〈ゲートキーパー〉1
帰ってきてやったぞ。
― ‡ ―
〈キーパー〉を倒して攻略戦を終えた、その次の日の朝。カムイたちは〈北の城砦〉の跡地に来ていた。一応の名目は、この世界の遺跡である〈北の城砦〉の調査だ。アストールとロロイヤが、せっかくだからとそれを希望したのである。
しかしながら希望した本人たちを含め、そこまで大きな成果はだれも期待していない。なにしろ〈キーパー〉が暴れまわったことで、〈北の城砦〉は見る影もなく瓦礫の山へと変わってしまっている。仕方がないこととはいえ、「多くの貴重な情報が失われてしまった」とアストールは悔しげだった。
『ただまあ、遺跡なんて本来、そもそも瓦礫の山だがな』
肩をすくめながらそう言ったのはロロイヤだ。惜しいとは口にしつつも、彼に失望した様子は見られない。むしろあの河辺の遺跡のように、きれいな形で残っている遺跡の方が珍しいと彼は言う。それを聞いて、カムイはふとある可能性を思い浮かべた。
(もしかしたら……)
もしかしたら、この〈北の城砦〉は運営側がクエストに使うために再建したものだったのかもしれない。なんの確証もないただの思いつきだが、それくらいのことはむしろ嬉々としてやりそうだな、とカムイは思った。
さて〈北の城砦〉の調査だが、これは前述したとおり主にアストールとロロイヤの二人が行っている。二人は瓦礫の中をあちこち歩き回りながら、あれこれと熱心に意見を交わしていた。
ちなみに、熱中しすぎて周りが見えなくなっている二人のために、イスメルが護衛として少し離れたところにいた。ただ護衛と言うよりはお目付け役になってしまっているが、それは今更であろう。そのために彼女が選ばれたわけであるし。
一方、他のメンバーだが、アーキッドとミラルダ以外は【HOME】の外に出ている。その二人が何をしているのかと言うと、別にやましいことではない。今回の〈北の城砦〉攻略作戦の顛末について、レポートにまとめているのだ。
『ゲーム攻略のためには、貴重な情報だからな。記憶が鮮明なうちにまとめておきたい』
そう言ってアーキッドは部屋に引き篭もっている。まとめたレポートは基本的に個人用だが、希望者がいれば見せてやってもいいかもしれない、と彼は考えていた。ただ、複製するつもりは今のところないらしい。
『コピー機があればバンバン刷るんだけどな』
そんでプレイヤーショップに出品する、とアーキッドは嘯いていた。まあ出品うんぬんはともかくとしても、この世界では書き物を複製するには手書きで頑張らなければならないので、要するにそれが面倒くさかったのだ。
それとミラルダだが、彼女はアーキッドの付き添いである。レポートの作成にどう付き添いが必要なのかは分からないが、本人がそう言っていたのだから間違いない。きっとかいがいしく世話を焼いているのだろう。
それで残りの五人だが、外に出て何をしているのかと言うと、魔昌石の回収である。攻略戦ではかなりの数のモンスターを倒したが、その際魔昌石を回収している暇はなかった。それでこの時間を利用し、回収作業に勤しんでいるというわけである。
まず回収したのは、城砦の外に落ちている分だ。城砦の外は基本的に荒野で草も生えていないから、目立つ魔昌石を見つけるのは簡単だった。主に呉羽とカムイの二人が周囲を警戒しながら、五人はほどほどに散らばって魔昌石の回収に励んだ。
(魔昌石と言えば……)
魔昌石と言えば、カムイの脳裏に浮かぶのは〈キーパー〉が残したあの巨大な魔昌石である。長さが約1.2m、厚みが最大で約40cmもあったあの巨大魔昌石は、今のところアーキッドが管理している。つまり当面はポイントに変換しないことにしたのだ。
『写真でもいいけど、やっぱり実物の方が迫力があるからな』
せいぜい見せびらかしてやるさ、とアーキッドはおどけて見せていたがこれはもちろん冗談だ。いやもしかしたら冗談ではないのかもしれないが、それより重要なのは〈キーパー〉の強さを喧伝することである。
今更説明する必要もないことだが、このデスゲームではモンスターを倒すと魔昌石が手に入る。そして魔昌石の大きさは、倒したモンスターの強さにだいたい比例することが知られていた。要するに大きな魔昌石と言うのは、それだけ強力なモンスターがいたことの証拠になるのだ。
多くのプレイヤーにとって、一体一体のモンスターは恐れるには足らない存在だ。そのため、いわばナメてしまっていることも多い。しかし全てのモンスターに、特に〈キーパー〉のような例外的に強力なモンスターにまでそういう態度で挑んでいては、無用な被害が増えるばかりであろう。
ただ、突然現れて驚いていたこともあり、アーキッドたちは誰も〈キーパー〉の写真を撮っていなかった。だからその強さについていくら説明しても、それは結局彼らの主観でしかない。まったく信じないということはないだろうが、それでも聞く人の多くは話半分に受け取るはずだ。
だが残されたあの巨大な魔昌石を見せれば、その話の信憑性は一気に増す。アレを見れば〈キーパー〉の強さの、残り香くらいは感じ取れるはずだ。それで気を引き締めてくれれば十分であろう。一方であの魔昌石をポイントに変換すれば一体どれほどになるのか、それも気になる。ただ上記のような理由から、それが分かるのは多少先の事になりそうだった。
(ポイントと言えば……)
ポイントと言えば、もう一つカムイが気になっていたことがあった。〈キーパー〉に止めをさした、あの〈爆裂石〉のことだ。〈爆裂石〉は魔昌石に術式を施した使い捨ての魔道具だが、使用すれば例えモンスターを倒していなくても、相応のポイントを得ることができる。そしてそのポイントは使用した魔昌石に、それを変換した場合に得られるはずだったポイントに依存するのだ。
そして〈キーパー〉にとどめを刺す際、ロロイヤが使用した〈爆裂石〉は、ダチョウの卵ほどの大きさの魔昌石を加工したものだった。〈キーパー〉がドロップした魔昌石には及ばないが、こちらも平均的な大きさをはるかに上回っている。つまり通常よりはるかに多くのポイントが得られているはずなのだ。そしてカムイのその予想は当っていた。
【瘴気を消費した! 130,428Pt】
後でロロイヤから見せてもらったポイント獲得のログにはそう記されていた。13万Ptというのは、一つの魔昌石から得られるポイントとしては破格というか別格である。そしてこうなるといやがおうでも〈キーパー〉がドロップした魔昌石のポイントが気になった。
『100万は超えてくるだろうな』
『いやいや、1,000万に届くんじゃないのか?』
昨日の夜は、そんな景気のいい話で盛り上がったものである。ただ暫くはポイントに変換しない予定なので、実際の数字が分かるのは先のことだ。だからこそ期待が増すのだが、まあそれはそれとして。
「カムイ、そっちはどう?」
「これで、だいたい拾い終えたと思う」
足もとに転がっていた魔昌石を拾い上げ、カムイはカレンにそう答えた。彼が手に持った魔昌石は、すぐにシャボン玉のエフェクトに包まれて消えていく。ポイントに変換されたのだ。
「コッチもだいたい終わったわ。まあ、探せばまだあるかも知れないんでしょうけど……」
「探すなら、アッチを先にした方がいいだろうな」
カムイがそう言うと、カレンも「そうね」と応じて頷いた。それから少し離れたところにいた呉羽たちに声をかけ、彼らは城砦(跡)へと向かう。そこにもかなりの量の魔昌石が残っているはずで、それを回収するのだ。
ただ、先ほどまでと比べるとかなり面倒である。〈北の城砦〉は〈キーパー〉によって派手に破壊されており、そのため魔昌石も瓦礫の下に埋もれている場合が多い。それで、回収するためにはまず瓦礫をどかさなければならず、それが億劫だったカムイは周辺の警戒を名目にサボりを決め込むことにした。
(それにしても、よく倒せたよなぁ……)
周辺の瓦礫の山を眺めながら、カムイはしみじみとそう思った。もちろん〈キーパー〉のことだ。戦闘中はアドレナリンが出まくっていたおかげで恐怖は感じなかったが、こうして戦場跡を歩きながら思い返してみると、今更のように震えがこみ上げてくる。少なくとも一対一なら、絶対に勝てなかったはずだ。
とはいえ、クエストのボスモンスターなのだから、強いのは当然だろう。そしてボスを倒した戦利品も、その強さに見合うものだった。あの巨大な魔昌石のことではない。【環境復元スフィア】のことだ。
〈キーパー〉を倒したとき、ドロップしたのは魔昌石だけではなかった。まったく初めてのことだが、一緒に【環境復元スフィア】なるアイテムもドロップしていたのだ。数は全部で二十個。カムイたちが十人であったから、一人二個の計算である。
この【環境復元スフィア】なるアイテムについて、詳細な説明はどこにもなかった。ただシステムメニューには新たにその項目が追加されていたし、細切れの情報を繋ぎ合わせれば概要くらいは見えてくる。
カムイは少し高い位置から周囲を見渡した。カレンたちは瓦礫に四苦八苦しつつも、魔昌石の回収を続けている。周辺にモンスターの影はない。加えて呉羽も警戒を続けている。それを確認してから彼はシステムメニューの画面を開いた。そして機能追加された【環境復元スフィア】の項目をタップする。そのページにはこんな情報が載せられていた。
【環境復元スフィア:ボルネシア地方】
Serial-No1:所有者――――
Serial-No2:所有者――――
Serial-No3:所有者【Kamui】
Serial-No4:所有者――――
Serial-No5:所有者――――
【環境復元スフィア:イム・イルル地方】
Serial-No1:所有者【Kamui】
Serial-No2:所有者――――
Serial-No3:所有者――――
Serial-No4:所有者――――
Serial-No5:所有者――――
たったこれだけしか記されていないが、しかしここまででも読み取れる情報は結構ある。まず【環境復元スフィア】というくらいだから、このスフィアは要するに「環境を復元するためのマジックアイテム」なのだろう。そして復元される環境とは、この世界が瘴気に飲み込まれる前の環境であると考えてまず間違いない。つまり【環境復元スフィア】とはこの世界を再生する上で切り札となるアイテムなのだ。
ただし、使用制限もある。【環境復元スフィア:ボルネシア地方】となっているくらいだから、それぞれのスフィアは指定された地方でしか使えないと考えるべきだ。ちなみにドロップした二十個の【環境復元スフィア】はすべて違う地方のもので、同じ地方のものは二つとしてなかった。
次に、それぞれのスフィアにはシリアルナンバーが割り振られている。つまり「○○地方の何番目」といった具合に、個々のスフィアを特定できるというわけだ。さらにシリアルナンバーは五番目までだから、一つの地方にそれぞれ五つの【環境復元スフィア】が割り振られていることになる。
そして、これが最も重要なことだとカムイは思うのだが、このメニュー画面には所有者のプレイヤーネームが記載されている。つまり同じ地方のスフィアであれば、誰が何番目を持っているのか、自分のメニュー画面から確認できてしまうのだ。
しかも、スフィアの所有権は簡単に移動する。手渡ししただけで所有者の欄の名前が変わることは、昨日すでに確認済みだ。ちなみにこの場合、所有権を失った側は、そのスフィアについてメニュー画面から参照することができなくなる。
だから例えば、カムイが【環境復元スフィア:ボルネシア地方】を呉羽に手渡した場合、彼のメニュー画面からはそのスフィアについての情報が消える。代わりに呉羽のメニュー画面に追加されて所有者の欄には彼女の名前が記載されるのだ。
要するに、システム的に所有権を書き換える必要がないのだ。となれば「力ずくで奪う」とか「殺してでも奪う」とか、そういう事を考えるプレイヤーは必ず出てくる。
(デスゲーム、か……)
眉間にシワを寄せながら、カムイは心の中で呟いた。この仕様はプレイヤーの間でスフィアを奪い合わせることを想定しているとしか思えない。いや、煽ってさえいる。これはアーキッドやロロイヤも同じ意見だった。
「くそったれめ」
小さくそう吐き捨てる。このデスゲームが始まって以来の感想として、カムイは「運営側は真面目にゲームをする気がないのだ」と思っていた。それならこんなところだけデスゲームを煽らなくたっていいではないか。彼がそこはかとない悪意を感じるのも無理からぬことだった。
(落ち着け……)
カムイはガジガジと頭を乱暴にかきながら、自分にそう言い聞かせた。スフィアの所有者の名前を確認できる仕様が、デスゲームを煽るためのものであることはまず間違いない。しかしながら、「今のところそこまで心配する必要はない」というのがアストールやアーキッドの意見だった。
理由はいくつかある。第一に入手自体が困難なこと。第二に入手できたとしても、同一地方のスフィアである確率は低いと言うこと。そして第三に仮に所有者のプレイヤーネームが判明したとしても、この世界の状況からしてすぐさま強奪などの行動に移るのは難しいこと、などだ。
そしてそこまで説明すると、アーキッドは唐突に「地図を出して見てみろ」と言った。首をかしげつつもカムイが言われた通りに地図を広げると、彼はさらにこう続けた。
『その地図に記載されている範囲が、要するにこれまでに俺たちが歩き回ってきた範囲だ』
その広さは、今のところ世界一だ。そのうたい文句でプレイヤーショップに出品しているのだから間違いない。
『そしてこの範囲の中で、〈北の城砦〉みたいな場所は他にはない。少なくとも、俺たちは知らない』
アーキッドがそういうと、ずっと彼と一緒に旅をしていたメンバーも皆一様に頷いた。地図は完全に埋まっているわけではないので確かなことはいえないが、しかし彼らが知らないと言うことはこの地域にいるどのプレイヤーも知らないということだ。つまり少なくともこの範囲内で、近いうちに別のクエストが攻略される可能性は低いと言える。
『〈魔泉〉は、どうなんですか?』
『〈魔泉〉か……。アレは確かにヤバイが、何ていうか作為的な気配を感じないんだよな』
つまり主を含め自然現象ということだ。運営側が関わっていないのであれば、そこにクエストが用意されていることはないだろう。
『それに、主がそう簡単に倒されるとも思えないしな』
『……まあ、そうですね』
そう言ってカムイが一応納得した様子を見せると、アーキッドは一つ頷いてからさらに話を続けた。つまりこの近辺で誰かが新たに【環境復元スフィア】を入手する可能性は低いと言える。
逆を言えば誰かがスフィアを手に入れたとしても、それはこの地図の範囲外である可能性が高いのだ。となると、そのプレイヤーがカムイのスフィアを奪おうと考えた場合、まずは長距離の移動をしなければならなくなる。この、瘴気まみれの世界で。
『居場所を突き止めるだけなら、【導きのコンパス】でも使えばなんとかなる。だけど、そっから先が難しい』
この世界は高濃度瘴気が漂う一帯によって分断されている。そこを超えることは難しい。いや正確な距離や最高濃度が分からない以上、足を踏み込むのは自殺行為と言っていいだろう。
立ちはだかるのは高濃度の瘴気だけではない。この場合、純粋な距離こそが最大の問題だろう。何しろ世界規模での話なのだ。その上、カムイたちがいた世界のように交通機関が発達しているわけでもない。大陸の端から端ということになればどれだけの時間がかかるか分からないし、別大陸ということも十分に考えられる。その場合、海を渡るのは現状ほとんど不可能と言っていい。
そしてその問題が解決される頃には、すでにスフィアはそこまで価値のあるモノではなくなっているだろう、とアーキッドやアストールは考えていた。世界中を比較的自由に移動できるなら、それはもうすでにゲームクリア目前と考えられるからだ。
『……ま、そんなわけであんまり心配する必要はないと思うぞ、少年』
からかうような笑みを浮かべながら、アーキッドはそう言った。ただ、そうは言いつつも油断しているわけではない。【環境復元スフィア】が非常に重要かつ貴重なアイテムであることは、彼も理解している。それでスフィアのことはしばらく秘密にしておくことが昨晩の話し合いで決まっていた。レポートにもスフィアのことは書かないそうだ。
ただ、すでに知っているメンバーの間でさえ触れないでおくのは無意味だ。むしろ積極的に検証を行う方がずっと前向きだろう。都合のいい事に、この周辺に他のプレイヤーはいない。盗み聞きを心配する必要もないのだ。
『ま、これ以上の難しい話は明日にしようぜ』
そう言って、昨日アーキッドは【環境復元スフィア】についての話を打ち切った。難しい話が、しかも長くなると思ったのだ。しかもこの後にはクエスト攻略の祝勝会も控えていたから、確かにそういう話をする雰囲気ではなかった。そんなわけで今日の夜、また改めてスフィアについて話し合いをすることになっている。
(推測でもなんでもいい。とにかくもっとよく知らないと……)
それが他のプレイヤーに対するアドバンテージになるはずだ。デスゲームを煽る要素が現れたからには、優位に立てる部分で優位に立っておかないと、後々後悔する羽目になる。カムイはそんな気がした。
さてカムイがそんなことを考えていると、ふとアストールの姿が目に入った。相変わらず調査に没頭している様子だ。邪魔をするのも悪いので声はかけないでおこうと思ったのだが、不意に顔を上げた彼と目があった。
「やあカムイ君。魔昌石はたくさん見つかりましたか?」
微笑んでそう問い掛けるアストールに、カムイは「まあぼちぼちです」と苦笑気味に答えた。「そうですか」と応じるアストールは機嫌良さげだ。きっと調査が楽しいのだろう。カムイはそう思った。
「トールさんのほうはどうですか。何か面白いものでもありましたか?」
「これと言った手がかりはまだ何も。ただ、面白いものならありましたよ」
写真を撮っておきました、とアストールが言うので、興味をそそられたカムイは足もとに気をつけながら彼のもとへ向かった。そして彼が表示した写真を覗きこむ。そこに映っていたのは、なんと言うことはない、ただの水溜りだった。
「これは……?」
それを見てカムイは首をかしげた。面白いものには見えなかったからだ。しかしアストールが「間違えた」といって写真を取り替える気配はない。ということはやはり、これが彼の言う「面白いもの」なのだろう。
(一体何が……?)
眉間にシワを寄せ、首をかしげつつ写真を眺めること十数秒。カムイはようやくそのことに気付き、「あっ」と声を上げた。その水溜りの水は、透明だったのだ。
「この水、瘴気に汚染されてない……!」
「そうです。まさにそれです」
まるで問題に正解した生徒を褒めるかのように、アストールは深く頷いてそう言った。この世界の水はすべからく瘴気によって汚染されている。少なくともカムイが目にしてきたものはそうだ。
例外は三つ。アイテムショップで購入したもの、リムが浄化したもの、カムイが瘴気を吸収して取り除いたもの、だ。しかしこの水溜りの水は、その三つのどれにも当てはまらない。
「やっぱり、クエストと関係があるんでしょうか?」
「そう考えるのが自然でしょう。そもそも、あの瘴気の量は異常でしたから」
それを聞いてカムイは重々しく頷いた。アストールの言葉はあの黒いドームや〈北の城砦〉が纏っていた超高濃度の瘴気のことを、そしてなにより〈キーパー〉とその回復能力のことを思い出させる。
カムイは今まで、あの瘴気は周辺からかき集めてきたものなのだろうと思っていた。その推測は決して間違ってはいないのだろう。しかしこの写真を見ると、どうやらそれだけではなかったらしい。
水が透明であると言うことは、つまり瘴気が含まれていないと言うことだ。しかし綺麗な水が自然に湧き出している、というのは考えにくい。誰かが意図的に取り除いた、と考える方が合理的だ。
では、一体誰が? カムイたちに覚えはないし、この近辺に彼ら以外のプレイヤーはいない。さらにこの場所にクエストが用意されていたことを考えれば、それを行ったのは恐らく運営側であろうと推測できた。つまり周辺から集めた瘴気だけでは足りなかったので、水から瘴気を取り出してそれも使った、と言うことだ。
その水がどこから来たのかはわからない。水路を使って近くの川からでも引き込んだのか、あるいは井戸が掘ってあるのか、はたまた雨水が溜まっただけなのか。いずれにしてもあれだけ大きな城砦だったのだから、駐屯する兵士たちに水を供給するための設備は整っていたはずだ。
つまりあの戦闘中ずっと、新たな瘴気が供給され続けていた可能性が高いのだ。それがどれほどの量なのかは分からない。少しずつとはいえ浄化作業によって瘴気濃度は下がっていたし、黒いドームの撤収はそれを嫌ってのことだろうから、あまり大量ではなかったのだろうとは考えられる。
ただ少なくとも〈キーパー〉相手に持久戦を仕掛けていたら、すり潰されていたのはきっとカムイたちの方だったかもしれない。その可能性に今更ながらに思い至り、カムイは思わず嘆息した。
「そこまでして難易度上げなくていいのに……」
口調が恨めしくなるのはこのさい仕方がないだろう。そんな彼に苦笑しつつ、アストールは宥めるようにこう言った。
「あのスフィアにはそれだけの価値がある、ということでしょう」
その言葉に、カムイは苦笑しながら頷いた。おそらくアストールの言うとおりであろう。環境を復元すると言うことは、つまり生態系を再生するということだ。多種多様な動植物がこの世界に舞い戻ってくるのである。
同じように生態系を回復させることが、スフィアなしには決して出来ない、とは言わない。アイテムショップがあるし、リクエスト機能もあるし、なんだったらガーベラのユニークスキル【植物創造】もある。できないことはないだろう。
しかし多額のポイントが必要になることは目に見えている。いや、ポイントだけで済む話ではない。生態系を再生するということは、数万数億種に及ぶ動植物を育成し、持続可能な状態にするということだ。
そのプロジェクトを計画し、遂行し、そして完了するには一体どれほどの手間と時間がかかるのか。しかもそれが世界規模である。ちょっと想像しただけで、カムイは眩暈がしそうだった。どう考えてもスフィアを使った方が楽なのは明白だ。
難易度の問題は目を瞑るとしても、スフィアを使った方がだんぜんお得だ。必要経費がかからない、ということだけではない。恐らくだが、スフィアを使えば逆にポイントが手に入る。カムイはそう考えていた。
ポイントはその行動が世界の再生に資すると判断された場合に発生する。そして環境を復元するのは、確実に世界の再生に資する。だからスフィアを使用すればポイントが発生するというのは、筋の通った推論だろう。
しかしカムイが考えているのはそれ以上のことである。カナンが生まれてから、両親であるシグルドとスーシャには「子孫をもうけた」という名目でポイントが、それも毎日発生している。同じことが【環境復元スフィア】にも起きるのではないか。彼はそう考えたのだ。
(復元して、甦った動植物が増えれば……)
その時、ポイントが発生するのではないか。彼はそう考えていた。現時点では都合のいい憶測でしかないが、そう的外れでもないはずだ。そしてその憶測が見事に的中すれば、スフィアの価値は今考えているものと比べ何倍にもなる。運営が手を出してくるのに足る価値と言えるだろう。
改めて【環境復元スフィア】の価値の大きさを思う。カムイが所有する二つのスフィアは以前使っていたボディバックタイプのストレージアイテムに仕舞い、さらにそれを腰のストレージアイテムに仕舞っている。いわば、二重に隠しているのだ。とはいえもっとセキュリティ対策をするべきかもしれない。
さてそんなことを考えていると、不意にロロイヤがアストールを大声で呼んだ。どうやら何か見つけたらしい。
「お~い、アストール! ちょっとこっちに来い!」
「あ、はい! いま行きます! ……それじゃあカムイ君、また後で」
「お気をつけて」
そう言ってカムイはアストールの背中を見送った。それから彼はまた小高い瓦礫の山の上に戻る。すると今度は呉羽がその姿を見つけて彼の名前を呼んだ。
「カムイ、ちょっと魔力を回復してくれないか!?」
その要請に、カムイは思わず苦笑を浮かべた。どうやら瓦礫をどかすのに【草薙剣/天叢雲剣】の力を使いすぎ、魔力が足りなくなったようだ。〈魔法符:魔力回復用〉は昨日の〈キーパー〉戦で使い切ってしまい、さらに新たな補充もしていない。アストールは調査に熱中しているし、そうなると〈魔法符:トランスファー〉を使ってカムイから直接魔力を融通してもらう以外、回復のアテはないのだ。
「あいよ、今行く!」
そう言ってカムイは瓦礫の山を下り、呉羽のところへ向かった。そして腰のストレージアイテムから〈魔法符:トランスファー〉を取り出す。そこでふと彼の悪戯心がニョキリと首をもたげるが、呉羽は敏感にも不穏な空気を察したらしい。訝しげな顔をしながら、こう釘を刺した。
「ちゃんと〈オドの実〉を使えよ?」
「そりゃもちろん」
おどけるようにカムイがそう応えると、呉羽はますます表情を険しくした。そして諦めたようにため息を吐いてから、彼女はカムイに右手を差し出す。ここまで期待されると調子に乗ってしまいたくなるが、しかし彼女の左手が【草薙剣/天叢雲剣】の柄を握っているのを見てカムイも自重した。さすがに、ジョークに命は賭けたくない。
「……それで、魔昌石集めのほうはどんな感じだ?」
カムイは握手をするように呉羽の右手を握った。手と手の間には〈魔法符:トランスファー〉が挟まっている。そして言われたとおり〈オドの実〉を使って呉羽の魔力を回復しながら、カムイは彼女にそう尋ねた。
すると呉羽はとたんに苦笑を浮かべる。その顔を見て、「どうやら成果は思わしくないようだ」とカムイはすぐに察した。そしてそれを肯定するかのように、呉羽が肩をすくめながらこう答える。
「思った以上に数が少ないな。それに瓦礫が邪魔だ」
「そっか」
カムイは短くそう応じた。魔昌石の数が思った以上に少ないというのは、瓦礫に埋もれてしまっているから、というのもあるのだろう。しかしそれ以上に絶対数が少ないんだろうな、とカムイは思った。
考えてみれば当たり前の話だ。城砦の外ではだいたい一日半程度戦ったが、城砦の中では半日程度しか戦っていない。しかもわりとすぐに〈キーパー〉が現れたから、通常のモンスター相手の戦闘はあまりしていない。戦利品であるところの魔昌石の数が少なくなるのも当然だった。
「おかげで魔昌石を探しているのか、それとも瓦礫の撤去作業をしているのか、ちょっと分からなくなっているよ」
「はは、お疲れ様」
「というかお前も手伝え」
ギロリと睨まれ、カムイは慌てて視線をそらした。魔力の回復は終わったので手を放そうとするのだが、しかし呉羽はガッシリと握って放さない。というか強く握られすぎて手が痛い。恐るおそる視線を戻すと、ニッコリと微笑まれた。「逃がすか」と副音声が聞こえてきそうなイイ笑顔である。
「……そういえば、モンスターはどんな感じだ?」
無駄な抵抗と知りつつ、カムイは露骨に話題をそらす。無視されるかと思ったが、意外にも呉羽はその話題に応じた。
「ちょこちょこ出ているぞ。瘴気濃度も1.0を超えているしな」
瘴気濃度を測ったのは今朝のことだ。数値は1.08。決して高いわけではないが、呉羽の言うとおり1.0は超えている。それなりの量の瘴気があるわけで、モンスターが出現するのは決して不思議ではない。というか、当たり前の現象だ。だからカムイが聞きたかったのもそういう事ではない。
「それは知ってる。そうじゃなくて、種類は?」
「ああ、そういうことか。確かに人型はいないし、攻城兵器の類も見ないな」
それを聞いてカムイは頷いた。確かに呉羽の言うとおり、今日はこれまでに人型や攻城兵器タイプのモンスターを見ていない。クエスト攻略中はむしろそれしか出現しなかったのに、まるっきり傾向が変わってしまった。
いやこの場合、傾向が変わったと言うよりは元に戻ったと言うべきなのだろう。クエストのために変えられていたものが元に戻ったのだ。それはクエストが本当に終わったのだという事を二人に強く意識させた。
「勝った、んだなぁ……」
「ああ。今度は逃げずに済んだ」
しみじみと、カムイと呉羽は頷きあった。脳裏に浮かぶのは〈キーパー〉で、そこに重なるのは〈魔泉〉の主。二人にとって因縁の相手だ。〈キーパー〉の姿を見たときには、強烈にトラウマを刺激された。
しかし、それを乗り越えた。もちろん〈キーパー〉と〈魔泉〉の主は違う。しかも〈キーパー〉の方が格下である。その上、〈魔泉〉周辺の環境はここよりはるかに苛酷だ。そして何より、今回は味方に恵まれた。
それでも今なら、とカムイは思う。今なら、〈魔泉〉の主相手でもできる事がある。少なくとも、味方を見捨ててただ逃げるだけだなんて、そんな情けないことにはならない。その自信がある。それこそが今回のクエストで得た最大の収穫かもしれない。彼はそう考えていたし、きっと呉羽も同じだろうと思っていた。
「ええい!」
さて二人がなんだか感傷に浸っていると、勇ましくも可愛らしい声が響いた。見ればリムが杖を振り上げてモンスターに打ちかかっている。杖には【浄化】の力が込められていたらしいく、見事に一撃でモンスターを倒していた。
「リムちゃんも成長したなぁ……」
「しかも〈セイクリッドバスター〉じゃなくて物理で倒すというね……」
実際には【浄化】の力も使っているはずなので純粋に物理的な攻撃力だけで倒したわけではないのだが、それはそれとして。
「やっぱり釘バットが必要だな」
「まあ釘バットはともかく、あの様子だと、近接用の武器を一つ見繕っておいてもいいかもしれないなぁ」
メイスなんてどうかな、と呉羽は呟いているがカムイは反対だった。基本的に金属の塊であるメイスは、リムの細腕で振り回すには重すぎる。ここはやはり釘バット一択であろう。
「……さて、と。そろそろ私たちも戻らないとだな。いくぞ、カムイ」
モンスターも出現することだし、いつまでもあの三人だけにしておくわけにはいかないと思ったのだろう。そう言って呉羽はカムイの手を引いて歩き出した。彼は少しつんのめりながら、されるがままにその後についていく。
手を握るその強さはいつの間にか弱くなっていて、振り払おうと思えばいつでもできただろう。けれど繋いだ手の温かさがなんだか惜しくて、カムイは結局そのままにしておくのだった。




