りたくても入れない。能力的にそれが可能、ということが重要なのだ。カムイはまた面倒くさがるかもしれないが、その時は呉羽を言いくるめてちょっと過激な水着を着せてみればイチコロだろう。
世界中を旅して周り、各地の温泉を堪能する。そう考えた途端、ルペはなんだかわくわくしてきた。
「どんな温泉があるのかなぁ」
「楽しみだなぁ、ルペ。うん!」
もともと楽天的な性格だったこともあり、ルペは早速まだ見ぬ秘湯に想いをはせる。頭の中はもう湯煙でいっぱいだ。そんなこんなで、旅の道連れがまた一人増えたのであった。
― ‡ ―
身も蓋もない言い方をするのなら、呉羽がルペをスカウトしたのはある種のノリだった。次に温泉に入るとき、一緒に喜んでくれる彼女がそばにいたら、きっと楽しい。その程度のことしか考えていなかったのである。
ルペにしても、スカウトを蹴ることなくそのまま乗っかったのは、深い思慮があってのことではない。呉羽たちについて行けば、またどこかで温泉に入れそう。そんな程度の理由で、彼女は〈石塚の拠点〉を離れることにしたのである。
そんなふうに二人とも温泉で茹だった頭で軽々しく決めてしまったわけだが、決めた以上は実務的な手順を踏む必要がある。要するに、関係各所に話を通しておかなければならないのだ。
それで善は急げとばかりに、呉羽は温泉から上がるとすぐ、ルペをつれてアーキッドのところへ突撃した。彼はマッサージチェアで寛いでいたのだが、呉羽から話を聞くと苦笑しつつもルペの加入を認めた。
『別に構わねぇぞ。お前さんなら、俺達の移動速度にも付いてこられるだろうしな』
そう言ってから、彼は「ただし」と言って一つ条件を付け加えた。
『俺は構わないけど、他の連中にも話は通しておけよ?』
『了解です!』
元気良くそう答えた呉羽は、その日の夜のうちにメンバー全員にルペのことを紹介し、これから先一緒に行動することを認めさせた。これは彼女の交渉術が優れていたから、というわけではない。
ただ単に反対する理由がなかっただけだ。人格面についても、呉羽やカムイがある程度見極めている。もちろん接した時間が短いから、仲間にすることのメリットはわからない。ただ、少なくともデメリットはなさそう。そういう判断で他のメンバーたちは強硬な反対をせず、「呉羽がそういうのなら」と言ってルペを受け入れたのである。
しかしながら、デメリットはなくとも気がかりなことはあった。
(スフィアのことは、どうするかなぁ……)
呉羽からルペのことを聞かされ、カムイは苦笑しつつも「あいよ」と軽く応じたのだが、二人の背中を見送ってから彼はふとそんなことを考えた。クエストをクリアして手に入れた【環境復元スフィア】は大変な貴重品だ。その情報を流布するのは危険。そう考え、彼らはこれまでスフィアについては他のプレイヤーたちに一言も話してこなかった。
今まではそれで良かった。一緒に旅をしているメンバーは、全員スフィアを所有している。仲間内でスフィアのことを話しても、秘密は守られていた。
各地の拠点を巡ってクエストの話をしてはいるが、スフィアが出てくるのは本当に最後の最後。完全に省略してしまっても話は破綻しない。滞在するのもそれぞれ一日か二日で、その間だけ口を滑らせないよう気をつけていればよかった。
しかしルペが加わるとなると、そうも言っていられない。スフィアについて何も知らない彼女が、これからは四六時中一緒にいるのだ。秘密を守りたいのであれば、これまで以上に気をつけなければならないだろう。
いや、実際のところカムイが気にしているのはそういうことではない。つまりルペにスフィアのことを教えず、一人だけ仲間はずれにしておいていいのか、ということだ。スフィアの情報は下手に教えていいシロモノではない。それはカムイも分かっている。分かってはいるが、それでも気が引けるのだ。
(要相談、かなぁ……)
結局、一人では結論を出せず、カムイは胸中でそう呟いた。そもそもスフィアは彼だけの問題ではない。ならきちんと意見をすり合わせておかなければ、他のメンバーから不満がでるだろう。そしてそういう不満が積み重なって、パーティーは壊れてしまうのだ。
(面倒だなぁ)
カムイは苦笑しつつ嘆息した。この面倒臭さはルペを迎えることのデメリットと言ってしまっていいかもしれない。ただ少し考えれば分かることだが、この面倒はスフィアを持つ限りこの先ずっと付きまとう。
ならば初めての相手が、ある程度気気心の知れたルペ一人だけであったというのは、いっそ幸運だっといえるのかもしれない。これが例えば、ロナンやデリウスやアラベスクのような、油断のならないリーダーに率いられたパーティーであったなら、話はもっと面倒になっていただろう。
(これから先はそういうこともあるかなぁ……)
少なくとも、ずっとこのままメンバーが変わらない、ということはないだろう。加入が一時的であれ長期的であれ、メンバーの入れ替わりはこの先何度もあるはずだ。避けられない問題なら、慣れておいたほうがいい。
余談だが、この「ルペにスフィアのことを教えるか否か」という問題は、話し合いの結果いったん棚上げされることになった。焦って結論を急ぐ問題でもないし、もう少し彼女の人柄を見極めてから、と言うことになったのだ。順当なところに落ち着いたといえるだろう。
さてそんなこんなで新たに加入したルペだが、生来の楽天的で人懐っこい性格からすぐにパーティーに馴染んでしまった。人見知りのきらいがあるリムも、三日が過ぎる頃にはすっかりと彼女に懐き、今では一緒にお風呂に入るほどの仲になっている。
呉羽はもちろん、カレンやキキとの仲も良好だ。ルペが加入したおかげで、パーティー全体の雰囲気がさらに明るくなったような気がカムイはする。少なくとも食事や休憩時は賑やかさが増した。
アーキッドらのパーティーにおいて特筆するべき点を一つだけ上げるとしたら、それは移動速度だろう。彼らは極めて効率のいい移動方法を確立している。その部分については完成していると言っていい。
そしてルペだが、空を飛ぶことが出来る彼女は、カムイたちの移動速度に軽々と付いてくることができた。つまりアーキッドたちは彼らの移動方法を何一つ変える必要がなかったのだ。これもルペの加入が軋轢を生まなかった理由の一つと言えるだろう。
(これを加入条件にしてもいいかもな)
気持ち良さそうに空を飛ぶルペの姿を見上げながら、アーキッドは胸中でそう呟いた。彼個人の考えとしては、スフィアの件は抜きにするとしても、パーティーメンバーはあまり増やしたくないと思っている。大所帯になれば身動きが取りにくくなり、フットワークの軽さと言う最大の長所を潰しかねないからだ。
ただ、断るためには理由が要る。「自分達の移動速度に付いてこられる事」を加入条件としておけば、彼らの移動速度についてこられるプレイヤーはほとんどいないから、それを理由に断ることができるだろう。
しかもこの加入条件、完全に不可能ではない、というところがミソだ。ルペという実際に加入したプレイヤーがいるし、あるいはカムイたちのようにレンタカーを使えば誰でも条件は満たせる。
だからこれは決して理不尽な条件ではない、と加入希望者は思ってくれるだろう。そしてそう思ってもらうことが重要だった。納得してくれれば、穏便に断ることができるのだから。
(条件を満たしてしまう場合は……、ま、ケースバイケースってことで)
アーキッドは小さく苦笑した。そもそも今考えた「自分達の移動速度に付いてこられる事」という加入条件でさえ、ある種の方便なのだ。結局、それぞれのケースごとに対応するしかない。
さてルペの話に戻るが、彼女の得物は「槍」だった。これを聞いたとき、イスメルとミラルダは少々意外そうな反応をした。
『槍、ですか……? ああ、いえ、エルフのくせに双剣を使っている私が言う事ではありませんが……』
『お主のような有翼人は、弓の方が得手ではないのかえ?』
カムイや呉羽は以前温泉に入りに行ったとき、ルペが槍を使っているのを見ていたし、それを不自然と思うこともなかった。それは先入観がなかったからだ。しかしイスメルやミラルダがもといた世界には有翼人やそれと似た種族がいて、彼らが得意としているのは総じて弓であると言う。それで槍を使うルペに違和感を覚えたのだ。
『うん。あたしも槍よりは弓のほうが得意かな』
あっけらかんとルペはそう答えた。彼女だけでなく彼女の同胞つまり他の有翼人も、槍よりも弓を得意とするのが一般的であるという。イスメルやミラルダが持っていたイメージは大よそ正しかったわけだ。
実際に有翼人が弓を使うところを想像している。相手は空を飛びながら、つまりこちらの攻撃が届かない場所を、しかも素早く動き回りながら弓を射掛けてくるのだ。一方的なワンサイドゲームと言っていい。
一方で槍を使うのであれば、攻撃を当てるため接近しなければならない。もちろん高所からの一撃離脱は恐ろしい戦法だが、しかしこの場合反撃の余地がある。つまりルペの側にもリスクがあるのだ。
にも関わらずルペが弓ではなく槍を使うのには、それなりの理由があった。一番大きな理由は、彼女がこれまでソロで活動していたことだ。
『いや~、あたしってばずっと温泉通いしてたでしょ? そのせいでパーティー組んでなくって』
ワザとらしく頭をかきながら、ルペは少し恥ずかしそうにそう言った。ただ温泉通いには「他のプレイヤーと被らない狩場で効率よくポイントを稼ぐ」という側面もあり、彼女は決してポイントに困っていたわけではない。それどころか見方を変えれば遠方の狩場を独占していたわけで、懐事情は他のプレイヤーよりも余裕があったくらいだ。
まあそれはそれとして。そんな事情もあり、ルペはこまでずっとソロだった。そしてソロで戦うのであれば、弓よりも槍の方がいい。彼女はそう考えたのだ。幸い、槍もべつに苦手と言うわけではない。元の世界では鍛錬を積んでいたこともあり、ルペは槍一本を頼りに今日まで生き抜いてこられた。
加えて、弓を使うのであればどうしても矢が必要になる。矢はある程度繰り返し使えるとはいえ、基本的に消耗品だ。つまり使えばその分コストがかかる。いわゆるランニングコストと言うやつだ。
破産するほどではないだろう。しかしいくら遠方の狩場を独占しているとはいえ、無駄遣いできるポイントはない。それでルペはコストのかからない槍を得物として使っていたのである。
『素人考えだけどよ、マジックウェポンを使えばよかったんじゃないのか?』
横からそう口を挟んだのはアーキッドである。彼の言うマジックウェポンとは、その名の通りマジックアイテムの中でも特に武器のカテゴリーを指す。その中でもさらに【魔弓】と呼ばれるカテゴリーには、魔力を矢として放つタイプの弓がある。こういったものを使えばコストを気にしなくてもいいのではないか、とアーキッドは言っているのだ。しかしルペは苦笑しながら首を横に振った。
『それも考えなかったわけじゃないよ。だけどあたしの場合、万が一魔力切れにでもなったら墜落しちゃうし。さすがにそれはイヤかな、って』
だから魔弓には手を出さなかったのだ、とルペは言う。ソロでやっていた彼女の生命線は言うまでもなくユニークスキルの【嵐を纏う者】であり、それが与えてくれる黄金の翼だ。
これを使うために魔力の消費をできるだけ抑えたいと考えるのは、ごく自然なことといえるだろう。魔力の残量を気にせずに戦えるカムイたちは、少数派と言うよりはむしろ例外的なのだ。
『魔力ですか……。それは仕方ないですねぇ……』
どこかしみじみと、アストールはそう言った。彼は支援魔法を得意とする魔法使い。言うまでもなく魔法は魔力がなければ使えない。きっと元の世界にいたころから、魔力の残量管理には気を使っていたのだろう。そしてそんな彼だからこそ、「空を飛ぶための魔力を、できるだけほかのことに使いたくない」というルペの言い分は、とても納得できるものだった。
『あ、でもこれからは弓を使うのもアリかも』
ルペはふと思いついたようにそう呟いた。これからは彼女もパーティーの一員になるのだ。つまりこれまで彼女が槍を使っていた事情の大半が変化するのである。
このパーティーには強力な前衛が揃っている。むしろ戦力が前衛に偏っているといってもいい。彼女まで前に出る必要はないだろう。むしろ後方支援ができる弓使いが加われば、バランスが取れていいかもしれない。
魔力の心配も要らない。アストールとカムイがいるからだ。この二人が魔力を幾らでも回復してくれるということは、ルペもすでに聞いている。これからは魔力使いたい放題なのだ。
そういう事情であるから、このさい得物を弓に、それも魔弓に変えるのもアリかもしれない。ルペはそう思ったのだ。それに、彼女自身先ほど言っていたように、槍よりも弓の方が得意である。得意な方を使いたいと思うのは自然な心情だった。
とはいえ一つ問題があった。ポイントである。マジックアイテムは基本的に高いのだ。アイテムショップで魔弓を検索し、その値段と自分が持っているポイントを見比べ、ルペは「むぅぅ~」と唸った。
『どうせ使うなら妥協したくないしなぁ……。ポイント溜まってからにしようっと』
ルペは少し残念そうにそう呟いたが、それを聞いたアーキッドやアストールは小さく笑みを浮かべた。このパーティーはもろもろの理由からポイントについてはかなり余裕があるし、彼女もすでにそのことを知っている。それでも彼女はポイントをたからず、こうして自分で稼いで買うつもりでいる。なかなかできることじゃない、と思ったのだ。
『むふふ……、ポイントが必要なら、都合するよ……? 無利子だよ。今だけだよ。こんなイイ話そうそうないよ……?』
妖しく笑う演技をしながら、キキはルペにそう申し出た。言うまでもなく彼女のユニークスキルである【PrimeLoan】のことである。ルペはまだ借入額の上限に達していないので、追加で借りることは可能だ。しかしルペは少し考えてから首を横に振った。
『う~ん、ちょっと様子を見てからにするね』
ルペがそう答えると、キキは「ショボーン」と声に出して露骨に落ち込んだ。もちろん演技である。その様子が可笑しくて、カムイたちは声を上げて笑った。そしてうまく笑いを取った彼女は「むっふん」とドヤ顔で鼻を鳴らし、その様子がさらなる笑いを誘うのだった。
さてそんな事情もあって、空を飛ぶルペの手に握られているのは、弓ではなくいつもの槍だった。ただ、彼女はアーキッドたちのパーティーに入るようになってから、それまでとは違う装備を一つ身につけていた。【測量士の眼鏡】である。
空を飛ぶルペは、パーティーの中で一番視点が高い。そして高いところからは辺りが遠くまで良く見える。【測量士の眼鏡】を装備させ、地図の記載領域を増やすのに、彼女はうってつけの人材だったのだ。
『……ってわけで、ルペ、頼んだぜ』
『はいは~い。任せといて!』
アーキッドから【測量士の眼鏡】の説明を聞くと、ルペは嬉々としてそのシンプルなデザインの眼鏡をかけた。彼女の場合、眼鏡をかけてもあまり雰囲気が変わらない。相変わらず、人懐っこい子猫のようだ。ルペ自身は「頭が良くなった気がする~」と言っていたが、もちろん気のせいである。
まあルペのおつむの具合は置いておくとして、彼女に【測量士の眼鏡】を装備させたのは大正解だった。単純に視点が高いこともそうだが、それ以上に彼女は目がいいのだ。【測量士の眼鏡】は双眼鏡などを使うと効果がなくなる。だから単純に視力の高い者が使うのが効果的なのだが、その点ルペはまさに適任だった。
「鳥目だからね」と本人は自慢していたが、鳥類の中には確かに数キロ先まで見通すほど視力の鋭いものもいる。実際、カムイや呉羽が双眼鏡を使わなければ見えなかったものを、ルペは裸眼のままで見つけていたこともある。
そんな抜群に鋭い視力を持つルペが、しかも高い視点から辺りを見渡すのだ。地図の記載領域は、これまでとは比べ物にならない速度で増えた。アーキッドはそれに気をよくし、いつもどおり半日の移動が終わると自腹で向上薬を購入し、それをルペに渡して【HOME】周辺の探索をしてもらうようになった。そのおかげで彼らの地図はどんどん詳しくなっている。
(もう少ししたら、また新しいバージョンの地図をプレイヤーショップに出すかな)
ルペから受け取った最新の地図を見ながら、アーキッドはそう考えて満足げに頷いた。その時にはこうして働いてくれているルペにも、幾らか報酬を支払う必要があるだろう。彼は決して吝嗇ではないのだ。
そんなこんなで意外と充実した旅路の果てに、カムイたちはついに川沿いの遺跡に帰って来た。荒廃していて人気など少しもない寂しい場所なのだが、それでもやっぱり「帰ってきた」と思うし、懐かしくも感じる。「拠点って言うのはきっとそういう場所のことなんだろうな」とカムイはぼんやりと思った。
「おお! ここがクレハたちの拠点!?」
遺跡の様子を見て、ルペは目を輝かせた。もっとも彼女の場合、アストールやロロイヤのように学術的な興味を持っているわけではない。単純に物珍しいだけだ。好奇心のままに突撃しようとする彼女を、カムイは慌ててとめた。
瘴気が立ち昇る川の水と、その水を都市内に引き込む水路網のせいで、遺跡内は瘴気濃度が高めなのだ。上空がどうなのかは分からないが、しかし用心するに越したことはないだろう。
ルペを宥めつつ、カムイたちはひとまず遺跡の外に展開した【HOME】で一休みすることにした。リビングのソファーに座って一服しつつ、アーキッドは「さて」と前置きしてからこう話し始めた。
「とりあえずこうして遺跡に戻ってきたわけだから、これにてクエストに関係したあれこれは一応落着って感じだな」
「ええ、そうですね。お疲れ様でした」
アストールがしみじみとした口調でそういうと、カムイたちも「お疲れ様でした」と言ってその後に続く。思えば長い旅路だった。思い返してみると、〈キーパー〉との戦闘よりイスメルとの稽古の方が厳しかった気がする。まあその厳しい稽古のおかげでクエストを無事に攻略できたのだ、とカムイは無理やり納得することにした。
「で、だ。今後のことなんだけどよ。お前らはどうするつもりなんだ?」
アーキッドからそう尋ねられ、カムイたちは思わず顔を見合わせた。一つのパーティーとして行動するのは、クエストを攻略してこの遺跡に帰ってくるまで。もともとそういう約束だったから、ここでまた二つのパーティーに分かれると言うのは自然な流れだ。彼の問い掛けも、そういう認識が根っこにある。
ただそうは言っても、次の予定などそうすぐに思いつくものではない。遺跡の調査を再開するという手もあるが、クエストを攻略してきた今となっては、それにどれほどの意味があるのかちょっと疑問だった。
いや、意味ならあるのだろう。しかし成果が出るまでに時間がかかりすぎる。ならその時間を別の、もっと分かりやすい成果がでるものに使った方がいいのではないか。そんなふうに考えてしまうのも自然なことと言えるだろう。
だが、では何をすればいいのかと言われると、やはりすぐには思い浮かばない。それはみんな一緒のようで、見合わせた顔にはそれぞれ苦笑や困惑が浮かんでいる。カムイには一応案があるのだが、それを口にしていいのかどうかはちょっと躊躇われた。それで結局、まずはこう聞き返した。
「ええっと、アードさんたちはこれからどうするつもりなんですか?」
「俺たちか? ひとまずこのまま〈海辺の拠点〉まで行って、魔昌石見せびらかして、クエストの話をしてやるつもりだ」
後のことはまたそれからだな、とアーキッドは言った。つまり彼らも、まだ予定を決めてはいないということだ。
「なんだったら、もう一回コッチに戻ってくるぞ?」
大した手間でもないしな、と彼は言った。彼らが〈海辺の拠点〉へ行って、そして帰ってくるまでには、最低でも二日程度はかかるだろう。これからの予定を相談して決めておくには十分な時間だ。
けれどもたぶんそれは、アーキッドたちにとっても同じことなのだ。彼らもまたその間に仲間内で相談し、これからどうするかを決めるに違いない。つまりここへ戻ってきたとき、彼らの予定はもう決まってしまっている。
そう考えたとき、カムイはちょっと焦った。彼の案を実行するには、アーキッドたちの協力が不可欠だからだ。そして彼らの協力を取り付けるには、まだ予定が決まっていない今しかない。
「あの……」
「ん? 少年、どうした?」
中途半端に声を上げたカムイに視線が集中する。それが少し居心地悪くて、彼は小さく身じろぎした。
この期に及んでまだ、カムイは自分の案を話すのか話さないのか、迷っていた。けれども突き刺さる視線が彼を急かす。いや、アーキッドたちにそのつもりはなかったのだろう。彼がテンパって勝手に焦ったのだ。
(どうせ提案だけだし……! ダメならダメでそう判断するだろ……!)
なかばヤケクソ気味にそう考え、カムイはついにその案を口にした。
「〈魔泉〉の主を、ぶっ飛ばしに行きません、か……?」
ひとまず今回はここまでです。
続きは気長にお待ちください。




