Go West! Go East! 4
カムイがアーキッドらと一緒に旅を始めてから三日が過ぎた。もう三日と言うべきなのか、まだ三日と言うべきなのかは良く分からない。ただこの三日で、カムイの生活には新たなリズムができていた。
日中はほぼ走り通し。休憩は昼食に一時間と、午前と午後に短いのが一回ずつ。まだ明るいうちに移動は終え、イスメルやカレンと稽古をしてから夕食を食べる。その後は基本的に自由時間で、適当な時間になったら就寝。実に健康的な生活と言っていい。
アーキッドらと旅をするようになって、カムイも【HOME】に自分の部屋を用意してもらった。八畳ほどの広さの部屋で、備え付けの家具としてベッド、小さな机とイス、タンスとその上にランプが置いてあった。ただ彼が使っているのは主にベッドだけで、タンスなどは空っぽだ。モノが少ないせいか、部屋は実際の大きさよりも広々としているように感じた。
そんな自分の部屋のベッドの上に腰掛け、カムイはシステムメニューの画面を開いていた。見ているのは、ポイント獲得のログである。一日中アブソープションを、しかも高出力を維持して使い続けているので、モンスターを倒さなくても結構なポイントを獲得できるのだ。
【瘴気を吸収して消費した! 87,261Pt】
そのログを見てカムイは一つ頷く。【HOME】のおかげで、旅が始まってからの生活費は、一日5,000Pt程度に抑えられている。つまり走っているだけなのに大幅な黒字なのだ。旅が始まる前に荒稼ぎしておいた分に手をつけることもなく、むしろ残高は着実に増えていく。ホクホクである。
(呉羽たちは大丈夫かな……?)
ふとそう思ったが、しかし彼女たちのことはそれほど心配していない。カムイが抜けたので長時間は無理だが、あの三人だけでも効率的な瘴気の浄化は可能なのだ。きっとカムイ以上に稼いでいるに違いない。
そう思いながら、カムイはログ画面を消した。するとタイミングよく、頭の中で「ポーン」という電子音が響く。メッセージの着信だ。差出人は呉羽。「本当にタイミングがいいな」と思いつつ、カムイはそのメッセージを開いた。
《From:【藤咲 呉羽】
《こんばんは。調子はどうですか? こっちは相変わらず遺跡の、というか魔法陣の調査で忙しいです。ただ歩き回るよりは、ロロイヤさんとトールさんが二人で話し合うことの方が多いので、その分自由になる時間が増えました。
カレンから教えてもらいましたが、イスメルさんと稽古をしているそうですね。正直、ちょっと羨ましいです。カムイがどれくらい強くなって帰ってくるか分からないので、わたしももっと自分を鍛えておこうと思います。それではまた近いうちに。
追伸、次は勝つ》
「相変わらずだなぁ……、呉羽も」
メッセージを読み、苦笑しながらカムイはそう呟いた。彼の脳裏には黙々と刀を振るう呉羽の姿が浮かぶ。メッセージからも彼女の意気込みが伝わってきて、次に立合うときが少々おっかなくもあった。
「さて返信、返信っと……」
そう独り言を言いながら、返信のメッセージを作成する。部屋の扉のその向こうに、ノックしようとしてやめたカレンがいることには気付かずに。
― ‡ ―
『相変わらずだなぁ……、呉羽も』
部屋の外、扉の前でそのカムイの呟きを聞いたカレンは、今まさにノックしようとしていた手を止め、そして静かに下におろした。きっとメッセージでも来たのだろう。カレンの方にも呉羽からメッセージが来ていたし、カムイのほうに来ていてもおかしくはない。というかずっと一緒にいた仲間なのだから、メッセージの一通や二通送るのはむしろ当然だろう。
『さて返信、返信っと……』
心なしか弾んでいるように聞こえるカムイの声。それを聞いて、カレンは少し寂しげに微笑んだ。そして結局ノックすることなく、彼女はカムイの部屋の前から立ち去った。そんな彼女を、ミラルダの声が呼び止める。
「カレン? カムイに用があるのではなかったのかえ?」
「いえ、大した事じゃないからいいんです。ちょっと話でもしようかと思っただけですから。それにカムイもメッセージの返信をしてるみたいだから……」
「ふむ、クレハかえ?」
ずばりと言い当てられ、けれど「そうです」と言う気にもなれず、カレンは曖昧な笑みを浮かべた。その様子を見て、ミラルダは「ふむ」ともう一度頷くと、彼女を自分の部屋に誘った。
「適当に座るが良い。いま茶を淹れてやろう」
部屋に入ると、ミラルダはカレンに座布団を示してそう言った。彼女の部屋にはカーペットの上に、なんと畳が二枚敷かれている。なんともアンバランスな光景だが、彼女はどうにもコレがないと落ち着かないらしい。
カレンが正座してしばらく待っていると、ミラルダがお茶の入った湯飲みを二つお盆に載せて持ってきた。畳といい湯飲みといい、ミラルダの世界には日本に似た文化があるのかもしれない、とカレンは思っている。
お茶を一口啜り、それからミラルダは脇息にひじを置いて姿勢を崩す。足を投げ出したその姿は少々はしたないが、しかし同じ女であるカレンの目から見ても思わず息を呑むほどなまめかしい。そんなミラルダは、しかし優しげな声でこう話を切り出した。
「……のう、カレンよ。おぬし、クレハに遠慮しておらぬか?」
いきなりそう問われたカレンは、びくりとして肩を震わせた。そしてややあってから諦めたように力のない笑みを浮かべながら、こう問い返す。
「……そう、見えますか?」
「見える。なぜじゃ、おぬしはカムイの婚約者であろう? ことさら遠ざけよとは言わぬが、しかしなぜ遠慮することがある?」
「……わたし、本当はもう、カムイの、正樹の婚約者じゃないんです」
自嘲気味にカレンはそう答えた。衝撃の告白、と言っていいだろう。ミラルダも驚き、わずかに身体を起こしてカレンを凝視する。そんな彼女から視線をそらしながら、カレンはこう言葉を付け加えた。
「正樹が事故にあって、植物状態になって半年くらいしてから、奥村のおじさんとおばさんに、正樹のご両親に言われたんです。『婚約の話は一旦白紙に戻そう』って」
考えてみれば、当然の話ではあった。正樹が回復する目途は立たず、その状態がもう半年も続いている。さらに毎日欠かさず見舞いに行く鈴音の様子を見れば、彼女が必要以上に責任を感じて自分を責めていることは明らかで、このままでは彼女は壊れてしまいそうだった。そうでなくとも、もう果たせるかも分からない婚約話のために彼女の未来を縛ることがあってはならない。
半年を一つの区切りとする。それが大人達の決断だった。両家の間で話し合いが行われ、そして二人の婚約は白紙撤回されることが決まった。
「わたしはイヤだって言ったんです。そんなの納得できない、って。でも、奥村のおじさんとおばさんは何も言いませんでした。少しだけ悲しそうな顔をして、それで……」
婚約白紙撤回の話を、鈴音は了承したわけではなかった。むしろ彼女はそれに拘った。そしてそれからも毎日、彼女は幼馴染の見舞いに行った。大人たちはそんな彼女を静かに見守った。
しかしだからと言って婚約白紙撤回の話が保留されたわけではない。むしろ両家の間でその話は確定事項として扱われた。そしてそのことをカレンも十分に承知している。だからこそ彼女は先ほどこう言ったのだ。「わたし、本当はもう、カムイの、正樹の婚約者じゃないんです」と。
「わたし、本当は言わなきゃいけないんです。正樹にも、呉羽にも、もうわたしに遠慮なんてしなくていいんだ、って。だけど、だけど……! わたし言えなかった!」
ついにカレンの目から涙が零れ落ちる。ぬぐってもぬぐっても止まらなくて、涙の雫はポロポロと流れ落ちた。ミラルダは静かに立ち上がると、そんな彼女を後ろからそっと抱きしめる。そのぬくもりに励まされるようにして、カレンはさらに言葉を続けた。
「言わないまま、婚約者のふりして、騙して、遠慮させて……。わたし、本当に……」
「ほんに、いじらしいのう、カレンは……」
そう言ってミラルダはカレンの頭を胸に抱いた。彼女がいよいよ声を上げて泣き始めると、その背中を優しくさすってあやす。カレンが泣き止むまで、ミラルダはそうし続けた。
「……のう、カレン。一つ聞いてもよいか?」
カレンの様子が落ち着いてきたのを見計らって、ミラルダは彼女にそう尋ねた。そして彼女が腕の中で頷いたので、さらにこう続ける。
「おぬし、カムイのことが好きなのかえ?」
「……よく、分かりません。嫌いではないんですけど……」
カレンは正直にそう答える。それを聞くと、ミラルダは不思議そうに「ふむ?」と呟き首をかしげた。彼女は当然「好きです」という答えが返ってくるものと思っていたのだろう。ここまでの話の流れを考えれば、誰だってそう思うに違いない。カレン自身もそう思い、なんだかおかしくて苦笑を浮かべた。
「ではなぜ、婚約の白紙撤回を嫌がったのじゃ? 恋愛感情がないのなら、むしろ渡りに舟であったろうに」
「あの時は、その、直感的にというか……。その話を聞いたら、単純にすごく嫌だったんです。だからイヤだって……」
その時のことを思い出しながら、カレンがそう答える。それを聞いてミラルダはもう一度、今度は思案気に「ふむ」と呟いた。
「直感的にということは、つまり感情のままにということじゃ。ということは、心のどこかではやはり、あの坊やのことを憎からず思っているのではないのかえ?」
「まあ、憎んではいないですけど……」
しかし「好き」とは違う気がする。むしろそれがもっと後ろ向きの感情であることを、カレンは自覚していた。
事故の前、まだ正樹が元気だった時分。鈴音にとって婚約者というのは、どちらかと言うと悩みの種だった。正樹のことは嫌いではなかったし、むしろ仲のいい幼馴染だったと思う。
ただ、どうしても周囲は婚約者同士という色眼鏡で見る。からかわれもするし、時にはセクハラまがいのことも言われた。中学のとき、婚約の話を聞きつけた生活指導の先生に不純異性交遊を注意されたときには、本当に頭に血が上ったものだ。
勝手に結婚相手を決められたことへの不満もあった。この場合、カムイに不満があったわけではない。自分で決められないことが不満なのだ。「時代錯誤なのよ!」と何度思ったか分からない。
なるほど確かに、婚約の白紙撤回は鈴音にとって渡りに舟であった。正樹が元気なら、即決はしないまでも前向きに悩んだことだろう。しかしこの時彼は植物状態で回復の目途は立っておらず、しかも鈴音はそれが自分のせいであるとして負い目を感じていた。
そのような状況で婚約の白紙撤回という、いわば「いい話」に乗っかってしまうのは、彼女にとって禁忌じみた事柄だった。正樹が辛い状態なのに、しかもそれは自分のせいなのに、そこから逃げてしまうなんて彼女にはできなかったのだ。
(それは……、つまり好きということなのではなかろうかのう?)
カレンの背中を摩りながら、適宜あいづちを打ちつつ彼女は話を聞いていたミラルダは、総括としてそんな感想を抱いた。
カレンの話を聞いた限りだが、彼女は少々自罰的過ぎる。負い目が大きすぎて、「自分だけ楽に、幸せになるなんて、そんな資格ない」と心のどこかで思いつめているように感じた。
要するに、カレンは真面目なのだ。真面目だから、自分を責める。幼馴染が大変なときに一方的に切るなんてできないと思う。こんなときに恋愛感情を差し挟むなんて不謹慎だと考える。そして最後にはデスゲームへの参加さえ決意した。自分のためではない。カムイのためだ。
ただ別の見方をすれば、カレンの中でカムイの存在が大きいともいえる。大きな気持ちを彼に向けているのだ。それはつまり、広義の意味での「愛」であろうとミラルダは考える。
(何の偶然か、カレンはこの世界でカムイと再会した……)
元気な彼が目の前にいるのだ。内罰的な気持ちが薄れていくこともあるだろう。今はまだ罪悪感の方が大きいし、また婚約白紙撤回の話もあって、恋愛うんぬんは無意識のうちに自制している。それが呉羽への遠慮にも繋がっているのだろう。
しかしそんなものはある意味で割り切りだ。デスゲームの中、カムイを助けるために努力することは、罪悪感への立派な免罪符となる。婚約の白紙撤回だって、想う気持ちさえあえればなんの妨げにもなりはしない。むしろ余計なものを取っ払い、純粋に恋い慕うことができると思えば、女として福音ですらある。
(ともあれ、今すぐどうこうは無理じゃな……)
強引に進めようとすれば、真面目なカレンはむしろ反発してますます内罰的になるだろう。今よりもストイックになって、わき目もふるまい。とはいえそう意固地になられるのも、ミラルダとしては不本意である。デスゲームのクリアも大切だが、どうせ時間がかかるのだ。かわいい妹分には幸せになって欲しい。
「うむ、決めたぞ、カレンよ。妾はそなたを応援する」
「え、ええ?」
脈絡のない(ように思える)ミラルダの宣言に、カレンは困惑気に首をかしげた。そんな彼女をお構い無しに抱きしめると、優しく諭すようにこう話す。
「友愛も親愛も恋愛も、“好き”と言う気持ちに変わりはない。それを否定し続ければ、そなたの心が傷つく。だれもそんなことは望んでおらぬよ」
「ミラルダさん……」
「そなたは自分が卑怯で醜いと思っておるかも知れぬ。だがな、そんなことはないぞ。うむ、断じてない。古来より女の戦いと言うのはもっと陰湿で悪辣なものじゃ。引け目を感じているそなたは、むしろ潔癖でいじらしい」
「わたし、そんなんじゃ……!」
「この点について抗議は受け付けぬぞ。なにせ妾はそなたよりずっと長く女をやっておるでな?」
ミラルダが悪戯っぽくそういうと、カレンは可愛らしく口をつぐんだ。その様子を見てミラルダは小さく微笑みを浮かべる。
「カムイをおとしたくなったらいつでも相談するが良い。とびっきりの策を授けてやろうぞ」
「あの……、参考までに、どのような……?」
「そうじゃな……。もう少し色気のある服を着るとよかろう。男はみなスケベゆえな。色香を匂わせれば勝手に食いついてくるというものよ。だいたい、エルフの装束と言うのは露出が少なすぎるのじゃ。この機会じゃから、カレンも妾と同じ服を……」
「絶対嫌です!」
カレンは顔を真っ赤にして叫んだ。そのまま睨んでくるが、そんな可愛らしい顔で睨まれてもミラルダは全く怖くない。彼女はまるで赤子をあやすかのように、カレンの頭を上機嫌に撫でた。
ミラルダに堪えた様子がないのを見て取り、カレンは少し悔しそうにする。しかしすぐに、得意げな笑みを浮かべた。本人はたぶん悪い笑みを浮かべているつもりなのだろうが、ミラルダからすると迫力が足りない。
とはいえ、彼女の毒舌もなかなかのものだった。
「だいたい、色香を振りまいておけば男が釣れるというのは、浅はかな考えだと思います」
「ほう、なぜそう思う?」
「カムイは釣れましたか?」
「なるほど、そう来たかえ……」
ミラルダは苦笑する。しかしながらまだまだ幼い。小娘に負ける気はないのだ。
「では明日から本気でカムイを誘惑してみるとしよう。一週間以内にはおとせる自信があるのじゃが、賭けてみるかえ?」
「やめてくださいお願いします……」
ものの見事にやり返され、カレンはがっくりと肩を落とした。そんな彼女の頭を、ミラルダはくつくつと楽しげに笑いながら撫でる。
「まあ、頼まれてもカムイに手など出さぬよ。妾はもう十分に満たされておるゆえな」
「アードさん、ですか……?」
「うむ。実はこの前ものう……」
「あ~、惚気は勘弁してください、本当に……」
閑話休題。なにやら楽しくて話がそれてしまった。ミラルダはコホンと一つ咳払いをすると、カレンを抱きしめ直してから優しい声でこう言った。
「先ほども言ったが、妾はカレンを応援するぞ。つまりそなたの味方じゃ。そしてそなたに味方がいるということは、覚えておいてたもれ」
そのミラルダの言葉にカレンは顔をほんのり赤くしながら頷いた。こんなにもはっきり「味方だ」と言ってもらったのは初めてだ。ただの言葉なのに、くすぐったくて、じんわりして、温かい。なんだかとても安心した。
それからカレンとミラルダは色々な話をした。仲間とはいえ、これまでお互いに一線を引いて踏み込まないようにしていたその部分を、それぞれちょっとずつさらけ出していく。話したいのでも、聞いて欲しいのでもなく、伝えたい。そして相手のこともまた知りたいと思う。こんな気持ちは久しぶりだった。
その夜、カレンはミラルダに誘われて同じベッドで寝た。あまり子ども扱いはして欲しくなかったのだが、ミラルダが優しい笑顔で甘やかしてくれるので、ついそのぬくもりに甘えてしまったのだ。
ちなみに。翌朝目覚めたら、なぜかペンギンパジャマのキキが紛れ込んでいた。
― ‡ ―
遺跡を出発して十日目。この日もまだ、目指す岩陰の拠点は見えてこない。とはいえ地図で確認すれば、ちゃんと近づいていることが分かる。現在地でだいたい半分くらいだろうか。やはり事前に言われていたとおり、二十日程度はかかりそうだった。
さてこの日の夜。カムイは遊戯室でアーキッドとビリヤードに興じた。カムイはまったくのド素人なのでアーキッドに勝てたことはまだ無いが、それでも「だんだん上手くなっている」と褒められてまんざらでもない様子である。なお、ビリヤードをするのはカムイを除く五人のなかではアーキッドだけで、彼は「遊び相手ができた」と喜んでいた。
ほどほどに遊んでからカムイが自室に戻ると、少ししてからキキが尋ねてきた。なんでも、折り入って話があるという。
「なお夜這いではない。がっかりして」
「安心したよ……」
がっくりと脱力しながらカムイはそう応じた。キキのほうは唇を尖らせ、「むう、つまらない」と不満顔だ。
「それで話ってのは?」
「実は覚えたいスキルがある」
スキルと聞いて、カムイは「へぇ」と声を漏らした。全てのプレイヤーはユニークスキルを使うことができる。ただそれとは別に、いわゆるノーマルスキルもプレイヤーは習得可能であるというのは、初期設定のときにヘルプさんも言っていたことである。
ただし、スキルはシステム的に習得できるものではない。つまり、素振りを千回すれば誰でも〈剣術Lv.1〉のスキルを習得できる、というわけではないのだ。習得できるかもしれないし、できないかもしれない。それがこの世界のルールだ。イスメルはたぶん〈剣術〉のスキルを持っているだろうし、カレンももしかしたら習得しているかもしれないが、それはそれとして。
しかもスキルを習得したとしても、それをシステムメニューで確認することはできない。要するに自分がどんなスキルを持っているのか、あるいは習得したのか、それを確かめる方法はないと言うことだ。
それが、この世界でスキルを新たに習得することを難しくしていた。習得できるかも分からないものに手を出す余裕は、今のプレイヤーにはないのだ。それよりはユニークスキルを磨いたり、工夫したりすることのほうに時間を割いた方がいい。それが今のスキルに対する考え方だった。
とはいえ、スキルを身につけることには大きな意味がある。カムイだって今ではもう〈白夜叉〉なしの戦闘スタイルは考えられない。スキルを身につければ大きな力になる。それは間違いないのだ。
だからキキがスキルを身につけたいというのも理解できる話だった。そしてそのために、自力習得の先輩であるカムイの話が聞きたいと言うのも納得な話だ。
「どんなスキルを習得したいんだ?」
「〈鑑定〉と〈話術〉」
「へ、へぇ……」
斜め上のチョイスだった。キキのユニークスキルは戦闘系ではないから、なにか戦う力が欲しいのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。それにしても〈鑑定〉と〈話術〉のスキルがほしいと言うことは、【PrimeLoan】と合わせて彼女の目指す方向もだいたい見えてくる。
「商人にでもなりたいのか?」
「ん、だいだいそんな感じ」
キキは少しだけ得意げな表情をして一つ頷いた。しかし世界がこんな状況のなかで商人を目指すというのは、先見の明がある言うべきなのか、それとも単に博打打なのか。カムイには判断がつかなかった。
「……それで、オレに何を聞きたいんだ?」
「用件は二つ。まず一つ。〈白夜叉〉はネーミングセンスがダサい」
「ディスるのが用件かコノヤロウ」
「間違えた。〈白夜叉〉を習得した時のことを教えてほしい」
「サラリと流しやがったな……。それにしても〈白夜叉〉を習得した時のこと、ねぇ……」
カムイがそのスキルを習得したのは、このデスゲームが始まった直後のことだ。カムイはゲームの開始地点を指定しなかったせいで、高濃度瘴気のど真ん中に放り込まれて死にそうになった。その時、自分を守るスキルとして習得したのが〈白夜叉〉である。
「この世界に転移させられてきた時って、身体が光に包まれていただろう? あの時は、その光をイメージしたんだ」
「イメージ……」
「そ。で、あとはアブソープションと連動させるようにして……」
カムイは覚えている限りのことを話してやる。あの時のことを思い出すのは簡単だった。強烈な体験が重なったので、鮮明に脳裏に焼きついているのだ。あの時はそう、ゲロ吐いてしまった。その記憶は消してしまいたい。
「ん、ありがと。参考になった」
カムイの話を聞いたキキは、一つ頷くとそう礼を言った。それから「イメージが大事……」と小声で呟く。ヘルプさんも同じことを言っていたから、彼女の考えは間違っていない。
「用件二つ目。ソレを貸してほしい」
そう言ってキキが指差したのは、カムイが胸元に下げる琥珀色の結晶だった。意外なものを貸してほしいと言われ、カムイは首をかしげた。
「なんでまた」
「アイテムショップに売ってないから」
キキの答えは明快だった。
キキはこの世界のスキルシステムについてある仮説を立てていた。それはゲームのシステムよりむしろ現実世界のそれに近いのではないか、と言う仮説だ。
つまり〈剣術〉というスキルを覚えたので剣を上手に扱えるようになるのではなく、剣を上手に扱えるようになったので〈剣術〉というスキルを覚えたと言えるのではないか。キキはそう考えたのだ。
カムイが直感的に思い浮かべるスキルと言うのは、足りない才能を補うためのものだ。魔法が使いたいので、〈魔法〉というスキルを覚えさせてキャラを強化する。それがカムイのスキルというものに対するイメージだ。
しかしキキの言うとおりだとすれば、スキルなど有って無いようなものである。それは才能と言うよりは免許に近い。どう足掻いてもできないことはできないまま、と言うことになってしまう。
(ん……? まてよ……)
初期設定のとき、ヘルプさんが言っていたことを思い出す。ヘルプさんは確かこう言っていた。
《ゲーム開始後、システム的にスキルを増やすことはできません。ただし、全てのプレイヤーにはその分のポテンシャルが与えられています》
ポテンシャルが与えられているということは、その分の下地があるということだ。そしてもしキキの言うとおりこのデスゲームのスキルシステムがかなり現実世界に則したものであるなら、つまりプレイヤーにはありとあらゆる才能が眠っているということになるのではないか。
その途轍もない可能性に、カムイは思わずゾクリとした。プレイヤーのポテンシャルというものを、もしかしたら今まで甘く見ていたかもしれない。それが分かったのは大きな収穫だ。
まあそれはそれとして。前述したとおり、キキはこの世界のスキルシステムを、現実世界に近いものと仮定した。つまりスキルを身につけるためには、ある種の訓練が必要と言うことだ。その訓練のために琥珀色の結晶を貸して欲しい、と彼女は言う。
琥珀色の結晶は、カムイが作ったアイテムだ。大げさなことを言えば世界に一つだけで、当然アイテムショップやプレイヤーショップでは売っていない。つまり、このアイテムには「商品の説明」というものがないのだ。だからこそ、〈鑑定〉のスキル習得のための訓練にいいとキキは言う。
アイテムショップで売っているアイテムなら、そこで説明を読めばどんなものなのか分かる。つまり〈鑑定〉する必要がない。だが琥珀色の結晶ならどうか。カムイでさえ、その真価というものはまだ良く分かっていない。未知の部分が多くあり、それを読み解くためには〈鑑定〉のスキルが必要になる。そしてまた読み解くことができれば、それは〈鑑定〉のスキルを習得した証にもなるだろう。
「へぇ、そんなことまで考えてたのか」
「えっへん」
カムイが素直に感心すると、キキは得意げに薄い胸を張った。その姿に少しだけ苦笑しつつ、カムイは革紐で下げている琥珀色の結晶を首から外してキキに手渡した。
「それで、どんなふうに訓練するんだ?」
「こうする」
キキは琥珀色の結晶を受け取ると、それをプラプラと目の前で揺らし始めた。そして突然、ガクッと首を落とし「すぴ~」とわざとらしい寝息を立てる。どうやらセルフ催眠術ごっこをしているらしい。どう見てもスキル習得の訓練ではないが、せっかくなのでカムイも付き合ってやることにした。
「寝るなっ! 寝ちゃダメだ!」
「ハッ!? いけない、カムイに鼻毛を描かれるところだった」
「おい待てやこら」
せっかく付き合ってやったというのにヒドい風評被害である。
「ウソつくような悪い子にコレは貸してあげられません」
「ああっ、ごめんなさい、ごめんなさい! もうウソはつきません」
琥珀色の結晶を取り上げようとするカムイにキキが縋りつく。カムイは一つため息を吐くと琥珀色の結晶をキキに返した。そして彼女は取り戻したソレをまた目の前でプラプラと揺らす。どうやらまだセルフ催眠術ごっこを続けるらしい。呆れるカムイの前で彼女が放った次なるネタは……。
「ワレワレハ異世界人ダ」
「まあ、ウソではないな、ウソでは……」
そう言ってカムイは苦笑した。キキのほうも満足げな顔をしている。それからカムイはふとあることを思いつく。〈鑑定〉のほうはいいとして、〈話術〉のほうはどうするつもりなのだろうか。それを尋ねるとキキはわずかに視線を彷徨わせながらこう答えた。
「ん。喋ってればそのうち身につく、はず。たぶん、きっと」
「ノープランかよ」
カムイは呆れた。確かに〈話術〉のスキル習得のための訓練としては、喋るくらいのことしか思いつかない。とはいえ、それだけで身につくと考えるのは楽観が過ぎるだろう。それにキキは、ユーモアのセンスはあると思うが、しかしどちらかと言えば口下手なほうだ。そんな彼女だから、普通に喋っているだけでは〈話術〉のスキル習得は難しいのではないだろうか。
「なにか口上でも考えてみたらいいんじゃないのか?」
「口上……。分かった、ちょっと考えてみる。乞うご期待」
そう言ってキキは口上を考え始める。その様子はなかなか真剣だ。そして数分後、彼女は「まだ荒削り」という考えたばかりの口上を披露してくれた。
「お控えなすって。手前、【KiKi】と名乗らせていただいております。生まれは異世界エルアルド。故あって親兄弟はございません。商人を目指して〈話術〉を磨いている最中でありますれば、下手な口上なれどどうぞご容赦いただきたく。今後ともご指導ご鞭撻いただければ幸いに存じます。……以上」
「どこでそのネタを仕入れた……!?」
「え? 常識だよ?」
どこがだ! と叫びそうになりカムイは思いとどまった。異世界エルアルドとやらではこれが常識なのかもしれない、と思いなおしたのだ。だとしたらなんと物騒な世界なのだろう。いや、それさえも彼の偏見だが。
尤も、彼は【自動翻訳能力】のことを見落としている。異なる言語を話すプレイヤー同士が問題なく意思疎通できているのはこの能力のおかげなのだが、しかしこの能力も必ずしも完全ではない。特定の慣用表現などについては正確に意味が伝わらないこともある、というのは初期設定のときにヘルプさんから説明されていたことだ。
だからもしかしたら、このヤのつく自由業の方々風の口上も、異世界エルアルドの伝統的な口上を無理やり翻訳したその結果なのかもしれない。ただ、エルアルドでヤのつく自由業に相当する方々の口上を、キキが参考にした可能性もあるが。
「そ、それはそうと、キキはどんな願いを叶えたくてこのデスゲームに参加したんだ? やっぱり、家族を生き返らせたいとか、そういう願いなのか?」
話題をそらすべく、カムイはキキにそう尋ねた。話題が話題だけに、彼の口調は少し重くなる。だが当のキキは心底不思議そうに首をかしげてこう聞き返した。
「え? なんで?」
「なんでって、さっき自分で『親兄弟はございません』って……」
「この世界には、ございません」
いけしゃあしゃあとキキはそう答える。それを聞いてカムイはがっくりとうな垂れた。つまり彼女の出身世界でピンピンしているということだ。
「そりゃもうほとんどウソだろう……。それならオレだって『故あって親兄弟はございません』だよ」
「婚約者はございます」
「あ~、はいはい。ございますよ」
カムイはぞんざいにそう応じた。それでもキキは楽しげだ。その様子を見ているとカムイもなんだか毒気を抜かれてしまう。
その後、用件を済ませたキキはカムイから借りた琥珀色の結晶を手に、自分の部屋へ戻った。スキル習得のための訓練は一人ですると言う。ちなみに琥珀色の結晶は明日の朝に一度返してもらい、夕食後にまた貸し出すことになっている。
「それにしても、スキルかぁ……」
一人になった部屋で、カムイは感心したようにそう呟く。彼自身、ユニークでないスキルを覚えるのは後回しになっている。それは方法が良く分からないというのもあるし、またべつのことを優先していたからでもある。デスゲーム開始直後に〈白夜叉〉を習得することはできたが、これはかなり例外的と言っていい。
怠けていたわけではない。ない、はずだ。だがスキルが大きな力になると知りつつ、それを後回しにしてきたのは事実だ。
(もうちょっと意識してみるかな……)
もしプレイヤーにあらゆるスキルを覚える下地があるのだとすれば、日々の生活の中でさえ、スキルを習得するのは可能なはずだ。特に稽古などでそれを意識すれば、成果は意外と早く出てくるかもしれない。
都合のいいことに、カムイは毎日イスメルやカレンと一緒に稽古をしている。その中でちょっと意識を変えてみればいいのだ。十分にやってみる価値のある話だろう。
(具合がいいなら、呉羽にも教えてやらないとだな……)
そんなことを考えつつ、カムイはベッドに潜り込んだ。




