〈北の城砦〉攻略作戦11
正門から新たな部隊が現れたその頃、呉羽は敵騎兵隊を追い回していた。いや、翻弄されていた、といった方が正しいかもしれない。一騎ずつ着実に倒してはいるが、しかし思うようには倒せないでいたのだ。
「くっ……! 〈風切り〉!」
呉羽が風の刃を放つ。その攻撃は敵を一騎豪快に切り裂いた。しかし彼女がその攻撃を放つと同時に、後ろに回りこんでいた敵が隙を見て矢を射掛けてくる。飛び交う矢をすべて回避することは難しい。そのため呉羽は常に風の防壁を展開しておく必要があった。
風の防御は消費も少ないので、維持に心配はない。ただこれを展開していると、〈雷鳴斬〉などの大技が使えない。さらに敵騎のなかには障壁目掛けて特攻をかます気配を見せるものもいて、そういうヤツは優先的に潰さなければならない。おかげで呉羽は敵をまとめて薙ぎ払うことができず、窮屈な戦いを強いられていた。
「ちぃ……!」
舌打ちしつつ、呉羽は周囲に視線をめぐらせた。そしてその際に見つけてしまう。騎兵隊のさらに後ろ、敵の新たな部隊が破城槌を運んで突進していく様子を。その先にいるのはもちろん、障壁に篭ったアーキッドたちである。
「……ッ!」
反射的に呉羽は血の気が引いた。そして破城槌を排除するために動こうとするが、ここぞとばかりに騎兵隊がそれを邪魔する。今まで近づいてこようとしなかったのに、わざわざ四方から体当たりを仕掛けてきたのだ。しかも複数の組が連続して。さらに同士討ち覚悟で矢が打ち込まれる。
呉羽は〈風刃乱舞〉を展開してそれを迎撃する。彼女自身はかすり傷一つ負わないが、しかしその反面動くことができない。その間にも敵の新たな部隊は破城槌を持ち、猛然と目標との距離を縮めていく。さらに呉羽の身動きを封じているのをいいことに、何騎かが障壁の方へ突撃を開始した。体当たりするつもりなのだ。
(まずい……!)
本当にまずい。呉羽は必死に打開策を探した。そしてある手を思いつく。以前に考えたのだが、直接的に敵を倒せるわけではないし、また近くに味方がいると迷惑がかかるので、一度はボツにした技だ。しかしこの状況を打開するには、その技に頼るしかないように思える。
ぶっつけ本番だが、やるしかない。そう決め、呉羽は右足で地面を強く踏み鳴らす。その瞬間、大地が震えた。
――――〈震脚〉。
それがこの技の名前だ。剣技とは言いにくいが、もちろん【草薙剣/天叢雲剣】の力を使っている。簡単に言えば、局地的な地震を引き起こす技だ。ここは何もない荒野だし、これだけで敵を倒せるわけではない。しかし突然起こった地震は、モンスターのバランスを崩すには十分だった。
体当たりを仕掛けようとしていた騎兵たちが、揃って横転する。その隙を突いて、呉羽は包囲網を脱出する。そして破城槌を破壊せんとそちらへ視線を向け、目を見開いた。
白夜叉のオーラで出来た浄化樹。背の低い苗木のようなそれが数十本も、障壁の外側、大盾の前面に萌え出ていたのである。それらの白い浄化樹は徐々に成長し、またさらに数を増やしていく。
カムイの仕業だ。呉羽はそう直感した。何をどうしているのかについては、今は考えない。それより彼が手を打っているということの方が重要だ。アレだけで破城槌を防げるかは別としても、最低限時間は稼げるはずだ。となれば優先順位を変えたほうがいい。
呉羽は〈瞬転〉を使い、障壁に体当たりせんと駆ける敵騎兵の方へ向かった。その際、もう一度〈震脚〉を使って敵のバランスをさらに崩しておく。これで数秒くらいなら邪魔が入ることはないだろう。そして、その数秒があれば呉羽には十分だった。
高速移動したスピードそのままに、呉羽は騎兵の横っ腹を蹴り飛ばす。馬もろとも蹴り飛ばされたモンスターは、隣にいた別の騎兵を巻き込んで地面に倒れた。さらに地面に転がったそれらのモンスターが後続の足を取り、障壁に突撃しようとしていた一団は次々と倒れた。
しかし全てではない。特に先頭にいた騎兵は、無傷のまま突進を続けている。呉羽は地面に足を付くと、すぐさまその後を追った。ちなみに〈震脚〉を置き土産にして後続をさらに混乱させておくのを忘れない。
「はああああ!」
障壁へ突撃する騎兵を、背中から大きく斬り裂く。その際、騎手だけでなく馬も斬るのがコツだ。騎手と馬はそれぞれ別のモンスターなので、馬を残すと馬だけでも突撃してしまうのだ。
騎兵を始末した呉羽は、障壁の側面に着地する。勢いが付きすぎていて、うまく止まれなかったのだ。そして膝を曲げて衝撃を吸収し、もう一度大きく跳躍した。向かうのは転倒して混乱する後続の騎兵集団だ。ちなみに跳躍した際の衝撃が結構大きくて障壁が震えていたりするのだが、それはまあいい。
呉羽は空中で愛刀を逆手に持ち直し、転倒しているモンスターたちの真ん中に着地すると同時にその切っ先を地面に突き刺す。そして〈土槍・円殺陣〉を発動。モンスターたちを串刺しにして、その全てを屠った。
素早く立ち上がって愛刀を正面に構えつつ、呉羽は視線を動かして破城槌部隊のほうを確認する。そちらはすでに白い浄化樹林に足を踏み入れていた。しかしそこではアブソープションの力が働いている。モンスターにとっては人喰い樹林といってもいいだろう。実際、踏み込んだモンスターたちは苦しげな呻き声を上げていた。
だがそれでも、彼らは足を止めない。スピードはずいぶん落ちたが、しかし確実に前へと進む。それを見て呉羽は迷い、しかし一秒にも満たない時間で決断した。
(スピードは落ちた。時間はまだある。先に騎兵を片付ける!)
そう決めると同時に、彼女は駆け出した。瞬間移動じみた高速移動で、一気に残存騎兵隊の中へ踊り込む。都合のいい事に、散開していたはずの騎兵たちは、呉羽を追ってきたのかある程度まとまっている。すかさず彼女は〈震脚〉を使い、騎兵たちの動きを大きく阻害した。それから手早くモンスターを片付けていく。
(カムイ、もうちょっともたせてくれよ……!)
さて呉羽がそんなことを考えていた時、カムイは意識が真っ白に塗りつぶされそうになるのをなんとか堪えていた。いや、堪えるだけではない。堪えながら、〈エクシード〉を発動して、白夜叉を制御していたのである。
イメージしているのは以前にロロイヤから見せてもらった、暴走してしまったときの写真。そこには白夜叉のオーラでできた浄化樹が無数に映っていた。カムイはこれを再現することで敵を足止めし、あわよくばそのまま吸収してしまうことで倒してしまえないかと考えたのだ。
ただそのためには一つ問題があった。白夜叉のオーラを障壁の外へ出す必要があったのだ。カムイはその問題を、オーラを浄化樹に変化させた上で、さらに意識して根を伸ばすことで解決した。つまり地中を通すことで障壁の外へ出したのだ。
そして伸ばして障壁の外へ出した根から、また新たな浄化樹を成長させる。それを繰り返すことでカムイは浄化樹を増やし、短時間のうちに数十本の浄化樹を障壁の外側に展開させたのだ。
浄化樹の本数が増えるのに比例して、カムイが吸収するエネルギー量も跳ね上がる。彼はもう目の前の光景さえ良く分からなくなっていた。しかしそれでもまだ、暴走することなく白夜叉を制御している。
破城槌を構えたモンスターたちが、白い浄化樹林へと足を踏み入れる。それをカムイは視覚的に捉えることはできなかった。しかし自らが制御する白い浄化樹に、瘴気の塊が触れたのは分かった。
(……、……!)
思考はもはや言葉ですらない。反射であり、ある種の本能だった。浄化樹の生存欲求とでも言うべきものが表に出てきているのだ。それに従い、いや利用して制御処理を軽くしつつ、カムイはさらに瘴気を欲する。
「ギィィィィイイイイ!?」
モンスターが絶叫を上げる。身体を構成する瘴気を徐々に奪われているのだ。今のカムイはその音を絶叫とは理解していないが、しかし吸収するエネルギー量が増え、さらに瘴気の塊の動きが緩慢になっていることは分かる。つまり彼の思惑通りだ。
このまま破城槌を含め、モンスターの瘴気を喰い尽す。この時のカムイは言葉でそう考えたわけではなかったが、ともかくその方向でカムイは活動を続けた。しかし敵もさるもので、白い浄化樹林の中をゆっくりとではあるが着実に進む。そしてついに破城槌の先が障壁に到達した。
ガツンッ! という強い衝撃。障壁それ自体が震えたようにさえ感じた。一度の攻撃で障壁が破壊されることはなかったが、しかし何度も繰り返し攻撃されればそれもわからない。なんにせよ、敵の速度が落ちていたのはカムイのお手柄だろう。運動エネルギーは速度の二乗に比例する。当初のままの速度だったら、衝撃は文字通り桁違いだったはずだ。
「ギ、ギギィ……」
苦しげな、あるいは悔しげなモンスターのうめき声。彼らにとっても、破城槌まで持ち出してきたこの攻撃は、苦しい内情の表れなのかもしれない。だからなのかもしれない。彼らは諦めなかった。
白い浄化樹林のなかにあって徐々に自らの瘴気を奪われているにも関わらず、モンスターたちはさらに二度三度と破城槌を障壁に打ち付ける。その度に強い衝撃が障壁を震わせた。そして四度目の攻撃を仕掛けようとしたまさにその時、紫電を引き連れた呉羽が空から降ってきた。
「〈雷・鳴・ざぁぁあああん〉!!」
その一撃は破城槌を真っ二つに斬り捨てて破壊した。さらに着地した呉羽は〈雷樹・絶界〉を発動。残りのモンスターと、茂る白い浄化樹をまとめて焼き払う。
白い浄化樹の本数が一気に減ったことで、カムイが吸収するエネルギー量も減る。その変化は、ほとんど消えかかっていた彼の意識を急浮上させた。
流れ込んでくる、さらに言うなら〈エクシード〉を使って増幅さえしていた、浄化樹の生存欲求を押し退けてカムイはアブソープションと〈オドの実〉の出力を下げる。途端に魔力の吸収量が減り、それに合わせてオーラ量も減って自由を取り戻すと、カムイは思わず膝から崩れ落ちた。それでも〈翼持つ城砦〉への魔力供給を放棄しないのは流石というべきか。
「カムイ、大丈夫!?」
カレンがカムイに駆け寄る。彼は息も絶え絶えな様子だったが、それでも「な、なんとか……」と答えた。その様子はともかく、意識ははっきりしているのを見て、カレンは安堵の息を吐いた。
「カレン、コーヒーくれ。できれば泥みたいに濃いヤツ」
「……探してみるわ」
そう言って呆れたように苦笑しつつ、カレンはアイテムショップのページを開いた。ちなみに、【泥のように濃いコーヒー】は本当にあって、舌がおかしくなるほど苦かった。カムイは「ヘルプさんの陰謀だ……」と言っていたが、ただの自業自得である。
― ‡ ―
「いやぁ、破城槌には焦ったな」
攻略作戦初日の夜。この日の作戦行動を終えたアーキッドらは、【HOME】のリビングでゆっくりと夕食後のお茶を楽しんでいた。
もちろん、浄化作業は終わっていない。今日一日でドーム内の瘴気濃度は6.35から5.88まで下がったが、この数値は依然として高濃度だ。もうしばらくはドーム内の瘴気を浄化する作業が続きそうだった。
まあ、それはそれとして。アーキッドがお茶を飲みながら話題にしたのは、本日最大の危機を招いた敵の破城槌についてだった。
撃退には成功している。メンバーは全員無事だし、障壁も破られてはいない。結果だけ見れば、なるほど完勝と言っていいだろう。しかし随分と胆を冷やされたのも事実だ。そしてそれはアーキッドも同じだったらしい。彼の口調は明るかったが、顔には苦いものが浮かんでいる。
「ふむ……、〈翼持つ城砦〉の障壁がどれほどもつのか、試してみたかった気もするが……」
「そんなものは実戦で試さんでよろしい」
冗談とは思えない口調で呟くロロイヤを、アーキッドがゲンナリとしつつそう嗜めた。つまりロロイヤは「あの破城槌が減速しないでぶつかったらどうなるのか、試してみたかった」と言っているのだ。そんなもの、カムイだって試したくはない。
「なんにしても、数が多い敵と言うのは厄介じゃな。いや、数が多いだけならやりようはあるが、相手は軍勢じゃ。数が多くて、その上統制が取れているとなれば……」
そこまで言ってミラルダは憂鬱そうに首を振った。その気持ちはカムイも良く分かる。浄化作業は明日以降も続くのだ。それを妨害するべく、城砦側がまた様々な手を打ってくることは想像に難くない。
「何か対策を考えなければいけませんね……」
アストールの言葉に、メンバーは揃って頷いた。ただ、敵がどんな手でくるのかは分からない。予測するにしても、軍略の知識を持つメンバーなどいないから、どうしたって限界があった。そもそも相手はモンスターなのだ。人間では考えられない行動を取ることだってありえる。そうなると、相手の出方を一つ一つ予想するのは無意味に思えた。
ただ、今日の事柄を振り返ってみると、敵に関しては二つのことが言えそうだった。一つは、敵の飛び道具は〈翼持つ城砦〉の障壁で防げるということ。そしてもう一つは、敵は必ず地に足を付いているということだ。
「敵に飛行タイプはいない、か……」
アーキッドが思案気にそう呟く。確かに今日だけでなく荒野を移動している間も、空を飛ぶタイプのモンスターには遭遇しなかった。もちろん、ただそれだけをもって「いない」と断言することはできない。しかし敵の、少なくとも主力が地上部隊であることは間違いないだろう。
「そうなると、〈雷樹・煉獄〉で薙ぎ払う、ってのが一番確実なように思うんだが……」
そう言ってアーキッドは呉羽の方を見、その呉羽は少し困ったようにアストールの方を見た。彼女の視線を追ってアーキッドもアストールのほう見る。二人分の視線が集中した彼は、苦笑して肩をすくめた。
「〈雷樹・煉獄〉は……、とは言っても主に私の側の問題なのですが、欠点の多い技です。特に即応性にかけます」
アストールと呉羽の合体技である〈雷樹・煉獄〉は、その反則的な有効範囲の広さを実現するために、少々手の込んだ準備が必要だった。つまり〈エクシード・マギ〉で糸状にした魔力を広げる必要がある。
この作業は一瞬で終わるものではないし、範囲が広ければ広いほど時間がかかる。あらかじめ準備しておくことは可能だが、それは現実的とはいい難い。その間ずっとアストールは待機状態を維持しなければならないからだ。広げた魔力糸を維持するコストの問題は無視するとしても、いつ来るのかわからない襲撃のために彼がずっと拘束されてしまう。
それは作戦上容認できる事ではなかった。アストールにはメンバーの、特にリムの魔力を回復させると言う別の仕事もあるのだ。重要度が高いのはむしろこちらで、作戦の中核と言ってもいい。疎かにはできなかった。
かといって、敵が現れてから対応しようとすると、どうしても後手に回ってしまう。その上、例えば騎兵のようなモンスターに縦横無尽に動き回られると、魔力糸の展開が追いつかないことも考えられる。加えて言えば、その間ずっと呉羽を待たせておくのも効率の悪い話だ。
「せめて魔力糸の展開をもっと素早くできればいいんですが……」
そう言ってアストールは顎に手を当てて考えこんだ。他のメンバーもそれぞれアイディアを探る。カムイも考えてみたが、ちょっと思いつかなかった。そんなとき、カレンがおずおずと声を上げた。
「あの……、本当にただの思いつきなんですけど……、導線を使うというのはどうでしょうか?」
「導線、といいますと?」
「ええっと、つまりですね……。前準備として導線を敷設しておけば、そこに魔力を通すような形で、素早く展開できるんじゃないかと思ったんですけど……」
「なるほど……。導線に待機状態を肩代りさせよう、ってことだな。良く考えたな」
そうアーキッドに褒められ、カレンは恐縮した様子を見せた。そこへ思案げなミラルダの声が割り込んだ。
「しかし、どうやって導線とやらを敷設する? 敵が黙って見逃してくれるとは思えんが……」
彼女の言うとおり、城砦側の妨害は確実だろう。最低でも城砦の上から弓矢や魔法を降らせてくるはずだ。それらの攻撃は〈翼持つ城砦〉の障壁で守られていれば簡単に防げるが、そうでないならなかなか厄介なシロモノである。
それらの妨害をどうかいくぐるのか。それはカレンのアイディアの最大の問題点だ。しかしその問題はすぐに解決した。アストールがこう言ったのである。
「それなら心配いりません。〈エクシード・マギ〉を使えば、障壁の後ろからでも糸を展開できます」
こんなふうにね、と言ってアストールはメンバーの目の前で糸をウニョウニョと動かして見せた。その動きはちょっと気持ち悪い。カムイは以前に見たことがあったのでなんとも思わなかったが、初めて見たメンバーは少々引き気味だった。
まあそれはそれとして。このようにして糸は自在に動かすことができる。複雑に動かすわけではないし、真っ直ぐに伸ばすだけなら障壁の裏側からでも十分にできるだろう。アストールはそんなふうに見立てを語った。
「……それにしても、こんなアイディアをすぐに思いつけるとは。カレンさんも魔法への造詣が深い」
「いやいや! あたし、魔法なんて使えませんよ!?」
「そうだとしても、です。確か、カレンさんはカムイ君と同じ世界の出身でしたね。やはり、相当魔法学の発展した世界なのですね」
そう言ってアストールは一人感心する。それ見てカレンは慄いた。そして助けを求めるようにカムイの方を見たが、無情にも彼は視線を逸らす。「裏切り者!」というカレンの心の声が聞こえた気がしたが、それも無視だ。彼の誤解を解くなんて、あまりにも荷が重すぎる。
こうしてまた誤解が深まったわけだが、そのせいで話がそれてしまった。それをロロイヤが本筋に戻す。彼が指摘したのは、導線の素材についてだった。
「魔力を素早く通すとなると、やはりそれなりのモノを使わねばならん。それに〈雷樹・煉獄〉を使うたびに燃え尽きてしまっているようで困る。なにかアテはあるのか?」
「私のほうはなんとも……。ロロイヤさんはどうですか?」
アストールは苦笑すると、ロロイヤにそう問い返した。彼は優秀な魔道具職人だ。当然、魔道具を作る素材にも精通している。そもそも、だからこその指摘だ。
「ふむ、ミスリル製の針金を使えばよかろう。ミスリルならば魔力の伝導率も高いし、金属だから燃え尽きてしまうこともあるまい」
このアイディアが出たときから目星をつけていたのだろう。ロロイヤはすらすらとそう答えた。しかしアイテムショップのページを開いていたカムイは首をかしげる。ロロイヤの言うようにミスリル製の針金を探しているのだが、どうにも見当たらないのだ。そのことをロロイヤに告げると、彼は慌てることなく一つ頷いてこう言った。
「アイテムショップにはないだろうな。コッチで買うから、少し待て」
そう言ってロロイヤはメニュー画面を開く。その画面が普通のシステムメニューのそれとは少し違うことにカムイはすぐに気付いた。同じではないが、ガーベラが【植物創造】を使うときに操作する画面に雰囲気が似ている。
カムイのその直感は当っていた。ロロイヤが今操作している画面は、彼のユニークスキルである【悠久なる狭間の庵】に関係している。この能力は【歴史上、最も充実した状態の魔道具〈狭間の庵〉が使えるようになる】というものだが、これだけでは容量が余ったので、さらに【魔道具製作に必要な資材や設備をポイントで買うことができる】という機能も付け加えておいたのだ。その機能を使い、ロロイヤはミスリル製の針金を探しているのである。
こういうモノには不慣れなのか、ロロイヤはたどたどしく画面を操作する。そのせいで少し時間がかかってしまったが、やがて彼は「あったぞ」と言って画面をアストールのほうへ向けた。
「何種類かありますね……」
画面を覗き込みながら、アストールがそう呟いた。カムイの位置からではその画面は見えなかったが、きっと針金の太さなどで何種類かに分かれていたのだろう。もとの世界のホームセンターなどではそうだった。
さて、画面を前にアストールはしばらく悩んでいたが、やがてロロイヤとも相談しながら購入するものを決めた。買ったのはまるで糸のように細いミスリルの針金。50mのこれを六束購入した。お値段は合計で300万Pt。かなりの高額だが、資金なら十分にある。今日一日、浄化で稼ぎまくった分だ。
【瘴気を浄化した!(1/3) 8,916,507Pt】
カムイのログにはそう記されている。一日で、およそ2,670万Pt分も瘴気を浄化したのだ。その稼ぎの一部を攻略作戦のために使うのだから、反対意見など出るはずもない。
ちなみにカムイのログにはもう一つ、今日の成果が記されている。つまりアブソープションを使って瘴気を吸収することで発生した分のポイントだ。そちらの成果は以下のようになっていた。
【瘴気を吸収して消費した! 1,054,129Pt】
かろうじて100万Ptを超えてはいるが、瘴気を浄化して稼いだ分には到底及ばない。まあ、当然と言えば当然の話だ。リムのユニークスキル【浄化】は、瘴気を浄化することに特化した能力。【Absorption】より効率がいいのは当たり前である。
さて、アストールから受け取った資金で、ロロイヤは細いミスリル製の針金を購入した。50mを六束ともなれば、結構な量だ。しかしテーブルの上に積み上げられたそれを見て、ミラルダは少し心配げに眉をひそめた。
「少し……、細すぎやせんか? こうも細いと、すぐに切れてしまいそうじゃ」
「でもあまり太いと、ちょっと操作しにくいんですよねぇ……」
ミラルダの懸念に、アストールは少し情けなさそうにそう答えた。細いとはいえ金属。持ってみればそれなりに重量がある。そして「重くなると操作しにくい」というのは納得できる話だった。しかしだからと言って、ミラルダの懸念が解消されたわけではない。彼女はさらにこう尋ねた。
「じゃが、コレを起点にして雷撃を放つのじゃろう? 耐えられるのかえ?」
「まあ、そのへんはわたしの腕次第になるんでしょうけど……」
そう答える呉羽も歯切れが悪い。なまじその威力を良く知っているので、この糸のような針金を焼き切らずに技を使えるのか、彼女にはいまいち自信がなかった。
しかし〈雷樹・煉獄〉を使うたびに焼き切れていては、話にならないのは明白だ。コストの問題だけではない。敷設した針金が焼き切れてしまえば、その範囲ではもう〈雷樹・煉獄〉が使えなくなってしまう。それでは本末転倒だ。
「ふむ。では、ワシが術式を施してやろう」
そう提案したのはロロイヤだ。つまり針金を魔道具化してしまうのである。そうやって強度や雷撃への耐性を上げるのだ。〈雷樹・煉獄〉を使う際には、針金には魔力が通されている。その一部で術式が発動するようにしてやれば、特別な操作も必要ない。その分消費魔力量は増えてしまうが、問題になるほどではないはずだ、とロロイヤは話した。それを聞いて一つ頷くと、アーキッドはさらにこう尋ねる。
「それは明日に間に合うのか?」
「術式自体は単純だし、作業はすぐに始められる。ただ、少々面倒でな。おい、アストール。ちょっと手伝え」
「分かりました」
助手に指名されたアストールは、嫌な顔一つせずにそう言って頷いた。彼の場合、むしろその作業に興味があるのだろう。彼の顔には隠しきれない好奇心が浮かんでいる。ロロイヤが「少々面倒でな」と言った瞬間、「巻き込まれてたまるか」と言わんばかりに、勢いよく視線をそらしたカムイとは大違いだ。
さて話が決まると、「善は急げ」とばかりにロロイヤは立ち上がった。「手伝え」と言われたアストールも、慌ててそれに続く。そして二人は連れ立ってリビングを出て行った。後のことは彼らに任せておけばいいだろう。
二人が出て行くと、リビングの空気が緩んだ。別に、あの二人が空気を緊張させていたというわけではない。一つ重要な話が終わって、メンバーの気が緩んだのだ。カムイも湯のみに手を伸ばして、すっかり冷めてしまったほうじ茶を飲み干す。それからふと彼はイスメルの方に視線を向けた。
「そういえば、破城槌のときのことなんですけど、イスメルさんは気付かなかったんですか?」
あの時、障壁の外に出ていたのは、イスメルと呉羽の二人。そして最終的に、破城槌はカムイが足止めし呉羽が破壊した。ではその間、イスメルは一体何をしていたのか。
もちろん、彼女がただサボっていただけとは思わない。実際、左右に分かれた騎兵隊の一つを彼女は受け持っていた。障壁への特攻も許さなかったから、彼女が危なげなく騎兵隊を殲滅したのは確かだ。
しかしその一方で、たったそれだけのことでイスメルが手一杯になっていたとも思えない。少なくとも、破城槌を斬り捨てるくらいの余裕はあったと思うのだ。それなのに彼女はまったく手出しをしなかった。それは一体なぜなのか。
「……………………気付きませんでした」
気まずそうな顔をしながらそう答え、イスメルは露骨に視線をそらした。彼女としてはそれで誤魔化したつもりなのかもしれない。だが、あまりにも下手すぎる。その反応を見て彼女以外のメンバーは気付いてしまったことだろう。つまりイスメルは破城槌にしっかりと気付いていて、それでいて手を出さなかったのだと言うことに。
(まあ、本当に危なくなれば手を出したんだろうけど……)
実際、障壁が破られることはなかったし、呉羽も間に合った。結果だけ見れば、イスメルの手を借りる必要はなかったといえる。それを見越してのことなのか、それともいよいよ危なくなったら自分が帳尻を合わせればいいと思っていたのか。まあ多分そんなところだろうな、とカムイは思った。
そこまで見当をつけても、不思議と怒りはわかなかった。ただ、わざわざ実戦でそんな試験じみたことをしなくてもいいのに、とそう思うだけである。呉羽の方を見れば、似たような感想を抱いたのだろう、頬を引きつらせてヘンな顔をしていた。
他のメンバーも、大よその事情を察したのか、それぞれに納得の表情を浮かべている。しかしその中で微妙に勘違いしている者が約一名。カレンである。
「師匠でもそんなことがあるんですねぇ……」
そう呟くカレンの口調は、場違いにしみじみとしていた。冗談や当てこすりを言っているようにも聞こえない。つまり彼女はイスメルの言葉を、まったくその通りに信じ込んでいるのだ。
「まったく……。この師にしてこの弟子あり、じゃな」
「うん、朱に染まって真っ赤っ赤。もう手遅れ」
ミラルダが少々疲れたように首を振り、キキは真面目な顔をして「うんうん」と頷く。肝心のカレンはと言うと、自分のことを言われているのはわかるのだが、なぜそう言われるのかは分からない様子で、「え? え?」と忙しく視線を彷徨わせた。
幼馴染のその様子に、カムイは思わず頭を抱えた。呉羽が「前からこうだったのか?」と視線で尋ねるので、彼は少し困ったように笑って肩をすくめた。日本にいた頃のカレンは、そんなに察しの悪い方ではなかったはずだ。
加えて言うならコッチの世界に来てからも、彼女の察しの悪さが気になったことはない。ということはイスメルを信用するがゆえか。キキ風に言うなら「朱に染まった」ということである。
それで元凶と目されるイスメルだが、彼女は弟子の様子を見ると額に手を当てため息を吐いていた。良識ある師匠を気取っているようだが、騙されてはいけない。彼女も同罪である。
リビングがなんだか生暖かい空気になったところで、アーキッドが「そろそろ部屋に戻る」と言って席を立った。眠そうにしていたリムを連れてミラルダも立ち上がり、彼女の尻尾につられてキキもそれに続く。イスメルも「観葉植物が私を呼んでいる」と残念な台詞を残して部屋へ戻り、リビングにはなんとなく席を立つタイミングを逸した三人が残された。
「…………そういえば、今更だけど、カムイは大丈夫だったのか? その、〈オドの実〉を高出力で使ったんだろう?」
呉羽がカムイにそう尋ねた。確かに今更である。ただ、あの時カムイは〈翼持つ城砦〉の大盾の後ろにいたのだ。そのせいで呉羽は彼の様子が見えず、あの時はかなり心配させられたのである。
「あ~、実を言うと結構ヤバかった」
意識もほとんど飛びかけていたことをカムイが白状すると、呉羽は眉をひそめた。結果的に大事にはならなかったわけだが、一歩間違えば味方を巻き込んで盛大に自爆していた可能性だってあるのだ。呉羽がそれを指摘しようとしたその矢先、しかしそれより先にカムイがこう言葉を続けた。
「呉羽がオーラの樹を焼き払ってくれて助かったよ。アレでかなり意識が回復した」
「そ、そうか。それを狙っていたわけではないのだが……。ま、まあ、手助けになったのなら何よりだ」
少しうわずった声で、呉羽はそう応じた。「助かった」と言われたのが、なんだか無性に嬉しい。
「だけど、本当に大丈夫だったの? 結構苦しそうだったけど……」
「なに、そうなのか?」
カレンの言葉に、呉羽はまた眉をひそめた。そしてチクリと心のどこかを刺激される。その時、傍にいたのは自分ではなくカレンだった。そのことに疎外感と焦燥を覚える。意味のないことだと分かってはいても、心の動きは思い通りにならない。できる事と言えば、ただ悟られないようにすることだけだ。
「すぐに治ったよ。実際、障壁はちゃんと維持できてただろ?」
「まあ、それはそうだが……」
「【泥のように濃いコーヒー】を飲まされて……」
「ちょっと! 頼んだのはカムイでしょう!?」
カレンが冤罪を主張する。
「……コーヒー飲んですぐに頭も冴えたから、そんな大したことないよ。目覚めの悪い寝起きみたいなもんだから」
カムイがそう言うと、呉羽は苦笑を浮かべた。納得できたわけではないが、なんにしても終わった話だ。蒸し返してアレコレ言うのも無粋だろう。それよりも呉羽は気になることがあった。
「【泥のように濃いコーヒー】なんて、本当にあるのか?」
「ええ、あったわよ。似たようなので、【霞のように薄いコーヒー】とか、【悪魔の口付けのように甘いコーヒー】とかあったわね。この調子でいくと、同じようなシリーズが紅茶にもあるんじゃないかしら」
ちょっとカムイ試してみなさいよ、とカレンが煽る。カムイは思いっきり顔をしかめていた。
その後、彼ら三人もそれぞれ自分の部屋へ引き上げた。部屋に戻ってから、呉羽はふとアイテムショップのページを開き、【泥のように濃いコーヒー】を検索してみる。すると確かにヒットした。
「ホントにあるんだ……」
疑っていたわけではないが、思わずそんな呟きが漏れる。そして呉羽はごくりと唾を飲み込んだ。
ネタであろう。いや、ネタ以外の何者でもない。運営側の遊び心というヤツだ。まともなコーヒーであるはずがなく、笑ってスルーするのが正しい対応だ。分かっている。それは分かっているのだが……。
(試すか、試さざるのか……。それが問題だ……)
テツガク的問題である。結局、彼女はこのあと小一時間ほど悩み続けた。




