Go West! Go East! 9
拠点の浄化作戦が行われた、さらにその二日後。キファに頼んでいた、琥珀色の結晶の加工が完了した。
「いやあ、久々にいい仕事をさせてもらったよ」
工房の中、丸テーブルに向かい合って座り、そう語るキファの顔には達成感が浮かんでいる。お茶の準備もそこそこに、彼女はさっそく立派な化粧箱を取り出した。そしてそれをテーブルの上に載せると、彼女は両手で丁寧にカムイに差し出す。
「さあ、開けてみてくれ」
キファに促され、カムイは化粧箱を開けた。その中身をカレンも横から覗き込む。化粧箱の中に納められていたのは、一本のペンダントだった。
「デザインは一任してもらえたから、ブローチのような形でも良いかと思ったのだがね。君がもともと首から下げて使っていたので、それを踏襲してペンダントにしてみた」
どうかな、と話すキファの言葉を半ば聞き流しながら、カムイは化粧箱の中のペンダントを食い入るように見つめた。ペンダントの中心にあるのは、滑らかに研磨された琥珀色の結晶だ。その結晶のちょうど真ん中、どんぴしゃの位置に浄化樹の種がくるように調整されている。見栄えのする見せ方、と言っていいだろう。
見たところ大きさは半分以下になっているが、その美しさは以前と比べるのもおこがましい。カムイが作った琥珀色の結晶は、よく言えば無骨、悪く言えば石ころのような出来だった。しかしその結晶も、研磨されて宝石と呼ぶに相応しい姿になっている。
カットの方式はカボションカット。ブリリアントカットのように多面的にカットするのではなく、表面を滑らかに仕上げるカットの仕方だ。琥珀やトルコ石などの研磨でよく使われ、今回の結晶にはおあつらえ向きと言える。
研磨された結晶の形は、いわゆる楕円体。縦と横の比率は、だいたい二対一と言ったところか。長さはおおよそ2cm弱。滑らかに仕上げられた表面は、光沢を得て輝いていた。
その楕円体の結晶が、銀製の台座にはめ込まれている。二枚の葉がウロボロスのように輪を作っている意匠の台座だ。キファの説明によれば、この葉は浄化樹の葉を参考にしたという。つまり浄化樹の葉にその種が包まれている、というわけだ。なかなかソレらしいデザインと言えるだろう。
そして結晶のはめ込まれた台座が、シルバーチェーンに吊るされている。長さはカムイが革紐で吊るしていたときよりも若干短い。ぶらぶらしなくて良いかもしれない、と彼は思った。
ちなみに台座とチェーンに使われた銀は、三人で廃都を探索した時に見つけた銀ナイフを使っている。台座はともかくチェーンまでお手製だと聞いてカムイは驚いたが、「クラフトマジックを使えば簡単だよ」とキファはこともなさげに話していた。
「それに、自分で作らないと【ギフト】を使えないからね」
ニヤリ、と凄みのある笑みを浮かべながらキファはそう言った。それから「んん」と咳払いをしてその笑みを消すと、彼女はカムイに真剣な顔をしてこう尋ねた。
「それで、まずデザインに関して何か気に入らない点はあるかな? あるなら直すが……」
「えっと……、これでいいです。……いえ、これがいいです」
カムイはもう一度ペンダント良く眺めてからそう答えた。言い直した彼の言葉を聞くと、キファは「そうか」と呟いてから一つ頷く。その顔にはどこか安堵した様子が浮かんでいる。
彼女も自分の仕事に自信はあったはずだが、しかし依頼主の好みはそれとはまた別問題。どういう反応をするかは、完成品を見せてみるまでは分からない。それでこの瞬間はいつも緊張を強いられるのだ。
「気に入ってもらえたようで何よりだよ。……さて、それじゃあ次はソイツの性能について説明しようか」
安堵の表情を引き締めなおし、キファはカムイにそう告げた。カムイも一つ頷いてから彼女の方を見る。そんな彼にキファは、まずはこう話し始めた。
「まず確認だけど、カムイ君の要望は大きく分けて四つだったね」
まずは使いやすくする。そして瘴気の吸収効率とエネルギー生成効率の向上。さらに爆発しないように耐久性もあげる。この四つがカムイの要望だった。優先順位としては、使い勝手が最優先で、後はバランスを取りながら、とお願いしていた。
「この四つについて、私なりに何とか全てをその中に詰め込んだつもりだ」
キファはそう言って化粧箱の中のペンダントを指差した。その言葉を聞いて、しかしカムイは思わず眉間にシワを寄せる。事前の打合せとちょっと違ったからだ。
「確か瘴気の吸収効率の向上はロロイヤさんに任せるって話だったんじゃ……?」
「ああ、その点については安心してくれ。結晶の方に術式は施していないから、まっさらな状態だよ」
キファがそう言うのを聞いて、カムイは胸を撫で下ろした。なにしろ相手はあのロロイヤだ。正式に約束したわけではないが、自分の出番がなくなったと知ったらどんな反応をすることやら。カムイの体に直接術式を刻み込んでやる、くらいのことは言い出しかねない。その様子がやけにリアルに想像できて、カムイはぶるりと身体を震わせた。
「くっくっく……。ロロイヤさんもなかなか困った人のようだね」
カムイの様子を見ていたキファが、喉の奥を鳴らすようにして笑いながらそう言った。困ったさん具合は彼女もなかなかいい勝負だと思うのだが、賢明にもカムイはそれを口に出したりはしなかった。
「……さて、話がそれてしまったね。説明を続けよう。まず、最優先だった使い勝手についてだ」
ひとしきり笑ったあと、キファは話題を戻してそう言った。加工前、琥珀色の結晶は入力と出力が二重螺旋を描くようにしてやらなければまともに発動しなかった。キファもそれは確認していて、カムイに要望を聞く前から「仕事を請け負うなら、コレも何とかしなければ」と考えていた。
「使い勝手の対策は、主に台座の方でしている。具体的に言うと、【分離整流】のギフトを付加した」
これにより、台座の方で自動的に入力と出力が混ざらないように分離し、さらに滑らかに流れるように整流までしてくれる。加えて出力されるエネルギー(オド)は、結晶の中に溜まらずに外へ出てくるようになった。これによってエネルギーを吸収するのがさらに容易になり、この部分でも使い勝手が向上している。
「これで、単純に魔力をこめるだけで発動するし、またアブソープションでエネルギーが吸収できる。まあ、要するにもう二重螺旋を描く必要はないということさ」
キファはそう説明した。さらに発生したエネルギーが自動的に外へ排出されるようになったので、エネルギーが溜まり続けて最終的に爆発、という事態も防げる。爆発の防止もかねているのだ。カムイが考えていたような耐久性の向上ではないが、これで結晶が爆発するリスクはほとんど無くなったと言っていいだろう。
「台座の方にはまだ仕掛けがあってね。二つの葉にはそれぞれ〈防護〉と〈劣化防止〉の術式が施してある」
〈防護〉は保護フィールドを発生させる術式で、外からの衝撃を遮断したり軽減したりすることを目的としている。とはいえ、カムイには白夜叉があるので防御力に不安はない。それで術式で保護する対象になっているのは装備品それ自体だった。要するに装備が壊れないようにするためにキファはこの術式を施したのである。
カムイは徒手空拳で戦うスタイルだから、装備も敵の攻撃にさらされやすくなる。加工した琥珀色の結晶はオーダーメイド品で、アイテムショップには売っていない。壊れてしまったらすぐに代わりのものを、と言うわけにはいかないのだ。それでキファは〈防護〉の術式が必要と判断したのである。
さらにこの術式は、内圧に対しても効果があることが知られている。つまり〈防護〉の術式は爆発対策もかねているのだ。尤も、そもそもエネルギーが中に溜まらないようになっているのだから、こちらはあくまでも保険である。
次に〈劣化防止〉の術式だが、こちらは文字通り劣化を防止する術式である。もしかしたら酸化防止なのかもしれない、とカムイは思った。なんにしても、シルバーアクセサリーは放っておくとすぐに黒ずんでしまうと聞いたことがあるので、〈劣化防止〉の術式はありがたかった。
「術式の発動には魔力が必要なのだが、これはいわゆる入力のほうから流用させてもらっている。そのせいで多少消費魔力量が多くなってしまっているが、加工前と比べれば効率は段違いだから、あまり気にはならないはずだよ」
キファはそう説明する。〈防護〉の術式は対象が小さいので消費魔力量も極少ないし、〈劣化防止〉の術式は一度発動させれば数日は効果が継続する。それで負担を感じるような消費量の増加にはなっていないはず、というのが彼女の見立てだった。
「まあ、その辺はキファさんを信頼してますよ」
「そう言ってもらえるとありがたいよ。……それとチェーンだけど、そちらには【補助】のギフトが組み込んである。台座の働きを補助するためだね。ただ、そんなに強いギフトではないから、別のチェーンに付け替えても使用に差し障りはないよ」
加えて、〈防護〉の術式はチェーンには及んでいない。それでモンスターの攻撃を受けた場合、簡単に千切れてしまう可能性があった。
「まあ、チェーンを作るのは簡単だからね。何なら後でスペアを作ってあげようか?」
キファは軽い調子でそう言った。その様子からして、チェーンの方にはあまり思い入れはないようだ。だから強力なギフトを付加できなかったんじゃないかな、とカムイは疑ったが声には出さない。その代わりというわけではないが、スペアのほうを依頼しておいた。
「お願いします。メッセージで注文できればなお便利なんですけど……」
「100万は高いよ」
苦笑しつつ、キファはそう応えた。今のところ、メッセージで注文を入れそうな顧客はカムイ一人である。その一人のために100万Ptを投資するのは、いささか費用対効果が悪い。今はまだプレイヤーショップだけで十分、と彼女は考えていた。
「さて、いよいよ結晶体のほうだ。結晶体は、見ての通り楕円体に研磨してある。ずいぶん小さくなってしまったように思うだろうが、これは仕方のないことだから了解して欲しい」
「まあ、その辺は分かっているつもりです」
「感謝するよ。クライアントによってはクレームをつけてくる人もいてね……。弁償しろと言われたこともあるくらいだ。……っと、すまない。君に愚痴っても仕方がないね。忘れてくれ。
それで結晶体のことだが、こちらには【増幅】のギフトが付加してある。【クリスタル・ジェル】と同じだね。カムイ君の話を聞いて、相乗効果を狙ってみたんだ」
カムイがリクエストした【クリスタル・ジェル】には、「中に何かを入れると、魔力をこめた場合にソレの持つ特性を増幅する」という能力がある。それと同じ作用をするギフトを、キファは研磨した結晶に付加したのだ。相乗効果がどこまで現れるかは分からないが、なんにしてもこれでエネルギーの生成効率は大幅に向上したはずである。
「それから結晶体を研磨したり、台座の銀細工をしたりする際に、今回は少々特殊な方法を用いている。厳密に言うとちょっと違うんだけど、マジックアイテム用の加工をしているんだ」
マジックアイテムが普通の装飾品とは異なり、魔力をこめたり流したりすることを前提としている。それで「どれだけ魔力を流しやすいのか」という要素も、マジックアイテムの評価には大きく関わってくるのだ。
そのためマジックアイテムに用いられる、特に宝石などの結晶体を加工する場合には通常とは違う特殊な方法が用いられるのである。クラフトマジックを併用するんだ、とキファは教えてくれたがカムイには良く分からなかった。
「それじゃあ、ええっと……、つまり今回はその方法を使ったんですか?」
「それなら職人である私がわざわざ“特殊”という言葉を使ったりはしないよ。私たちにとってそれは普通のことだからね。今回は本当に特殊だったんだ」
この琥珀色の結晶は、単純なマジックアイテムではない。魔力・瘴気・オドという、三つのエネルギーが関係している複雑かつ特殊なマジックアイテムなのだ。だから魔力だけを意識して加工しても意味がない、とキファは言う。三種類のエネルギー全てがきちんと澱みなく流れるようにしてやらなければならないのだ。
「まったく初めてのことでね。それを腕一本でやるのは大変だったよ」
愚痴っぽい言葉とは裏腹に、キファの顔には深い自負と達成感が浮かんでいる。きっと満足のいく出来に仕上がったのだろう。
「ともかく、これでエネルギーの流れは格段に滑らかになった。使い勝手も良くなっているはずだし、間接的にだが瘴気の吸収効率も上がっているはずだよ」
そこまで説明すると、喋りっ放しだったキファはすっかり覚めてしまったコーヒーを啜って喉を潤した。そして改めてカムイを真正面から見つめると、厳かな口調で、それでいて挑むようにしてこう言った。
「名付けて〈オドの実〉。どうだい、期待値は満たせたかな?」
「……期待以上、ですよ。ありがとうございます。キファさんに頼んでよかった……」
カムイが加工された琥珀色の結晶改め〈オドの実〉を手に持ちながらそう言うと、キファは「それは良かった」と言って満足げに微笑んだ。そしてコーヒーの残りを飲み干してから、大き目の封筒を取り出しそれをカムイに差し出した。
「ここに〈オドの実〉の詳細なレポートが入っている。術式を施すときに必要になるだろうから、ロロイヤさんに渡してくれ」
「はい、分かりました」
カムイが封筒を受け取ると、キファはやりきった顔で一度だけ頷いた。これで彼女の仕事は全部終わった。キファは〈オドの実〉の中に、自分の持てる知識と技術と能力の全てをつぎ込んだつもりである。
「ロロイヤさんがそのレポートと現物を見て、唸り声の一つでも上げてくれたら嬉しいねぇ……」
実のところ、彼女なりの挑戦状のつもりでもある。別の言い方をすれば、細工を得意とする職人として意地を見せた、ということだ。
「メッセージ機能を使えるようにしてもらえれば、後で様子を報告しますよ?」
「心惹かれるが遠慮しておくよ。……さて、それはそうと、そろそろ報酬を頂きたいのだがいいかな?」
キファがそういうと、カムイも〈オドの実〉を化粧箱の中に戻して一つ頷いた。そして少々緊張した面持ちでこう尋ねる。
「それで、幾らですか?」
「それじゃあ、スペアの代金込みで200万頂こうか」
「……いいんですか、それで?」
予算を尋ねられたとき、カムイは300万Ptと答えていた。今回は期待以上のモノを作ってもらったと思っているので、請求されれば彼は本当に300万Pt支払う気でいたのだ。しかしキファは「構わないよ」と言って気楽な様子で笑う。
「結晶はカムイ君の持ち込みだし、銀も廃都で拾ったもの。経費はそれほどかかっていないんだ。前金も貰ったしね」
「まあ、キファさんがそれでいいなら……」
そう言ってカムイはシステムメニューを操作し、200万Ptをキファに支払った。これにて依頼は完了である。カムイは改めて〈オドの実〉を化粧箱から取り出し、今度はそれを首から下げた。隣に座っていたカレンが手鏡を貸してくれたので、それを使って具合を確かめる。手鏡を覗き込む彼の口元がだらしなく緩んだ。
「さて、少し待っていてくれ。今、スペアのチェーンを作ってしまうから」
そう言って立ち上がると、キファは窓際に設置してある作業台のほうへ向かった。そして作業台の上に置いてあった木箱の中から、小さな皮袋を一つ取り出す。その中には十数枚ほどの銀貨が入っていた。彼女が廃都から拾い集めてきた銀貨である。
それらの銀貨のうちの何枚かを、キファはクラフトマジックを使って手早くチェーンに加工していく。彼女の様子は、大きな仕事を無事に終えられたからなのか、鼻歌でも歌いだしそうなくらいに上機嫌だった。そしてその上機嫌な様子のまま、彼女はカムイにこう話しかけた。
「あ、そうだ、カムイ君。一つお願いがあるのだけれど、いいかな?」
「内容によりますけど……。なんですか?」
「その化粧箱、必要ないなら返してもらってもいいかな?」
「……まあ、いいですけど」
何を頼まれるかと思えば、わりとみみっちい頼み事である。そんなところで節約するなら報酬をもっと請求すればいいのに、とカムイは思うのだった。
― ‡ ―
カムイの新たな装備〈オドの実〉が完成したその次の日。カレンはイスメルと一緒に【ペルセス】の背に跨り、廃都の拠点からさらに北へ向かって空を駆けていた。アーキッドにお使いを頼まれたのである。ただそのお使いに、カレンは少し釈然としないものを感じていた。
「それにしても、いいんでしょうか……?」
「いいのではないのですか。どのみち、ずっと放置しておくわけにも行かないのですから」
イスメルは【ペルセス】の手綱を操りながらそう応じた。淡々としたその口調からは、気負いのようなものは何も感じられない。ちなみに彼女は今【測量士の眼鏡】をかけているので、普段と少し雰囲気が違う。
「まあ、それはそうですけど……」
眉間にシワを寄せてそう応えながら、カレンはイスメルの背中に抱きついて口を閉じた。お使いが不安なわけではない。言ってみれば、これはただの偵察。加えてイスメルと【ペルセス】がいるのだ。逃げるだけなら、どんな状況からでも可能だろう。だから彼女が引っ掛かりを覚えているのは別のことについてだった。
今回、彼女らが偵察へ向かうのは、廃都の拠点から北へ徒歩で三日ほど歩いた位置にある、とある城砦である。ちなみにただ「城砦」と呼ぶと、廃都の城砦区画と区別が付かないので、パーティー内だけであるがカレンらはこれを〈北の城砦〉と呼んでいた。
それで北の城砦だが、これを見つけたのは前回廃都の拠点に来たときのことである。やはりイスメルとカレンの二人で拠点周辺の偵察を行い、そして発見したのだ。初めて北の城砦を見つけたときのことを、カレンは今でも良く覚えている。
その様子は、異常かつ異様だった。その異常性ゆえにアーキッドも報告だけでは信じられず、後日自分の目で確認に行ったくらいだ。そしてその結果、アラベスクらへの報告はせず、一旦パーティー内で秘匿することにしたのである。
その北の城砦を、カレンとイスメルは再び偵察するように頼まれたのだ。いや、偵察するだけなら何も問題はない。ただ、今回のお使いでは、対象の写真を撮ってくるように頼まれている。ということはいよいよ、北の城砦の情報を誰かに教えるということだ。
(なんで今なんだろ……?)
北の城砦の情報を開示するとして、その相手として真っ先に候補にあがるのは、やはりアラベスクら廃都の拠点にいるプレイヤーたちである。しかし彼らの状況が、以前と比べて大きく改善されているようには思えない。岩陰の拠点からプレイヤーが合流したものの、その程度のことであの北の城砦がどうにかできるとは思えないのだ。
そもそも前回情報を秘匿したのだって、下手にちょっかいを出されたらかえって危険と判断したからだ。そしてその危険の度合いは今も大して変わっていない。彼らだけでは、攻略以前の問題だろう。それなのになぜ、情報を開示しようというのか。
「アードさんにも考えあってのことでしょう。それに、仮に北の城砦のことを知ったとして、すぐに廃都の拠点のプレイヤーが攻略に動くと考えるのも早計です。そういう意見も出るでしょうが、アラベスクさんは慎重な方のようですからね」
「そう、ですね……」
イスメルの言葉を聞き、カレンは少しだけ心が軽くなったような気がした。今回の偵察だって、写真機能が使えるようになったから撮っておこうと思ったという、ただそれだけのことかもしれない。あるいは、アーキッドが見たのは北の城砦の外側だけと言う話だから、もう少し詳しい様子を写真で確認したいと思っているのかもしれない。そう考えればもっともらしい理由は幾つも浮かんだ。
「さて、見えてきましたね……」
イスメルが変わらず淡々とした声でそう呟く。どうやら話をしている内に、目的地である北の城砦が見えてきたようである。カレンはイスメルの背中から顔を出してその様子を確認した。
まず眼下の荒野には、東西に川が流れている。その川からさらに1kmほど北へ行った場所に、ソレは以前と変わらずそこにあった。その姿、いや光景に、見知っているはずのカレンでさえ思わず眉間にシワを寄せて息を呑む。
そこにあったのは、黒いドーム状の物体だ。この黒いドームこそが北の城砦、というわけではない。北の城砦とカレンたちが呼んでいる建物は、実はこの黒いドームの中にある。
「カレン。周囲を飛びますから、写真を撮ってください」
イスメルに促され、カレンはシステムメニューからカメラを起動する。そして眼前の黒いドームを写真に収めた。黒いドームは、城砦を一つ丸ごと覆っているくらいだから、当たり前に巨大である。それで写真を撮る際には上手く構図を考えて、黒いドームの大きさが分かりやすいように工夫した。
「さあ、中に入りますよ」
黒いドームの周りを大きく一周してからイスメルはそう言った。その言葉にカレンは無言で頷く。するとイスメルは【ペルセス】を操って、勢い良く黒いドームの中に飛び込んだ。
衝撃はなにもない。また身体の具合が悪くなることもない。しかし目に見える光景は一変した。ドームのなかでは高濃度の瘴気が吹き荒れていたのである。激しい吹雪の雪を真っ黒に染めたかのようなその光景の奥に、さらに高濃度の瘴気を纏った北の城砦が姿を現す。その姿はいっそ魔王城とでも呼んだ方が相応しいように思えた。
「瘴気濃度はどのくらいですか?」
「えっと……、6.28です!」
ドーム内の瘴気濃度が高いことはこの様子から明らかだったが、実際に【瘴気濃度計】で測ってみればその値はやはり高い。何の備えもなしに飛び込めば、プレイヤーと言えどほとんど何もできずに死に至るだろう。このドームはまさにプレイヤーの侵入を阻む瘴気の結界、あるいは障壁といえた。そしてこの瘴気濃度の高さが、廃都の拠点のプレイヤーたちが北の城砦を何とかできるとは、思えない最大の理由だった。
瘴気濃度の数値をメモしてから、カレンはまたカメラを起動する。そして高濃度の瘴気が吹き荒れるその様子と、その奥にそびえる北の城砦の姿を写真に収めていく。そうやってカレンが写真を撮っていると、不意に北の城砦から二人に攻撃が加えられた。
「キャア!?」
カレンは悲鳴を上げたが、幸いにして攻撃は当らなかった。イスメルが【ペルセス】を操って回避したのである。しかし城砦からの攻撃は止まらない。立て続けに放たれる攻撃を、イスメルは【ペルセス】を駆けさせてかわし、また双剣で切り捨てて防いだ。
「大丈夫ですか?」
やがてカレンの様子が落ち着いてきたのを見計らい、イスメルは彼女にそう声をかけた。カレンは「はい」と答えると、彼女は一つ頷いてからさらにこう言った。
「では、わたしは回避と迎撃に専念しますので、カレンは写真をお願いします」
カレンはもう一度「はい」と答えると、改めて写真を取り始めた。構図などに拘っている場合ではないので、とりあえずシャッターボタンを押しまくって撮れるだけ撮っていく。選別は後ですればいいだろう。
そうやって写真を撮っているうちにカレンもだんだんと冷静になり、周りの様子を見る余裕が出てきた。攻撃を放っているのは、城砦の城壁の上に現れた人型のモンスターたちである。
城壁の上にいるモンスターたちは、廃都の拠点の北の荒野で現れる人型モンスターとよく似ていた。というより、まったく同種と考えた方がいいだろう。そしてきっと城砦の中にも同じように人型のモンスターが、それもたくさんいるに違いない。そう思いつつ、カレンは城壁の上に集まるそれらのモンスターも写真に収めた。
さて、それら人型のモンスターは、皆それぞれに武装していた。ただし、鋼鉄製の武器を持っているわけではない。それらのモンスターが装備している鎧や兜、剣や槍は全て真っ黒であり、つまり瘴気によって構成されていた。
つまりモンスターが改めて武装しているわけではなく、武装を含めてモンスターなのだ。そして瘴気でできた武器の中には弓と弓矢もあり、その切っ先が向かう先は、言うまでもなく【ペルセス】に跨ったイスメルとカレンだった。
瘴気でできた真っ黒い弓矢が、まるで濁流のように射掛けられる。その攻撃をイスメルに操られた【ペルセス】はすいすいとかわし、あるいは切り捨てていく。おかげでカレンは落ち着いてその攻撃の様子を写真に収めることができた。
「む……?」
そうやってしばらく攻撃をかわしながら飛んでいると、不意にイスメルが小さくそう呟いて視線を鋭くした。そして後ろに座っているカレンに注意を促す。
「気をつけてください。おそらく魔法です」
イスメルのその言葉にカレンが「え?」と聞き返すより早く、彼女の言ったとおり飛んでくる無数の黒い弓矢のなかに魔法が混じった。火炎弾や鋭い氷の槍、雷に極彩色の魔力弾などだ。城壁の上に視線を向けてみれば、魔導士風のモンスターが幾体か混じっていて、やはり瘴気でできた真っ黒い杖を二人の方に向けていた。
「魔法は、普通に魔法なのですね……。使い続けたら勝手に消滅するのでしょうか?」
激しさを増した攻撃を、しかし苦もなく回避しながら、イスメルは誰にともなくそう呟いた。なんとものん気な感想だが、そのおかげでカレンも身体を硬くすることなく、魔法が放たれる様子を写真に収めることができた。
「さて。ではそろそろ城砦内に突入してみるとしましょう」
カレンはイスメルのその言葉に頷くと、後ろから両手でしっかりと彼女の背中に抱きついた。それを確認すると、トンッと軽く【ペルセス】の腹を蹴る。それを合図に、二人を乗せた白い天馬は一気に加速した。
イスメルはまず、【ペルセス】を城砦から離れるように走らせる。それから大きく弧を描くようにして反転し、そして今度は駆けながらどんどんと高度を上げていく。高度を上げる【ペルセス】はついに天蓋、つまりドームの天井を突き破って外へ出て、そこからさらに高度を上げていく。
「あ、あの師匠? 一体どこまで行くんでしょうか……?」
嫌な予感がひしひしとして、カレンは頬を引きつらせながらイスメルにそう尋ねた。ちなみに彼女は絶叫系のマシンが苦手である。イスメルは何も答えないが、後ろから見える彼女の横顔からすると、どうやらろくでもないことを考えているようだった。そしてまったくありがたくないことに、その予想はドンピシャで的中する。
「さあ、行きますよ?」
イスメルがそう言うが早いか、【ペルセス】が今度は一気に急降下する。角度はほとんど垂直だ。落ちていくあの感覚がカレンを襲い、彼女は乙女らしからぬ悲鳴を上げる。彼女は吹き飛ばされないよう、必死になってイスメルの背中にしがみ付いた。
イスメルが操る【ペルセス】はまさに一筋の光だった。【ペルセス】は燐光をまるで帯のように残しながらドームに再突入し、そのままの勢いで城砦の城壁の内側に上空から侵入する。この城砦を造った者たちも、まさかこんなふうにして侵入されるだなんて想定していなかったに違いない。
城壁の内側に侵入すると、イスメルは【ペルセス】の馬首を水平に戻した。侵入者を撃退せんと、城壁の上からは先ほどまでよりも苛烈な攻撃が仕掛けられる。しかしそのどれも、イスメルらにかすりもしない。
「……とはいえ、少々うるさいですね」
城砦の中からも兵士、つまり人型のモンスターが続々と出てくるのを見て、イスメルは少しだけ顔をしかめてそう言った。そして南に向かって左側の城壁の上に【ペルセス】を着地させると、そこを一直線に駆けさせた。そしてそこにいたモンスターを蹴散らし、あるいは切り伏せていく。
当然、モンスターの側も反撃してくる。しかも城壁の上と言うのは、幅がさほど広くない。つまり正面からの攻撃を回避するスペースが少ないのだ。しかも【ペルセス】は的が大きいからさらに回避は困難だった。いや、ほとんど不可能といった方がいい。それをいいことに弓矢が、そして魔法が次々と二人に放たれ殺到した。
これだけの攻撃を城壁の上で回避するのはやはり無理がある。イスメルがどれだけ優れた騎手であろうと、物事には限界があるのだ。そのことをイスメル自身もまたわきまえていた。しかし彼女に焦った様子はない。代わりに彼女は愛馬の名前を呼んだ。
「【ペルセス】!」
マスターの呼びかけに応じ、【ペルセス】は大きく嘶いた。そして次の瞬間、【ペルセス】を覆うようにして不可視の障壁が展開される。【ペルセス】が持つ能力の一つ、【守護障壁】だ。背に乗るものを守るための能力であり、普段はあまり使わないがこういう場面ではめっぽう頼りになる能力だった。
不可視の障壁で敵の攻撃を弾きながら、イスメルはモンスターを蹴散らしていく。そしてものの十数秒で、彼女たちがいる側の城壁の上からはモンスターが駆逐されてしまった。下からまた人型のモンスターが登ってくるが、それでも数十秒ほどの猶予を得ることができた。
その時間を使い、カレンは城壁の上からまた何枚かの写真を撮る。また一段と瘴気濃度が高くなっているのだろう。視界はさっきまでよりもさらに悪い。まるでホワイトアウト、いや“ブラックアウト”してしまったかのようである。写真がしっかりと撮れているか確認したいが、今は撮る方を優先するべきであろう。
(そうだ……、瘴気濃度も確認しないと……)
カレンがそう思った矢先、人型のモンスターたちが城壁の上に到着し、瘴気でできた槍の穂先を揃えて二人の方へ向かってくる。それを見たイスメルは「飛びますよ」とカレンに声をかけてから【ペルセス】を飛翔させ、城壁を降りて城門前の広場に着地した。
城壁から降りてきた二人に、ここぞとばかりにモンスターが殺到する。しかしイスメルに焦った様子は少しもない。彼女は馬上で〈双星剣〉を構えると、まずは右腕で大きく半円を描くように振りぬいた。
イスメルが振るった剣の刃そのものは、ただ空を切るばかりだった。しかしそこから伸ばされた〈伸閃〉の斬撃は、半径十数メートルの範囲でモンスターを一刀両断に切り捨てていく。
さらにイスメルは大きく右腕を振りぬいたその反動を利用し、【ペルセス】と息を合わせながら今度は左腕を大きくふるってもう半円を描く。もちろんその際に〈伸閃〉を使うことを忘れない。
こうして一回転してみせると、イスメルの周辺には一時的にモンスターがいなくなった。後に残っているのは、無数の魔昌石だけである。その光景に、カレンは感心するのを通り越してもう呆れるしかない。
「師匠一人で、ここ落せちゃうんじゃないですか……?」
「瓦礫の山に変えてもいいのなら、出来るでしょうね。ただあまり傷つけないように、というのがアードさんの指示なので、それだとさすがに難しいです」
淡々とそう返され、カレンはもう押し黙るしかなかった。なんだかもう、本当にいろいろと規格外すぎる。しかし弟子の様子を察したイスメルは、意外にもこう言葉を続けた。
「特別なことではありませんよ。ミラルダさんなら私よりむしろ得意でしょうし、クレハやカムイもやろうと思えば出来るでしょう。そもそも、戦闘系のユニークスキルを持っているプレイヤーなら、できない者の方が少ないはずです。もっとも、この瘴気濃度の中で活動できるならば、ですが」
そう言われ、カレンは自分を基準にして考えていたことに気付いた。高くて分厚い城壁とはいえ、所詮は石積みの壁に過ぎない。その程度の壁など、強力なユニークスキルの前では紙切れとそう大差ないのだ。確かに城砦を瓦礫の山に変えるだけなら、十分な火力さえ揃えれば決して難しくはない。
「それより、瘴気濃度はどれくらいですか?」
「あ、ちょっと待ってください……。ええっと……、11.38です!」
呆れるほどの高濃度、というしかない。大気中の瘴気濃度が二桁を越えたのはここが初めてである。〈魔泉〉のすぐ近くでさえ、これほどの濃度ではなかったのだ。
(ということはつまり……)
ということはつまり、やはりこの城砦にはなんらかの要因で瘴気が集められ、また溜め置かれている、と考えるのが妥当だろう。イスメルはそう思った。ただ、その要因が何なのかはさっぱり分からない。そして偵察を依頼したアーキッドにしても、そこまで調べてくることは求めていないはずだ。
「さて、カレン。これからまた少し動きます。写真をお願いしますよ」
「は、はい!」
カレンのその返事を聞いてから、イスメルはまた【ペルセス】を走らせる。建物の中へ入ることはしなかったが、それでも城砦のあちこちを走り回って各所の様子を写真に収めていく。威力偵察としてはやりすぎの成果といえるだろう。
やがて十分に写真を撮ると、イスメルは【ペルセス】を操って城砦から、そしてドームからも一気に離脱した。上空で一息つくと、カレンはドームを眼下に見下ろしながらアルバムを開き、イスメルにも見てもらいながら下で撮った写真を確認する。しかし落ち着いて見てみると、やはりというか粗が目立つ。それで、仕方がないのでもう一度写真を撮りに行こうということになった。
「師匠、その前にちょっと休みませんかぁ……? お腹すきましたよ……」
「ふむ、では昼食を兼ねて休憩するとしましょうか」
イスメルはそう言って馬首をめぐらすと、眼下のドームから距離を取った。そんなわけで小休止である。




