Go West! Go East! 11
カムイが呉羽たちと別れ旅立ってから、三ヶ月程度が経過しようとしていた。地図の上で確認すればここから先、アストールらがいる河辺の遺跡と海辺の拠点以外にプレイヤーたちの拠点はない。
「遺跡までは、あと三日ってところだな」
地図を見ながらアーキッドはそう話す。つまりカムイは帰ってきたのだ。メッセージのやり取りはしていたが、それでも久しぶりに会えると思うと懐かしさがこみ上げてくる。今までにこんな気持ちになった経験はなく、カムイはなんだかくすぐったい気分がした。
今回の旅でカムイらが回った拠点の数は全部で十一。海辺の拠点を入れれば数は十二になるが、岩陰の拠点のプレイヤーが廃都の拠点に合流したので、拠点の数はやはり全部で十一だった。
「そんなに急いだつもりはないんだが、今回はかなり早く回り終えたな」
「そうなんですか?」
「そりゃそうさ。周辺で孤立していたプレイヤーはあらかた回収して、すでに合流させてあるからな」
アーキッドのその言葉に、カムイは「なるほど」と思い頷いた。プレイヤーを回収して最寄りの拠点に合流させようと思えば、その間の移動はどうしても徒歩にあわせる必要がある。加えてそもそもの移動距離が長くなる。そうなると移動に時間がかかるのは自明だった。
その点、今回は余計な仕事をする必要がなかったし、拠点間の移動もアーキッドらのパーティーだけだったので、徒歩にあわせることなく走ることができた。それが大幅な時間の短縮に繋がったのである。
成果の方も上々である。まずカムイだが、彼は希望通りに琥珀色の結晶を加工してもらうことが出来た。新たな装備である〈オドの実〉は期待以上の性能で、旅に出たのは正解だったと胸を張って言える。
加えて、新たなスキル〈戦境地〉の習得もカムイは目指しているのだが、こちらの方はあまりうまくいっていない。自分の意思では全然発動できないのだ。ただあれからさらに二度、稽古中にあの感覚を経験することができた。そのことをイスメルに話すと、「高い頻度ですね」と言って驚いていたので、もしかしたらスキル自体はもう習得しているのかもしれない、とカムイは思っている。
(もしかしたら、自分の意思で発動するタイプのスキルじゃないのかもしれないな……)
最近、カムイはそう考え始めていた。つまり時々、それこそ思い出したかのように勝手に発動する、それが〈戦境地〉というスキルの特性なのではないか。そんなふうに思うのだ。
なんともあやふやで頼りないが、イスメルに言わせれば「そんなものです」とのことなので、そもそもこのスキルをアテにすること自体が間違っているのだろう。発動したらラッキー、くらいに考えておくのがいいのかもしれない。
実際、使えたときのことを思い出してみると、スキルのことなんて全く意識していなかった。むしろ共通しているのは、集中力が高い状態だったことだ。戦闘中、そういう状態のときに低い確率で発動するパッシブルスキル。もしかしたらそれが〈戦境地〉というスキルなのかもしれない。
(レベルが上がったら、発動の確率も上がるかな?)
カムイはそんなふうに期待しているが、しかしながら全くの手探りというのが実情だ。しばらくは気長にやっていくしかないだろう。
一方、アーキッドらの成果はどうだろうか。前述したとおり、今回回った拠点の数は全部で十一。そしてプレイヤーの総数はおよそ千名である。二周目であってもキキの【PrimeLoan】でポイントを借りたいというプレイヤーは多く、アーキッドらは今回の旅でまた約10億Ptを荒稼ぎしていた。
単純に計算して一人当たりだいたい1,000万Pt(手数料100万Pt)借りていることになり、まだまだ需要は大きいことが窺える。しかもたった三ヶ月程度でこれだけ稼げるのだから割りも相当いい。
「三周目もするんですか?」
「いずれはするだろうが、すぐにはやらん。あんまりがっつくと嫌われっちまうからな」
いい女と一緒だ、と言ってアーキッドは笑った。それならこれから彼らはどうするのかとカムイは思ったが、遺跡に戻れば何か教えてくれるだろうと思いそれ以上は何も聞かなかった。
アーキッドらが拠点をもう一巡りしてきたのは、何もポイントを稼ぐことだけが目的ではない。各地のプレイヤーをフレンドリストに登録して、メッセージによる連絡網を構築することも今回の目的の一つだった。
こちらについては、「何とか及第点」というのがアーキッドの評価だった。フレンドリストとメッセージ機能を使えるようにするには、そのためのアイテムをアイテムショップから100万Ptで購入しなければならない。キファもそうだったが、その出費を躊躇うプレイヤーが多かったのだ。
加えて、この世界の情勢も関係している。拠点間は瘴気によって寸断されており、そのため交流がほぼない。仮に瘴気濃度の問題をクリアしたとしても、ポイントさえあれば必要な物品はアイテムショップで大よそ揃うのだ。
加えて言うなら、今はプレイヤーショップ機能も使える。わざわざ長距離を移動して交流や交易を行う必要性は低く、そうであるならわざわざ連絡を取り合う必要もない。そう考えるプレイヤーが大半だった。
それでも、特にアラベスクなど各拠点の取り纏め役をしているプレイヤーは、連絡を取り合うことの重要性を理解していた。他の拠点の様子も知りたいし、何より万が一よそへ避難しなければならなくなった時、アーキッドらの力が借りられれば移動は格段に安全かつ楽になる。
そういう思惑もあり、アーキッドのフレンドリストには各拠点の取り纏め役と、その補佐をしているプレイヤーの名前がずらりと並んでいる。これで最低限各拠点と連絡を取り合うことができるようになったのだ。
ただ、その中で問題も発生した。メッセージ機能の使い勝手が悪かったのだ。初期状態だとメッセージ機能には「一時間に一回、500文字以内」という使用制限が付いている。ちなみにこの一時間に一回と言うのは、「送受信は一時間にそれぞれ一回ずつ」という意味であることがこれまでの経験則として判明している。字数制限はともかく、一時間に一回という縛りは連絡を取り合う上で大きな障害だった。
「これ、アードよ。また妾のところにお主宛のメッセージが来ているぞ?」
「あ、わたしのところにも来てます」
「実はなぜだかオレのところにも……」
縛りを克服する手段として、いわゆる人海戦術はある程度の効果を発揮した。ただ、あまりにも面倒すぎる。パーティーのメンバーから不満の声が上がるのに、そう時間はかからなかった。
「……というわけだ、カムイ君。問題解決のために新たなアイテムのリクエストを頼む」
「自分ですればいいじゃないですか。稼いでいるんでしょう?」
胡散臭い笑顔を浮かべながら首に腕を回してくるアーキッドに、カムイは迷惑そうな顔をしながらそう応えた。しかしアーキッドに獲物を逃がすつもりはない。ハッハッハ、とわざとらしく笑いながら、カムイを“説得”する。
「俺がリクエストして自分で買ってちゃ、ポイントが発生しないだろ? 儲け話だぜ、カムイ君、これは」
「もとが取れるほど需要があるとは思えませんけど……」
「いいか、少年。将来を見据えるんだ」
現在、この世界にはメッセージ機能以外に長距離の通信手段は存在しない。そしてシステムに頼らずに長距離の通信手段を確立するのは非常に困難だ。瘴気に覆われているこの世界で伝書鳩は現実的に不可能。プレイヤーに頼むことは可能だろうが、それでは人件費がかかりすぎる。
加えて、なまじカムイはスマホのある世界から来たものだから、この滅んだ世界がそのレベルになるまでにどれほどの手間と時間とお金がかかるのかを考えてしまう。途方もなく、文字通り想像も出来ない。
というか、そのレベルに達する前に、十分「世界は再生された」と判断できるだろう。つまりデスゲームクリアまでにスマホは、それどころか携帯電話も生まれてこないということだ。
そうなると、やはりメッセージ機能を使うのが最も現実的と言えた。そしてメッセージ機能を使う上で、字数制限と時間制限はどうしても邪魔になってくる。となれば、それを解除するアイテムには大きな需要があるといえるのではないだろうか。
「確かに今は需要が少ないかも知れん。だがな少年、この場合リクエストは早い者勝ちだ。そしてゲームクリアまでのことを見据えるんだ。最終的には大きな黒字間違いなし、だ」
熱弁をふるうアーキッドに説得され、というか丸め込まれ、カムイはリクエストすることに同意した。そしてアーキッドに促され、さっそくリクエストのためのページを開く。それからこう書き込んだ。
アイテム名【システム機能拡張パック2.1(フレンドリスト&メッセージ機能)】
説明文【メッセージ機能の時間制限を解除する】
幸いエラーが出ることはなく、アイテムは無事に生成された。カムイは早速、生成されたアイテムをショップで確認する。そして値段を確認して苦笑した。お値段なんと、250万Pt也。
「さすがに高いな。まあ、予想はしていたが」
「時間制限さえ解除すれば、実質的に字数制限も解除ですからねぇ……」
つまり、メッセージを連続して送るのだ。ただしこの場合、受信する側も時間制限を解除していなければならない。
「この際だ、少年。字数制限も解除できるようにしてみないか?」
「……買うんですか?」
「買うさ。そのうち」
「じゃあ、やめておきます」
笑いながら「そりゃ残念」と言うと、アーキッドは自分のメニュー画面を開く。そしてアイテムショップからカムイがリクエストした【システム機能拡張パック2.1(フレンドリスト&メッセージ機能)】を購入した。
なにはともあれ、こうしてアーキッドはメッセージの時間制限を解除し、それ以降カムイらのところへ彼宛のメッセージが来ることはなくなった。そして彼ら以上に喜んでいるのは、各拠点の取りまとめ役たちだろう。これからはきちんとアーキッドにメッセージが届くことを知り、彼らが大いに安堵したことは想像に難くない。
さて、そんなこんなありつつも、カムイらは遺跡に向かって移動を続けた。そしてあと一日弱というところまで来ると、カムイは一報入れておくべきかと思い、呉羽に次のようなメッセージを送った。
《To:【藤咲 呉羽】》
《明日中には遺跡に付くと思う。土産はないけど、土産話ならあるから楽しみにしていてくれ》
返信はすぐに来た。
《From:【藤咲 呉羽】》
《分かりました。リムちゃんやアストールさんも喜んでいます。近くに来たらまた連絡をください。土産話も楽しみにしています。
それから、ロロイヤさんが「例の術式は完成した」と言っていました。お気をつけて》
呉羽からの返信を読んでカムイは思わず苦笑した。「お気をつけて」と言い添える辺り、教育が行き届いているというか何と言うか。しかもそれが冗談でもなんでもないのだから、呆れるのを通り越してもう笑うしかない。
ただなんにしても、瘴気を集束させる術式が完成したのは朗報だ。これで遺跡に帰ればすぐ、〈オドの実〉に術式を施してもらえる。手数料や技術料を請求されるかもしれないが、その時はまた必要なだけポイントを稼げばいいだろう。遺跡には呉羽もリムもアストールもいるのだから。
「そういえばキファさんから預かったレポートは、と……」
カムイは預かった〈オドの実〉の詳細なレポートをストレージアイテムから取り出すと、自室の机の上に置いた。中身に軽く眼は通してあるのだが、実際のところカムイには理解できない内容だ。尤も、このレポートはあくまでロロイヤに宛てたものなので、彼が理解できなくても問題はない。
そして次の日の夕方。カムイらはついに遺跡の正門前に帰ってきた。呉羽からあらかじめ頼まれていた通り、一時間ほど前にメッセージを送っておいたので、正門前では四人が勢ぞろいして出迎えてくれた。
「カムイ!」
カムイの姿を見つけると、呉羽は感極まって飛び出た。そしてそのまま勢いよく彼に抱きつく。決して心配していたわけではない。メッセージのやり取りもしていたから、彼が無事であることは分かっていた。
けれどもだからと言って、カムイが無事に帰ってきてくれて嬉しくないわけがない。抱きついた彼はちょっぴり汗臭かったけど、そんなことは全然気にならなかった。それ以上に、彼の体温を感じて胸に温かいものが広がる。そして呉羽はごく自然にこう言った。
「おかえり、カムイ」
「ただいま、呉羽」
こうしてカムイの、琥珀色の結晶を加工するための旅は終わったのである。
― ‡ ―
「とりあえず、【HOME】に入ろうぜ」
ひとしきり再会を喜んだ後、カムイたちはアーキッドに促されて【HOME】の中へ入った。時間は少し早かったがそのまま夕食を食べる事になり、アーキッドがお酒を含めて料理を購入していく。そして料理がずらりと並べられ、各自がグラスを手に持ったところで乾杯が行われた。
「無事に帰ってこられたぜ! 乾杯!」
「「「「「乾杯!」」」」」
乾杯の後は、それぞれが勝手に料理をつまみ始める。話も弾み、楽しいひと時だった。特にアーキッドが旅の様子を面白おかしく話してくれたので、リビングには常に笑い声が響いていた。カムイも時々話を振られて喋っていたが、メインはあくまでも彼だ。というかカムイが話していたら、きっとただの報告会になってしまい、こんなに楽しくはなかっただろう。
「ロロイヤさん、ちょっといいですか?」
アーキッドの話が一段落したところで、カムイはロロイヤに声をかけた。彼は少し離れたところに席を取っていたが、料理は遠慮なく食べているしお酒も楽しんでいる。何より、アーキッドの話が面白かったのか表情が楽しげだ。これはカムイの勝手な偏見なのだが、彼はこういう騒がしい席は嫌いなのではないかと思っていただけに、こうして楽しんでいる様子を見るのは意外だった。
「ん、どうした?」
「実は〈オドの実〉、新しい装備のことでキファさんからレポートを預かっています」
どうぞ、と言ってカムイがレポートの入った封筒を差し出すと、ロロイヤは「ほほう?」と凄みのある笑みを浮かべながらそれを受け取った。酔っているせいなのか狂気たれ流しのような気がして、カムイは思わず唾を飲んだ。
この人に術式を任せてしまって本当にいいのか、今更ながら心配になってくる。期待を下回るといっているのではない。期待をどこまでも突き抜けそうで怖いのだ。過ぎたるは及ばざるが如し。ぜひとも自重していただきたい。
「つまり挑戦状か。よろしい。拝読させていただこう」
ロロイヤはそう言って封筒を開くと、レポートを取り出して読み始めた。彼の眼は爛々と輝き、その口元には獰猛な笑みが浮かんでいる。自重する気などまるでないことがありありと伝わってくる姿だ。それどころか「そのケンカ、高く買ってやろう」とでも思っているに違いない。
「ああ、そうだ、カムイ。現物も貸してくれ。レポートと見比べたい」
そう言われ、カムイは首から〈オドの実〉を外すとそれをロロイヤに手渡した。そのペンダントを手のひらでもてあそびながら、ロロイヤはカムイに視線を向けてさらにこう尋ねる。
「一応確認だが、本当に儂がコイツに術式を刻印してしまっていいんだな?」
「…………はい、よろしくお願いします」
神妙な顔をしつつ、カムイはそう答えて一つ頷く。それを聞いてロロイヤもまた満足そうな笑みを浮かべて一つ頷いた。
「よろしい、任せておけ。返すのは完成後でいいな?」
「いいですけど、まさかこれから作業するんですか?」
「それこそまさかだな。さすがに酔いは醒ますさ」
苦笑しながらそう答えると、ロロイヤは視線をレポートに戻した。カムイももう少し何か食べようと思い料理が並ぶテーブルへ足を向けかけたが、そこで大切なことを思い出して回れ右をした。キファ曰く「生臭い話」、つまりお金のことだ。彼女も言っていたが、ここを決めておかないと後々面倒なことになりかねない。
「ところでロロイヤさん、費用はどれくらいですかね?」
「ん? ああ、いらん、いらん。ワシの趣味みたいなもんだからな」
「え……? いや、あの……」
「趣味だからと言って手を抜く気はないぞ? 心配するな」
そういう意味で聞き返したんじゃないんだけどな、とカムイは内心で苦笑した。ただまあ、ロロイヤ本人が「いらない」というのだからそれでいいだろう。それでも一応カムイは、予算だけは伝えておくことにした。
「300万用意しておくので、必要になったら言ってください」
「いらん、いらん」
視線をレポートに向けながら、ロロイヤはヒラヒラと手を振ってそう言った。その様子からして、彼にとっては本当にポイントなど大したことではないのだろう。それが容易に分かってカムイは肩をすくめた。
最後にもう一度「それじゃあお願いします」と頼んでから、カムイはロロイヤのもとから離れて料理が並ぶテーブルへ向かった。そしてラザニアを取り分けながら、彼はふと心の中で呟く。
(ポイント、稼いでおかないと……)
威勢よく大きな額を口に出しては見たものの、実は手持ちが300万Ptには足りなかったりする。どうやら明日の予定は決まったようだった。
そしてカムイらが遺跡に帰って来た、その次の日。前日の夜に騒ぎすぎたせいで、カムイが起きてきたのはお昼近くになってからだった。彼があくびをしながらリビングへ降りてくると、ちょうどそこへ呉羽とカレンが連れ立って外から戻ってくる。どうやら二人で稽古をしていたようだ。
「やっぱり〈伸閃〉は厄介だなぁ。間合いが読みづらいから、どうしても後手後手になる」
そう言いつつも呉羽は楽しそうだった。ここ三ヶ月ほど、彼女はずっと一人で鍛錬を続けていたようだから、久しぶりの、それも剣士相手の立会い稽古はやっぱり得るものが多かったのだろう。そう思いつつ、カムイはカレンに話しかけた。
「勝てたのか?」
「まさか。ボロ負けよ。相変わらず手も足もでなかったわ」
苦笑しながら首を横に振り、カレンはカムイにそう答えた。〈伸閃〉も一時間くらいでほぼ完璧に見切られてしまったと言う。カムイはいまだに上手く〈伸閃〉を見切れないから、この点について言えば呉羽はたった一時間程度で彼を越えてしまったと言っていい。分かってはいたが、彼女もたいがい化け物じみている。
「午後からはカムイも一緒にどうだ?」
そう言って呉羽はカムイを誘ったが、しかし彼はすぐに首を横に振った。この三ヶ月、散々イスメルにしごかれたので、その成果を見せたい気持ちはもちろんある。ただ、ソレより前にやっておくべきことがあった。
「いや、その前にちょっとポイントを稼がないか?」
カムイがそう言うと、呉羽はすぐに「構わないぞ」と言って同意した。聞けば彼女も少しばかり手持ちが心もとなくなっていたのだと言う。呉羽はあまり無駄遣いするタイプではないので少々意外である。
「いやあ、温泉に入ったら、な……」
「馬鹿だろお前」
カムイは思わず頭を抱えた。その後、「温泉の意義」を熱く語る呉羽の話を適当に聞き流しながら、彼は少し早目の昼食を食べた。それからアストールとリムに声をかけ、四人はポイントを稼ぐために遺跡へ向かった。
ポイントを稼ぐ場所として選んだのは、遺跡のメインストリートの突き当たり、堀のすぐ外側である。場所は基本的にどこでもいいのだが、ここなら水面からわき立つ多量の瘴気がすぐ近くにあるので効率がいいのだ。
「それじゃあ、始めましょうか」
アストールの声にカムイら三人は揃って頷く。そしていつも通りの役割分担で瘴気の浄化を開始した。およそ三ヶ月ぶりのその作業が懐かしくて、カムイは「帰ってきたんだな」という気持ちをまた強くするのだった。
(……ん?)
瘴気の浄化を始めて少ししたころ、カムイの目がリムの杖に留まった。彼女が両手で持っているその杖は【女神の聖杖】という。高価なマジックアイテムではあるが、カムイが旅に出る前に買ったものなのでそれ自体に目新しさはない。カムイの目が留まったのは、その杖に付けられている筒状の装飾だ。前に見た時は、確かあんなものは付いていなかったはずである。
装飾の大きさは、直径が3cm、長さが10cmと言ったところか。色は真鍮色で、表面には細かい幾何学模様が幾重にも描かれている。前述したように形は筒状で、つまり中空だった。
まるで指に指輪を通すかのように、杖の柄にその真鍮色の小さな筒が通されている。そして細い二本のチェーンでぶら下げられていた。少々不安定そうに見えるが、そうそう振り回したりもしないしあれでいいのだろう。
「トールさん、アレって……」
集中しているリムの気を散らさないよう、カムイは小声でアストールに話しかけた。彼が【女神の聖杖】に取り付けられている真鍮色の小さな筒を指差すと、アストールは「ああ、アレですか」と言って一つ頷く。そしてこう説明してくれた。
「アレはロロイヤさんが作った魔道具です。銘は〈アクシル〉。【浄化】の力を拡散させるための魔道具で、まあ要するに浄化の効率がよくなるということですね」
「へえ……」
「ちなみに私も一つ作っていただきました。コレです」
そう言ってアストールは左手の袖口をまくる。そこには四つの宝石が等間隔に埋め込まれた腕輪が装備されていた。宝石の色は赤・緑・黄・紫である。なお、これらの宝石は〈合成結晶〉といい、人工的に合成されたものだという。
「こちらの銘は〈テトラ・エレメンツ〉。四つの属性を操る能力があります」
もちろん攻撃にも応用が可能である。アストールはこれまで杖で直接殴る以外に攻撃の手段がなかったから、その弱点を補強するための魔道具というわけだ。
「トールさんたちのほうから頼んで作ってもらったんですか?」
「私のほうは相談したら作っていただけました。リムさんのほうは、ロロイヤさんのほうから提案がありましたね」
いずれの場合も、渋った様子はなかったという。〈テトラ・エレメンツ〉は簡単に了解してもらえたし、〈アクシル〉に至ってはむしろロロイヤの方が乗り気だったそうだ。それを聞いてカムイは思わず首をかしげた。
ロロイヤは魔道具職人だから仕事に前向きなのは少しもおかしくない。しかしどうも変人のイメージが先行していて、その協力的な姿勢には違和感を覚えてしまう。だがその違和感もアストールの次の言葉で解消した。
「ユニークスキルと魔道具を連動させる上でのデータ収集、だそうです」
「ああ、なるほど……」
やはり自分の目的も兼ねていた、というわけだ。カムイの依頼にロロイヤが乗り気だったのも、それが瘴気やユニークスキルと関係している仕事だったからだろう。とはいえアストールもリムも彼の魔道具には満足しているし、カムイだって恩恵にあずかっている。つまり両者両得の関係であり、そう考えれば至極真っ当だった。
「……ってことは、やっぱりタダだったんですか?」
「いえ、二つ合わせて500万でした」
「え……? オレは『いらない』って言われたんですけど……」
昨晩のことを思い出し、カムイが困惑の表情を浮かべる。その時の話を聞いたアストールは「ふむ」と頷き、少し考え込んでからこんなふうに推測を述べた。
「単純に、今はポイントに困っていないのかもしれません。私たちのときも、ロロイヤさんの方から請求されたわけではありませんでしたから」
むしろアストールのほうから幾らなのかを尋ねたのだ。その時ロロイヤは少し視線を彷徨わせてから「あ~、それじゃあ二つで500万」と答えたという。あれは絶対にその場で考えた数字である。
「もしかしたら、ロロイヤさんはそもそもポイントについては考えていなかったのかもしれませんね」
考えてはいなかったが話題に出たし、そういえば手持ちも心もとない。払う意思もあるようだし、それなら貰っておこう。ロロイヤはそんなふうに考えたのではないか。アストールはそう思っている。
「あるいは、カムイ君が持ってきたレポートが面白かったのでそれが報酬の代わり、と言うことなのかもしれませんよ」
なんにせよ本人が「いらない」と言っているのだから気にすることはない、とアストールは言った。その言葉にカムイもぎこちなく頷く。ちょうどその時、【草薙剣/天叢雲剣】の力で瘴気をかき集めていた呉羽が二人に声をかけた。
「あの、そろそろ魔力が切れます」
呉羽の言葉に頷くと、二人は意識を浄化作業のほうへ戻した。そしてそのまま日暮れ前まで瘴気を浄化し続けるのだった。
浄化作業を終えて四人が【HOME】へ戻ると、彼らをロロイヤが出迎えた。そしてカムイに預かっていた〈オドの実〉を返す。ということは彼の仕事である術式の刻印が終わり、ついに〈オドの実〉が完全に完成したのだ。完成した〈オドの実〉をカムイに手渡し、ロロイヤは自信に満ちた口調でこう言った。
「約束通り、瘴気を集束させる術式を刻印した。必要な魔力は、他の術式と同じく入力からの流用だな。これでエネルギーの生成効率は格段に向上しているはずだ」
早速実験を行うことになり、カムイとロロイヤは【HOME】から少し離れた場所に移動した。アストールたちも「面白そう」と言って二人に付き合うことになった。要するに見物だ。
さらに【HOME】の中にいたアーキッドたちも見物に加わる。意外なのはその中にイスメルがいたことだ。後で聞いた話では、これからカレンと稽古をするつもりだったらしい。ちなみにカレンは呉羽も誘うつもりだったという。もちろん道連れを増やすためだ。
なんだかんだで大人数になってしまった見物人たちに呆れつつも、カムイは受け取った〈オドの実〉をまた首から下げた。当たり前だが、見た目に変わったところはない。ただ何となくその気配が変わったように思うのは、彼の側の期待の表れか、そうでなければただの勘違いだろう。
「ふう……」
雑念を振り払うように、カムイは一つ息を吐いた。そして目を瞑って集中力を高める。それからまずアブソープションと白夜叉を発動した。そして体内に溜め込んだエネルギー、つまり魔力を〈オドの実〉に込める。今回ロロイヤが刻印したものも含めて、術式は全て入力から魔力を流用している。だからこれで全ての術式が発動するはずだ。
果して、たしかに全ての術式が発動した。中でもずば抜けて効果が大きかったのは、言うまでもなく今回ロロイヤが刻印した、「瘴気を集束させるための術式」である。この術式により、生成されるオドの量は文字通り跳ね上がった。
――――ドグンッ!!
カムイの心臓が暴れた。その脈動が全身に伝播して彼を揺さぶる。まるで立ちくらみのように視界が回った。
(意識が……!)
吸収されるオドはまるで激流だった。そして冷たい激流に放り込まれたかのように、カムイの意識は翻弄される。体内にはオド由来のエネルギーが溜まり続け、それがまるで彼と言う存在を押し流そうとしているかのようだった。
(エネルギーを……、外に……)
翻弄される意識の中、それでもカムイは激流に抗うかのようにして白夜叉の出力を上げた。エネルギーを外へ放出するためだ。しかし明瞭とはいえない意識の中でそれをやったことが結果的に仇となった。
彼は同時にアブソープションの出力を上げ、さらに〈オドの実〉に込める魔力量を増やしてしまったのである。これは増えたエネルギー消費をカバーするための条件反射的な行動だった。今までに何度となく同じプロセスを繰り返してきたので、それがもう身体に染み付いているのだ。
〈オドの実〉に込められる魔力量が増えたことで、生成されるオドの量もまたさらに増えた。そしてアブソープションの出力を上げたことで、吸収されるエネルギー量も増える。結果としてオドの激流はさらにその激しさを増して荒れ狂った。その流れにカムイの意識はもみくちゃにされ、そしてついに抗しえなくなる。
(あ……)
頭が、真っ白になった。意識が漂白されていく。不思議と苦痛は感じない。ただ全てが遠のいていく。そして、ただ白く、白く、白く……。
「カムイッ!」
「カムイ!?」
重なった二つの悲鳴が、どこかで聞こえた気がした。
― ‡ ―
実験を見守っていた呉羽は、すぐにカムイの異変に気がついた。閉じていた目を開いたかと思えば、その目はどこにも焦点が合っていない。さらに次の瞬間、これまでにない量の白夜叉のオーラが彼の体から噴出した。そして彼の眼から輝きが消える。どう見ても尋常な様子ではなかった。
「カムイッ!」
「カムイ!?」
呉羽の悲鳴に、もう一つ別の悲鳴が重なる。カレンの声だ。悲鳴を上げた少女たちの目の前で、カムイの体から噴き出る白夜叉のオーラが少しずつその形を定めていく。やがてソレは一本の樹となった。
「あれは……、もしや浄化樹……?」
そう呟いたのは、やはりというかイスメルだった。もちろん本物ではないが、その姿は浄化樹によく似ている。模した、というわけではない。その姿かたちを白夜叉のオーラで再現した、というべきだ。そして恐らくはその性質さえも。それは〈オドの実〉の核として浄化樹の種が使われていることと決して無関係ではないだろう。
白夜叉のオーラでできた浄化樹のその幹に、カムイがいた。完全にではないが、身体のほとんどが呑まれてしまっている。その様子はまるで、彼の身体を苗床にして樹が育っているかのようだった。
言葉を失う見物人達の前で、樹は成長を続けた。幹を太くし、枝を伸ばし、葉を茂らせる。そして最後にはなんと花を咲かせた。そしてさらに驚くべきことは続く。なんと地面から次々に芽が出てきて、そしてその芽もまた成長を始めたのだ。次々と芽が生えだすことで、カムイを中心とした周辺はたちまちそれらによって埋め尽くされていく。その光景に、一同は気圧されたように一歩二歩と後ろへ下がる。
「…………っ、ロロイヤさんっ! 止められないんですか!?」
皆が言葉を失う中、真っ先にそう声を上げたのはカレンだった。しかしロロイヤの返答は彼女を絶句させた。
「なぜ止める必要がある……? 美しいじゃないかぁ……」
どこか恍惚とした顔をしながらロロイヤはそう言った。彼の目に宿るのは、疑いなく狂気だ。
彼の言うとおり、その光景は確かに美しい。白夜叉のオーラで形作られた樹や新たに生えだして伸びていく芽は、現実離れしていて神秘的ですらある。カレンだってこれが自然発生的なものなら、感嘆のため息を漏らしていただろう。
しかし今この現象の中心にいるのはカムイだ。しかもどう見ても尋常な様子ではない。さらに放っておけばこの現象はどこまでも広がっていきそうである。
何とかして止めなければならない。しかし一番の責任者であるはずのロロイヤはアテになりそうにない。それでカレンが次に縋ったのは、師匠であるイスメルだった。
「師匠……! 何とかなりませんか……!?」
「そうですね……」
今にも泣きそうなカレンの頭を一つ撫でると、イスメルは腰の双剣を抜いて一歩前に出た。どういうメカニズムが働いてこの現象が起こっているのか、イスメルに詳しいことは分からない。ただ、その中核となっているのが〈オドの実〉であることは間違いないだろう。ならばそれを排除してやれば、事態は収束するはずだ。
そして〈オドの実〉の位置は分かっている。排除は難しくない。カムイには恨まれるかもしれないが、装備などまた作ればよいのだ。なんなら、廃都の拠点まで【ペルセス】で送り迎えをしてもいい。そう思い行動に移ろうとしたイスメルに、しかし制止の声がかかった。
「待って、ください……!」
声をかけたのは呉羽だった。彼女は厳しい表情で白夜叉のオーラでできた浄化樹を真っ直ぐに睨みつけている。そして意を決したのか、ゆっくりと【草薙剣/天叢雲剣】を鞘から抜いて正面に構えた。そしてこう宣言する。
「わたしが……、わたしがやります……!」
「…………分かりました」
呉羽の決意に何か感じるところがあったのか、イスメルはそう言って一歩後ろに下がった。それを視界の端で確認すると、呉羽は集中力を高めて力を練り始める。その姿は驚くほど静かだ。
だがそうしている間にも、カムイを中心とした現象は拡大を続けている。見物人たちはまた後ろに下がって距離を取るが、しかし呉羽だけは動こうとしない。そしてついに白夜叉のオーラでできた芽が彼女の足元からも生え出てきて彼女を呑み込もうとした時、その周囲から紫電が立ち昇った。それらの紫電は呉羽の周りで荒れ狂い、オーラでできた芽をことごとく焼き払っていく。
――――〈雷樹・絶界〉。
呉羽がこの三ヶ月で編み出した絶技である。雷樹は歴とした自然現象で、地面から立ち昇る雷のことだ。百科事典を眺めていたときに雷樹の存在を知った呉羽は、これを応用あるいは模倣することを考えたのである。
そして生まれたのが、この〈雷樹・絶界〉である。その絶技は自らの周辺で地面から雷を立ち昇らせ、一定の範囲内をことごとく焼き尽くす。今はまだ、その一定の範囲はそれほど広くはない。せいぜい【草薙剣/天叢雲剣】の間合いと同じくらいだ。しかし今はそれで十分である。
「はあぁぁあああ!!」
裂帛の咆哮を上げ、呉羽は地面を蹴った。向かう先はカムイのもと。彼我の距離は数十メートル。いつもならば一瞬だ。しかし最初のころに生え出た芽がすでに1m以上にまで成長しており、それが彼女の動きを妨げる。発動させたままの〈雷樹・絶界〉がそれらを焼き払いはするものの、しかし呉羽は思うように前へ進めずにいた。
「邪魔だぁぁあああ!」
呉羽の声は苛立たしげだ。しかしそれでも、彼女には力がある。カムイを助けようとして動く力が。本当に助けられるのかはまだ分からない。だが誰かに縋ることしか出来なかったカレンとは大違いだ。それが悔しくて、悲しくて、彼女は呉羽から目をそらした。
「カレン、貸してあげます」
そんなカレンにイスメルが優しく声をかけた。カレンが振り返ると、イスメルは手に持っていた双剣を彼女に差し出す。彼女はそれをこわごわと受け取った。そんな彼女を安心させるように、イスメルは微笑みながらこう告げる。
「呉羽一人では大変でしょう。手伝ってあげなさい」
「……はい!」
そう返事をすると、カレンは駆け出した。カムイを中心とした半径数十メートルの範囲は、すでに白夜叉のオーラでできた樹が何本も立ち並び、うっそうとした様相を呈している。それで〈雷樹・絶界〉を使う呉羽でさえ、それらに阻まれて少しずつしか前に進めない。
しかもオーラでできた樹は中心に向かうほど成長が進んで幹が太くなっているし、また排除してもまたすぐに新しい芽が生えてくる。それで中心へ向かう呉羽は一歩進むのにも苦労していた。
イスメルではなく、自分のような未熟者がそこへ飛び込んで何かできるのか。その不安はカレンの胸に燻っている。しかし迷いや躊躇いはもうない。できる事をやる。そう決めたのだ。
たぶんカレン一人ではカムイを助けることはできないだろう。そして呉羽一人でもあの様子では難しい。だけど二人でならきっとできる。そう信じてカレンはイスメルから借りた〈双星剣〉を振るった。
「やあぁぁぁあああ!」
裂帛の声とともに〈伸閃〉を放つ。その一振りは白夜叉のオーラでできた樹を薙ぎ払った。その成果にカレン本人が一番驚く。〈双星剣〉の力は想像以上だ。カレンの実力ではその力に振り回されてしまうだけだろうが、しかし今はこれ以上なく頼もしい。
しかしその一方で、やはりオーラでできた樹は難敵だった。薙ぎ払うことは容易い。また呉羽のように焼き払うこともそう難しくはない。しかしそうして排除したそばから、また成長し再生していくのだ。そしてその驚異的な回復能力の前では、最終的に力尽きるのはカレンや呉羽の側、という寸法だ。そのことに気付き、カレンは顔をしかめた。
(早く、しないと……!)
そのためにはやはり、呉羽との連携が必要だ。しかしカレンが彼女の方に視線を向けると、呉羽もう完全に足を止められていた。〈雷樹・絶界〉は維持しているものの、彼女の表情は厳しい。このままではカムイを助けるより先に自分が力尽きると分かっているのだ。しかしそれでもなお、彼女は前だけを見ている。
カレンは〈伸閃〉を放って周囲を薙ぎ払う。そして位置取りを変えてから、また〈伸閃〉を放って今度は呉羽の進路を確保する。前が開けたことで、彼女は一気に駆け出した。そして地面から立ち昇る雷樹を引き連れて大きく跳躍する。高々と飛び上がった呉羽は、空中で紫電を纏った【草薙剣/天叢雲剣】を大上段に構えた。
「〈雷・鳴・ざあぁぁぁん〉!!」
極大の雷が、中心にある一際大きな、白夜叉のオーラでできた樹を焼く。今の呉羽が放てる、最大出力の攻撃だ。しかしその火力を持ってしてなお、カムイを呑み込んだその樹を焼き尽くすことは出来なかった。確かに甚大なダメージを与え、枝葉の多くを消滅させしめはしたものの、しかしその幹はいまだ健在である。そしてすぐさま成長という名の再生が始まった。
「くっ……!」
「呉羽!?」
その再生に、呉羽が巻き込まれる。彼女は太い枝の上に着地していたのだが、新たにはえ出てきた新芽に身体を絡めとられていく。愛刀を振るっていくらかは切り捨てるものの、先ほどの〈雷鳴斬〉で持てる力の全てを使い果たした彼女は、それらを完全に排除することができない。たちまち、身動きが取れなくなった。
その一方で、中核の再生に注力しているためなのか、カレンの周囲ではオーラでできた樹の再生が鈍っていた。その好機を彼女は逃さない。素早く狙いを定めて〈双星剣〉を振るい〈伸閃〉を放つ。そうやって呉羽が足場にしていた太い枝を切り飛ばすと、それを構成していたオーラが霧散して呉羽は自由を取り戻した。
自由を取り戻した呉羽は、しかしその場を離れようとはしなかった。もう余力がない。離れてしまったら、もう打つ手がないと直感していたのだ。それで彼女は距離を取る代わりに最低限の力で風を操って一瞬だけ空中に留まり、素早く視線を巡らせて足場となる別の枝を確認する。そしてそこに片足を軽く乗せると同時に【草薙剣/天叢雲剣】を逆手に持ち直した。
また新芽や枝葉が新たに伸びてきて、呉羽の身体を絡め取る。彼女はそれさえも利用して身体を固定し、愛刀の切っ先を幹に突き刺した。ほんの数センチしか刺さらなかったが、今はそれで十分だ。呉羽はその切っ先から自らの魔力を流し込む。そこに自分の想いを乗せて。
「カムイッ、さっさと目を覚ませ!」
その叫びは、カレンの周囲全方向から聞こえた。彼女は驚いて周囲を見渡すが、あるのは白夜叉のオーラでできた樹だけである。空耳かとも思ったが、しかし確かに聞こえたのだ。
(まさか、オーラを通じて伝播した……?)
そう直感した瞬間、カレンは駆け出した。再生が鈍っているのを利用して一気に中心部までたどり着き、そして呉羽と同じように剣の切っ先を幹に突きたてる。
わずかに視線をあげると、絡め取られてしまった呉羽と目が合う。カレンもまた身体を絡め取られていくが、それを振り払おうともしない。そして二人の少女は無言のまま頷きあった。
ここまでくれば、呉羽が何をしているのかカレンにもはっきりと理解できた。それで彼女もまた突き立てた剣の切っ先から幹へと魔力を流し込む。想いを乗せて、届けと念じながら。
白夜叉のオーラは、アブソープションで吸収したエネルギーによって構成されている。ということは、白夜叉のオーラでできた樹が次々と生え出て成長しているこの状況なら、例えカムイに意識がないとしても、アブソープション自体は発動されているはずだ。そして吸収されたエネルギーは、まずカムイの体内に蓄積されそれから外へ出て行く。
ならば、こうして吸収させた呉羽とカレンの魔力は、間違いなくカムイに届いているはずである。それによってそこに込めた想いが伝わる、と考えるのは都合が良すぎるかもしれない。しかし瘴気やオドあるいはマナなど、素となるエネルギーが違うと吸収した際の感覚も違ってくる、というのはカムイ自身が話していたことだ。
ならばせめて「何か違うものが流れ込んでくる」ということには気づいてくれるかもしれない。そしてそれが呉羽とカレンの魔力であれば、気付け薬の代わりくらいにはなってくれるかもしれない。
どちらにしても都合のいい願望である。それでも二人の少女は諦めたくなかった。呉羽はこの役回りを誰かに譲る気なんてなかったし、カレンもここで諦めるくらいならそもそもデスゲームになど参加していない。
「カムイッ!」
「カムイ!」
二人が揃って名前を呼ぶ。その声は想いと重なり、そして確かに力となった。
― ‡ ―
「カムイッ!」
「カムイ!」
聞き覚えのある声が、真っ白に漂白されたカムイの意識に響いた。最初は遠くで小さく、しかしだんだんと近く大きくなっていく。そして同時に、真っ白だった意識の中に黄金色の光が差し込んできた。
その光に、カムイは手を伸ばす。身体が、いや何もかもが重い。頭が働かず、声も出せない。それでも意識の中に響く二つの声に励まされて、カムイは光に向かって手を伸ばし続けた。
そしてそれを掴んだと思った次の瞬間、真っ白だった彼の意識は激変した。まるで激流の中に放り込まれたかのように、彼の意識はグルグルと回転する。それでもカムイは必死に激流の中でもがき続けた。
「う、うぅ……」
やがて声が出た。激流のはげしさは変わらないが、しかし徐々に身体をコントロールできるようになってきた。そして悟る。この激流は多すぎるオドの奔流だ。そして抗いきれなくなった時に、また意識を漂白されてしまうのだ。だが抗っているだけでもダメなのだ。しかしではどうすればいいのか分からない。
(何とか……、何か……)
その時、激流の中にまたあの黄金色の光が、それもさっきよりもはっきりと見えた。まるで筆で描いたかのように、一本の帯のように、その光は激流の中にたゆたう。そしてカムイはその光を目印に、激流の中をがむしゃらに泳ぎ始めた。
前に進んでいるのか、それとも流されているのか、それさえも良く分からない。しかしそれでも、あの光を逃してはいけないことだけは分かった。激流の中、もみくちゃにされながらも、それでも彼は手を伸ばす。そしてついに、彼は激流の水面に顔を出した。
「カムイッ!」
「カムイ!」
声が、聞こえる。呉羽とカレンの声だ。そして声は光だった。二人の声が、カムイをここまで引っ張り上げてくれたのだ。ああ、確かに意志には力がある。それは真理のようにさえ思えた。
「あああああああああ!!」
声を上げる。カムイはそうやって自分を奮い立たせた。こんなところでくたばってなるものか。声を、光を届けてくれる人たちがいるのだ。それを無駄になんてできるはずがない。
(オドだろうが瘴気だろうが! アブソープションで吸収したエネルギーは全部オレのモンだ! だったら、オレに従え!!)
その瞬間、激流が静止した。そして固まった水面の上に、カムイはゆっくりと立った。頭がズキズキとする。気を抜けばまたすぐにでも、激流は彼を呑み込まんと荒れ狂うだろう。そんな確信があった。
しかしそれでも、今彼はその激流を踏みつけている。屈服させて、従えたのだ。そしてより重要なこととして、自分にはそれができると示したのだ。
カムイの視界がまた白く染まっていく。けれども漂白されたような白さではない。見慣れた、白夜叉のあの白だ。それに安心して彼はそっと目を閉じた。そして小さくこう呟く。
「アブソープション……、停止……」
気がつくと、カムイは地面に両膝をつく形で座り込んでいた。目に写るのは、見慣れてしまったこの世界の土。左右にはそれぞれ呉羽とカレンがいて、肩に手をかけながら交互に彼の名前を呼んでいる。カムイは小さく首を右と左に動かして、二人に一回ずつ頷いて見せた。
その時に、見えてしまった。呉羽は目の端に涙を溜めていたし、カレンの頬には筋が流れていた。泣かせて、泣かれてばかりだ。情けなくなるのを、カムイは苦笑で誤魔化した。
胸元に視線を落す。そこにあるのは〈オドの実〉だ。実験のことはほとんど覚えていないが、どうやら一晩でとんでもないシロモノになって戻ってきたらしい。だいたい全部ロロイヤのせいだ。
(盛大に文句を言ってやろう……)
とりあえず、そう決めた。
第五章 ―完―
というわけで。
第五章、いかがでしたでしょうか?
今回の教訓を一言でまとめるなら
「だいたい全部ロロイヤのせい」
でしょうか(笑)
奴の本領発揮です。
次は幕間の予定です。
どうぞお楽しみに。




