〈北の城砦〉攻略作戦9
「よし、今日はここまで!」
そう宣言すると同時に、アーキッドは【HOME】を展開する。それを見たメンバーは、みんな一目散にその領域の中へ駆け込んだ。【HOME】の領域内では、瘴気の影響は完全にシャットアウトされる。それで瘴気で構成されたモンスターはその領域内に入ってこられないのだ。
ただ、【HOME】の領域内が完全な安全圏かと言うと実はそうではない。その領域内では瘴気が完全に排除される。しかし逆を言えば、瘴気以外のものは排除されないと言うことだ。つまりモンスターが石を投げてくれば、それはちゃんと内側に届くのだ。
そしてこの荒野には石よりはるかに厄介なモノを放ってくるモンスターがいる。それは魔導士タイプのモンスターであり、このタイプが放つ魔法は瘴気ではないために領域の内側に届くのだ。
加えて言えば、魔法が利くのはなにもプレイヤーだけではない。流れ弾ならぬ流れ魔法が屋敷の方に当れば、相応のダメージを受けて壊れてしまう。そして壊れてしまった屋敷を修理するには、またそれなりのポイントが必要になるのだ。
ただ、だからと言って魔導士タイプのモンスターを警戒して不寝番を立てる必要はない。モンスターは基本的にプレイヤーにしか攻撃を仕掛けてこないからだ。それで全員が屋敷の中に引っ込んでその姿が見えなくなれば、モンスターは【HOME】をまるっきり無視してくれるのだ。
つまりさっさと屋敷の中に入ってしまうのが一番安全、ということである。それでカムイたちは小走りになって屋敷の中へ駆け込んだ。そしてようやく一息つく。お互いの無事を確認しあうと、自然と笑みがこぼれた。
「いやぁ、しかし埃っぽいのぅ……。おまけに汗で身体がベトベトじゃ。リム、キキ、一緒に風呂にでも入らぬかえ?」
「入る入る。堪能する」
ミラルダの提案に、すぐさまキキがそう答えた。そして咄嗟に返事ができなかったリムを連れて階段を駆け上っていく。向かう先は言うまでもなくミラルダの部屋だ。肝心のミラルダはそんな二人の姿に苦笑を漏らし、それから「ではお先にのう」と言葉を残して彼女達の背中を追った。
「わたしも部屋で汗を流してくるよ」
「あたしも~」
そう言って呉羽とカレンもそれぞれ自分の部屋へ向かった。正直、カムイとしてはシステムの【全身クリーニング】でいいじゃないかと思うのだが、そこはやはり別腹らしい。そして男ばかり四人がエントランスホールに取り残される。「うちの女性陣は協調性がないな」と言って、アーキッドは苦笑を浮かべながら肩をすくめた。
「そうだ、カムイ君。一服してからでいいので、また〈魔法符:魔力回復用〉を作るのを手伝ってもらえませんか?」
「分かりました。何枚くらい作りますか?」
「百枚ほど用意しておきましょうか」
「……そんなに要りますかね?」
「余ったらプレイヤーショップに回しますよ」
そう言って肩をすくめると、アストールはリビングへと向かった。そしてアイテムショップから好みのお茶を購入すると一服して一息つく。カムイとアーキッドもそれに倣ったが、ロロイヤはいつの間にか姿を消していた。たぶん自室へ戻ったのだろう。彼も大概協調性のない奴である。
一服しながら話すのは、自然な流れとして今日の移動についての事柄だ。護衛が付いていた昨日と比べると、その大変さは段違いだった。やはりアラベスクたちは優秀な護衛だったといえるだろう。人数や統制もそうだが、なにより彼らはこの荒野での戦闘に慣れている。その経験値は馬鹿にならない。
「俺たちもその経験値を〈北の城砦〉に付くまでに稼がなくちゃだな」
アーキッドがそう言うと、アストールが「そうですね」と神妙な顔をして頷いた。〈北の城砦〉にいるのは、この荒野と同じ種類のモンスターたち。ここでの経験は、必ずや攻略作戦の役に立つ。
焦らないことだ、とアーキッドは念を押した。急げば粗が目立つようになり、移動だって上手く行かなくなる。焦らず、確実に進むことを優先するのだ。時間はかかるかもしれないが、その分経験値が稼げる。無駄にはならない。
さて、そうやって三十分ほど話していると、シャワーで汗と埃を流したカレンが降りてきた。そして彼女と入れ替えに、カムイとアストールが席を立つ。一服前に話していたように、〈魔法符:魔力回復用〉を作るためだ。
二人は屋敷の外へ出たが、しかし【HOME】の領域の外へは出ない。モンスターが多く、作業どころではないからだ。それでは瘴気が吸収できないはずなのだが、カムイにはちょっと考えがあった。【HOME】の領域は地中まで及んでいるわけではないし、また物理的な障壁でもって瘴気を遮断しているわけではない。なら、やりようはある。
外へ出て地面の上に立つと、カムイはまず白夜叉のオーラで身体を薄く覆った。そして背中に貼り付けられている〈エクシード〉を発動する。イメージするのは樹の根。似たようなことは温泉でもしたし、また浄化樹のそれとも重なるので、イメージするのは比較的簡単だった。
そうやって樹の根のイメージを投影してやると、足もとのオーラが変化を始めた。スルスルと伸びて地面の中へ広がっていくのだ。そこでカムイは〈オドの実〉とアブソープションを発動。地中から瘴気を吸収していく。イメージしていない葉っぱまで出てきたが、これはご愛嬌だ。ともあれ、これで十分なエネルギー量を確保できる。
一方のアストールは、用意した【魔法符】の束を右手に持つと、まずは〈エクシード・マギ〉を使い次に〈ユニゾン〉を使ってカムイと魔力を同調させる。そして〈トランスファー〉で一気に【魔法符】へ魔力を込めていく。
そうやって作成した〈魔法符:魔力回復用〉は、夕食後にメンバーに配布した。テーブルの上に束を置き、それぞれに明日必要と思える枚数を取ってもらう。要するにストックの補充である。ちなみにアストールはすでに三枚を確保済みだ。
「悪いな、コイツがないと流石に息切れしてしまう」
そう言ってまず手を伸ばしたのはアーキッドだ。彼は、〈獣化〉していると自分では使えないミラルダの分も含め、六枚を束から取る。そして彼を皮切りにして他のメンバーもそれぞれ束へ手を伸ばし始めた。
ロロイヤが三枚。キキは二枚で、リムは四枚取った。カレンとイスメルは結局使わなかったらしく、補充はしない。そして最後に呉羽だが、なんと彼女は残った束をごっそりと懐へ仕舞いこんだ。
「呉羽……。お前、それはないだろ……」
思わず、カムイはそう呆れた声を上げた。見れば他のメンバーもそれぞれ呆れたような、あるいは微笑ましいものを見るような顔をしている。そのことに気付いて、呉羽はきょとんとした顔をしてこういった。
「だって、みんなはもう要らないんだろう?」
そういう問題ではない。しかし呉羽はどういう問題なのか分かっていない様子だ。つまり素である。そしてそのまま、こう言葉を続けた。
「それにわたしの使う剣技は消費の大きいものが多いからな。これだけあれば、明日は息切れを気にせずに戦える」
我ながらいい考えだ、と言わんばかりに呉羽は得意げに「うんうん」と頷いた。確かに彼女の言う通りではあるのだが、しかしどこか論点がずれているように感じるのはカムイだけではあるまい。そのことをイスメルはこう指摘した。
「長期戦では、消費を抑えながら戦うことも大切ですよ?」
そう言われ、呉羽は「うっ」と言葉を詰まらせた。実際、イスメルは〈魔法符:魔力回復用〉を一枚も使っていない。それでいて、最も多くモンスターを倒している。言葉の重みが違った。
「まあ、息切れしても大変ですから、そのまま取っておいて下さい。余ったら、そのうち返してもらうということで」
アストールがそう言うと、呉羽はホッとした様子を見せた。イスメルもそれ以上は何も言わない。彼女も本気で苦言を呈したわけではないのだ。道具に頼るのは危険だが、使わなければ道具に意味はない。余っているものくらい、好きに使えばいい。
そして好きに使いまくった結果、というべきか。翌日、呉羽は派手に暴れた。〈雷刃・建御雷〉、〈雷鳴斬〉、〈雷樹・絶界〉。消費の激しい技を連発していく。局地的な雷警報が出そうな使い方で、まるで彼女の周りに雷雲が控えているかのようだった。
「鬱憤が溜まってたのかなぁ……」
その戦いぶりを後ろから眺め、カムイは呆れ気味にそう呟いた。カムイには分からないが、編み出した剣技を自由に使えないのはストレスが溜まるのかもしれない。
ただ呉羽も遮二無二に暴れているわけではない。大量の〈魔法符:魔力回復用〉を利用して、使いこなせていなかった〈瞬転〉を完全なものにするべく励んでいた。
紫電を纏い、雷を引き連れ、雷光のごとくに戦場を駆ける。今までの彼女とはちょっと雰囲気が違う。そんな呉羽の姿を見て、イスメルは小さく笑みをこぼした。どうやら一皮むけたようだ。
(とはいえ、まだまだ不完全……)
今の呉羽の力は、大量の〈魔法符:魔力回復用〉によって支えられている。彼女個人の力では、すぐに息切れしてしまうだろう。それでも一歩先の領域を覗けたことは、この先彼女の役に立つに違いない。
さて、呉羽が八十枚以上あった〈魔法符:魔力回復用〉を使い切った頃、カムイたちは三日目の移動を終えた。まだ〈北の城砦〉の手前にある川にすらたどり着いていない。ただ、メンバーは誰も焦っていなかった。昨日よりも上手くいっている。その実感があったのだ。
三日目の移動が終わり一服してから、カムイとアストールはこの日もまた〈魔法符:魔力回復用〉を大量に作成した。今度はなんと二百枚だ。この内百枚は昨日と同じくパーティー内で分配することにして、残りの半分はさっさとプレイヤーショップに出品する。ここ二日ほど在庫がゼロになっていたのを、アストールも気にしていたらしい。また誰かさんにごっそりと持っていかれる前に手を打った、というわけだ。
そして移動の四日目。カムイたちはついに川を越えた。渡河の際には、〈スカイウォーカー〉を使う。川を渡る際の先頭は呉羽で、殿はミラルダ。イスメルは【ペルセス】に乗って上空から警戒を行った。
川を越えると、モンスターの出現率が通常に戻った。現れるのは相変わらず各種スケルトンタイプだが、川の南側に比べると出現はかなり散発的で、しかも連携して襲ってくることがない。移動はかなり楽になった。
「ま、今更楽になってもあんまり意味はないけどな」
アーキッドが挑むようにしてそう言う。彼の視線の先には、渦巻く瘴気で出来た黒いドームがある。イスメルとカレンを除けば、この黒い瘴気のドームを実際に見るのは皆これが初めてだ。
カムイもこの世界に来て異様なものは数多く見てきたが、規模といい迫力といい、そのなかでもトップクラスだ。〈魔泉〉に匹敵する、と言っていいだろう。本当にここにクエストがあるのかは分からないが、しかし尋常ではないなにかがあるのは間違いない。それを感じ、カムイは握る拳に力が入った。
緊張している、いや奮い立っているのはカムイだけではない。メンバー全員、何かしら思うところはあるようで、皆目に強い光を宿して黒いドームを見据えている。誰一人、臆してなどいない。
目的地である〈北の城砦〉は、この黒いドームの中だ。ここまでくれば、もう目と鼻の先と言っていい。モンスターの出現率も下がったので、彼らを阻むものは何もない。後は進むだけである。そしてアーキッドはこう宣言した。
「んじゃ、今日はもう休むか」
その宣言に、カムイは思わずズッコケた。やる気をそがれて情けない顔をしていると、アーキッドは肩をすくめながらこういった。
「焦るな、焦るな。体調を万全にして、明日から攻略だ」
そう言うと、アーキッドは【HOME】を展開する。瘴気のドームの目の前に豪奢な屋敷が鎮座するその様子はなかなかシュールだ。というか〈北の城砦〉はいわば敵の拠点であるはず。それなのになにも手出ししてこないのは、いかにもゲーム的だ。
(ダンジョンアタックの前に完全回復、ってやつか……?)
カムイもRPGをプレイしていた時にはよくやっていたことだ。有効なのは認めるが、テンションと意気込みのやり場に困る。あのゲームの主人公もこんな気分だったのかなぁ、なんてカムイは現実逃避するのだった。
そんなわけでメンバー一同は【HOME】に引っ込んだのだが、カムイとアストールにはまだ今日中にやっておく事があった。言うまでもなく、〈魔法符:魔力回復用〉の作成だ。作成する枚数は、昨日と同じく二百枚。ただこの内プレイヤーショップに回すのは五十枚だけで、残りはすべてメンバーに配布した。
明日からの攻略戦は、基本的に防御主体で臨むことがすでに決まっている。つまり今日までと比べ行動範囲が限られるから、その分〈トランスファー〉による魔力の回復がしやすいということだ。
しかしその一方で、これまでに経験のない戦いとなることもまた事実。準備はしっかりとしておくべきだ。それで、それぞれがストックしておく〈魔法符:魔力回復用〉の枚数は今まで一番多くなった。
「わたしは昨日や一昨日の方が多かったぞ?」
まあ、例外もいるが。それでも呉羽のストック枚数が一番多いのだ。それに明日はそうそう動き回ることは想定していないから、これで十分なはずである。というか、もうちょっと節約してもらいたい、というのがカムイの言い分だった。
まあそれはそれでいいとして。この日の夜は「英気を養う」という名目で、豪華な食事が用意された。お酒も出され、さながら前夜祭である。食べすぎて飲みすぎたのは、ある意味でお約束と言えるだろう。
そんなわけで。明日から〈北の城砦〉攻略作戦、開始である。
― ‡ ―
廃都の拠点を出発してから五日目。ついに今日から〈北の城砦〉攻略作戦が始まる。食べすぎと飲みすぎで心配された体調も、〈中級ポーション〉を服用してから一晩寝たことでいつも以上の調子となっている。プレイヤーの強靭な内臓に感謝すればいいのか、それともアイテムの万能な効能に驚けばいいのか、微妙なところである。まあなんにしても体調がいいのはありがたかった。
朝食と準備を終えて【HOME】の外へ出ると、そこには相変わらず禍々しい黒いドームが不吉に佇んでいた。その異様な光景は、見る者全てを身構えさせる。ただ昨日そうであったように、カムイたちは誰も臆してはいない。
「さて、と。じゃ、行くか」
指を“パチンッ”と鳴らして【HOME】を片付けると、アーキッドは獰猛な笑みを浮かべてそう言った。そしてそう言うやいなや、黒いドームの方へ向かって歩き始める。カムイたちはその背中を追った。
(う……)
間近まで行くと、カムイの目の前には瘴気の絶壁が聳え立つ。黒いドームの側面だ。それを前にして、彼は思わず足を止めた。
すでに白夜叉は展開済みだし、カレンの【守護紋】もある。瘴気の影響は受けないと分かっているが、それでもこの禍々しさと不吉さは少しも薄れない。それにドームの内側の様子がなにも見えないと言うのも、不安や恐れをかきたてる要因だった。
スッ、とカムイはその絶壁に手を伸ばす。彼の手はその側面に触れることなく、そのまま内部へと突き抜けた。掌に感じるのは風圧。カレンやイスメルから聞いたとおり、中では瘴気が吹き荒れているらしい。
意を決し、カムイは絶壁に向かって歩を進め、ドームの中へ足を踏み入れた。黒い絶壁は、わずかばかりも彼の歩を妨げることはない。まるでそこには何もないかのように、しかし確かにカムイは境界線を越えた。
絶壁を越えると景色が一変する。黒いドームの中では、確かに瘴気が吹き荒れていた。まるで吹雪の雪を、すべて真っ黒に塗りつぶしたかのような光景である。「終末」という言葉を映像化すれば、きっとこうなるのだろう。そう思わずにはいられない。
そしてその吹き荒れる瘴気の奥に、〈北の城砦〉は佇んでいた。その様子を形容するのに相応しい言葉を、カムイは「魔王城」以外に思いつかない。高濃度の瘴気を纏ったその姿は、黒い炎を燃え上がらせて敵を恫喝しているかのようだった。
今日から、コイツを攻略するのである。「大仕事だな」とカムイは改めて思った。ただし、「途方もない仕事」ではない。少なくとも、机上では。あとは空論ではないことを祈るばかりだ。
「そんじゃ、作戦開始だ」
アーキッドのその言葉に、メンバーは揃って頷いた。そして事前の打ち合わせどおりにそれぞれ行動を開始する。
まずアーキッドが前に出て、ストレージアイテムから大きな盾を三枚取り出し、そしてそれを地面につきたてた。そしてその三枚の盾を四本の鎖で結ぶ。ロロイヤに依頼しておいた魔道具〈翼持つ城砦〉だ。もともとは海辺の拠点で対〈侵攻〉の防衛戦用に開発された魔道具だが、今回使うのは〈北の城砦〉攻略戦用に改良されている。
真ん中の盾の後ろでこの魔道具を操作するのはアーキッドだ。右側の盾はカムイが、左側の盾はカレンがそれぞれ担当する。〈翼持つ城砦〉は三人で使うことを想定した魔道具だが、しかしカレンは魔力の供給役を期待されているわけではない。彼女の場合、ただそこに立っていることが大きな仕事である。
カレンが無能と言っているわけではない。むしろ彼女はこの作戦の要だった。この高濃度瘴気の中で、しかし影響を受けずに活動できるのは彼女のユニークスキル【守護紋】のおかげだ。これを欠くことはできない。
とはいえ、【守護紋】には有効範囲がある。カレンを中心にしておよそ直径120m。以前よりも多少成長したが、これが有効範囲だ。ただ、目に見える境があるわけではない。ぼんやりしていれば、うっかりその範囲の外へ出てしまうこともありえる。また彼女自身が動き回れば、境界線も一緒に動いてしまう。
そういう事態を避けるために、カレンは〈翼持つ城砦〉のすぐ後ろに配置されたのだ。彼女が動かずにいれば、有効範囲は一定。あとは動く人間が気をつけるしかないが、これはいつものことだ。
「カレン、瘴気濃度はどうだ?」
「ちょっと待ってください」
それと、カレンの仕事はもう一つ。瘴気濃度の確認だ。彼女は朝食のときに受け取った【瘴気濃度計】を取り出し、その数値をアーキッドに報告する。値は6.35。それを聞いて彼は一つ頷いた。
以前、偵察の際に測定した値よりも、少し濃度が高くなっている。これがただの誤差なのか、それともより多くの瘴気がこのドームに集まった結果なのか、それは分からない。ただこの値がこの作戦における一つの目安となる。
さて〈翼持つ城砦〉のことだが、魔力の供給はカムイが一手に引き受ける予定になっている。普通ならばすぐに魔力が空になってしまうのだろうが、カムイに限って言えばその心配はない。彼は小さく息を吐いて集中力を高めると〈オドの実〉を発動する。そして吸収したエネルギーを〈翼持つ城砦〉に流し込んだ。
その魔力を糧として〈翼持つ城砦〉が駆動を開始し、四本の鎖からそれぞれ巨大な光の翼が現れた。その四枚羽は伸びやかに、そして神々しく広がる。それはあたかも魔王城に相対する大天使の翼のようだった。
魔道具が起動すると、アーキッドはまず障壁を張った。後方を守るための障壁だ。海辺の拠点ではあまり使われることのない機能だが、今回の作戦ではむしろこの障壁こそが重要になってくるだろうと考えられている。
「よし、リム。始めてくれ」
アーキッドのその言葉に、リムは少し緊張した面持ちで頷いた。彼女はアーキッドの背中に庇われる位置で愛用の杖を両手で構える。そして薄く目を閉じると瘴気の浄化を開始した。
ちなみに「ドームの外側から瘴気を浄化する」という案もあったのだが、外側からだと敵がなにか仕掛けてきたとき、すぐにそれを察知することができないと言う理由で却下されている。
リムのユニークスキルである【浄化】の力が、杖に装着された魔道具〈アクシル〉によって拡散される。「消費は気にしなくていい」と言われているので、最初から全力だ。淡い燐光が光の噴水のように噴出し、瘴気を浄化していく。ちなみに瘴気を浄化して得たポイントは、帰りのレンタカー代として使う予定だ。
『すべての瘴気を浄化する』
一言で言ってしまえば、今回の作戦の目的はコレである。魔王城の攻略法としては、正攻法とはいい難い。とはいえこれはデスゲーム。わざわざより危険で難しい方法に挑む必要はない。ただこの方法も、危険がないわけではなかった。
「ギィィイイイイ!!」
雄叫びをあげながらモンスターが現れる。スケルトンタイプで、盾と槍を構えていた。ここで出現するのも、やはりこの手のモンスターらしい。
先ほどカレンが確認したように、ドームの中は瘴気濃度が非常に高く、そのためモンスターが出現しやすい。これは予想されていたことだ。さらに〈北の城砦〉の内部にも、多数のモンスターがいることが確認されている。
これらのモンスターが浄化作業を黙って見逃してくれるとは考えにくい。それで、主に今回の作戦の肝であるリムを守るため、フォーメーションがあらかじめ決められていた。
リムを中心にし、〈北の城砦〉に向かって左側はイスメル、右側は呉羽がそれぞれ固めている。後方はミラルダ。正面の〈翼持つ城砦〉とこの三人が、いわゆる第一防衛線だ。ここで敵の攻撃を食い止めることになっている。
彼らがモンスターにやられてしまうことはないだろう。とはいえ万が一と言うことはあるし、何より防衛戦の内側にもモンスターが出現することが予想される。それでキキとロロイヤ、そしてアストールがリムのすぐ近くで護衛に当っていた。
ただ、アストールには「カムイと協力してメンバーの魔力を回復させる」という仕事があり、ロロイヤにも「状況に応じ、呉羽の代わりに瘴気を集めて浄化の効率を上げる」という役割がある。それで護衛に専念できるのはキキ一人だけだった。なお、どうしても人手が足りない場合はカレンが援護することになっている。
さて、出現したモンスターであるが、すぐさまイスメルがこれを片付けた。だが彼女の表情はむしろ険しい。別の方向からも戦闘の音は響いてくるし、さらに何体か追加で出現するのが見えたのだ。しかしイスメルはそれらのモンスターをすぐに片付けることはせず、元の位置に戻って近づいてくるのを待った。
というより、近づいてくるのを待つほかないのだ。調子に乗って動き回っていれば、【守護紋】の有効範囲から出てしまうかもしれない。それを避けるためには、モンスターの方から近づいてくるのを待つしかない。
(少々窮屈ですね……)
縛りがうっとうしくはあるが、しかし仕方がない。それに今回の仕事はモンスターを倒すことではなくリムを守ること。護衛対象をほったらかしにして遊んでいるわけにも行かないだろう。
(それに……)
それに、警戒するべきは周辺に出現するモンスターだけではない。最も激しく攻撃してくるのは、むしろ〈北の城砦〉の側である。
カムイたちがこのドームに足を踏み入れたときから、〈北の城砦〉の城壁の上には多数のモンスターが続々と集結していた。その多くは弓兵であり、なかには魔導士も混じっている。そしてリムが浄化を開始すると、それを脅威と、つまり城砦に対する攻撃と見なしたのだろう。それらのモンスターは一斉に攻撃を開始した。
無数の黒い矢が放たれる。その中には魔法も混じっているのが見えた。見上げる側のカムイたちからしてみれば、まさに天を覆いつくさんばかりの攻撃だ。たった十人を排除するだけなのだから、この規模はオーバーキルであろう。普通ならば。
しかしその攻撃は一つとしてカムイたちには届かなかった。そもそも的を大きく外していた攻撃も多かったが、展開されていた〈翼持つ城砦〉の障壁がことごとく防いだのだ。目の前で弓矢や魔法が次々に弾かれていく光景は壮観で、カムイは思わず「おお」と感嘆の声を上げた。
ただこれらの攻撃は、実際のところカムイが思う以上に厄介なものだった。特に弓矢だが、これらはすべて瘴気で出来ている。それで弾かれたり外れて地面に刺さったりすると、解けて瘴気に戻るのだ。
一本一本の瘴気量は微々たるものだ。しかしそれが数千本、数万本となれば話は違ってくる。大量の弓矢が瘴気に戻れば、それは大気中の瘴気濃度を押し上げる立派な要因になる。ドーム全体から見ればたいしたことはなくとも、局地的かつ一時的ならその瘴気濃度の上昇はプレイヤーの活動を阻害するのに十分なのだ。
とはいえ今回の作戦ではカレンがいる。【守護紋】の有効範囲内にいれば、どれだけ瘴気濃度が上がってもその影響を受けることはない。しかし言ってみれば瘴気を補充されているようなもので、浄化するべき量もまた増えているのだ。
(時間がかかりそうだな……)
途切れることなく続く攻撃を障壁越しに眺めながら、カムイは心の中でそう呟いた。弓矢の備蓄がどれだけあるのかは分からない。いや、もしかしたら城砦内部で“生産”すらしているのかもしれない。そう考えると、全ての瘴気を浄化し尽すのがまた一段と難しくなったような気がした。
(少しくらいは手伝うか)
そう思い、カムイはアブソープションと〈オドの実〉の出力を上げた。瘴気を取り除く手段は、なにも【浄化】だけではない。カムイの【Absorption】も瘴気を消し去ることができる。〈オドの実〉も合わせて使えば、その効果は決して無視できるものではない。
カムイが吸収するエネルギーの量が跳ね上がる。そのほとんど全てがオドだ。オドは吸収した時、まるで冷たい水のようにカムイには感じられる。それが多量ともなれば、川の奔流も同じだ。意識を押し流されて植物人間になってしまわないよう、カムイは少しだけ顔をしかめながらエネルギーの制御に集中した。
「少年、意識はあるかい?」
アーキッドが少し心配そうにそう尋ねる。カムイは今、身体の左側が浄化樹の影響を受けたオーラにのまれ、植物人間状態になっている。もしいつぞやのように暴走してしまったら。その可能性がアーキッドの頭をよぎる。しかし当のカムイは動じることなく冷静だった。
「はい、大丈夫です」
カムイは首だけ動かしてそう答えた。左手と左足が拘束されてしまったように動かず、いわゆる半身麻痺の状態だが、そもそも動き回るようなポジションではないので何も問題はない。意識もしっかりしているし、魔道具への魔力の供給も順調だ。
ちなみに、〈翼持つ城砦〉が多量の魔力を消費してくれるおかげで、アブソープションと〈オドの実〉を高出力で使っているわりには、白夜叉のオーラ量が少なく済んでいる。それが半身麻痺程度に抑えられている要因の一つだった。
それはそうと、温泉のときもそうだったが、最近〈オドの実〉を使うと周りの人を心配させている気がする。だがそれも仕方がない。一度植物人間になって、暴走してしまったのは事実なのだから。すべてロロイヤのせいである。ともあれ愚痴っている暇はない。今は作戦中だ。
「よし。その調子で頼むぜ」
カムイの意識がしっかりしていることを確かめると、アーキッドは一つ頷いて獰猛な笑みを浮かべた。その笑みを見て、カムイはちょっと背筋が寒くなる。彼がもとの世界で裏社会に、それも相当深い場所にいたことはそれとなく話を聞いている。その片鱗を垣間見てしまった気がした。
さて、カムイが内心で少しビビッていることなど露知らず、アーキッドは鋭い視線を〈北の城砦〉のほうへ向けた。城砦からは相変わらず、絶え間ない攻撃が飛んでくる。障壁のおかげで実害はないが、しかし防御に徹するというのは彼の趣味に合わない。
「じゃ、そろそろ反撃と行くか……!」
物騒な笑みを浮かべたままそう呟き、アーキッドは〈翼持つ城砦〉を操作する。すると要求される魔力量が増えたことにカムイは気付いた。とはいえ、まだ十分に応えることができる。その潤沢な彼の魔力に歓喜するかのように、〈翼持つ城砦〉の四枚の翼が大きく広がり青い光を放ち始めた。
ロロイヤが今回の作戦用に〈翼持つ城砦〉を改良したのは前述したとおりだが、ではどこに手を加えたのかと言うと第一にその攻撃射程だった。海辺の拠点ではせいぜい数十メートルも射程があれば十分だったが、しかし今この場所から城砦の城壁の上にいるモンスターまではゆうに200m以上の距離がある。この距離を届かせるだけの射程が必要だったのだ。
その要求に、ロロイヤはきっちりと応えた。改良された〈翼持つ城砦〉の最大有効射程はおよそ500m。これなら十分に攻撃を届かせることができる。ただし、問題がないわけではない。
『当然だが射程を延ばした分、必要となる魔力量も増えているぞ。障壁も併用するとなると、三人がかりで三十分もつかどうか、といったところだな』
それがロロイヤの見立てだった。そこまで消費が激しいと、持久戦に用いるには不向きと言える。しかし今回に限って言えば心配は無用だった。
『ま、そのへんは少年頼みだな』
『そうだな。それがよかろう』
そんな会話が交わされたのかは定かではないが、ともかくカムイはその期待に十分応えていた。彼はたった一人で〈翼持つ城砦〉に潤沢な魔力を供給し続けている。無理をしている様子はないし、これなら好きなだけぶっ放せそうだな、とアーキッドは思った。
「攻撃開始といくぜ!」
アーキッドがそう叫ぶと同時に、大きく広げられた四枚の翼から無数の青い閃光が一斉に放たれた。狙うのは城壁の上から弓矢や魔法を放ってくるモンスターたちだ。この作戦が始まってから、〈北の城砦〉への初めての攻撃だった。
しっかりと狙いをつけているわけではないから、アーキッドの攻撃は百発百中とはいかなかった。それどころか半分以上は外れているように見える。それでも青い閃光は次々と放たれており、つまり手数が多い。それで決して少なくない数の攻撃がモンスターに当たり、そして倒していく様子がカムイにも見えた。
「よし、城壁の方も問題なさそうだな」
攻撃を続けながら、アーキッドは城壁の様子を観察してそう呟いた。今回の作戦では、なるべく城砦を破壊しないよう気をつけることになっている。外れた青い閃光の一部は城壁に当っているのだが、しかし崩れたり揺らいだりする様子はない。もしかしたら瘴気によって防御力が強化されているのかもしれないが、まあそれはそれとして。
放つ攻撃に城壁を破壊してしまうほどの威力がないのを見て取ると、アーキッドはいよいよ獲物を前にした肉食獣のように壮絶な笑みを浮かべた。もとの世界にいた頃、敵対していた組織のアジトに殴りこみ、ガトリング砲を撃ちまくったことを思い出す。今回はその時以上に撃てそうだった。
(まあ、硝煙と発砲音がないのは残念だが……)
そこまで贅沢は言っていられないだろう。それに規模では間違いなくこちらの方が上だ。警察が駆けつけてくるのを警戒する必要もない。
「さぁて……、盛大にいくぜ!」
アーキッドが攻撃の激しさを増す。それに伴って魔力の要求量も増え、カムイは慌ててそれに応じた。
放たれる無数の青い閃光は着実にモンスターを倒していくが、しかし数が減っているようには見えない。たぶん、また別のモンスターが城壁に上って、穴埋めをしているのだろう。それどころか新たなモンスターが出現しているのかもしれない。覚悟はしていたけど長丁場になりそうだな、とカムイは思った。
しばらくの間、城砦との間で撃ち合いが続いた。一方的に有利なのはもちろんカムイたちの側だ。なにしろ敵の攻撃は何一つとして届かず、逆に彼らの攻撃は着実に戦果を上げている。今ごろ城壁の上には無数の魔昌石が散乱しているに違いなかった。
このままでは埒が明かない、とそう思ったのかは分からない。しかしリムが六回目の、そして呉羽が二回目の魔力の回復をしたころ、城砦側に動きがあった。正面に見える正門を閉ざしていた鎧戸が開き、中からモンスターの部隊が出てきたのである。
攻略作戦は新たな局面を迎えようとしていた。
今回はここまでです。
続きはなるべく早く出せるように頑張ります。




