旅立ちの条件16
カレンから進展を伝えるメッセージが来たのは、最初のメッセージから三日後のことだった。
《From:【Karen】》
《島の人たちがみんな海を渡り終えました。明日の朝から海辺の拠点に向かいます。だいたい三日の予定です。拠点に着いたらまた懇親会を開くそうなので、それに間に合うようにカムイたちも来ませんか? その時にでも例の返事を聞かせてください》
カムイは渋い顔をしながら、そのメッセージを閉じた。正直なところ、まだどうするのかは決めていない。けれどもタイムリミットは刻一刻と迫っている。流石にこのままではいけないと思い、カムイはアストールに相談することにした。
「……わたしは行くべきだと思いますよ」
カムイの話を何度も頷きながら聞いたアストールは、最後に自分の考えをそう言った。
「でも、パーティーに迷惑が……」
「そうですね。特にポイントは節約しなければになるでしょう。痛いかといえば、もちろん痛い。ですが、それは私たちの都合です。パーティーの基本は相互利益。私たちの都合でカムイ君が不利益を被ることがあってはいけない」
「無断でポイントを支払わなきゃいけなかったことが何度かありますが……」
「……それはそれです」
そう言ってアストールは視線をそらした。カムイがジト目になって追撃すると、挙動不審になって下手くそな口笛を吹き始める。それが可笑しくって、カムイは吹き出した。そして彼が笑うのを見て、アストールも苦笑を浮かべる。
こういう、悪役になりきれないところは、いかにもアストールらしい。ロロイヤだったら、こうはいかないだろう。きっと暴論極論で丸め込まれた挙句、さらにポイントをむしりとられるのだ。それでもたぶん、憎めないところが恐ろしい。そして本人がそんなことをまるで気にしていないというのがさらに恐ろしい。
「ああ、ロロイヤさんならきっとそうでしょうねぇ……」
「ですよねぇ……」
アストールとカムイの評価が一致する。ロロイヤとはここ数日の付き合いでしかないが、それでも彼の強烈な人となりは彼らの中に鮮烈な印象を刻み付けている。たぶんこれは先入観と言うヤツなのだろうが、この先それを訂正する必要はないのだろうと二人は確信に近いレベルでそう思っていた。
閑話休題。ロロイヤをネタにしたらいくらでも話していられそうだが、それをすると時間がなくなるので二人は早めこの話題を切り上げた。今はカムイの悩み事相談の時間である。
「……もちろんカムイ君が『行かない』と決めるのであれば、それに反対する理由はありません。私たちもポイントを十分に稼ぐことができて嬉しい。そしてそれは、カムイ君自身にとってもメリットではあるでしょう」
アストールは穏やかな声でそう言った。そしてその穏やかな声のまま、彼は「ですか」と言葉を続ける。
「ですがご存知の通り、現状で世界再生の目途はまったく立っていません。そのような状況ではいくらポイントを稼いでも無意味でしょう。……いえ、意味はあるのでしょうが、金銭以上の価値はありません。ですが装備を強化することは、カムイ君にとってはお金以上の意味と価値があるのではありませんか? 少なくとも、ソレはポイントをつぎ込めば強化できるわけではないのですから」
そう言ってアストールは琥珀色の結晶を指差した。カムイもその首から下げた結晶に視線を落とし、手に持って玩ぶ。確かにアストールの言うとおりである。どれだけポイントをつぎ込もうとも、カムイにはコレを強化する手段がない。逆を言えば、この琥珀色の結晶を強化することには、彼にとって多額のポイントに勝る価値がある、ということだ。
そしてその意味もまた大きい。装備を強化すると言うことは、それだけ死ににくくなるということだ。このデスゲームにおいて、いやこの過酷な滅亡世界を生きぬく上で、それがとても重要であることは今更言うまでもない。
カムイだってあの〈魔泉〉調査で、テッドを含め身近な人の死を経験している。カレンに至っては彼女自身が命の危険に曝され、さらには三人のプレイヤーの死を目の前で目撃した。
平和な日本で暮らしてきた彼らにとって、死というのは日常の外側にあるもので、そういう感覚はたぶんこの世界に来てもまだそんなに大きくは変わっていない。しかし変わっていようがそうでなかろうが、ここは死が身近にある世界なのだ。少なくとも彼らが暮らしていた世界よりは。
「プレイヤー各自がユニークスキルを持っている以上、やはり装備は重要です。そして装備と言うのはただ上等なものを揃えればいいというものではない。相性が大切になってきます。それはカムイ君も分かるでしょう?」
「ええ、まあ。呉羽を見ていれば」
カムイがそう答えると、アストールは大きく頷いた。要するに装備は、品質と相性を考えて選ばなければならないのだ。その点、呉羽は恵まれていたと言える。上質で相性のいい装備がアイテムショップに売られていたからだ。
「それに呉羽さんの場合は、装備のほかにもさらに強化のしようがあります」
「〈エレメント・エンチャント〉、ですね……」
その答えに、アストールは「そうです」と言って頷く。彼が得意とする支援魔法の中には、武器などに特定の属性を付加するものがある。そういう魔法を総称して〈エレメント・エンチャント〉という。
さて、〈エレメント・エンチャント〉は本来無属性の装備品に対して使うのが基本である。だが、もともと属性を持っている装備品に対して同じ属性の〈エレメント・エンチャント〉を付加してやると、その属性をより強化できる事がこれまでの検証の中で分かっている。
つまり呉羽(の装備品)に〈エレメント・エンチャント〉をかけてやれば、一時的とはいえさらなる強化が可能なのだ。しかもその強化もまた、ユニークスキルと相性がよく相乗効果が期待できる。今までは必要になることがまるでなく使ってこなかったが、そういう手札があるというのは間違いなく強みだ。
しかしカムイにはそういう手札がない。さらに言えば、アイテムショップで相性のいい装備を買いあさることもできない。琥珀色の結晶を量産することは可能だろうが、ハンドメイドのせいかコイツは案外扱いが難しい。三つも四つも装備してさらに戦闘をこなすとなると、カムイはちょっと自信がなかった。
そうなるとやはり、今あるこの琥珀色の結晶を強化してやるのが一番いい。そしてカレンたちがすぐ近くにいる今は千載一遇のチャンスだ。
「死なないための、生き残るための備えは、幾らでもしておくべきです。ひいてはそれがパーティーのためだとは思いませんか?」
アストールのその言葉にカムイは頷くしかなかった。パーティーを離れるとは言っても、それは別に恒久的な話ではない。大雑把な見積もりだが、往復で数ヶ月、長くとも半年以内には戻ってこられるのではないかとカムイは思っている。その程度の時間、もしもカムイが、あるいは彼の力が足りなくて他の誰かが死んでしまうことの損失に比べれば、まるで取るに足りないことだ。
もうちょっと考えてみます、と言ってカムイはアストールとの話を切り上げた。頭の中では、もう行くべきだと考えが傾いている。しかし最後のところで、どうしてだかまだ乗り気にならない。要するに気分の問題だった。
(結局最後は気分次第、か……)
我ながらあんまりだ、と思いカムイは苦笑した。とはいえ人間の行動原理と言うのは欲求、つまり感情が根っこになる。理性と言うのは結局、その感情を正当化するために後付けで働くものでしかないのだ。
気分が乗らない以上は、どれだけ理論武装しても意味はない。どちらが良いかを考える段階はもう過ぎているのだ。あとは気持ちを納得させるだけである。
(ああもう、メンドくせぇ……)
心の中でそう嘆息し、カムイは頭をかきむしる。何が面倒くさいって、そんな儀式じみたことをしなければ踏ん切りをつけられない自分が面倒くさかった。けれども今は「そういう性質なんだ」と諦めて動くしかない。
そう思い決めてカムイは呉羽のところへ向かった。彼女とリムが使っている部屋には、他の部屋と同じく扉がない。もともとはあったのだろうが、焼け落ちたのか、あるいは風化して土へと帰ったのか。ともかく開けざらしで中が廊下から丸見えだった。
カムイら男性陣はそれでも構わないのでそのままにしてあるが、女性陣はそれでは嫌らしい。着替えがどうのと言っていたが、最大の理由は時々お風呂に入っているからだ。それで廊下から室内が見えないよう、彼女達の部屋の入り口には布で仕切りがされていた。ちょうどすだれかカーテンのような形だ。
その布の仕切りの前に立ち、カムイは軽く壁を叩いてノックする。中からの返事を待ってから彼は仕切りを開けて中に入った。部屋の中では、リムは本を読んでおり、また呉羽は愛刀【草薙剣/天叢雲剣】の手入れをしていた。
余談だが【草薙剣/天叢雲剣】には、砥石で研ぐなどの普通の手入れは必要ない。なぜならコレは普通の刀ではなく、ユニークスキルだからだ。ただ刀という形を取っている以上、使っていると相応に痛む。それで定期的に魔力を注いで回復させてやる必要があった。
言ってみれば、これが【草薙剣/天叢雲剣】に必要な手入れと言うことになる。例え折れたとしても、呉羽が魔力を注げば回復させることが可能だ。無論、その場合は相応の量が必要になるが。
なお、呉羽はこの手入れをするとき、刀身はもちろんのこと鞘を含め全体を丁寧に磨き上げるのを習慣にしていた。ただ、魔力を注いでやれば輝きも回復するので、改めて磨くことに何か意味があるようには思えない。以前カムイはそれを指摘してみたことがあったが、彼女はそのとき胸を張って「気分の問題だ」と答えていた。
この時も、呉羽は布(絹らしい)で刀身を丁寧に磨いていた。その視線は妙に熱っぽい。イスメルほどではないが、しかし彼女が植物を愛でるときのそれに通じるものがある、ように感じるのは気のせいか。気のせいであって欲しい、とカムイは切実に願った。
「どうしたんだ、カムイ。黙り込んで。何か用があったんじゃないのか?」
やがて愛刀を鞘に収め、呉羽がカムイのほうに視線を向ける。その時にはもういつもの彼女で、カムイは内心でホッと胸を撫で下ろした。
「あ、ああ。呉羽、ちょっと稽古に付き合ってくれないか?」
「ん、構わないぞ。ちょうど手入れも終わったところだしな。……それで、どこでやる?」
「遺跡の正門前でいいか? あそこなら余計な邪魔も入らないし」
遺跡の正門前というのは、ちょうど川の反対側、城壁の外側のことである。そこにはちょうど良く開けた場所があり、また〈侵攻〉も起こらないので立会い稽古にはもってこいだった。
なお、遺跡の中での稽古は、周囲に被害が及ぶ危険性が高いので相変わらず禁止されている。最近ますます二人の稽古は激しさを増しており、この禁令が解ける気配はまったくなかった。
カムイと呉羽はリムを部屋にいるアストールのところへ連れて行き、さらに稽古をしてくることを彼に告げてから建物の外へ出た。そしてそのまま連れ立って堀の外へと出る。そこは遺跡の正門前から真っ直ぐに伸びるメインストリートの終端である。
カムイと呉羽は、そのメインストリートを疾走する。かつては露店が立ち並び、多くの人で賑わっていたであろうこの通りも、今は全くの無人だ。妨げるもののないその場所を、二人は並んで駆け抜けた。そのおかげで遺跡の外へ出るころには、二人とも身体がほど良く温まっていた。
「よし、じゃあやるか」
開けた場所へ出ると、呉羽はそう言って【草薙剣/天叢雲剣】を抜刀し、両手で正面に構えた。その所作はゆっくりだがとても洗練されていて、例え稽古であろうとも、その切っ先を向けられた者には緊張を強いる。こめかみがピリピリする感覚を覚えながら、カムイもアブソープションの出力を最大に上げ、そして白夜叉のオーラを白い炎のように揺らめかせた。
全身に力が漲る。全身の筋肉が膨張しているような感覚だ。それでも身体は至極軽い。まるで魔力を溜め込んだ風船になったようである。
(よし……)
カムイは内心で一つ頷いた。よく集中できている。それでいて、頭に血が上ることもない。もっとも、これについては実際に動き始めてからの方が肝心なのだが、ともかくコンディションは良好である。そして彼は少しだけ腰を落として構えを取った。
そして、にらみ合うこと半瞬。ゆらり、と呉羽が動いた。彼女は滑るようにして間合いを詰めると、カムイの顔面目掛けて突きを繰り出す。
カムイは突き出された鋭い切っ先を、わずかに首をかしげるようにして避ける。そして呉羽が刀を引き戻すのに合わせて踏み込み前に出る。そして左手で彼女の腕を掴む、フリをした。
その瞬間、彼女の腕に風が渦巻いてカムイの手を弾く。本当に掴もうとしていたら、大きく弾かれていただろう。しかしカムイのそれはフリだ。彼は左手をそのまま前に突き出し、そしてお返しとばかりに呉羽の顔面目掛けて“アーム”を伸ばした。
その瞬間、呉羽の姿が掻き消え、カムイが伸ばした“アーム”は空を切った。同時に、彼はゾワリと背中に悪寒を覚える。反射的に膝を曲げてかがみこむと、一瞬前まで彼の頭があった場所を白刃が銀色の軌跡を描きながら一閃する。
(っぶね……!)
冷や汗が流れる。今のは全く見えなかった。相変わらず呉羽はでたらめに速い。
膝を屈めたまま、身体を捻るようにしてカムイは背後を振り返る。そこには愛刀を振りぬいた姿勢の呉羽がいた。彼女の口元には小さな笑みが浮かんでいる。【草薙剣/天叢雲剣】は刃を返した状態にされていて、いちおう手加減はしてくれたらしい。ただ、当ればそれで終わる一撃であったことに違いはない。
「っらあ!」
裂帛の声を上げ、カムイはそのまま身体を回転させる。そして左腕とそこから伸びた“アーム”をムチのようにしならせて呉羽に叩き付けた。彼女はすぐに刃を返すと、愛刀を大上段から振り下ろして“アーム”を切り捨てる。
カムイは強引に足を踏み込んで回転を止めた。強い衝撃が足を伝わるが、気にせずそのまま前に出る。一呼吸でオーラの量を回復させ、二呼吸目に合わせて蹴りを放つ。その蹴りを呉羽は籠手で受けた。同時に後ろに飛んで衝撃を逃がし、同時に【草薙剣/天叢雲剣】を振りかぶる。
「〈風切り〉!」
呉羽が愛刀を斜めに振りぬくと、そこから風の刃が放たれる。モンスターであれば紙切れのように両断してしまうその刃を、カムイは反射的に腕を交差させて防いだ。鈍器で殴られたような衝撃に骨が軋むが、その程度で済んでいるのは言うまでもなく白夜叉を展開しているからだ。しかもそのダメージも瞬く間に消えていく。
〈風切り〉を放った呉羽は、その反動を利用してさらに大きく間合いをとり、そして軽やかに着地した。そして隙なく【草薙剣/天叢雲剣】を構えてカムイと相対する。
カムイは本当に強くなったな、と呉羽は思う。最初の頃の彼はひたすらがむしゃらで、徒手空拳の技を得意とはしない呉羽から見てもまるでなってはいなかった。戦闘は彼女と出会う前に少なからず経験していたから、恐れや躊躇いは克服できているようだったが、ともかく「素人臭い」というのが正直なところだった。
それでも、スペックだけは最初から空恐ろしいものがあった。アブソープションと白夜叉に支えられた身体能力と防御力は、強力というよりは凶悪。加えて素人であるので、武術を習う人間からすればありえない動きを良くした。なお、この点については彼の強みでもあるので、呉羽は意図的に注意しないで今日に至っている。
稽古を重ねていくことで、当初感じていた素人臭さは徐々に抜けていった。格上の呉羽を相手に場数を踏むことで、カムイは急速に経験値を蓄えていったのだ。〈咆撃〉に“アーム”や“グローブ”と言った手札も増え、最近ではフル装備の呉羽を相手になかなか粘るようにもなってきた。
(一本取られる時期も近いかな……)
呉羽はこのごろそんなふうにも思っている。もちろんまだまだ呉羽の方が格上だし、彼女自身この稽古を通じて腕を上げている自信がある。そう簡単に一本取らせてやるつもりはない。
ただ最初の頃にあったような、天と地ほどの大きな差はもうないということだ。そしてもし一本取られたら、呉羽はもうお時給を辞退しようと思っている。稽古をもうしないわけではない。今もそうだが、そこから先はさらに彼女自身も得るものが多くなる。決してカムイのために時間を割くわけではなくなるので、お時給を貰う理由もなくなるのだ。ようするに彼女なりのけじめである。
とはいえ、問題もある。暴走のことだ。アブソープションの出力を最大にし、さらに戦闘によってテンションが上がってくると、彼の理性は容易く失われる。その傾向自体は最初の頃からなにも変わっていないので、これはもう【Absorption】というユニークスキルの特性か副作用のようなものなのだろうと呉羽は思っている。
ということはつまり、どれだけレベルを上げてもこれは治らないということだ。それどころか逆に強まる可能性すらある。今のところその兆候は見られないが、しかしこの先どうなるかは分からない。
カムイも暴走しないように努力している。イスメルからも何か言われたようで、近頃は特にそのための個人修行もしていた。呉羽としてはきっかけが自分でなかったことはちょっぴり不満なのだが、それはそれとして。
努力の結果は、少しずつ現れている。だが完全ではない。いや、もしかしたら完全な克服などそもそも不可能なのかもしれない。暴走がアブソープションの副作用であるなら、使う以上その危険は常に付きまとうことになる。
(瘴気が原因なのかもしれないが……)
その可能性は、以前から考えてはいた。瘴気とはつまり世界や人間とって有害なエネルギー。それを吸収しているのだから、なかに危険な副作用があったとしても不思議ではない。もっとも、ただの憶測なのでカムイには話していないが。
それに、仮に瘴気が原因であったとしても、現状ではどうしようもない。瘴気以外で周囲に存在しているエネルギーなどないからだ。マナであれば暴走はしないのかもしれない。だが常にマナを吸収するにはリムの近くにいなければならず、その状態で戦闘を行うのは現実的ではない。結局、使えるのは瘴気しかないのだ。
だからこそ、呉羽もまた琥珀色の結晶には期待している。そこから吸収できるエネルギーが、瘴気とは異なる性質のものであると聞いたからだ。アブソープションで吸収するエネルギーの総量に対して、瘴気をもととする分の割合が減れば、もしかしたら暴走も収まるかもしれない。そう思ったのだ。
(だと言うのに、なぜお前はわたしに何も相談しないんだ!)
内心でその不満を爆発させながら、呉羽はカムイに斬りかかる。彼はそれを半身になって避け、そのまま身体を回転させるようにして間合いをつめ裏拳を振るう。呉羽は身を屈めてそれをかわし、さらに愛刀を掬い上げるようにして振るい彼の腕を狙った。
切っ先にわずかな手応え。カムイの腕には、赤い筋がほんのりと浮かんでいる。皮一枚、わずかに刃がかすったようだ。ただ、その傷もすぐに回復する。そのデタラメな光景も見慣れたものだ。むしろ良くかわすようになったと思いつつ、呉羽は追撃をかけた。
カムイが最近、琥珀色の結晶のことで悩んでいることは呉羽も知っている。自分の都合とパーティーの事情を天秤にかけて悩んでくれるのは、呉羽にとっても嬉しいことだ。それだけ自分たちが彼にとって重要で大切な存在になった、その証拠のように思うからだ。
しかしその一方でなぜ相談してくれないのかと不満に思う。信頼されていないとは思いたくない。今までつちかって来たものは、その程度のものではなかったはずだ。相談してくれれば、その時は……。
(その時わたしはどうしただろう……?)
背中を押すという答えが出てこなくて、呉羽は内心で焦った。その隙を見逃さずにカムイが仕掛けてくる。反射的に牽制するが、簡単に避けられて懐に入られてしまう。顔面を狙った右のストレートを紙一重でかわすが、その間に左手で外套を掴まれる。
「捕まえた……!」
カムイが口の端を吊り上げる。掴まれてしまうと、風で弾き飛ばすのは難しい。彼の凶暴な笑みに冷や汗を流しつつ、しかし呉羽はこう叫び返す。
「甘いッ!」
叫ぶと同時に、呉羽は愛刀の柄尻をカムイの左の二の腕に叩き込んだ。普通の打撃であれば、白夜叉の防御を抜くことはできないだろう。しかし【草薙剣/天叢雲剣】は紛れもないユニークスキル。その一撃は確かに彼の腕を強かに打ち据えた。
その反動で彼の手が外套から外れる。追撃したいが、しかし間合いが近すぎて刀は振るい難い。それで呉羽は逆に踏み込んでカムイのみぞおちに膝を叩き込んだ。さらに彼の身体が浮き上がったところを狙って風の塊を放って吹き飛ばす。これで何とか間合いがあいた。
カムイが着地すると同時に〈風切り〉を放つ。防御されるが、動きを止めることができた。呉羽は地面を蹴って間合いを詰める。かつてカレン相手にしたように自分に有利な間合いを保ちながら、呉羽は連続攻撃を仕掛けた。カムイも“アーム”などを伸ばして反撃してくるが、呉羽はすぐに切り捨ててしまう。一方的な展開になった。
カムイを着実に追い込みつつ、呉羽は頭の片すみでまたさっきの続きを考えだしていた。もしカムイに相談されたら、自分はどう応じるだろうか。背中を押したい気もするし、しかし心配な気もする。付いていきたい気もするが、しかしアストールとリムの二人だけを残すのも心配だ。色んな気持ちが混ぜこぜになるが、どうも心配ばかりしているようで、呉羽は内心苦笑した。
そしてなんとなく悟る。なぜこのタイミングでカムイが「稽古をしよう」と言ってきたのか、その理由を。
(心配いらないって、言いたかったし、思いたかったのかな……)
勝手な勘違いなのかもしれない。けれどもその理由はなんだかとてもしっくりときた。
(なら……!)
全力で相手になる。そう思い、呉羽は腹に力を込めた。きっとカムイはもう自分の中で答えを出している。後はきっと、自分の中で折り合いをつけるだけなのだ。
相談相手になれなかったことは悔しいし情けない。だけどこうして稽古相手になるのは呉羽にしかできない。だから全力でやる。高くて分厚い壁になる。そうでなければ、きっと意味はないから。
呉羽は「すぅ」と息を吸い集中力を高める。そして愛刀を振るう。カムイはそれをかわすが、しかし甘い。かわしたその直後、しかしなぜか顔面に衝撃を受けて彼は驚いたように目を見開いた。立て続けに振るわれた白刃をカムイは避けるが、しかし今度は上腕と脇腹に鈍い衝撃を受ける。その攻撃に、彼は心当たりがあった。
「〈風刃演舞〉……」
刀を振るう動作をトリガーにして、周囲に風の刃を撒き散らす技だ。呉羽はこれを、主に〈侵攻〉の際に使っている。稽古で使うのは、これが初めてだ。
「ぐ……!」
乱戦仕様であり一対一で使うには効率が悪いと聞いていたが、しかし実際に使われてみるとこの〈風刃演舞〉というのは非常に厄介な技だった。回避できないのだ。白刃は避けられても、撒き散らされる風の刃はかわしきれない。不可視なので視認してからの回避はできないし、そのうえ呉羽も制御仕切れているわけではないから、どこに飛ばされてくるのか予想もできない。白夜叉の防御があるからまだ立っていられるが、これが生身だったらもう全身バラバラにされているところである。
回避は難しいから、対処は自然と防御が主体になった。白刃だけは確実に避けるが、撒き散らされる風の刃は防御を固めてひたすら耐える。幸い、一つ一つは〈風切り〉に劣る。アブソープションに支えられた回復能力もあるし、耐えるだけならいくらでも耐えられるだろう。
ただし、全身をムチで滅多打ちにされているようなこの状況は、なかなか精神的にきついものがある。【草薙剣/天叢雲剣】を振るい続ける呉羽の姿がだんだんと女王様に見えてきたのはきっと何かの間違いだ。
(持久戦に持ち込めばそりゃ有利なんだろうけど……!)
しかしそれでは意味がないし、呉羽もそれは知っているから余力があるうちに対策を打ってくるだろう。ただでさえ実力差があるのだ。そのうえ主導権を取られて受身になってはいけない。
(我慢すりゃ、なんとかなる!)
カムイは腹を括った。白刃は避けるが、撒き散らされる風の刃は無視することにしたのだ。痛いことは痛いが、すぐに回復できるので問題はない、ということにする。それにボコスカやられていい加減鬱憤が溜まっているのだ。
「はああああああ!」
カムイは白刃を避け、そのまま一歩踏み込んだ。久しぶりに攻勢にまわるせいなのか、気分が昂揚する。風の刃が身体に当って痛いが、それさえも戦いのスパイスだ。口元が歪んだ笑みを作る。それを自覚しながら、カムイは大きく振りかぶって拳を放った。
対する呉羽は冷静だった。まずカムイの拳を、風を使って弾く。そして間合いをつめ、彼のみぞおち目掛けて【草薙剣/天叢雲剣】の鞘を強か叩き込んだ。勢いと体重が十分に乗ったその一撃は、彼の身体を昂揚したその気分ごと大きく吹き飛ばした。
「……カムイ、琥珀色の結晶を使え。手札を温存したまま勝たせてやるほど、わたしは甘くないぞ」
愛刀を正面に構え直してから、呉羽はカムイにそう言った。射抜くような彼女の視線に、カムイは口の端を吊り上げる。そして視線を合わせたままゆっくりと立ち上がり、そして首から吊るした琥珀色の結晶に意識を向けた。
魔力を流し込む。少しずつ、しかし徐々に多くしていく。それに比例して吸収できるエネルギー量も多くなり、白夜叉のオーラはさらに勢いよく揺らめいた。
(コイツは……、なかなかクルな……! でも思ったほどじゃない……!)
扱うエネルギー量が増えたからなのか、カムイの中で暴気がそろりと頭をもたげ始める。とはいえ、まだ暴れ出すほどではない。やれる、と思いカムイは前に出た。そして間合いを詰めつつ、振り上げた右手に“グローブ”を生成する。そして「ふっ!」と鋭く呼気を吐き出しながら呉羽目掛けて力任せに振り下ろす。
呉羽その攻撃を後ろへ大きく跳んでかわした。そして跳躍しつつ、カムイの様子を観察する。増えたオーラが揺らぐ気配はない。暴気は増しているようだが、しかし目にはまだ理性の光がある。つまり暴走はしていない。それでも念のため、呉羽はカムイに声をかけた。
「カムイ、まだ暴走はしていないな?」
「おかげさまで、とでも言えばいいのか?」
いつもより挑発的なその返答に呉羽は少しだけ苦笑する。影響は受けているようだ。ただ返事はした。受け答えをする理性と正気は残っている。
「上等だ。ソレの調子はどうだ?」
そう言って呉羽は琥珀色の結晶を指差した。カムイは少しだけ考える素振りを見せ、すぐに「問題ない」と答える。それを聞いて彼女は大きく頷いた。
「よし。なら、続けよう」
そう言うが早いか、呉羽は鋭く前に出た。それに合わせてカムイが左手から“アーム”を伸ばす。やはり琥珀色の結晶の効果は大きい。身体を覆うオーラの量が減っているとはいえ、“グローブ”と“アーム”を同時に使えている。これでまた差が縮まったな、と呉羽は思った。
カムイが伸ばした“アーム”を呉羽は半身になって避ける。さらに避けながら愛刀を下から掬い上げるように振るって“アーム”を断ち切った。そして次の一歩で一気に間合いをつめ、カムイに迫った。
カムイの“グローブ”は腕より長く、直立した状態で足元に届く。その長さは大よそ【草薙剣/天叢雲剣】の刃渡りと同じだ。つまり呉羽はもう間合いの差を利用することができない。
彼女が身をかがめると、その上を“グローブ”の爪が勢いよく抉っていく。打ち合わせれば【草薙剣/天叢雲剣】の方に分があり切り捨てることができるが、しかし潤沢なエネルギーに支えられた“グローブ”はすぐに回復してしまう。さらにカムイには“アーム”もあり、呉羽はなんだか二刀流の剣士を相手にしているような気分になった。
「はあああああ!」
カムイが“グローブ”で殴りかかる。呉羽はそれを刀身で受け止め、同時に後ろに飛んで間合いを取った。追撃が来るかと思ったが、しかし来ない。見ればカムイは肩で息をしながら左手で頭を抑えていた。その顔には疲労が色濃く浮かんでいる。
アブソープションを使うカムイの体力は無尽蔵だ。減ってもすぐに回復する。だから彼の場合、疲労しているのは肉体ではなく精神だ。暴走を必死に抑えているのである。しかしそれもそろそろ限界だろう。
一方の呉羽もそろそろ限界だった。彼女の場合は体力と魔力がそろそろ尽きる。いつもならこの辺で稽古を終えるのだが、今日に限ってはどちらもそれを言い出そうとしない。二人ともまだ、“納得”できていないのだ。
「……使えよ」
不意にカムイがそう言った。咄嗟に思い当たるふしがなく、呉羽はわずかに眉をひそめてこう問い返す。
「何をだ?」
「建御雷だ。使えよ」
「いや、アレは……!」
カムイの言葉に呉羽は動揺する。彼が使えと言ったのは〈雷刃・建御雷〉のことだ。雷を放つ技で、呉羽が使う技の中ではトップクラスの威力がある。あまりに強力すぎるので、最初の一回以外は稽古で使ったことはない。そしてその一回目さえも、呉羽の中では大きな後悔となっている。
「アレは、危険すぎる。下手をすれば死ぬんだぞ……!」
「オレは死ななかったぞ」
「あれは最初で、まだ技の完成度が低かったからだ! 今はもうあの時とは違うんだ!」
「オレだって、あの時とはもう違う」
叫ぶ呉羽に、カムイは落ち着いた声でそう応えた。そしてこう続ける。
「オレだって無策じゃない。大丈夫だ。だから使え。使ってくれ」
「…………分かった」
奥歯を噛み締めて苦悩していた呉羽は、最終的にそう答えた。カムイはきっと、けじめが欲しいのだ。けじめを付けて、気持ちを納得させたいのだ。言ってみれば、これはそのための儀式なのである。
実利のない儀式のために命をかけるのは、傍から見れば馬鹿馬鹿しいことだろう。しかし本人にとっては重要で、唯一無二の意味があるのだ。そしてだからこそ、本気で相対しなければその意味を汚すことになる。
「……全力で行くぞ」
「ああ、頼む」
カムイの真剣な眼差しを見て、呉羽も腹を括った。そして大きく深呼吸をすると、ゆっくりと身体を捻りつつ、【草薙剣/天叢雲剣】の刃を地面と平行にして身体のわきに持ってくる。そして彼女が鋭く呼気を吐き出すと、刀身の周りで猛烈な勢いで風が渦巻き始めた。その局地的な嵐は激しさを増し、そしてついには紫電を帯び始める。
「……じゃ、行くぞ」
呉羽の準備が整ったのを見て、カムイは腰を落として臨戦態勢を取った。そんな彼に呉羽は一つ頷いて「ああ、来い」と言う。
「……死ぬなよ」
「当たり前だ」
そう返事をしてから、カムイは一気に前に出た。一直線に向かってくる彼に対し、呉羽は【草薙剣/天叢雲剣】を大きく振るう。
「〈雷刃・建御雷〉!」
紫電が、カムイに襲い掛かった。
カムイもずっと考えていたことがある。なぜ〈雷刃・建御雷〉を喰らって死ななかったのか、ということだ。呉羽が言ったように技の完成度が低かったこともあるのだろう。しかしそれだけなのか。
一番の肝は、やはり白夜叉だろう。そのオーラが雷撃の大半か一部を地面に逃がしたのではないか、とカムイは考えた。もしそうであるなら、イメージでその性質を強化してやる事で、〈雷刃・建御雷〉を防げるのではないか。カムイはそう考えたのだ。
(イメージしろ!)
カムイは自分にそう言い聞かせる。そして“グローブ”で地面を掴む。それとほぼ同時に紫電が着弾した。
「カムイ!!」
カムイに〈雷刃・建御雷〉が直撃したのを見て呉羽は悲鳴を上げた。無策ではないと言っていたのに、しかし何か対策を講じていたようには見えない。最悪の展開が頭をよぎり彼女は顔面を蒼白にした。
「おおおおおお!」
そこへ、雄叫びを上げながらカムイが突っ込んでくる。身体には紫電が残り、目からは血涙を流し、皮膚からは何箇所も血が流れていた。装備もボロボロで、裂けたり焦げたりしている。満身創痍でありながらも、しかし彼はまだ生きてしかも戦意を見せていた。
カムイが“グローブ”を振りぬく。回避も反撃も間に合わず、呉羽は咄嗟に腕を交差させてそれをガードした。だがすでに余力のほとんど全てを〈雷刃・建御雷〉につぎ込んだあとだ。彼女はその強打を堪えることができず、大きく吹き飛ばされた。
「ぐっ……! がはぁ……」
背中から地面に叩きつけられ、思わず【草薙剣/天叢雲剣】を手放す。それでも勢いは止まらず、呉羽はそのままゴロゴロと地面を転がった。ようやく止まり、身体を起こそうとしたその瞬間、カムイの拳がそっと鼻先に突きつけられる。
「……参った。わたしの負けだ」
妙に晴れ晴れしい気分でそう言うと、呉羽は身体から力を抜いて地面に転がり空を見上げた。あいにく、青空は見られない。空は黒い瘴気に閉ざされている。
「呉羽。オレ、ちょっと遠出をしてくるよ。戻ってくるのは、たぶん数ヶ月は先になる」
「……そうか、分かった。トールさんとリムちゃんのことは、わたしに任せておけ」
カムイが「ああ、頼む」というのを、呉羽はどこか遠くで聞いていた。こんな世界で、しかしそれでも人は前へ進む。なんだかそれを強く感じた。
第四章 ―完―
というわけで。第四章いかがでしたでしょうか?
第三章からの流れがここで一区切り、って感じです。
第五章も気長にお待ちくださいませ。




