Go West! Go East! 6
アーキッドら六人のパーティーに、パナッシュらおよそ三十名が合流した。岩陰の拠点にいたプレイヤーたちであり、お隣の、つまりキファがいる拠点へ移動するためだ。稼ぎの効率が落ちてきたので、拠点を移ることにしたのだ。
もちろん、この人数を抱えて今までどおりに走りまくることはできない。移動は徒歩になった。二つの拠点の間の距離は、徒歩でだいたい五日ほど。しかし岩陰の拠点を出発してからもうすでに七日経っているというのに、カムイらはまだ目的の拠点に到着していなかった。
理由は単純だ。そもそも五日というのは、一日丸ごと歩いて移動した場合の数字である。しかしカムイらはこの七日間、毎日午後からしか移動していない。では午前中なにをしているのかと言うと、パナッシュらの要請もあってその時間はモンスターをたいらげている。つまりポイントを稼ぐための時間だ。
「~~♪ ~♪ ~~♪♪」
少女の歌声が荒野に響く。銀色の髪の毛と青い目をした、端正な顔立ちの少女だ。彼女は竪琴を手に、朗々と歌い上げる。その言葉はカムイの知らない言語だ。もしかしたら歌に【自動翻訳能力】は適用されないのかもしれない。あるいは意味のある言葉ではないのか、そのどちらかだろう。
銀髪の少女、つまりディーチェが歌うのは、モンスターを出現させて引き寄せる、〈誘引の歌〉だ。曲調としては荘厳というべきか。少なくとも陽気にピクニックへ出かけるような感じではない。戦意高揚とまではいかずとも、脱力して隙を見せるようなことはないだろう。
さて曲調はともかく、〈誘引の歌〉の力は本物だった。モンスターは絶えることなく次から次へと現れる。その密度は〈侵攻〉並みだ。しかもそれらのモンスターは、全て明確な敵意を持って襲い掛かってくる。
だからその危険度は〈侵攻〉をはるかに越えると言っていい。とはいえ、プレイヤー側が押されることはない。そもそもパナッシュらは今までコレを戦い続けてきたのだ。つまり彼らだけで戦力は足りている。そこへアーキッドらが加わったことで、「むしろいつもより楽」というのが彼らの感想だった。
(これでいつもより楽とか、なかなかハンパないな!)
胸中でそう呟きながら、カムイは右手の“グローブ”を大振りする。彼の目の前にいた三体のモンスターがその爪にかき裂かれ、魔昌石を残して瘴気へと還った。しかしここで気を緩めてはいけない。普通なら拡散していくその瘴気が、またすぐに集束して新たなモンスターが出現したのだ。
「ギィイイイイイ!」
新たに出現したモンスターが雄叫びを上げる。ここ七日ほどで、もう見慣れてしまった光景である。この異常な再出現率の高さも〈誘引の歌〉の偉力だ。最初は思わず「ウソォ!?」と叫んでしまったのだが、今ではもう冷静に対処できる。
今回もカムイはすぐに左手から“アーム”を伸ばし、出現したばかりのモンスターの頭を掴んで、そのまま瘴気を全て奪いつくす。さすがに再利用する瘴気がなければ再出現もしないのだ。
だがまた別のモンスターが次から次へと襲い掛かってくる。それをカムイは黙々と倒し続けた。
「よ~し、そろそろ休憩!」
頃合を見計らってパナッシュがそう声を上げた。それを聞いてディーチェが〈誘引の歌〉を止める。すると、すぐに地面から瘴気が滲み出して来ることはなくなり、また再出現率も通常に戻り、モンスターの数は瞬く間に減っていく。そしてディーチェが歌を止めてから一分もする頃には、辺りには静寂が戻っていた。
モンスターがいなくなると、プレイヤーたちは戦闘中は放置していた魔昌石を回収していく。残しておくと休憩後の戦闘で邪魔になるし、またそもそもこれがポイントになるのだ。わざわざ残しておく理由もない。
魔昌石を回収し終えると、プレイヤーたちは思いおもいに身体を休める。中には軽食を食べているものもいた。歌い通しだったディーチェも、パナッシュから飲み物を受け取って喉を潤している。
〈誘引の歌〉を使っていると戦闘の密度は濃くなるが、しかし〈侵攻〉とは違いこうして休憩を取ることができる。ある程度だが戦局をコントロールすることが可能なので、その点は〈侵攻〉よりも楽と言えるかもしれない。
「カレン、大丈夫か?」
疲れた様子で座り込むカレンに、カムイは【低級ポーション】を差し出しながらそう尋ねた。もっとも、彼女はイスメルと一緒に戦っていたので、カムイも言葉ほどは心配していない。
「ありがと。でもあんまり大丈夫じゃないかも……。〈伸閃〉は難しいわ……」
ポーションを受け取りながらカレンはそうこぼす。彼女は戦闘中ずっと、イスメルに言われて〈伸閃〉の特訓をしていたのだ。そもそもこの半日の戦闘はパナッシュではなく、イスメルが言い出したものなのである。
モンスターが次から次へと出現するこの状況は、確かに特訓にはもってこいだ。ただ密度が濃すぎてカレンは泣きそうだった。とはいえ泣いてもイスメルは手加減してくれないだろう。彼女の特訓はスパルタなのである。ただそれでもカレンが怪我一つしないのは、イスメルがしっかりと見守ってもいる証拠だった。
「だんだん良くなってきてはいますよ。集中力も保てていますし、〈侵攻〉の経験が生きていますね」
イスメルはそう言ってカレンを褒めた。疲れた様子を少しも見せないのは流石と言っていい。褒められたカレンはまんざらでもないようで、顔には明るさと生気が戻っている。ポーションの効果もあるのだろうが、それ以上に褒められたことを喜んでいるのは一目瞭然だ。こうしてまた、厳しい特訓を続けるのである。幼馴染の意外とチョロい一面を知り、カムイは思わず苦笑するのだった。
「よ~し、そろそろ休憩終わり!」
パナッシュがまた声を上げる。それを合図にして、プレイヤーたちはのろのろと立ち上がり臨戦態勢を整えていく。そして全員の準備が整ったところで、またディーチェが〈誘引の歌〉を歌い始めた。
その歌に誘われて、すぐにモンスターが現れ始める。地面からも瘴気が滲み出てきて、それが次々にモンスターへ変化していく。たちまちモンスターの大群が現れ、辺りは戦闘の怒号と轟音に包まれた。
「そんじゃ、頑張りますか!」
そう言って、カムイは襲い掛かってきたモンスターを“グローブ”で薙ぎ払った。そしていつも通り、暴れて、暴れて、暴れまくる。〈侵攻〉と同じくらいの密度で、さらにモンスターはすべからく敵意と殺意を持っているのだ。これでカムイのテンションが上がらないわけがない。いつしか彼の口元には凶悪な笑みが浮かんでいた。
「キヒィ、ハハ……、アァハッハッハァ!?」
カムイが哄笑をあげた。そしてそのまま、彼はモンスターの群れの中に飛び込んで暴れる。その様子はまるで獣のようですらある。
「カムイ……」
暴気を振りまきながらモンスターを蹂躙する幼馴染を見て、カレンは心配そうに彼の名前を呟いた。彼が暴走する様子は何度か見たことがあるが、今の様子はその時とそっくりである。カレンが「何とか止めないと」と思ったその矢先、イスメルが後ろから彼女に声をかけた。
「大丈夫ですよ。少々危なっかしいですが、暴走はしていません」
だいたいさっきも大丈夫だったでしょう? とイスメルは言う。彼女の言うとおり、さっきの休憩前の戦闘でもカムイはデタラメに戦っていたが、しかし暴走はしていなかった。その証拠にモンスターがいなくなったら、すぐにアブソープションと白夜叉を解除している。暴走状態だったら、プレイヤー相手であろうと遮二無二襲いかかって、被害を出す前にイスメルに折檻されていたはずだ。そうでなかったと言うことは、つまり……。
「暴走、しなくなっている……?」
「完全に克服したのかはわかりません。ですが、少しずつでも成果は出ているようですね。カムイも頑張っていますから。……ところでカレン。手を止めてのん気に見物とは、ずいぶん余裕ですね?」
イスメルに注意され、カレンはギクリとして特訓を再開した。慌てているせいか、動きが少しぎこちない。イスメルは苦笑しながら剣を振るい、死角からカレンに襲い掛かろうとしていたモンスターを、彼女が気付かないうちに始末した。ちなみにカレンが手を止めていた間に、近寄ってきたモンスターを始末していたのもイスメルである。
(やれやれ、わたしが師範の真似事とは……)
内心でイスメルは苦笑する。この世界に来るまで、彼女は誰かに何かを教えることはほとんどなかった。エルフは一般に剣よりも弓を好むからイスメルの出番はないし、剣士の場合、派手な技を使わないイスメルは一目置かれながらも変人扱いだった。ちなみにカレン曰く「変人扱いされるのは言動のせいじゃないんですか?」とのことだが、イスメルはその説を断固否定している。まったく師匠をなんだと思っているのか。
まあ、それはそれとして。そんなわけで、イスメルにとって弟子と呼べるのは、実はカレンが初めてだった。
(人にモノを教えるのは難しい)
イスメルはしみじみそう思う。ただ、同時に自分のためにもなっていることを、このごろ彼女は実感している。人に教えることで、自分の理解が深まっているのだ。
(わたしもまだまだ未熟でしたか……)
そう自戒する。別に剣の道を究めたいと思っているわけではない。しかし向上心をもたなければ腕は錆付いてしまう。剣を持ち戦いの中に身を置く以上、それは致命的だ。思い上がり、慢心して隙をさらすのは愚か者のすることである。そういう輩をイスメルは何人も見てきた。アレと同列になるところだったのかと思うと、なかなかゾッとする。
そういう意味ではカレンやカムイには感謝するべきなのかも知れない。イスメルはそう思った。そして感謝するのなら、それを行動で示すべきだろう。
(では稽古をもっと有益なものにしなければいけませんね……!)
そうすれば、イスメルを含め全ての人のためになるだろう。こうしてカレンとカムイの知らないところで、稽古がより有益なものに、もとい厳しくなることが決定したのだった。
― ‡ ―
カムイらが目的地であるキファのいる拠点に到着したのは、岩陰の拠点を出発してから十一日目のことだった。この拠点は巨大な城塞都市の遺跡をそのまま利用したもので、ここにいるプレイヤーたちはこの拠点のことを〈廃都の拠点〉と呼んでいた。
廃都の拠点は、城塞都市らしく周囲を城壁に囲まれている。いや、「囲まれていたはずだ」と言うべきか。今ではあちらこちらが崩れてしまっている。都市の中も当然廃墟で、アストールが見たら喜びそうだな、とカムイは思った。写真を撮ったので、帰ったら土産代わりに見せてやるつもりだ。
「人の気配がしないな……」
廃都の中を歩きながら、パナッシュはそう呟いた。それを聞いてアーキッドは苦笑してこう応じる。
「見ての通り、廃都は広いからな。十万人規模の都市だったって話だ。それとここにいるプレイヤーのほとんどは、北にある城砦をねぐらにしてるからな。そっちに行けば誰かしらいるはずだぜ」
カムイが地図を確認してみると、都市の北側には付け足すような形で城砦が建てられていた。言い方を変えれば、この城砦の後ろ側に都市が庇われているような格好だ。そしてその感想はたぶん正しいのだろう。北側は城砦を挟んで城壁が二重になっている。これほど堅固な造りになっているのだから、敵はさらに北側から攻めてきたのだと容易に想像が付く。それも、恐らくは何度も。
(戦争、か……)
あの川沿いの遺跡を調査していたときも、その単語は出てきた。それが瘴気の影響であったのか、あるいはそういう時代だったのかはわからない。とはいえこの世界では、やはり戦争はそう珍しいものではなかったのだろう。
アーキッドに案内され、一行は廃都の北側へ向かう。そして内側の城壁を潜ると、そこはもう城砦である。都市部とは雰囲気からして違う。生活感がないというか、無骨で整然とした印象をカムイは受けた。
「アーキッドさん!?」
一行が城砦部に入ると、すぐに一人のプレイヤーが彼らのことを見つけた。彼は驚いた様子だったが、見知った顔がいたおかげなのだろう、警戒する様子は見せなかった。それどころか笑顔を見せながらアーキッドに駆け寄り、抱きしめてその背中をバシバシと力任せに叩いた。
「嬉しいなぁ、また来てくれるなんて!」
「そっちも元気そうで何よりだ。ていうか背中が痛いぜ」
「ああ、こりゃ失礼。ところで、後ろの方々は一体……?」
アーキッドを手荒い抱擁で迎えた男性プレイヤーは、彼を解放してからその後ろへ視線を向けた。そこには三十人を越えるプレイヤーがいて、そのほとんどが彼の見知らぬ顔だ。さすがに彼の顔にも警戒が浮かぶ。
「ああ、そのことでちょいと話がある。アラベスクのおっさんはいるか?」
「私ならここにいる。それとアーキッドよ、おっさんというなら貴様もそういう年齢であろう」
低く渋い声でそう言って現れたのは、風格漂う男性プレイヤーだった。年齢は四十代の前半くらいか。灰色の髪の毛を後ろで髷のようにしてまとめていた。同じ色の顎鬚を生やしているが、アーキッドのような無精髭ではなく、きちんと手入れがされている。腰には長大な剣を下げており、鋭い眼光や隙のない立ち振る舞いからして、彼が練達の武人であることは明白だった。
「オレはまだお兄さんさ。この前も若造扱いされたしな」
「相変わらず口の減らぬ男だ。……まあいい。それで、それで後ろの方々は何用かな?」
アーキッドの減らず口に苦笑を返してから、アラベスクは彼の後ろにいるおよそ三十人のプレイヤーらのほうへ視線を向けた。決して敵意はないものの、鋭い眼光にはやはり警戒が滲む。
顔見知りのアーキッドがいなければ、もっと警戒されていただろう。やはり同行を頼んで正解だったと思いつつ、パナッシュは前に進み出てアラベスクに右手を差し出しつつこう挨拶した。
「初めまして。【Panash】といいます」
「ふむ、ご丁寧に。【Arabesque】です」
そう簡単に自己紹介をして、二人は握手を交わした。緊張しながら見守っていたのだろう。その途端、岩陰の拠点から来たプレイヤーたちの間から安堵の息が漏れる。アラベスクも眼光を幾分緩め、それから穏やかな声でこう言った。
「立ち話もなんです。皆さん、こちらへどうぞ。アーキッド、お前も来てくれよ」
「ああ、もともとそのつもりだ」
アラベスクに案内され、一行はぞろぞろと歩き出した。カムイもそれに付いて行こうとしたその矢先、カレンが彼の手をとって引き止める。カムイがいぶかしんでいると、彼女は彼の手を取ったままアーキッドにこう声をかけた。
「アードさん、わたし達はキファさんのとこに行っていい?」
カムイがこの廃都の拠点に来たのは、キファに琥珀色の結晶を研磨してもらうためである。パナッシュらはこれから合流についての話し合いをするだろうから、そこに彼がいてもあまり関係はない。それなら早速用件に取り掛かった方がいい、ということだ。
「ん? ああ、いいぞ。後で連絡入れるから、それだけ気に留めておいてくれ」
「分かった。じゃ、カムイ、コッチよ」
そう言ってカレンはカムイの手を引いて駆け出した。城砦の中には多くの部屋がある。しかも部屋数に対してプレイヤーの数は少ないから、ほとんどの部屋が余っている状態だ。実際カムイが見ただけでも、たくさんの空室が手付かずのままにされていた。
そんななかでカレンが案内したのは、しかしながら城砦の端にある部屋だった。空き部屋がたくさんある中で、わざわざすき好んでこんな辺境を選ぶのだから、キファという職人には偏屈なところがあるのかもしれない。ロロイヤという実例を思い出し、カムイは思わず渋い顔をしそうになった。
さらにその予測を裏付けるかのようなモノが。カレンに案内された部屋の扉には木製のプレートがかけられていたのだが、そこにはこう書かれていたのである。
『人の尋ね来ることこそ嬉けれ。されどお前ではなし』
今度こそ、カムイは渋い顔をしてしまう。要するにコレは「コッチ来んな」という意味だ。他に解釈の仕方があるのなら教えて欲しい。カレンのほうを振り返れば、彼女も頬を引き攣らせている。
「わ、悪い人じゃないのよ?」
カレンの弁護も弱々しい。中からは物音がするのでキファは部屋にいるようなのだが、しかしこれでは声をかけていいのかも分からない。カムイが途方に暮れていると、カレンは「ハハハ……」とバツの悪そうな笑みを浮かべ、それから“ドンドンドン”と遠慮なく叩いた。
「キファさん、ちょっといいですか!?」
「ちょっと待て、今行く!」
すぐに部屋の中から返事があったので、カレンは扉を叩くのを止めて一歩後ろに下がった。そして中からバタバタと騒がしく歩く音がして勢い良く扉が開く。中から顔を出したのは、若葉色のツナギを着た女性プレイヤーだった。
年の頃はおそらく三十の手前。深いダークローズの髪の毛を邪魔にならないよう後ろで一纏めにしている。身長はカムイとそん色なく、女性にしては長身だ。仕事を邪魔してしまったのか、彼女は少々不機嫌そうな顔をしていたが、カレンの姿を見つけると一転して「おや?」という表情を浮かべた。
「声を聞いてもしやとは思ったが、やはりカレンか。よく来た、な?」
「なんで疑問系なんですか」
「いや、思いがけない来客だったのでな。ともかく入るといい」
「……いいんですか、入っても?」
そう言ってカレンが視線を向けた先には、例のプレートがあった。彼女の視線に気付いたキファは、「ああ、忘れていた」と呟きプレートをひっくり返す。するとそこには、今度はこう書かれていた。
『人の尋ね来ることこそ疎ましけれ。されどお前ではなし』
意訳すれば「ようこそ」と言ったところだろうか。どうやらこのプレートは両面あわせて要するに〈OPEN〉と〈CLOSED〉という意味なのだろう。ずいぶん分かりにくく、また誤解を招きやすい表現だ。
キファの世界の文化なのかとカムイは一瞬思ったが、しかしすぐに「そんなわけないよな」と思いなおす。実際、後日キファに確認してみたところ、「洒落だよ」と教えてくれた。「洒落にならない」とはまさにこのことであろう。
まあそれはそれとして。キファの部屋、もとい工房は広かった。それもそのはずで、壁をぶち抜き二つの部屋を一つにまとめて使っているのだ。しかも二つあった扉の片方は完全に塞ぎ、出入り口は一つにしてしまうという手間のかけようである。職人だけあって自分の工房に妥協はしたくなかったのかもしれない。
「そこに座ってくれ。今、コーヒーを淹れよう」
カレンとカムイにイスを勧めると、キファはそう言ってコーヒーを淹れはじめた。それもインスタントではなく本格的なドリップ方式だ。しかもカップやサーバーをしっかりと暖めている。これをしておくと淹れたコーヒーが冷めないのだ。
「コーヒー、好きなんですか?」
「ん? ああ、そうだな。カレンに勧められて以来、恥ずかしながらハマってしまってね。飲むと頭も冴えるし、重宝しているよ」
借金まみれだと言うのにこうして道具まで揃えてしまった、とキファは楽しげに話した。そしてペーパーフィルターに粉を入れ、そこへ少量のお湯を注いで蒸らす。たちまち、コーヒーの香ばしい香りが部屋いっぱいに広がった。
「……そういえば、まだ君には名乗っていなかったね。すでに承知しているだろうが、私が【Kiefer】だ。改めてよろしく頼むよ」
コーヒーを淹れながらキファがそう名乗る。本来、背中を見せながら名乗るのは礼儀にもとるのだろうが、それを不快に感じないのは彼女のさっぱりとした性格のおかげだろう。
「【Kamui】です。よろしくお願いします」
「うむ、よろしく」
コーヒーを淹れながら、キファはそう言って笑顔を見せた。やがて人数分のコーヒーが用意され、キファはそれを簡素な木製の丸テーブルの上に並べる。テーブルの上にはさらにカレンが用意したチョコレートも置かれていて、キファはそれを見つけると「おや、すまないね」と言ってまた笑顔を見せた。
「……さて、と。それじゃあ、用件を聞こうか?」
「はい、ええっとですね……、実は……」
事情の説明はカレンがした。なぜかカムイと再会したところから始まり、そのせいでずいぶんと話が長くなった。九割くらいは関係のない話のような気がするが、ここで口を挟んでもいいことはない。キファも楽しげにカレンの話を聞いているので、当事者であるはずのカムイは「まあいいか」と思い、時々チョコレートをつまみながら黙ってコーヒーを飲んでいた。
「なるほど。つまり、そのお手製の装備を加工して欲しいと、そういうわけだね?」
カレンの話を聞き終えたキファが、彼女の話をそうまとめた。長々とした話も要約すればただそれだけのことだ。心ゆくまで喋ったカレンは、満足げに温くなったコーヒーを啜っている。そんな彼女の代わりに、カムイはようやく一言だけ喋った。
「はい、そうです」
「ふむ……。それじゃあ、ちょっとその装備を見せてもらえないかな? ソレがどういうシロモノなのか分からないことには、私としても安易に仕事を請け負うわけにはいかないからね」
キファの求めに応じ、カムイは首から下げていた琥珀色の結晶を革紐ごと彼女に手渡した。キファは受け取った結晶を、角度を変えながらためつすがめつ眺める。真剣な眼差しはまさに職人のそれで、カムイもカレンも話しかけるのが躊躇われた。
「なるほど……。この中に入っているのが浄化樹の種というわけだね。プレイヤーショップで見たことがあるよ。それで周りの結晶が【クリスタル・ジェル】か。確かアイテムショップに売っていたね。いつか使ってみたいと思っていたが……。この革紐はなにか特別なものかい?」
「あ、いえ。普通の革紐です」
カムイがそう答えると、キファは「なるほど」と言って一つ頷いてから、またすぐに視線を琥珀色の結晶に戻す。彼女はまたしばらく鋭い視線で結晶を観察していたが、ややあってから「ありがとう」と言ってそれをカムイに返した。それからおもむろに懐からモノクルを取り出し、そして彼にこう頼む。
「ちょっとそれを使ってみせてくれないかね?」
言われるままにカムイは琥珀色の結晶を発動させた。入力と出力をきっちりと区別して二重螺旋を描かせる。キファはその様子をモノクルをかけて観察し、そして「ほう」と面白そうに呟いた。
「なかなか興味深い使い方をしているね。わざわざ二重螺旋を描かせているようだけど、どうしてだい?」
「混ざっちゃうと、上手く吸収できないんです」
「ふむ、吸収できないとどうなるんだい?」
「結晶の中にエネルギーが溜まり続けて、たぶん最終的には爆発しますね」
「なるほど、爆発か。それは大変だ」
キファはそう言って苦笑し、それから「ありがとう、もういいよ」とカムイに告げる。そして彼が持つ琥珀色の結晶に視線を向けたまま、どこか感心したような声でこう言った。
「それにしても、面白い装備だね。入力より出力のほうが大きい。ある種の永久機関、いや瘴気とはいえ外部のエネルギーを利用しているのだから、増幅装置と言うべきかな? ただ、尖がりすぎていてあまり一般的とは言えないかな」
「一般的じゃない、というのはどういう……?」
「第一に瘴気の利用が前提だ。瘴気とは本来有害なモノ。その利用が前提じゃあ、普通の人間には使えないよ。だからこそ、この世界は滅亡したんだろうしね。
そして第二に、エネルギーを取り出すのが難しい。カムイ君は吸収にユニークスキルを使っているそうだが、逆を言えばそうでもしなければ取り出せないと言うことだ。そして溜まり続ければ爆発する。欠陥品ではなくとも、使う人間を選ぶね、これは。少なくとも万人向けじゃあない。
そして最後に、その結晶が発生させているのは魔力じゃない。より純粋な生命力、言うなれば〈オド〉とでも呼ぶべきものだ。これでは取り出せたとしても利用できない。以上の三点が一般的ではない理由だよ」
「あの、オドと魔力ってどう違うんですか……?」
キファの話を聞いたカムイが、おずおずと手を上げながらそう尋ねた。一つ目と二つ目の理由は納得できたが、三つ目が良く分からなかったのだ。
〈オド〉というのは初めて聞く単語だ。文脈からしてエネルギーの一種なのだろう。問題なくアブソープションで吸収できているから彼には関係ないのかもしれないが、しかし気にはなる。それに吸収した際の感覚の違いも、そもそも吸収しているものが違うためなのかもしれない。そう考えると、聞いておく価値はあるように思えた。
「〈オド〉というのは、一般的な生命力のことを指す言葉だ。これに対し、魔力というのは含蓄の広い言葉でね。一言で説明するなら、『人間が魔法を使うために使用するエネルギー』といったところかな」
キファはまずそう説明した。そしてこう続ける。
「例えば人間が自分の力で魔法を使う場合、その力は言うまでもなく魔力だ。しかしその出所は本人の、言うなれば生命力。だからその力はオドということもできる。よってこの場合、魔力とオドはイコールだ。オドを魔力として使っている、とも言えるね」
もちろん全てではないけれど、とキファは付け足す。もし全てのオドを魔力として使えば、術者は死んでしまう。だから「オドの一部を魔力として流用している」といった方がより正確かもしれない。
「だけど一方で、魔力として使えないオドもある。植物から力、つまり生命力を取り出し、それを利用して魔法を使うなんて、そんなの私は聞いたこともないよ。もしその生命力を魔力として利用できる植物があるとすれば、それこそ御伽噺の世界樹くらいなものだろうね。
ただ、ここが面倒くさくてね。自然界にも魔力は存在するんだ。代表例は魔石だね。蓄積されたその力を使って、人間は魔法を使うことができる。だからその力は歴とした魔力だ。けれどもその力は決してオド、つまり生命力じゃあない。魔石は生物ではないからね。つまりオドを由来としない魔力も存在するということだ」
要するに、オドと魔力は一部重なっているものの、しかし同一のエネルギーではない、ということだ。完全に同一か、あるいはまったく別の代物であればややこしくなかったのにね、とキファは苦笑した。
「そもそも魔法現象それ自体が良く分からないシロモノでね。解明されていないことの方が多いくらいだ。まあ尤も、全ての魔法現象に納得の行く説明ができるのなら、この世に魔法など存在しなくなってしまうがね。突き詰めていった時、最後にどうしても説明できない神秘が残る。それこそが魔法なのだから」
そして神秘を神秘として受け入れることで魔法は発達してきた、とキファは語る。ようするに説明不能であることが「魔法」の条件なのだ。魔力やオドとはそういう説明不能なものを、しかしなんとか説明しようとして生み出された言葉なのだから、これはもう分かりにくくて当然なのだ、と言ってキファは肩をすくめた。
「……話がそれたね、すまない。繰り返しになるけど、その結晶が発生させているのは魔力ではなくオドだ。オドが発生するのは、核として植物の種を使っているからだろうね。つまり君が琥珀色の結晶と呼ぶそれは、『魔力を使って瘴気を吸収し、オドを発生させる装備』ということだね」
よくもまあ三種類もエネルギーを使っているものだよ、と言ってキファは呆れたように苦笑を見せた。カムイにしてみれば特別なことをしたつもりはないのだが、しかしどうやら彼女にとっては非常識なことらしい。
「まあ、ともかくとしてだ。これでその結晶がどういうシロモノなのかもだいたい分かった。次に要望を聞いておこうか」
「要望、ですか?」
「そうだよ。長旅の果てにこんなところまで来たんだ。まさか綺麗に研磨してもらえばそれで満足、というわけじゃないだろう?」
キファは苦笑しながらそう話す。確かに綺麗に研磨してもらうだけなら、ロロイヤにやってもらうこともできた。そうしなかったのは、それ以上のものをキファと彼女のユニークスキルに期待していたからだ。ただ、彼女に何ができるのかが分からないと、何を期待してもいいのかも分からない。
「えっと、キファさんって何が得意なんですか?」
それでカムイはそう尋ねた。本当はユニークスキルのことを聞きたかったのだが、いきなりそれを聞くのはマナー違反かとも思い躊躇われた。
「ん? カレンから何も聞いていないのかい?」
「カレンからは、アクセサリーなんかの製作を得意としていて、生産系のユニークスキルを持っている、とだけ聞いています」
「あ~、なるほど……。確かにあの頃は私も金欠で、本職のほうはなおざりだったからねぇ……」
そう言ってキファは苦笑しながらぼやく。なんだか話が見えなくて、カムイは少しだけ表情を険しくした。
「違うんですか?」
「いや、違うわけではないよ。ただ、ちょっと正確とは言い難い。さて、どうしたものかな……」
そう呟いてキファは考え込む仕草をした。カムイとカレンは顔を見合わせ、しかし口を挟まずに少し待っていると、彼女は頭を上げてこう切り出した。
「実は明るいうちにやっておきたいことがあってね。これから廃都のほうへ行くつもりだったんだ。良ければ一緒に来ないかね? そうすれば道すがら、私の能力についても話せるし、また実際に見せることもできる。どうかな?」
それにボディーガードがいてくれると私も安心だしね、とキファは冗談めかして付け加えた。それが嫌味やたかりに聞こえないのは彼女の人徳だろう。
「いいですよ。キファさんになにかあったら、コイツを研磨してもらえなくなりますからね」
冗談っぽくそう言って、カムイは琥珀色の結晶をまた首から下げた。その物言いにキファは怒るでもなく、むしろ快活に笑い声を上げながらこう応じる。
「ははは、まさにその通りさ。よろしく頼むよ、ボディーガード君?」
そう言ってキファは、ポーチがたくさん付いたベルトを腰に巻いた。そして手には革の手袋をはめる。それを見てカムイも立ち上がり、ふと思い出して隣に座るカレンのほうに視線を向けた。
「そういえば、カレンはどうする?」
「……わたしも行くわよ、まったくもう」
不承不承といったふうながらも、カレンはそう言って立ち上がった。そして三人は連れ立って部屋を出る。扉を閉めるとキファはまた木製のプレートをひっくり返し、そして鍵をかける。ただ「プレイヤーが本気になったら、この程度意味はないんだけどね」とキファは苦笑していた。
「さて、それじゃあ行こうか」
その言葉にカムイとカレンは揃って頷いた。アーキッドからの連絡はまだない。きっと話し合いがまだ続いているのだろう。その話し合いが上手くまとまることを願いつつ、三人は廃都へ向かうのだった。




