旅立ちの条件7
カムイが個人修行で大失敗をやらかしてから三日が経った。カムイの体調は、あれからさらに【中級ポーション】を三本ほど飲み干し、それから一晩ぐっすりと眠ったら、次の日にはもう全快していた。
『だからもう大丈夫だって』
『何が大丈夫なものか』
やらかした次の日の朝、朝食を食べ、身体の調子が悪くないことを確かめると、カムイはまた川に向かおうとした。失敗してしまった個人修行のやり直しのためだ。だがそんな彼を呉羽が呼び止めた。
曰く「また暴走したらどうする気だ」。
まったく正論過ぎて、カムイは反論する言葉を持たない。しかしだからと言って大人しくしているわけにもいかない。その暴走を何とかし、正気を保ったまま戦えるようにならなければ、カムイは情けないままなのだ。
そんなのは絶対にイヤだ。それは論理的に考えて導き出した結論ではない。むしろ真逆で、意固地とも言える感情の発露である。しかしだからこそ、良し悪しは別として、それはひどく純粋だった。
だからこそ、正論を前にしようともカムイは退けない。いや、退きたくない。だから屁理屈をこね、根拠のない「大丈夫」という言葉を連発して、なんとか呉羽をやり込めた。しかし呉羽のほうもなかなか抜け目ない。彼女はカムイに二つの約束をさせた。
一つ、昼食時と夕方(帰り際)に定時連絡をすること。
二つ、もう一度暴走したら個人での修行は控えること。
この二つをカムイに約束させると、呉羽は不承不承という顔をしながらも彼を送り出した。本当は彼女も付いて行きたかったに違いない。こう見えて呉羽は心配性なのだ。だがカムイについていけば、今度は地下の魔法陣の調査をしているアストールとリムが心配になる。両者を天秤にかけた結果、取り敢えずカムイが死ぬことはないだろうと結論し、呉羽は調査のほうに付き合うことにしたのである。
この三日間、カムイは川辺での個人修行を続けている。つまり、あの大失敗から彼は一度も暴走していない。ただ成果としては必ずしも芳しくなかった。
暴走していないのは、暴走しないように戦っているからだ。要するに、アブソープションの出力を抑えているのである。全開にして戦うこともあるが、それでも理性を失いそうになればすぐに出力を下げてその危機を回避している。
それを成長と言えなくもない。「正気を失わずに戦う」という目標は、一応達成されているのだから。ボーダーラインを見極め、それを超えないようにテンションを制御しながら戦うというのは意外と難しい。ハイになっている時はそのまま突き抜けていきたくなるからだ。それができるようになったのだから、十分に冷静で理性的で正気を保っていると言っていい。それは紛れもない成長だ。
だが、それはカムイが目指すものとはちょっと違う。彼が目指しているのはその先だ。アブソープションを全開にしても、しかし暴走せずに戦える。それが彼の目指すレベルだ。そして言うまでもなく、今のカムイはそのレベルに達していない。
「ふぅ……」
息を吐き出しながらアブソープションの出力を下げ、カムイは昂ぶったテンションを鎮める。動きを止めたので群がる〈侵攻〉のモンスターに囲まれそうになるが、彼はそれを蹴散らすと走って川から離れた。
「ふう……」
もう一度息を吐き、同時に臨戦態勢を解く。十分に川から離れたことで〈侵攻〉は収まり、残ったモンスターも身を投げ出し河辺を汚染して消えていった。静寂が戻った川原には、無数の魔昌石が散乱している。
これまでの修行でカムイが倒したモンスターが残したものだ。全部拾えば結構なポイントが得られるだろう。ただ川に近づけばまた〈侵攻〉が起こるので、それをいなしながら魔昌石を拾うのは至難の業だ。そもそも終わりがない。
そんなわけでカムイはこれらの魔昌石を放置していた。アブソープションで瘴気を吸収しているから、ポイントはそちらで稼げている。ほぼ一日中使っているだけあって、結構な稼ぎだ。ことさら魔昌石に拘る必要もなかった。
辺りを見渡せば、すでに薄暗い。夕方だ。カムイはシステムメニューを開くと、約束の定時連絡を入れるべくメッセージを作成する。
《To:【藤咲 呉羽】》
《今から戻る》
送るメッセージはたったそれだけ。そもそもこれは「暴走していませんよ」と教えるためのものだから、送ることに意味がある。極端な話、空メールでもいいのだ。ちなみに一昨日は「夕食奢って」とメッセージを送ったら、速攻で返信が来て「イ・ヤ・だ」と言われた。わざわざ「・」を挟むとは。よく分かっていらっしゃる。
この日の修行を切り上げ、カムイは遺跡の中に戻る。「先は長いなぁ」と、そう思いながら。そして夕食後、彼はふと思い立ってイスメルにメッセージを送ろうと思った。親しいわけではないが、アドバイスをしてもらった相手として、一言ぐらい挨拶というか、経過報告くらいしておいた方がいいだろうと思ったのだ。
メッセージのページを開き、それからどんな文面にしようかと考える。数秒考え込んでから、カムイはこんなメッセージをイスメルに送った。
《To:【Ismel】》
《暴れ馬を乗りこなすのは難しいです》
少し待ったが、返信は来ない。とはいえ、もともと期待していたわけではないので落胆もない。カムイの興味はすぐに別のものへ移った。
次に彼が開いたのは、【プレイヤーショップ】のページだ。久しぶりにそのページを開いて見て、カムイは歓声を上げた。
「おお、増えてる!」
「ん、カムイ、どうしたんだ?」
カムイの声を聞いて、呉羽が傍に寄ってきた。そんな彼女にカムイはプレイヤーショップのページを見せる。それを見て呉羽は微笑んだ。
「ああ、なるほど。確かに増えているな」
呉羽の声も嬉しそうだ。それからカムイと一緒にページを見ていた彼女は、とあるアイテムに視線を止めた。
「この、〈お狐様印の世界地図Ver1.0〉というのは……」
「十中八九、アードさんだろうな。命名はキキかな?」
苦笑しながらそう応じ、カムイはそのアイテムのページを開く。出品者の名前を確認すると、そこには思った通り【ARKID】の名前が。どうやら以前に言っていた通り、複製した地図を売りさばく商売を始めたようだ。
商品の説明を見ていると、「お狐様が世界中を歩き回って作った地図。プレイヤーメイドの地図としては、現時点では世界で最も情報量が多い」とある。この説明でエラーが出なかったのだから、「世界で最も情報量が多いプレイヤーメイドの地図」というのは本当なのだろう。これは大きなセールスポイントだ。
ただこれだと「アーキッド=お狐様」と受け取られると思うのだが、そこはいいのだろうか。まあ地図情報にはなんの関わりもないし、本人たちに出会えば誰を指しているのかはすぐに分かるからいいのだろう。
まあ、それはともかくとして。〈お狐様印の世界地図Ver1.0〉のお値段は、一つ10万Pt。ぼったくりとは思わないが、結構いい値段である。在庫数を確認してみると、「7/15」となっている。
すでに八個売れたわけで、順調な売れ行きであるようにカムイは思う。少なくとも、【地図情報共有機】の費用を計算に入れてもすでに黒字は確保しているはずだ。手間は掛かるが、なるほどなかなかボロい商売である。
(あ、いや、【測量士の眼鏡】の費用が回収できていないから、まだ赤字なのか……?)
そう考えるとしても、遠からず黒字になるだろう。「この世界に関する情報ならどんなものでも欲しい」というのが、プレイヤーたちの偽らざる本音なのだから。中でもロナンやデリウスのような、集団の長をやっているようなプレイヤーは特にその思いが強い。10万Ptくらいならそりゃ買うだろう、とカムイでも思った。
(マネは、無理だなぁ……)
カムイは苦笑する。アーキッドらのマネをして地図を売り出すことはできるだろう。しかし売れるとは思わなかった。「世界で二番目に情報量の多い地図」を謳ってみても、そんなのセールスポイントになるわけがない。10万Ptで一番が買えるなら誰だってそちらを買う。アーキッドらとは別の範囲で地図情報を集めれば売りにはなるだろうが、しかしそれを彼らにコピーされてしまえば終わりである。
値段を安くすれば多少は戦えるかもしれないが、しかしこの先アーキッドらが地図のバージョンアップを繰り返せば、いくら安かろうが意味はない。その上、探索の範囲でも勝てず、ようするに始める前から負けが決まっている戦だった。
そんなわけで「マネは無理」と結論したところで、まるでそのタイミングを見計らったかのように呉羽がカムイにこう声をかけた。
「カムイ、コレ一つ買ってみないか?」
「う~ん……。いや、今はいいだろう」
少し考えてから、カムイはそう答えた。どの道、アーキッドは海辺の拠点に一度戻ってくる。その時に地図情報を共有させてもらえばいい。カムイはそう言った。
「むう……。地図を見れば、今カレンたちがどの辺りにいるのか分かると思ったのだが……」
「メッセージ送って聞けばいいだろ」
「おお、そうだな。ついでにカムイが無茶をやらかしたことも報告しておかなければ」
「それについてはマジで勘弁して下さい」
カムイが深々と頭を下げると、呉羽は楽しそうにクスクスと笑った。それからまた二人はプレイヤーショップのページを覗き込む。
「あ、ほらコレ、〈浄化樹の鉢植え〉」
「出品者は……、まあ確認するまでもなくガーベラさんだな。値段は85万か」
まあ妥当かな、とカムイは思った。ガーベラのユニークスキル【植物創造】でゼロから創造し、さらに彼女自身の儲けを上乗せすればそれくらいであろう。しかしどうやら呉羽の意見は違うらしい。
「ガーベラさんは……、まったくもう……」
そう言って呉羽は苦笑する。彼女はこの値段が高いと思っているようだ。実際、カムイが「高いか?」と尋ねると彼女は苦笑したまま一つ頷いた。
「だってこれ、たぶん挿し木だぞ。というか、カムイが言ったんじゃないか。挿し木を使えばいいって」
「あ……」
呉羽に言われてカムイも気付く。つまりこの鉢植えは、剪定した浄化樹の枝を鉢に植えたもの、ということだ。カムイが知っていたのだから、植物の専門家であるガーベラがそれを考えないはずがない。
挿し木ならすでにある枝を使うことができ、新たに創造する必要はない。当然、新たなコストはゼロである。以前は「まだ樹が小さいから枝を切りたくない」と言っていたが、あの時と今では状況が違う。
浄化樹の数がずいぶん増えたから、小さな枝を幾つか剪定したくらいでは収入には響かない。むしろ【PrimeLoan】で確保した資金も使い、浄化樹を広めつつ同時にポイントを稼ぐべく、いろいろと手を伸ばしたいと思っているはずだ。
根を伸ばすためにポイントを使っているかもしれないが、それにしても恐らくは数万Pt程度。仮に5万Ptとすれば、ガーベラの儲けは80万Ptということになる。アーキッドの地図など比べ物にならない。これこそまさにボロい商売と言えるだろう。
「しかも売れてるし……」
カムイが在庫を確認すると「5/6」となっている。つまり誰かが一つ買ったのだ。しかしそれを見てまた呉羽が苦笑する。
「それもたぶん、ガーベラさんじゃないかな?」
そう言われてカムイは思いだす。〈浄化樹の種〉を出品した時も、ガーベラは自分でそれを買っていた。「在庫が減っている方が人気商品っぽいし、手も出しやすい」と言って。カムイの脳裏に「してやったり」と豪快に笑うガーベラの姿が浮かぶ。彼女の手のひらで上手く転がされてしまったようで、なんだか面白くない。
(ゼッテー買ってやらねー)
カムイは少々不機嫌な顔になりながらそう心の中で呟いた。完全な逆恨みである。まあ、そもそも数百万Ptも出資しているから、いまさら小さな鉢植えを買う必要もないのだが。
〈浄化樹の鉢植え〉のページを閉じると、カムイと呉羽はまた面白そうなアイテムを探し始める。次に二人が目を付けたのは、〈低級精製ポーションⅠ〉というアイテムだ。精製ポーションとはアイテムショップでも見たことがない。興味が引かれた。
「なになに……。『【低級ポーション】の三倍の効果があります』、か。値段は2,000Ptだな」
この説明でエラーが出なかったということは、〈低級精製ポーションⅠ〉には本当に【低級ポーション】の三倍の効果があるのだろう。それでお値段2,000Ptだから、一本1,000Ptの【低級ポーション】を三本買うよりお得だ。実際在庫数を見ると、「12/30」となっている。なかなか売れているようだ。
さらに同種のアイテムとして、〈低級精製ポーションⅡ〉と〈低級精製ポーションⅢ〉もプレイヤーショップのラインナップに並んでいる。効果とお値段はⅡが五倍で3,500Pt、Ⅲは八倍で6,000Ptだ。両方とも出品数の半分以上がすでに売れている。人気商品、と言っていいだろう。自分で買って必死にアピールしている誰かさんとは大違いである。
「出品者はやっぱり全部同じ人だな。名前は……、【LuLuCa】さんか」
面白いアイテムだな、とカムイは思った。プレイヤーメイドらしく、公式ショップで売っているアイテムより高性能でお得。それだけでセールスポイントとしては十分だ。
「だけどこれ、何を原材料にしているんだろうな……?」
呉羽がそう言って少し不思議そうに首をかしげる。ポーションの原材料になりそうなものと言えば、やはり薬草や特殊な樹の実などだろうか。呉羽が「赤いキノコ……」と呟いているが、それは間違いなく治す方ではなく殺す方であろう。
ただ薬草にせよ赤いキノコにせよ、この世界でそれらの原材料を手に入れることはできない。瘴気に覆われてしまったこの世界には、ペンペン草の一本も生えてはいないのだから。そうなると〈低級精製ポーションⅠ〉の原材料は限られてくる。
「たぶん、アイテムショップの【低級ポーション】を使って作ってるんじゃないかな」
「煮詰めるのか?」
「それじゃあコストが見合わないだろ……」
三倍に濃縮したので効果も三倍というのは、まあ理解も納得もできる。ただ【低級ポーション】三本分を一本に濃縮したものを、2,000Ptで売っていたら赤字だ。さすがにそんなまねはしないだろう。
「ユニークスキル、だろうな。このルルカさんの」
というか、それしか考えられない。ユニークスキルを使って【低級ポーション】を“精製”し、このポーションを作っているのだ。
(……ってことは、この人は生産プレイヤーか)
MMOなどではそういうプレイスタイルのプレイヤーもいるということは、カムイも友達から聞いて知っている。彼が自分では出品するつもりもないのにプレイヤーショップ機能を使えるようにしたのは、そういう生産プレイヤーが生み出すアイテムを目当てにしてのことだった。
そして今、まさにそういうアイテムを見つけて、カムイはなんだか嬉しくなった。この世界は過酷だ。そういう世界で、戦う力は持たないプレイヤーも、しかしこうして頑張っている。その証拠を見つけたような気がした。このデスゲームは着実に攻略されているのだ。
「中級や上級の精製ポーションはまだないんだな……」
あれば欲しかったんだが、と呉羽が残念がる。彼女が言ったように、それらのアイテムはまだプレイヤーショップには並んでいなかった。たぶん低級の精製ポーションで資金を稼いでから手を出すつもりなのだろう。カムイはそう思った。
「そのうち出るんじゃないのか?」
「そうだな。期待して待つとしよう」
真面目な顔でそう言ってから、呉羽は不意にクスクスと笑い声を漏らした。カムイが「どうした?」と聞くと、彼女は笑いながら「いや」と言ってからこう答えた。
「顔も声も知らないプレイヤーに期待するなんて、なんだかおかしくってな」
確かに普通ならそんなことはしないだろうし、また今までもしては来なかった。プレイヤーショップという新たなツールが生まれたからこその期待だ。カムイはその影響力の大きさを垣間見たような気がした。
それから二人はまたプレイヤーショップの物色を再開する。ただ、この他にはそれほど珍しいアイテムはなかった。出品されているアイテムのほとんどは、アイテムショップでも売っているものだ。つまり装備を新調するなりして、もう使わなくなった中古品をコッチで安く売っているのだ。リサイクルショップ的な使い方で、これはこれで一つの使い方だろう。
「ストレージ系のアイテムはやっぱり人気だな……。みんな売り切れてる」
在庫数が「0」になったアイテムには、赤文字で「Sold Out」と判が押されている。それらのアイテムのほとんどがストレージ系のアイテムだ。他にも特殊効果持ちの武器などが人気だった。
売り切れになっているものの中で、あるアイテムにカムイの目が留まった。〈ストレージブレスレット〉というマジックアイテムである。その名の通りストレージ系のアイテムだが、カムイが持っているボディバッグのような、空間を拡張して容量を増やすタイプのものとはちょっと毛色が違う。
説明によれば、亜空間が設定されていてそこに荷物を収納できるらしい。亜空間とか、超絶にファンタジーだな、とカムイは思った。ちなみにお値段50万Pt。決して安くはないが、ストレージアイテムとしては手ごろだ。
「それにしてもこんなアイテム、ショップにあったかなぁ……?」
カムイがそう呟くと、呉羽がすぐにアイテムショップのページを開いて検索をかける。しかしヒットした数はゼロ。つまりアイテムショップには売っていないのだ。ということは、この〈ストレージブレスレット〉は完璧なプレイヤーメイドのストレージアイテムと言うことになる。
「凄いな、こんなのを作れるプレイヤーがいるんだ」
カムイは興奮気味にそう呟く。恐らくこれもユニークスキルが関係しているのだろう。しかしそうだとしても、コレは凄い。これこそ本当のプレイヤーメイドだ。この先、こういうアイテムはどんどん増えてくるだろう。そう考えると楽しみで仕方がない。
「ええっと、このアイテムを作ったプレイヤーさんは、っと……」
〈ストレージブレスレット〉のページを開いて、カムイはその出品者を確認する。そこには【ROLOYA=ROT】と言う名前が記されていた。「姓名まで書いてあるし、もしかしたら本名なのかな」とカムイは思った。やがてこの人物と関わることになろうとは、この時の彼は知る由もなかった。
「皆さん頑張ってるんだなぁ……。そうだ、カムイもなにか売りに出してみたらどうだ?」
「前に使ってたポンチョはまだ着れるけど、本当にただのポンチョだからなぁ」
たぶん需要はないだろう、とカムイは思う。いきなり高価な装備品を買いあさったことの弊害、と言えるかもしれない。
「こんなもんか。まだまだ出品数は少ないな」
ページを一番下までスクロールして、カムイはそう言った。プレイヤーショップに出品されているアイテムの総数は、まだ百数十点程度。それほど多いとはいえない。ただ、これからまだ増えるだろう。
「面白いアイテムがあったら教えてくれ」
「あいよ。……ってか、プレイヤーショップの拡張パック買えばいいのに」
ちなみに【システム機能拡張パック3.0(プレイヤーショップ機能)】のお値段は10万Ptである。買うとガーベラさんが喜ぶ。
「まあ、何か買うときになったらな」
呉羽はそう言うと、カムイの傍から身体を離して立ち上がる。それから【朱雀の簪】を引き抜いて、纏めていた髪の毛を解いて下ろす。長い濡羽色の髪が背中に流れ、たったそれだけで彼女の雰囲気はがらりと変わった。カムイはその姿に一瞬見惚れる。
「わたしはそろそろ休むよ。明日も早いからな」
「あ、ああ。オレももう少ししたら寝るよ。おやすみ」
おやすみ、と返してから身を翻し呉羽が部屋を出て行く。彼女とリムが寝室として使っているのは、この隣の部屋だ。たまにお風呂にも入っているらしい。
ふう、と息を吐いてカムイは呼吸を落ち着ける。それからプレイヤーショップのページを閉じると、システムメニューの【メッセージ】のところに新着のアイコンが付いていた。どうやら誰かからメッセージ来たらしい。開いてみると、差出人はイスメルだった。先ほど彼が送ったメッセージの返信である。
《From:【Ismel】》
《力ずくでねじ伏せるのも一つの手ですよ。上下関係を分からせれば、逆らうこともなくなります》
「……犬かなにかと勘違いしてるんじゃないのか、コレ」
言う事を聞かない犬とケンカして組み伏せ誰がボスかを思い知らせた、という話を昔テレビか何かで聞いたことがある。イスメルからのメッセージを読んで、カムイはそれを思いだして苦笑した。もはや暴れ馬ですらなくなっているが、しかし動物というのはそういう部分で共通するものがあるのかもしれない。
(まあ暴れ馬っての自体、ものの例えなんだけどなぁ)
話が段々と元の悩みからかけ離れていってしまっているようで、カムイはもう一度苦笑した。ただ、イスメルは彼の悩みを知っている。その上でこのようなメッセージを送ってきたのだから、そう的外れなアドバイスではないはずだ、と思いたい。
「力ずくでねじ伏せる、か……」
そう呟くカムイの口の端が、楽しげにつり上がった。なんとなくだが、自分にあっているような気がする。この三日ほどは暴走しないようにいわば宥めすかしながらやっていたが、彼が望む形であの暴気を制御しようと思えば、やはり力ずくでねじ伏せる以外に方法はないようにも思う。
「ま、頭に置きながらやってみるか」
カムイはそう呟く。なんだか進むべき方向が見えたような気がして、少しだけ心が軽い。それから彼は返信のメッセージを作成する。呉羽と駄弁っていた間に一時間以上経過しており、メッセージ機能は問題なく使えた。
《To:【Ismel】》
《アドバイスありがとうございました。頑張ってみます》
メッセージを送信してから、カムイはメニュー画面を閉じた。そしてアストールに声をかけてから、【簡易結界(一人用)】の中に敷いておいた寝袋に潜り込んで目を瞑る。また明日頑張ろう。そう思いながら、彼は眠りについた。
― ‡ ―
そして次の日。朝食を食べ終え、魔法陣がある地下室の瘴気の浄化を手伝ってから、カムイはまた一人で遺跡の外を流れる川へと向かった。歩きながら彼はシステムメニューを開いて、昨日受信したイスメルからのメッセージをもう一度開く。
《力ずくでねじ伏せるのも一つの手ですよ。上下関係を分からせれば、逆らうこともなくなります》
そのメッセージを読み返して、カムイはもう一度苦笑した。本当に、犬かなにかと勘違いしているようにしか思えない。けれどもイスメルのそのアドバイスは、確かに彼の中で指標となっていた。
「小難しく考えるな、ってことだよな。たぶん」
小手先のテクニックで宥めすかしていても、あの暴気を御することはできない。カムイもそのことには勘付いていた。だとすればやはり、イスメルの言うとおり力ずくでねじ伏せる、つまり真正面から挑んで攻略するしかない。
(山を攻略するには真正面から挑んで登るしかない、かぁ……)
昔、マンガか何かで読んだ台詞をカムイは思い出す。確かにこの「暴気を制御する」という課題は、カムイにとって高い山のようである。そうであればなおのこと、真正面から挑むよりほかに攻略法などないのかもしれない。カムイはそう思った。
川原のすぐ近くの階段のところまで来ると、カムイは大きく深呼吸をして集中力を高めた。集中力が低いと暴気に呑まれやすくなるのは、ここ三日間で感覚的にだが理解している。だからこれも立派な個人修行の一部だ。
何度か深呼吸して十分に集中力を高めると、それからカムイはアブソープションを発動した。体内に十分な量のエネルギーを溜めてから、さらに白夜叉を発動する。炎のように揺らめく白いオーラを身に纏ってカムイは飛び出した。
彼の接近に反応して、川からワニ型のモンスターが無数に這い上がってくる。〈侵攻〉だ。なかなかおぞましい光景ではあるが、敵に事欠くことだけはないので、修行の場としては最適だった。
川から這い上がってくる無数のモンスターに対し、カムイは正面から突っ込んでいく。臆してはいないし、また逆に熱くなりすぎてもいない。ベストなコンディションだ。ただし問題はこの状態をどれだけ維持できるか、である。
(まずは、っと……!)
接敵すると、カムイまずは先頭のモンスターの顎先を蹴り上げて、その身体を宙に浮かせた。そして手ごろな高さに来たモンスターの身体を右手で掴む。その瞬間、最大出力のアブソープションが唸りを上げる。
「ギィィィィィイイイ!?」
モンスターが悲鳴を上げる。身体を構成する瘴気を奪われているのだ。一方で奪う側のカムイは口の端を獰猛に歪める。テンションが昂ぶり始めてはいるものの、まだ暴走にまでは至っていない。
(まだ大丈夫……!)
ここ三日ほどで覚えた感覚と比べながら、頭の冷静な部分でカムイはそう判断する。そしてそのまま一気にモンスターの瘴気を奪いつくした。
(そんで、コイツを……!)
モンスターから奪い、身体の中に溜め込んだエネルギー。ドロドロとしていてまるでマグマのようだ。ちょっと息苦しささえ感じる。そのエネルギーをカムイは白夜叉のオーラに変換し、さらに左手に集中させた。そしてそのオーラで“アーム”を形作り、伸ばす。“アーム”は蛇のように伸びてモンスターに噛み付き、また瘴気を奪う。
「おっと!」
モンスターがカムイの足首に噛み付こうとする。彼はそれをひょいと避けると、逆にモンスターの頭を踏みつけて押さえつけ、そいつからも瘴気を奪う。
(よし、十分な量が溜まってきた……!)
溜め込んだエネルギーを白夜叉のオーラに変換。その瞬間、オーラ量が爆発的に増え、まるで白い火柱が立ち上ったかのようにさえ見えた。そしてそれらのオーラを、カムイは右腕に回した。
(イメージしろ!)
カムイは自分にそう言い聞かせる。そして彼のイメージに従って白夜叉のオーラが変形していく。一度完成させたことのあるイメージなので、変形はスムーズだ。やがてカムイの右手の先から、ずんぐりとしたロボットの手のようなものが伸びてくる。“グローブ”だ。
(よし、完成)
完成した“グローブ”を下からすくい上げるように振るうと、鋭い爪が足元に近づいていたモンスターを切り裂く。カムイはさらに二度三度と“グローブ”を振るってモンスターを蹴散らした。同時に左手から“アーム”を伸ばしてモンスターに喰らい付かせ、そこから瘴気を奪ってエネルギーを補充する。“グローブ”は便利で強力だが、その分消費するエネルギー量も多いのだ。
カムイは“アーム”と“グローブ”を駆使しながら無数のモンスターを相手に戦う。それはつまり、彼が扱うエネルギーの量が通常よりも多くなることを意味している。そしてそれはカムイのテンションの急上昇にも繋がるのだ。
「アぁ……、クク……」
カムイの中で暴気が膨れ上がり、それと同時に喜悦と全能感が彼の理性を侵食していく。かろうじて残る冷静な部分が警鐘を鳴らした。いつも(とはいえここ三日ほどの話だが)であれば、彼はここでアブソープションの出力を下げていた。彼はそうやって暴走を防いでいたのだ。
しかし今回、彼は理性の警鐘をあえて無視した。イスメルに言われたとおり、力ずくでねじ伏せるために。何をねじ伏せればいいのか、はっきりとは分からない。そもそも「力ずく」とはいえ、腕力の問題ではないのだ。上手くいく保障もない。
しかしそれでも。ここで踏み込まなければならないと言うことだけは分かる。一線を踏み越えたその先にしか、カムイが望むものはないのだ。
だから彼はその一歩を踏み込む。ここから先は、真っ暗な暗闇だ。その暗闇の中に理性、あるいは正気と言う名の細いロープ一本張り伸ばされている。カムイはこのロープの上を、危なっかしくバランスを取りながら進んでいかなければならない。
膨れ上がる暴気は、まるで嵐のように吹き付けて彼のバランスを崩そうとする。喜悦と万能感は甘い誘惑だ。前を見ていなければならないのに、気を散らして視線を奪おうとする。そんな中で、綱渡りを続けなければならないのだ。
そのロープがどこまで続いているかは分からない。その終端は暗闇の向こうだ。いや、そもそも終わりなどないのかもしれない。しかしそれでも、暴気だの喜悦だの全能感だの、その他諸々全部ひっくるめてねじ伏せて御するには、延々と綱渡りを続けるしかないのだ。
(暴れるのはいい! だけどそれをぶつける相手は選ぶ! 冷静に!)
際限も見境もなく狂ってぶっ飛びそうになる思考を、わずかに残った理性で必死に繋ぎ止める。頭の奥が締め付けられるように痛くて不愉快だ。しかしそれこそが暴走していない何よりの証拠だった。
「おおおおおお!」
カムイが雄叫びを上げる。しかし狂って暴走したわけではない。彼の眼には、まだしっかりと理性の光がある。だがそれがいつまで持つかは別問題だ。そしてそれこそが最も重要なことだった。
カムイの長い綱渡りは、まだ始まったばかりだ。危ういバランスを保ちながら、彼は戦い続ける。
さて数時間後、昼食を食べるために地下から出てきた呉羽は、システムメニューを開いて眉間にシワを寄せた。メッセージの新着を示すアイコンが出ていないのだ。それはつまり、カムイに約束させた定時連絡がまだ来ていないことを意味している。
(いや、常に時計を見ているわけじゃないんだ。ちょっと遅くなっているだけかもしれない……)
そうやって適当な理由を探し、呉羽はひとまず自分を納得させる。それから彼女はアストールとリムの二人と一緒に昼食を食べた。ちなみにこの日のお昼は【日替わり弁当B】である。
昼食を食べ終わってから、呉羽は再びシステムメニューを開く。しかしやはりまだカムイからのメッセージは来ていない。嫌な予感が頭をよぎる。焦燥が募った。
「あの、トールさん。カムイからまだ連絡が来ないんです。それで……」
「それは、心配ですね。ぜひ行って見てください。その間、私たちは地下には潜りませんから、ご心配なく」
「き、気をつけてください」
そう言ってくれたアストールとリムに頷きを返してから、呉羽は拠点として使っている部屋を飛び出した。それから一度三階建ての屋上に上り、カムイの気配を探る。彼の気配はすぐに見つかった。やはりというか、川原である。ただ、暴走しているかどうかまでは分からない。
カムイの位置を確認すると、呉羽はすぐに駆け出した。いつぞやと同じく、遺跡の中を一陣の風となって疾走する。幾つかの建物の上を飛び越えてショートカットしながら、彼女は川原を目指して走った。
「カムイッ!」
呉羽が川原に到着したとき、カムイはまだ戦い続けていた。それを見て、呉羽は彼が暴走しているものと思った。メッセージが来なかったのも、きっとそのせいに違いない。
「この、馬鹿者がぁあ!」
愛刀を鞘から引き抜いて、呉羽はカムイに切りかかった。白夜叉のオーラを切るのではなく、そのまま当てるつもりで切りかかったので、ちゃんと刃は返して峰のほうを向けてある。ただ、完全に背後から切りかかったのに最初の一撃は避けられてしまった。
「ッチ!」
舌打ちを漏らしつつも、しかし呉羽の眼はカムイの動きを追っている。群がって来るモンスターを風の結界で吹き飛ばすと同時に、彼女は下から斜めに切り上げるようにして二の太刀を振るう。しかし彼女は腕を振りぬくことができなかった。受け止められたのだ。
「っ!」
呉羽が顔を歪める。前回もこのパターンで力比べになってしまい、劣勢に追い込まれたのだ。何とか早目に切り抜けようと思い、彼女は愛刀の柄を両手で握った。そして……。
「あれ。なんだ、呉羽か。ビックリした」
「え……? カムイ……?」
カムイから不意に名前を呼ばれ、呉羽は思わず呆けたような声を出した。彼は暴走してしまったと思っていたが、しかしこうしてみるとその気配は微塵もない。早とちりだったのだということに気付いて、呉羽は顔を赤くした。
「す、すまない! その……」
「うん、まあ別にいいけど。……っと、危ない」
そう言ってカムイは左手から“アーム”を伸ばし、呉羽に飛び掛ろうとしていたモンスターの頭を引っ掴む。そしてそのまま瘴気を奪いつくして倒す。その様子を呉羽は半ば呆然としながら見守った。
〈侵攻〉が起こっている中では落ち着いて話もできないと言うことで、カムイと呉羽はひとまず川から距離を取った。二人が離れたことで〈侵攻〉は収まる。モンスターがいなくなった川原を眺めて、呉羽は一つ安堵の息を吐いた。
「それで呉羽、どうしたんだ?」
「それはこっちの台詞だ。なんでメッセージを送ってこない?」
呉羽は眉毛を吊り上げてそう詰問する。詰め寄られたカムイは、気まずそうに視線を逸らしながらこう答えた。
「あ~、ええっと……。ちょっと、熱中してしまって……」
忘れていた、とカムイは弁明する。そんな彼に呉羽は厳しい表情のままさらにこう詰め寄った。
「暴走していたわけじゃないんだな?」
「それはもちろん」
そこは自信を持って、カムイはそう答えた。実際、呉羽のこともすぐにそれと気付いたし、話ができる状態も保っていた。これまでの暴走とは、明らかに状況が違う。そのことは呉羽も認めた。
「まったく、心配をかけないでくれ」
ため息を吐きながら、少々恨みがましく呉羽はそう零す。しかしすぐにホッとしたような表情になって、「無事でよかった」と微笑んだ。
「悪かったよ。次からは気をつける」
「頼むぞ、本当に。トールさんとリムちゃんも心配していたぞ。詫びのメッセージでも送っておいたらどうだ?」
「ああ、そうするよ」
呉羽の勧めに、カムイは苦笑しながらそう応じた。
「それじゃあ、わたしはまたトールさんの調査に付き合うから。夕方の定時連絡は忘れないように」
最後にそう釘を刺してから、身を翻して駆けていった。カムイはその背中を見送る。そしてふとあることに気付く。
(心配して、急いで来てくれたのか……)
急ぐどころか超特急である。それがなんだかこそばゆかった。
今回はここまでです。
続きは気長にお待ちください。




