幕間 約束の地2
「予想通りというか、それ以上というか……」
アストールとリムから呉羽の話を聞くと、ハンドルを握るカムイは楽しげにそう呟いた。その隣で、カレンが少し思いつめたような顔をしていることに、前を見ている彼は気付かない。
呉羽はこの三ヶ月で〈雷樹・絶界〉を習得した。カレンも〈伸閃〉をかなりの程度使いこなせるようになった。しかし、しかしだ。いくらカレンが〈伸閃〉を使いこなしても、呉羽の〈雷樹・絶界〉には敵わない。
呉羽は、前に進んでいる。もちろんカレンだってそのつもりだ。けれどもその程度には差がある。カレンが一歩進む間に、呉羽は三歩も四歩も進んでしまう。これでは差は広がるばかりだ。そしていつかは絶望的なものになるだろう。
いや、分かっている。これは向き不向きの問題なのだ。呉羽のユニークスキルは戦闘に向き、カレンのは向かない。その上、これは個人の資質とは関係ない、デスゲームのシステム的な部分。でもだからこそ、その差は如実に現れる。
もちろんカレンにもユニークスキルはあり、その力にこれまで何度も助けられてきた。適所適材の言葉通り、活躍できる分野で力を振るえばいい。分かっている、分かっているのだ。だから、分かっていながらそれ以上を望む自分は、きっとわがままなのだろうとカレンは思う。
(師匠と同じ武器があれば……)
あまつさえ、そんなことまで考える。自分の馬鹿さ加減がいい加減惨めにもなってくるが、しかしそれでも一度考え出したらすぐには止まってくれない。その上、最後には脳内イスメルに「今の貴女では得物に振り回されるだけですよ」と説教されてしまった。カレンは思わずため息を吐くが、ガタガタと揺れる車内でそれに気付いた者はいない。ソレだけが救いだった。
「……そういえば、トールさんとリムはロロイヤからマジックアイテムを作ってもらったんですよね?」
呉羽の話が一段落したところで、カムイは次にアストールとリムが作ってもらったという、ロロイヤの魔道具について聞きたがった。なんだかんだあって、まだ名前以外には詳しい話を聞いていないのだ。ちなみに、先日の一件があってからカムイはロロイヤに「さん」付けをやめた。
「ええっとですね……。まず作ってもらったのは、私の〈テトラ・エレメンツ〉です。もっとも頼み込んで作ってもらったわけではなく、ロロイヤさんが実験のために作ったものをそのまま譲ってもらったのですが、まあそれはいいですね。この魔道具は四つの属性を持っていて……」
そう言ってアストールは〈テトラ・エレメンツ〉を作ってもらうことになった経緯を話し始めた。
― ‡ ―
「行ってらっしゃい、カムイ君」
アストールは旅立つ年下の仲間にそう言葉をかけた。そして小さくなっていくその背中を見送る。カムイのことについて、彼は大きな心配はしていない。行動を共にするアーキッドらは旅慣れている。彼自身一人でこの世界を旅したこともあると聞くし、そのうち元気に帰ってくるだろう。
(君は強いですね、カムイ君……)
ポイントの稼ぎだけを見れば、彼はこの世界でもトップクラスのプレイヤーだろう。しかも危険を冒すことなく、安全に稼げる。それで満足しても良かったはずだ。デスゲームのクリアは誰か別のプレイヤーに任せ、自分は安全な場所で効率よくポイントを稼ぐ。それでも良かったはずなのだ。
しかし彼はそれを良しとはしなかった。それで新たな装備のために旅立ったのである。それはつまり、彼は自分でこのデスゲームをクリアするつもりなのだと、少なくとも安全な場所から見ているだけで済ませる気などない、ということなのだろうとアストールは思っている。
彼は挑もうとしているのだ。この瘴気にまみれた過酷な世界に。しかもごく自然にその決意を抱いている。いや、この世界にいるプレイヤーはみんな、最初はこの滅びた世界に挑む決意を抱いていたはずなのだ。
しかしここは予想以上に厳しい世界だった。多くのプレイヤーがいつしか目先の生活で手一杯になり、当初の決意を忘れてしまっている。余裕のあるなしは大きな問題ではない。見通しの立たない将来から、目を背けてしまっているのだ。
アストールだってそうだ。なるべく表には出さないようにしているが、瘴気で霞む荒野を見るたび暗澹たる気持ちになる。〈魔泉〉を思い出せば、「何をしても無駄」と捨て鉢な気分になった。世界の再生には数百年単位の時間がかかるかもしれないという予測を聞いたときには、目の前が真っ暗になったものである。
問題は山済みで、状況は絶望的なまでに厳しい。そんな中で、ゲームのクリアを意識するのは難しいというよりむしろ辛い。だから目先の何かに問題をすりかえ、それで気分を誤魔化すのだ。アストールが遺跡や魔法陣の調査をしているのだって、そういう側面がないといえば嘘になる。
けれどもカムイはごく自然にゲームのクリアについて考えている。彼の考えが甘いわけではない。絶望的な状況や何の見通しも立っていない現状を理解したうえで、それでもごく自然にこのデスゲームをクリアするつもりでいる。そのあり方を、アストールは「強い」と感じるのだ。
カムイが旅立つ前、アストールは悩む彼の背中を押した。けれども実際には、彼の方こそ背中を押されていたのかもしれない。小さくなっていくその背中が、けれどもとても頼もしい。
(ダメな大人ですねぇ……、私は……)
アストールはそう、胸中で嘆息した。カムイは十六歳(もうすぐ十七歳)だという。十六歳を子供だとは思わない。彼のいた世界では、成人は十五歳だった。けれどもアストールの方が十歳近く年上なのだ。せめてその分くらいはしっかりしていたいと思う。
(ゲームクリア……)
できる、と信じよう。アストールは自分にそう言い聞かせた。できると信じれば、少なくとも気持ちは前向きになる。鬱々としていたら、できることもできなくなってしまう。それが一番馬鹿らしい。
できる事からやろう。アストールはそう思った。いや、今までもそうだったのだが、改めてそう思ったのだ。できないと投げ出す前に、できることからやっていく。世界が変わってもその基本は変わらない。
(今、私にできることは……)
やはりまずは知識を蓄えることだろう。ただ、それにはどうしても時間がかかる。長期的な目標とするべきだ。では短期的な目標はどうするか。それもできることなら、カムイが帰ってくるまでの間に、ある程度の成果が出るものが望ましい。
(攻撃力の補強、ですかね……。やっぱり)
内心で嘆息しながら、アストールはそう思った。彼の弱点は明白だ。すなわち「攻撃力が皆無なこと」である。ことさら戦闘能力が必要だとも思わないが、しかし攻撃能力がないことはこの世界においては致命的だ。自衛能力さえないということになりかねないのだから。
アストールのユニークスキルは【支援魔法】である。ただし、新たに支援魔法を覚えたわけではなく、もとからあった才能を強化してもらう形にした。そんなわけでもともと支援に徹するロールを選んでいたわけだから、彼は自分が戦闘で華々しく活躍する必要はないと思っていたし、またそういう活躍ができるとも考えていない。
ただ、やっぱり自衛能力が低いのは問題だろう。例えば今のままだと、アストールは襲い掛かってきたモンスターを〈ソーンバインド〉の魔法で拘束することはできても、そのモンスターを倒すことはできない。攻撃してダメージを与えることは、あくまでも仲間にやってもらわなければならないのだ。その一点についていえば、彼はリムにさえ負けていた。
リムだって戦闘向きの能力ではまったくないのに、これはさすがに酷い。自分のことながら、アストールは思わず渇いた笑みを浮かべてしまった。なにしろこの世界に来てから彼が自力で倒したモンスターの数は、片手の指より少ないのだ。
これはもう本当に、何とかしなければいけないだろう。しかもカムイと言う優秀な前衛が、一時的にパーティーを離脱しているのだ。可及的速やかにこの弱点を補強する必要があった。
(手っ取り早いのは、やはりマジックアイテムですか……)
一番いいのは自分で攻撃魔法を覚えることなのだろうか、しかし恥ずかしながらそれだと習得できるのがいつになるかわからない。もちろん無理だと諦めるつもりはないが、今は早急に体裁を整える必要があるのだ。そのためにはやはり、マジックアイテムを利用するのが一番だろう。
(そうだ……、ロロイヤさんにも相談してみましょう)
早速アイテムショップから適当なものを選ぼうと思い、システムメニューの画面を開きかけたアストールは、しかしそう思いなおす。せっかく身近に専門家がいるのだ。ここは一つ、意見を聞いておきたい。
「んなこと知るか。好きなもの買えばいいだろ」
しかしながらロロイヤはまったくアテにならなかった。考えてみれば、彼は魔道具製作の専門家ではあるが、しかしアドバイザーではないのだ。「好きなものを買え」以上のことなど言いようがない。
「まあ、そうですよねぇ……」
アストールもそう言って苦笑する。そして一言礼を言ってから部屋を出ようとする彼に、ロロイヤはふとこう声をかけた。
「……そういえば、お前は魔法が使えるんだったな?」
「え、ええ。使えるとは言っても、支援魔法ですが……」
確かにアストールは魔法が使える。ただ、使える分野がかなり限定されていた。それでそれを補うために、マジックアイテムを選ぼうとしているのだ。しかしここでロロイヤが思いがけないことを言った。
「魔法と魔道具を併用したら、どうなる?」
「……それは、つまり、魔道具に魔法をかける、ということですか?」
「あるいは、魔法を魔道具に込める、だな。どうなる?」
「分かりません……。私の世界には、魔道具がありませんでしたから……。呉羽さんとは似たようなことをしていますが、あれは彼女のユニークスキルに付加しているわけですし……。そういうことはロロイヤさんの方が詳しいのではありませんか?」
「ワシの世界は逆に魔法がなかったよ。しかしそうなると……」
そう言ってロロイヤは考え込み始める。その姿を見ながら、アストールは彼の言葉を反芻していた。魔法と魔道具の併用。考えても見なかった発想だ。今までアストールはその二つを別々に使うことしか考えていなかった。未知数とはいえ、この場で新たな可能性を思いつけるロロイヤは、やはりずば抜けたセンスを持っている。
「よし、実験するぞ」
顔を上げたロロイヤは、開口一番にそう宣言した。彼は言う。この世界には魔法がある。ということは当然、魔法を使うプレイヤーが魔道具を求めることもあるだろう。ならば職人はそれを前提として製作を行わなければならない。
「恐らく併用は可能だ。いや、併用を可能とする方策は必ず存在する。ならばワシは職人としてその分野を切り開かねばならん」
「ロロイヤさん……」
「こんな面白そうなこと、他の奴に任せておけるか」
「ロロイヤさん……」
しかもこれは〈狭間の庵〉を受け継いだ者たちの誰も手が出せなかった分野だ。その新たな可能性を独り占めできると思うと、ロロイヤは大変気分が良かった。なお自分の名前を呼ぶアストールの声のイントネーションが、一回目と二回目でずいぶん異なることにロロイヤはもちろん気付いていたが、瑣末なことなので意図的に無視した。
まあそれはそれとして。魔道具と魔法の併用。前述したとおり、これはロロイヤにとって新しい分野だ。そして新たな分野を切り開くためにはデータ集めが欠かせない。具合のいいことに、ここにはちょうど魔法使いがいる。ならばコイツに協力してもらわない理由があろうか、いやない。
「さあ行くぞ、実験だ」
そう言って立ち上がると、ロロイヤは有無を言わさずアストールの首根っこを引っ掴んで引きずるように歩き始めた。
「あ、あのロロイヤさん!? 私はこれからマジックアイテムを選ぼうかと……!」
「後にしろ、後に。それにこれから魔道具を買うつもりだったのだろう? そしてお主は魔法も使う。なら、二つの併用は無視できない可能性のはずだ」
アストールの抗議を、ロロイヤはそう言って封じ込めた。実際その通りではあるので、アストールもそれ以上抗議することができない。結局、なし崩し的にロロイヤの実験に付き合うことになった。
「それでどうすればいいんですか?」
遺跡の外の荒野に来ると、アストールはロロイヤにそう尋ねた。腹を据えたのか、彼の態度は協力的だ。自暴自棄になったのではない。この実験が、自分のマジックアイテム選びの参考にもなるのではないかと、そう思ったのだ。なにより併用ができるなら、それは彼にとって新たな力となるだろう。そんな予感があった。
「確かお主は〈エレメント・エンチャント〉という魔法が使えるのであったな?」
「ええ。使えますよ」
少し細かい話をすると、〈エレメント・エンチャント〉というのは特定の魔法ではない。武器や防具に特定の属性を付加する魔法のことを総称して〈エレメント・エンチャント〉と呼ぶのだ。だから例えば、火属性の属性を付加する魔法の場合には、〈フレイム・エンチャント〉などと呼ばれることになる。
今回、魔法と魔道具の併用の可能性を探るにあたり、ロロイヤがまず目を付けたのがこの〈エレメント・エンチャント〉の魔法であった。彼は腰の道具袋から小さな杖を取り出し、それをアストールに示す。
「コイツは〈火炎の杖〉という。火炎弾を飛ばす能力があり、まあ大した魔道具じゃない。いわゆる練習用だな。コイツに火属性の〈エレメント・エンチャント〉をかけて、それから使ってみてくれ」
「……爆発したりしませんよね?」
「大丈夫だ、たぶん」
ロロイヤは力強い口調で心もとない返事をする。それを聞いてアストールは伸ばしかけた手を思わず引っ込めた。実験に協力するのはやぶさかではないが、さすがに爆発するのは勘弁してほしい。ロロイヤは「上級ポーションを用意してある」というが、断じてそういう問題ではない。
躊躇うアストールを見てロロイヤは「しょうがないな……」と呟くと、もう一度道具袋に手を突っ込んだ。そして今度は筒状の魔道具を取り出すと、それをアストールに向かって放った。
「魔道具〈鷹の目〉。望遠鏡の魔道具版だな。確か視力を強化する魔法も使えたな? その魔法をソイツに付加してみろ」
放られた魔道具をお手玉しつつもキャッチしたアストールに、ロロイヤはそう指示を出す。これなら爆発する危険はない、ということなのだろう。アストールはさっそく受け取った魔道具に〈イーグル・アイ〉の魔法を付加しようとしたが、何かを思い出したようにロロイヤが「あっ」と呟きそれを止めた。
「まずはそのまま使って見てくれ」
比較しないと意味がない、とロロイヤは言う。まったくその通りなので、アストールはまず魔法を併用せず普通に〈鷹の目〉を使ってみた。望遠用の魔道具だけあって、確かに遠くのものが良く見えた。
次にアストールは〈鷹の目〉に〈イーグル・アイ〉をかける。そう言えば人間以外にこの魔法を使うのは初めてだ。ちゃんと付加できるのか少し心配だったが、使った魔法が彼自身にかかった様子もない。ということは、ちゃんと魔道具のほうに付加されているはずだ。されていなかったら、残念だがこの方法での併用はできない、ということなのだろう。
アストールが手に持つ魔道具〈鷹の目〉を、少し緊張しながら先ほどと同じように覗き込んだ。そして思わず「おお!」と歓声を上げた。先程よりも遠くのものが、しかしよりはっきりと見えたのだ。つまり魔法と魔道具が併用できることを示したのである。
「凄い……。凄いですよ、これは、ロロイヤさん!」
「ふむ、ちょっと貸してくれ」
興奮するアストールから〈鷹の目〉を受け取ると、ロロイヤはそれを覗き込んだ。そして確かにその魔道具が通常以上の性能を発揮しているのを見て取ると、「これはこれは……」と口元に凶暴な笑みを浮かべた。
「……む、きれたか」
そう呟いてロロイヤが覗き込んでいた〈鷹の目〉を目から離した。どうやら〈イーグル・アイ〉の効果が切れたらしい。彼はその魔道具を腰の道具袋にかたづけると、「それではいよいよ本命だ」と言ってアストールに〈火炎の杖〉を差し出した。
「さっき言ったように、火属性の〈エレメント・エンチャント〉を頼む。なに、爆発などしないさ。たぶんな」
相変わらず「たぶん」だったが、アストールは神妙な顔をして頷くと〈火炎の杖〉を受け取った。〈鷹の目〉に〈イーグル・アイ〉を付加したときの感じからして、確かにそうそう爆発することなどないだろうと彼なりに納得できたのだ。
彼はまず先ほどと同じように、まずは魔法をかけない状態で〈火炎の杖〉を使ってみる。魔力をこめると、小さな杖の先から拳くらいの大きさの火炎弾が放たれた。立て続けに二発三発と放ってみるが、火炎弾の大きさはどれも変わらない。これが〈火炎の杖〉の通常の能力なのだ。
次にアストールはロロイヤの注文どおり、〈火炎の杖〉に〈フレイム・エンチャント〉の魔法を付加する。ただ、やっぱり爆発が怖いのでその程度は控えめだ。やはり〈鷹の目〉の場合と同じく、魔法をかけても魔道具の外見に目立った変化はない。
「では、いきます……」
「うむ」
頷くロロイヤの前で、アストールは〈火炎の杖〉に魔力を込めた。するとすぐに火炎弾が放たれる。ただし放たれた火炎弾は、魔法をかける前の二倍程度の大きさになっていた。言うまでもなく、〈フレイム・エンチャント〉を付加したその成果である。
「実験は成功だな」
アストールが立て続けに放つ火炎弾を眺めながら、ロロイヤは満足げに頷いた。それから彼はアストールにこう尋ねる。
「ところで、魔力の消費量はどうだ? 魔法をかける前と後で変化は見られるか?」
「そうですね……。目立った変化はないように思います。まあ、計っているわけではないので正確にはわかりませんが……」
そう言ってアストールは火炎弾を放ち続ける。そして十発ほど放ったところで、魔法がきれたのか火炎弾の大きさが元に戻った。しかしそれでも、やはり魔力の消費量に大きな変化はないように思える。
それを聞いたロロイヤはまた「ふむ」と呟くとアストールから〈火炎の杖〉を受け取り、その小さな杖を手の中でクルクルと回してもてあそんだ。それからふとアストールの方に視線を向け、もう一度〈火炎の杖〉に〈フレイム・エンチャント〉をかけてもらう。そして無造作に火炎弾を放ち始めた。
「訳がわからんな、これは……」
ロロイヤは魔法がきれるまで火炎弾を放ってから、〈火炎の杖〉を持つ手を下げて小さくそう呟いた。思っても見なかった感想である。
「あの、訳が分からない、とは……?」
「入力と出力がつり合っていない。何なんのじゃ、これは……」
そう言ってロロイヤは珍しく頭を抱えた。ジジイ口調になっているから、本当に訳が分からないのだろう。
火炎弾が大きくなったということは、つまり出力が大きくなったということである。出力が大きくなったのであれば、それをまかなうために入力もまた大きくなっていなければならない。というかそうでなければ、エネルギーが足りないのだから出力が大きくなるはずがないのである。
ところが実際に、入力は変わらないのに出力が大きくなってしまっている。ありえないはずの現象が起こっているのだ。とりあえず魔法と魔道具の併用が可能であることが分かったのだから実験の成功を喜んでもいいのに、ロロイヤはなぜこんなことが起こるのかが気になってそれどころではなかった。
(やはり、魔法か……?)
考え得る原因はそれしかない。それでロロイヤは道具袋からモノクルを二つ取り出し、片方をアストールに渡してからそれを装着した。そして彼にもう一度、〈火炎の杖〉に魔法を付加してもらう。それから今度は火炎弾を放つのではなく、魔法をかけてもらった〈火炎の杖〉をためつすがめつ観察しはじめた。
「……魔力のようなものが纏わり付いている、ように見えるな」
「そう、ですね……」
モノクルを通して魔法をかけた〈火炎の杖〉を観察すると、赤味がかった燐光がその周囲に纏わりついているのが見えた。杖を振り回して見ても、その燐光は拡散したり消えたりはしない。さっきまでこんなものはなかったから、この燐光がつまり〈フレイム・エンチャント〉の魔法であると考えていいだろう。
次にロロイヤは、火炎弾を発射する。一発だけ放っても大きな変化があるようには見えない。しかし二発三発と立て続けに放つと、杖に纏わり付いていた燐光が徐々に小さくなっていく。そして十発ほど放って赤味がかった燐光が完全に消えると、火炎弾も元の大きさに戻ったのである。
魔法がきれた〈火炎の杖〉を、ロロイヤは睨むようにして見つめた。アストールも観察しているが、赤味がかった燐光が消えた以外、特に変わったところはない。ということは、やはりあの赤い燐光がヒントのはずなのだ。
「……このモノクルは、魔力を観察するための魔道具、なのですよね?」
「まあ、そうだな」
「では、あの赤い燐光はやはり魔力のはずです。その分の魔力を使って、入力の不足分を補っていたのではないでしょうか?」
「ふむ。言い方を変えれば、つまり外部にプールした魔力を使って増幅した、ということだな」
呟くようにそういうと、ロロイヤはまた考え込んだ。そして少ししてから「まあ、それなら一応筋は通るか……」と呟き納得した様子を見せた。
一方のアストールもまた目から鱗が落ちる思いだった。彼は今まで〈エレメント・エンチャント〉の魔法について、「武器や防具などに特定の属性を一時的に付加する魔法」だと思っていた。
もちろん、その理解が間違っていたわけではない。ただこうしてみると、「特定の属性に変質させた魔力を、対象にプールしておくこと」こそが〈エレメント・エンチャント〉の本質であるように思える。そして本質を理解していれば、同じ魔法を使うにしても応用が利く、かもしれない。
(ま、そのあたりは私の努力次第、ですね)
ここですぐに応用の案が出てこないのが、アストールの凡夫たる由縁だろう。少なくとも彼自身はそう思っている。なまじロロイヤのような天才がすぐ傍にいるものだから、才能の差が目立って仕方がない。
(でも、私はきっと運がいいのでしょうねぇ……)
リムやカムイや呉羽という素晴らしい仲間と出会え、さらにはこうして天才のすぐ傍で勉強することができている。だからこそ努力しなければいけないと思うのだ。そもそもこの恵まれた環境の中で腐っていたら、それこそ神罰が下るというものである。
「よし……! 実験を続けるぞ、アストール!」
そんな彼の内心を知って知らずか、ロロイヤがそう声をかけた。彼の声はやる気に満ちみちている。アストールの都合などまるで無視してしまっているが、彼はそれが別に嫌ではなかった。
弟子にして下さい、などとは畏れ多くて言えるはずもない。だが「邪魔だからどっか行け」と言われたことはないのだ。それどころかこうして実験に参加させてくれる。なら今は喰らい付いて一つでも多く学ぼう。アストールはそう思った。
ちなみに。彼が、当初の目的であったマジックアイテム選びのことをすっかり忘れていたことに気づくのは、就寝しようと思って明かりを消し寝袋に入った、まさにその時である。当然、もう面倒なので明日にすることにした。
さて、その次の日のことである。アストールが呉羽やリムと一緒に朝食を食べていると、そこへ昨晩から姿の見えなかったロロイヤが現れた。そして昨日と同じく、強引にアストールを連れ出す。呉羽とリムも、苦笑して手を振っているあたり、教育が行き届いているというべきか。なんにせよ、毒されてきていることは間違いない。
「さて。では昨日の実験の続きだ」
遺跡の外の荒野に出てくると、ロロイヤは楽しげにそう言った。そしてアストールに一つの腕輪を差し出す。その腕輪には赤・緑・紫・黄色の四つの結晶が等間隔に埋め込まれていた。アストールはその腕輪を受け取ると、困惑気味な表情を浮かべてロロイヤにこう尋ねた。
「あの、これは……?」
「魔道具だ。銘は〈テトラ・エレメンツ〉。昨晩作った。今日の実験ではこれを使ってもらう」
ロロイヤは事もなさげにそう言ったが、その言葉にアストールは驚いた。渡された腕輪が魔道具だったことに驚いているのではない。彼は優秀な魔道具職人だし、魔法と魔道具の併用について実験するのだから、魔道具であるのはむしろ当然である。
アストールが驚いたのは、その〈テトラ・エレメンツ〉という魔道具を、ロロイヤが「昨晩作った」と言った事である。多少の知識を得たから分かるが、魔道具とはそんな簡単に作れるようなものではない。それなのにたった一晩で作ってしまうとは。凄腕を通り越して、もはや非常識ですらある。
「ソイツについて説明しておくぞ」
呆然とするアストールに、ロロイヤは少々面倒くさそうにしながらそう声をかけた。その声にアストールも慌てて我に返る。そして彼の説明に聞き入った。
「〈テトラ・エレメンツ〉の名前の通り、その魔道具には四つの属性を操る能力がある」
その四つの属性とは、火・風・雷・土であるという。腕輪にはめ込まれた四つの結晶体が、それぞれ属性を司る核になっているそうだ。そしてロロイヤはさらに説明を続ける。
「今回の実験では、〈エレメント・エンチャント〉の使用を前提にしている。だから魔道具もそれにあわせ、攻撃力よりも操作性を重視した設計にした」
つまり、攻撃力は〈エレメント・エンチャント〉によるブーストに頼る、という考え方だ。魔法との併用を前提にしているということで、これまでにはなかった設計思想と言っていいだろう。
「まあ、使っている技術それ自体は今までとほぼ同じだがな」
流石にまだデータが足りていない、と言ってロロイヤは苦笑を浮かべる。それから彼はさらに幾つか細かい点を述べてから説明を終えた。そして神妙な顔をして頷いたアストールが〈テトラ・エレメンツ〉を左腕に装着したのを見て、続けてこう言った。
「よし、それじゃまずは魔法をかけないで使ってみてくれ」
ロロイヤのその指示に、アストールは神妙な面持ちのまま頷く。そしてロロイヤから少し距離を取ってから、左腕にはめた魔道具に魔力を込めて実験を始めた。
アストールはまずはそれぞれの属性を一つずつ試していく。その次は二つの属性を組み合わせて、あるいは同時に使ってみる。自分では結構複雑なことをしているつもりなのに、しかしあっさりとできてしまう。その呆気なさに、彼は思わず頬を引き攣らせた。
ロロイヤは〈テトラ・エレメンツ〉について、「攻撃力よりも操作性を重視した」と言っていた。その言葉通り、こうして使ってみてもあまり派手さはない。しかしその操作のしやすさに、アストールは内心で舌をまいていた。これを一晩で作り上げたなんて、本当に信じられない。
「よし、その程度でいいだろう。〈エレメント・エンチャント〉をかけてくれ。属性は……、とりあえずなんでもいい」
モノクルを装着しながら、ロロイヤがそう言う。アストールは一つ頷くと自分もモノクルを貸してもらってから、〈テトラ・エレメンツ〉に〈フレイム・エンチャント〉の魔法を付加した。早速魔法を使おうとすると、ロロイヤが「ちょっと待て」と言って彼を止めた。そして魔法が付加された〈テトラ・エレメンツ〉の様子をまじまじと観察する。
「ふむ、魔法は魔道具全体にかかっているな……。そういえば、〈エレメント・エンチャント〉を重ねがけするとどうなるんだ?」
「属性が同じであれば、一回分だけが残ります。つまり効果が倍になることはありません。切れて隙を作る前にかけなおすのは、よくやりますね」
「ふむ、では違う属性ならどうなる?」
「弾かれます。もとからかかっている方が優先です」
アストールはすらすらと答えた。尤も、その知識は彼の世界のものだから、この世界でも同じように通用するかは分からない。それで早速試してみたのだが、結果は彼が言ったとおりのものだった。
「よし、では実験を続けるぞ。まずは……」
疑問が解決して満足したのか、ロロイヤは機嫌よくそう言った。その後、アストールは彼の注文どおりに魔法を使い、また魔道具を操っていく。実験は昼食を挟んで夕方まで続き、辺りが暗くなってきたところでようやく終わった。実験が終わったのでアストールは〈テトラ・エレメンツ〉をロロイヤに返そうとしたのだが、彼はぞんざいに手を振ってこう言った。
「それは貸しておく。何か面白い使い方を見つけたら報告してくれ」
そういうと、ロロイヤは返事も聞かずに遺跡の方へ戻っていった。アストールは慌ててその背中を追う。
何はともあれこれが、アストールが〈テトラ・エレメンツ〉を手にするまでの由縁である。
― ‡ ―
「……あれ、それじゃあその魔道具は借りてるんですか?」
ハンドルを握るカムイが不思議そうにそう尋ねた。アストールは確か代価を払ったと言っていたはずである。
「ああ、後日改めて、譲っていただけるようお願いしたんです」
ロロイヤに言われたとおり、アストールはあれから〈テトラ・エレメンツ〉の工夫の仕方を色々と考えていたのだが、その過程ですっかりとその魔道具に惚れ込んでしまったのだ。
それで、もともと攻撃用のマジックアイテムを買おうと思っていたこともあり、それならぜひこれをと思ったのだ。その頃にはリムの〈アクシル〉も完成していて、ロロイヤに魔道具を譲って欲しいと頼んだところ、「それじゃあ二つで500万」という話になったのである。
「まあ、ともかくこれで、私もようやくですが攻撃手段を手にしたわけです。モンスター相手なら十分に自衛できますし、これでみなさんの負担を減らせます」
どこかしみじみとした口調でアストールはそう言った。そんな彼にカムイは面白そうにこう言った。
「まあそれでも、一番使うのが〈トランスファー〉であることに変わりはないと思いますけどね」
「これは手厳しい」
そう言ってアストールは大げさに肩をすくめて見せた。その様子にカムイもカレンもリムも、そして最後にはアストール本人も、楽しげに笑うのだった。




