Go West! Go East! 8
「9時54分……。もうすぐ、作戦開始の時間ですね……」
カムイらが廃都の拠点に来てから四日目。カムイとカレンは揃ってキファの工房に来ていた。三人の顔には、それぞれ多少の緊張が浮かんでいる。その原因は、10時から始まる予定のある作戦だった。
その作戦とは、端的に言って拠点の浄化作戦である。つまり拠点内でモンスターが出現する率を下げるのがその目的だった。
これは全ての拠点に共通する問題だが、拠点内であろうともモンスターが突然出現することはよくあった。この世界が瘴気で覆われている以上、それはもう仕方がない。しかし仕方がないとは言え、それが厄介な問題であることもまた事実だった。
もちろんプレイヤーが拠点として使う場所は、だいたい瘴気濃度が1.0以下の低い状態になっている。瘴気濃度が低いと言うことは、つまりモンスターが出現しにくいということだ。そういう意味では、拠点は確かに安全な場所と言えるだろう。
ただそれは、やはり「比較的安全」という意味でしかない。「出現しにくい」ことと、「出現しない」ことは違うのだ。そこには明確な差があって、その差はプレイヤーの負担となって現れる。
その負担をなくすことは現状不可能だ。前述したとおり、この世界は瘴気で覆われている。だから世界中のどこであってもモンスターが出現する可能性はあり、それは決してゼロにはならないからだ。
しかしその負担を軽くすることは、つまりモンスターの出現率を下げることは可能である。パナッシュからディーチェの〈誘引の歌〉の話を聞いたアラベスクはそう判断した。
ディーチェの歌う〈誘引の歌〉は、モンスターを強制的に出現させて引き寄せる。しかし〈誘引の歌〉がどれだけ強力であっても、瘴気がなければモンスターは出現しない。現に岩陰の拠点のプレイヤーたちは、モンスターの出現率が悪くなったので、場所を移動しこの廃都の拠点まで来たのだ。
言い方を変えれば、岩陰の拠点の周囲ではモンスターを出現させるための空間リソースが枯渇したのだ。もちろん時間が経てばその空間リソースは回復するだろう。しかし一時的にとはいえ、それを枯渇させられるという事実がアラベスクには重要だった。
モンスターが出現しにくくなるのは確かに困る。ポイントが稼げなくなるからだ。しかしこと拠点内に限って言えば、モンスターが出現しにくくなるのは大歓迎だ。ではそのためにはどうすれば良いのか。拠点内におけるモンスターを出現させるための空間リソース、すなわち瘴気を枯渇させればよい。岩陰の拠点でやったことを、そのままここで再現するのだ。
廃都の拠点でプレイヤーたちが寝起きの場として使っているのは、主に北側の城砦区画。ここでディーチェに〈誘引の歌〉を歌ってもらい、モンスターを強制的に出現させまた誘引する。そしてこれを倒すことで空間リソースを消費させ、最終的には枯渇させる。これが今回の作戦の大まかな内容と狙いだった。
とはいえ、アラベスクはすぐさまこの作戦を実行に移したりはしなかった。ディーチェの〈誘引の歌〉の威力が未知数だったからである。それで彼はまず検証を行った。それが一昨日のことである。
検証は廃都の南で行われた。プレイヤーが生活している城砦区画に影響を与えないためである。検証の結果は極めて良好。アラベスクはその翌日、拠点にいるプレイヤーたちに告知を行った上で、そのさらに次の日に作戦を決行することとしたのである。
『それにしても、皆さん落ち着いていると言うか、手馴れておられますな。初めて〈誘引の歌〉を経験したときには、我々も驚いたものなのですが……』
検証を終えたその帰り道、パナッシュはアラベスクにそう話しかけた。岩陰の拠点から来たプレイヤーたちは〈誘引の歌〉に慣れている。しかし廃都の拠点のプレイヤーたちは今回が初めてだ。それでパナッシュは彼らが浮き足立ち、混乱のはてにフレンドリーファイア、というところまで想定していた。
しかしながら、実際に始まってみればその予想は大きく裏切られた。アラベスクに率いられた廃都のプレイヤーたちは、極めて落ち着いて戦い、次から次へ現れるモンスターに対処していたのだ。その練度は、ともすればパナッシュらよりも高いように思える。彼らがこれまでに複数のパーティーによる集団戦を、それも何度も経験してきたことは明白だった。そしてその推測を裏付けるかのように、アラベスクはパナッシュにこう応えた。
『似たような戦闘はコレまでに何度か……。我々は対〈軍団〉戦と呼んでいます』
廃都は、北に城砦区画があることからも分かるように、市民が暮らす都市であると同時に軍事拠点でもあった。特に城砦区画に残されていた資料から、廃都の北には広大な平原(今は荒野)が広がっており、そこでは十万規模の軍勢がぶつかる大きな会戦が何度も行われたらしいことが分かっている。
あるいはその名残なのかもしれない、とアラベスクは言う。北の荒野には軍勢が出現する。つまり、人型で兵士のようなモンスターばかりが絶え間なく出現し、さらには集まって軍勢を形成し、そして廃都へと攻めてくるのだと言う。そのモンスターの軍勢のことを、アラベスクら廃都の拠点のプレイヤーたちは〈軍団〉と呼んでいるのだ。
『その、〈レギオン〉の規模はどれ程で……?』
『さて、最低でも数万、といったところでしょう。ともすれば十万を越えるかもしれませぬ』
そのような敵と戦ってきた経験があるので、アラベスクらは集団戦に慣れていたのだ。彼らが厳しい戦場を経験した精鋭であることを知り、パナッシュは頼もしく感じた。ただ同時にある懸念も彼の脳裏に浮かぶ。
『〈誘引の歌〉が〈レギオン〉まで引き寄せる可能性は?』
『見たところ、〈誘引の歌〉の効果は歌が聞こえる範囲に限定されている様子。城壁で阻まれもするでしょうし、外へは漏れないでしょう』
アラベスクはそう見通しを語った。ただ万が一と言うこともあるので、作戦本番では城壁の上に見張りを配置しておくことになった。そして今日、晴れて作戦は決行の日を迎えたのである。
「まったくなんだってこんなことを……。いや、まあ今後のことを考えれば有効なのは認めるがね……」
不機嫌を隠そうともせず、キファはそう愚痴を吐く。いま室内にいる三人の中で一番緊張しているのは、間違いなく彼女だった。左手にスリングショットを持ち、腰にはポーチがたくさん付いたベルトを巻いて、キファは戦闘態勢を整えている。ただそれでも、彼女は今回の作戦にどこまでも乗り気ではなった。
自分で認めたとおり、今後のことを考えればこの作戦が有効なのは分かっている。しかし、しかしだ、拠点の中でモンスターを大量発生させるというのはいかがなものだろうか。そんなことをされては、せっかくしつらえた工房に被害が出てしまうかもしれないではないか。まったくこれだから脳筋どもは……。
「あの、キファさん。なんだったら今からでも避難したらどうですか……?」
カレンが控えめにそう勧める。今回の作戦は、廃都の拠点にいる全てのプレイヤーが参加しているわけではない。それどころか半分近くが不参加だった。不参加を決めたプレイヤーのうち、大半はいつも通り拠点の外でポイントを稼ぐだろう。しかしそれ以外の、主に戦闘を不得手とするプレイヤーは身の置き場がなかった。
彼らとて無論、戦えないわけではない。しかし不得手なのだ。それなのに比較的安全なはずの拠点でこんな作戦を決行されては不満も溜まる。そこで、そんな彼らのためにアラベスクは避難所を用意した。すなわち、アーキッドの【HOME】である。
アーキッドは現在、拠点の外に【HOME】をしつらえ、そこを避難所としてプレイヤーたちに解放している。ずいぶん快適かつ豪奢な避難所で、プレイヤーたちの反応も上々だという。特に遊戯室は大人気。中には生粋の戦闘職のプレイヤーも遊びに来ていて、アラベスクが渋い顔をしながら頭を抱えていたそうだ。
ちなみに、【HOME】はアーキッドがいなければ使えないので、当然彼は今回の作戦に不参加である。さらに彼が出ないならばとミラルダも不参加。彼女の尻尾につられてキキも不参加。イスメルは部屋に引き篭もってこれまた不参加となっている。きっと皆、優雅な休日を満喫しているに違いない。
まあそれはそれとして。避難所があるのだから、キファもそちらへ行けばいい。しかし彼女はそうしなかった。前述したとおり、自分の工房のことが心配だったからである。モンスターに自分の城を荒らされるなど、彼女は我慢できなかったのだ。
ただ工房の中で戦闘を行えば、モンスターを撃退できたとしても、設備等に被害がでる。キファにしてみれば容認できる事態ではない。それにそれではカムイから依頼された仕事にも支障がでる。
それでキファから半ば泣き付かれたカムイとカレンは、彼女の工房にある設備を全て自分達のストレージアイテムに収納してしまうことにした。そうすれば戦闘によって設備が壊れることはない。ただ、ここで一つ問題が起こる。ストレージアイテムの容量が足りなかったのだ。
『【HOME】の部屋に置いてくれば良いんじゃない?』
カレンはそう言ったが、カムイは愛用しているボディバックタイプのストレージアイテムがそろそろ一杯になってきたこともあり、この機会に新しいものを買うことにした。そしてそうなると、どうしても欲が出る。つまりストレージアイテムも【ヘルプ軍曹監修シリーズ】で揃えたくなってしまったのだ。
しかしアイテムショップで探してみても、【ヘルプ軍曹監修シリーズ】にストレージアイテムはない。となれば、リクエストするほかあるまい。
『そこまですることに何か意味はあるの……?』
『ある!』
呆れ顔のカレンに力強くそう答えてから、カムイはアイテムリクエストのページを開いた。そして少し考えてからそれぞれの項目を埋めていく。
アイテム名【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーベルト&ストレージポーチ】
説明文【ヘルプ軍曹監修のミリタリーベルトと、そこに装着する専用のストレージポーチ。ストレージポーチは単品でも購入可能】
カムイがリクエストボタンをタップすると、久しぶりに〈しばらくお待ちください……〉のメッセージが表示された。ぐるぐると回るアイコンを眺めながら待つこと数秒、リクエストしたアイテムは無事に生成された。
確認してみると、ベルトは革製のシンプルなデザインだ。ポーチも同じく革製で、ファスナーではなくボタン式になっている。値段はベルトとポーチ三つのセットが120万Pt。単品で買えるポーチは二種類あり、それぞれ35万Ptと50万Ptだった。ちなみにセットになっている三つのポーチのうち、二つは安い方で、残りの一つが高い方である。
カムイは早速120万Ptのセットを購入。いま装備している【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーパンツ】にはベルトもセットになっているのだが、それは外して新たに買ったベルトとポーチを改めて装備する。心なし身体がシャンとしたような気がするのは、新しい装備のおかげかもしれない。
まあそんなわけで。新調したストレージアイテムに、カムイとカレンは次々にキファの工房の設備や備品を収納していく。幸い容量は十分に足り、ほんの二十分ほどで工房は空っぽになった。
空っぽにしてしまったのだから、カムイにしてみれば、わざわざこの部屋に拘る必要はないように思う。カレンも同じ意見で、だからこそキファに避難するよう勧めているのだが、彼女は頑として首を縦に振ろうとはしなかった。
『ここは私の城だよ!? 好き勝手されてなるものか!』
そう気炎を吐くキファの眼は血走っていた。職人の工房へのこだわりと言うのは、常人の理解を超える。わざわざユニークスキルとして工房を設定したロロイヤのことを思い出しながら、カムイは肩をすくめずにはいられなかった。
かといってキファを一人で残しておくわけにもいかない。彼女の身に何かあれば、例え工房と設備が無事だったとしても、何の意味もないのだ。それでカムイはこうして彼女のボディーガードをすることにしたのである。カレンを巻き込んだのは、イスメルの稽古の道連れにされたことへの意趣返しだ。
(さてさて、どうなることやら……)
憂鬱そうな顔をするキファを横目に見ながら、カムイは石の壁にもたれかかってぼんやりと室内を眺めていた。空っぽになった室内は広い。もともと二部屋をぶち抜いて繋げているので広いのだが、荷物が何もなくなった室内はそれ以上に広く感じた。これだけの広さがあれば、狭くて戦いにくいと言うことはないだろう。
やがて遠くからラッパの音が聞こえてくる。今回の作戦でディーチェが〈誘引の歌〉を歌うのは、広々としていて戦いやすい練兵場。作戦開始の合図として、そこでラッパを吹いているのだ。
その音を聞くと、カムイは壁から離れてアブソープションを発動する。彼の胸元に琥珀色の結晶は下がっていない。キファに預けたままになっているのだ。その分、戦力はダウンしてしまうが、彼は特に気にしていない。普通にモンスターを相手にするだけなら、ユニークスキルだけで十分すぎるのだ。
カムイが臨戦態勢を整えると、そのすぐ近くでカレンもまた腰の剣帯から双剣を抜いて構える。にわかにピリピリとし始めた室内に、今度はディーチェの歌う〈誘引の歌〉がかすかに、しかし確かに聞こえてきた。
(本当にここまで届くのか……)
意識を逸らせばすぐに無視してしまえそうな、それほどかすかな歌声を聞きながら、カムイはむしろ感心していた。練兵場とキファの工房は結構離れている。それでそもそもここまで〈誘引の歌〉が届くのか、彼はそこから疑問に思っていた。
だが結果はかすかとは言え、ディーチェの歌声は確かに届いた。何かスピーカーのような、歌声を増幅したり拡散したりするためのマジックアイテムでも使っているのかもしれない。カムイはそう思った。
ただ、すぐに戦闘の喧騒が響き始め、かすかに聞こえていた〈誘引の歌〉はかき消されて聞こえなくなる。しかしどうやら、実際に聞こえるかは問題ではないらしい。かき消されて聞こえなくなっていても、〈誘引の歌〉は確かにその効果を発揮していた。工房内にもモンスターが現れたのだ。
「ギィィィィイイイ!」
モンスターが雄叫びを上げる。数は一。見た目は人狼に似ている。〈誘引の歌〉の影響下にしては、かなりヌルいと言っていい。やはりかすかにしか聞こえないと、効果も弱くなるようだ。それでもこうして実際にモンスターが出現したのだから、弱くなっているとしてもその効果はやはり確かである。
「はあぁぁぁぁああ!」
まず動いたのはカレンだった。彼女は双剣を左右に構え、姿勢を低くしてモンスターとの間合いを詰める。そして下から跳ね上げるようにして剣を振るい、まず人狼の左腕を斬り飛ばした。
「ギィィィィ!?」
モンスターが絶叫を上げる。そして残った右腕をカレン目掛けてデタラメに振るった。しかしその腕も、彼女はもう一方の剣で根元から切断した。
両腕を失った人狼は、しかしそれでもまだ敵意を失わない。大きな顎をめいっぱいに開き、カレンの首筋に噛み付かんとする。だがそれより早く、彼女の双剣がモンスターの首とみぞおちの辺りを貫いた。そしてカレンはそのまま双剣を左右に大きく振り抜く。それが止めになった。
モンスターに止めをさすと、カレンは魔昌石を回収せずに一旦後ろへ下がる。〈誘引の歌〉の影響下ではモンスターの再出現率が異常に高いからだ。案の定、モンスターを倒したあとの、普通ならば拡散していくはずの瘴気が再び集束を始めた。
「ギィィィ……、ギ!?」
出現したモンスターが唸り声を上げる。そのモンスターの頭を、カムイが後ろから鷲掴みにした。そしてそのまま、モンスターを構成する瘴気をアブソープションで吸収しつくす。
「カレン、今のうちに回収しておけ」
モンスターを完全に喰い尽すと、カムイはそう言って足元に落ちていた魔昌石を蹴ってカレンの方へ転がした。カレンは少し不満そうにしつつも、それを拾い上げてポイントに変換する。そこへキファの声が飛んだ。
「二人とも、また来るぞ!」
カムイが室内を見渡せば、壁や床の隙間から黒い靄、瘴気が滲み出てくる。そして集束してまたモンスターが出現した。数はまた一。すぐさまカムイが拘束し、そしてカレンが倒す。雄叫びを上げさせる間もない、的確な高速処理だ。しかしモンスターは別のところにもいた。
「廊下にもいるぞ!」
少し焦ったようなキファの声。カムイとカレンは視線を交わすと、すぐに行動を開始した。カムイは部屋の外へ向かい、カレンは魔昌石を回収してからモンスターの再出現に備える。
カムイが廊下に出ると、そこには三体のモンスターがいた。キファはその内の一体に狙いを定め、スリングショットで〈炸裂玉〉を放つ。その射撃は見事に命中してモンスターを倒せはしたものの、しかしその攻撃で残りの二体の注意を引いてしまったようだ。その二体は不吉に輝く赤い目をキファのほうに向けると、次の瞬間に猛然と駆け出してキファに襲い掛かる。しかもその後ろでは三体目がまた再出現しようとしていた。
カムイは慌ててそこへ割り込んだ。彼はキファを背中に庇いながら、両手を伸ばして二体のモンスターを捕まえる。そして床へまとめてたたきつけ、そのまま力ずくで押さえ込む。
「キファさんは中へ!」
「すまない、任せた!」
そう言い残すと、キファは工房の中に駆け込み、そして勢いよく扉を閉じた。まさか鍵はかけていないだろうが、締め出されてしまったようでカムイは苦笑する。しかしすぐに表情を引き締めると、アブソープションの出力を最大に引き上げ、押さえ込んだモンスターの瘴気を喰い尽す。再出現率が異常に高い〈誘引の歌〉の影響下では、普通に倒すよりもこうして吸収してしまったほうが面倒は少ないのだ。ただ、扱うエネルギー量が多くなると別の影響も出てくる。
(……っ!)
ドクン、とカムイの心臓が高鳴った。口元には獣じみた笑みが浮かび、目は暴気でぎらつく。そしてちょうどその時、三体目が再出現する。それはまるで、餓えた狼の前に生肉が放られたかのようだった。
「……そぉう、ら!」
カムイは鋭く右足を踏み込み、身体を捻るようにしながら右腕を突き出す。そしてそこから“アーム”を伸ばした。伸ばされた“アーム”はまるで蛇のようにモンスターに噛み付き、そしてカムイはそれを通して瘴気を吸収する。モンスターは絶叫を上げて身をよじるが、しかし“アーム”を振り払うことはできない。徐々に抵抗は弱くなり、ものの数秒でモンスターは瘴気を喰い尽され、そして消えた。
三体目のモンスターを倒すと、カムイは素早く“アーム”を切り離した。扱うエネルギー量が減ったことで、暴気が鎮まり気分が落ち着く。彼は「ふう」と一つ息を吐いたが、しかしそれは少し早かったかもしれない。またモンスターが現れたのだ。
「ギ、ギギィ」
耳障りな声を出すモンスターは、廊下に面した部屋の一つから現れた。どうやらその部屋で出現してから、廊下に出てきたようだ。見た目はリザードマンのようである。そのモンスターは最初、カムイに気付いていなかったようだが、首を左右に振って不吉なその赤い目で彼の姿を見つけると、たちまちのっぺりとしたその顔に敵意と殺意を漲らせた。
突進してくるモンスターを撃退せんと、カムイも姿勢を低くして待ち受ける。急速に間合いを縮める両者の間で、突然瘴気が集束を開始した。〈誘引の歌〉の影響を受け、新たにモンスターが出現しようとしているのだ。
「……っ!」
それを見てカムイは顔をしかめて舌打ちを漏らす。やろうと思えばできるとはいえ、一度に複数の敵を相手にするのは面倒なのだ。咄嗟にカムイは廊下に転がっていた、人の頭ほどの大きさがある石を掴み、猛然と突進してくるモンスター目掛けて投げつけた。
「ギィ!?」
一本道で決して広くない廊下だったことが幸いしたのだろう。カムイが投げた石は見事モンスターに命中した。しかも、「ダメージが入ればいい」程度の気持ちだったのだが、その一撃でモンスターを倒すことにも成功する。ただ、その位置が悪かった。新たに瘴気が集束を始めている、その近くだったのだ。
モンスターは倒されると、身体を構成していた瘴気が解けて周辺に拡散する。この時、魔昌石分は瘴気が少なくなっていると思われるが、まあそれはそれとして。
〈誘引の歌〉の影響下では、この拡散した瘴気がまたすぐに集束してモンスターが再出現する。今回のカムイもそれは覚悟していた。再出現する前に、もう一体の方を倒す。つまり二対一ではなく、一対一を二回というのが、この時の彼の考えだったのだ。
しかしここで予想外のことが起こる。モンスターを倒して拡散した瘴気が、集束するもう一方に巻き込まれてしまったのだ。
「げ……」
カムイが思わず嫌そうな声を出す。こんな現象は初めて見る。アストールやロロイヤなら「興味深い」とか言って喜ぶのかもしれないが、カムイにとっては厄介事以外のなにものでもない。
(でも、まあ……)
モンスターが一体に纏まってくれたのは、面倒がなくて良いかもしれない。カムイはともかくそう前向きに考えることにした。とはいえこの場合、その一体が問題である。この流れで出現するモンスターが弱くなることはまずありえない。むしろ、単純に二倍強いと見積もっておいた方が怪我をしないですむだろう。そうやってカムイが警戒を高める中、ついにモンスターが出現した。
「ギィィィィ!」
出現したモンスターは、まるでガーゴイルのようだった。顔がのっぺりとした人型で、背中には翼が生えている。集束した瘴気の量が多いためなのか、その身体はさっきまでのモンスターと比べて一回り程度大きいように思えた。
モンスターの赤い目がカムイを捉える。その瞬間、モンスターは牙をむいてそののっぺりとした顔に敵意と殺意を浮かべた。そして背中の翼を大きく羽ばたかせる。決して広くない廊下はモンスターには窮屈なようで、羽ばたくたびにその翼は何度も壁にこすり付けられるようにぶつかっていた。
しかしそれでも、モンスターに頓着した様子はない。それどころか何の問題もないといわんばかりに身体を浮かせ、そして翼で壁を引っかきながらカムイに飛び掛った。それに対し、主導権を握られてはやりにくいと思い、カムイも前に出て積極的に間合いを詰める。
「ギィ……!」
向かってくるカムイを脅威と思ったのか、モンスターは不快げに唸り声を上げた。口角のつり上がったその口元に炎が浮かぶのをカムイは見逃さない。そして次の瞬間、モンスターは火炎弾を三つ、彼に向かって吐き出した。
こうやって中・遠距離から仕掛けてくるモンスターはそうそういない。カムイにとっては遺跡の水場に現れたあのモンスター以来だ。しかし直前に口元の炎を視認できていたので、意表をつかれるほどの驚きはない。それどころか彼は反射的に動いていた。
「カァ!」
一歩強く踏み込み、一拍だけ自分の動きを止める。そしてその一拍の間に、カムイは口から衝撃波を放った。〈咆撃〉である。そして放たれた衝撃波は、見事に三つの火炎弾をかき消した。それを確認するが早いか、カムイは殺しきれていなかった勢いに身を任せて再び前に出る。そして次の一歩で、モンスターとの間合いを完全に詰めた。
「シィ!」
カムイは左手を手刀にして振り下ろし、モンスターの左腕を切り飛ばす。その左腕は、放っておくとまたモンスター(の一部)になってしまうので、素早く右手で掴んで回収してそのままアブソープションで吸収してしまう。
「ギィ!」
プレイヤーなら片腕を失った時点で多くの者が戦意を喪失するだろう。しかしモンスターが怯えて逃げ出すのをカムイは見たことがない。このモンスターもその例に漏れず、逃げるどころか残った右手でカムイの顔面を狙ってきた。
その攻撃を、カムイは首をかしげるようにしてかわす。そして体当たりするようにして懐に入り込み、モンスターの身体を壁に叩き付けてそのまま押さえ込む。動きさえ封じてしまえば、あとはカムイの独壇場である。
「ギィィィィ!?」
モンスターが悲鳴を上げる。アブソープションで身体を構成する瘴気を奪われているのだ。拘束から逃れようと何度も翼を羽ばたかせるが、しかしカムイはモンスターを掴んで離さない。羽ばたくたびにモンスターの翼が彼の身体を引掻いているのだが、白夜叉のオーラに守られたカムイは何の痛痒も感じていなかった。
モンスターの口元にまた炎が浮かぶ。至近から火炎弾を放とうとしているのだ。カムイはモンスターの顔を下から鷲掴みにして無理やり口を閉じさせる。すると次の瞬間、放たれるはずだった火炎弾がモンスターの口の中で爆発してその顔が吹き飛んだ。
それが止めになった。頭部を失ったモンスターの身体がダラリと脱力し、そして解けて瘴気へと還る。カムイがすぐ近くにいたからなのか、それらの瘴気は再集束することなく彼に吸収された。
ポトリ、と魔昌石が廊下に落ちる。カムイはその魔昌石と、さらにその前に倒したもう一体の分を回収すると、小走りになってキファの工房の前まで戻った。すると扉の向こう、つまり部屋の中から「キャア!?」というカレンの悲鳴が聞こえた。
最悪の予想が頭をよぎり、カムイは慌てて中へ入る。扉には相変わらず「人の尋ね来ることこそうれしけれ。されどお前ではなし」のプレートがかかっているが、さすがに気にしている場合ではない。
「カレン、どうした!?」
「あ、カムイ。気をつけて!」
幸い、カレンは無事だった。ただ姿勢を低くして、さらに頭を庇う様子を見せている。すぐ近くにいるキファも同様だ。カムイはとっさに状況がつかめず首をかしげたが、次の瞬間、そんな彼の目の前に黒い塊が迫る。彼は驚いて声を上げながらも、反射的にそれをかわした。
(なんだ……!?)
カムイも二人と同じように姿勢を低くすると、それから素早く視線を巡らせて先ほどの黒い塊を探す。その黒い塊は身体を天井や壁にぶつけつつ、室内を窮屈そうに飛んでいた。
(鳥……? 鳥型のモンスターか!)
黒い塊は、鳥型のモンスターだった。大きさはハトくらいだろうか。部屋の中をデタラメに飛び回っている。窓は開いているのだから勝手に逃げれば良さそうなものだが、しかし一向に外へ出て行く気配はない。そんなところは本物の鳥に似なくて良いのに、とカムイはふと思ってしまった。
「すばしっこくてね……。攻撃が当らないんだ。まったく忌々しい……!」
苦虫を噛み潰したような顔で、キファがそう話す。確かに鳥型のモンスターは的が小さい上に動きが素早いから、攻撃を当てるのは一苦労だろう。あとでカレンから聞いた話だが、カムイが来る前にキファは何度か〈炸裂玉〉を外していて、そのせいで自分の工房を傷つけてしまい、それでこの時ことさら機嫌が悪かったのだと言う。
喧騒に紛れて聞こえないが、〈誘引の歌〉はまだ続いている。時間が経てばまた次々とモンスターが出現してくるだろう。たった一体のモンスターにかまけている暇はないのだ。手早く倒す必要があり、そのためにはカムイの方が適任だった。
「キファさん。廊下の方、お願いします」
「……分かった。アレを倒したらまた交代してくれ」
キファは少しだけ逡巡する素振りを見せたが、これ以上工房を傷つけるのも嫌だったのだろう。すぐに頷き、姿勢を低くしたまま廊下に出た。カムイはそれを見届けてから扉を閉めると、カレンと合流して彼女を背中に庇う。そして体内にエネルギーを溜め込みながら、部屋の中を飛び回る鳥型のモンスターを目で追いかけ好機を待つ。
十数秒ほどで、その好機は来た。デタラメに飛び回っていたモンスターが、カムイ目掛けて突っ込んできたのだ。その眼は相変わらず不吉に赤く、その嘴はキリのように鋭い。しかしイスメルや呉羽と比べれば何も恐れることはない。カムイは真正面からそれを迎え撃った。
「カァ!」
カムイが口から衝撃波を放つ。先ほども使った〈咆撃〉だ。この攻撃は破壊力こそ心もとないが、しかし広角に広がりしかも不可視なので回避が難しい。実際、イスメルや呉羽でさえ、〈咆撃〉を回避したことはない。尤も彼女達の場合、「かわすまでもない」というのが実情なのだろうが。
とはいえ今回の相手はただのモンスターである。しかも「的が小さくて素早い」ということは、逆を言えば「軽くて防御力で劣る」という意味だ。それで真正面から〈咆撃〉の衝撃波を浴びたモンスターはそれに耐えることができず、吹っ飛ばされて錐もみしながら壁に激突した。しかしまだ倒しきれていない。
「カレン!」
「分かってるっ!」
カムイの後ろからカレンが飛び出す。また飛び回られては面倒だ。床に這いつくばっているうちに倒す必要がある。若干の焦りを抱えながらカレンは間合いを詰め、そしてなんとか飛び立とうとしていたモンスターの、その片方の翼に剣を一本突き立てた。
「ギィィィィ!?」
モンスターが絶叫を上げる。モンスターがもがくその抵抗が剣からカレンにも伝わるが、しかし逃れるだけの力はない。カレンはもう一方の剣で、今度は胴体を突き刺して止めをさした。
「ふう……」
厄介なモンスターをようやく倒したことで、カレンの気が少しだけ緩む。そして残された魔昌石を回収したところで、カムイが鋭く彼女の名前を呼んだ。
「カレンッ!」
カレンは反射的に身体を捻り、さらに双剣を交差させて防御姿勢を取る。幸い、彼女が攻撃を受けることはなかった。それより前に、カムイの蹴りが出現したばかりのモンスターを吹っ飛ばしていたのだ。
それを見て、カレンも咄嗟に行動を起こす。双剣を構えて蹴り飛ばされたモンスターに駆け寄り、相手の体勢が整う前に切り刻んで倒した。そして魔昌石を回収することなく、一旦下がってカムイと合流する。
視線の先では、またモンスターが再出現しようとしている。数は多くないものの、作戦が始まってからモンスターが途切れない。そのため警戒と緊張は維持しなければならず、それが地味にしんどかった。
(ダメね……、これじゃあ……)
カレンは内心でため息を吐く。自分がいつも以上に緊張していることを、彼女は自覚していた。その理由は単純だ。イスメルがいないからである。いつも後ろで見守ってくれて、危なくなればすぐに助けてくれた彼女が、今はいない。それがカレンにいつも以上の緊張を強いていた。当のイスメルは今ごろ【HOME】の自室で、恍惚とした顔をしながら観葉植物を愛でているはずで、それを思うと腹立たしくもある。
いつまでもイスメルに守られているわけにはいかない。自分の身くらいは自分で守れるようにならなければ。改めてそう思いなおし、カレンは双剣を握る手に力をこめた。そんな彼女に、カムイが声をかける。
「大丈夫か?」
「ええ、大丈夫よ」
カレンがそう答えると、カムイは一つ頷いてから集束を続ける瘴気のほうへ鋭い視線を向けた。しかしモンスターが再出現するより前に、扉の外からキファの少し切羽詰ったような声が聞こえてくる。
「カムイ君! そ、そろそろいいかね!?」
他の空き部屋からもモンスターが出てくるので、廊下は意外と数が多くなるのだ。キファのユニークスキルは戦闘向きではないし、得物も乱戦には向かない。それでやはり負担は大きかったようだ。
「あ、はい! 今代わります!」
カムイはすぐに廊下に出て、キファを庇うようにその前に立った。そして彼女を部屋の中に入れてまた扉を閉じる。なかなか慌しいなと思い、彼はふと苦笑を漏らした。
この日、作戦は何度かの休憩を挟みながら日暮れまで行われた。あとから聞いた話だが、場所も練兵場だけでなく、何箇所かに移動して行ったそうだ。
作戦の成否やその成果について、廃都の拠点にずっといたわけではないカムイには良く分からない。ただ、作戦に参加したプレイヤーの表情が明るかったので、少なくとも稼ぎについては上々の成果が出たのではないかと思っている。
また、これも後で聞いた話だが、アラベスクは有志を募って浄化樹の鉢植えを幾つか購入したそうだ。目的はもちろん、拠点の浄化である。今はまだ鉢植えだが、ある程度大きくなったら地に下ろすことも考えているそうだ。拠点内にはもともと樹木が植えられていたと思しき場所もあり、そういう場所に植えるつもりなのだろう。
まあそれはともかくとして。作戦後、アラベスクは拠点のプレイヤーたちを集めて慰労会を開いた。その費用は彼自身が持つつもりだったようだが、話を聞きつけたアーキッドがそれを肩代りした。アラベスクは恐縮していたが、アーキッドに恩着せがましいところはない。
「【PrimeLoan】をご利用いただいた、そのささやかな礼さ」
アーキッドは飄々とそう言い、アラベスクは苦笑したという。
なにはともあれ、こうして作戦は終わった。
ヘルプ軍曹「ストレージアイテム、だと……?」




