〈ゲートキーパー〉3
〈北の城砦〉を出発してから四日後の午前中、カムイたちは〈廃都の拠点〉に帰還した。拠点の中に入ると、すぐに近くにいたプレイヤーたちが寄ってくる。彼らは意外なほどの歓迎で迎えられた。
「〈北の城砦〉を落としたんだってな!」
「たった十人なのにスゲェぜ!」
「おかげで助かったよ、ありがとう!」
「今晩一杯奢るよ!」
その歓迎ぶりにカムイたちが目を白黒させていると、そこへアラベスクが現れた。アーキッドが書いたクエストのレポートを彼が読みたがっていたので、彼は到着予定をあらかじめ知らせていたのだが、騒ぎを聞きつけて帰って来たのを察したようだ。
「俺はアラベスクのおっさんと話があるが、お前らはどうする?」
アーキッドがそう尋ねるので、カムイはキファのところに顔を出してくることにした。というか、この拠点には彼女くらいしか知り合いがいないのだ。呉羽とカレンも同行することになり、三人は連れ立って拠点の端っこにあるキファの工房へ向かった。
「やあ、良く来てくれたね。さあ、中に入って」
入り口の扉にかけてあるプレートは相変わらず「人の尋ね来ることこそうれしけれ。されどお前ではなし」だったが、三人とももうそこはスルーしてさっさと工房の中へ入った。三人がイスに座ると、早速キファが人数分のコーヒーをネルドリップで淹れ始める。すぐに香ばしい香りが部屋の中に漂い始めた。
キファが淹れたてのコーヒーを四人分、テーブルの上に並べる。そこに自分が出したわけではない菓子が用意されていることに気付いて、彼女は目を細めて微笑みを浮かべた。彼女は決してポイントに余裕があるわけではない。その中からコーヒーという嗜好品を楽しむために日々費用を捻出しているものだから、それ以外の嗜好品を楽しむ余裕はない。そんな彼女にとっては嬉しい手土産だった。
「……そういえば、聞いたよ。〈北の城砦〉を落としたそうだね」
おめでとう、とキファはコーヒーを啜りながら三人に告げた。カムイたちもコーヒーを飲みながら「どうも」と明るく応じる。それから少し気になっていたことを彼女にこう尋ねた。
「それにしても、皆さん耳が早いですね。それに、なんだかやけに歓迎されているというか……」
「歓迎されるのはいいことじゃないのかい?」
少なくとも嫌われるよりは、と言ってキファは菓子に手を伸ばした。ちなみにカムイたちが用意したのは、色とりどりのマカロンである。その甘味に舌鼓を打ち、コーヒーで口の中をリセットしてから、彼女はさらにこう言葉を続けた。
「まあ、〈北の城砦〉の攻略は今一番ホットな話題だからね。なにしろ〈軍団〉に悩まされる心配がなくなったのだから」
ここ〈廃都の拠点〉においてこれまで最大の問題と言えば、間違いなく北から津波のように襲い掛かってくる〈軍団〉であった。実際に〈軍団〉が形成されて攻防戦を演じたのは、今までに片手の指で足りるほどの回数でしかない。しかしその攻防戦では毎回被害がでていた。なおその被害には、人的なものだけでなく物的なもの、つまり拠点そのものへのダメージも含まれている。
〈軍団〉を形成させないこと。〈廃都の拠点〉の至上命題はそれにつきた。プレイヤーたちはそのために、北の荒野で日々モンスターを間引いていたのだ。そしてその成果は確かに出ていたといっていい。〈軍団〉を形成されたのは、前述した通りほんの数回に留まっているからだ。
しかしながら、抜本的な解決には程遠い。〈岩陰の拠点〉から多数のプレイヤーが合流したことで、戦力的には多少の余裕ができた。だが少しでも気を抜けば、またすぐにでも〈軍団〉は形成されるだろう。これまで〈廃都の拠点〉はそういう状況下にあった。
さて〈岩陰の拠点〉から合流してきたプレイヤーの中に、ディーチェという名の一人の少女がいた。ユニークスキル【麗しの吟遊詩人】の力で〈誘引の歌〉を歌う彼女は、プレイヤーたちの意識を大きく変えることになる。
これまで〈廃都の拠点〉のプレイヤーたちの主戦場といえば北の荒野だった。そこでは大量のモンスターが常に跋扈しており、〈軍団〉を形成させないためにはこれを間引く必要があったのだが、見方を変えれば北の荒野は効率のいい狩場でもあったのだ。そのためプレイヤーたちはむしろ嬉々としてそこでモンスターを狩っていた。
しかしその価値感が、ディーチェの〈誘引の歌〉を目の当りにしたことで、大きく変わった。つまりもっと稼げる方法を知ってしまったのだ。しかもおあつらえ向きに、拠点の近くには農業用に使っていたと思われるため池がある。効率のいい狩場と言えば、そちらになってしまったのだ。
今や北の荒野は魅力的な狩場ではなくなり、そこでモンスターを間引くのは半分義務になってしまった。そんなときにアーキッドたちが〈北の城砦〉を攻略したのである。その影響は北の荒野にも及びそこの様子は様変わりした。大量の人型モンスターが跋扈することが無くなったのである。
つまり〈軍団〉に悩まされる心配がなくなったのだ。そしてそれは同時に、心置きなくため池で稼げるようになったことを意味していた。
「……つまり、自分たちがもっと稼げるようになったから、皆さん歓迎してくれた、ってことですか?」
キファの話を聞いて、カレンは少し呆れたようにそう言った。ちょっと自分の欲望に忠実すぎやしないだろうか。同じような感想を抱いたのか、カムイと呉羽もどこか困ったように苦笑を浮かべている。そんな三人を見て、キファもまた苦笑を浮かべながらこう応じた。
「もちろんそれだけじゃないさ。〈軍団〉がいつ押し寄せてくるのか分からない状況と言うのは、私たちにとって大きなストレスだったからね」
夜も安心して眠れるようになったよ、とキファは冗談めかして言葉を続けた。そして三つ目のマカロンに手を伸ばす。
確かに、適宜モンスターを間引いていたとはいえ、〈軍団〉が攻め寄せてこないと言う保証にはならない。特に夜はプレイヤーたちも拠点の外へは出ないから、荒野のモンスターは増えるばかり。間引きが不十分だったら、そうでなくともいつもより多くモンスターが出現していたら。いつ〈軍団〉が形成され押し寄せてきても可笑しくはなかったのだ。
キファをはじめ、〈廃都の拠点〉にプレイヤーたちはこれまでずっと、そういう状況下で生活していた。大きなストレスを感じていたことは、想像に難くない。しかしようやく、そこから解放されたのだ。それを考えれば、あの歓迎も不思議ではない。
カムイたちが納得した様子を見せると、キファは小さく微笑んでコーヒーを啜った。そしておもむろに話題を変える。
「それよりも、攻略戦のことを聞かせてくれないかい?」
せっかく当事者がいるのだ。話を聞かない手はない。カムイたちも「いいですよ」と言ってすぐに頷いた。
「激戦でした。〈オドの実〉がなかったら、危なかったかもしれません」
カムイがそういうと、隣に座っていた呉羽が微妙に顔をしかめた。〈オドの実〉の力だけで勝ったわけではない。大げさな言い方は誤解を与える、と思っているのだ。ただ〈オドの実〉を作ったキファの手前、それを指摘するのもなんだか憚られ、結果として言いたいことが言えないような顔になっていた。
とはいえ、それがリップサービスであることはキファも分かっていた。自分の作った作品が役立ったと言って貰えるのは確かに嬉しいし、それだけのものを作ったとも自負している。しかしたった一つの装備が攻略戦の趨勢を決したなどとはさすがに思わない。それで彼女は小さな笑みを浮かべてこう応じた。
「まあ、それが役に立ったのなら嬉しいよ。……それで、君たちはどんなふうに戦ったんだい?」
「ええっとですね、まずは……」
おもに話すのはカレンで、時折カムイと呉羽が補足をいれる。そんなふうに攻略戦の様子を話しながら、時間はのんびりと過ぎていった。
― ‡ ―
カムイたち三人がキファの工房で攻略戦の様子について話していたとき、アーキッドもまたアラベスクの執務室で彼と攻略戦について話していた。ただ彼の場合、すでに内容をまとめたレポートを用意してある。同じ事をまた口で説明するのも面倒で、彼はまずレポートをアラベスクに読ませていた。
「やれやれ、だな。これは……」
レポートを読み終えたアラベスクは、目頭をもみながら嘆息するようにそう呟いた。憂鬱そうな様子を見せる彼に、コーヒーを啜っていたアーキッドはからかうような笑みを向ける。そしてやや軽薄な口調でアラベスクにこう尋ねた。
「信じられないかい?」
「……そうだな。にわかには信じがたい、というのが本心だ」
「だが、本当のことだぜ」
「分かっている。信じがたいと言うよりは、むしろ信じたくないと言う、情けない願望だ。そんなモノを見せられては、な」
そう言ってアラベスクが視線を向けた先には、巨大にして深紅の魔昌石がテーブルの上に鎮座していた。クエストボスと言うべき〈キーパー〉がドロップした魔昌石である。レポートを読む前にまずこの常識外れに巨大な魔昌石を見せられ、アラベスクがたっぷり十秒近くも絶句したのは三十分ほど前の話だ。
「少なくとも桁外れに強力なモンスターがいる。〈軍団〉のこともあるし、その前提で読めばコレを否定する要素はどこにもない」
アラベスクが手に持ったレポートを揺らしながら少々苦い口調でそういうと、アーキッドはおかしそうに「くっくっく」と喉の奥を鳴らすようにして笑った。二人の態度の差は、そのまま立ち位置の差だ。
クエストを攻略したアーキッドと、クエストを攻略したことのないアラベスク。前者が話しているのは過去の経験だが、後者が聞いて想定しているのは起こるかもしれない未来。難題と強敵が待ち受けているかもしれないと言われれば、愉快な気持ちではいられないのも当然だった。
「まあ、この世界そのものがこの遊戯のために用意された舞台なのだから、これくらいの仕掛けは、むしろあって当然なのかも知れんがなぁ……」
「そうそう。そもそも、普通のモンスターだけじゃ弱すぎて歯ごたえがないだろう?」
「武人の端くれとして思うところがないわけではないがね。それでも敵が強すぎて困るよりは、弱すぎて嘆く方がいいに決まっている」
「そりゃ、確かに」
そう応えるアーキッドの声は、やはり軽い。しかしその裏には、実績に裏打ちされた自信が垣間見える。それが今のアラベスクには羨ましい。
(もし仮に……)
もし仮に〈廃都の拠点〉の戦力で〈北の城砦〉に挑んでいたなら、果してクエストを無事に攻略することが出来ただろうか。アラベスクが考えているのはソレだ。クエストの攻略自体は、たぶんできるだろう。しかし無事に、つまり死傷者なしにクリアできたかと言われると、それはたぶん難しい。
高濃度の瘴気は、向上薬を用意しておくことで対処できるだろう。多数のモンスターや攻城兵器の類も、恐れるには足らない。むしろ荒野でさんざん戦ってきたし、経験値で言えばアラベスクたちの方が上だろう。
問題は〈キーパー〉だ。この化け物を、果して犠牲を出さずに倒せるのか。そのビジョンが、今のアラベスクには浮かばない。
(まとめて薙ぎ払われ、炎で焼かれ……)
100人連れて行ったとして、ともすれば半分も脱落するかもしれない。アラベスクはそう予想した。事実上の全滅だ。仮に〈キーパー〉を倒せたとしても、その戦果を誇れる要素はどこにもない。それならば最初から挑まない方がいいだろう。
(重要なのは……)
重要なのは人数を背景にした戦力ではなく、個々の能力の応用であり、またその組み合わせなのだ。アーキッドのレポートを読み、アラベスクは強くそう思った。二人以上のプレイヤーが協力し、そのユニークスキルを組み合わせることで、より大きな事柄を成し遂げることができるのだ。〈キーパー〉を丸焼きにしたという〈雷樹・煉獄〉なる技は、その代表例と言えるだろう。
アーキッドも先ほど言っていたが、この世界に出現する普通のモンスターは弱い。一対一で遅れを取るプレイヤーはほとんどいないだろう。そしてだからこそ、というべきか。アラベスクの知る限り、プレイヤーはスタンドプレーに走りがちだった。
もちろん、実際に一人で行動しているプレイヤーは一握りだ。大抵は二人以上のパーティーを組む。ただ個別の戦闘を見た場合、一回ずつ一人のプレイヤーが担当するというパターンが多い。
それで事足りてしまうのだ。パーティーメンバーというのは、不意をつかれないための見張りの意味合いが大きい。そして一人で十分に戦えてしまうから、それ以上の工夫をしてこなかった。
今まではそれで良かった。そしてこれからも、普通にモンスターを狩る分にはそれでいいだろう。しかしアーキッドたちのようにクエストを攻略しようと思ったら、それではいけない。その怠惰のツケは、命で支払うことになりかねないのだ。
(そういう意味では、こうしてクエストの情報を入手できたのは幸運であったな)
アラベスクは手に持ったレポートを斜め読みで読み返しながら、胸中でそう呟いた。クエストに挑戦することなく、しかしその情報を得られたのは大きい。クエストに挑戦するのであれば、このままではダメなのだと知ることができたから。
「……幾つか聞きたいことがあるのだが、いいか?」
「ああ、いいぜ」
アーキッドのその返事を聞いてから、アラベスクはレポートを見直しつつ気になった部分を質問していく。そしてその内容を手早く書き留めた。幾つかぼかされた箇所もあるが、こうして情報を教えてもらっているのは完全に相手方の厚意なのだ。ユニークスキルのこともあるし、その程度のことは仕方ないだろう。
質問を終え、アラベスクは書き留めた内容を確認する。字が汚い。後で清書が必要だ。そのことに小さく苦笑してから、彼はさらにアーキッドにこう尋ねた。
「おい、アーキッド。このレポート、書き写させてもらうことはできるか?」
「ああ。譲るのはカンベンだが、そっちで勝手に書き写す分には構わないぜ」
軽い口調でそう答えたアーキッドに、アラベスクは軽く頭を下げて礼を言った。そして秘書のように働いてくれている女性プレイヤーを呼び、レポートを手渡して筆写と、ついでにメモの清書を頼む。少し微妙な顔をしつつ「分かりました」と頷く彼女に、アラベスクはさらにこう尋ねた。
「それで、どれくらいかかりそうだ?」
「この分量なら、夜までには終わると思います」
その返答を聞き、アラベスクはアーキッドのほうに視線を向ける。そして彼が頷くのを確認してから、アラベスクは女性プレイヤーに「それでは頼む」と言って作業に取り掛からせた。
彼女が自分用の机で筆写作業を始めると、アラベスクはふと思い出してシステムメニューを開いた。そしてカメラ機能を起動し、入り込もうとするアーキッドを追い払いながら、テーブルの上に置かれた巨大な魔昌石を写真に納める。これもまた、貴重な資料であり情報だ。
「なにか、大きさを比較できるものを置いておくといいぞ」
「む、そうだな」
アーキッドの助言に、アラベスクは一つ頷く。そして少し悩んでから、魔昌石の近くにグラスを置いた。夜な夜な晩酌を楽しむ際に使っている、愛用のグラスだ。少し小さい気もするが、コレでいいだろう。
それからアルバムを開き、撮った写真を確認する。大よそ意図したとおりの写真が撮れているのを見て、アラベスクは満足げに頷いた。するともういいだろうと思ったのか、アーキッドは魔昌石をストレージアイテムに片付ける。そんな彼にアラベスクはこう声をかけた。
「その魔昌石、後で他のプレイヤーたちにも見せてやってくれないか?」
そうすれば、クエストの難易度と〈キーパー〉の脅威を、たとえその残り香であったとしても、感じ取れるだろう。それが一つの刺激になればいい。アラベスクはそう思っていた。
「ああ、別に構わないぜ。ただ、お触り厳禁は徹底してくれよ?」
そう言われるとなんだかいかがわしいお店のような気がして、アラベスクは思わずため息を吐いた。意図的にそうしているのだろうが、こういう言い回しをされると彼としては眉をひそめてしまう。
アーキッドの方を見れば、彼はニヤニヤと笑みを浮かべていた。アレは絶対に分かってやっている。自分でも自覚している「お堅い部分」をからかわれたような気がして、アラベスクはもう一度ため息を吐いた。
まあ言い回しはともかくとして、あの巨大な魔昌石を多数のプレイヤーに公開する条件として、アーキッドが接触禁止の徹底を求めたのはごく当たり前のことだった。その理由を一言でいうのなら、盗難防止のためである。
この世界の、というかデスゲームのルールの一つとして、プレイヤーたちはモンスターを倒して魔昌石をポイントに変換することで収入を得ている。そして変換の際には通常、その旨を確認するシステムメッセージが出てくるのだが、これが毎回のこととなると鬱陶しくて仕方がない。
それでプレイヤーの多くはシステムの設定を変えてこのメッセージが出ないようにし、手に触れるだけで魔昌石がポイントに変換されるようにしている。アラベスクもそうだし、カムイや呉羽も同様だ。少し前まではアーキッドもそうしていたのだが、それだとあの巨大魔昌石に触れないので今は設定を変えていた。
つまり、そういう設定にしているプレイヤーに触られたら、あの巨大な魔昌石もあっという間にポイントに変換されてしまうのである。ポイント自体は取り返すことも可能だろうが、あの巨大魔昌石の価値はそれだけでは計れない。もう一度入手できるアテがない以上、弁償できるような代物ではないのだ。
「ああ、分かっている。警備はこちらで責任を持っておこなう」
アラベスクがそういうと、アーキッドは満足したように一つ頷いた。そして話は終わったとばかりに席を立つ彼を呼び止める。「なんだ?」と言って振り返る彼に、アラベスクはもう一つの用件を切り出した。
「実は今日の夜に、ちょっとした立食のパーティーを計画している」
「タイミングがいいな。……ってああ、いや、逆か」
苦笑を浮かべるアーキッドに、アラベスクは小さく頷きを返した。彼の言うとおり、偶然この日の夜にパーティーの計画があったわけではない。クエスト攻略の一報を受け取った日から、彼らが戻ってきた日の夜にパーティーを開けるようあらかじめ計画していたのだ。
「まあ、そういうことだ。お前達のパーティーは全部で十人だったな? 本来は参加費を徴収するのだが、今回は祝勝会の意味合いが強いし、お前達の分はこちらで負担するから、どうだ、出ないか?」
「ああ、構わないぜ。ウチのメンバーには俺のほうから連絡しておくよ」
「分かった。では、頼む」
「それと、美味い酒を用意してくれれば、口も軽くなると思うぜ?」
先ほど質問された際にぼかしていた事柄も、ついうっかり口を滑らせてしまうかもしれない。そのニュアンスはしっかりとアラベスクにも伝わった。上手く乗せられてしまったと思いつつも、しかしこれを逃す手はない。
「見繕っておこう」
アラベスクが苦笑しながらそう答えると、アーキッドは軽い口調で「よろしく」と言って今度こそ執務室を出て行った。その背中を見送りながら、さてどんな酒を出そうかとアラベスクは考える。
(とりあえず、度数の高いものを揃えておくか)
派手に酔わせて気持ちよく武勇伝を語らせ、根掘り葉掘り聞きだしてやろう。酔っ払いは話を誇張しがちなので全てを真に受けるわけにはいかないだろうが、レポートの情報とつき合わせれば事実をつかめるはずだ。少し意地悪くそう考え、アラベスクは人の悪い笑みを浮かべた。
ちなみに彼は酒豪に酔い潰され二日酔いで翌日を迎えることになるのだが、それはまあ余談である。
そして夜。祝勝会の会場となったのは広い練兵場だ。そこはすべて石畳に覆われているのだが、その内の何枚かはひっぺがえされて地面が露出している。そしてそこには浄化樹が植えられていた。拠点内にモンスターが出現するリスクを下げるための措置だ。それはカムイにも分かるのだが、彼はついこう呟いた。
「イスメルさんとガーベラさんが喜びそうだな……」
近くにいた呉羽とカレンも真顔で頷いていたので、どうやらこれは彼だけの感想ではないらしい。というかイスメルはさっそく浄化樹に縋りついてダメエルフっぷりを露呈している。植えられている浄化樹はまだ小さくて細いので、イスメルの愛の重さに耐え切れずに折れてしまうのではないかとカムイはちょっと心配だった。
「うん、肉食おう、肉」
醜態を曝すダメエルフからそっと視線をそらし、カムイは自分を鼓舞するようにそう言って、たくさんの料理が並べられているテーブルへと向かった。その後に呉羽とカレンも続く。
「……って、カレン。アレは?」
ダメエルフのことを“アレ”呼ばわりするカムイ。とはいえそれで通じるカレンも大概である。彼女は力のない笑みを浮かべて首を横に振り、虚ろな目をしながらこう答えた。
「もう諦めたわ……」
その言葉には万感の思いが篭っていた。常々イスメルの世話に奔走していたカレンの姿を思い出し、カムイと呉羽もそっと目頭を押さえる。あの苦労の果てにたどり着いた境地が「諦念」であるとは、この世はなんと無情なのであろうか。まあデスゲームなので無情なのは当然なのだが。
「まあ、悪さしているわけでもないし、ね」
イイ感じに恍惚としてきたのか、顔面が崩れまくっているイスメルから全力で視線をそらしつつ、カレンは自らの対応を正当化した。そして肩を叩いて慰めてくる幼馴染と友人に鋭い視線を向け、前々から言おうと思っていたことを口にする。
「というか、二人とも手伝ってよ。いつも一緒に稽古しているんだから、二人だってもう師匠の弟子みたいなものでしょう?」
その瞬間、カムイと呉羽は勢いよく視線をそらした。そして身を翻し、足早に料理が用意されているテーブルへと向かう。見事な敵前逃亡、いや戦略的撤退である。誰だって面倒は背負い込みたくないのだ。
「肉を食べよう、そうしよう」
「そうしよう、そうしよう」
「お酒も飲もう、そうしよう」
「そうしよう、そうしよう」
そんな言葉を交わしながら、妙に息の合った様子でスタスタと歩く二人。話自体を無かったことにしようという意図が露骨に感じられた。カレンはその展開についていけず一瞬だけ呆けてしまったが、すぐに我にかえって声を上げる。
「あ、こら! 待ちなさいッ!」
せっかく切り出した話をうやむやにされてはたまらない。なんとしても道連れを確保してやる。そう心に決めて、カレンはカムイと呉羽のあとを追った。もっともその十数秒後、二人から立て続けに好物を勧められてタイミングを逃し、さらに拠点のプレイヤーたちから攻略戦のことを聞かれて彼女の話は完全にお流れになってしまうのだが、それはまあ余談である。
余談ついでにもう一つ。前述したとおりこのパーティーでアラベスクはアーキッドに酔い潰され、まったく新しい情報を入手できずに二重の意味で頭の痛い思いをすることになった。
しかしアーキッド以外のメンバーは美食と美酒のおかげで口元が滑らかになっており、彼がぼかしていた事柄もペラペラと喋ってくれていた。後日それらの情報を繋ぎ合わせ、さらに筆写したレポートと突きあわせることで、アラベスクはアーキッドたちが行った〈北の城砦〉攻略作戦の全貌を大よそ把握することができたのである。
「祝勝会を開いた甲斐があってなによりだ……」
頭痛を堪えながらアラベスクはそう呟いたとかなんとか。なんにしても、クリア後とはいえクエストの情報を揃えることができたのは僥倖だった。この〈廃都の拠点〉の近くに別のクエストがあるのかは分からないが、いずれ挑戦する際には貴重な参考資料になるだろう。
(そのときのためにも……)
そのときのためにも、戦力の運用方法について、あれこれと試して経験値を溜めておく必要がある。すぐに役立つわけではないだろう。しかしやっておくだけの価値がある。アラベスクはそう思っていた。
ちなみに、彼のこのある種迂遠な対応こそが、カムイたちのうちの誰も【環境復元スフィア】については話さなかったことの証明になっている。
― ‡ ―
祝勝会の翌日、カムイたちはお昼ご飯を食べてから〈廃都の拠点〉を出発した。目的地は約束通り遺跡だが、行きとは違い帰りは点在するプレイヤーたちの拠点へ積極的に立ち寄ることにしている。
その目的は〈廃都の拠点〉の場合と同じだ。つまり、レポートや巨大魔昌石を見せて、クエストの難易度やそのボスモンスターであった〈キーパー〉の強さを喧伝することである。ついでにキキのユニークスキルである【PrimeLoan】でポイントを稼ぐつもりもあったようだが、こちらは本当におまけだ。
どこの拠点でもアーキッドたちは歓迎されたし、プレイヤーたちは新しい話題に飢えている。クエストの攻略や、これまでに見たこともない巨大モンスターの話に彼らはがぜん良く喰い付いた。
その上、ホラでも創作でもなく、歴とした実話なのだ。証拠である〈キーパー〉の巨大魔昌石も揃っている。プレイヤーたちのテンションがうなぎのぼりになるのも無理はなかった。
ただ全員が全員、アーキッドたちの話を興奮して聞いていたわけではない。アラベスクのようにいずれ自分たちがクエストに挑戦するときのことを想定しながら、彼らの話を聞いていたプレイヤーは一定数いた。そしてそのほとんどが、アーキッドの書いたレポートを書き写させてくれるよう頼むのだった。
「とはいえ全員だと時間がかかるんだよな……」
足止めされるのもなんだか面白くない。それでレポートの筆写は一つの拠点につき一つまでとした。後はその一つを回し読みするなり、また書き写すなりしてくれ、と言うことだ。多くの場合、拠点のまとめ役が最初に筆写していたので、あとのことは上手く取り計らってくれるだろう。
さて旅自体は順調だったが、それぞれの拠点で顔を合わせるプレイヤー全てが、気持ちのいい相手というわけではなかった。クエストを攻略し、巨大魔昌石という戦利品を引っさげて凱旋した彼らは、否応なしに目立つ。それは外から来たお客さんとしての目立ち方ではない。英雄としての目立ち方だ。そしてそれを快く思わないプレイヤーは確かにいたのである。
「調子に乗りやがって……」
ある拠点で聞こえるよう、忌々しげにそう言われてしまい、カムイもさすがに言葉を失った。慌ててあたりを見渡すが、誰が言ったのかは分からない。思わず顔をしかめて舌打ちした。
この程度の暴言、カムイや呉羽やカレンにとっては大したことはない。不愉快ではあるが、聞き流せばいいのだ。ただその時は間が悪く、リムが一緒にいた。悪態をつかれた彼女はすっかり怯え、顔が強張っていた。
「有象無象の戯言など、気にすることはない。聞き流せばよいのじゃ」
ちょうど近くにいたミラルダが、リムをふわりと抱き寄せてそう言った。そして優しく背中をさすってやる。そうしながら彼女は険しい顔をしているカムイと呉羽とカレンのほうに声をかけた。
「お主らも、犯人捜しなんぞせんでええぞ」
探し出したところで無駄じゃ無駄、とミラルダは手の代わりにご自慢の尻尾を振った。そうは言っても納得できていない様子の若者三人にクスリと笑みを向けてから、ミラルダは「ほれ、いくぞ」と彼らを促してその場を離れる。そしてその際、こんな置き土産を残した。
「なあに、不愉快ならもうここへは来なければよいのじゃ」
それを聞いたプレイヤーたちが小さくざわめく。カムイたちはこのとき気付かなかったが、この台詞は彼らではなく、むしろ周りにいたプレイヤーたちに聞かせるためのものだったのだ。
現状この世界において拠点間の移動はほとんど行われておらず、各拠点は孤立しているといっていい。当然、外の情報は入ってこない。アーキッドたちが先々で歓迎されるのは、物珍しさだけではなく、外の情報が聞きたいと言う事情もあるのだ。
それなのにこの暴言騒ぎで、彼らはもうここへは寄り付かなくなるかもしれない。それはつまり外の情報が得られなくなることを、この世界で孤立することを意味している。ミラルダの台詞からその可能性を突きつけられ、プレイヤーたちは慌てたのだ。
その様子をチラリと盗み見てミラルダは小さく、しかし意地悪げにほくそ笑んだ。彼女は何も、「ここへはもう来ない」と言ったわけではない。その可能性を示唆しただけだ。ただその可能性と言うヤツがなかなか厄介なのだ。
例えばこれから先一ヶ月間、アーキッドたちがこの拠点に立ち寄らなかったとする。ミラルダの先ほどの台詞がなければ、プレイヤーたちは「きっと遠くをぶらぶらしているのだろう」と思い、深刻には考えないはずだ。
しかし先ほどの台詞で「ここへはもう来ない」と示唆された後であればどうか。単に近くにいないだけなのか、それとも本当にここを避けているのか、プレイヤーたちには判断が付かない。メッセージで問い合わせることはできるだろうが、窓口になるのはアーキッドだ。適当に誤魔化されれば、それ以上は追求できない。
アーキッドたちがここへ来ないということは、情報が入ってこなくなるだけのことではない。万が一拠点を移動しなければならなくなった時に、彼らの力を借りることができない、ということだ。もちろん、彼らの力がなければ移動できないわけではない。しかし難易度は格段に上がるだろう。
向上薬を使わなければ身動きが取れなくなってしまうような、それほど瘴気濃度の高い場所というのは、実は結構ありふれている。プレイヤーが自由に活動できる範囲と言うのは限られているのだ。そして拠点を移動する場合には、どうしてもそういう場所を超えていかなければならない。
実際に行動を起こせば、実はそれほど難しくはないのかもしれない。しかし命に関わることだ。軽々しくは動けない。それにアーキッドたちに協力してもらえれば、安全かつ容易に移動できる事は分かっているのだ。それに劣る手段などに頼りたくはないだろう。
次第に彼らは不安になり、そしてその不安はあの暴言を吐いたプレイヤーに向かうだろう。村八分の状態にされるのかそれとも、とミラルダは腹黒く考える。
(ま、そこまで上手くいくとも思えんがの)
なんにせよ、ミラルダはただ一言いっただけ。それをどう受け取るかはあちら次第。その意地の悪さが、彼女なりの意趣返しだった。暴言を吐いた当人は最悪の未来を想像して震え上がっているかもしれないが、それこそ彼女の知ったことではないし、リムたちに教えてやるつもりもない。
彼が(あるいは彼女が)どういう状況にいたのか、それは分からない。もしかしたら攻略が上手くいかず、精神的にも財政的にも追い詰められていたのかもしれない。いずれにしても、一度発せられた言葉はなかったことにはならないのだ。ならばその責任は甘受してもらうべきだろう。
「さて、と。リムよ、どうじゃ、これから一緒に甘いものでも食べぬか?」
内心のあれこれは微塵も表に出さず、ミラルダは朗らかな声でリムを誘った。彼女がまだ少し強張った顔をしていると、ミラルダは満面の笑みを浮かべ三本の尻尾をご機嫌に揺らしながらさらにこう続ける。
「今日は特別に二つ食べてよいぞ?」
「じゃ、じゃあ、イチゴのクレープと杏仁豆腐が食べたいです」
リムが控え目にそういうと、ミラルダは「うんうん」と頷いて彼女の栗色の頭を優しく撫でた。そしてカムイと呉羽とカレンは、リムの表情が明るくなったのを見てほっと胸を撫で下ろすのだった。




