〈北の城砦〉攻略作戦12
「おはようございます……」
攻略作戦二日目の朝。リビングに下りてきた呉羽は、彼女にしては珍しく覇気のない顔をしていた。どうやら寝不足らしい。「遠足が楽しみだったのか?」とカムイがからかうが、彼女は応じるのも億劫な様子で、頭を抱えながらソファーに座った。
「コーヒーでも飲むか? 泥のように濃いヤツ」
一発で目が覚めるぞ、とアーキッドが勧める。しかしそれを聞いた呉羽はぎょっとして顔を上げると、ブンブンと首を横に振ってそれを辞退した。なにやら必死なその様子にカムイは首をかしげたが、深く追求する気もない。「気分の問題だろう」と勝手に納得し、すぐに忘れた。
「しかし大丈夫なのですか? そんな体調では……」
「あとでポーション飲んでおくので大丈夫です……。どうぞお気になさらず……」
心配そうなアストールに、呉羽は力なくそう答えた。ポーションを飲まなければ攻略作戦に支障をきたす体調ということなのだが、それはもう今更だ。そしてポーションというマジックアイテムが栄養ドリンク的扱いになっているのも今更である。
さて朝食を食べ終え、呉羽が【中級ポーション】を飲み干して体調を回復すると、一同は黒いドームへと向かった。攻略作戦二日目の始まりである。やる事は基本的に昨日と変わらない。つまり防御を固めつつ、ひたすら瘴気を浄化するのだ。ただ、昨日危うく防御が破られそうになったことの反省をふまえ、今日からは新たに対策を講じることになっていた。
「そんじゃアストール、頼むぜ」
「はい、始めます」
そう言ってアーキッドに頷きを返してから、アストールは〈翼持つ城砦〉の障壁に庇われた位置で地面に片膝をついた。そして腰のストレージアイテムから昨日の晩に用意した〈聖銀糸〉を六束取り出す。ちなみにこの〈聖銀糸〉は細いミスリル製の針金に、術式を刻印して魔道具化したものである。
この六束の〈聖銀糸〉を、〈エクシード・マギ〉を使って六方向に敷設する。これを使って〈雷樹・煉獄〉を素早く発動できるようにするのだ。ただ地面に這わせるだけでは、城壁の上からの攻撃や、出現したモンスターによって切断されてしまう危険性が高い。それで〈聖銀糸〉は地中に敷設することになっていた。
ただ、問題もある。地中に敷設するのは安全だが、しかし格段に面倒くさいのだ。やってやれないことはないが時間がかかる。すると時間に比例して魔力の消費量も多くなっていくわけで、〈聖銀糸〉の敷設が完了するまでにアストールは一度自分の魔力を回復しなければならなかった。
「もうちょっと簡単にできるかと思ってたんだがなぁ……」
見込みが甘かった、とアーキッドは苦笑する。ただ苦笑で済んでいるのは、簡単に魔力を回復させる手段があるからだ。それが出来なければ作戦を根幹から見直さなければならなかっただろう。
「すみません……。私の手際が悪いばっかりに……」
「なに、丁寧な仕事には時間がかかるもんさ。実質的には何も問題ないしな」
申し訳なさそうにするアストールに、アーキッドは明るい声でそう返した。それに彼が〈聖銀糸〉の地中敷設をするのはこれが初めて。二回目以降はもうちょっと手際も良くなるだろう。
さて、少々苦労した〈聖銀糸〉の埋設であるが、それ以上の効果をすぐに発揮した。昨日と同じく城砦側はカムイたちを排除せんと様々な手を打ってくるのだが、そのほとんど全てを〈雷樹・煉獄〉で焼き払うことができたのだ。
城砦側が仕掛けてくる攻撃は、その回数も一回毎のモンスターの数も、昨日より明らかに多い。つまり昨日得た情報をもとに、本格的に排除に乗り出してきたということだ。対策を講じていなければ、撤退を余儀なくされていたに違いない。
しかし実際のところ、戦闘の負担は昨日よりも軽かった。確かに敵の攻勢は激しかったが、カムイたちの側には常に余裕があった。それは何も、戦闘能力に限っての話ではない。気持ちの面も含めてのことだ。
(勝ったな……)
気が早いかもしれないが、アーキッドはそう思った。彼の目の前では、城砦から出てきたモンスターの一団が紫電によって焼かれている。さっきから何度も繰り返されている光景だ。敵がどんな手を打とうとも、すべて危なげなく対処できている。
城砦側はこちらが少数であることを把握しているだろうから、いま仕掛けているのは恐らく消耗戦だ。つまり戦力の質では敵わないから、物量で押しまくり、疲弊させてすり潰そうというわけである。
体力切れを狙っているのか、それとも魔力切れを狙っているのか。どちらにしても、このままいけば先に擦り切れるのは城砦側だ。数は少ないかもしれないが、作戦継続能力において、自分たちは敵を上回っている。そのことをアーキッドは確信していた。
しかしながらこの時、アーキッドは城砦側の能力、いや性質について失念していた。敵が情報を収集し、それに基づいて対策を講じてくることを忘れていたのである。いや、忘れていたというよりも、軽く見ていたというべきかもしれない。つまり城砦側は彼の予想を越える手を打ってきたのである。
異変が起こったのは、お昼間近の時間だった。ドームの中は常に強い風が吹いていたのだが、その風がさらに強くなったのである。強風と言うよりはもはや暴風であり、目を開けていることさえちょっと困難だった。
「きゃあ!?」
暴風にあおられバランスを崩して転びそうになったリムを、ミラルダが尻尾を使って優しく支える。アーキッドが一旦固まるように指示を出し、さらにそこへ呉羽がユニークスキルの力を使って結界を張った。
そうやって尋常ではない暴風をしのぎつつ、カムイはふと城砦のほうへ視線を向けた。するといくつもの黒い筋が、渦を巻くようにして城砦へと取り込まれていく。その光景を見てカムイは確信する。城砦側が瘴気を回収しているのだ、と。
なぜ、と疑問に思うのは当然だろう。しかし冷静になって考えてみれば理由は明白だった。モンスター軍団にとって瘴気とは戦力、ひいては戦闘継続能力そのもの。これまでおよそ一日半の間、それを一方的に浄化され続けているのだ。しかも敵を排除するための方策はことごとく破られ、その上消耗戦に屈する気配もない。
城砦側に情報を収集して分析し、それを基にして対策を講じる能力があるのなら、このまま消耗戦を続ければ押し切られて負けるのは自分たちであることくらい分かるはずだ。それを避けるために、城砦側はこうして瘴気を回収することで、自分達の力を温存するとともに、容易に浄化されないようにしているのである。
「なかなかどうして状況判断が的確じゃないか……!」
そう言ってアーキッドが獰猛に笑った。この黒いドームが城砦の防衛機能の一つであり、その展開と撤収が任意に行えるのであれば、彼であっても同じ判断をしただろう。ドームの目的は敵の侵入と行動を阻害すること。しかしカレンがいれば、ドームは無力化できる。それどころか高濃度の瘴気が拡散されているから、効率よく浄化するためにはかえって好都合だ。
このように、ドームはむしろプレイヤー側を利するものとなっている。ならその撤収は当然の判断だ。もう少し浄化を続けて瘴気の絶対量を減らせればよかったのだが、まあ仕方がないなとアーキッドは気持ちを切り替えた。もともと困難な作戦になると覚悟はしていたのだ。戦意を挫かれたりはしない。
(まあ、予想以上であることは否定できないがな……)
心の中でそう呟き、アーキッドは苦笑した。彼が考えた今回の作戦は、要するに「全ての瘴気を浄化する」ということ。攻略法としては邪道だろう。少なくとも攻城戦からはかけ離れている。
その邪道さが、今回の作戦の妙だったといってもいい。つまり邪道であるゆえに、ゲームのアルゴリズムではうまく対応できないという、そういう状況をアーキッドは狙っていたのだ。不確実な期待なのでメンバーには何も話していないが、彼はそういうこともありえると思っていた。
しかし実際にはこうして的確に対応されてしまった。アルゴリズムが優秀なのか、それとも知性を持った存在が適宜指示を出しているのか、それは分からない。しかしなんにしても、そうそう楽に勝たせてはくれないようだ。アーキッドは気を引き締めなおした。
「アストール、カムイ。今のうちにメンバーの魔力を回復させておいてくれ」
城砦側が瘴気を回収していく様子を見据えながら、アーキッドは二人にそう指示を出す。まさか瘴気を回収してそれで終わりと言うことはないだろう。必ず次なる手を打ってくるはずだ。
やがて、瘴気の回収が終わる。黒いドームは跡形もなく無くなった。暴風もやみ、呉羽は結界を解除する。吹き荒れる高濃度瘴気のせいで悪かった視界も、今ではすっかり晴れていた。瘴気濃度もかなり下がっていることだろう。
しかしその一方で、〈北の城砦〉は禍々しさを増していた。目に見えて分かるほど、まとう瘴気の量が増えている。魔王城というよりも、むしろ〈北の城砦〉そのものが一個の化け物であるようにさえ見えた。
(さあ、どうくる……?)
〈翼持つ城砦〉の障壁を維持しながら、アーキッドは城砦側の出方を窺う。静まり返った戦場に、やがて鈍い飛翔音が響いた。
「おいおい……」
アーキッドのその呟きをかき消すようにして、巨大な岩石のようなモノが城砦から飛ばされてくる。それはアーキッドたちが固まっていた場所を大きく外れて着弾したが、その際に大きな地鳴りと地響きを起こした。
コレが直撃したら障壁はもたない。アーキッドはそう直感したし、彼以外のメンバーも似たような感想を抱いた。相手に危機感を持たせる。その意味で言えば、敵のこの一撃は大成功を収めたと言っていい。しかもこの一撃は彼らが思う以上に厄介なものだった。
「あ……、アードさん、あれ……!」
地面に着弾して大きく転がった巨大な岩石のようなモノ。カレンの指差す先で、それが数体のモンスターへと変化する。それを見てアーキッドは顔をしかめた。そして同時にコレと似たような話を聞いていたことを思い出す。確か〈軍団〉についての話のなかで出てきたはずだ。
「……投石器、か」
アーキッドは小さくそう呟いた。つまり城壁の内側から、投石器で巨大な瘴気の塊を投擲しているのだ。廃都の拠点ではアレに城壁を破られて大きな被害を出したと聞く。直撃はしていないから正確にはわからないが、確かにそれくらいの威力はありそうだ。その上、着弾後にはこうしてモンスターまで出てくる。実に厄介な兵器、と言えるだろう。
現れたモンスターはそう多くない。しかしイスメルがそれを片付ける前に、二発目が城壁の向こう側から放たれる。今度はアーキッドたちを挟んで一発目とは反対側に着弾した。そしてまたモンスターが現れる。
「……っ」
アーキッドが顔を歪める。ただ、彼は二発目の着弾点を見てはいなかった。彼が見ていたのは城壁の上。そこにいて、なにやら指示を出しているように見えるモンスター。ソイツを見つけて、彼は舌打ちしたい気分になった。
「スポッター、か……!」
観測手のことだ。こちらから投石器の姿が見えないと言うことは、あちらからも少なくとも直接はこちらの姿は見えない。見えない相手に幾ら投擲したところで当るものではない。だから観測手を置き、一発ごとに精度を上げていく。当たり前の戦術ではあるが、やられる側としては厄介なことこの上ない。
(それでも、そう簡単に当るとも思えんが……!)
投石器はそもそも古代の攻城兵器だ。つまり狙うのは巨大な城や要塞。対人兵器として使うとしても、狙うのは軍勢だろう。十人程度というのは、的として小さすぎる。ただマーフィーの法則と言うか、可能性がある以上いつかは当る。のんびりと構えている暇はない。
二発目で現れたモンスターは、キキとロロイヤが射撃の的にして倒した。瘴気の塊を放ってくる以上、攻撃の度に城砦側はその度に身を削っていると言える。その意味では消耗戦の続きと言えるが、しかしこの程度の消費などむこうにとっては痛くも痒くも無いだろう。
「さて、どうするか……」
アーキッドがそう呟いていると、三発目が放たれた。彼は〈翼持つ城砦〉を操作して青い閃光を放ち、迎撃を試みる。しかし思うように当らない。結局迎撃して撃ち落すことは出来ず、三発目は彼らの後ろに大きく外れて着弾した。
さらに間髪を入れずに四発目が放たれる。どうやら投石器は複数台あるな、とアーキッドは思い舌打ちした。台数が多ければその分攻撃が激しくなるのは自明だ。当る確率だって高くなる。
もっとも、四発目も外れる軌道に見えたので彼は手出しをしなかったのだが、代わりにリムが動いていた。派手な地鳴りと地響きに不安を掻き立てられ、どうやら動かずにはいられなかったらしい。
「瘴気なら、これでぇ!!」
杖を構えて光を放つ。【浄化】の力を束ねて放つ、〈セイクリッドバスター〉だ。その一撃は飛んでくる瘴気の塊を見事に捉え、そして浄化することで完全に消し去った。それを見てアーキッドは「さすが」と感心したように呟く。しかしその一方で、それではダメだということも彼は見抜いていた。
さらに五発目が放たれる。今度は何となく当りそうな軌道だ。それを見たリムは再び杖を構えるが、力を練り上げる時間が足りない。間に合わないことを悟り、彼女は顔面を蒼白にする。
迫り来る瘴気の塊を成すすべなく見上げていると、そこへ【ペルセス】に跨るイスメルが割り込んだ。彼女は両手に握った双剣を無尽に振るって〈伸閃〉を放つ。細切れにされた瘴気の塊は“塊”としての形を保てなくなり、モンスターを生み出すことなくただの瘴気へと戻った。
「アード、指示を」
自身のユニークスキルたる【ペルセス】に跨り城砦を見据えたまま、イスメルはアーキッドに指示を求めた。それからチラリと後方を確認し、それからさらにこう続けた。
「あまり時間もありません。後ろからも敵が来ています」
「うしろ……?」
「ええ。南から川を越えて。団体さんです」
「……っ! そりゃ、自分達の拠点が危なくなれば帰って来るのは当然か……!」
アーキッドは苦々しげに呻いた。つまり川の南側の荒野で出現したモンスターが、川を越えてこちら側へと向かっているのだ。早く方針を決めなければ挟み撃ちにされ、本当の意味での消耗戦に引きずり込まれる。
「ったく……! 今日は昼メシ抜きだな」
そう言ってアーキッドは獰猛な笑みを浮かべた。その言葉を聞いて、メンバーはそれぞれ表情を引き締めて一つ頷く。彼の決断は前進だった。勝つためには前に進むしかないのだ。
とはいえ遮二無二に前へ進んでも勝てるというものでもない。そのことをミラルダはこんなふうに指摘した。
「ふむ。まあ一食くらいはいいとして、夜はどうするつもりじゃ?」
昨日の瘴気濃度の推移からいって、当初の作戦通り全ての瘴気を浄化しきるには、計算上さらに数日を要する。つまり今日中にこの目的を達するのは難しいと言わざるを得ない。となれば当然、どこかで撤退を視野に入れなければならないだろう。前進を選択したとはいえ、アーキッドもそのことは承知していた。
「暗くなる前には退く」
「さて、そう簡単に退けるかのう?」
「退くさ。最悪、城砦を廃墟に変えてでもな」
アーキッドがそう言い切ると、ミラルダは満足げな笑みを浮かべて頷いた。城砦をなるべく傷つけずに戦う、というのが今回の攻略作戦の前提だ。「城砦を廃墟に変える」ということは、その前提を撤回することに他ならない。
もちろん、アーキッド自身「最悪」と言っているように、それは最後の手段だ。しかし前提に固執してメンバーを無用な危険に曝すことはしない。アーキッドはそう約束したのだ。
さて話は決まったが、しかしすぐに動けるわけではなかった。アーキッドはまずアストールに〈聖銀糸〉を回収させる。その間にも投石器で巨大な瘴気の塊が飛ばされてくるが、そちらはイスメルがすべて細切れにして対処した。
ただ、飛んでくるのは瘴気の塊だけではない。イスメルが障壁の外へ出ているのを好機と思ったのだろう。城壁の上から弓矢や魔法が雨あられと降り注いだ。もちろんそんなものに当ってくれるほど、イスメルは優しい性格をしていない。加えて【ペルセス】には【守護障壁】の能力がある。この障壁は〈翼持つ城砦〉のそれより優秀だから、当ったところで弾かれるのがオチだったろう。
とはいえ、だからと言って何もしないわけにはいかない。アーキッドは〈翼持つ城砦〉を操作して青い閃光を放った。狙いは城壁の上にいるモンスターたち。イスメルへの攻撃を緩和するのが目的だが、「投石器のスポッターを潰せれば」とも考えている。
(まあ、たぶん無理だろうけどな……)
アーキッドは内心でそう苦笑した。潰せないわけではないだろう。ただ、潰したところで別のモンスターが肩代りするだけだ。とはいえ最初からついでである。アーキッドは構わずに青い閃光を降らせた。
「アーキッドさん、回収終わりました!」
回収した〈聖銀糸〉を腰のストレージアイテムに仕舞いながら、アストールがそう声を上げた。それを聞いてアーキッドがニヤリと笑みを浮かべる。彼は左右にいるカレンとカムイに視線を送り、それから正面を見据えてこう言った。
「リム、キキ、アストール、爺さん。遅れるなよ。イスメルはそのまま投石器に注意。ミラルダと呉羽は後方を頼む」
彼の指示にメンバーがそれぞれ返事を返す。それを聞いて彼は一つ頷いた。そしていよいよ前に出る。
「それじゃあ、行くぜ!」
そう言ってアーキッドは地面に立てていた〈翼持つ城砦〉の大盾を持ち上げた。左右のカレンとカムイもそれに倣う。そして三人はそのまま呼吸と速度を合わせて小走りに駆け出した。
その動きに応じて、城壁の上から攻撃が集中した。だが、〈翼持つ城砦〉は発動状態を維持している。すべて障壁が弾き返した。そしてそのままアーキッドらは一直線に正門を目指す。そこへ正面から魔法と太矢投射機の太矢が撃ち込まれた。
「ちっ……! やっぱそう簡単にはいかないか……!」
アーキッドは舌打ちを漏らした。正門を閉ざす鎧戸の向こう側には、太矢投射機を構えたモンスターと魔導士タイプのモンスターが見える。彼らは濃すぎる瘴気に紛れるようにしながら、アーキッドたちを近づけまいとして鎧戸の穴からでたらめに攻撃を放つ。
もちろん、それらの攻撃はすべて障壁で防いでいる。しかし逆を言えば、そのために障壁を解除できない。しかも敵は篭ってしまっていて、〈翼持つ城砦〉では排除しにくい位置だ。
「クレハ、頼む!」
迷うのは一瞬。アーキッドはすぐに呉羽を呼んだ。彼女は呼ばれるとすぐに後方から飛んできて、〈翼持つ城砦〉が展開する障壁の前に降り立った。
当然、攻撃は呉羽に集中する。しかし彼女はそれをものともしない。太矢投射機の太矢を切り払い、魔法を纏った風で弾く。そして正門の様子を見て何が問題なのかを大よそ察したのだろう。アーキッドの指示を待たず一気に駆け出した。
呉羽を呼び止める声はない。アーキッドも彼女を信頼している。そしてその信頼に彼女も応えた。
「〈烈風衝〉!」
呉羽が愛刀を水平に突き出す。放たれるのは、巨大な空気の塊そのものだ。そして鈍器と化した空気が、鎧戸に張り付くモンスターたちを吹き飛ばした。
倒せてはいない。倒すためには、ちょっと間合いが遠いのだ。城砦が纏う超高濃度瘴気は外にも滲み出ていて、【守護紋】の有効範囲外にいる呉羽はそのせいで自分の間合いまで近づけないのだ。しかし時間稼ぎとしては十分だった。後ろからアーキッドたちが追いついてきたのである。
正面からの攻撃は、呉羽のおかげで止んでいる。投石器も、鎧戸まで数メートルという位置まで近づけば無力化したも同じ。ただ城壁の上からの攻撃が止むことはない。それどころか一層激しさを増している。まだ〈翼持つ城砦〉の障壁は解除できない。それどころか防御特化にして頭上を守らなければならなかった。
このままでは篭るだけで何も出来ない。その状況を打開したのはイスメルだった。彼女は【ペルセス】に跨ってアーキッドたちの頭上に陣取ると、【守護障壁】を発動する。ただし、かなり大きく。
イスメルは空中にいるので、【守護障壁】は球形だ。カムイが見上げてみると、その直径は10mくらいあるように見えた。言ってみれば、巨大な球形の盾が彼らの頭上に現れたのである。その頼もしい盾は、城壁の上から放たれる弓矢や魔法をすべて防いだ。そしてイスメルが叫ぶ。
「今です!」
「よし、リム! 撃て!」
「はい! 〈セイクリッドォォ……、バスター〉!!」
アーキッドが〈翼持つ城砦〉の障壁を解除する。そして間髪いれず、リムが大盾の間から杖を突き出して〈セイクリッドバスター〉を、溜め込んだ【浄化】の力そのものを放った。
射線上には呉羽がいる。しかしリムは躊躇わなかったし、呉羽も避ける素振りを見せなかった。【浄化】の力は瘴気に対してのみ作用する。言い換えれば、プレイヤーには無害なのだ。フレンドリーファイアを気にしなくていい攻撃は、こういう時に至極便利である。
「リム、出来る限り維持! アストール、魔力を回復してやってくれ!」
「は、はい!」
「了解です!」
アーキッドの指示に、二人は揃って返事をした。そして言われたとおりリムは〈セイクリッドバスター〉を維持し、アストールは〈ユニゾン〉の魔法でカムイと魔力同調し、さらに〈トランスファー〉でリムの魔力を回復する。
「……っ!」
一瞬、アストールは顔をしかめた。知ってはいたが、〈セイクリッドバスター〉の魔力消費量は桁違いに多い。それを実質的に維持しているのはカムイが供給する魔力だった。そしてアストールの役どころは、その魔力を通すためのパイプだ。大量の魔力が自分を通り過ぎていく感覚は、まるで身体中の血液が逆巻いているかのようだった。
さて呉羽は光の奔流の中にいた。嫌な感じは少しもしない。それどころか温かくて、大好きな温泉に浸かっているような気さえした。とはいえ、このままいい気分にひたっているわけにもいかない。彼女は自分の仕事をちゃんと理解していた。
リムが放つ〈セイクリッドバスター〉は、二重の鎧戸を貫いて城砦の内部にまで達している。少し離れたところから見れば、一筋の光が闇の中へ突き刺さっているように見えただろう。
つまり城砦が纏う超高濃度瘴気は、いわばトンネルが掘られた状態になっているのだ。そしてそのトンネルの中にモンスターはいない。動くには絶好の機会だった。
呉羽は愛刀を構え直すと光の中を駆け出した。そして立ちはだかる鎧戸を大きく、具体的には〈翼持つ城砦〉を運ぶ三人が横に並んだまま通り抜けられる程度の大きさに、斬り捨てて道を開いた。そして5mほど奥にあるもう一つの鎧戸も同じようにする。これで城砦内に侵入するためのルートができた。
「よしっ!」
一仕事を終えて一つ頷くと、呉羽は身を翻し来た道を急いで戻った。〈セイクリッドバスター〉の維持には魔力だけでなく気力も使う。つまりリムの負担が大きいのだ。あまりのんびりとしていては、彼女が息切れしてしまう。
戻った呉羽は、〈翼持つ城砦〉の大盾を飛び越えて後方に着地する。それと同時にアーキッドが合図を出してリムが〈セイクリッドバスター〉を止めた。そして「行くぞ!」という声を合図にして、彼らはまた駆け出す。その時リムが少し遅れてしまったのだが、呉羽が後ろから優しく抱き上げて他のメンバーの後を追った。
彼らは大盾を前面に押し出しながら、呉羽が開けた鎧戸の穴を通ってついに城砦の中へと侵入した。ただし、敵が黙ってそれを見過ごすはずもない。彼らが二つ目の鎧戸へたどり着く前に、剣や槍をもったモンスターたちが殺到してくる。
思わずアーキッドが足を止めた。それに合わせてカレンとカムイも足を止める。また障壁を張るのかと思ったが、しかしそれより先にキキとロロイヤがそれぞれ大盾の間から得物を突き出した。
「撃つべし」
そう言ってキキは〈流星衝〉と〈トール・ハンマー〉を、ロロイヤは無言のまま〈光彩の杖〉で魔法陣を描き、そしてそれぞれ発動させて殺到してくるモンスターを迎え撃った。固まっていたモンスターが次々と閃光に貫かれ、あるいは吹き飛ばされて瘴気へと還っていく。しかし本命はこの次だった。
「〈フレイム・エンチャント〉……。いきます!」
アストールが〈テトラ・エレメンツ〉を発動させる。その瞬間、火災旋風が集まってきていたモンスターを焼き払い一掃した。ちなみにその熱風の余波は呉羽が防いでいる。
モンスターを片付けると、アーキッドたちは再び前へと進んだ。ただし、ほんの数歩だけ。二つ目の鎧戸を通り抜けたところで、三人は大盾を下ろし改めて〈翼持つ城砦〉を発動させたのである。厄介な敵が現れたわけではない。もともとそのつもりだったのだ。
この位置ならば、敵はほとんど正面からしか攻めることができない。障壁を発動させておけば、まさに鉄壁だ。さらにここなら撤退も容易である。挟み撃ちだけは要注意だが、それでも全方位をぐるりと包囲されるよりはマシだ。
障壁を展開して守りを固めると、アーキッドはさらに青い閃光を降らせ始めた。超高濃度瘴気のせいで視界は最悪だ。ほんの数メートル先までしか見えない。とはいえこの城砦内にモンスターがごまんと詰めているのは確実なのだ。デタラメに撃ってもそれなりに当るだろう。建物を破壊してしまうような威力ではないので遠慮も要らない。
さてそんなアーキッドの後ろでは、リムがまた瘴気の浄化を始めていた。「全ての瘴気を浄化してしまう」という作戦目的は変わっていないのだ。さらに呉羽とロロイヤがそれぞれ風を操作して瘴気を呼び込み、浄化作業の効率を上げた。
「そうだ、アストール。ミラルダとイスメルに後方の警戒を頼むと伝えてきてくれ」
「分かりました」
そう言って一つ頷くと、アストールは来た道を小走りで戻った。城砦の外では、ミラルダとイスメルが背中を合わせて戦っていた。ただそれはお互いの死角をカバーするというよりも、お互いの獲物を取らないようにするという意味合いの方が強いようにアストールには見えた。
「お二方! 後方の警戒を頼むと、アーキッドさんからの伝言です!」
「心得た! イスメルよ、ここは妾に任せて、お主は鎧戸のところで退路を確保しておくのじゃ」
「……そうですね、そうしましょう」
ミラルダの指示に、イスメルは少し考えてから従った。挟み撃ちを避けるためにも、退路の確保は確かに重要だ。しかしながらミラルダのその指示は、実のところ方便だった。彼女は思いっきり戦いたいからイスメルに退けといっているのである。
そのことに勘付きつつも、イスメルはミラルダの指示に従った。彼女はこれまでに一度も本気で戦ったことがない。別にそのことでフラストレーションを溜め込んでいたわけではないが、しかし今ようやくその機会を得たのだ。多少浮かれても無理はないし、邪魔をするのも野暮だろう。
トンッ、と軽やかに地面を蹴ってイスメルはミラルダから距離を取った。そして言われたとおり鎧戸のところ、つまりアストールのすぐ近くまでやって来る。途中何体かモンスターがいたのだが、すべて鎧袖一触に斬り捨てていた。
「そうだ、アストールさん。魔力を回復してもらえませんか?」
珍しくイスメルがアストールにそう頼む。なんでも、先ほどの【守護障壁】で結構消耗してしまったそうだ。アストールも二つ返事で請け負い、すぐに〈トランスファー〉で彼女の魔力を回復させる。そしてそうしながら、アストールは少し心配そうにイスメルにこう問い掛けた。
「……ミラルダさんは大丈夫でしょうか?」
「心配はないでしょう。自信がないのに『任せろ』というような方ではありません」
二人がそんな会話を交わしていると、彼らの目の前でミラルダが〈獣化〉した。巨大な九尾の姿になると、彼女は躍動しつつその九本の尻尾を縦横無尽に使ってモンスターを吹き飛ばしていく。その光景は象が蟻を駆逐していくかのようだった。
しかし川を越えて南からやって来るモンスターは流石に数が多く、また限りがない。さらに北側の城門から外へ出たと思しきモンスターたちも殺到してくる。ただこの場合、数が多いことだけが問題なのではない。この全てがミラルダを標的として襲い掛かってくるのであれば、彼女は悠然と構えていられただろう。だがモンスターの目的は彼女を倒すことではなった。
モンスターの目的はただ一つ。南側の城門を確保し、城砦の中に入ったアーキッドたちを挟み撃ちにすることである。そのためにモンスターたちの行動は大きく二つに分かれた。つまり一方がミラルダを足止めし、その間にもう一方が正門へと向かうのだ。
現在、正門のところにはイスメルが待機している。彼女は確かにダメエルフだが、戦場においては彼女ほど頼もしい存在もいない。当然、ミラルダもイスメルを信頼している。彼女がいる限り、正門が破られることはないだろう。
しかしミラルダは「任せろ」と言ったのだ。なにより味方に気を使わなくていいこの戦場は、初めて九尾としての力を思う存分発揮できる彼女のための舞台。ここで気張らねば、女が廃るというものだった。
「コォォォォォオオオオオ!!」
咆哮を上げながら、ミラルダは九本の尻尾を開放する。その瞬間、黄金色の光が爆ぜた。そしてその光がくまなく戦場を巡り、そして覆っていく。
「これは……、魔力糸……?」
そう呟いたのはアストールだった。彼はこの黄金色の光の正体がミラルダの魔力であることをすぐに察した。そしてその光が戦場を巡っていく様子を見て、彼女が魔力を細い糸状にしていることに気がついたのだ。糸と言う発想がすぐに思い浮かんだのは、彼自身が魔力を糸状にして用いたことがあったからだろう。あるいはミラルダのほうがそれを参考にしたのかもしれないが、それはそれとして。
ミラルダの魔力糸の出所は、その九本の尻尾である。ご自慢のその尻尾を覆う毛の一本一本から、黄金色の魔力糸を伸ばしているのだ。その総数は億に届くだろう。ミラルダはまるでゆらめく後光を背負っているかのようだった。
その張り巡らせたまさに無数の魔力糸を使い、ミラルダは領域内の全てのモンスターを蹂躙していく。その空間制圧能力たるや圧倒的である。そして同時にアストールは納得する。「任せろ」というはずだし、これは確かに味方が近くにいては使えない。
「ですが、これでは魔力が……!」
魔力がもたない。アストールはそう直感した。ミラルダが張り巡らせた黄金色の魔力糸は確かに強力で、しかもカバーする範囲は広い。となれば、それを維持するために必要なる魔力もまた膨大になることは、想像に難くなかった。
しかしこの場合、彼の心配は杞憂だった。〈獣化〉したミラルダは身体能力のみならず、魔力量においてもトップクラス。さらに重要なこととして、妖狐族は「その尻尾に魔力を溜め込み、必要に応じて引き出し使うことが出来る」という特性を持っていた。つまり魔力を貯蓄できるのだ。
しかも溜め込める魔力量は、尻尾の数に比例するわけではない。本人が持っているもともとの量を基準として、尻尾の数の二乗に比例するのだ。つまり一尾であれば1倍の量しか溜め込めないが、二尾であれば4倍、三尾であれば9倍の魔力量を溜め込めるのである。これが妖狐族において尻尾の数が非常に重要になってくる理由だった。
さて、ミラルダは神獣にも等しいとされる九尾だ。つまり81倍の魔力量を尻尾に溜め込んでおくことが出来る。もちろんそのためには相応の時間が必要になるわけだが、彼女はこれまで全力で戦ったことは無かったし、魔力を貯蓄する時間は十分にあった。ようするに限界まで溜め込んであったのである。
その、いわば魔力のヘソクリとでも言うべきものを大盤振る舞いし、ミラルダは戦場に張り巡らせた無数の魔力糸を維持し、そしてモンスターを薙ぎ払っていった。数時間しかもたないだろうが、暗くなるまでならそれで十分だった。
溜め込んだ魔力はすべて使い果たしてしまうことになるが、それも問題ない。アストールとカムイがいれば、一晩で回復することが可能だ。それでミラルダは後顧の憂いも無く、十全に力を振るえる満足感と万能感に身を任せるのだった。




