旅立ちの条件9
とある世界のある山中に一人の男がいた。年の頃は五十と少し。この世界においては、そろそろ人生の幕引きについて考える頃合である。しかし彼の眼は、そんなことを考えている眼ではなかった。
「さて、これからどうするか……」
彼はそう呟いた。彼の周りに他の人影はなく、その呟きを聞いたものは彼以外にはいない。いや、彼自身さえその呟きを聞き流していた。
彼は魔道具職人だった。それも凄腕であることを自負している。それは決して自惚れではない。彼は確かに世界最高峰の、そして世界で唯一の技術を持っていた。その技術力は他とあまりにも隔絶しすぎており、そのせいで彼はこれまでずっと流浪の生活を送らなければならなかった。
尤も彼の場合、その生活に痛痒を感じていたわけではなかった。むしろ望んでいたとすら言っていい。だからこれまでの人生に後悔があるわけではなかった。そしてなにより、今彼が考えているのは、過去のことではなく未来のことである。
こうして改めてこれからのことを考えているのは、つい最近彼の状況が大きく変わったからだ。端的に言えば、弟子を独り立ちさせたのだ。
名を継がせた弟子のことは心配していない。師である自分以上にふてぶてしくて小憎たらしいヤツだから、きっと世界を嘲笑いながら勝手気ままに生きるだろう。あるいはあっけなく死んでしまうかもしれないが、それはそれでかまわない。弟子の死に様になど彼はまるで興味がなかった。
そんなわけで、弟子のことはもう気にしていない。ただ、弟子を独立させたときに、ある魔道具を一緒に譲り渡してしまった。その魔道具の名は〈狭間の庵〉。彼自身がこれまでの最高傑作と自負する魔道具である。
(もう一度作るか……?)
そう考え、しかし彼は頭を振った。作れないわけではない。設計図なら頭の中に入っている。しかしアレを作るためには相応の設備が、つまり工房が必要なのだ。そして彼の工房とはつまり、〈狭間の庵〉のことだった。魔道具によって設定した亜空間。その中に用意した工房が、流浪の日々の中での彼の魔道具職人としての仕事を支えていたのだ。
それがない今、もうアレを一度作るためにはどこかの工房を借りる必要がある。アテならば幾つかあるが、しかし面倒くさい。工房を借りれば彼の持つ技術を人目に曝すことになり、そうなると権力者の類が群がってくるのだ。それを黙らせるのは手間だ。
一度完成させた魔道具のために、その時間と労力を使おうという気にはなれなかった。それなら別の新たな魔道具を作りたい。それが男の変わることのない基本的なスタンスだった。
(とはいえ……)
とはいえそのためには、やはり専門の工房がなければ始まらない。人間が食わねば生きていけないように、職人も設備がなければ満足に腕を振るうことはできない。悩ましい問題だった。
そんな時である。彼の頭の中にあるメッセージが響いた。
《ゲームの参加者を募集します。ゲームは異世界を舞台にして行われます。参加者は初期設定の後、異世界に転位します。プレイヤーはゲームの途中で元の世界に戻ることはできません。ゲームクリア後、プレイヤーは元の世界に帰ることができます。
警告! これはデスゲームです。プレイヤーがゲーム中に死亡した場合、救済措置はありません。
ゲームのクリア目標は「世界の再生」。ゲームをクリアすると、プレイヤーは各自が保有しているポイントに応じて願いを叶えることができます。願いは複数個叶えることも可能です。ゲームに参加しますか? 意思表示を願います》
「は……?」
彼は思わず呆けた声を出した。ここまで間の抜けた声を出したのは、一体いつ以来であろうか。そしてそんなことを考えること自体が、ある種の現実逃避だった。
《ゲームの参加者を募集します。……》
頭の中に響くメッセージがリピートされる。二回目のそれに、彼は困惑しながらも耳を傾ける。そして三回目になると、かなり落ち着いてそれを聞くことができるようになった。
(ゲーム……。つまりは遊戯か。死亡の危険があるということは、つまり命がけ。そして成績に応じて願いを叶えられる、と……)
幾つか理解の及ばない点はあったものの、彼はひとまずそれだけのことを理解した。そして四回目のリピートを聞き流しながら彼は考える。参加するのか、それともしないのか。
正直なところ、願いを叶えるという部分に彼は魅力を感じない。しかし異世界という部分には、強く興味を引かれた。今のこの状況は摩訶不思議で胡散臭くすらある。だがこれを逃せば、異世界とやらにいける機会は恐らくもう無い。であるならば、彼の答えは決まったようなものだ。
「参加させろ」
彼がそう言い放つと、頭の中で響いていたリピートが止まった。そして一拍の静寂を挟んでから、同じ声で別のメッセージが頭の中に響く。
《…………ゲーム参加の意思表示を確認しました。プレイヤーの意思を再確認します。ここから先、後戻りはできません。それでもあなたは本当に、ゲームに参加しますか?》
「くどい」
そう答えた瞬間、世界が一変した。上下感覚のない世界に放り出され、足が地に着いている感覚がしない。驚きはしたものの、ジタバタとしなかったのはある種の意地だ。やがて十秒が過ぎ、二十秒が過ぎ、そして三十秒が過ぎる頃には驚きよりも興味の方が勝るようになっていた。
「ここが、異世界ってヤツなのか?」
彼の声には、狂気じみた響きがある。この宙に浮かぶ感覚といい、訳が分からなくてどうしようもなく楽しいのだ。
《これより、ゲームの初期設定を行います》
彼がきょろきょろと辺りを見渡していると、不意に声がそう響いた。頭の中に響いたわけではないが、まるで反響したように音の出所がつかめない。全方位から響いた、というのが適切な表現かもしれない。
その後、彼はヘルプ係長を質問攻めにしながら初期設定を行った。初期装備は貰わず、今のままで行くことにしたので、特に悩むような項目はない。それですらすらと項目を埋めていた彼だが、あるところでふと手が止まる。このデスゲームの肝にしてプレイヤーの生命線ともいえる、ユニークスキルの項目だ。彼はその項目を眺め、それからおもむろにこう質問した。
「……一つ聞きたい。ワシの魔道具職人としての腕は、このユニークスキルの容量とやらと比較してどうだ? 足りるか、それとも足らぬか?」
《才能と知識だけで勘案するなら足りません。ですが経験を加えれば足ります》
「くくくく……。まあ、喜んでおくか」
楽しげに笑いながら、彼はそう言った。そしてまたユニークスキルの項目を眺めながら考えを巡らせる。
自分の腕がこのデスゲームとやらで、ある程度通用するであろうことは分かった。井の中の蛙ではなかったということで、それは喜んでいいだろう。そしてそうであるならば、どんなユニークスキルにするべきなのか、その方向性も見えてくる。
(工房がないことにはどうにもならん)
腕があってもそれを発揮できる環境がなければ宝の持ち腐れだ。しかもゲームの舞台となるのは「滅びた世界」。きちんとした工房が残っているとは考えにくいし、残っていたとしても彼が求める設備があるとは限らない。
(となれば……)
そこまで考えれば、ユニークスキルは決まったようなものだ。彼はその欄をタップするとこう書き込んだ。
ユニークスキル【悠久なる狭間の庵】
能力【歴史上、最も充実した状態の魔道具〈狭間の庵〉が使えるようになる】
単純に〈狭間の庵〉としなかったのは、興味があったからだ。もしもこの先、〈狭間の庵〉が継承され続け、そのたびに新たな知識と設備が増えていったらどうなるのか。普通に生きていたら決して見ることのできないそれを、この機会に確かめてみたかった。
「これでどうだ」
《検証中……。容量が余ります。このままでよろしいですか?》
「む、そうか。では……」
容量を余らせるのはもったいない。彼はまた少し考えてから、能力の欄にさらに追加して書き込む。最終的に能力は次のようになった。
能力【歴史上、最も充実した状態の魔道具〈狭間の庵〉が使えるようになる。さらに魔道具製作に必要な資材や設備をポイントで買うことができる】
ユニークスキルの設定が終わると、彼は次にゲーム開始地点について交渉を行った。彼が要求した条件は次のようなものである。
曰く「長期間に渡って拠点として利用可能で、他のプレイヤーがおらず、また容易に近づけない場所」
その場所をゲームの開始地点にすることは可能と言うことだったので、彼はそうするように頼む。そしてこう言った。
「よし、いいぞ。その『滅びた世界』とやらに送ってくれ」
《エラーが出ました。プレイヤーネームを入力してください》
「む、忘れておったか。そうだな……」
アバサ、と打ち込んだところで彼の手が止まる。その名はすでに弟子に継がせており、彼のものではない。放浪している間に使っていた偽名は幾つかあるが、基本的に使い捨てにしていたそれを名乗る気にはならなかった。それで彼は久しく使っていなかった本名をそこへ打ち込んだ。
――――すなわち、【ROLOYA=ROT】
デスゲームの舞台となる異世界に降り立つと、ロロイヤは早速設定したばかりのユニークスキル【悠久なる狭間の庵】を発動する。中はずいぶん雑然としていて狭苦しい。素材や見慣れない機材、それに作りっぱなしの魔道具が乱雑に置かれている。弟子に譲ったときはまだ広々としていたので、それから徐々に増えていったのだろう。
その様子を見てロロイヤは嬉しくなった。彼が作った最高傑作〈狭間の庵〉は確かに継承を重ね、そのたびに何かを積み上げてきた。そしてその全てが今ここにある。
二階に上がると、雰囲気が変わった。古い紙のにおいが、ロロイヤの鼻腔を刺激する。並べられた本棚には、代々〈狭間の庵〉を受け継いだ者たちが残していったのだろう、大量の資料が収められていた。
「数百年、いや千年分もあるか?」
膨大な量の資料を眺めながら、ロロイヤは楽しげにそう呟いた。どうやら〈狭間の庵〉と彼の技術の系譜は脈々と受け継がれたらしい。自分が死んだ後のことのはずなのに、その結果が今こうして目の前にある。それが、誇らしい。
「感傷とでもいうのか、これがな」
自嘲気味に笑う。まったく、似合わない。自分がもっと身勝手な人間であることを、ロロイヤは自覚している。彼は腰の道具袋(これも彼が作ったいわゆるストーレジアイテムだ)から安楽椅子を取り出すとそこへ座り、棚から適当な資料を抜き出した。
「さあ、どんな魔道具を作ったんじゃ? ワシが評価してやろう」
傲然と言い放ち、彼は資料を読み始めた。見慣れない文字だが、ヘルプ係長の言っていた自動翻訳能力とやらのおかげか、問題なく読むことができる。訳の分からないものは性分として気に入らないのだが、今はまあいい。問題は中身だ。もしくだらない内容だったら、クリア報酬とやらで時空を越え、説教しに行ってやるのも面白いかもしれない。
そして数時間後。
「くっく……、あーはっはっは! なんじゃどいつもこいつも変人ばっかりじゃな! いいのう、いいのう……。たぁのしくなって来たではにゃぁか……!」
こうしてロロイヤは、攻略そっちのけでまずは大量の資料を読み漁ることを優先するのだった。
― ‡ ―
デスゲームが始まって、すでに数ヶ月が過ぎた。その間ロロイヤは、まだ他のプレイヤーと一度も遭遇していない。これがカムイであったら、孤独に疲れて精神を病んでいただろう。しかしロロイヤはそんなまともな神経はしていない。そもそもこれは彼が望んだこと。煩わしくなくていいとさえ彼は思っていた。
さてこの日、ロロイヤは外へ出てモンスターと戦っていた。決してすき好んで戦っているわけではない。だが持ち込んだ食料はずいぶん前に尽きてしまっている。こうしてポイントを稼がねば、腹が減ってどうしようもない。
それで仕方なく、彼はこうしてモンスター相手に戦っている。ただ彼は魔道具職人であって戦士ではない。それで彼の戦い方も、戦士のそれとは大きく異なっていた。
「ギイイイィィイイ!!」
雄叫びを上げながらモンスターが出現する。ロロイヤはそれをつまらなそうに見据えると、そのモンスターに向かって左の拳を、より正確に言えばその薬指にはめた指輪型の魔道具を突き出した。
その魔道具に魔力を込める。プレイヤーとしての力なのか、ロロイヤの身に宿る魔力は以前よりも潤沢だ。そのことに「余計なことをしやがって」と思わなくもない。ただ文句を言うべきオーバーロードとやらは近くにはいないし、使えるモノはとりあえず使っておこうと思っている。
魔道具が魔力に反応し、空中に魔法陣を描く。ロロイヤがさらに魔力を込めると、その魔力は指輪を介して魔法陣に注ぎ込まれた。そしてその魔力をエネルギーにして、魔法陣が発動する。
閃光が走った。それも一つではない。幾筋もの閃光が魔法陣から放たれ、馬鹿正直に正面から突撃してくるモンスターの身体を次々に貫いていく。外れた閃光も多いが、モンスターを仕留めるには十分だった。
「チッ……、やっぱりいい魔道具じゃな」
モンスターが残した魔昌石を回収しながら、ロロイヤはそう舌打ちを漏らした。ただ彼の表情はどこか嬉しそうでもある。
彼が左手の薬指に装備している魔道具は銘を〈流星撃〉という。この魔道具の特徴は二つ。一つは魔力を込めるだけでほかに制御がほとんど必要なく、さらに連射も可能な使い勝手のよさ。そしてもう一つは閃光を散弾状にしたことによる回避のし辛さだ。しかも散弾状とはいえ、一つ一つの閃光にはモンスターを貫くほどの威力がある。そんなものを連射して撃ちまくれるというのだから、とんでもない魔道具といえた。
上記のように〈流星撃〉は優れた魔道具である。しかしそれを作ったロロイヤは、それを誇る気にはなれなかった。それどころか彼はこれを決して自分の作品とは認めていない。なぜなら元となっている魔道具があるのだ。
その銘を〈夜空を切り裂く箒星〉と〈雷神の槌〉という。後者は前者のいわば簡易版で、ロロイヤが主に参考としたのもこちらだ。レポートに残された製作者の名前はイスト・ヴァーレ。〈狭間の庵〉を受け継いだ、彼の系譜の一人である。
ロロイヤがモンスターと戦うに際して問題としたのは、武器だった。武器であるなら、魔道具を含めて彼は幾つかをこの世界に来る前から所持している。しかし彼は戦士でもなければ武人でもない。要するにそんな彼でも戦える武器が必要だったのだ。
強力な魔道具なら、いくつも【悠久なる狭間の庵】の中に放置されていた。しかしロロイヤはそれを使うことを嫌がった。使う人間のことを想定していない危険すぎるシロモノが多かったこともあるし、また「他人が作った魔道具はイヤだ」という彼の子供じみたプライドのせいでもあった。
となれば、自分でそれ用の魔道具を作るしかない。幸い、【悠久なる狭間の庵】には素材も設備も揃っている。ただ、時間がなかった。資料を読むことに熱中していたら食糧がなくなってしまい、早急にポイントを稼ぐ必要があったのだ。
それで遺憾ながら、大いに遺憾ながらも、ロロイヤはそれまで読み込んだ資料の中から適当なものを選び、それをあくまでも参考にして、新しい魔道具を作ることにした。その時に参考にしたのが、前述したとおり〈夜空を切り裂く箒星〉と〈雷神の槌〉という二つの魔道具である。この二つの魔道具のレポートを見比べつつ、わずか三時間弱でロロイヤは〈流星撃〉を作り上げたのだ。
ロロイヤには一角の魔道具職人であるという意地がある。その意地にかけて、〈流星撃〉を〈雷神の槌〉のデットコピーにすることだけは避けた。だが同時に、一段上のものに昇華させることはできなかった。
時間が足りなかった、と言い訳をするつもりはない。実際イストなにがしとやらの術式は美しく、一切の無駄というものがない。短く簡潔な術式で、そのためコッチに手を出せばアッチが狂う。どうにもこうにも手が出せず、しかしフルコピーするのだけは絶対にイヤ。それで「強力な単一射撃」という仕様を「散弾」に変更することで何とかマイナーチェンジを図ったのだ。
改良品というよりはただの亜種。〈流星撃〉と〈雷神の槌〉は同等であり、そうである以上コピー品の域からは抜け出せていない。それがロロイヤの評価だった。
「だがこのイストとかいうヤツは変人だな。うむ、間違いない」
ロロイヤは満足そうにそう決め付けた。確証はない。だが確信はある。系譜のなかでもコイツは飛びっきりの変人に違いない。あの偏執的なまでに無駄のない術式を見て、彼はそう直感していた。
「さて、と……」
そう呟いてロロイヤは頭を切り替える。そして左手に持つ、先ほどのモンスターが残した魔昌石に視線を落とした。その魔昌石に、彼は右手に持った杖を近づける。すると次の瞬間、魔昌石の周囲に帯状の魔法陣が現れた。
ロロイヤが右手に持った木製の杖。実はこれも魔道具である。銘は〈光彩の杖〉。単純な魔道具で、その能力は「光で空中に何かを描く」というもの。つまり彼は今、この魔道具を使って魔法陣を描いているのである。
〈光彩の杖〉も【悠久なる狭間の庵】の中に資料が残された魔道具である。今使っているのは資料をもとに彼が自分で作ったものだが、これは何も手を加えていない、いわゆるフルコピー品だった。
そのことになにも思わないわけではない。時間があれば改良案を考えてみたいとも思う。ただ、ロロイヤにとってこれは作品ではなく道具の位置づけだ。〈流星撃〉の場合ほど強い思い入れはなかった。
まあそれはそれとして。ロロイヤは展開した魔法陣を、魔昌石の周りをぐるりと一周させる。これで術式の刻印がすんだ。要するに、この魔昌石は魔道具になったのである。そしてその効果は……。
「ギィイイイイ!」
またモンスターが出現した。雄叫びを上げるそのモンスターに、ロロイヤは刻印を終えたばかりの魔昌石に魔力を込めて投げつける。すると魔道具化したその魔昌石は、モンスターに触れた瞬間それをトリガーにして爆発した。
それがこの魔道具〈爆裂石〉の効果だった。この〈爆裂石〉はモンスターに触れると爆発するという、使い捨ての魔道具なのだ。さらに最近では改良も重ね、魔力を充填することで威力を高めることにも成功した。
爆発させてしまってはその分のポイントが無駄になる、と思うかもしれないがその心配はない。なぜかと言うと、魔昌石は瘴気からできており、そして〈爆裂石〉が爆発する際にはもとの魔昌石が持つ全てのエネルギーを消費しきっている。つまり瘴気を消費しているのと同じことで、この時にポイントが発生するのだ。
「ふむ、悪くない」
今しがた使った〈爆裂石〉の様子を見て、ロロイヤは一つ頷いた。威力は申し分ない。ただ〈爆裂石〉はまだ未完成。細部はまだまだ荒削りだし、なによりもう一つブレイクスルーが欲しい。ロロイヤは頭の中で〈爆裂石〉の術式に修正を加えながら、地面に転がる魔昌石を回収に向かった。その途中でまたモンスターが出現したが、それは〈流星撃〉で倒す。そしてそちらの魔昌石も回収した。
「それで、貴様らは何者だ?」
回収した二つの魔昌石のうち、片方を腰の道具袋に片付けながら、ロロイヤは唐突にそう言った。近くにプレイヤーの気配を感じたのだ。ただこれに気付けたのは、相手方に隠す意志がなかったからである。そして気配のした方へ視線を向けると、そこには男一人女四人の、合計五人のプレイヤーがいた。
「見た目ほど怪しくはない者たちだ」
真ん中に立つ長髪でステッキを持った男、つまりアーキッドがいつも通りにそう答える。ロロイヤはそのジョークに眉毛の一つも動かさなかった。それどころか興味無さそうに視線を外し、そしてこう言い返す。
「そうか。では帰れ。邪魔だ」
それだけ言い放つと、ロロイヤはさっさと視線をそらして背を向けた。その今までにない反応に、さすがのアーキッドも慌てる。
「いやいや、待て待て待て! 他のプレイヤーの様子とか、攻略の状況とか、知りたくないのか!?」
今までアーキッドらが出会って回収してきた、孤立してしまっていたプレイヤーというのは、例外なく行き詰まりを覚えていた。だからこそ、外からの刺激である彼らを無視することはできなかった。警戒はしつつも話を聞きたがる、というのがいつもの反応だったのである。しかし今回はどうも様子が違う。
「いらん。興味もない」
ロロイヤは振り返りもせずにそう答えた。まったくにべもない。他のプレイヤーと関わる気がまるでないことを、彼の態度は如実に物語っていた。それを見てアーキッドは「あちゃ~」と言わんばかりに乱暴に頭を掻いた。
「行き詰まりを感じちゃあいないのか、爺さん?」
「ジジイを舐めるなよ、若造。やることは山ほどある。おちおち死んでもいられん」
相変わらず興味無さそうに背を向けたままだったが、アーキッドに答えるロロイヤの声はさっきより幾分楽しそうだった。そしてその返答を聞いて、むしろアーキッドのほうがロロイヤに興味を持った。
「そのやる事ってのは、一体なんだ?」
「いろいろだ。ほれ、邪魔だから帰れ」
相変わらずけんもほろろで取り付く島もない。この自称ジジイがそういうプレイヤーなのだとようやく分かってきて、アーキッドは苦笑を浮かべた。そして「さてどうしたもんか」と考える。
帰れと言われてしまったが、しかしだからと言って「はい、そうですか」と素直に帰るわけにもいかない。大きな拠点に合流するのかしないのかは個人の判断だからそれを尊重するとしても、この状況下で「やることが山ほどある」と言っているのはちょっと見過ごせない。どういうことなのかぜひとも情報収集しておきたかった。
「……失礼。見たところ武芸者ではないようですが、錬金術師か魔導士の方ですか?」
そう尋ねたのはイスメルだ。その声に反応して、ロロイヤは一瞬だけ動きを止めた。
「違う。ワシは魔道具職人だ」
「魔道具職人……。もしやプレイヤーショップに〈ストレージブレスレット〉を出品した、【ROLOYA=ROT】というのは……」
「ああ、ワシだな」
「では、作ったのも?」
「ワシだ」
ロロイヤはあっさりとそう認めた。それを聞いてアーキッドらはざわつく。完全なプレイヤーメイドのストレージアイテムである〈ストレージブレスレット〉。その製作者と思しき【ROLOYA=ROT】とはいかなるプレイヤーなのか、アーキッドらの間でも話題になっていたのだ。
そして同時に納得もする。ロロイヤにしてみれば、作った作品をプレイヤーショップに出品することでポイントは稼げるのだ。一人でいることを苦にしない精神構造をしているようだし、それならば確かに行き詰まりを覚えることはないだろう。加えてさっきからの態度を見ていれば、彼が望んでここにいることは明らかだった。
本人がここに残ることを望むのなら、縁がなかったとしてそれに沿うのが妥当。いつものアーキッドならそう考えたことだろう。実際問題として別の拠点への移動を強制できるわけではないのだから。
そういう考えは、確かにアーキッドの中にあった。しかし同時に、彼は「もったいない」とも思っていた。ストレージアイテムを自作できるような、それほどの腕を持つ職人がこんな場所に引き篭もっている。それはひどくもったいない。
(まあ、説得するだけしてみるか)
アーキッドはそう思った。幸い、まったく話が通じない相手ではない。それに職人と言うのは興味のある話題を振ってやれば意外と簡単に食いついてくるものだ。それで彼はまずこう口火を切った。
「〈魔泉〉って知ってるか?」
「知らん。興味も……」
ない、と言うとしたロロイヤを遮って、アーキッドはさらに言葉を続ける。こういう手合いには自分のペースを崩さず、少し強引に話を進めた方がいい。彼がこれまでの人生の中で学んだ処世術だ。
「〈魔泉〉っていうのは、瘴気がわんさか噴出してくる穴だ。ここからは見えないが、実は結構近くにある。ま、当然のことながら瘴気濃度が高いから、普通に近づこうとしても無理だろうがな」
アーキッドはそう言って言葉を一旦切った。ロロイヤは相変わらず背を向けたままだったが、しかし動きが止まっている。興味を持たせることには成功したらしい。アーキッドはそれを確信して内心でほくそ笑む。しかしすぐに次の言葉を話すのではなく、あえて沈黙を選んだ。そして二秒が過ぎ、三秒が過ぎ、ロロイヤの視線がわずかに翻ったところで彼はこう言った。
「実は写真に撮ってある。見てみるか?」
「シャシン……? まあいい、見せろ」
果してロロイヤは喰い付いた。アーキッドは焦らすことはせず、「あいよ」と答えるとシステムメニューから【アルバム】を開き、撮っておいた〈魔泉〉の写真を表示する。その写真をロロイヤは食い入るように見つめた。
「ふむ……。つまりは見たものをそのまま記録しておく精巧な絵か……。しかしこれは厄介な……」
「厄介、って顔してないぜ、爺さん」
苦笑しながらアーキッドはそう言った。〈魔泉〉の写真を見るロロイヤの浮かべる表情は、控えめに言って楽しげでかつ物騒だ。殺気とはまた違う、狂気とでも言うべきソレに、カレンなどは気圧されたように後ずさった。
「ふん、それでほかに何を隠しておる?」
鼻をならしてそう言うと、ロロイヤは顔をつるりと撫でてその凶悪な表情を消した。しかしその視線は鋭いままで、まるで獲物を見据える肉食獣のようだ。
「別に隠しちゃいないんだがな。色々あるから、少しばかり長くなるぜ」
さっさと教えろ、と視線で急かすロロイヤに苦笑を深くしながらアーキッドはそう答えた。ロロイヤは一瞬眉をひそめて面倒くさそうな顔をしたが、すぐに腹を決めて歩き始める。アーキッドらはやや呆然としながらその背中を視線で追った。
「何をしている。さっさと来い。立ちながら話すつもりか?」
そう言われてようやく、ロロイヤが自分たちを拠点に案内するつもりであることにアーキッドらは気付いた。ただ拠点とは言っても洞窟か何かであろう。話をするのなら、もっといい場所がある。
アーキッドが指をパチンと鳴らすと、彼の背後に大量のシャボン玉のエフェクトが現れた。そのエフェクトが消えると、何もなかったはずの荒野に豪奢な屋敷が一軒現れた。それを見てロロイヤは「ほう」と声を漏らす。
「ユニークスキルとやらか」
「ああ。俺のユニークスキル【HOME】だ」
少し誇らしげにアーキッドはそう答えた。そしてごく簡単に自分のユニークスキルについて説明する。しかしそれを聞いたロロイヤはつまらなそうにこう応じた。
「拠点で家しか思い浮かばんとはな。発想力が貧相だ」
ばっさり切り捨てられ唖然とするアーキッドを置いて、ロロイヤはさっさと屋敷の方へ歩いていく。迷いのないその歩みからは、遠慮というものが一切感じられない。どちらが主か分からないその背中を、我に返ったアーキッドは急いで追った。
勝手に屋敷に上がりこんだロロイヤを、アーキッドは慌ててリビングに案内する。放っておいたらどこへ入り込むか分かったものではない。ロロイヤは興味深そうに視線を動かしてはいたが、しかし大人しく彼の案内に従った。
「そういえば自己紹介がまだだったな。俺は【ARKID】という」
リビングのソファーに座ると、アーキッドは思い出したように名前を名乗った。それを聞いてロロイヤが「おや」という顔をする。
「アーキッドというと、あの世界地図を出品した?」
「お、買ってくれたのかい、爺さん?」
「いや買っておらん。それよりも、狐ではなかったのか?」
「お狐様は妾のことじゃな。【Miralda】という。見ての通りの妖弧じゃ。よろしゅうのう?」
そう言ってミラルダはご自慢の尻尾を楽しげにユラユラと揺らした。ロロイヤはその様子を見、ついでアーキッドの顔を見、それから妙に悟りきった顔で大きくそして深く頷いた。
「うむ、深くは問うまい」
「どんな勘違いをしているのか、聞くのが恐ろしいぜ、まったく」
そう言って苦笑すると、アーキッドは本当に何も聞かずにメンバーの自己紹介を続けた。最後にカレンが自己紹介を終えると、ロロイヤが「では」と呟き鋭い視線をアーキッドに向ける。
「洗いざらい吐いてもらうとしようか」
「なんだか拷問でもされそうだぜ」
「望みとあらばしてやろう」
そういう魔道具も【悠久なる狭間の庵】の中にはある。作ったヤツはずいぶんイイ性格をしていたようで、かなりエグい性能だった。
「おお怖」
軽口を叩きつつも、アーキッドは背中に薄ら寒いものを感じていた。あまりもったいぶりすぎると、本当に拷問されかねない。少なくとも必要とあらばロロイヤは躊躇わないだろう。それを感じ取ったのだ。
「さて、何から話したもんか……」
本当に拷問されてはたまらない。アーキッドはさっさと話すことにして、テーブルの上に地図を広げた。
「まずこの辺にプレイヤーの拠点がある。規模は120人程度。ここにいる連中は、海辺の拠点って呼んでいる。ここでは……」
基本的にロロイヤはアーキッドの話を黙って聞いた。そして話が一区切りついたところでまとめて質問をする。そして、途中お茶を出したりしつつ、アーキッドらはおよそ二時間にわたって話を続けた。
「ふぅむ……。この世界もなかなか……」
一通りの話を聞き終え、ロロイヤはソファーの背もたれに身体を預けると、冷めてしまったコーヒーを啜った。〈魔泉〉、〈侵攻〉、浄化樹、遺跡、【PrimeLoan】……。アーキッドらの話にはロロイヤが初めて聞く事柄が多く、彼の好奇心をかき立てる。
「面白いことに、なっとるのう……」
にやり、と獰猛な笑みを浮かべながらロロイヤはそう呟いた。
「そうでしょう。特に浄化樹が……」
「それはユニークスキルで創り出したシロモノじゃろう? あまり興味は向かんな」
ばっさりと切り捨てられてイスメルが肩を落とす。そんな師匠をカレンが苦笑しながら慰めた。
浄化樹よりもロロイヤが興味を引かれているのは、遺跡で起こっているという瘴気の集束現象の方だ。瘴気に干渉する方法は彼も考えてはいるが、今は資料を読み漁る方が忙しくてまだ本腰は入れておらず、それゆえまだ目途は立っていない。
しかしその術がすでに存在しているというのであれば、話は別だ。強く興味を引かれる。魔道具に応用したら、どんな作品を作れるだろうか。
(瘴気とはつまりエネルギーの一種……。もしこれを利用できれば……)
ロロイヤの好奇心が疼いた。若い頃であれば飛び出していただろう。今は少し落ち着いてきた。決して腰が痛いわけではない。
「それでどうする、爺さん? これでもここに引き篭もっているつもりか?」
アーキッドが少し挑発的にそう尋ねる。それに対しロロイヤは「ハッ」と鼻を鳴らしてからこう答えた。
「まあ、良かろう。連れて行ってくれるというのであれば、連れて行ってもらうとしよう。遺跡に」
「海辺の拠点なんだがなぁ……。まあいいか」
カムイたちに押し付けよう。アーキッドはそう思った。押し付けに失敗したとしても、行きだけならまあ送ってやらないこともない。
それからアーキッドはロロイヤに今後の予定について話した。もう一箇所回るところがあるので、合流地点として考えている山陰の拠点で待っていて欲しいと告げると、ロロイヤは頷いてそれを了解した。
「〈魔泉〉とやらを見ておきたいのだが」
「それくらいならいいぜ」
山陰の拠点に着いたら、〈魔泉〉を見せることを約束する。他にも細々としたことを決めているうちに夜になり、出発は明日の朝と言うことになった。アーキッドらのおごりで夕食を食べ、最後に【PrimeLoan】で上限ギリギリまでポイントを借りてから、ロロイヤは割り当てられた部屋で休んだ。
そして、次の日。リビングに現れたロロイヤの姿を見て、アーキッドら五人は一様に驚きの声を上げた。彼は、若返っていたのである。
「【若返りの秘薬】、か?」
「うむ。これほど若い身体は実に35年ぶりじゃ。やはりよく動く」
肩を回しながらロロイヤは満足そうにそう言った。どうやら【若返りの秘薬】を一晩で全て使ったらしい。借りたポイントがあるにしても決して安いアイテムではないのに、とアーキッドはあきれた。
若返ったロロイヤの肉体年齢は二十歳前後であるように見えた。白髪が混じっていた髪の毛も、ツヤのある暗褐色になっている。シワが浮かんでいた肌は張りを取り戻し、まるで生まれ変わったようだ。
一方で変わらないものもある。強い光を湛えた眼と、口元に浮かぶ猛禽のような笑みだ。この二つだけは若返っても何も変わらない。それは彼の内側にあるものの発露だからだ。むしろ老いが解消されて気持ちに身体が付いて行くようになった分、昨日よりもいっそう鋭くぎらついているようにさえ思えた。
「では行くとしよう。道案内を頼むぞ、おっさん?」
おっさん呼ばわりされてアーキッドが頬を引き攣らせる。爺さん呼ばわりされたことを根に持っているのだろうか。そんな考えが頭をよぎるが、彼はすぐに肩をすくめて「やれやれ」と苦笑した。
「今更だが、この爺さんを海辺の拠点に連れて行っていいのか悩むぜ……」
「本人が行きたがっておるのは遺跡じゃろう? 問題はあるまい」
「そうであることを願うぜ、まったく」
朝っぱらであるというのに、なんだかもう疲れ果てたような気がして、アーキッドはため息を吐くのだった。
― ‡ ―
ロロイヤを見つけてから四日目のお昼頃、六人はかつて山陰の拠点と呼ばれていた場所へ到着した。三日半も時間がかかったのは、単純にここまでずっと歩きだったからだ。つまりロロイヤには高速移動手段がなかったのである。
『いずれ何かしらの魔道具を作るつもりではいたがな』
悪びれもせず、ロロイヤはそう言っていた。アーキッドらにしても、見つけたプレイヤーに高速移動手段がないのはいつものことだ。あっさりと徒歩を受け入れ、ここまでずっと歩いてきたのである。
「あの山に登ると、頂上から〈魔泉〉が見えるんだが、別にもういいよな?」
「ああ。道中に見れたからな」
ロロイヤはそう言って頷いた。ここへ来る道中に〈魔泉〉が見えるポイントがあり、そこで十分に観測できたのですでに満足しているのだ。
ちなみに余談だが、この三日半の間にロロイヤは容姿だけでなく言葉遣いも若返っていた。「この方が自然だろう?」と笑っていたので、恐らく意識しているのだろう。ただ、そのわりに一人称は今も「ワシ」だったが。
まあそれはそれとして。これからアーキッドらはまた別の場所へプレイヤーを回収しに向かう。その間、ロロイヤは一人ここで待つことになる。そして彼らが戻ってきたら合流し、さらにシグルドとスーシャを回収して海辺の拠点へ向かう、というのが今後の大雑把な予定だった。
「……ところで、ここは安全なのか? いや、本当の意味で安全な場所などこの世界にないことは理解しているが、拠点として使えないようでは困るぞ」
出現したモンスターを〈流星撃〉で倒したロロイヤが、眉間にシワを寄せながらそう尋ねる。瘴気に覆われたこの世界では、どこであろうともモンスターが出現しえる。だからそういう意味で、本当に安全な場所などどこにもない。だがあまりにもその頻度が多いとやはり困る。
その点について、アーキッドらは楽観的だった。なにしろここはかつてプレイヤーの拠点として使われていた場所だ。そのための条件、具体的に言えば瘴気濃度1.0以下というは満たしているはずだった。
しかし改めて瘴気濃度を測定してみると、瘴気濃度はゲーム開始時の平均値をわずかに超えていた。山陰の拠点の現在の瘴気濃度は、1.03。つまりカムイらがここを離れてから、瘴気濃度が上がってしまったのだ。
「こいつはちょっと予想外だぜ……」
やれやれ、と言わんばかりに首を左右に振りながらアーキッドはそう嘆息した。カレンのユニークスキル【守護紋】があるから、彼らは普段瘴気濃度に頓着しない。どうせ無関係だからだ。ただここで待つことになるロロイヤはそうはいかない。
「まあ、コレくらいならまだ大丈夫だがな。なるべく手早く頼むぞ。瘴気にまかれて死ぬのはさすがに御免だ」
覚えがあるのか、わずかに顔をしかめながらロロイヤはそう言った。そんな彼にアーキッドは少し申し訳なさそうにしながら「あいよ」と応える。そしてそのまま三番目の目的地を目指して足早に旅立つのだった。




