〈北の城砦〉攻略作戦4
遺跡を出発して三日が経った。地図上で現在地を確認すると、だいたい30kmほど離れた場所にプレイヤーの拠点がある。ただ今回、その拠点には立ち寄らない予定だ。廃都の拠点へのルートからは外れているし、また用事もないからである。
「商売する気もないしな。わざわざ寄り道しなくてもいいだろう」
アーキッドはそう言った。彼の言う商売とは、つまり【PrimeLoan】によるポイントの貸付のことだ。この拠点はつい十日程前に二周目の商売のために立ち寄ったばかりで、三度目を持ちかけるには早過ぎる。
それに拠点とは言っても、当然ホテルやバーがあるわけではない。それどころか住環境に関して言えば、アーキッドの【HOME】の方が抜群にいい。それで用事もないのに寄り道するだけの理由はなかった。
さて三日目の午前中の移動が終わり、さらに翌日に備えたポイント稼ぎも終わると、アストールとリムは【HOME】へと戻る。そして二人と入れ違いにイスメル、カレン、そしてキキの三人が外へ出てきた。次は稽古の時間である。
「では、まずは二手に分かれて始めましょう」
イスメルの言葉に他の四人は揃って頷く。そして言われたとおり二手に分かれてそれぞれ稽古を始めた。一方はイスメルとカレンと呉羽であり、もう一方はキキとカムイという組み合わせだ。
「ヌフフ……。それじゃあ、今日も楽しく踊るといいよ?」
「うん、そのドヤ顔にイラッとくる」
邪悪な笑顔を浮かべるキキに、カムイは辟易とした様子で応じた。ロロイヤに用意してもらった魔道具の扱いに慣れるべく、キキにはこうして稽古への参加が言い渡されている。その展開は本人にも予想外だったようで、「どうしてこうなった!?」と嘆いていたのはほんの数日前のことだ。きっと厳しいシゴキのためにボロ雑巾になる姿を想像していたに違いない。
しかし神はキキを見捨ててはいなかった。イスメルが彼女に課した稽古は、カレンたちとは別メニューだったのである。
そもそも、キキに武術の心得はない。加えて魔道具は自衛用のものであり、前線でバリバリ戦うことなど最初から想定していない。使うことになった魔道具も射撃系で扱いはさほど難しくなく、使うだけならすぐに使えるようになる。それらのことを考え合わせると、立会い稽古に混じる必要はないように思えた。
『魔力の消費量を体で覚え、あとどのくらい使えるのかをきちんと把握できるようにすること。それから実戦で敵が止まっていることはほぼありえないので、動く相手に慣れてちゃんと狙えるようにすること。まずはこの二つですね』
それが、イスメルがキキに与えた課題だった。要するに「動く相手目掛けて撃ちまくれ」ということだ。そしてその栄えある撃ちまくられる相手として選ばれたのが、他でもないカムイだったのである。
『カムイの側からの攻撃は禁止です。キキの訓練にならないので、できるだけ足も止めないように。滅多打ちにされたくないのなら、回避に集中です』
イスメルからそう言い渡されたとき、カムイは流石に唖然とした。ただ、彼が選ばれたことにもちゃんと理由がある。第一に、白夜叉に頼るカムイは回避が疎かになりがちで、しかもその傾向がなかなか改善されない。それで業を煮やしたイスメルが、彼の回避能力を向上させるべく、キキの稽古にかこつけて彼にもスペシャルメニューを与えた、というわけだ。
さらに別の理由もある。第二に、的役にはキキの攻撃が当った場合、それに耐えうる防御力が要求されていた。そして防御力だけを見れば、カムイの白夜叉はメンバーの中でも屈指の能力を誇っている。つまり適任だったのだ。
白夜叉のために回避が疎かになり、さらにその防御力のために適任と見なされる。なかなか皮肉が利いているというべきか。妙なところで需要と供給が一致してしまったようである。
もちろんカムイは気に入らないのなら、「ふざけるな!」とでも怒鳴って拒否することもできた。しかし彼はそうしなかった。決してイスメルが怖かったからではない。先達で、しかも自分をはるかに超える実力者の言うことは聞いておくべきだと思ったのだ。
そんなわけで。楽しいダンスが、ここ最近カムイの稽古の項目に追加されていた。もっとも楽しいのはキキだけで、カムイのほうはちっとも楽しくはない。必死で楽しむ余裕がないのだ。
「それじゃあ、カムイ君の特訓を始めよう」
「あくまで本命はキキだからな」
「協力に感謝するといいよ?」
カムイの苦言を、キキは聞き流した。最近、彼女のこういうところがロロイヤに似てきた気たがする。そう思い、彼は眉間にシワを寄せて渋い顔をした。由々しき事態である。主にカムイの精神衛生的に。そんな彼を気にかけることなく、キキは右手にはめた指輪型の魔道具〈流星撃〉を向けた。
その瞬間、カムイは顔つきを鋭くして腰を落とし、さらにアブソープションを発動した。そして白夜叉のオーラがまるで白い炎のように揺らめくのとほぼ同時に、〈流星撃〉が魔法陣を展開する。次の瞬間、その魔法陣から閃光が放たれた。
放たれる散弾状の閃光を、カムイは大きくステップしてかわす。きちんと白夜叉を展開しているので当ったとしても怪我はしない。しないが、しかし痛くないわけではない。散弾状とはいえ、一発一発にはモンスターを貫く程度の威力がある。白夜叉の上からとはいえ、当れば殴られた程度には痛い。
だから必死に避ける。イスメルに言われたとおり、滅多打ちにはされたくない。しかし閃光を散弾状にしたのは、そもそも命中率をあげるための仕様だ。つまりカムイの側から見れば回避しづらい。
そのためどうしても、大きく回避することになる。キキは魔道具に魔力を込め続けながら、そんな彼を追うように右手を動かす。カムイは足を止めることなく、キキを中心に円を描くようにしながら走って逃げた。
走りつつ、カムイはキキの様子を窺った。彼女は攻撃が当らないことが不満なのか小さく顔をしかめている。そしておもむろに左手を突き出す。そこには〈流星撃〉とよく似た、しかしそれとはまた別の指輪がはめられていた。
その指輪もまた、魔道具である。そこへキキが魔力を込めると、〈流星撃〉と同じように魔法陣が展開された。ただ見る人が見れば、二つの魔法陣が似てはいるものの別モノであることに気付いただろう。
カムイはキキが二つ目の魔法陣を展開したのを見ると集中力を高めた。そして発動の瞬間を見極める。彼もその魔法陣が別モノであることを知っているのだ。ただしそれは実体験として、である。
そして、二つ目の魔法陣から閃光が放たれた。ただしそれは散弾状ではない。太く、まるで杭のような閃光だ。一度くらったからカムイには分かるが、この閃光は白夜叉の防御の上からであっても骨が軋むほどの威力がある。
キキが使う二つ目の魔道具は、銘を〈雷神の鎚〉という。ロロイヤが〈流星撃〉の参考にした魔道具で、レポートに残っていた考案者の名前はイスト・ヴァーレ。ただ、もちろんと言うかキキが使っているのを作ったのは、イスト・ヴァーレ氏ではなくロロイヤである。
当初、ロロイヤはこの仕事を嫌がった。「他人が開発した魔道具を丸々コピーして作るなどまっぴらご免」というのが彼の言い分だ。だがしつこくねだるキキがあまりにもウザかったのか、最後には根負けして作ってくれたのである。
時空を超えて甦った、とでも言うべきか。ロロイヤは「そんな大したものじゃない」と言うだろう。なにはともあれ、その〈トール・ハンマー〉から放たれた一条の閃光がカムイの足元を穿った。
「っち!」
鋭く舌打ちして、カムイは跳躍した。そして飛び上がった彼を狙い済まし、〈流星撃〉から散弾状の閃光が放たれる。カムイは無理やり身体を捻って閃光を避けるが、しかし完全には回避できない。幾つかが身体に当り、彼は顔を歪める。痛かったのもあるが、それ以上に上手くしてやれたようで少し悔しかった。
短い跳躍の後、カムイは右手から地面に着地する。空中で体勢を崩したせいで、足から着地できなかったのだ。膝の代わりに肘を曲げて衝撃を吸収し、さらにそのまま地面を素早く転がった。
次の瞬間、彼が着地した地点に〈トール・ハンマー〉の一撃が突き刺さる。地面を伝わってくる振動が妙に生々しい。カムイは急いで身体を起こすと、片膝をついた状態でキキのほうに視線を向けた。
「むう……、〈流星撃〉は当っているのに動きが鈍らない。理不尽」
「鈍ってたら、キキの訓練に付き合えないだろ」
「……なるほど、一理ある」
神妙そうな顔をしてキキは一つ頷いた。それから左右の手を重ねるようしてカムイの方へ向ける。その状態で〈流星撃〉と〈トール・ハンマー〉の両方の魔法陣を展開すれば、カムイからは二つの魔法陣が重なって見えた。
(考えたな……)
カムイは内心で舌打ちする。これではどちらを使うつもりなのか分かり辛く、そのせいで下手に動けない。訓練の性質上仕方のない面もあるが、キキにイニシアティブを取られている。それが地味に厄介だ。
それでもできる事はある。カムイは視線を逸らさずにゆっくり立ち上がると、〈オドの実〉を発動させて白夜叉のオーラの量を増やした。同時に多量のオドを吸収したことで、スッと頭が冷えて集中力が高まる。彼の雰囲気が変ったことに気付いたのか、キキがわずかに顔を険しくした。
そして閃光が放たれる。発動したのは〈流星撃〉の方で、散弾状の閃光がカムイに襲い掛かった。それらの閃光を、最初とは異なりカムイは小さな動きでかわしていく。ただ、何度も言うが散弾状の閃光は回避がしづらい。回避能力がまだまだ未熟なカムイでは、到底全てをかわすことはできない。
ただし、迎撃ならば十分に可能だ。かわしきれない閃光を、カムイは手刀や拳で振り払いかき消していく。このままでは埒が明かないと思ったのか、キキは左手の〈トール・ハンマー〉も発動。一条の閃光がカムイに向かって放たれた。
その一撃は確かに強力だ。しかしそれだけなら、回避はそう難しくない。カムイはサイドステップでその一撃を避けた。そこへ散弾状の閃光が殺到する。
(組み合わせて使われるとやっぱ面倒……!)
内心で悪態をつきながら、カムイは〈オドの実〉の出力を上げる。そしてオーラの量を増やし、その分を使って右手に“グローブ”を形成。その一振りで、殺到する散弾状の閃光を薙ぎ払った。
「むう……、回避の練習になってない」
「あいにくと滅多打ちにされて悦ぶマゾい趣味はないんだ」
軽口を叩きながら、カムイは連射される〈トール・ハンマー〉の一撃を確実に回避していく。一方で〈流星撃〉の攻撃は無理に回避するのではなく、体勢を崩されないことを第一に。ただしそれは甘んじて攻撃を受けるというわけではなく、身体に当る分はきちんと迎撃している。
(よし、やりやすくなってきた……!)
自分の形にはめ込んだからなのか、動きやすくなったのをカムイは感じた。ただそれはある意味で〈オドの実〉を使った力押しの結果であることも忘れてはいけない。まあ、「それも含めて実力」という考え方もできるが。
「むうう……!」
逆に、やりにくくなったのを感じ取ったのだろう。キキは顔をしかめて不機嫌そうに唸った。そして追い回すように〈流星撃〉と〈トール・ハンマー〉を撃ちまくる。しかし有効打が決まらない。
「あ……」
そうこうしている内に、展開されていた二つの魔法陣がほぼ同時に消えた。キキの魔力が尽きたのだ。魔力を使い果たした彼女は、疲れた様子で地面にへたれ込む。それを見て、カムイも臨戦態勢を解いた。今日のキキとの稽古はここまでである。
「やたらめったら撃ちすぎだろ。無駄撃ちが多い気がしたぞ」
「カムイが当らないのが悪い」
「ま、そういう稽古だからな」
キキの負け惜しみ的苦情をカムイはさらりと受け流す。そしてストレージアイテムから一枚の符を取り出した。〈魔法符:トランスファー〉である。
「どうする、回復しとくか?」
「断固拒否する」
心底嫌そうな顔をしてキキはそう答える。それを見てカムイは肩をすくめた。〈魔法符:トランスファー〉があればアストールの力を借りずとも魔力を回復することができる。しかしどうにもこれは不評だった。
『熱い油を流し込まれてるみたい』
一度〈魔法符:トランスファー〉を使ってカムイから魔力を回復してもらった、キキの感想である。魔力を完全回復させたのにゲッソリとした顔をしていたから、相当不快だったようだ。
『我慢できないほどじゃない。だけど、我慢できてしまうから余計に厄介』
キキは疲れた様子でそう語った。そして最後に「アストールはすごい」と付け足す。すごいと言われた本人は「慣れてしまえば大したことはないですよ」と言っていたが、キキは「慣れるまで我慢するなんてマゾい」と慄いていた。
まあ、それはそれとして。前回、キキが魔力を「熱い油」のように感じたことについてだが、カムイはその原因に心当たりがあった。つまりその時の魔力は、瘴気由来だったのだ。
「今度はオド由来にしとくよ。前ほどキツくはない、はず」
「人体実験だよ、これは……」
そうは言いつつも、キキは魔力の回復に同意した。カムイは経験したことはないが、魔力が空っぽになると強い倦怠感に襲われるそうだ。今のキキもまさにその状態のはずで、見れば顔色も少し悪い。
「んじゃ、始めるぞ」
その言葉にキキが頷くと、カムイは〈オドの実〉を発動してオド由来の魔力を体内に溜め込んだ。そして〈魔法符:トランスファー〉をキキの二の腕に押し付けた状態で発動させ、溜め込んだ魔力を彼女のほうへ流し込む。
「んっ……」
キキが小さなうめき声を漏らす。ただ顔は引き攣っていないから、前回ほどキツくはないようだ。やがて魔力を完全に回復させると、彼女は「ふう」と一つ息を吐いた。顔色も幾分良くなっているように見える。
「……ありがと。楽になった」
「こっちも新しいマジックアイテムを試せてよかったよ」
「やっぱり人体実験」
その指摘にカムイは肩をすくめる。あえて否定しようと言う気にはならなかった。
さて、魔力が回復するとキキは【HOME】の方へ戻った。一方カムイは、稽古を続けるイスメルたちの方へ合流する。
「ああ、カムイ。キキとの稽古は終わりましたか?」
カムイにそう声をかけるイスメルは、汗一つかいておらず涼しい顔だ。呼吸もまったく乱れていない。対するカレンと呉羽は、大粒の汗を流しながら肩を大きく上下させて荒い息をしている。違いは一目瞭然だった。
「はい。キキは【HOME】に戻りました」
「そうですか。では、やる気があるのならこちらに加わってください」
その言葉にカムイは少しだけ苦笑した。つまりやる気がないなら来なくていいということ。彼女は本当に自主性を重んじる先生だ。そして、もちろんカムイの答えは決まっている。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
「分かりました。では、三対一でやりましょう。……二人とも、呼吸は整いましたか?」
そう言ってイスメルはカレンと呉羽のほうに視線を向けた。それを受けて彼女たちは揃って頷く。わずかな時間ではあったものの、その間に少しは休憩できたのか、二人の呼吸は多少落ち着いていた。
「カムイ、魔力を回復してくれ」
ちょっと飛ばしすぎた、と呉羽は言う。イスメル相手だと手加減しなくていいので、調子に乗って大技を使いすぎたのだろう。とはいえ、それだけ乱発しておいて呼吸の一つも乱せないのだから、彼女は悔しそうだった。
「分かった。カレンはどうだ?」
「あ~、わたしは遠慮しとくわ……」
若干目を逸らしながらカレンはそう答えた。この反応はつまりキキと同じ理由だろう。瘴気由来の魔力はどうも受けが悪い。今後、人様の魔力を回復させるときは、できるだけオド由来の魔力にするべきだろう。
まあ、それはともかくとして。呉羽の魔力を回復させると、いよいよ稽古の再開である。まず呉羽がイスメルの正面に相対し、そしてカムイとカレンがそれぞれ左右からゆっくり動く。そしてイスメルの左右の斜め後方に位置を取った。
これで三人はイスメルを三方から囲んだことになる。その三角形の真ん中で、イスメルはだらりと両腕を下げて佇んでいた。彼女の顔に焦りは微塵も浮かんでいない。むしろその剣気に圧され、囲んでいるはずの三人の方が顔を険しくしていた。
ただ立っているだけに見るイスメルにしかし隙はなく、三人は動こうにも動けずにいた。とはいえ、このままだと稽古にならないので、彼女の方が先に動いてしまう。それなら無理にでも先に動いた方が、まだペースを握れる。
ちらり、とカムイは視線だけ動かしてカレンに目配せをした。それに気付いた彼女が、やはり視線だけで応える。そして二人は合図もなく、しかしほぼ同時に動いた。ちょっと前まではこういうタイミングがなかなか合わなかったのだが、ここ最近はずいぶん上手く行くようになった。これも稽古の成果であろう。
「はあああああ!」
「そ、っこぉぉお!」
攻撃のタイミングも同時。カレンは右手の剣を振るって〈伸閃〉を放ち、カムイは左手から“アーム”を伸ばす。それらの攻撃を、イスメルはそれぞれ左右に持った双剣で切り払った。
しかしカムイとカレンの攻撃はこれで終わらない。カレンは次に左手の剣を振るってもう一度〈伸閃〉を放ち、カムイは右手から伸ばした“グローブ”をその爪でかき裂くようにして振るう。だがそれらの攻撃もまたイスメルはあっけないほど簡単に切り払って見せた。
とはいえ、それもまた織り込み済み。ここで呉羽が動いた。彼女は愛刀に紫電をまとわせてイスメルに斬りかかる。〈雷鳴斬〉だ。その強力な攻撃を、イスメルは後ろへ飛んでかわした。そこへ呉羽が追撃を仕掛ける。
「〈雷刃・建御雷〉!!」
放たれた紫電を、しかしイスメルは容易く切って捨てる。まったく、こればかりは何度見ても理不尽だ。だが今はそれを嘆いている場合ではない。呉羽は大技を放って動きが止まっている。その彼女をカバーするために、カムイは“グローブ”を形成しなおしてイスメルに仕掛けた。
力任せに叩き付けた“グローブ”の一撃を、イスメルは切り払わずに回避する。カレンも背後から仕掛けるが同様だ。その見切りは紙一重で、あとちょっとで当りそうな気さえする。しかしその“ちょっと”が果てしなく遠いことを、カムイはこれまでの稽古で散々思い知らされていた。
それでも、攻める。ありがたいことにアブソープションのおかげで息切れはしない。それでカムイは一旦後ろに下がったりはせず、むしろ間合いをあけないように意識しながら攻め続けた。
姿勢を低くしてイスメルの剣をかわす。拳が届くような距離だと、〈伸閃〉を気にする必要がなくて楽だ。低くした姿勢のまま懐に潜り込もうとするが、しかしいなされて背後に回りこまれる。カムイは無理やり身体を回転させつつ右手のグローブを振り回し、周辺を薙ぎ払ってイスメルを牽制した。
トンッ、と軽やかな足音を立ててイスメルが距離を取る。カムイは反射的に〈伸閃〉を警戒したが、その前に呉羽が仕掛けた。
「〈雷樹・絶界〉!」
呉羽の周囲に紫電が立ち昇る。彼女は自らの周囲に雷樹を発生させながら、愛刀を構えて地面を蹴った。そしてイスメル目掛け一直線に突撃する。その様はまるで龍が地を駆けているかのようだ。
紫電を引き連れて迫る呉羽を、イスメルは〈伸閃〉で迎撃する。しかし彼女もさるもので、伸ばされた不可視の斬撃を愛刀で切り払う。だがイスメルの斬撃は一つだけではない。そもそも双剣は素早さと手数が信条だ。
それでさらに幾つもの斬撃が放たれる。呉羽もそれを切り払うが、しかし一呼吸の間に放たれる斬撃数が多過ぎた。すぐに呉羽の対処能力の限界を超え、斬撃の一つが彼女の脇腹に叩き込まれる。彼女はなす術もなく吹き飛ばされた。
「がぁ、ぐぅ……!」
地面を転がる呉羽の口から、うめき声が漏れる。見えてはいた。それなのに対処できなかった。そういう意味で、絶対に回避できない一撃だったと言える。実戦なら身体を上下に真っ二つにされていただろう。もちろんこれは稽古だからイスメルも手加減している。それで脇腹を切り裂かれることはないが、それでも骨が軋み内臓が破裂しそうになる威力だ。
動けなくなった呉羽を援護するため、カムイは急いで前に出た。カレンは彼よりも一瞬早く動いていたようで、先にイスメルに仕掛けて彼女の注意をひきつける。その間にカムイはイスメルの背後に回りこんだ。
「動くのが遅い。呉羽と連携するべきでした」
辛口の評価を述べながら、イスメルが双剣を振るいつつ身を翻す。そうやってカレンの攻撃を弾き、さらにカムイの方へ向き直る。この時点で背後に回りこんだ利点が消えた。それでも今更退けるわけもなく、カムイは拳を握ってイスメルに挑んだ。
(ホントに、当らないっ……!)
カムイの蹴りを、拳を、“アーム”を、“グローブ”を、イスメルはスイスイとかわしていく。カレンが背後から攻めに加わるが、それでもイスメルのペースは崩せない。それでもなんとか喰らい付こうと一歩踏み込んだ瞬間、カムイは背筋が凍えるほどの剣気を感じ取った。
「っ!?」
反射的に仰け反る。さっきまで首筋があった位置を、鋭い一閃が銀色の軌跡を置き去りにして通り過ぎていく。間合いが詰まったのを利用して、イスメルが逆に反撃してきたのだ。何とかかわしはしたものの、上体が泳いで体勢が崩れている。今更ながら、カムイは自分の動きが誘導されていたことを悟った。
「こなっ……、クソッ……!」
泳いだ身体を、カムイは無理やり捻る。そして蹴りを放った。しかし破れかぶれの攻撃など、イスメルには通じない。ヒョイと避けられ、さらにはお返しとばかりに軸足を払われる。カムイの身体は完全に宙に浮いてしまった。
カムイの視界が回る。しかし彼はそのまま地面に叩き付けられたりはしなかった。右手の“グローブ”で無理やり地面を掴むと、まるで自分を投げるようにしてイスメルから距離を取ろうとする。
だが逆立ちのように自分の身体を持ち上げたところで、イスメルが“グローブ”を斬ってしまった。カムイは頬を引きつらせるがもう遅い。支えを失った彼は不恰好な形で投げ出され、そのまま派手に地面を転がった。
転がりながらカムイは地面に爪を立てる。過剰な負荷に腕が悲鳴を上げるが、そこは無視だ。そうやって無理やり勢いを殺し、跳ね起きて両足で地面を踏みしめると、膝を曲げて勢いを完全に殺した。
イスメルの追撃は来ない。顔を上げると、カレンと動けるようになった呉羽が二人がかりで彼女に挑んでいた。二人ともよく動いているように見えるが、しかしイスメルはさらにその上を行く。少し離れたところにいるカムイの目には、彼女が二人をさんざん振り回しているように見えた。
攻めあぐねる呉羽の視線が不意にカムイを捉える。それから彼女は位置取りを変えてイスメルと彼の間に割り込み、外套の裾を大きくはためかせてその視界を遮った。その瞬間、カムイは膝を伸ばし弾かれたように前に出る。
イスメルの位置は気配で何となく分かった。ということは同時に彼の位置もまたイスメルに勘付かれているのだろうが、そんなことは百も承知、いつものことだ。ならば視界を遮っている分、多少なりとも好機と言えるだろう。
(小細工だけど、試してみるか……!)
ぐんぐんと間合いを詰める。“グローブ”を再形成。目の前にはまだ呉羽の背中があるが、カムイは構わず左足を踏み込み、右手を“グローブ”ごと引く。その絶妙なタイミングで呉羽が跳躍し、イスメルの姿が見えた。
引き絞った右手の“グローブ”を真っ直ぐ前に突き出す。いわゆる正拳突きだ。眼前に迫る“グローブ”の拳を、イスメルはわずかに上体を逸らせていつも通り紙一重でかわした。
「……っ」
かわしたはずの、その次の瞬間。イスメルがわずかに驚いた顔をした。彼女の動きを追うように、“グローブ”が伸びたのだ。“アーム”の応用である。さすがにこれ以上身体を逸らせると体勢を崩すと思ったのか、イスメルは地面を蹴って後方へ跳び、伸びて迫る“グローブ”から逃れた。そしてカムイが待っていたのは、まさにその展開だった。
(ここッ!)
カムイの目に映る全ての動きがゆっくりになる。スキル〈戦境地〉が発動したのだ。極限まで集中したその世界でカムイはタイミングを見計い、そして“グローブ”の拳を開いた。
“グローブ”には、指の代わりに五本の鋭い爪が生えている。拳を開いたことで、その爪の分だけさらに間合いが伸びたのだ。紙一重の一線を越えて、その鋭い切っ先がイスメルに迫った。
イスメルはわずかに顔をしかめた。さらに距離を取ろうにも、跳んだことで彼女の身体は宙に浮いてしまっている。それで彼女は右手の剣で“グローブ”の一撃を受け止め、さらに左手の剣でそれを切り捨てた。それはカムイが思い描いたとおりの展開である。ほんの一瞬とはいえ、イスメルの両手を塞いだのだ。
「雷・鳴・ざぁぁぁあああん!!」
その隙を見逃さず、跳躍していた呉羽が紫電を引き連れて勢いよく降下してくる。その姿はまさに稲妻そのものであるように見えた。さらにイスメルの後ろからはカレンが〈伸閃〉を放つ。しかも左右で微妙にタイミングをずらしていて、これが結構回避しづらいことをカムイは身を持って知っていた。
イスメルの顔がさらに険しくなる。これは初めてクリーンヒットが決まるかとカムイが期待したその矢先、彼女の姿が掻き消えた。そして呉羽とカレンの攻撃が揃って空を切る。三人は慌てて視線をめぐらしイスメルの姿を探した。
「〈瞬転〉を使うことになるとは……。三人がかりとはいえ、成長しましたね」
感慨深げな声が響いたのは、カムイから見て右の方向だった。反射的に首を捻ってそちらへ視線を向ければ、二十歩ほどの距離の場所にイスメルが悠然と佇んでいた。彼女の口元には、まるで賞賛するかのように小さな笑みが浮かんでいる。
しかし肝心の三人はと言うと、呆気にとられて褒められたことにも気付いていない様子だ。カムイはさっきまで彼女がいた場所と今いる場所を交互に見比べ、そしてごくりと唾を飲み込む。
(動きが……)
全く、見えなかった。
視線は逸らしていない。それどころか、イスメルの一挙手一投足を見逃さないように集中していた。〈戦境地〉はすでに停止していたかもしれないが、それでも視界のど真ん中に捉えていたのだ。目で追えないことはあるかも知れないが、しかしいきなり見失うことなど普通はありえない。
それなのに、見失った。初動すら見えなかったのだ。まるで狐か狸に化かされたような気分になる。とはいえ、本当に騙されたわけではない。そして手品のタネのヒントはイスメル自身が口にしていた。
「師匠、その〈瞬転〉というのは……?」
「移動術の一つです。歩法と高速移動を組み合わせることで、初動からトップスピードを得ることができます。ただ、連続して使うには少々魔力消費量が大きいのが難点ですね」
カレンの質問に、イスメルはそう答えた。要するにスキルか、あるいは技法の一つということだ。
言うまでもなくカムイら三人がこの〈瞬転〉という移動術を目にするのは初めてだ。つまりイスメルに手札を新たに一枚切らせたことになる。彼女の言うとおり成長の証と考えていいはずなのだが、嬉しさよりも衝撃の方が勝っていた。
「〈伸閃〉以外、特殊な剣技は使わないんじゃ……」
「さっきも言ったように、〈瞬転〉は移動術です。剣技ではありません。理論上、得物が槍だろうが斧だろうが使うことは可能です」
カムイの呟きに、イスメルはそう応じた。剣技じゃないからセーフ、ということらしい。まあ、確かに移動術が使えないとは一言も言っていなかった。ただ【ペルセス】というユニークスキルを設定したのだし、こういう移動に関する分野は不得手なのではないかと勝手に思っていたのだ。しかしどうやらそうではなかったらしい。ただ、それだけでのことだ。
「でもいままでは……」
「必要ありませんでしたから」
イスメルはさらりとそう答えた。それを聞いた三人は揃って渋い顔になる。手加減されているのは分かっていた。しかしどうやら思っていた以上に手加減してもらっていたようである。
屈辱、と言う気持ちは湧いてこない。ただ何かを掴んだと思ったのに、それがまた掌をスルリと抜け落ちていったように感じた。「また一からやり直し」と、そんなことを言われた気分である。
「……私でも、その〈瞬転〉という移動術は使えるでしょうか?」
それでも、喰らい付こうとする者はいる。呉羽は眼に強い光を宿しながら、イスメルを真っ直ぐに見てそう尋ねた。彼女は今のままでも、十分素早く動くことができる。ただそれは、【草薙剣/天叢雲剣】と【玄武の具足】の力に、つまりユニークスキルや装備品の力に頼ったものだ。
一方で〈瞬転〉は装備とは関係のない技術。いわば裸の技だ。ユニークスキルや装備品を使いこなすことも重要だが、それとは方向性の異なる分野を鍛えることで、総合的な能力はさらに向上するだろう。そして呉羽がこの稽古に求めているのは、まさにそういう部分だった。
「もちろんです。教えて欲しいですか?」
「はい、お願いします!」
呉羽がそう即答すると、イスメルは微笑んで一つ頷いた。
「分かりました。カレンと一緒に教えてあげます」
「え、わたしもですか?」
突然名前を出されてカレンは驚いた。とはいえそうおかしな話でもない。彼女はイスメルの弟子なのだ。ならば師匠が使う技術を伝授してもらうのは、何ら不思議なことではない。実際、イスメルは頷きを返してこう言った。
「ええ。少し早いですが、いずれ教えようと思っていたことです。ちょうどいいでしょう。カムイはどうしますか?」
「あ~、それじゃあ、オレもお願いします」
「分かりました。では早速……」
「あ、その前に……。カムイ、魔力を回復してくれ。使いすぎた」
少しバツの悪そうな顔をして、呉羽はそう言った。〈雷鳴斬〉が二回に、〈雷刃・建御雷〉と〈雷樹・絶界〉が一回ずつ。消費の激しい技を使いまくったせいで、彼女は早々にガス欠状態になってしまったのだ。しかも本日二回目である。
「お前な、少しはペース配分を考えろよ」
呆れつつもカムイは〈魔法符:トランスファー〉を取り出し、呉羽の魔力を回復してやった。それから三人は揃ってイスメルから〈瞬転〉を習った。
もちろん、三人はすぐにその移動術を使えるようになったわけではない。それで日々の稽古の中で、〈瞬転〉を練習する時間が設けられた。つまりその分立会い稽古の時間が減るわけで、カムイは心の中で「よっしゃ!」とガッツポーズをしたとか、しなかったとか。
もっとも、どのみちボロ雑巾にされることに変わりはない。イスメルは手を抜かない教師なのだ。素晴らしい先生に恵まれ、三人は涙を流したという。
まあそんなこんなで。旅路は続く。




