〈北の城砦〉攻略作戦7
遅くなりました。
一つ前の話から読むと、話が分かりやすいかと思います。
愚図る呉羽を説き伏せ、早めに温泉から帰ってきたカムイたちは、明日使うレンタカーの費用を調達するべく、瘴気の浄化作業に精を出していた。慣れたもので作業自体はすこぶる順調だったが、しかしカムイの機嫌は悪い。その理由はロロイヤと、彼によって背中に貼り付けられた魔道具〈エクシード〉である。
この魔道具はいつぞやの礼として、ロロイヤがカムイのために作ったモノである。ただ上手く使えば白夜叉の制御に役立つものだが、しかし下手をすれば植物人間になる危険性が高まるという、両刃の剣だったのだ。まったく、とんでもない爆弾を背負わされたものだ、とカムイは憤っていた。
それでも彼がすぐさま【HOME】のリビングで優雅に寛いでいるであろうロロイヤのところへ殴りこまないのは、確かに使わなければ今までと何も変わらなかったからだ。それでまずは明日のレンタカーの費用を稼ぐことを優先したのである。
それでも、イライラしてくるのは別問題だ。そしてイライラしている人間が一人いれば、それだけでその場の雰囲気は悪くなる。特に最年少のリムはその空気を敏感に感じ取っているのか、オロオロとして居心地が悪そうだ。見かねた呉羽が一言注意しようとしたのだが、その前にアストールが彼にこう声をかけた。
「まあまあ、カムイ君。落ち着いてください」
アストールは穏やかな笑みを浮かべながらカムイの肩に手を置いた。機嫌が悪いカムイは彼に睨むような視線を向けてしまったが、しかしアストールは嫌な顔一つしない。大人の対応だ。そしてそういう対応をされてしまうと、不機嫌にむくれている自分が急に子供っぽく思えて、カムイはため息を吐いて盛大に頭をかきむしった。
「ロロイヤさんも、困ったものですね」
「まったくですよ、本当に!」
カムイがそう愚痴ると、アストールは苦笑した。それからスッと右手を差し出す。そしてまだ少し憮然とした表情をしているカムイがその手を握ると、アストールは〈トランスファー〉を使って彼から魔力を受け取った。次いでその魔力を今度は瘴気を浄化しているリムに譲り渡す。彼女の魔力を回復させると、アストールはカムイの隣に戻って来てさらにこう言った。
「……でも、ロロイヤさんはカムイ君のことを見込んでいるのだと思いますよ」
「見込んでいる……? アイツが……?」
とても信じられない、とカムイは思った。むしろいたぶられているようにすら思う、というのが彼の率直な感想である。しかしアストールがウソや冗談を言っているようにも見えない。それで彼はこう尋ねた。
「……なんで、そう思うんですか?」
「楽しそうですから」
アストールはそう答えたが、しかしその答えにカムイは少しガッカリした。そりゃ、楽しいだろう。ネコがネズミをいたぶるようなものだ。だがアストールはそうではないと言う。
「カムイ君。ロロイヤさんはね、魔道具職人なんです」
「知ってますよ。ついでに言えば困っています」
「では、ロロイヤさんのような魔道具職人が、自分の作品を死蔵されて喜ぶと思いますか?」
カムイの言葉の後半部分をさらりと無視して、アストールは彼にそう問い掛けた。その可能性も否定できなくはない。とはいえ〈オドの実〉や〈エクシード〉に関して言えば、それはもう推測と言うよりは願望だ。それはカムイにも分かった。
なにしろその二つはカムイの能力に合わせて作られたオーダーメイド品である。ただ単に作りたかったから作った魔道具、というわけではない。「これと組み合わせればもっと面白いことになる」と、そう考えながら作った作品なのだ。
つまり、使ってもらった方がロロイヤにとっては面白い。いや、使ってもらえなければ欲求不満がたまるだろう。そういう事情が彼の側にある以上、あからさまな欠陥品を押し付けてくることはないはずだ。
だからロロイヤが完成品として出してきた以上は、少なくとも彼はそれらの魔道具をカムイが使いこなせると考えているはず。それをアストールは「見込んでいる」といったのである。
もちろん、これはロロイヤ本人から聞いた話ではない。アストールの勝手な推測と言われればそれまでだ。しかし彼の話を聞いて、カムイはありえない話ではないと思った。ロロイヤは打算的だが、同時に合理的でもある。つまり自分の楽しみが減るようなヘマはしない。そしてこの場合ロロイヤの楽しみとは、カムイが彼の作った魔道具を使いこなして見せることである。
「……なんだか、丸め込まれている気がします」
「ははは。いいじゃないですか、丸め込まれたって。あの人なら、ね……」
「長いものには巻かれろ、ってことですか?」
「なるほど、上手いことをいいますね。今度使わせてもらいます」
アストールのその台詞に、カムイは肩をすくめて苦笑した。どうやら彼の世界にはこういう言い回しはないようだ。アストールが持ち帰って慣用句として定着すれば、カムイは文化の輸出を成し遂げたことになるのかもしれない。
まあそれはそれとして。「ロロイヤに見込まれている」という可能性は、カムイの気分を少しだけ軽くしてくれた。少なくともモルモットよりは期待してくれている、のかも知れない。どうにもいまいち信頼しきれないが、しかし純粋に実験動物扱いされていると思っているよりは精神衛生には良さそうだ。
ただ、見込まれているということは、今後も何かしらの魔道具を押し付けられる可能性があるということ。それらの作品が、欠陥品ではないにしろ、非常に尖がった性能を持っているであろう事はもはや確定事項と言っていい。
「手加減は……、してくれないだろうなぁ……」
「してくれないでしょうねぇ……」
カムイとアストールは顔を見合わせ、そして互いに苦笑を浮かべた。そうこうしているうちにリムがまた魔力切れを訴えたので、二人は雑談を打ち切って浄化作業へと戻った。
三時間ほどかけて十分なポイントを稼ぐと、カムイたちは浄化作業を終えた。【HOME】へ戻ろうかと思っていると、アストールが彼に声をかける。プレイヤーショップへ出品する〈魔法符〉を作るので、それを手伝って欲しいのだという。
「あ、それじゃあ、オレも〈トランスファー〉のやつを頼んでいいですか?」
「もちろんです。では、まずそちらから作ってしまいましょう」
そういうと、アストールは早速作業に取り掛かった。カムイが用意した【魔法符】を右手の人差し指と中指ではさみ、まるで陰陽士のように顔の前に掲げて〈トランスファー〉の魔法を込める。アストールは一枚ずつ丁寧に魔法を込め、全部で十枚ほどの〈魔法符:トランスファー〉を作成していく。
「……そういえば、温泉はどうでしたか?」
その作業中、アストールはふとカムイにそう尋ねた。そういえば帰ってきてすぐロロイヤに捕まってしまい、まだその話は何もしていない。【HOME】に戻った呉羽も、今ごろは質問攻めにあっているかもしれないな、とカムイは思った。
「いいお湯だったみたいですよ。オレは入ってないので分かりませんが」
「え、入浴できたのですか?」
アストールが驚いたように声を上げた。作業をする手も止まっている。そんな彼にカムイが、〈オドの実〉を使ってお湯の中の瘴気を取り除き温泉に入れるようにしたのだと説明すると、アストールも納得した表情を浮かべた。
「ああ、なるほど……。それにしても、水着ですか。さぞかし、見ごたえがあったのでしょうねぇ……」
わざとらしくしみじみとそう語るアストールに、カムイは呆れた視線を向けた。いや見ごたえがあったことは否定しないが、しかしわざわざそれを自白してやる気もない。呆れた顔のままこう言った。
「興味があるんですか?」
「いえいえ、カムイ君ほどではありませんよ。それにしても、お二人とも楽しめたようで何よりです」
「……トールさんはこの三日間、何かしていたんですか?」
これ以上温泉の話題を続けると墓穴を掘りそうなので、カムイは不自然にならないようにしながら話題を変えた。「たぶんまた何か研究をしていたんだろうな」と彼は思っていたが、しかしアストールの答えは予想外のものだった。
「私ですか? 私なら新しい魔法を練習していましたよ」
「新しい……、魔法……?」
「ええ。少し前から考えてはいたんです。まとまった時間ができたので、ちょっと本腰をいれて取り掛かって見ようかと思いまして」
「どんな、魔法なんですか?」
「そうですね、何と言うか……。せっかくですから、これから少し試してみましょうか」
アストールはそういうと、完成した〈魔法符:トランスファー〉の束をカムイに差し出した。彼はそれを受け取ると、腰のストレージアイテムに片付ける。そして三十枚ほどの【魔法符】の束を、また新たに取り出した。これから出品するための〈魔法符:魔力回復用〉を作るのだ。ちなみに他の支援魔法の〈魔法符〉はまだ在庫があるので、今回は作成しない。
「いきますよ……。〈ユニゾン〉」
カムイの手を握ったアストールが魔法を唱える。しかしカムイには、何も変わったことはないように思えた。それもそのはずで、〈ユニゾン〉の魔法を使ったのはカムイに対してではなく、アストール本人に対してだったのだ。
「それで、どんな魔法なんですか?」
「では、使ってみますね。ああ、それとカムイ君。〈オドの実〉を使ってくださいね。瘴気の直接吸収は禁止です」
アストールの注文は別に難しいことではないが、しかしその理由が分からない。とはいえ何か考えがあるのだろうと思い、カムイは少し戸惑いながらも頷いた。それを確認してから、アストールは【魔法符】を一枚構える。そして〈トランスファー〉の魔法を唱え、【魔法符】に魔力を移しかえていく。
「っ!」
その瞬間、なんとカムイの魔力が減った。魔力のやり取りなら今までに何度もやっているから、そういう意味ではお馴染みの感覚だ。しかし今、〈トランスファー〉が使われているのは、あくまでも【魔法符】に対して。魔法を使っているアストールの魔力が減るならともかく、カムイの魔力が減るというのは今までになかったことだ。
その原因は、どう考えても先ほどアストールが使った新しい魔法〈ユニゾン〉だろう。そしてカムイが勘付いたような顔をしたのを見て、アストールは少し得意げな笑みを浮かべながら一つ頷いた。そしてこうネタばらしをする。
「お察しの通り、これが新しい魔法〈ユニゾン〉の、魔力同調の魔法の効果です」
魔力同調とは、つまり二人以上の魔力の質を同一にすることだ。それにより同調した者たちの間で魔力を融通しあうことが出来るようになる。
今回の場合、アストールは自分の魔力をカムイと同調させることで、彼の魔力をダイレクトに【魔法符】に込めているのだ。そのおかげで、いちいち〈トランスファー〉で魔力の受け渡しをする必要がなくなり、アストールはテンポ良く作業を行っていく。
そしてこれが、瘴気の直接吸収を禁止した理由である。そうやって生成した魔力の質は非常に悪いのだ。なにしろアストール曰く「熱い油のような魔力」である。そんな魔力を込めた〈魔法符:魔力回復用〉を使ったら、プレイヤーがグロッキーな目に遭ってしまう。
「しかも不意打ちです。それは流石に気の毒ですからね。……それに評判が悪くなって売れなくなるのも困りますし」
アストールの言葉はすべて本音だろう。ただ前半と後半、どちらの比重が大きいかは想像が許される。
「……この魔法を習得できたのは、ロロイヤさんのおかげなんです」
テンポよく【魔法符】に魔力を込めながら、アストールがふとそう呟く。カムイが「どういうことですか?」と尋ねると、彼は小さく笑みを浮かべて「少し私の世界の話をしましょうか」といった。
「以前にもお話しましたが、私の世界では、魔法は属性ごとに区切られていました。当然、その素養も同様です。ただ、当たり前ですが、魔法の素養があるからと言って、生まれたときから魔法が使えるわけではありません」
ではどうやって使えるようになるのかと言うと、それ相応の修行をする必要がある。そしてその修行についてだが、長い歴史の中である程度経験則が蓄積されており、その一つとしてイメージが重要であることが分かっていた。
「とはいえ、人間のイメージはえてして揺らぎが大きい。言い方を変えれば、不安定で不明瞭。属性魔法はそれでも何とかなる場合が多いのですが、支援魔法は効果が多彩な分、それでは使い物にならないんです」
「それじゃあ、どうするんですか?」
「実際に、見せてもらうんですよ」
つまり師匠やそれに類する人から、覚えたい魔法を実演してもらうのだ。実際に目で見たり、あるいは体感できたりすれば、イメージは明確なものになる。そうやって魔法を覚えるのである。
「ってことは、ロロイヤから〈ユニゾン〉の魔法を見せてもらったんですか?」
「違いますよ。そもそも、ロロイヤさんは魔法が使えませんしね。見せてもらったのは別のものです」
確かにロロイヤは魔法が使えない。しかし彼の工房である【悠久なる狭間の庵】には、魔道具に関する膨大なレポートがある。アストールが見せてもらって参考にしたのは、それらの資料だ。
イメージのもととなるのは、なにも実際の魔法だけではない。知識もまた、明確なイメージを持つことに役立つ。〈ユニゾン〉の場合で言えば、魔力同調とはどういうものなのか、それによって何ができるのか、そしてそのための術式を理解することで、鮮明なイメージを描くのだ。そしてイメージさえしっかりしてれば、あとはそれを魔法で再現するだけである。
「……ずっと考えていました。私には何が出来るのだろうか、と」
その答えこそが、新しい支援魔法の開発と習得だった。
アストールに魔道具作りの才能はない。あったとしても、ロロイヤにはかなわないだろう。貸してもらった資料を見ているだけで、それはすぐに分かった。しかし彼には支援魔法の才能がある。加えて彼のユニークスキルは【支援魔法】そのもの。つまりこと支援魔法に限って言えば、この世界にアストール以上の使い手はいない。彼はそれに賭け、そして見事に成し遂げたのである。
「……そういえば、もう一つ新しい魔法を覚えたんです」
作業を終え、作成した〈魔法符:魔力回復用〉を早速プレイヤーショップに出品してしまうと、アストールはふと思い出したようにそう言った。カムイが興味を示すと、彼は少し得意げな顔をしてからその魔法を唱えた。
「〈エクシード・マギ〉」
「その魔法は……」
「ええ、そうです。〈エクシード〉の術式を参考にして考えた魔法です。それでどういう魔法かといいますと……」
アストールは腰のストレージアイテムから針金を取り出した。そしてその針金が、カムイの目の前でウニョウニョとうごめき始める。その蛇を連想させる動きがなんだかちょっと気持ち悪くて、カムイは少しだけ頬を引き攣らせた。
「ええっと……。針金を動かす魔法、ですか?」
「違いますよ。これを使って見てみてください」
そう言ってアストールはカムイにルーペを差し出した。どうやら魔道具らしい。カムイはそのルーペを受け取ると、少量の魔力を込めて針金を覗き込む。すると針金の周りに薄っすらと光の膜が見えた。その光の膜はアストールの魔力だという。針金を魔力で覆い、その魔力を操作することで、針金を動かしていたのだ。
「魔力を魔力のまま操作する。それが〈エクシード・マギ〉の効果です。以前、カムイ君から教えてもらった無属性魔法を参考にした魔法なんですよ」
そういえば、確かにそんな話をしたこともあった。ただ、カムイがイメージしていた無属性魔法とはかなり違う。とはいえ「参考にした」だけあって無属性魔法そのものではないから、これでいいのかもしれない。
(……って、コッチが正統みたいに思ってるし)
そもそもカムイの世界には魔法がないのだ。無属性魔法も、所詮は妄想の産物である。それを基準にして目の前にある実際の魔法を否定したり見下したりするのは、さすがに傲慢が過ぎるというものだろう。そのことを内心で反省しつつ、カムイはアストールにさらにこう尋ねた。
「どんなふうに使うつもりなんですか?」
「考え中です」
「はい?」
カムイが思わず聞き返すと、アストールは少し気まずそうに視線を逸らした。それからこう弁明を口にする。
「いえね、カムイ君から無属性魔法の話を聞いて、ロロイヤさんから〈エクシード〉のレポートを見せてもらって、組み合わせれば何か面白いことができるんじゃないかと思ったのがまず最初だったんですよ」
つまりアイディア先行だった、ということだ。しかも「面白そう」という理由で新しい魔法を開発するあたり、順調にロロイヤの影響を受けているというべきだろう。カムイはむしろそっちに慄いた。
「まあ、覚えたからと言って邪魔になるようなものでもありませんから。それに実はですね、クレハさんに協力してもらえば、面白いことが出来るんじゃないかと思っているんです」
まあ明日からの移動中にでも何か考えるとしますよ、とアストールは言った。彼と呉羽というのは、なかなか珍しい組み合わせだ。どんなことをするつもりなのか、カムイには予想も付かなかった。
さてそんな話をしていたら、辺りはもう薄暗くなっていた。「戻りましょうか」と言ってアストールは足元においておいた杖を手にとって立ち上る。そして二人は連れ立って【HOME】へ向かった。そろそろ夕食の時間である。
― ‡ ―
「はぁ……」
自分の部屋でシャワーを浴びながら、カレンはため息を吐いた。気分が浮かない。憂鬱というわけではないが、なんだかブルーだ。理由は分かっている。夕食前に呉羽から聞いた、温泉での話だ。
瘴気まみれで入れたものではないだろうと思っていたが、呉羽は実際に入浴してきたという。水着を着て、しかもカムイの目の前で。呉羽はもっと男子の視線というものに敏感になるべきではないだろうか。同年代の女子として、カレンはちょっと心配になっていたりもする。
(まあ……)
まあ、全裸で入られるよりはマシか。さすがにそこまで羞恥心が欠落しているわけではないらしい。とはいえ呉羽が着たという水着も、なかなか大胆なデザインだった。カレンも着たことのないレベルである。
『こ、これでもずいぶんマシなのを選んだんだ。ルペが勧めてくるヒモみたいなのは着られるわけないし、貝殻なんて逆に破廉恥だし……』
呉羽はそう自らの良識を強調していたが、しかしそのルペという少女に上手く誘導されたなというのがカレンの見立てである。ビキニの時点で十分すぎるほど大胆だ。そこまでカムイを喜ばせる義理もないだろうに。
「はあ……」
もう一度、ため息。カレンはシャワーを止めると鏡の方を見た。そこに写るのは、見慣れた自分の裸身。おかしなところは少しもない。それどころか、日々の稽古のおかげで引き締まり、日本にいた頃よりもスタイルは良くなっている。しかし彼女の顔色は優れない。
「むう……」
眉間にシワを寄せながら、自分の控えめな双丘を下から持ち上げて寄せる。悲しくなるのでやめた。次に腰周りを見るが、ため息しか出てこない。これで呉羽と同じ水着を着たらと想像し、ますます落ち込んだ。
(これが、格差社会……!)
同じ水着は着られない。露骨に比べられてしまう。ならばどんなタイプだったらいいのかと、カレンは考え始めた。しかしアレに対抗するためには、かなり攻めなければならないだろう。
(意外とムッツリなのよねぇ……、アイツ)
そこまで考えて、ふと気付く。いつの間にか見せることが前提になっている。カレンは猛烈に恥ずかしくなって、シャワーを勢いよく出して頭から浴びた。顔が熱い。きっと真っ赤になっているに違いなかった。
しばらくシャワーを浴び続け、なんとか顔の熱が引いてきたところで彼女はそれを止めた。身体を拭いて下着だけ身につけ、カレンはバスルームを出る。髪を乾かさなければと思っていたら、不意に声をかけられて彼女は跳ね上がった。
「カレン、じゃまをしておるぞ」
「ひゃう!?」
「なんじゃ、素っ頓狂な声を出して」
呆れた声が響く。カレンが慌てて部屋の中を見渡すと、ミラルダの姿があった。彼女はカレンのベッドの上で横になっている。ご自慢の尻尾はユラユラと揺れ、頭の上の耳もピコピコと動く。もともと露出度の高い踊り子のような服は着崩れ、豊かな胸がいまにも零れ落ちそうである。色っぽいのを通り越して艶かしい。
「……ひ、人の部屋に勝手に入らないでくださいよ」
「ならば鍵くらいかけておく事じゃ。風呂上りの柔肌をカムイに見られてしまうぞえ?」
「~~っ!」
たちまち、カレンの顔が真っ赤になる。さっきまであんなことを考えていたせいで、なお一層恥ずかしい。カレンは慌てて部屋着を着込んだ。そんな彼女にミラルダは呆れたような、それでいて微笑ましいものを見るような視線を向ける。そしてこう言った。
「まあ、見せるのも一つの手ではあるがのう」
「……呉羽みたいに、ですか?」
「アレは天然であろう。少なくとも、見せようと思って見せたわけではあるまい。肌を隠しては温泉に入る意味がないし、功労者のカムイに目隠しをするのも申し訳ない。水着のデザインが少々過激になったのは、あのルペとらやら誘導したからであろうな。で、温泉に入っているうちに気が抜けて羞恥心がどこかへ行ってしまい、あとは見せ放題見放題、といったところであろうよ」
「よくまあ、見てきたかのように……」
「見ずともわかる。あの娘は単純、いや純粋じゃからな」
その言い草に、着替え終えたカレンは苦笑した。とはいえ、間違っているとは思わない。呉羽は確かに単純、いや純粋だ。しかしながらだからと言って愚かなわけでは決してない。むしろ頭はきれるし、勘も鋭い。そしてなにより、行動力がある。だからこそ、強敵なのだ。
「……それで、何のようですか?」
ベッドをミラルダに占拠されているので、カレンはイスに腰掛けてそう尋ねた。するとミラルダは苦笑しながらこう応じた。
「なに、悩みがあるように見えたので、な」
相談に乗りに来た、ということだ。それを聞いてカレンは「やっぱりか」と内心で嘆息する。正直、今は放っておいて欲しかった。
「別に、悩みなんて……」
「悩みはなくとも、話したいことはあるのではないかえ?」
「…………」
ミラルダの問い掛けに、カレンは沈黙しただ曖昧な笑みを返す。内心で冷や汗をかきつつ動揺を押し殺すが、しかしミラルダは手加減してくれない。彼女はさらに踏み込み、こう言った。
「自分の気持ちを自覚したのは一緒に廃都の拠点へ行ったあたり。本格的に危機感を持ち始めたのは〈オドの実〉の暴走事件のあたり、と言ったところかの」
「ミ、ミラルダさんっ!」
カレンはついに悲鳴を上げた。それはミラルダの言葉を肯定しているも同じだ。優しい目で見つめられると途端に気恥ずかしくなり、カレンは顔を伏せた。
きっかけは、カムイからお礼を言われたことである。
『治そうとしてくれて、毎日見舞いに来てくれて、ありがとう』
言われたその時は、いろいろな気持ちが混ぜこぜになって泣いてしまった。けれども時間が経つにつれて、余計な感情は少しずつ薄れていく。最後に残ったのは、くすぐったいような「嬉しい」という気持ちだった。
嬉しかった。幸せだった。報われたような気さえした。
もちろん、その一言で罪悪感や義務感から開放されたわけではない。それらの感情は今でもカレンの中にあって、彼女をゲーム攻略に駆り立てている。それでも自分のやってきたことは確かに彼のためになっていたのだと、そう心の底から信じられるのはカレンにとってまぎれもない救いだった。
そう、救われたのだ。そしてあの日からカレンの心は少しずつ、けれども確実に変わっていった。カムイと一緒に旅をするようになったことで、その変化は加速する。楽しそうにはしゃいでいたとミラルダが指摘してやれば、彼女は恥ずかしそうに顔を伏せた。その様子はまるで、荒野に雨が降り草花が萌え出てくるかのようだったとミラルダは思う。そして彼女はカレンにこんな言葉を贈ったのだ。
『友愛も親愛も恋愛も、“好き”と言う気持ちに変わりはない。それを否定し続ければ、そなたの心が傷つく。だれもそんなことは望んでおらぬよ』
その言葉のおかげで、カレンは「好き」という気持ちを前向きに捉えることが出来るようになった。好きか嫌いかの二択なら、まあ好き。今までは無意識に目を逸らしていたその気持ちを、彼女は認めることができるようになったのである。
しかしその一方でカレンは、カムイとそして呉羽に対して引け目を感じるようになった。婚約の話が白紙撤回されていることを隠しているからだ。そしてその想いは日増しに強くなり、彼女をさいなんでいる。
言わなければ、と思う。しかし未だに告げることはできていない。呉羽も含めて一緒に旅をしており、言う機会は今日までにいくらでもあったにも関わらず、だ。そのことには自己嫌悪すら感じる。
そしてある日、気付いてしまったのだ。言い出せないその原因が、独占欲に起因していることに。
取られたくない。渡したくない。傍にいて欲しい。特別でいたい。そういう自分の気持ちに、欲望に気付いてしまったその時、カレンはもう認めざるを得なかった。
「…………ミラルダさん、どうしよう、わたし、正樹のこと、好き、みたい」
気付いたら、カレンはミラルダの腕の中にいた。目の端には涙がたまり、声も弱々しく震えている。情けなくて、不安で、縋りたくて、カレンはミラルダの胸にぐりぐりと顔を押し付けた。そんな彼女の背中を、ミラルダはやさしく撫でる。
「好きならば、伝えればよいではないか」
「そんなの、言えない……。言えるわけない……!」
イヤイヤと駄々をこねるように、カレンは首を横に振った。それはあまりに卑怯だ。婚約者でなくなったことを隠し、呉羽に遠慮させ、自分のせいで植物状態になったカムイを治しもせず、自分だけが救われて、あまつさえ愛も心も手にいれようだなんて。醜悪で、吐き気がする。
(相変わらずじゃのう……)
カレンを胸に抱いてその背中をあやしながら、ミラルダは心の中で苦笑した。世の中には人様のモノさえ盗って悦に浸る者もいるというのに。相変わらず、カレンはいじらしくて可愛らしい。潔癖と言ってもいいだろう。
呉羽とはまた違った意味で純粋であり、そして真っ直ぐなのだ。それは間違いなく美点である。しかし今、それが彼女を苦しめている。想いが深ければ深いほど、後ろ暗く、自らに恥じることがあったとき、カレンはそれに耐えられないのだ。
(開き直ってしまえば、楽なんじゃがのう……)
恋愛において打算的であることを、ミラルダは否定しない。もちろん愛で全てが許されるとは思わないし、ウソをついて上手くいくとも思わない。だが自らが有利になるよう振舞うのは当然だと思っている。色気も涙も女の武器だ。使えるものはすべて、存分に使えばいい。
その点、カレンは中途半端だ。辛口にはなるが、それがミラルダの評価だった。初々しくて、見ている分には微笑ましい。ただ、いろいろなものが積み重なって、積極的になれないどころか、ふとしたきっかけで身を引きそうですらある。その潔さは美徳なのだろう。しかしそれで幸せになれるとは思えない。
(そんなことをしても辛いだけであろうに……)
ミラルダはそう思う。もちろんカレンの恋が成就するのか、それは彼女にもわからない。しかし告白もすることなく後ろめたさから身を引き、その後でカムイの隣に別の女性が立っているのを見れば、カレンはきっと辛い思いをするであろう。
それはミラルダとしても望むところではない。安易な保証はできないが、しかし悔いを残しては欲しくなかった。どのような結末を迎えるにせよ、せめて前向きに。それがミラルダの願いである。
急かすべきではない。ミラルダはそう思った。急かせば急かすほど、カレンはむしろ意固地になって心を閉ざすだろう。そういう意味では今回の温泉の件は僥倖だったかもしれない。こんなにも心をさらけ出すきっかけになっている。
「クレハのこと、ショックだったかえ?」
「……ショックを受けたことが、ショックでした」
少々過激ではあるが水着姿を見せただけ。お付き合いはおろか、キスをしたわけですらない。そんなの、日本にいた頃ならただの友達付き合いだ。それなのに話を聞いたときにカレンはショックを受けた。ずるい、と思った。そしてそんな自分に気がついて、さらに大きなショックを受けた。
呉羽は、どんどんカムイとの距離を縮めている。本人にそういう意図はないのだろう。今回の事だって、たぶん彼女は「水着はちょっと恥ずかしかったけど、温泉に入れてよかった」ぐらいにしか考えていないはずだ。
だけどカムイはどうだろうか。彼にとって呉羽は、この過酷な世界で初めてであった仲間である。この世界に限って言えば、その付き合いはカレンよりも長い。そして何より、呉羽にはカムイにつり合うだけの強さがある。
カムイが呉羽に惹かれたとしても無理はない。いやたぶんもう、惹かれはじめている。そして日本にいた頃から「婚約なんて方便。どちらかが本気で嫌がればすぐに破棄される」と言っていたカムイだ。想いが一線を越えたときにどうするのか。それは火を見るより明らかなような気がした。
(それは、イヤ……。だけど……)
カレンは強く否定できない。婚約白紙撤回の話を隠しているという負い目もある。それに自分がカムイに相応しいのか、最近は自信がなかった。
ロロイヤが(魔)改造した〈オドの実〉が暴走してしまったあの時、カレンは人に頼ることしかできなかった。最終的にはカムイを助けるために尽力することができたが、しかしそれもイスメルが〈双星剣〉を貸してくれたおかげだ。自分の力だけでは、何もすることができなかった。
しかし呉羽は違った。彼女には「助けるんだ」という意志と力があった。最終的に助かればいい、という程度のものではない。自分が、この手で、絶対に助ける。あの時の彼女の目には、そういう強い光があった。
正樹を助ける。そう心に決めて、カレンはこのデスゲームに参加したはずだった。それなのにこの時、彼女は無意識のうちに無理だと思ってしまった。そしてその隣には、無理だとは思わない呉羽がいた。その差が、カレンに危機感を抱かせる。
「やっぱり、呉羽もカムイのことが好きなんでしょうか……?」
「自覚はしておらんじゃろう。クレハはクレハで、おぬしに遠慮しておるようじゃからのう」
(ああ、やっぱりそうなんだ……)
胸に鈍い痛みを感じながら、カレンは納得する。呉羽もまた、カムイに惹かれていた。そして遠慮させていることに、罪悪感と安堵を覚える。そして同時にそれが一時の猶予でしかないこともまた、カレンは悟らざるを得ないのだ。
「ミラルダさん。わたし、どうしたら……?」
「正解はないんじゃ。正解になるよう、必死に足掻くしかない。そういうものじゃ」
「大変、なんですね……」
「うむ、大変なことじゃ。誰かを好きになると言うことは。だが、素晴らしいことでもある」
ミラルダはそう信じている。それが人の心を満たし幸福にするのだと、そう信じている。いま彼女がそうであるように。そしてカレンにも幸せになって欲しいと願うのだ。せっかく、人を好きになったのだから。




